クロンの呼応   作:恐竜紳士

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第二十話:リリオン来襲

 積み木を積み上げて城を作るようなもの。トランプを積み重ねて塔を作るようなものだと、近頃クロンは考えていた。

 経験と言うのだろうか、それとも鍛練と言うべきなのか。ともあれ他人とのデュエルで得た小さな「何か」を一つずつ積んでいく事が、強くなる為の最善であり、近道であると気付いた。

 無論、才能やセンスと言った個人的な要素を含めての「実力」ではある。だが、個人の実力を決定付けるに置いて最も重要なものは、やはり経験値なのだ。

 ポーカーで例えるならば、チップを積み上げる事によって無役の手(ブタ)でロイヤルスイートを下すようなもの。個人の才も必要だが、積み上げる事の方が大きいのだ。

 そして、その積み上げるべき経験値は、敗北によっても得る事ができる。

 勝負が接戦であればあるほど、激戦であればあるほど、その値は大きくなる。故にこの勝負――メイとのデュエルは、結果こそ苦い敗北に終わったものの、クロンにとっては十分すぎる程の価値あるものであった。

 何にしても、デュエルは終わった。

 クロンがサレンダーした事で両者の決闘盤は静かに停止し、全ての立体映像は消えていく。残されたクロンとメイは暫く目で会話した後、互いににこりと微笑みあった。

「…対戦ありがとうございました。負けちゃいましたけど、いい経験になりましたッス」

 最初に口を開いたのはクロンだった。

 敗北で終わったとは言え、全力を駆使したこの勝負。彼にとって文句のつけようがないほど、充実した一時であった。

 それはメイも同じだったらしい。彼女は澄んだ笑みを浮かべたまま、唇に手を当てる。

「こちらこそ、楽しい時間を過ごさせてもらいました。姫利さんが気にする訳ですね」

 先日のフロムの時とは違い、本心からの褒め言葉だと言う事がよくわかった。

 だが、いい体験をさせてもらったのは、むしろ自分の方だとクロンは思う。姫利に百合、ソールにフロム。これまでいろんな決闘者と対峙してきたが、「相手の思考を読む」という自分と同じ戦術を得意とする相手は初めてだった。

 それに、お楽しみはまだある。今頃姫利とデュエルしているであろうミランダ=マリンベルという女性と、その弟のクリフォード=マリンベルという少年。この二人も姫利の紹介である以上、実力ある決闘者である事を約束されたも同然だ。

 学校から直接店に来た事もあって、時間はまだたっぷりある。新しい体験をする為の時間が、である。

「…おい」

 デュエルの余熱が冷めぬまま次の事を考えていると、不意に声をかけられる。見ると、ずっとデュエルを観戦していたソールが、苛ついた表情でこちらを見ていた。

 そう言えば、今のデュエルでクロンが使用した決闘盤は彼女から一時的に借りたものだった。彼女が声をかけたのは、早く返せという事だろう。クロンは困ったような表情で笑いながら、右手をパタパタ振って見せる。

「ねぇソールちゃん。この決闘盤なんだけどさ、もうちょっとだけ借りてていいですか? 戦ってみたい相手がまだいるんッスよ。二名ほど」

「その事じゃねぇ。…さっきテメェが出したカードの事だ」

 凄むような低いトーンでソールは言う。

 さっき出したカード。そう言われて、クロンは思い出した。今のデュエルで発生した、不可思議な現象の事を。

「…このカードの事、ですか?」

 そう言ってクロンが提示したのは、誤ってデッキに入れたままにしていた《先見眼の銀愚者》のカード。それを見て、ソールは小さく頷いた。

「おかしいじゃねーかよ。さっき見た時は名前しか書かれてねぇエラーカードだったのに、なんで普通のカードみてぇになってんだ? しかも、さっきのデュエルじゃ普通に使えてたじゃねーか」

「…ですねぇ。使っておいて何ですが、ボクにも何が何だか…」

 神妙な顔で言いながら、クロンは先程目の当たりにした現象の事を思い出していた。

 あの時――。《ダミー・ゴーレム》を出すしか手が無くなったあのターン、クロンは確かに見た。真白だったこのカードに、イラストと文字が浮かび上がるのを。

 その時は勝つ事に必死だったので深く考えずにデュエルを続行したが、改めて思うと奇妙な出来事だった。

 デュエルの最中にカードが変化する。それがあり得ない事であるのは、デュエルを初めて間もないクロンにもよくわかる。

 しかし、それ(・・)は確かに起きた。そして今、クロンの手には変化を遂げた《銀愚者》が握られている。

 一つや二つでは済まない謎が、そこにはあった。

「しあわせの黒い猫、か…」

 クロンは黒い双眸に銀色の愚者の姿を映しながら、事の始まりであるその名を口にする。

 もともと、このカードは彼の所有物ではない。しあわせの黒い猫と言う、都市伝説にも満たない噂話から出てきたものなのだ。

 このカードがどういったものなのか。噂の喋る猫は、どうしてこのカードを人々に配り歩いているのか。…そもそも噂は本当に真実なのか? 考えるほど、謎の数は増えていく。

 確かな事は、ただ一つ。このカードがただのカードではないという事だけだった。

「…どうかされましたか?」

 考え込んでいると、ふとメイに声をかけられる。見ると、彼女は首を傾げて、クロンの顔を覗き込んでいた。

 無理もない事であった。事情を知らない彼女にすれば、彼が使った《銀愚者》は――初めて見るカードではあるだろうが――市販のカードと何ら変わりないはずだ。クロンらがこのカードの事で何を相談しているのか、わかるはずもなかった。

