翌日の朝。
その日クロンは、いつもより十五分早くに鳴った目覚まし時計によって目を覚ました。
いつも笑みを浮かべている彼もこの時間は眠たげで、目を擦りながら自分の部屋からリビングに移動する。
そこで待っていたのは、母親と彼女が作った朝食。そして今日一日の天気を告げるお天気お姉さんの声だった。
「んみゅぐ……おはよぉママ…」
「おはようクロちゃん。…あら? 今朝は早起きなのね?」
「ん…。今日はちょっと早く……学校行くの…」
そう言うと、母は首を傾げながらも納得したようだった。
恐らく学校の行事か何かの都合なのだろう……と解釈したのだろうが、実際は個人的な理由での早起きだった。
昨日、ソール達との話に出て来た、実力者の少年。その少年に関する情報を、彼はなるべく早いうちから集めたかったのだ。
(授業が始まるまでに、その子の名前とクラスを聞いて……授業中は、作戦を考えて……あふ、眠い)
早朝故に、現時点での士気は低い。しかし、それも束の間の事である事を彼は知っていた。
(何にせよ……いいデュエル日和だね、今日は…)
クロンは朝食を食べながら、荒れそうな一日が始まるのを感じた。
朝食を終え、英気を養った後は、普段と同じ日常が待っている。クロンは学校指定の制服に着替えると、ランドセルを背負って自宅を後にした。
いつもより少しだけ早く見る景色は、日頃よりも少し変わって見える。家の前を通る度に吠えてくる犬が散歩中なのかいなかったり、幼稚園の送迎バスが通っていたり。その目新しい発見を見ているうちに、頭も次第に覚醒してきた。
頭が働くにつれ気力も漲り、自然と闘志も湧いてくる。そんな不思議な感覚のまま通いなれた道を歩き続けるうち、やがて彼の通う学校、「天神将小学校」が見えてきた。
普段は勉強の為に通う場所。しかし今日はそれとは別にもう一つ目的がある。
(さて。情報集めでも始めますか)
クロンは、にやりと不敵な笑みを浮かべて、学業の門を潜った。
早い時間に来た事もあり、まだ校内に人は少ない。廊下で擦れ違う人も無く、自分の教室に到着しても、人はあまりいなかった。
「おはよー、みんな。寒いッスねー」
「あ、クロちゃんだ。おはよー、今日は早いんだねー」
教室内で会話していたクラスメイトの女子が、クロンに顔を向けてにこりと笑う。
クロンはそれに同じく笑顔で応えながら、ランドセルを自分の机に乗せた。
「んふふ、ちょっと訳ありでねー。…あ、そだ。雪ちゃんはデュエルモンスターズやってるんだっけ?」
「うん、決闘者だよー。クロちゃんも最近始めたんだっけ? 今日は決闘盤持ってきてるし、また後でデュエルしようね」
「もちッスよー。ところでさ、この学校に……多分上級生だと思うんだけど、特別強い決闘者がいるって話、聞いた事ありません?」
世間話は程々に、さっそく本題に入った。
少女は唐突な質問に一度首を傾げた後、「うーん」と小さく唸る。
「ちょ…っと聞いた事ないなぁ。上級生の人とお話した事もないし」
「ですかぁ。いえ、ちょっと聞いてみただけなんですけどねー」
申し訳なさそうな顔をするクラスメイトに、クロンはのんびりとした口調で礼を言う。
あまり期待はしていなかったが、やはり上の学年の事をクラスメイトが知っている筈も無いようだ。
(…うん。やっぱり実際に上級生のクラスに足を運んで直接情報を集めるのが一番ッスね。そのつもりで早起きした訳だし)
そう考え、決闘盤を手に教室を出ようとした時。少女が思い出したように、「そうだ!」と手を叩いた。
「その人の話は知らないけど、幸せの黒い猫ちゃんの噂なら知ってるよ!」
