クロンの呼応   作:恐竜紳士

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第二十三話:思惑、迫る

 嵐の様に現れたリリオンは、自らデュエルを中断した後、煙のようにその姿を消した。

 比喩のような表現だが、そうではない。喋る猫――、デスと呼ばれた黒猫の影から現れた黒い煙がリリオンと猫を包みこみ、本当に彼女達は煙と共に消えてたのだ。宛ら手品師の消失マジックであるかのように。クロン達の目の前で。

 理解と程遠い存在である事はデュエル中の出来事からわかっていたが、ここまで来るともはや魔法や忍術の類である。クロン達はもはや驚く事すら忘れ、その場に立ち尽くすしか無かった。

 …ともあれ、(リリオン)は去った。だが、だからと言ってすぐに日常が戻ってくる訳では無い。この嵐は、深い爪跡を残して行ったのだから。

「――…成程。つまり容疑者は突然この扉を蹴破って中に入った、という訳ですか」

「ええ、そうです。私達以外にも目撃者もいますし、店の監視カメラでも確認できるかと思います」

「それにしても、そんな危険な人物と呑気にカードゲームをしていたとは…。我々が来るまでの時間稼ぎだったんでしょうが、あまり褒められた行動とは言えませんなぁ。はは…」

「…すいません」

 リリオン達が姿を消してから数分後、いつものカードショップの中。姫利は中年の警官と話をしていた。百合の通報で駆け付けた警察による事情聴取である。

 器物破損という規模の小さい事件の為か、やって来た警官の数はそれほど多くは無い。怪我人が出なかった事もあり、心持ちのんびりした雰囲気で聴取は行われた。

 リリオンとデュエルを行っていた姫利はもちろんの事、警察を通報した百合や、デュエルの一部始終を目撃していたミランダとメイも警察の聴取を受けている。…が、子供であるクロンとソール、そしてクリフの三人は聴取からは外されていた。

 大人の目撃者が大勢いる以上、子供の証言はそれほど重要では無いという事だろうか。と言って、流石に事件の関係者が警察に無断で帰る訳にはいかない。クロンら三人はいつしかテーブルを囲むように座り、決闘盤を用いないテーブルデュエルを行っていた。

「…にしても。警察の奴ら、何処まで信じるんだろうな? 邪神イレイザーでサーチライトメンに攻撃」

 相変わらずの火力で場を荒らしながら、ソールは呟く。クロンは伏せていたカードを翻しながらそれに答えた。

「あ、魔法の筒を発動ッス。…どういう事です?」

「いくら本当の事だっつっても、猫が喋るだとか人間が煙に包まれて消えただとか、んな嘘臭ぇ話を法の番人が信じると思うか? …っと、魔宮の賄賂で筒を無効にする」

「…確かに。イレイザーに関しては手札のオネストを発動するとして……多分、その辺りの事は警察に伏せると思いますよ、姫利お姉ちゃん達」

 淡々とデュエルを進めながら、クロンとソールは意見を交換していく。

 人間の言葉を喋る猫に、煙と共に消えた人間。そんなものを警察が信じる訳がないというソールの意見は尤もだった。科学捜査という言葉をテレビでも聞くようになった今の時代、超常的な内容を含む証言を警察が受け入れるとは思えない。

 無論、そんな事は姫利達も当然承知している。だからこそ、不要な混乱を避ける為に敢えてその事は隠しておくだろうと言うのがクロンの意見だった。

 幸い、猫にしてもリリオンの消失にしても、目撃したのは店の外に出たクロン達だけだ。また、非現実的な事実を隠蔽して口裏を合わせるのは決して難しい事では無い。それが正しい事なのかどうかはわからないが、現状では、それが事を穏便に済ませる最善の行動だと思えた。

「なるほどねぇ……って、喋ってるうちにライフが0になってるじゃねーか! 汚ぇぞテメェ! 雑談で俺様の集中を乱しやがったな!」

「えー? そっちから話しかけたんじゃないッスか。ま、何にしても勝ちは勝ち。…んじゃ、次はクリフ君、お相手お願いしますッス」

 何にしても。実際に自分達が聴取を受けている訳ではない以上、全ての判断は姫利達に任せるしかない。子供は子供同士、こうして呑気にデュエルをしていればいいのだ。

 今だ愚痴を溢しているソールを他所に、クロンはテーブルに広げたカードを回収し、デッキをシャッフルする。次の対戦相手であるクリフは、聴取を受けている姉のミランダをちらちら見ながら、同じようにデッキをシャッフルした。

「…まあ、あのお姉さんが使ったカードに関しては、本当の事を言うと思いますけどね。実物もちゃんとありますし」

「あ? …ああ、これの事か」

 言いながら、ソールはテーブルの隅に置かれている一枚のカードに目を向ける。何も描かれていない真白なカード……リリオンが去り際に残し、警察が到着するまでの間に回収した《ストレングス》だった(・・・)カードの内の一枚である。

 触れる事で姿が変わり、触れた人間によって変化も異なる。そうリリオンは言っていた。事実、このカードはリリオンが触れている間、《ストレングス》のカードとして機能していたのだから、彼女の言葉を疑う余地は無い。

「確か、異端の札……とか呼んでやがったな、あの女。確かにこいつにはあの女の指紋がべっとり付いてるからな。警察に渡さない理由はねーか」

「そう言う事。どう見ても正規の手段で作られたカードでは無いですしね」

「そりゃそうだが…。このカードにしたって、まだまだわからねぇ事だらけだぜ?」

 そう言ってソールは“異端の札”を指で摘まみ、クロンに向けて放り投げた。カードはクロンの手に触れて、そのままテーブルに落ちる。

 だが、ここで“異端の札”に変化が起きた。真白であったカードに薄らと色が浮かび上がり、やがて別のカードに変化したのだ。…《先見眼の銀愚者》、クロンのデッキにも投入されている、そのカードに。

「…そうッスね。何から何まで、わからない事だらけです」

 神妙な面持ちで呟きながら、クロンは《銀愚者》のカードを手に取る。

 触れた人間によって変化すると言う異端の札が、クロンが触れる事で《銀愚者》のカードに変化した。それは即ち、《銀愚者》と《ストレングス》が元は同じカードである事を意味している。

 このカードがどのような条件、どのような原理で変化するのかは定かではない。確かな事は、リリオンの目的はやはりこの《銀愚者》と、《銀愚者》を持つクロンだったと言う事だ。

「友達がしあわせの黒い猫から貰ったって言うこのカードが、あのお姉さんのカードと同じものだったって事は……やっぱり噂の黒い猫とさっきの喋る猫は、同一人物だったって事ですかね。…あ、同一動物か」