「そうだっ。ねえメイお姉ちゃん、このカード見てもらっていいですか?」

 彼女の顔を見てふと思いついたクロンは、《銀愚者》のカードをメイに見せる。彼女は唇に手を当ててカードを見つめた後、もう一度首を傾げた。

「メイお姉ちゃん、決闘者育成学校の生徒なんですよね? このカード、何処かで見た事ないですか?」

「…今のデュエルでクロン君が使ったカード、ですね。ずっと気になってはいたのですが……少なくとも、私は見た事がありませんね」

 心持ち真剣な表情を浮かべたメイは、デュエル時と変わらぬ丁寧な口調で答える。彼女の答えは、クロンにとっては予想通りのものだった。

 恐らくはミランダやクリフ、更には姫利に尋ねても同じ答えが返って来るのだろう。しかし決闘盤に読み込まれたという事は、この《銀愚者》が少なくとも正規のカードとして扱われてる事を意味している。

「……」

 クロンは考えた。

 デュエルの時と同じか、あるいはそれ以上。見当もつかない答えを求め考え抜いた。

 しかし、結論はやはり出てこない。問題のカードがこの手にあるというのに、納得のいく答えは見つかりはしなかった。

 もしこの謎を解く方法があるとすれば、一つだけ。このカードの元々の持ち主――、噂の「しあわせの黒い猫」に聞いてみるより他に考えられなかった。

「…あの、一つよろしいでしょうか」

 クロンがあまりに真剣な表情をしているので、疑問に思ったのだろう。小さく手を上げたメイが、クロンの思考に割り込んだ。

「私はそのカードを見るのは初めてですが……クロン君は、そのカードをデッキに入れてますよね? どうしてそんなに難しい顔をしているのですか?」

 事情を知らない彼女からすれば、当然の疑問だった。

 どんな決闘者であれ、自分が使うカードの事を知らないという事はありえない。にも関わらず、クロンとソールが首を傾げているのが、彼女には理解できなかったのだろう。

 何にしても、このカードについて彼女に説明する必要はありそうだ。あるいは新たなヒントが得られるかも知れない。クロンは一人で頷いた後、《銀愚者》のカードをとりあえずデッキに戻す。

「…一先ず最初に会ったテーブルに戻りましょうか。詳しい話はそこで、と言う事で」

 

 

――――――

 

―――――

 

――――

 

 

 メイとソールという華を両手に添えて、クロンはいつものテーブルにつく。そこで彼は、自分が知る限りの経緯を全てメイに話した。

 このカード、《銀愚者》がもともと白紙のカードであった事。自分の学校で噂される「喋る猫」が、そもそものルーツである事。デュエル中にカードが変化した事、など全てを。

 メイは、最初は信じられないと言いたげな表情であったが、クロンが真剣な表情をしているので嘘ではないと感じたのだろう。話に割り込む事はせず、相槌を打つ事もせず、最後まで静かに彼の話を聞いていた。

「以上が、ボクの知っている全てです」

「…変化するカード、ですか。今の技術であれば作る事は可能だと思いますが、そんなカードがデュエルモンスターズに使われているという話は聞いた事がありませんね」

 クロンが話を終えると、メイは真面目な表情で考え込む。作り話だとは、少しも疑っていない様子だった。

「メイお姉ちゃん、どう思います? 喋る猫……なんているとは思えないですけど、実際にこのカードは存在する。と言う事は、喋る猫もいるんじゃないかって話になりますけれど」

「そうですね…」

 メイは唇に手を当てて少し沈黙した後、「いえ」と否定を前置きして返答する。

「そのカードの件はともかく、猫が喋るという事はありえないように思えます。人間の言葉を話すという事は、人間の言葉を完全に理解しているという事になりますよね。…クロン君はインコかオウムを飼った事は?」

「いえ。ペットショップで遊んだ事ならありますけど。…そう言えば、オウムとかも人間の言葉を喋りますね」

「正確には、人間の言葉を真似ている、というのが正しいそうです。彼らは高い知能と習性で耳にした音を真似ているだけで、決して人間の言葉を理解している訳ではないのだとか。そう言う意味でも、人間の言葉を喋る事ができるのは、やはり人間だけなのだと私は思います」

