●生首&首なし死体フェチの幼女と喋る黒猫がタッグデュエルを挑んできたのでデスボイスで撃退したら、しょんぼりして帰って行った。
●主人公が《サーチライトメン》と一緒に不気味な廃墟を探索してたらセクシーお姉さんに見つかって現在首を絞められてる。
●我ながら変な話だと思うけど残念な事に嘘は言ってない。
気に入らないが、気の合う友人。趣味や性格は合わないが、不思議と波長が合う相手。ソールにとってのクロンは、そんな評価の相手であった。
初めて彼と会話してから数週間。喧嘩する事も多々あったものの、彼と過ごす時間は刺激的で退屈する事は無かったし、それをささやかな楽しみにしている自覚も彼女にはあった。
ただ会話してデュエルして、デッキ作りに付き合うだけの関係であったが、彼の存在はソールにとって大きなものになりつつあったのだ。
それが、奪われた。得体の知れない何者か達に、問答無用で連れ攫われた。それで塔とデスとのデュエルには勝利したものの、クロンが戻って来た訳でも無い。やり場の無い怒りだけが、その場に残る結果となった。
「ちく、しょう…! 何だって、こんな事になんだよッ…!」
誰に向けたわけでも無い呟きが、知らず知らずのうちに漏れる。傍に居たクリフと亮助が何か話し掛けているが、まるで頭に入らなかった。
動揺と混乱。どうにかしてクロンを救わなければと言う思いと、その方法を思いつけない事への自憤。感情と思考が頭の中で溶けて混ざり、訳の分からない苛つきとなってソールの心を騒がせた。
と、その時。
「――みんな、大丈夫!? いったい何があったの!?」
聞き慣れた声が耳朶を叩き、ぼんやりしていた思考を目覚めさせる。
振り返ると、そこには先程電話で呼びつけた姫利が自転車に乗った状態でおり、その後ろには自転車のハンドルに凭れかかって息を切らしている百合の姿もあった。
二人とも制服姿であるところを見るに、学校からここまで全速力で来たのだろう。彼女達は公園の入り口に自転車を乗り捨てると、慌てた様子でソール達へと駆け寄った。
「いったい何があったって言うの! クロン君が攫われたって、どう言う事!? 貴方達は怪我とか大丈夫なの!? ここで何が起きたのか、わかるように説明して!」
畳み掛けるように質問されるが、それに答える言葉をソールは持たなかった。何が起きたのか知りたいのは、彼女の方なのだから。
むしろソールからすれば、今更やって来てこの場を取り仕切ろうとする姫利の態度は腹立たしく思えた。
無論、彼女がもう少し早くここに来ていたとしても状況は変わらなかっただろうし、何も知らない彼女を非難するのは筋違いである事はわかっている。
それでも、ソールは感情を抑えられなかった。どうしようもない怒りが心のうちから湧き出て来て、今にも溢れ出してしまいそうなのだ。
「…遅ぇんだよ春川! 俺様達が時間稼ぎしてたのに今になって来やがって! テメェがのそのそしてる間に、あいつも、あいつを攫った連中も何処かに消えちまったよ! テメェらが呑気してるから――!」
遂に感情は堰を切り、訳のわからぬまま姫利を責め立てる。
その声は時折裏返り、いつしか涙まで浮かんでいたが、彼女自身はその事に気付かなかった。
その激情はそのまま姫利の問いへの答えとなったらしく、姫利は目を丸くしてソールの顔を見つめた後、「そう…」と力無く呟いた。
「私達の想像もつかないような、恐ろしい事が起きたのね…。クロン君の事は……これから考えるとして、今は貴方達だけでも無事で良かったわ。ミラ達もすぐに来るから、それからゆっくり話をしましょ」