「だろうな。まあ、俺様はその噂については詳しくはねーけど」

「となると…。あの猫とお姉さんの目的は、この異端の札を手当たり次第にバラ撒いていて……カードを変化させられる人間が現れるのを探していた、って事になるのかな?」

「…さーな」

 素気なく答えるソールだが、現時点では、そう考えるのが自然だと思われた。

 しあわせの黒い猫がカードをバラ撒く。そのカードはある特定の人間が触れると変化を遂げ、この中で唯一カードを変化させる事が出来たクロンの前に、黒い猫とリリオンが現れた。

 彼らの目的を探ろうとすれば、どうしてもこの結論に至らざるを得ない。無論、そんな事がわかった所で、彼女達が何者なのか? …という疑問へのエクスキューズにはなり得ないのだが。

「…ま、その辺を調べるのも警察の仕事なんだろーぜ。考えても仕方ねぇよ」

 気怠そうに吐息して、ソールが言う。彼女の言う通り、ここから先は彼らが踏み込むべき領域では無かった。

 リリオン達が話の通じる相手でない事は一連の出来事から明らかであるし、危険を冒してまで突き止めたい謎という訳でもない。世の中には不用意に首を突っ込んではいない事柄が少なからず存在し、これもその一つなのだと、クロンは解釈していた。

 何にしても、今はただ事件の処理が終わるのを待つだけだ。事情聴取が始まってから随分時間が経過し、そろそろ待つのを飽きてきた時、不意に声をかけられた。

「クロンくーん! ちょっとこっち来てくれるー!」

 姫利の声だった。

 見ると、聴取を受けていた姫利が例の異端の札と思われるカードの束を持ちながら、こちらに手を振っている。傍にいる警官も訝しげな表情で異端の札らしきカードを一枚握っていた。

 その様子から何の用か悟ったクロンは、思わず立ち上がって、「今行きまーす!」と大きな声で姫利に答えた。

「…ごめんクリフ君、ちょっとデュエル中断ッス。姫利お姉ちゃんのとこ行ってくるから、しばらくソールちゃんと戦ってて」

「あい!」

 クリフは舌ったらずな返事をして、にこりを笑みを浮かべた。

 クロンは自身のデッキとテーブルに置かれていた異端の札を手に、いそいそと姫利の元へ向かう。

「ボクに何か?」

 姫利の前で立ち止まり、クロンは首を傾げる。すると彼女の傍にいた中年の警官が、穏やかな笑みを浮かべてクロンの頭を撫でた。

「おー、君がクロン君か。今回は災難だったなぁ。怖かったろう、ん? すまないが犯人逮捕の為、おじさん達に協力してくれないか。君の知っている事を、おじさん達に教えて欲しいんだ」

 子供に安心感を与える穏やかな声。必要な情報を聞き出すための猫撫で声なのだろうが、それが自然に出る当たり、この男性警官が場馴れしているという事を感じさせる。

 男性警官はその場にしゃがんでクロンと目線を合わせると、右手に持っていた一枚のカードをクロンに差し出した。何も描かれていない真白なカード、異端の札である。

「早速だが、このカードに触ってみてもらえるかな。こちらのお姉さんの話だと、君が触った時だけカードに異変が起こるって話なんだが」

「ん、わかりました」

 にんまりと笑みを浮かべ、クロンはそのカードを手に取る。瞬く間に異端の札は変化し、これまでと同じように《先見眼の銀愚者》に変化を遂げた。

 クロンは変化を確認すると、笑みを浮かべたままカードを警官の方へと向ける。

「…と、ご覧の通りです。このカードは普段は真白な状態なんですけど、特定の人が触るとカードが変化するみたいで、ボクもその特定の一人みたいなんです」

 クロンはカードの表面を警官に向けたまま、《銀愚者》のカードを今度は姫利に手渡す。彼女が触れた事で変化が始まり、《銀愚者》のカードは再度真白なカードへと変化した。

 百聞は一見に如かずとはよく言ったもので、最初は半信半疑だったらしい男性警官も、実際にカードの変化を目の当たりにした事で信じる気になったらしい。心持ち驚いた表情で、小さく唸った。

「ほぉ…。成程、確かに妙なカードだ。カード犯罪は担当じゃないが、人が触って変化するカードなんて聞いた事が無い。…ま、秘密裏に作られた物だろうな。こいつはひょっとすると、でかい裏組織が関わってるかも知れん」

 口元を僅かに緩めながら、彼はその場にしゃがみ込み、クロンと目線を合わせる。

「坊や、悪いがもう一度そのカードに触ってもらえるか?」

「え? …いいですけど」

 首を傾げながらも、クロンは言われた通り姫利からもう一度異端の札を受け取る。結果はこれまでと同じ、《銀愚者》への変化だ。

 男性警官はそれを確認すると、さっとクロンから《銀愚者》のカードを取り上げる。

「成程な…。見ろ、坊や」

 にやりと笑みを浮かべて、男性警官はそのカードをクロンらに提示する。――奇妙な事に、彼が触れたそのカードは《銀愚者》のカードのまま、変化を起こしていなかった。

「え…!?」

 思わず声を上げるクロンだが、すぐに気付く。《銀愚者》を持つ彼の手には、ゴム手袋が付けられている事を。

 この事が示す意味は一つ。異端の札は、特定の人間が触れると変化する性質を持つが、一度変化したカードをゴム手袋を付けた状態で触った場合、普通の人間が触っても元の白いカードには戻らないのだ。

 恐らくはハンカチで包むなどして触った場合でも、あるいは服の上から触った場合でも、変化は起こらないのだろう。皮膚に直接触れる事、それが異端の札が変化する条件の一つなのだ。単純な事だが、クロンですら気付いていない特性だった。

「どうやら手袋越しで触れば変化は無いらしい。って事は、証拠品袋に入れても大丈夫って訳だ。真白なままでも被疑者の指紋は出るだろうが、カードの出所を探すなら、このまま鑑識に渡した方が都合がいいからな。こいつはありがたい」

 そう言って男性警官は、《銀愚者》のカードを小さなビニール袋の中に入れて保存する。ドラマ等で警察が証拠を保存する際に使う、あのビニール袋だった。

 なるほど、これならば証拠品袋から出さない限り、誰が触ろうと《銀愚者》のカードが変化する事は無い。この何気ない気付きに、クロンは警察の鋭さを垣間見た気がした。

「ところで、これもこちらの姉さんから聞いたんだが、これと同じカードを坊やも持ってるそうじゃないか。それも今回の事件が起きる前に手に入れた物だとか」

「え? …え、ええ。そうですけど」

「今は?」

「…持ってます。はい」

 声のトーンこそ優しいものだったが、いつしか彼の口調と目の光は有無を言わさぬ威圧感に満ちていた。一般市民としては頼もしい眼光なのだが、クロンには、やや苦手な目付きだった。