「です、よねぇ…」

 わかってはいた事だが、やはり猫が喋るなどあり得ない事なのだ。

 期待していた訳ではないが、落胆の気持ちが無い訳ではない。クロンが肩を落としていると、ソールが「けどよ」と二人の間に割り込んだ。

「犬が人間の言葉を理解してるっつー話は結構聞くぜ? 名前呼んだら反応するし、散歩やご飯って言葉を聞いたら駆け寄って来るしな」

「そうですね。色々な説はありますが、犬や猫が人間の言葉をある程度覚えているという事は考えられるそうです。そう言う意味では、犬や猫が人間の言葉を最も理解している動物と言えますね。けれど…」

 だからと言って、彼らが我々のように喋るという理屈には成り得ない。そうメイが目で続けると、ソールは納得した様子で頷いた。

 確かに犬や猫、あるいはカラスのような知能の高い動物が人間の言葉を理解している節はある。しかし、それは言葉や合図に反応して芸をするチンパンジーのように、記号的に覚えているだけに過ぎない。

 そもそも言語とは、同じ生物同士のコミュニケーションの為に存在するもの。人間が動物の言語を操れないように、彼らもまた人間の言葉を完全に操る事はできないのだ。

「ま、当然ですよね。…ところでソールちゃん、犬飼ってるんッスか? 今の言い方から察するに」

「…あんだよ、飼っちゃ悪ぃのかよ」

「いえー全然。どんな犬かなとか、何歳なのかとか、色々気になっただけッスよ」

 結局、ありえない事はありえない事でしかない。クロンは話題を切り替えながら、その事実を実感した。

 しかし、《銀愚者》のカードは確かに存在するのだ。その事実が、話をより複雑にしている。

「…ところで、その先見眼の銀愚者というカード、一度手に取って見ても良いでしょうか」

 話が逸れた頃合いを見て、メイがクロンの決闘盤に目を向ける。

 大凡の事情は呑み込めたとは言え、彼女は肝心の《銀愚者》のカードをデュエル中にしか見ていない。どんなカードなのか、近くで見る必要があると思ったのだろう。

 無論、クロンにそれを拒む理由はない。彼は二つ返事で了承し、デッキに戻していた《銀愚者》のカードを抜き取りメイに手渡した。

「はい、どうぞ。こちらが件のカードってやつです」

「ありがとうございます」

 メイはクロンの手からカードを受け取ると、どれどれと《銀愚者》のカードを見つめる。

「…え?」

 カードを見たその瞬間。メイは目を見開いて、声を漏らす。その声に、クロンは即座に反応した。

「どうかしました? …あっ、もしかして何か気付いた事が!?」

「い、いえ、そういう事では…。あ、あれ…?」

 奇妙な様子だった。

 メイは、はっきりと答える事はせず、慌てた様子で手に取った《銀愚者》のカードを見つめている。どうやら何かあったらしいと思ったクロンは、身を乗り出して彼女が持つ《銀愚者》のカードを覗き込んだ。

「えっ…?」

 それ(・・)を見て、クロンは彼女と同じように驚いた声を漏らす。

 と言うのも。たった今まで《先見眼の銀愚者》であったそのカードが、何も描かれていない真白なカードに戻っていた(・・・・・)のだ。

 メイの様子を見るに、彼女がこのカードを手に取った途端にこうなったのだろう。白く変わったそのカードには、《銀愚者》の名前すら書かれていなかった。

 この予想だにしない事態に、クロンは動揺を隠せなかった。だが一方で、何か(・・)が――…このカードに関する重大な何かが、わかったような気がした。

「…どうした。また何かあったのか?」

 クロンから少し遅れて、ソールが同じようにメイが持つカードを覗き込む。そしてクロンと同様、「あっ」と衝撃を受けた声を出した。

「また白くなってんじゃねーか! 何やりやがったテメェ!」

「ち、違います! 私がカードに触ったら、突然そのカードから色が消えて……私は何も――、」

 ソールとメイが小さな諍いを起こしているのを横目に、クロンは口に手を当てて考えていた。

 確かに、彼女はただ《銀愚者》カードに触れただけだ。カードに何かしている様子は無かったし、そんな事をする理由が彼女にはない。

 となると。彼女の言う通り、彼女がカードに触れた途端に《銀愚者》が再び真白なカードに戻ったと考えられる。

(……もしかして)

 ふと思いついたクロンは、興奮状態のソールを手で制止して、慌てているメイに声をかけた。

「ねぇ。そのカード、ちょっと返してもらえません?」

「え? …は、はい」

 心持ち落ち込んでいるように見えるメイは、そっとそのカードをクロンに返した。

 クロンは一言礼を言うと、じっと真白なカードを見つめる。

(…もし、ボクの推理が正しければ……)

 クロンがカードに触れてから数秒も経たぬうち。真白であったカードに、再び変化が起きた。

 否。変化と言うより、元に戻った(・・・・・)と言うべきだろうか。メイが触れていた時は真白であったそのカードに、再び《銀愚者》の姿が浮かび上がったのだ。それも先程のデュエルの時と同じ、カードとして完全な状態でである。

