神の舌を超える者   作:匿名希望者

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神の舌を超える者

 その日、薙切仙左衛門(なきりせんざえもん)がその場所を通りかかったのは本当に偶然の事だった。

 

 

「――――ここでよい。止まれ」

 

 

 仙左衛門はとある超一流料亭のオーナーに新作料理の試食を依頼されており、夕食も兼ねて移動している途中。

 

 

「は、えっ? 後、数分だけお待ちいただけたら味見を依頼した料亭へ到着しますが?」

 

「――――止まれと言った筈だが?」

 

「も、申し訳ありません!」

 

 

 仙左衛門の言葉に運転手は慌てて車を停止させると戸惑いを隠せない表情を浮かべながら仙左衛門の秘書へ助けを求める視線を送る。

 

 

「総帥様、どうかなされましたか? この辺りには何もございませんが?」

 

 

 戸惑っているのは仙左衛門の秘書も同様であり、秘書の言葉通りで住宅地を移動していたので周りには一般家庭の家しか存在しない。しいて挙げるなら外見からして古ぼけている小さな小料理屋が一軒だけあるぐらいだ。

 

 

「今日はここで夕食を取る事にする」

 

「え、ですがそれでは味見が……」

 

「それについてはこちらから改めて謝罪する。今日の所は行けぬ。そう伝えよ」

 

 

 仙左衛門の言葉を聞いて、秘書の狼狽は更に大きいモノとなる。仙左衛門は日本料理界の頂点に君臨する人物ではあるが、子供や我儘を強引に突き通すような人物ではない。新作料理の味見という料亭にとって重要である依頼を引き受けておいて反故するにはそれなりの理由が必要だ。少なくともこんな寂れた小料理屋で食事をした為に味見を反故した等、仙左衛門自身の責任問題にまで及ぶ事だってあり得る。それを押してまでこの小料理屋に拘る仙左衛門の意思が固いと理解した秘書は車を降りると小料理屋の中を覗き込む。

 

 

「あ、いらっしゃいませ。大人1名ですか?」

 

「はい、ですが私ではありません。今、お呼びします」

 

 

 小料理屋の中では妙齢の美女がエプロンをしてカウンターで料理をしながら一杯引っ掛けに寄ったサラリーマン達と談笑していた。

 

 新たなお客の登場に素晴らしい笑顔で対応した女性はそそくさと去って行ってしまう秘書の姿に目を白黒させた後、店に入店してきた人物の姿に驚きの声を上げる。

 

 

「そ、総帥!」

 

「どこかであった事が?」

 

 

 用意されていたカウンター席に着いた仙左衛門は驚きを隠しきれない様子の女性へ声を掛ける。その言葉を聞いて女性はおそるおそる口を開く。

 

 

「わ、私は元々、遠月学園の生徒でした。その、三年生の卒業試験で落ちてしまいましたが……」

 

 

 ただの一般人が食事をするお店としては卒業試験まで生き残った女性の経歴だけでも十分すぎるほどであるが仙左衛門に料理を出すほどの腕前かと問われれば、いささか不十分だ。とはいえ、来店したお客さんである以上、頼まれた料理を出さなければいけないのは当然の事である。

 

 

「この店で一番美味いモノを」

 

「わ、分かりました」

 

 

 ある意味もっとも残酷な注文に女性は半泣きになりつつも手慣れた手付きで料理を作っていく。数分後、仙左衛門の前に出されたのは湯気を漂わせたふっくらとした白米と野菜が盛り沢山入っているコロッケ定食であった。

 

 

「いただきます」

 

 

 そう言って料理へ箸をつける仙左衛門の姿に女性は死刑を待つ人間のように見つめている。コロッケを箸で解し、付け合せのソースを付けて一口。仙左衛門は何も言わず手に持った箸を置く。

 

 

「女将、馳走になった」

 

「は、はい……」

 

 

 その一言がどういう意味か、女性はすぐに理解して悔しそうに顔を伏せる。店を構え、それなりに地域の人から愛される小料理屋として定着してきた。それほど腕を磨いてもなお、仙左衛門を唸らせる料理は作れなかったのだ。

 

 

「おいおい、爺さん。アンタがどこのだれか知らないが、本当に美味い“だけ”のモノが食べたいなら『裏たれ』を頼まなきゃダメだって。女将さんも爺さんに言われっぱなしじゃダメじゃないか」

 

 