 その眼光に気圧された訳では無いが、クロンは言われるままにデッキから《銀愚者》のカードを抜き取り、男性警官に手渡す。彼は受け取った《銀愚者》と証拠品袋に入れた《銀愚者》を見比べた後、納得したように頷いた。

「ふむ…。確かに同じカードらしいな。…で、坊やはこれを何処で?」

「そ、それは……ええと…。今朝、学校で友達の女の子から貰ったんです」

「ほぉ…。その女の子は何処でこれを?」

「それは…」

 喋る猫に貰った。そう言いかけて、クロンは言葉を飲み込む。

 異端の札に関しては信じてもらえたようだが、喋る猫の話まで信じてもらえるとは到底思えない。…と言って、答えない訳にもいかない。クロンは少し考えた後、適当な作り話で誤魔化す事にした。

「ひ、拾ったそうです。二週間くらい前に、道端で」

「成程ねぇ…。で、その女の子もこのカードが変化する事は知ってると考えていいのかな?」

「えーと…。多分知らないと思います、はい。ボクも今朝そのカードを貰った時は変化に気付いて無くて、そのお姉さんが店に来る少し前に、初めて変化に気付いたんですよ。最初はボクが触った時も名前くらいしかしか浮かんでなくて……デュエルして遊んでいる時に、いきなりイラストとかが浮かんできたんです」

「ほぉ…。君がカードの変化に気付いた正確な時間は覚えてるかい?」

「え? ええと…」

 言葉に詰まり、クロンは店内に掛けられた時計に目を向ける。

「店に来たのが一時間くらい前だったから……うーん、今から五十分ほど前だと思います」

「五十分、か…。成程」

 男性警官は笑みを浮かべて相槌を打ち、クロンの答えを一つ一つメモに取っていく。全ての質問を終えた後、彼はある疑問をクロンに投げかけた。

「さて坊や。連れの姉さん達の話だと、被疑者は坊やが持ってたこのカードを狙って来たって話だったが、本当か?」

「う、うん……カードを変化させる人間を探している、みたいな事は言ってた気がします」

「で、坊やがこの店に来たのが一時間前」

「そうです」

「…ふーむ、成程。つまり被疑者は、その一時間の間にこのカードがこの店にある事を突き止めたって訳か」

「ええ、そうなり――」

 そうなりますね。…そう言いかけて、言葉の意味に気付いたクロンは戦慄する。

 彼がこの店に訪れたのは今から一時間ほど前。それからリリオンが現れるまで、せいぜい三十分程度しか間は無かった筈だ。

 たった三十分。三十分程度の時間である。

 その短い時間で、リリオン達はどのようにしてクロンの存在と居場所を知ったのだろう。何故彼女達は、《銀愚者》所持する人間がここにいる事を知っていたのだろう。

 第一に考えられるのは、学校からクロンの後をつけていたという可能性だが、これは恐らく違うだろう。

 リリオン達の言動からするに、彼女達は誰が《銀愚者》の所有者なのか正確には特定しきれてはいなかったのだ。もし彼女達が店に来る前からクロンを追跡していたのなら、そんな事はあり得ない。

 となると、考えられる可能性は一つ。

「…このカードが、犯人に何らかの信号を送っている可能性があるな」

 クロンが考えた事と全く同じ事を、男性警官は口にする。驚いたのは、傍で話を聞いていた姫利だった。

「信号って…、そのカードに発信機が付けられているという事ですか?」

「コイン程度の大きさの発信機が通販で売られているご時世だ、あり得ないとは言えんでしょう。正規に作られたカードじゃないなら尚更ねぇ。少なくとも犯人が短い時間で坊やが居る場所を嗅ぎつけたのは事実だ。何かしら仕掛けがあると考えた方が賢明でしょうな」

 その意見には、クロンも賛成だった。

 リリオン達が何者なのかはさておき、彼女達がこの場所に辿り着いたのには必ず理由がある筈だ。その最もわかりやすい回答が、このカードに発信機のような機能が付けられているという可能性なのだ。

 彼女達は異端の札に変化があった事を知っていたようなので、恐らくは変化があった場合にのみ信号を飛ばすような仕組みなのだろう。となれば、《銀愚者》のカードをクロンが持っている限り、例えこの場が丸く収まったとしても、いずれ彼女達は再びクロンの前に現れる可能性も考えられる。

 それはこの店でかも知れないし、学校でかも知れないし、あるいは――…自宅かも知れない。今回は人が大勢いるこの店が襲撃されたから良かったものの、もしこれが自分と家族しかいない自宅だったなら。…考えたくもない。背筋が凍る思いだった。

「…なあ坊や。単刀直入に言うが、このカード、暫くおじさんに預けてくれないか?」

 言いながら、男性警官はクロンの頭にぽんと手を置く。その表情には、静かな笑みが浮かんでいた。

「このカードがどんなものか、どうして坊やにだけ反応するのかはわからないが、犯人の狙いが本当にこのカードだとしたら、この先も犯人がこのカードを狙う可能性は非情に高い。坊やがこのカードを持ち続けるのは危険だと、おじさんは思う」

 心底からクロンの身を案じているのが、声からわかった。

 確かに身の安全を考えれば、クロンはこれ以上《銀愚者》のカードを持ち歩くべきではない。リリオンが残したものと同様、警察に提出するのがベストだろう。

 ただ、今クロンが持っている《銀愚者》は大切な友人からお守りとして譲り受けたものだ。手放した所で友情が壊れる訳では無いにしても、貰った物を他人に渡してしまうのは気が進まない。異性からの贈り物なら尚更だ。

 その複雑な気持ちを察したのだろう。男性警官は彼の決意を促す為、「坊やだけじゃない」と今度は強い口調で言葉を続けた。

「坊やの家族や、学校の友達……ここに居るお姉さん達を危険な事に巻き込まない為にも、坊やはこのカードを持つべきじゃない。珍しいカードを貰って嬉しいのはわかるが、とても大切な決断だ」

「それは……わかりますけど…」

「もちろん、発信機の件がおじさんの思い過ごしだったらカードは坊やに返そう。…わかってくれるな、クロン君」

 選択の余地は無かった。

 正体不明のカードと、自分と周囲の人間の身の安全。どちらを優先すべきかは考えるまでも無い。クロンは暫く悩んだ後、しぶしぶ承諾した。

 クロンが頷いた事で、男性警官は彼から受け取った《銀愚者》のカードも証拠品袋の中に入れる。「すまないな」と、一言添えて。

 余談だが、任意で警察に提出した証拠品は、例え持ち主が返却を望んでも容易には返って来ない場合があるという。

 自分の思い違いならすぐに返す……そう男性警官は言ったが、リリオンと繋がりがある可能性のある証拠品がすぐに返却されるとは思えない。実際はクロンに《銀愚者》を提出させる為の方便(ウソ)なのだろう。

