だけど一つくらい、そう言う作品があってもいいと思う。
「ふわぁー……あ」
アルフは口を大きく開け、一つ、欠伸をした。
長い茜色の髪をわしわしと右手で掻き、左手で目尻に溜まった水分を拭う。
緊張感の欠片もないその造作は、あるいはだらしがないと咎められて然るべきものかも知れない。
だけど、その行為に対し彼女が叱責を受けることはなかった。
ここは海鳴にある彼女の住居であり、そして彼女は今、この家に一人なのだから。
「……ねむ」
犬歯が覗く口から放たれたその言葉は、しかし誰も聞いておらず、また誰に聞かせるものでもない。
ぐっ、とその場で軽く伸びをして、アルフは立ち上がった。
「さて、と」
フェイト・T・ハラオウンの使い魔、アルフ。
格闘戦に長け、また補助系の魔法を駆使し、フェイトよりも更に前に出て戦う最前線での近接戦闘サポートをこなす優秀な使い魔だ。
元々の素体である狼形態と人間形態の2形態を持ち、今でこそ人間形態で居るが、状況により狼形態でも戦闘を行う事が出来る。
そんな彼女は、今。
「……洗濯物でも干すかね」
普通に家事をしていた。
プロローグ:日々是平穏
別に、彼女が御役御免になった訳ではない。
なった訳ではないのだが、彼女が戦闘に参加することは極端に減っていた。
確かに、アルフは優秀な使い魔だ。それは誰も疑わない。
しかしだからと言って。
それが必要な状況下と言えば、そうでもないのだ。
彼女の主、フェイト。
弱冠13歳にして魔導師ランクSを持ち、時空管理局の執務官を勤める才女。
はっきり言って、戦闘と言う場面においてアルフが主の為にすることはないのだ。
否。
出来ないのである。
Sランク。
数多の魔導師を抱える管理局においても滅多に見ないランクだ。
そしてあろうことに、フェイトが得意な戦法は空中戦における高速運動からの近接戦。
有体に言えば、もうアルフでは着いていけないぐらい、フェイトは成長してしまったのである。
アルフが得意のバリアブレイクでフェイトのアシストをする前に、フェイトは相手をバリアごとぶった切ってしまえる。それも三度ぐらい。
要はあまりにも実力が離れてしまったのだ。彼女と彼女の主の間に。
アルフは優秀だ。だが、いや、だからこそ、フェイトはもっと優秀で、そして成長性も極めて高いのである。
使い魔とて決して成長しない訳ではない。
ないが、使い魔の実力はその主の実力と直結している。つまり、使い魔が定められた『実力』から離れすぎることはないのだ。
実際問題、アルフはこう言った暇な時に、フェイトの為に役立ちそうな魔法を考えては構築・習得していた。
そして未だ使い道はないが、それは確かに彼女の血肉となっている。強くなってはいるのだ。ゆっくりと、だけど確実に。
が、しかし。
「それも、もうやめないとな……」
快晴眩しい海鳴のとあるマンション。
その一室のベランダで毛布を竿に干しながらアルフはひとりごちた。
彼女の表情は別に暗いと言う訳ではないが、それでも心なしか覇気はない。
頭に生える犬耳(正しくは狼耳)も、臀部から出る尾っぽも、なんとなく元気がない。
――――使い魔は存在するだけで主の魔力を消費する。
それは今更とも言うべき一般論であり、アルフもまた、当然の如く知っていた。
そもそも、使い魔と言うものは、作成の際に契約として使い魔が成すべき目的を設定することで、それに合わせて能力を決定し、目的が達せられた後に契約を解除するのが一般的な使い方となっているのだ。
よって、半永久的にその存在を確約しているアルフは珍しいと言える。
しかし、ここで問題が生じる。
アルフとフェイトが交わした契約は、「ずっとそばにいること」
なので、契約が完了する=どちらかの死という長期契約となっているのだ。
また、アルフとフェイトの関係も、一般的な使い魔とその主人と言うよりは対等のパートナーと言ってよい。
早い話、彼女たちは単純に使い魔と主と言う間柄ではない、強く暖かい絆で結ばれているのである。
しかし、しかしだ。
アルフとフェイトの契約は、どちらかが息絶えるまで有効。
使い魔は存在するだけで主から魔力を消費している。
現状、アルフはこと戦闘と言う点でフェイトの役には立てない。
「詰んだね、こりゃ」
後ろ向きな台詞とはまるで裏腹に、パンッ、と小気味良いを鳴らして、アルフは両手に持ったシーツを広げた。
それをまた竿に干し、作業は終了。