「…幸せの、黒い猫ちゃん?」
今度は、クロンが首を傾げる番だった。
名前から察するに「トイレの花子さん」や「口裂け女」のような怪談・おまじないレベルの噂のようだが、なぜこのタイミングでその話が出て来たのかはわからない。
「なんです、それ?」
「幸せの黒い猫ちゃんっ。最近この近くにね、言葉を喋る猫ちゃんが出るんだって。聞いた事ない?」
「…喋る? 猫がですか?」
「うん。私は見たことないけど、隣のクラスの時子ちゃんが塾の帰りに見たんだって」
嘘臭い話ではあったものの、目を輝かせて話す少女の態度を見て一笑に伏す事はできなかった。少女は、さらに続ける。
「でねっ。その猫ちゃんに会った子は、猫ちゃんからカードを貰えるって話なの」
「カード? …って、遊戯王のカードですか?」
「うん。ただね、そのカードは名前も絵も何も描いてない真白なカードで、決闘盤に差しても何も起こらないみたい。でも、そのカードを貰った人は幸せになれるって話だよっ」
「ふーん…。それは、羨ましい話ッスねぇ」
何処まで信じていいのかわからない噂なので相槌を打つ程度に留めたが、カードを貰えるという一点が妙に気になり、半信半疑ながらとりあえず胸に留めておく事にした。
機会があれば、その噂について調べるのもいいかも知れない。そうしなくても、噂が事実なら、いずれその〝喋る猫〟が自分の前にも現れる筈だ。
「…貴重な情報ありがとう。気になる噂だから、また調べてみるよ」
「うんっ」
少女自身、興味深い噂だったのだろう。話をする彼女の顔は、終始笑顔だった。
とは言え、今は猫よりも例の少年の方が最優先だ。時計を見ると、授業開始までまだ余裕がある。
今のうちに、その少年について聞いて来よう。そう思った矢先、今度はポケットに入れていた携帯電話の着信音が、彼の足を引き止めた。
画面を見ると、一通のメールが届いていた。意外にも、昨日会ったばかりのソールからだった。
(ソールお姉ちゃんから…?)
何事かと思い、メールを読んでみると。思いがけない報告が、彼の目に飛び込んで来た。
『よー。昨日話した決闘者の情報ゲットしたぜ >ヮ<』
ご丁寧にも顔文字付きで送られて来た文章に、クロンは思わず笑みを浮かべる。同時に、彼女も上級生の一人であった事を思い出した。
メールには更に、一度校内で合流して話そう……とも書かれていた。
その少年の事は直接会って話した方が良い、という事だろう。その意見にはクロンも賛成で、すぐさま『了解です。学校なう』とメールを返す。
返事は、すぐに来た。
『よし。じゃあ、昼休みに屋上で待ち合わせだ。絶対に来いよ ( `ー´)ノ』
その内容に、クロンは「え?」と首を傾げる。
昼休みという点はともかく、屋上というのは問題だった。この場所は立ち入り禁止となっており、教師からも行ってはならないと釘を刺されている。忍び込む事は不可能ではないが、人に知られれば怒られるのは明白だ。
逆に言えば、決して誰も来ない場所ではあるのだが…。どうしたものかと、クロンは『あそこ立ち入り禁止じゃないの?』と確認のメールを送り返してみる。返事は、一分も経たずに返ってきた。
『俺様がいいって言ったらい→んだよ ヾ( ´ー`)
先に鍵抉じ開けて待ってるから、必ず来いよ! 来なかったら殺す (*´ω`*)』
鍵を開けるという一語をさらりと言ってのける辺り、彼女が屋上に行くのは初めてではないのだろう。
悩んだ末、クロンは承諾する事にした。立ち入り禁止の場所に無断で入るのは心が痛むが、それ以上に、彼女の言う「情報」が気になって仕方なかった。
――――――