「やっぱり…!」

 思わず声を上げたクロンに、メイ達の視線が集まる。彼は満足げに笑みを浮かべて、二人に《銀愚者》のカードを提示した。

「ほら、見て下さい。カードが戻ってるんッスよ」

「あっ…。ほ、本当ですね」

 カードが元に戻ったのを見て、メイがほっと胸を撫で下ろす。クロンは次に、この場にいる全員に見えるように《銀愚者》のカードをテーブルの中央に置いて、ソールに話しかけた。

「で、今度はソールちゃん、このカードに触ってみてもらえますか? こう、指でちょっと触るだけで構わないです。それで多分、大丈夫なはず」

「あ?」

 訳が分からないと言いたげなソールの表情。しかし彼女は言われるまま、《銀愚者》のカードの端に指で触れる。

 すると――。《銀愚者》のイラストやテキストの色が徐々に薄れていき、再び何も描かれていない真白なカードに戻った。ちょうどメイが触れていた時と同じ状態に、である。

「げっ…。な、何でだ? 俺様は何も…」

 目の前で起きた現象に、ソールは動揺を隠せない。慌てて指をカードから話すが、《銀愚者》であったそのカードは、真白な状態のまま変わらなかった。

 一方でメイは、落ち着いた様子で「なるほど」と頷いた。

触ったら(・・・・)…、という事ですね」

「そう言う事です」

 クロンは自信たっぷりに頷いて、テーブルに置かれた真白なカードに指を触れる。

 すると。先程と同様、数秒も経たずに真白なカードが元の《銀愚者》のカードへと戻った。クロンが触った途端に、である。

「ボクが触ると銀愚者のカードになる。でも他の人が触ると、何も描いてない白いカードになる。…理由はわかりませんけど、そういう仕組みになってるみたいです。このカード」

 思い付きは、正しかった。

 学校で聞いた噂によれば、このカードは本来真白なカードであるのが正しい姿らしい。それが何故、自分の持つカードには《銀愚者》の名前があるのか、ずっと気になっていたのだが、これで疑問は解けたように思える。

 いや…。実際の所、カードが変化する理由についてはまだ何もわかっていないのだが、カードが変化する条件に付いては、今のやり取りで理解できた。

 触れる事だ。クロンが触れる事でのみ、このカードは変化するのだ。その後も何度か三人でこのカードに触ってみたが、やはりクロンが触った場合のみ、《銀愚者》のカードに変化した。

「ボクが友達からこのカードを貰った時、確かにこのカードは真白なカードでした。学校で聞く限り、他にカードが変化したっていうケースは無いみたいッス。つまり、このカードはボクにだけ反応して、銀愚者っていうカードになるんですよ」

「…そのよう、ですね」

 難しい表情ながら、メイが頷く。原因不明とは言え、目の前の現象を見る限りそうだとしか思えなかった。

「そうなると、どうしてクロン君にだけ反応するのか、という疑問が生まれますね。仮に…、例えば指紋認証のようなシステムがそのカードに組み込まれているとしても、クロン君に反応するというのは何か理由があると思いますが…」

 そう言って、メイはじっとクロンの瞳を見つめる。「何か心当たりはないか」と、その目は語っていた。

 クロンは、静かに首を横に振る。

「それに関しては、ボクもわかりません。その喋る猫の噂を聞いたのも二、三日前の事だし……心当たりがないんですよ、一つも」

 その事はメイも予想していたようで、彼女は何も言わずに頷いた。

 だが、現に《銀愚者》はクロンが触れる事でのみ現れている。新たな事実に気付いたのも束の間、また一つ大きな謎が生まれた形だった。

 結局、それ以上話が進む事は無く、煮え切らない空気が場を包み込む。

 そんな時であった。

「あっ、メイお姉ちゃんだ! メイお姉ちゃーん!」

 無防備過ぎるほどの幼い声が聞こえたかと思うと、小さな影がメイにぶつかって抱き付いた。

 見ると、メイと共に店に来ていた少年、クリフォード=マリンベルが、満面の笑みを浮かべて立っている。その後ろには、彼の姉であるミランダと、姫利、百合の姿もあった。

 どうやら向こうのデュエルも決着がついたらしい。姫利はこの場にクロンの姿を見つけると、にこりと笑みを浮かべた。

「そっちの方が先に終わったみたいね。結果はどうだったの?」

「ん…。まあ、ご想像の通りって所ですかね。完敗では無かったと思いますけど、負けるべくして負けたと言いますか…」

 乾いた笑いをしながらクロンが言うと、メイがくすりと笑って「御謙遜を」とフォローを入れる。

 それだけで、どのような内容の勝負だったのか察したのだろう。姫利はクロンの頭にポンと手を置いて、彼の二つ隣、ソールの横の席に腰掛ける。露骨に嫌そうな顔をするソールには、気付かなかい様子だった。

「…で、今はいつものようにデッキを改造してたって所かしら?」

「あっ…。そうだ、姫利お姉ちゃん達に見て欲しいものがあるんッスよ」

 ふと思い出したクロンは、テーブルに置かれたままの《銀愚者》のカードを手に取ろうとする。

 ――その時だった。凄まじい破壊音が、店の入り口から聞こえてきたのは。

 クロン達を含む店にいた全員がその音に反応し、会話や買い物の手を止めて、入り口の方を見た。

 