 例え子供に嘘を吐いてでも、事件の解決――ひいてはクロンを含む市民の身の安全を優先するという事か。カードを受け取った警官の表情は、複雑そうであった。

「そうだ。代わりと言っちゃなんだが…、ほれ」

 男性警官は一度立ち上がり、ズボンのポケットから500円硬貨を取り出し、それをクロンの掌に乗せる。

「こいつでキラキラしたカードでも買うといい。おじさんからのお礼だ」

 彼なりの贖罪と気遣いなのだろう。カードを買うには中途半端な額ではあるが、その善意が、クロンには嬉しかった。

 男性警官はクロンの頭を力強く撫でると、次の目撃者に話を聞きにその場を去って行く。クロンは貰った500円硬貨を握り締めながら、その後姿を見送った。

 

 

――――――

 

―――――

 

――――

 

 事情聴取は終わった。

 《銀愚者》を含む証拠品は全て警察に回収され、姫利やミランダ達の事情聴取も終わり、一同はいつものテーブルで会話する。

 無論、話の内容はリリオン達と、彼女らが残した異端の札についてである。

「ふーん、結局あのカードは警察に取り上げられちまったのか。…ま、仕方ねーわな」

 クロンの隣で頬杖を突きながら、ソールは吐息する。最初は《銀愚者》に何ら関心が無さそうだった彼女だが、一連の出来事で少しは興味を持ち始めていたのだろう。勿体ないと言わんばかりの口ぶりで、クロンの掌に乗る500円硬貨を見つめていた。

「それにしても、彼女達はいったい何者だったのでしょうか。言葉を話す猫と言い、煙に包まれて消えた事と言い……この目で見た出来事なのに、私には未だに信じられません」

 誰にともなく呟いたメイの言葉に、答えられる者はいなかった。

 異端の札だけならまだしも、彼女達が見せた様々な非現実は、あまりに理解を越えていた。警察は何らかの犯罪組織が関わっているものと見ているようだが、とてもそうだとは思えない。

 彼女達が何の為に異端の札を持つクロンを探していたのかも定かでは無いし、そもそも何故クロンが異端の札を変化させられたのかもわからないままだ。

 結局、考えた所で答えは出ない。確かな事は、異端の札を手放した事で、もうクロンが狙われる事は無いだろう……と言う事だけである。

「…そだそだ。ねぇ姫りん、その決闘盤どうすんの? 派手に壊れちゃったみたいだけど」

 思い出したように手を叩き、百合がテーブルの上に置かれた姫利の決闘盤を指差す。

 デュエルが終わった為か異常な動作音も煙も無くなったようだが、完全に壊れてしまったらしく電源を入れてもうんともすんとも言わなくなってしまった。

 当然、このままではこの決闘盤は使い物にならない。姫利は壊れた決闘盤を手で撫でながら、「そうねぇ」と吐息する。

「流石に最新型の決闘盤をもう一個買う余裕は無いし……直るかどうかわからないけど、修理に出すしか無いわね」

「修理かぁ…。でも直るのかなぁこれ? なんか煙とか吹いてたじゃん」

「どうかしらね。最悪買い換えるしか無かったら、悪いけどいくらか貸してくれる? 来月の頭には返すから」

「おっ、それはオーケーのOだよ~。ただし利子は十一で、支払えない時は体で返すって事でオーケーのK? にしし…」

 どのような状況においても変わらない百合の悪ふざけに、姫利のみならずクロン達も微笑する。長らく張りつめていた場の空気が、久しぶりに緩んだ瞬間だった。

 そんな中、二人の会話にふと疑問を抱いたクロンが、「あれ?」と頓狂な声を上げる。

「決闘盤って、修理とかできるものなんッスか?」

 デュエルを初めて約一ヶ月のクロンにとって、初めて聞く話である。その問いに答えたのは、姫利ではなく百合だった。

「もちもちろんろんだよー。平たく言えばゲーム機と同じだよ。専用の道具とか知識がいるから私ら一般人には無理だけど、修理を請け負ってくれる人がいたりするんよ。もち有料だけど」

「へえぇ…。そうなんですか」

 初めて耳にする情報に、クロンは思わず感嘆の声を上げる。

 考えてみれば、決闘盤も電子機器の一つである。今回に限らず決闘盤の破損は十分起こり得る事で、修理を行う者がいるのも当然と言えるだろう。

 そうした技術を持つ人間ならば、姫利の決闘盤も修復できるかも知れない。時間と費用は掛かるかも知れないが、買い替えるよりは安く済むはずだ。

「…それで、その修理してくれる人って何処にいるんです? やっぱりメーカーに送ったりするんですか?」

「ん? この店に居るわよ。貴方も会った事があるんじゃないかしら」

 そう言うと姫利は立ち上がり、店の中をきょろきょろと見渡し始めた。どうやら誰かを探している様子だが、やがてその「誰か」を見つけた彼女は「いたいた」と微笑してその人物に手を振った。

亮助(りょうすけ)くーん、ちょっとこっち来てくれるー?」

 彼女が声をかけたのは、この店のエプロンをつけた少年。彼は彼女の声に気付くと、小走りでこちらに向かって来る。

 見覚えのある少年だった。曇り一つない茶色の瞳に、クロンと同じ黒い頭髪。身長はクロンに比べてやや高く、顔立ちも幼い部分があるものの、しっかり者という印象を受ける。

 衣服は全体的に赤色で統一されており、頭には赤い帽子。何処にでもいる普通の少年というべき外見だが、何故かこの店の従業員と同じエプロンを付けており、ポケットにはドライバーやペンチといった工具が顔を出していた。

「はーい、おまたせしま――…って、姫利の姉ちゃんじゃん。って事は、警察の事情聴取は終わったんだ?」

「ええ、ついさっき解放されたとこよ。犯人の姿を一番見てたから、色々と聞かれたわ」

「姫利の姉ちゃんには色々迷惑をかけちゃったなぁ…。あの姉ちゃんを追い出すの、本当は俺の役目なのに」

 そう言うと、少年は「うーん」と腕組みして唸る。その姿を見て、クロンは思い出した。この少年を何処で見たのかを。

 今から数十分前、リリオンがこの店を襲撃した時、リリオンに啖呵を切った少年がいた。結局はリリオンに軽くあしらわれた形で終わったが、何をしでかすかわからない相手に凄い剣幕と度胸だと感心した覚えがある。