―――――
――――
昼休み。給食を早々に食べ終えたクロンは、言われた通り校舎屋上へと足を運んだ。
屋上への扉には「立ち入り禁止」の紙が貼られいたが、今回はそれを無視して扉を開ける。重い鉄の扉を越えると、一面の青空と聞き覚えのある少女の声が、彼を迎え入れた。
「よお、待ってたぜ」
外の景色でも眺めていたのだろう。落下防止用のフェンスの傍に立っていたソールがこちらを振り向き、にやりと笑みを見せた。
昨日はズボンを穿いていた彼女だが、今日はクラスメイトの女子と同じく学校指定の制服を着て、スカートも穿いている。顔文字メールを見た後という事もあってか、今日の彼女は昨日よりも女の子らしく見えた。
「…なにジロジロ見てんだよ」
「いえ。改めて見ると、お姉ちゃんも女の子なんだなーって。昨日とは全然印象が違うんですもん」
「あ? 何だそりゃ」
褒めるつもりで言った言葉だったが、ソールには不快に聞こえたのか、舌打ちしてクロンを睨む。女心は複雑とはよく言ったものだが、彼女に関しては怒りっぽ過ぎる、とクロンは内心吐息した。
(せっかく可愛い顔してるのに、勿体ないなぁ…。スケバンってやつなのかな)
そう思い頬を掻いていると、彼女の方から本題を切り出した。
「まずこれを見な」
そう言って彼女は自分の携帯を開き、データフォルダから一枚の写真を選んでクロンに見せる。
そこに写っていたのは、青いロングヘアーの少年。クロンと同じ制服を着ているので、この学校の生徒だろう。その顔立ちは女の子にも見えるほど綺麗に整っており、男のクロンをして美男子だという第一印象を受けた。
写っている少年のアングルを見るに、この写真は半ば隠し撮りの形で撮られたのだろう。彼は自分にカメラが向けられている事にすら気付いていない様子だった。
もちろん、クロンはこの少年を見た事はない。しかし心当たりはあった。髪が青く、ソールがこの場で見せる少年は、一人しかいない。
「ソールお姉ちゃん、もしかしてこの子…」
「察しがいいな。そうだ、こいつがテメェの探してる……例の大会の準優勝者だ」
そう告げて、彼女は自分の携帯電話を閉じて放り投げる。クロンはそれをキャッチすると、再度、その少年の顔を凝視した。
成程、言われてみると少年の顔には強者の貫録と自信のようなものが伺える。身近な例えを言えば、クラスに一人はいる秀才タイプのような印象だ。
どうやら本物らしいと確信すると同時、これから戦う事になる相手なのだと気付き、思わず武者震いする。
「名前は、フロム=アステリア。クラスは六年B組、俺様の隣のクラスだな」
淡々とした口調で、ソールが話し始める。それがこの少年の事を説明しているのだというのは、言うまでも無い。
「性格は良くも悪くも真面目で冷静沈着、教師共の覚えもめでてぇ優等生ちゃんだ。スポーツ万能、授業の成績も良し。音楽だとか作文のコンクールだとかで表彰された事も何回かあるそうだ」
「…ふむ」
大人しく聞いているクロンだが、彼女の言葉の中に僅かな苛立ちがあるのを見抜いていた。
理由はわからないが、彼女はどうもこの少年に良い感情を抱いていないようだ。彼女の性格では、少年のような優等生は不快に感じるのかも知れない。内心そう思いながら、クロンは「うんうん」と相槌を打って彼女の話をメモに取る。
「そんな訳で男子からはヒーロー扱い、女子からはキャーキャー言われてモテモテのカッコマンだ。要するに非の打ち所がねぇ奴って事だな。けっ…」
「ふむふむ。…聞くまでもないかもッスけど、デュエルの腕の方は?」
「そうだな。この学校で奴に勝てる奴は一人もいねぇって話だぜ」