 このまま会計を済ませて去ってくれた方が女性にとって助かったのだろう。だが、ここは庶民が出入りする小料理屋で、適度にアルコールの入ったサラリーマンなどがよく使う飲み屋なのだ。いきなり現れた老人が楽しく談笑していた女将から笑顔を消し去り、真剣な顔して作った料理を一口食べて御馳走様など、他の客であるサラリーマンの方が黙っていない。

 

 女性は仙左衛門へ噛み付いたサラリーマンの言葉であわあわと慌てるがサラリーマンもお客さんである事に変わりなく、どうしたらいいのかとおろおろしている。

 

 

「女将、『裏たれ』とは?」

 

 

 仙左衛門の視線を受け止めた女将は教えたくなかったという感情を飲み込み、遠慮がちに話を始める。

 

 

「私の息子が作るたれの事です。その……身内自慢になりますがうちの子は味覚に関して飛び抜けた才能を持っているんですがそれを料理に生かす才能が無いんです。だからあの子の作ったたれは味に問題は無いんですけどそれ以外に問題があってお客さんに提供出来るレベルじゃないんです。ですから、常連さんが食べたいと思った時だけ提供させてもらっています」

 

「その『裏たれ』とやらを提供してもらう事は?」

 

「…………本当にお望みなら可能です。少しだけ待っていてください。息子を呼んできます」

 

 

 そう言って、裏手へ回っていく女将を見届けた仙左衛門は受けた説明を聞いて、自身の孫娘でもある一人の少女を連想する。勿論、『神の舌(ゴットタン)』とまで呼ばれる少女と等しき味覚の持ち主が同じ時代に現れるとは思えない。しかし、この小料理屋の何処かに仙左衛門がわざわざここで食事をしなければならないと“直感”させた何かが存在している事は確かだった。

 

 

「おまたせしました」

 

 

 頭を下げながら現れた女将に引き連れられ、パジャマの上にエプロンをした少年が姿を現す。見た目は普通、黒髪に黒色の瞳、これといった特徴の無い子供である。年頃は恐らく孫娘達と同い年くらいだろう。

 

 

「あ、おじさん。今日も『裏たれ』頼んだの? 自分で言うのもなんだけど物好きだね」

 

「こらっ、お客さんでしょ!」

 

 

 自身に『裏たれ』を進めた中年のサラリーマンとは既に顔馴染みなのか、親しそうに声を掛けた少年の頭にドスッという良い音を立てて女将の拳骨が突き刺さる。頭に拳骨を落とされた少年は瞳に涙を溜めながら頭を擦っている。

 

 

「いやいや、いいよ、女将さん。坊主もまだ小学生だろ。そんな内から礼儀作法の身に付いた子供なんて珍しいからね。それと今日はオレじゃなくて、隣のおじいさんだよ」

 

「いや、半年もしない内にもう中学生だし。――――って、この人が? 見覚えないけど本当にいいの、母さん?」

 

「え、ええ、大丈夫。だから、『裏たれ』よろしくね」

 

「りょーかい、お客さん。ちょっと失礼しますねー」

 

 女将の言葉を聞いて頷いた少年は仙左衛門の所まで移動すると仙左衛門の前に並んだコロッケ小さく切り取ると箸で掴んで口に放り込む。

 

 

「ふむふむ、なるほどねー」

 

「……………………」

 

 

 呑気に味見して頷いている少年を余所に仙左衛門は絶句した。人の食事に手を付けるという暴挙を受けて――――ではない。目の前でモグモグと口を動かしている少年がコロッケを口へ入れた瞬間、今まで何も感じなかった少年から途方もない“何か”を一瞬だけ感じたのだ。

 

 

「分かった、分かった。ちょっと待っていてくださいねー」

 

 

 少年は鼻歌混じりで包丁を手に持つと『裏たれ』を作る為の料理を開始する。

 

 数分後、カウンターを挟んだ調理場は地獄の様相を呈していた。清潔に保たれていた水回りは乱雑に切られた野菜の皮や調味料で汚れている。目の前で料理していた為にその惨状を目撃した仙左衛門は少年にどうしようもないほど料理の才能が無い事を理解していた。

 

 

「お待ちどうさまです」

 

 

 言葉と共に少年はコロッケにつけるソースを仙左衛門の前に差し出す。勿論、“ソース”と少年は言い張っているが全てを目撃している仙左衛門にとってこれは“ソース”でもなんでもなく、ただの食材をごちゃまぜにして食材の風味や匂い、色彩を台無しにした“よく分からない何か”だ。

 

 