 目の前にいる少年は、紛れも無くその時の少年だった。あの時は状況が状況だけに険しい表情だったものの、今は年相応の笑みを浮かべている。クロンがすぐに彼の事に気付かなかったのは、その為だろう。

「…ま、この借りは必ず返すとして。俺を呼んだって事は、決闘盤関係の話だよな! メンテナスから装飾まで、何でも受け付けるぜ!」

 少年はにかっ、と歯を見せて笑いながら、ポケットに入れた工具を手に取る。姫利はその元気の良さに微笑しながら、「その前に」と右手をクロンの方へと向ける。

「亮助君は知ってると思うけど、一応紹介しておくわ。この子はクロン君、最近私の弟子になった男の子よ」

「弟子? あっ、確か前にエクゾディアとか何とか言って姫利の姉ちゃんに勝った奴じゃん。…へぇーっ、最近よく一緒にいるから不思議に思ってたけど、弟子入りしてたんだ」

 感情が顔に出やすいタイプなのだろう。亮助と呼ばれた少年は興味津々とばかりにクロンを見つめながら、被っていた帽子を取る。所々頭髪が跳ねた、子供らしい髪型だった。

「自己紹介した事は無かったよな。俺は明端(あきばた) 亮助(りょうすけ)! 小学生六年生だ、よろしくな!」

「あ、これはご丁寧に。ボクはクロン=ナイト、新米決闘者の九歳です」

 挨拶は基本である。二人が自己紹介を済ませると、姫利は何気なく亮助のエプロンの端を指で摘まんで、軽くめくり上げた。

「亮助君のお母さん、このお店の店長なのよ。それで、時々こうしてお母さんのお手伝いをしてるってわけ。よく段ボールとか運んでいるのを見た事あるでしょ?」

「そう言えば何度か……へぇぇ、そうだったんですか。ところで、さっき決闘盤がどうのって言ってましたけど、このお兄ちゃんがひょっとして?」

「そういう事。この子、機械弄りが得意でね。決闘盤の修理に関してはこの子の右に出る人はそうそういないと思うわ。…まあ、殆どの人は子供に自分の決闘盤を任せるのを嫌がるみたいだけど」

 そこまで言って、話が脱線している事に気付いた姫利は、亮介に軽く謝って本談へと移る。

「えーと、それで用件なんだけどね。私の決闘盤が壊れちゃったから、修理してもらえない?」

 姫利が頼むと、亮介は「え?」と目を丸くして、姫利とクロンの顔を交互に見比べる。

「それはまあ、いいけど…。姫利の姉ちゃん、新型の決闘盤買ったんじゃなかったっけ。今まで使ってた決闘盤を修理しても意味が無いんじゃないの?」

「うん、まあそうなるわよね…。実は壊れたのは新型の方なのよ。ほら」

 姫利はテーブルに置いていた決闘盤を手に取ると、首を傾げている亮助に見せる。とても新品とは思えない有様の決闘盤を見た亮助は、「うわっ!」と叫び、驚きを隠せない様子だった。、

「な、何だこれ!? 今日出たばかりの決闘盤がどうしてこんな……う、嫌な予感がする。姫利の姉ちゃん、カバー外して中見てもいい?」

 亮助は姫利の返答も待たずにポケットから特殊な形状のドライバーを取り出すと、慣れた手付きで決闘盤の裏面のビスを外し、カバーを外していく。

 姫利の保証付きとは言え、自分とそう歳が変わらない亮助が、本当に決闘盤の修理など出来るのか? …始めは疑っていたクロンだが、亮助の流れるような作業を見て、彼女の言葉が誇張ではない事を実感した。

「うわっ…。やっぱり中も酷い事になってるなぁ」

 カバーを外した決闘盤の内部を見ながら、亮助は引きつった表情を浮かべる。

 クロンも何気なく覗いて見ると、確かに酷い有様だった。いくつかの部品は砕けて散乱しているし、破壊時の熱で変色したもの、溶解して変形してしまっている部品まである。

 素人目に見ても酷いと思う有り様なのだ、亮助からすれば目も当てられない惨状に違いない。案の定、彼は難しい顔をして決闘盤の内部を探り始めた。

「この辺の部品はまず駄目で……こっちもちょっとヒビ入ってるなぁ。こっちは大丈夫そうだけど……うーん、ここまで酷い壊れ方は見た事無いよ。姫利の姉ちゃん、デュエル中に雷に打たれたりしたの?」

 半分冗談、半分本気と取れる亮助の言葉だった。

 姫利は苦笑いして否定すると、予想を上回る状態の決闘盤を見つめて本題に入った。

「ねぇ亮助君、ちょっと聞くのが怖いけど……直る見込みあるかしら、これ。部品が駄目になってるなら、新しいのを買った方が安い?」

「あ、そこは大丈夫。ここだけの話、新型の部品は殆ど今までの決闘盤と同じでさ。だから古い決闘盤からこっちに部品を持ってくれば、その分費用は浮くってわけ」

「へぇ、そうなの。…じゃあ昨日まで使ってた決闘盤も一緒に渡すから、必要な分はこっちから貰ってくれる? 残った部分は処分して構わないから」

「じゃあ、その二台の決闘盤をうちで預かって、修理が終わったら新型だけ返すって事で。常連さんからの依頼だし、明日には完成させとくよ」

 亮助は二つ返事で姫利の依頼を受けると、「おっと!」と右腕を前に突き出して得意げに笑う。

「もちろん料金は要らないぜ。あの変な姉ちゃんを追っ払ってくれたんだ、このくらいのサービスは喜んでさせてもらわないとな!」

 気前が良い、と言うよりは義理堅い性格なのだろう。亮助は姫利から新旧二つの決闘盤を受け取ると、いそいそとその場を去ろうとする。

「あっ――。ちょっと待った!」

 その背中を、呼び止める者が一人。他でもないクロンであった。

 クロンは振り返った亮助に人懐っこい笑みを見せると、膝の上に置いていた、姫利の物とは別の決闘盤を二台、テーブルに置いた。

 一つは彼が今まで使っていたマスタールール3非対応の決闘盤。そしてもう一つは――、姫利の決闘盤と同じか、もしくはそれ以上に破損した新型の決闘盤だった。

「そう言う事ならさ、ボクの(・・・)決闘盤も修理して貰えません? 今まで使ってたやつも預けますんで」

 その彼の一言に、この場に居た亮助以外の人間は仰天する。彼が自分の物だと言って提出した決闘盤は、明らかにあのリリオンが使っていた物だったからだ。

 あの時――。リリオンらが煙に包まれて姿を消す直前、リリオンは壊れた自身の決闘盤をその場に投げ捨てていた。修理不可能と見て遺棄したのか、それとも別の理由があったのか。ともあれ彼女はデッキだけを回収して、この決闘盤を放棄したのだ。