ソールが感情的になっている分、姫利の声はとても落ち着いていた。
こんな時、お互いが感情のまま話すのは危険である事を知識として知っているのだ。この辺りの対応はやはり年長者だと言える。
ともあれ、今は姫利の言う通り、ミラ達の到着を待って話し合うしかない。それで事態が好転するとは思えないが、他に彼女達にできる事は無いのだから。
「……くそッ、喉が乾いた。ジュース買って来る」
苛立ちを隠せないまま、ソールは一人姫利達の輪の中から外れて行く。こんな時にとは自分でも思うが、じっとしては居られなかった。
と、その時。自販機に向かおうとしたソールの爪先が、何か固い物を蹴飛ばした。見ると、彼女の足元に黒色の携帯電話が一つ、雑草の間に隠れるように落ちていた。
「これは、確か…」
見覚えのある形、見覚えのある色。ソールは思わずそれを拾い上げ、確信する。その携帯電話は間違いなく、クロンの物であった。
恐らく彼が連れ去られた際に落としたのだろう。壊れた様子は無く、電源もついたままであった。
これがここにあると言う事は、GPS機能で彼の居場所を特定したり、彼と連絡を取る手段が無くなった事を意味する。繋がりが断たれたという実感がより強くなり、ソールは思わず舌打ちした。
(無事でいろよ…。俺様が必ず、助け出してやるッ…!)
そう心に誓い、クロンの携帯をズボンのポケットに入れる。今の彼女に出来る事は、彼の無事を祈る事だけだった。
――――――
―――――
――――
呪詛や怨嗟で人を殺める事が出来ないように、祈りで人を護る事も出来ないものだ。
ソールがクロンの無事を祈った丁度その時、当のクロンは命の危機に直面していた。
何処とも知れぬ廃墟の中、かつて姫利と衝突したリリオンに見付かった彼は、衣服の襟を掴んで持ち上げられ、襟口で首を絞められた形にあった。
「がッ……くぐッ…」
クロンの全体重が彼自身の首を絞め上げ、窒息させる。首と襟口の間に指を入れて呼吸しようと試みるも、襟口はがっちりとクロンの首に食い込んでいて僅かな隙間も無い。さながら絞首刑のロープのように、彼の首を絞めていた。
このままではまずい。何とかしなければ、縊死してしまう――。
本能が生命の警鐘を鳴らすが、幼い彼に出来る事は手足をバタつかせて僅かな抵抗をする事のみ。呼吸ができないのだから、助けを呼ぶ声を出す事もできない。
リリオンの腕を引っ掻こうにも、腕に力が入らない。それどころか今にも意識が飛んでしまいそうで、苦悶の表情を浮かべるより他無かった。
「ふ~ん…。こんなガキが異端の札に選ばれたとはねぇ。デスちんといい
クロンの足掻く姿を眺めながら、リリオンは酒臭い息を吐いて笑う。クロンが窒息状態にある事は、酔いで気付いていないようだった。
「ぐ…、かはッ…」
次第にクロンの視界がぼやけ、浮遊感にも似た感覚で意識が遠退いて行く。
死ぬんだ、と薄れゆく意識の中で実感し、諦めて微笑を浮かべた時。クロンは、すぐ傍で扉が開く音を聞いた。…気がした。
「――異端の札、《
若い男の声が聞こえたかと思うと、暗闇の中で何かが光る。
それと同時、リリオンの背後から白く細い糸のような物が伸びてきて、植物の蔓のように彼女の四肢を絡め取った。
「っ…! これは――、」
クロンを持ち上げていた力が緩み、彼の体は床に倒れた。首に食い込んだ襟口も離れ、クロンは何事が起きたのか考える前に大きく息を吸い込んだ。
「ハッ、ハッ、ハッ……はぁ、はぁ…」
死の境から戻って吸い込む空気は清水の如く命を潤し、逝きかけていたクロンを蘇らせる。突然の事で何が何やらわからなかったが、とにかく九死に一生を得る事が出来たクロンは、床に這い蹲りながら顔を上げてリリオンの方を見た。