「まあまあ、そうビビリなさんな。坊主のコレは見た目も匂いも味以外の全てを台無しにするけど味だけは確かだよ。ゲテモノ料理と一緒だよ」

 

 

 とはいえ、使われていた食材は普通のスーパーにも出回っているようなモノだけだ。むしろ、あの食材で“よく分からない何か”を作れた事に関心してしまう。

 

 

「それではいただこう」

 

 

 少しの後悔と共に仙左衛門は箸を動かす。腕前はともあれ、必至になって作った少年の料理を一口も手を付けないのは食事をする者としてありえない。礼儀の問題である。

 

 

「――――――――ッ!」

 

 

 “よく分からない何か”をコロッケにつけて口へ運んだ瞬間、仙左衛門の中に様々な感情が過る。

 

 さくさくの衣を台無しにするしっとりとした舌触り、それでいて様々な食材が混じり合った為に生まれた腐臭が鼻を突きぬける。コロッケという料理を全て台無しにする“ソース”に絶句した。

 

 しかし、だが、それでも、なお、そのコロッケの“味”だけは最初に出されたソースをつけた時の何倍も――――。

 

 

「――――美味い」

 

 

 気付いた時、仙左衛門は鍛え抜かれた上半身を晒していた。他人から“おはだけ”と呼ばれる行為を仙左衛門は自身でも気付かぬ内に行っていた。少年の作った“ソース”によって味が激変したコロッケによって。そして同時に確信する。神は孫娘のように二つの才能を少年に与える事はしなかった。しかし、少年に与えられた唯一の才能(みかく)は孫娘が持つ『神の舌(ゴットタン)』を凌駕しうる。

 

 神をも超える何か――――それが仙左衛門の直感した何かの正体だった。

 

 とはいえ、料理は“味”だけで決まるモノではない。見た目や香り、口触りといった様々な要因が少年の料理には足りていない。店に料理として出せない以上、少年が料理人になる事は無いだろう。

 

 仙左衛門は心の底から嘆いた。この才能を生かすだけの腕があれば少年は押しも押されぬ超一流の料理人へ至ったであろう。しかし、現実は少年が料理人になる事などありえない。ありえてはいけない。それだけ少年の“料理人”としての才能は絶望的だ。

 

 そして同時に天命を得た。この神すら凌駕しうる何かを余すことなく少年が奮える方法を。

 

 

「――――お主の才能、遠月に預けてもらえぬか?」

 

「え、でも、この子に料理の才能は……」

 

 

 超一流の料理人は超一流の味覚を持つ人間でもある。しかし、そんな彼らの料理を審査する超一流の審査員はほぼいない。それは人の味覚には好みが存在するからだ。だが、少年の味覚であれば超一流の料理人が作る料理を正確に評価する事が出来る。

 

 

「問題無い。子息は全ての料理人に希望を与える審査員として育て上げる」

 

 

 その瞬間(とき)から味覚の優れている料理下手な人間として平凡に散っていく少年の運命は変化した。

 

 

 

 

 数年後

 

 

 

 

「――――不味いわよっ!」

 

「へぇー、俺にも味見させてー」

 

 

 その声が厨房へ鳴り響いたのは薙切えりなが幸平創真へ“不合格”を突き付けた直後だった。自分が作ったふりかけごはんに絶対の自信を持っていた創真が驚愕している横で声の主に気付いたえりなはその表情を不機嫌そうにしかめると声の主へ視線を送る。

 

 

「なんで貴方のような人間が厨房(ここ)にいるのかしら? 厨房は“料理人”が足を踏み入れる場所よ」

 

「ふ~ん、これが彼の作った料理? なかなか美味そうじゃん」

 

「ちょっと、私の話を聞いて――――」

 

「うわ、なにこれすげー美味いじゃん」

 

 

 声の主である少年はえりなの言葉に耳を傾ける素振りすら見せず、創真が提出した“化けるふりかけごはん”を目聡く見つけると勝手に食べ始める。

 

 

「やっぱそうだよな。この女にも言ってやってくれよ」

 

 

 美味い美味いと言って、ふりかけごはんを平らげた少年の言葉にようやく驚愕から再起動した創真がえりなを指差して言う。

 

 

「うんうん、すげー美味いよ、これ。状況はよく分からんけど、どうせこいつの事だから自分に美味いって言わせたら合格とかそんな事言い出したんだろ? 面接とかめんどくさがる奴だし」

 

「編入試験を一任されたのは私で貴方には関係ない話よ」

 