 その瞬間を、クロンは見逃さなかった。あれほど欲しがっていた新型の決闘盤である。まだ使えるのではないかと咄嗟に考え、警察にも提出せずこうして隠し持っていたのだ。

「…クロン君。まさかそれ、あの女の人の…」

「ふっふっふっ、ご明察ッス。あのお姉さんが捨てたのを、こっそり回収してみました」

「みましたって貴方…。まったく、いつもの事だけど、ちゃっかりしてるわねぇ」

 誉めているのか、呆れているのか。開いた口が塞がらない様子の姫利だった。

「…けど、証拠品を勝手に自分の物にするのは証拠隠滅罪って言って立派な犯罪よ? 今すぐお巡りさんに渡してらっしゃい」

「えー? 持ち主が捨てた物を拾った時点でボクの物じゃないですか。証拠として提出するかどうかは、任意って事になるんじゃないの?」

「なりません」

「…ちぇー」

 良いアイデアだと思ったのに、と頬を膨らませてぶーたれながら、クロンはしぶしぶ回収した決闘盤をまだ店内に居る警察に渡しに向かう。

 その抜け目ない後ろ姿を見て、微笑を浮かべたのはミランダだった。

「油断も隙もないわね、あんたの弟子」

「まぁね。デュエルでは有利な性格なんだけど、こう言う時は危なっかしいと言うか…。ま、一緒に居ても退屈しない子よ」

「…ねぇ姫。さっきのリリオンとかって女の目的、本当にあの子だったの?」

 微笑はすぐに深刻な表情に変わり、ミランダの翡翠色の瞳が姫利の姿を映す。

「事情はメイから聞いたけど、私にはどうも信じられないのよね。たかがカード一枚の為に、あんな連中が乗り込んで来るなんて。それに、私達の中でどうしてあの子だけがあのカードを変化させる事が出来たのかも気になるわ。…姫、あんたはどう思ってるの?」

「…そうね」

 ミランダの質問に、姫利の表情も険しくなる。

 無論、これまでの経緯とリリオンと喋る猫の発言から、彼女達の目的がクロンと《銀愚者》である事は疑いようがない。だが《銀愚者》というたった一枚のカードを中心に、非現実的な事が立て続けに起きているのも事実だ。

 一言で言えば異常な事態である。ミランダが疑問に思うのも、無理のない事であった。

「…正直な所、私にも何が起きているのかさっぱりよ。銀愚者のカードについて知ったのも、ついさっきの話だし。…クロン君にしてもそう。確かに変わった子だとは思うけど、あんな変な連中から狙われるような特別な何かを持っているようには思えないわ」

 恐らく当人にも心当たりは無いだろうと内心思いながら、姫利は深い溜息を吐く。

 少なくとも現状において、これ以上の真実を知る事は不可能だ。これから先もわからないままかも知れない。

 だが、姫利にとってはそんな事はどうでも良かった。リリオンが何者であろうと、こうして無事に乗り切る事ができたのだから。

「確かなのは、クロン君が銀愚者を手放した以上、もうあの子が狙われる事は無いだろう……って事くらいね」

 真実よりも何よりも、それが一番大切な事だ。

 姫利はもう一度息を吐きながら、この平和な一時が守られた事に感謝した。

 

 

――――――

 

―――――

 

――――

 

 若い女性と黒い子猫が歩いていた。薄暗い廃墟の中である。

 窓には板が取りつけられており、太陽の光は届かない。数メートル置きに壁に付けられたランプの光だけが、彼女達の足元をぼんやりと照らしている。

 天井を見上げれば美しい装飾が施されているし、絵画や石像といった美術品も所々で見る事が出来る。無論、昔は人々の目を潤わせたであろうそれらの美術品も、今となっては見る影も無いのだが。

 長らく人の手を離れ、時の浸食によって色褪せたその建物は、かつては高貴な者達が住まう館であったという。彼らがこの場所でどのような暮らしをしていたのか、もはや確かめる事はできないが、ダイニングルームの広さや館内の部屋の数、更にはダンスホールまである事から想像するに、悠々自適な生活を送っていたのではないだろうか。

 だが、それも過去の事。彼らが暮らしていた場所は今、闇に生きる者達の拠点へと成り下がっていた。その忌むべきの住人の一人が、この若い女性と黒猫である。

「だからぁ、悪かったってばさーデスちん。いい加減に機嫌直しなよー」

 瓦礫にまみれた廊下を慣れた足取りで進みながら、若い女性――…リリオン=ストレングスは嗤う。

 その視線の先には、瓦礫を避けながら彼女の前を進む黒い猫、デスの姿があった。デスは尻尾を左右に振って怒りを露わにしながら、「はぁ」と深い溜息を吐いて顔だけをリリオンに向ける。

「最悪の結果と言わざるを得ませんね。異端の札の所持者の発見に失敗しただけならまだしも、あれほど大勢の人間に異端の札を晒してしまうとは」

 空耳でも聞き違いでも無い、はっきりとした人間の言葉で黒猫(デス)は語る。リリオンは驚いた様子も無く、両腕を大袈裟に広げて抗議した。

「だってムカつくじゃん、さっきの女ぁ。弱いクセに突っかかってくるし、大人しく私の(ストレングス)に屈しとけばいいのに悪足掻きするしさー。そりゃ闘志もムラムラしてくるに決まってるじゃん、私ぜーんぜん悪くない」

「…そうそう。あの女性を挑発する為に結構な数の異端の札を投げ捨てていましたね。その件も教皇の耳に入れますので、処分を楽しみにしておいてください」

「はぁー? いいじゃん別に異端の札の十枚や二十枚くらい。どーせ量産には成功してんでしょ? そりゃ警察とかには解析されるだろうけど、何もわかりゃしないって。せいぜい素材が紙だって事がわかるくらいでしょ、ギャハハハ!」

 反省とは程遠いリリオンの物言いに動じる事無く、デスは先へと進んでいく。慣れているのか、諦めているのか。何を言っても通じない事はわかっているようだった。

 互いに距離を取りながら、暗い廊下を歩いていく。沈黙が暫く続いた後、突然、リリオンが足を止めた。

「さーてと。んじゃ、私は部屋に戻って飯でも食って来るから。後の事は任せたよデスちん」

 その言葉を聞いたデスは足を止め、驚いた様子でリリオンの方を振り返る。

「…教皇に会わないつもりですか?」

「結果報告なんてかったるい事くらい、デスちんだけで十分でしょ。それに、私が教皇の部屋に行っても門前払いされるに決まってるじゃん。あの部屋には教皇狂いの(タワー)が居んだからさ」