 

 

 何かが壊れる音と言うのは、とても耳障りなものだ。その不協和音に等しい不快な音色に、クロンはびくりと肩を竦ませた。

 見ると。この店のガラス製の扉が粉々に砕かれ、その破片が床に散らばっている。そしてその破片を踏みにじりながら、一人の女性が店の中に入って来た。

 大人の女性、という印象だった。腰まで届くほどの真赤な髪をサイドポニーにし、同じく赤い色の瞳をしている。顔は化粧で美しく整えながらも下卑た笑みを浮かべており、危険な雰囲気を感じさせる。

 服装は豊満なバストを強調するスポーツブラと、ダメージジーンズのみという過激なもの。両耳にはイヤリングを、首にはネックレスを付け、妖艶という言葉を人の形したかのような姿だった。

 この女性の姿を見て、クロンは入り口の扉が壊れた理由を直感する。蹴破ったのだ。何の躊躇も無く、手で引けば開く扉を、わざわざ蹴破って入って来たのだ。左腕に最新型の決闘盤を付けているが、彼女がデュエル関連の目的でこの店に来たようには見えなかった。

「…んギャハぁ~。おーいるいる、蟻みたいなのが十匹二十匹っ」

 女性は店の中をざっと見渡しながら、開口一番そう言った。時が止まったように静まり返った空気の中を、一歩、また一歩、歩いていく。

 数歩進んだところで、女性は一度立ち止まる。自分に集まった全ての視線を挑発するかのような、好戦的な笑みを浮かべながら。

 緊迫した空気が流れていた。危険な人物とわかるためか、誰も彼女に話しかける事はせず、彼女の方も客の顔を一人一人見ているだけで、特に何か言う事はしなかった。

「…クロン君、クリフ君、ソールちゃん。暫くじっとしてなさい」

 彼らにだけ聞こえる小さな声で、姫利が囁く。彼女もまた状況が飲み込めていないようだが、危険な事態だという事は肌で感じているようだった。

 いや、彼女だけではない。百合はいつになく真剣な表情でその女性を見つめているし、ミランダは警戒心を露わにして女性を睨みつけ、震えているクリフを抱きしめている。メイもまた、クロンを不安にさせない為か膝の上に手を置いて気遣っていた。

 一触即発、というのだろうか。何が起きてもおかしくない雰囲気だった。その起爆剤となりえるのが、この女性であるのは間違いない。クロンは、無意識のうちに《銀愚者》のカードを手に取り、胸のポケットに仕舞い込んだ。

 沈黙の時間が、暫く続く。一秒が何倍にも感じられるその空気を破ったのは、少年の怒号だった。

「あぁー! ちょっとあんた、何やってんだよ!」

 沈黙の末に出てきた叫びに、クロンはまたも肩を竦ませる。見ると、客の列を掻き分けて出てきた少年が、怒った表情でその女性に歩み寄っていた。

 年齢はクロンより少し上くらいだろうか。赤い帽子と赤系統の衣服を来た普通の少年だが、この店の店員が付けているのと同じエプロンをつけており、店の関係者である事が伺える。

 少年は臆する様子も無く女性の目の前で立ち止まると、腕組みして女性を睨みつけた。

「見てたぞ! このドア蹴破ったのあんただろ! 開け方がわからなかった、なんて言わせないぜ!? 弁償してもらうからな!」

 危機感が無いのかなのか、それとも危険と知りつつ突っ込まなければ気が済まない性格なのか。少年は先程までの沈黙を壊すように、びしびしと怒鳴った。

「んー? …その弁償とかってのは、ひょっとして私に言ってんのかなぁ?」

 女性は、嗤っていた。少年の顔をじっと見つめ、舌なめずりをしながら。何をしでかすかわからない狂気が、そこにはあった。

 それでも、少年は引き下がらない。「当たり前だろ!」と啖呵を切って、床に散らばったガラスの破片を指さす。

「それと、この破片の片付けも手伝ってもらうぞ! 出入口はここしかないんだ、他のお客の邪魔にならないよう、今すぐやってもらうからな!」

「ふんふんふん。弁償と、片付けねぇ…」

 女性は笑みを浮かべたまま、初めて気付いたかのように足元に転がるガラスの破片に目をやった。

「…はぁーん、ガラスね。あ、これ私が壊したんだ? へぇー…?」

 罪の意識など欠片も見せず、女性はへらへらと笑う。

 その不遜な態度にカチンと来たか、それとも子供だからと相手にされていないと思ったのか。少年はむっとした表情で、再度女性の顔を指さした。

「何なら、警察に任せたっていいんだぜっ」

「んく……くっくく…! わーったわーった! 弁償すんよ弁償っ! いくらすんのか知んないけど、払えばいいんっしょ?」

 女性はわざとらしく両手を上げて了承した後、少年の身長に合わせるようにその場にしゃがみ込む。

「ただねぇ~、あいにくお姉さん文無しでね。金が無いんだわぁ? …くく、そこでどーかな。金の代わりに私の体で払うってのは?」

 その声は、少年にだけ聞こえる小さなもの。彼女はそっと少年に囁きながら、スポーズブラを少しずり下ろして、豊かな果実(バスト)を彼に見せつける。俗に言う、色仕掛けだ。