さらりと言ってのけるソール。クロンは目を丸くして、思わず「一人も?」と聞き返していた。
「この学校にも決闘者が何人かいる筈なのに、誰も勝った事が無いんですか?」
「ああ。俺様が聞いた限り、今まで無敗だそうだ」
それを聞き、クロンは「うーむ」と唸って考え込む。
校内で、という条件付きとは言え、一度もデュエルに負けた事が無いなどあり得るのだろうか。デュエルでは時に手札事故やデッキの相性が実力差を覆す事もある。小学生同士とは言え、負けた事がないというのは俄かには信じられない話だった。
ただ、もしそんな嘘のような話が事実だとすれば、考えられる理由はただ一つ。恐らく、圧倒的なのだろう。その少年と、周りの決闘者との実力の差は。
「…ちなみに、ソールちゃんは戦った事は?」
「ねぇな。だからその噂が本当なのかはわからねぇが、まあ強いってのは確かだろう。なにせ準優勝してんだからな」
「なるほど。…ソールちゃんは予選落ちだから、少なくともそれより強いって事ッスね」
何気なく、そして悪気なく言った一言の後、拳骨が飛んできた。ただでさえ苛立っていたソールの感情が、「予選落ち」の一語で爆発したようだ。
彼女はクロンをフェンスに突き飛ばすと、胸倉を掴んで彼を睨みつける。
「喧嘩売ってんのかテメェ…!」
「あはは…。ごめんなさい、今のはボクが悪かったッス…」
素直に謝ると、ソールは舌打ちして手を離した。
やはり、これが彼女の欠点だ。そう思いながら、クロンは殴られた頭を手で押さえる。鈍い痛みがまだ残っていた。
「ああそうだ。嘘か本当かは知らねぇが、こいつは時間を操るデッキを使うって話だ。もし戦う気なら、用心するこったな」
「…どもっす」
言いたい事はあったものの、クロンは黙ってこの情報もメモに取る。
抽象的ではあったが、相手の戦術に関する値千金な情報だ。しかも彼女には珍しい忠告のオマケ付きだ。これの意味するものは決して小さくはない。
「…でも、この短時間でよくここまで調べましたね。デッキの情報まで貰えるなんて思ってもいなかったッス」
「俺様のクラスにも、こいつに惚れてる奴が何人かいてな。そいつらから聞き出したんだよ。平和的にな。その写メもそいつらに送ってもらったやつだ」
「なるほど。じゃあ少し大袈裟な所はあるかも知れないけど、信頼できる情報って訳ッスね」
「そういうこった。…さて、どうする? 知れば知るほどテメェに勝ち目は無さそうだが、本当にやるつもりか?」
怒りを収め、今度はにやにやと笑みを浮かべるソール。
確かに話を聞く限り、クロンとその少年――、フロムとは実力でも経験でも決定的な差があるようだった。
だが、それは元より承知の上だ。重要なのは戦う事、そして例え敗北してもそれを糧にする事だ。クロンは同じく笑みを浮かべて、「もちろん」と迷いなく返答する。
「何にしても、やるだけの事はやってみます。戦う前から逃げる気なんて、さらさら無いッスよ」
「よーし、気に入った!」
突然大声を出したソールは、制服のポケットからカードの束を取り出し、「ほらよ」とクロンに手渡した。
デッキ一つ分はあろうそのカードの束には、《究極恐獣》や《アックス・ドラゴニュート》など攻撃力の高いモンスターやそれをサポートする為のカードが入っていた。何かと思いソールの顔を見返すと、彼女はにぃ、と笑みを浮かべる。
「適当に使えそうなカードを選んで持ってきたんだ。やるよ、それでデッキを強化して戦いな」
「…いいんッスか、こんなに?」
「ああ。どーせ俺様には必要ねぇカードだしな」