 そう言うとリリオンは今来た道を引き返し、言葉通り彼女の部屋に向かい始めた。その後姿を恨めしそうに見ながら、デスはまた尻尾を左右に振り始める。

「つまり、僕一人でお叱りを受けて来いという訳ですね。…まったく」

 恐らく彼女の耳にも心にも届かないであろう愚痴を溢しながら。デスはまた、歩き始めた。

 いつ崩れるかわからない瓦礫を避け、重い足取りで暫く歩き続けた後。ある部屋の前で、デスは足を止める。目的の場所に着いたのだ。

 デスは部屋の扉から数歩離れて、扉のすぐ隣に付けられたネームプレートを見上げる。そこに書かれているのは「教皇」の文字。これまで何度も口にした、彼らの上司の名前だった。

「…それにしても。今回の失態について、どう言い訳したものか」

 閉ざされたままの扉を見上げながらデスが呟く。――その時だった。

 部屋の扉がギィィ…と不快な音を立てて開き、一人の少女が、デスの姿を見下ろしながら部屋から出てきたのだ。

 黒猫(デス)とは対照的な金色の髪を肩まで伸ばし、前髪には黒いリボン。髪にやや隠れた紫色の瞳は冷たい光を帯びており、真直ぐにデスを見つめていた。

 年齢は恐らく十にも満たないだろう。服装はフリル等で装飾された所謂ゴシックロリータものを好んで着ており、少女の綺麗な顔立ちと合わせて不気味な美しさを印象付ける。

 デスは少女の姿を見ると、お辞儀するかのように頭を軽く下げる。

「…ただ今戻りました、(タワー)さん。任務の結果を教皇に報告したいので、部屋に入ってもいいでしょうか?」

 デスの質問に、(タワー)と呼ばれた少女は答えなかった。猫が喋った事に驚く訳でも無く、じっとデスの姿を見つめたまま、彼女はその場にしゃがみ込む。

 そして徐に右手をデスの鼻先に突き付けると、漸く塔は口を開いた。

「猫ちゃん、お手」

 冗談のつもりなのか、単に無邪気なだけなのか。塔が(デス)に命じたのは、犬のお家芸として知られている「お手」であった。

「………」

 デスは困ったように耳を伏せ、どうしたものかと出された塔の手をじっと見つめる。

 人間の言葉を解するデスならば、彼女の期待に応える事は容易い。しかし、(かれ)にもプライドがあった。

 猫である自分が犬の真似事をするのは滑稽だと彼は考えていたし、何より彼は芸をする為にここに来たのではない。デスは暫く沈黙した後、再び塔の顔を見上げた。

「……塔さん。僕は教皇に会いに来たのですが」

「その前に、お手ー」

 ぷぅと頬を膨らませながら、塔は催促する。デスは諦めたように俯くと、自身の左前足を彼女の右手に置いて「お手」をした。

「…えへへー」

 満面の笑みを浮かべる塔。デスは彼女のように笑える心境ではなかったが、取りあえず満足して貰えたらしいと安堵の息を吐いた。

 …ところが。

「じゃあ次はねー……お座り」

 間髪おかずに、次の命令だった。

 躊躇いを覚えるデスであるが、この少女の許可無くして部屋に入る事は出来ない。彼は少し迷った後、彼女の言葉通りにその場に座り込む。

 これにも塔は大喜びだった。彼女はデスの頭を優しく撫でると、さも当然の事のように次の命令を発した。

「その次はねー…。そうだ、ちんちんっ」

「…わかりました」

「えへへ…。その次はあれやって。三回回って~?」

「………」

「わんっ」

「…にゃあ」

 ここまで来ると、もはや自棄であった。

 その後は死んだふり、ムーンウォーク、匍匐前進などの高度な芸を要求され、デスは無心でそれらの命令に従い続けた。言葉を喋れる事が一番の芸ではないのかと、頭の片隅で愚痴りながら。

 そうして暫く塔の遊びに付き合い、流石に疲労が溜まって来た頃。漸く塔は本題に入った。きょとんとした表情で、首を傾けながら。

「ところで、猫ちゃん何しに来たんだっけ…?」

 散々話を逸らした末の、この物言いだった。デスはもはや呆れて言葉も無い様子で、やれやれと首を左右に振る。

「教皇に会いに来たと何度も言っているでしょう。今回僕とリリオンさんに充てられた任務の結果報告です。部屋に通して頂けませんか」

「ふーん…。そう言えば、(ストレングス)のおばちゃんは?」

「リリオンさんなら自分の部屋に……その、戻りました。なので、僕だけです」

「…ま、いっか。おじちゃん今は手が空いてるみたいだし、入っていいよ」

 そう言うと塔は扉を開けて、部屋に入るよう目で促す。

 ただ部屋に入るだけで、これほど手間がかかるとは。デスは内心吐息しながら、塔の横を通り抜けて部屋の中に入った。

 

 

 つくづく趣味の悪い部屋だと、室内を見渡しながらデスは思う。この部屋に通されるのは初めてではないが、何度来てもこの部屋の空気は馴染めなかった。

 これまで歩いて来た道とは打って変わり、綺麗に整備された静かな空間。天井に吊り下げられたランプの光が室内を照らし、床には踏み心地の良いカーペットが敷かれている。宛ら一流ホテルの一室のようであった。

 天蓋付きのベッドに、ガラスで作られたテーブル。金色で装飾された白塗りのタンスに、窓を覆い隠す赤いカーテン。何れの家具も廃墟には似合わない高級感溢れるものだ。

 にも関わらず。少なくとも人間からすれば住み心地の良いであろう部屋であるにも関わらず、デスはこの部屋を今一つ好きになれなかった。その原因は、部屋の至る所に飾られている、奇妙な置物(・・・・・)にあった。

 熊だと思われる(・・・・)縫いぐるみに、女の子を模したと思われる(・・・・)西洋人形。ネズミのキャラクターの縫いぐるみと思しき(・・・)ものや、くるみ割り人形と思われる(・・・・)ものまで。様々な種類の縫いぐるみや人形が、そこにはあった。

 思われる(・・・・)、と曖昧な表現なのには訳がある。――…それらの人形には、本来あるべき「頭部」が失われており、何の動物なのか断定できないのだ。

 首が無い熊の縫いぐるみ、首が無い西洋人形、首が無いくるみ割り人形。何れも悪趣味極まりないものであり、せっかくの美しい内装を血生臭いものへと変えているのは否めない。無論、趣味は人それぞれで自由ではあるのだが。