 子供とは言え、異性に関心が無い年頃でもないらしい。少年は火が付いたように顔を赤らめるが、目を逸らす事で辛うじて平静を保ったようだった。

「…ま、まあ持ち合わせが無いって言うんなら、皿洗いとか……店の手伝いとかで、勘弁しても…」

「んー? …ッくく、ぷっくく…」

 その初心な態度を、どう捉えたのだろうか。女性は堪え切れないとばかりに吹き出して、店中に響くほどの大声で叫んだ。

「皿洗い? 店の手伝い? …ギャハハハ! 何それぇ? 体で払うっつったら、セックスしかないじゃん! メスに興味が無い歳でもないでしょーに!」

「なっ! な、ななっ…!?」

「てか、それ目当てで絡んで来てんのかと思ったんだけどねぇ? くっくく…。さーて、どーする? 金の代わりに私と交尾する? 骨でも棒でも、味が出なくなるまでしゃぶってあげるけどぉ?」

 唐突、そして過激な発言だった。

 思春期前後の子供にとって、「セックス」の一語は特別かつ強烈だ。それはこの少年にとっても例外では無かったらしく、彼は顔を赤らめたまま、その場で硬直する。

 いや、彼だけでは無い。とても公共の場には相応しくない彼女の暴言(タブー)に、その場にいた者は凍り付いたように硬直していた。もっとも、言葉の意味を知らない幼い子供はその限りでは無いのだが。

 だが一方で、そのあまりの無法ぶりに耐え兼ねた者も当然ながら存在した。

「ちょっとあんた! 何のつもりか知らないけど、私のクリフの前で変な言葉使わないでくれる!?」

 真先に動いたのは、クロンと同じテーブルに座っていた、ミランダという女性。何が彼女をそこまで怒らせたのか、勢いよくテーブルを叩き、怒り心頭という顔つきで、女性を睨みつけていた。

 ミランダの啖呵から少し遅れて、今度は姫利が立ち上がる。その表情は穏やかであったが、しかし、静かな怒りを女性に対して向けていた。

「貴方、気付いてないかも知れないけど、結構な迷惑になってるわよ。店の客として言わせてもらうけど、出て行ってくれないかしら」

 姫利とミランダ、二人の怒りの視線が女性一人に向けられる。

 いや、彼女らだけではない。店の中にいた全ての人間の視線が、二人の怒りに同調するように、女性に軽蔑の眼差しを向けていた。

 明らかな、拒絶の空気。女性はゆっくりと立ち上がると、その下卑た笑みを、姫利とミランダの両方に向ける。

「あ~そうそう、そう言えば遊んでる暇とか無いんだったわ。んじゃ、さっさと要件を済ませるとしますかね~」

 開き直ったように言うと、女性は二つの胸の間に指を入れ、その中から一枚のカードを取り出した。

 何のカードであるのか、クロンらの位置からではよく見えない。だが、女性がカードを出したのを見て、クロンは嫌な予感がした。

「…この店にさぁ、変化するカードを持ってる奴がいるよね? 引き渡してもらえる? ちょっち用があるんだわ」

 変化するカード。その一語に誰よりも反応したのは、クロンだった事は言うまでも無い。

 女性が言うカードとは、考えるまでもなく《銀愚者》の事に違いない。なぜ彼女がこのカードの事や、その持ち主がここにいる事を知っているのかはわからないが、変化するカードなどそうそう世にあるものではない。

 その事に気付いたのは、クロンだけでは無い。つい今まで《銀愚者》の事で話していたソールとメイが、驚いた表情でクロンを見ていた。

「…知り合いか?」

 女性に気取られぬよう、小さな声でソールが呟く。確かに、彼女からすればそう思うのも無理は無かった。

 だが、クロンは首を横に振る。少なくとも彼が知る人間の中に、彼女のような人物は存在しない。

 まして、《銀愚者》の事を知っているのは、クロンを除けば現時点でソールとメイの二人しかいないのだ。あの女性が知っているはずなど、考えられない事だった。

「…少なくとも、今は名乗り出ない方が良いみたいですね。クロン君も、ソールちゃんも、素知らぬ顔をしていて下さい」

 そう囁いたのは、メイだった。

 確かに、女性が「引き渡す」という言葉を口にした以上、名乗り出ても良い事があるとは思えない。ここは白を切って、嵐が過ぎるのを待った方が賢明だろう。

 幸い、あの女性は誰が《銀愚者》のカードを持っているのか知らないらしい。妙な素振りを見せなければ、気付かれる事も無いだろう。

 ただ、一つ。クロンには気になる事があった。

(あのお姉さんが持っている、あのカード…。まさかとは思うけど…)