「いやいや、明らかに美味そうに食べてたじゃねえか!」

 

「あの料理は不味いと言いました。それにもう彼が完食してしまったから評価を覆す事もできません」

 

「いや、だから――――」

 

 

 創真とえりなの口論が激化していく中、原因の一つであるにも関わらず蚊帳の外へ追いやられた少年はポンッと手を叩いて、創真の方を見る。

 

 

「うん、あの料理はすげー美味かったけど――――君、不合格だわ」

 

「はあ、なんで――――」

 

 

 創真がいきなり味方だと思っていた少年から不合格評価を受けて抗議しようとした時、へらへらとしていた少年の表情が変わる。

 

 

「君、何か勘違いしてないか? たとえこの女が『庶民の料理は口に合わないザマス』なんて事を本気でほざくようなお高く留まった“馬鹿”女だろうが君にとっては審査員、つまりはお客さんだ。『お客様は神様です』なんて事を言うつもりはないがお客さんに対して敬意も払えないような料理人の料理を食べたいなんて俺は思わないよ。それとも君にとって“料理人”とは美味い料理をお客さんに提供する“だけ”の仕事なのかな? もし、本気でそう考えているならどうせ直ぐに退学だから帰った方がいいよ」

 

「なッ――――」

 

 

 その言葉に創真は押し黙る。料理人が美味い料理を作ればいいだけの存在で無い事を創真はとっくの昔に知っている。反論してしまえばそれは自分を否定する事に繋がってしまう。

 

 

「言葉を借りるようで癪だけどこれで分かったかしら? 貴方のような庶民――――」

 

「――――とは言えだ」

 

 

 まさかの加勢に驚きつつ口を開いたえりなの言葉をわざと遮るように少年は話を続ける。

 

 

「あの料理は誰がなんと言おうと美味かったし、俺は君がその辺の料理屋で潰れるのは惜しいと思う。だから一言だけこの“馬鹿”女に意見してあげよう」

 

 

 少年の言葉一つ一つがえりなに対する悪意しかなく、こめかみをぴくぴくさせているえりな。二人は互いにヤンキーのように睨み合っていて、仲が相当悪い事は部外者である創真にも簡単に把握出来た。えりなを相当怒らせている少年の言葉がどれだけ響くのか、どうかんがえてもプラスに影響しないだろう。

 

 

「お前、“料理人”だよな?」

 

「ええ、どこかの誰かさんと違ってね」

 

 

 少年の質問にえりなは優雅に答える。含みのある返答に創真は首を傾げるが二人は全くその事に興味を示す事は無い。

 

 

「それじゃあ、一言だけ。料理人が“料理の味”に嘘を吐く事なんてありえないよな。君もそう思うだろ? 薙切えりなさん」

 

「~~~~ッ!」

 

「まあ、後は審査員でもある“料理人”のえりなさんに任せますよ。それじゃ、君にも期待しているから、これから頑張ってね」

 

 

 瞬間、えりなは絶句すると顔を赤く染める。それがどういう意味なのか、この場にいる全員が理解していた。反論するにはえりなは自分のプライドを捨てなければならない。神の舌(ゴッドタン)を自ら否定する事に繋がる。その反応を確認した少年は満足そうに頷き、創真の肩を叩いて激励するとそのまま厨房を去っていく。

 

 

「ん~、何度も確認して申し訳無いんですがもう一度だけ味の感想を聞かせて貰ってもいいですか、お客さん?」

 

 

 状況を理解した創真はニヤニヤとした表情を張り付けながら物腰だけは丁寧に審査員であるえりなへ尋ねる。

 

 

「お、お、美味しかったわよ、この馬鹿っ!」

 

「え、えりな様!」

 

 

 そう言って厨房から逃げていくえりなとそれを見て驚く秘書の緋沙子。

 

 

「おい、幸平創真。合格に関する書類はこちらでやっておくからお前はもう帰れ」

 

「あ、ちょっと待ってくれよ」

 

 

 最低限の義務は果たしたとばかりに逃げ出したえりなを追いかけようとする緋沙子を創真が呼び止める。

 

 

「聞く暇なかったけどアイツって何者なんだ?」

 

 

 勿論、いきなり現れて口出しして創真を合格させた少年の事だ。

 

 

「海原士郎――――えりな様の神の舌(ゴッドタン)を超えると言われる味覚の持ち主で遠月学園において唯一“食べるだけで在学を許された化物”です」

 




創真の戦いはこれからだ!
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