怒りっぽい事が欠点ならば、この気前の良さが彼女の良い所だ。そうクロンは思った。
そう言えば、彼女から最初のメールが届いた時間もそうだった。自分がクラスメイトと少し会話している間にメールが届いたと言う事は、彼女もまた早起きして情報収集してくれたという事に他ならない。
デュエルのアドバイスをして欲しいという約束一つで、ここまでしてくれるとは思ってもみなかった。律儀なのか、物好きなのか。言葉に困るが、ともあれ彼女の協力には感謝しきれない思いだった。
「ところで、いつやる気だ?」
声のトーンを落とし、ソールが問う。クロンは携帯電話で今日の曜日を確認しながら、答えた。
「んー。明日は学校休みだし、今日の放課後にデュエルを挑もうかなー、と思ってます」
「まあそうだろうな。…テメェ、今日は何時間授業なんだ?」
「今日ですか? 確か五時間だから、次の授業で終わりッスね」
「俺様んとこは六時間だな。…そうだな、今日やるつもりなら、俺らの授業が終わるまで待ってるか?」
ソールの問いに、クロンは笑みを浮かべて頷いて見せる。
「そのつもりッス。カードも貰った事ですし、教室でデッキを強化してますよ」
「りょーかい。ま、せいぜい頑張りな」
彼女が激励すると同時、昼休み終了のチャイムが鳴り響いた。
いつの間にか、かなりの時間が経過していたらしい。必要な情報も手に入れたので、ちょうどいいタイミングではあるのだが。
「…っと、教室に戻らなきゃ。じゃあソールちゃん、何から何までありがとう!」
「おう。デュエルの時は俺様も見物させてもらうぜ。また後でな」
「ん!」
にこりと渾身の笑みを返し、鼻歌混じりに教室に戻ろうとした時。クロンはふと立ち止まる。
「あ、そうだ」
情報収集とカードを貰った興奮で忘れていたが、クロンもまた、彼女と一つ約束をしていた事を思い出した。
出入口の扉に向かっていた足を返し、そのままソールの傍に歩み寄る。今まで話し合っていた時よりも更に近い、体がぶつかりそうな距離に。
「えへへ、忘れる所でした」
「あぁ? なんだよ」
訝しげに首を傾げるソール。クロンは「えへへ」と笑みを浮かべながら、
「んーっ」
前触れも言葉も無く、彼女の頬に口づけした。
それはあまりに唐突で、意外な行動だった。ソールにとっても不意打ちの事だったらしく、彼女は何が起きたのかすぐには理解しきれない様子だった。
一瞬の口づけの後、クロンは再度笑みを浮かべて一歩後ろに下がる。――ソールが顔を真赤にしたのは、その時だった。
「なっ…なっ……なにやった、てめーっ!?」
「んふふ、キスです。約束でしたよね、探すの手伝ってくれたら頬っぺにチューするって」
「ばッ、てめっ…、バカやろう…! あれ、本気で言ってたのかよ!?」
激しく動揺する彼女の姿は、女の子らしい反応と言えた。クロンはわざとらしく唇に指を当てながら、「もちッスよ」と笑って答える。
だが実際の所、クロン自身もあの約束は冗談で言ったつもりだった。この口づけはむしろ、彼女の協力に対する感謝の意味が大きく、高揚した気分の表れでもあった。
最悪、殴られる事も覚悟した上での行動だったが、意外にも彼女の拳は飛んでこなかった。あまりに突然の事に混乱している様子で、何か言いたげに口をパクパクさせている。
「じゃ、ボクはこれで。いろいろありがと、ソールちゃん!」
「え……あ…、おう。…ってちょっと待て、俺様の携帯返せ!」
放心気味に答えた直後、携帯電話を渡しっぱなしだった事を思い出したようだ。顔は赤く染めたまま、声を荒げた。
クロンは満足げに笑いながら、屋上の扉を開ける。