天気は良好。風は順風。洗濯物も、よく乾くだろう。
だがそんな明るい情景など鑑みずに、アルフの立場は考えれば考える程暗いものだった。
役に立たない。
契約は死ぬまで続く。
存在するだけで主に負担を掛ける。
果たして、こんな自分に意味があるのだろうか。
果たして、自分はここに居るべき存在なのだろうか。
果たして、フェイトの為に自分は消えた方がいいのではないか。
そんなネガティブな心情に、アルフの心は満たされ
「さ、買い物行こ」
ない。
アルフは慣れた様子で頭部にある耳と尻尾を引っ込め、買い物鞄を引っ提げた。
(にしても天気がいいな、今日も……)
日が暮れ始めても、相も変わらず天気が崩れないここ、海鳴。
半袖にホットパンツと言う軽装で街を歩くアルフは、雲一つ許さない鉄壁の空を見て少し苦笑した。
アルフはこの街が好きだった。
理由を挙げるとすれば、それは様々だ。
気候と言う点。晴れの日が多く、四季がはっきりとしている。
住民。ここに住んでいる住人は皆良い人ばかりだ。
街そのもの。都会もあれば自然もある。上手く自然と文明が調和していた。
そして、そして何より――――
彼女の主が、フェイトがこの海鳴を好いているから。
(フェイト……)
アルフは思う。想う。
大事で大切な主のことを。
かつて失意のどん底に堕ちて。
最愛の家族に裏切られて。
だけど『親友』になった少女に救われて。
そうして前に進んだ己の主。
そうして新しい家族を得られた愛しい主。
この街に来てから、何もかも上手く言った訳ではない。
辛い事。悲しい事。やり切れない事。数え切れないほど、それは確かにあった。
だけどフェイトは困難が立ちはだかる度に前を向いていた。諦めなかった。折れなかった。
かつて、儚げで今にも消えてしまいそうな薄幸少女は、そこにはいなかった。
居るのは、強く、気高く、心優しい少女。そしてそれはアルフの誇りだった。
だからアルフもこの街が好きだった。
フェイトが好きなこの街が好きだった。
フェイトが前向きになる切欠をくれたこの街が好きだった。
だからアルフは、自分が戦闘に参加できなくても気にしない。
フェイトの役に立つ、と言うのは何も戦闘に拘る必要がない。
それ以外でもアルフと言う存在はきちんと確立出来るのだ。
居場所。
友達がいて。家族がいて。
そんな当たり前の、だけどどこまでも尊い、フェイトの家。フェイトの帰る場所。
それを、アルフは守ることにしたのだ。
何も「この街の平和は私が守る!」なんて戯言を言う気はない。
魔法と言う概念がないこの世界のこの国は、屈指の安全性を誇っているのだから。わざわざアルフがどこうする必要はない。
……まぁ『かつて』は下手したら世界滅亡の危機まで訪れかねなかったのだが、そこはアルフは目を瞑った。彼女だって大人になったのである。
ともかく、アルフが行うべき事は、簡潔に言ってしまえば御留守番である。
忙しい家族に代わり家の掃除をし、食事の準備を手伝い、又は一人で準備し、そして家族の帰りを待つ。
買い物をこなして、今日のように家族の母が所用で居ない時には料理もする。後は家族と緩いトークをして、軽く家事をした後おやすみなさい。そんな、生活。
身も蓋もない言い方をすれば、まるで家政婦か番犬扱いだ。
だけど、それで構わないとアルフは思っている。
家政婦上等。
番犬上等。
それの何が悪いと言うのか。
今まで鍛えて来た技が鈍っても。
今まで磨いで来た牙がなくなったとしても。
アルフはフェイトの帰る場所を守ることに決めたのだ。
現在、それでも偶にアルフの手が必要な時がある。
いくらフェイトが優秀とは言え、Sランクとは言え、そもそも管理局自体が人手不足。
その上、家族であるリンディ曰く、最近管理局で何やらゴタゴタが起きているらしい。
それならば、拳を振るうことはやぶさかではない。これも立派な仕事なのだ。
だが、それが終わった時。
諸々問題やらゴタゴタがなくなって。
フェイトの実力が、最早通常時において完全にアルフが必要なくなったら。
その時が引退だ。
「ふ、ふぁー……わぅ」
オレンジ色に輝く夕日に向かい、またアルフは欠伸をした。
『その時』を待ち遠しにせず。期待もせず。
あるがままを、なずがまま受け入れる姿勢。
自然体に。気負わず。ただ平凡に流れる日常で、主の帰りを待つ。
それが、フェイト・T・ハラオウンの使い魔、アルフの生き様だった。