 そして。この悪趣味な部屋の持ち主は、部屋の奥のソファに静かに腰かけていた。

 灰色のコートを着た、緑髪の男性。視力が悪いのか銀縁の眼鏡をかけており、澄んだ緑色の瞳でデスの小さな体を見つめている。

 年齢は三十半ばだと本人は言うが、デスにはとてもそうには見えなかった。その顔立ちは中性的で、年齢より十歳は若く見える。

「やあ死神。随分と塔に遊ばれたらしいね、ふふ…」

 その男性――…教皇はデスの顔を見ると、少年のようにあどけない笑みを浮かべて体を揺らす。その声は穏やかで、知的さと人の良さを感じさせた。

 デスはまず頭を下げて一礼すると、教皇の正面にあるソファの上に登り、腰を下ろす。

「…教皇もお人が悪い。聞こえていたのなら止めて下さっても良いじゃないですか」

「はは、すまない。あんまり君達が楽しそうだったから、ついね」

「楽しんでいたのはどなた(・・・)だか。猫は気高い生き物です、家猫扱いされては困ります」

 そう言ってデスがぷいと顔を背けると、教皇はまたクスクスと笑い出した。

 人間と猫の会話と言うよりは、親と子のような会話だった。無論、人と猫が言葉を交わす事が既にあり得ない事なのだが、教皇とデスの間には生物の違いや年齢の違いといった心の壁は無いように思える。

 要するに、落ち着いているのだ。本当に家族同士で話しているかのような、穏やかな雰囲気。先程の塔と呼ばれた少女もその中に加わり、教皇の膝の上に腰掛ける。

「…さて、そろそろ本題に入ろうか。君と(ストレングス)に頼んだ件、どうやら上手く所持者と接触できなかったらしいね。死神」

 塔の髪を優しい手付きで撫でながら、教皇は澄んだ瞳をデスに向ける。声のトーンは相変わらず穏やかで、微かな怒りも感じない。デスは少し間を置いた後、「ご存知でしたか」と申し訳なさそうに頭を垂れた。

「所持者のいる場所までは特定できたのですが…、人間の建物に猫が入り込んでは目立つと思いリリオンさんに事を任せたのが失敗でした。勝手に暴走した挙句、訳の分からない事態に……僕とした事が、とんだ失態です」

 教皇から目を逸らし、慎重に言葉を選びながらデスは語る。教皇は言葉を挟まず、ただ塔の頭を撫でるだけだ。

「すぐにでも汚名を返上したいところですが……今となっては、果たしてその機会もあるかどうか…」

「確かに。今回の件でもし新たな異端の札の所持者が身の危険を感じてしまったとしたら。そしてその原因が自分が持つ異端の札にあると気付いたとしたら、カードを処分される恐れがある。そうなったら追跡は困難だ。しかも僕達は新たな所持者の顔すら知らない。…君の言う通り、酷い失態だな」

「………」

「…と、こんな風に怒られると思ったかい?」

 一瞬厳しい表情を浮かべた教皇が、またくすりと笑みを溢す。叱責さえ覚悟していたデスは、驚いて顔を上げた。

「実を言うと、君達は異端の札の所持者を見つけているんだよ。力のデュエルを観ていた子供達の中に、黒髪の男の子とポニーテールの女の子がいたのは覚えてるかい?」

 唐突な質問だった。

 教皇の言う黒髪の男の子とポニーテールの女の子――…と言うのはクロンとソールの事を指しているのだが、あの時はデュエルを観戦している一人でしかなかった彼らの事をデスが覚えている訳も無い。彼は少し考えた後、首を傾げて「いえ」と返答した。

「リリオンさんを見張っていたので、そんな方が居たかどうかは…。それで、その二人の子供が異端の札の持ち主だと、教皇は仰るのですか?」

「ああ。確証は無いが、まず間違いはないだろう。もし違っていたら、君が塔にさせられたのと同じ芸を僕がやって見せてもいい」

 その言葉を聞いて、デスは驚きを隠せなかった。瞳孔が大きく開き、耳をピンと立てて、教皇の顔を見つめる。 

「…何故そう言い切れるのです? 異端の札に選ばれた者を見分ける方法は、実際にカードに触れさせて確認する以外に無かった筈では?」

「基本的には君の言う通りだけど、今回は少し事情が異なるな。何せ彼らは――、」

 言いかけて、教皇は慌てて首を横に振る。

「――いや、今は止めておこう。少し長い話になるし、あまり楽しい話題でも無いからね」

 そう言って教皇は、話を誤魔化すように微笑んだ。

「何にしても、その二人のどちらかが異端の札の所持者なのは確実だ。今回の失態は、この手柄に免じて帳消しという事にしようか」

 興味だけを煽って答えをはぐらかされた形だが、少なくとも今は話すつもりはないようだ。デスは小首を傾げながらも、それ以上は追及しない事にした。

「とにかく、ご苦労だったね死神。今日はもう遅い、部屋に戻ってゆっくり休むといい」

「…わかりました」

 もやもやとした感情は心の奥に仕舞い込む。教皇の労いを素直に受け入れたデスは、一礼してソファから降りた。

 そのまま部屋を後にしようとする彼を、教皇は「そうそう」と思い出したように呼び止める。

「明日の君の任務だが、今度は塔と組んでもらう事にするよ。その二人の顔を覚えているのは、今のところ僕と塔だけだからね」

「塔さんと、ですか?」

 鸚鵡返しに尋ねながら、デスは教皇の膝の上に座る塔の方を見る。話を聞くのに飽きたのだろう、彼女は教皇の指を甘噛みして遊んでいた。

 教皇は特に気にする訳でもなく、彼女のやりたいようにさせながら言葉を続ける。

「異端の札に選ばれた人間は貴重だ。警察が動き出した以上、所持者の回収は急ぐ必要がある。手荒な真似は好きじゃないが……この際、手段は選んでいられない」

 そう前置きした後、教皇はまた笑みを浮かべる。恐ろしいほど優しさに満ちた、無垢な笑みを。

「その二人を探し出し、どちらが札の所持者か確かめた上で、当たり(・・・)の方を拉致して来て欲しい。――簡単な仕事だろう?」

 口調は何処までも柔らかく。教皇は、いつまでも微笑んでいた。




次回は子供vs子供のほのぼのタッグデュエルになりますー。
ただ、デュエル描写やら何やらで残酷な描写があるので、ご注意を。次回の冒頭でも警告文書きますです。
デュエルを書いてる時はテンションがハイになってるので、自重はあんまり期待できない(´・ω・`)
まあでも人間の生首が出たり人間の首が吹っ飛ぶ程度なので、そこまで残酷って訳でもないかなー。
とにかく、次回はほのぼのデュエルですー。
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