「携帯電話ならチューした時に返しましたよ。ポケットの中ッス」
それだけ言うと、クロンは揚々とその場を後にした。
まだ唇に彼女の頬の温もりと感触が残っている。クロンは自分の表情が緩んでいる事に気付いた。
――――――
―――――
――――
五時間目の授業は、デッキの改造案を考えているうちに終わっていた。
ホームルームを終え、一日の学業が終了すると、クロンはデッキとソールから貰ったカードを机に広げてデッキ改造を始める。
クラスメイトの殆どは帰宅したり部活動に行ったりしていたが、何人かはまだ教室に残って友達と談笑していた。中にはクロンのデッキ改造に興味を持ち、背中越しに覗き込む者もいる。
「クロちゃん、何してるの?」
「あ、遼くん。今ね、デッキを改造してるんッスよ」
「そうなんだ。どんなデッキ?」
「んふふ、内緒」
友達と他愛もない会話を交わしながら、揚々と改造を続ける。
ソールに貰ったカードは攻撃に適したものが殆どで、火力を高めたい彼には願ってもない戦力だった。
この分なら、いいデッキが完成するかも知れない。そう思い始めた所に、声が一つ、教室の外から聞こえてきた。
「よー、暇だから授業抜け出して様子見に来たぜー」
知っている声だった。振り返ると、ついさっき会ったばかりの、ソールの姿がそこにあった。
上級生が教室に訪ねてきた事で、賑やかだった教室が一気に静まり返り、クラスメイトの視線がソール一人に向けられる。彼女はそれを歯牙にもかけない様子で、クロンの机に歩み寄った。
「おっ、やってるやってる。俺様がやったカードも役に立ってるみてーだな」
「ソールちゃん? もしかして、手伝いに来てくれたんッスか?」
「ん…、まあな」
先程の事が頭に残っているのだろう。照れた様子で、ソールは頷く。
授業を抜け出してきたらしいのは気になったが、彼女の登場はクロンにとって願ってもない事だった。一人だけでデッキを組むよりも、彼女のアドバイスを絡めて組んだ方が、より強力なデッキを作る事が出来る筈だ。
彼女もまたそう思って訪ねてきたのだろう。つくづく律儀な性格だと、クロンは笑いながら認識した。
「つーかテメェ、いつの間に俺様の事ちゃん付けで呼んでんだ。最初はお姉ちゃん、お姉ちゃんって呼んでたくせによ」
「あ、そう言えば。…まあいいじゃないッスか、歳も近いんですし」
「けっ…。ま、別にいいけどな」
先程と同じ調子で談笑する二人。
だが、そんな彼らの間柄は、クラスメイトにとっては異質に映ったらしい。つい今まで話していた遼という少年が、恐る恐るその事に触れた。
「えと…。ね、クロちゃん。このお姉さん誰? 上級生みたいだけど、クロちゃんの知り合い?」
「ん? ああ、紹介するよ。こちらソール=ウィングドちゃん。六年生ッス」
「おう、よろしくな」
ソールは適当に挨拶すると、机に広げられていたカードの束を覗き込み、気付いた事を一つ一つ指摘する。
クロンも彼女の意見を素直に受け入れ、デッキの方向性を微調整していった。
その姿が、あまりに親しげに見えたのだろう。次の瞬間には、静まり返っていた教室にクラスメイトの声がわっと鳴り響いた。
「彼女だーッ! クロちゃんの彼女だー!」
「最近付き合い悪いと思ったらそういう事だったんだー!」
「クロちゃん恋人持ちだったんだーっ。わーっ! きゃーっ! おめでとうクロちゃん!」
誤解とはこうした事で生まれていくのだろう。二人の関係を取り違えた彼らは、口々に驚愕や祝福の言葉を繰り返す。まるで誰かの誕生日を祝うかのような大騒ぎだった。
「あ!? あ、…あぁ!?」
「ありゃー…。そー来ましたか」