 あのカードが、クロンが持っているのと同じ、変化するカードだとしたら。――見分ける事が、可能だ。

 もし女性が、この場にいる全員にあのカードを触らせて回ったとしたら、嫌でもクロンが《銀愚者》のカードを持っている事を知られてしまう。クロンが触った時のみ、《銀愚者》は姿を見せるのだから。

「……ねぇメイお姉ちゃん。あのお姉さんが持ってるカードだけど…」

「ええ、私も今その事を考えていた所です。…識別して回るつもりでしょうね。恐らくは」

「…ですよね」

 メイが同じ結論に至った事で、「まさか」が現実味を帯びてきた。

 もし自分が《銀愚者》の持ち主だと知られたら。…どうなるのかはわからないが、きっと恐ろしい事になるのは違いないだろう。少なくともあの女性は、良い人間には見えなかった。

「安心してください。いざとなったら、私達があの方を押さえつけます。その隙に、クロン君は逃げてください」

「…三十六計、ってやつですね」

「念の為、銀愚者のカードも私が預かります。あの女性の目的は、そのカードのようですし」

 そう言って、メイは女性に見られないよう、テーブルの下で手をクロンに差し出す。最悪の場合は身代わりになるから、《銀愚者》のカードを渡してほしい……という事だろう。

 確かに、相手が何を仕出かすかわからない以上、このカードはクロンより年上のメイに預けるべきなのかも知れない。しかし、それはクロンの性格が許さなかった。

 どんな事態であれ、自分の身に降りかかった災いを、他人に擦り付けるべきではない。まして彼女は今日会ったばかりの女性なのだから。

「…銀愚者は友達から貰った大事なカードです。ボクが、持ちます」

 どうしても譲れない一線だった。

 クロンの決意した表情を見て気持ちを察したのか、メイは何も言わずに手を引っ込める。こちらも、決意したような顔つきだった。

 彼女は「いざとなったら」と言った。それがどのような事態を指しているのか、彼女の表情が物語っていた。

 

 

 

 クロン達が沈黙した事で、女性の呼びかけに名乗り出る者は一人も出なかった。

 元より「変化するカード」という奇妙な言葉を用いた呼びかけである。事情を知らぬ者達は、女性の言葉の意味がわからず、奇異な目で彼女を見ていた。

「…おっとぉ~? すっとぼけてんのかなぁ? それとも店の奥にいるのかな? もしかすると、カードに変化がある事にまだ気付いていないとか?」

 そんな視線を浴びながらも、女性は腹を抱えて笑う。何がそんなに可笑しいのか、誰一人として理解できないというのに。

 彼女は暫く笑った後、その狂気の瞳を手に持ったカードに向ける。

「しゃーない。んじゃ、とりあえずこの場にいる奴を一人一人確認していくかね」

 面倒臭そうに吐息すると、女性は再度笑みを浮かべて、その場にいる全員に向かって声を飛ばした。

「よーし、あんたら、ちょっと私の前に出て列作りな。一人数秒ばかし、調べたい事があるんだわ」

 傍若無人。これほどこの言葉が似合う人間は、そうはいないだろう。

 人を人とも思わぬ傲慢な物言いに、いよいよ反感の空気が高まってくる。いつ、何処から怒号が飛んでもおかしくない雰囲気だ。

 とりわけ怒りを感じているのは、殆ど無視された形の姫利とミランダだろう。二人は互いに顔を見合わせた後、先程よりも強い口調で、女性に話しかけた。

「良識ある人間として言わせてもらうわ。あなた、この場に相応しくないわ。言っている事も滅茶苦茶だし、何がしたいのかわからないんだけど」

「そう言う事。クリフの教育にも悪いし、早い所出て行ってほしいっていうのが本音なんだけどね」

 この場にいる全員の気持ちを代弁するかのような、率直な物言いだった。

 女性は右手で後頭部をぽりぽりと掻きながら、、相変わらず平然とした顔つきで二人を見ている。

 このままでは埒が明かない。そう感じたのだろう、姫利が決闘盤に手をやりながら、一歩前に進み出た。

「見たところ貴方も決闘者みたいね。ならこうしましょう、私がこの店を代表して貴方とデュエルする。もし私が勝ったら、この店に二度と近寄らないと約束して出てってもらうわ」

 突然の、しかしながら彼女らしい提案だった。

 相手が言葉で言っても分からない以上、力ずくで店を追い出すしかない。その為には、公正かつ非暴力的であるデュエルが相応しいと考えたのだろう。

 その申し出に、女性の方も興味が湧いたらしい。笑みはそのまま、ぺろりと舌なめずりをして姫利の顔を見返した。

「へぇ…? 随分と腕に自信があるっぽいけど、じゃあ逆に私があんたに勝ったらどうするのかな?」

「…貴方が壊したガラス代を含め、これから貴方がこの店で起こす全てに対して責任を負うわ」

 躊躇なく言い返した姫利の顔には、微塵も迷いが見られなかった。

 潔さなのか、それとも何か考えがあるのか。どちらにしても、姫利には勝ったところで何の得も無い提案である。にも拘らず周囲から彼女を止める声が出てこないのは、それだけ彼女の実力に対する評価されているという事だろうか。