この唐突な展開。クロンは満更でもなかったが、ソールの方は違ったらしい。顔を赤く染めながら、急な事態に頭がついていかない様子だった。
「上級生の恋人なんて、すごいなーあこがれちゃうなー! あのっ、二人は何処で出会ったんですか!」
「恋人じゃねー! 彼女じゃねー! 勝手な事言って騒いでんじゃねーッ、ツブすぞデコスケ野郎!」
「はいはーい! 二人はもうキスとかしたんですかー!?」
「あ゛ぁ゛ぁ゛!? 肥溜めにぶち込むぞテメーらぁ!」
水を得た魚の様に質問を重ねるクラスメイト達に、ソールは顔を火にして叫び、返していく。
クロンはその様子をにまにま笑って眺めながら、デッキ調整を続けるのだった。
――…やがて、六時間目終了のチャイムがなった。
騒ぎは収まる事を知らず、いつの間にか二人の交際が既成事実へと昇華され、頑なに否定するソールの声もすっかり枯れていた。
その中で、クロンはちゃっかりとデッキを完成させ、全ての準備を整えていた。決闘盤のメンテナンスも万全。いつでも、デュエルは可能だ。
「よし、完了。じゃあそろそろ行きましょうか、ボクの愛しいソールちゃん?」
「あ゛ぁ゛? …あー、もうそんな時間か」
ソールにとっては騒ぎっぱなしの一時間だったに違いない。やや驚いた様子で時計を見ると、クラスメイト達に中指を立てて教室を後にする。クロンも、それに続いた。
「あ、二人一緒にどっか行く気だっ!」
「お城だ! お城みたいなとこに泊まりに行くんだ! でもオイラ子供だからわかんないや!」
「クロちゃん頑張れー!」
クラスメイト達の声援が響く。中には興味本位で後に付いてくる者もいたが、その時には二人とも、気持ちを切り替えていた。
馴れ合いの時間はここまでだ。二人の目はいつしか決闘者のそれへと変わり、勝てる見込みのない戦いへと挑む。
二人が向かったのは、この学校唯一の出入り口である校門の前。ここで待っていれば、その決闘者――フロムが、必ず来るという計算だ。
彼の顔は、写真で見て覚えている。ここを通れば、間違いなくわかる。
「…結局、ろくにアドバイスできなかったな。デッキの方は大丈夫か?」
「一応は。できればテストデュエルもしたかったですけど、あの状況じゃあね」
やれやれと吐息するクロンだが、正直な所、あの騒ぎの中で一番楽しんでいたのは彼自身だった。口で言うほど困っていないのが、表情からもよくわかる。
そして、そんな会話をしているうちに。二人の目に、問題の少年の姿が映った。
背中にまで届く青い髪と、少女と見紛う美貌を持った少年が、ランドセルを背負ってこちらに向かっている。彼らが半日かけて探した、フロム=アステリアという決闘者だ。
「来たッスね」
「…ああ」
互いに確認しあった後、二人は動いた。クロンは正面、ソールは背後、取り囲むようにフロム少年の下に歩み寄る。
フロムは、立ち止まった。二人の不自然な動きから、自分に何か用があると気付いたのだろうか。
「すいません。フロムお兄ちゃん、ですか?」
「そうだけど、君は?」
フロムが落ち着いた口調で尋ねる。真面目で冷静沈着という、イメージ通りの綺麗な声だった。
いよいよだ。待ちに待った瞬間に、クロンは笑みを浮かべながら、腕に装着した決闘盤を彼に見せる。
「四年C組、クロン=ナイトと言います。初対面で何ですけど、手合せお願いします!」
今日と言う日は、この瞬間の為にあったようなものだ。クロンはできる限り丁寧な口調で、しかし闘志を前に出しながら、彼に挑戦状を叩き付ける。
だが――。
「手合せ? …嫌だけど」
フロムは、はっきりと「NO」を告げた。