「ふーん…。んー、まあいいか。よーし、その喧嘩買ったぁ!」

 女性は暫く考えた後、にやりと笑みを浮かべて提案に応じる。

「どーせ私が負ける訳ないし、そんな事で話がすんなり進むってんならデュエルでも何でもやってやんよ? …ただしぃ、この場所はちょいと狭すぎるよねぇ」

「…奥にデュエル用のスペースがあるわ。そこで――、」

「んな辛気臭そうなとこは御免だね。店の外で待ってるから、覚悟ができたら出てきな。レズの趣味はないけど、たっぷり可愛がってやるからさ。…ギャハッ、ギャハハハ!」

 女性は品性の無い声で笑うと、自らが破壊したドアから外へと出て行った。

 店の外には、確かにデュエルをするには申し分ない程度の空間がある。車が通る事は滅多にないので、場所としては問題ないのだが……姫利は、気が進まない様子だった。

「…どーすんの姫りん? あの人、目とおっぱいが結構ヤバい感じだったけど」

 女性が店の外に出た事で漸く場の空気が緩み、百合が心配そうな表情で姫利に話しかける。いきなり店のドアを破壊するような相手に姫利が関わり合いになるのは、不安なのだろう。

 とは言え、誰かがああでもしなければ、あの女性は何を仕出かしていたかわからない。姫利は、「大丈夫」と一言返して、クロン達の顔を見比べた。

「ま、そんな訳だから、軽く片付けてくるわ。時間は稼ぐから、警察に連絡よろしく」

 よほどあの女性の言動が許せなかったのだろう。彼女にしては珍しい、自信に満ちた勝利宣言だった。 

 無論、相手の情報は皆無なのだから、言葉ほど勝利を確信しては居ないのだろうが…。少なくとも、冷静である事は見受けられた。

「…姫利さん。あの女性の言っていた事で、少し気になる事が…」

「ん? どうしたのメイさん?」

 今にも店の外に出て行きそうな姫利を呼び止めたのは、メイだった。

 彼女はこれまでの経緯――…即ち《先見眼の銀愚者》に関する全てを、姫利を含む全員に簡潔に話した。

 もちろん、最初は姫利らも話を信じはしなかったようだが、実際に《銀愚者》のカードを見せる事で、信じてくれたようだった。

「なるほど…。つまりあの女の人の狙いは、クロン君が持っているそのカード――…いえ、あの口ぶりからすると、そのカードを変化させられるクロン君自身も狙いの一つとも考えられるわね」

 話を聞いた姫利は、より緊迫した表情でクロンの顔を見つめる。よもや相手の狙いが自分の弟子だとは、夢にも思っていなかった事だろう。

「…何にしても、尚更負けられなくなったわね。メイさん、ミラ、それと百合。この子達は任せたわよ」

 それだけを言い残し、姫利は決闘盤を手に店の外に消えていった。負ける訳にはいかない相手に、勝利する為に。

 

 

――――――

 

―――――

 

――――

 

 

 店の外に出た姫利が最初に見たものは、二つあった。

 一つは先程の女性の姿。そしてもう一つは、店の向かいにある住宅の屋根の上にいる、小さな黒い猫だった。

 その猫はとても綺麗な毛並みをしており、野良猫には見受けられない。そして……姫利の常識では信じられない事だが、あの女性は、その猫に対して親しげ話しかけていたのだ。

「…ってな訳で、一戦やる事になったんだわ。まー大丈夫大丈夫、どーせ私が勝つし、仕事もちゃーんとこなすからさ。デスちんはその辺の野良と盛りながら私のデュエルを観てればいいって訳よ。OK?」

「………」

 猫は、答えなかった。女性から視線を外し、姫利の姿を一瞥した後、「にゃあ」と猫らしい鳴き声を上げるだけだ。

 それと同時に、女性の方も姫利の気配に気づいたらしい。にたりと笑みを浮かべて、姫利の方に振り返る。

「お、来た来た。んじゃま、始めますか。ルールはマスタールール3の一本勝負でいいんだよねぇ?」

「…それは私に聞いてるのかしら? それとも猫に言ってるのかしら」

「ギャハハハ! どっちでもいいじゃん、そんなことはさ! それにもう言葉とか必要ないっしょ!」

 そう言って、女性は自らの決闘盤を起動させる。それと同時、姫利も自分の決闘盤を展開させた。

 両者の視線が、激しくぶつかり合う。デュエル開始前特有の、ぴりぴりした空気だ。

「そーいえば、まだ名乗って無かったっけ? 私はリリオン=ストレングス、ま、適当によろしく」

「…春川 姫利よ」

 無骨な自己紹介を交わした後、二人は同時にデッキから五枚のカードをドローする。そして――、

『デュエル!』

 決して相容れない者同士の、デュエルが始まった。

 勝負の始まりを見届けた黒猫は、ふぅと溜息をついて、どこまでも広がる青空を見上げた。




このまま平和な日常シーンを延々続けるのもいいんじゃないかなーとも思うのですが、そろそろストーリーを動かしていこうかと思います。
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