リリオンは、クロンを持ち上げていた時と同じ格好で立っていた。まるで金縛りにでもあったように体をピクピクと震わせ、忌々しげな表情を浮かべている。その両手両足にはやはり糸のような物が見え、さながら操り人形のように彼女を捕えていた。
「体が、動かな…! き、教皇、あんた…!」
赤い双眸をクロンのすぐ隣に向け、リリオンは小さく声を漏らす。ぎょっとしてクロンがそちらを見ると、そこには男が一人、にっこりと笑みを浮かべて立っていた。
「あのさぁ
おっとりとした温和な声が、薄暗い廃墟の廊下に響き渡る。男は
少年のような微笑を浮かべた、緑髪の男だった。澄み切った緑色の瞳はランプの灯りを受けて宝石のように輝き、物静かにクロンを見つめている。
年齢は見る限り二十代前後に思えるが、もっと若いと言われればそう見えるし、もっと歳を重ねていると言われればそうも見える。青年と大人、両方の雰囲気がある印象だ。
顔立ちは綺麗に整っており、目が悪いのか銀縁の眼鏡をかけている。服装は灰色のコートに緑色のズボンと地味なものだが、左胸にアクセントとして青い薔薇を模したアクセサリーを付けていた。
「ごめんね坊や、僕の部下が迷惑をかけて。立てるかい?」
微笑を浮かべたまま、その男、教皇はクロンに手を差し伸べる。悪意や敵意の感じられない優しい声だった。
「ど、どうもッス…」
「いえいえ、どういたしまして」
呼吸を整えたクロンは教皇の手を借りて立ち上がり……直後に、後悔する。
あまりに自然に手を差し伸べられたので思わず手を借りてしまったが、この教皇と言う人物がリリオンや喋る黒猫の仲間である事は明らかで。状況は何一つわからなかったが、本能が目の前の人物は危険だと告げていた。
「うわっ――!」
気付いた瞬間、クロンは教皇の手を払いのけていた。
慌ててこの場から逃げようとするが、足元に落ちていた瓦礫に躓いて転んでしまう。その様子を見て、教皇は「ありゃ」と目を丸くした。
「大丈夫? 逃げる気持ちはわかるけど、ここの廊下を走るのはちょっと危ないと思うよ。別に君に危害を加えるつもりは無いし、転んで怪我するだけ損じゃないかな」
言いながら、教皇はコートのポケットから絆創膏を取り出し、箱ごとクロンに投げ渡した。危害を加えるつもりは無いと言った言葉を証明するかのように。
「それに、君はどの道ここから逃げる事はできない。…詳しい事は部屋で話そうか。今はそれが最善だと思うよ、お互いにね」
不穏な事を笑顔で告げた後、教皇は再度視線をリリオンへと向ける。彼女は未だ体の自由が利かないらしく、先程と同じ体勢のまま教皇を睨んでいた。
「君は自分の部屋に戻ろうか、
子供に言い聞かせるような優しい口調で告げると、リリオンの四肢に纏わりついていた糸が闇に溶けるように消えていった。
彼女を縛っていた何かが解けたのだ、と何気なく連想していると、「んにゃろ!」と叫んだリリオンが教皇に殴りかかるのが見えた。
「…今のは君のボスとして言ったつもりなんだけどね。無視して大丈夫なのかな、リリオン」
僅かな冷たさを含んだ教皇の声が、リリオンの拳を直前で止める。突発的に殴ろうとした拳が、僅かに残った理性に押し留められたようだった。
「…けっ、ロリコンが」
捨て台詞を残り香に、リリオンは渋々と言った様子でその場を後にする。その後ろ姿を、教皇はにっこり笑って見つめていた。
「大人しくしていればそこまで悪い子じゃ無いんだけどね。扱いづらい部下を持つと苦労するよ」
呆然としているクロンに愚痴を零した後、教皇は「じゃあ、部屋で待ってるよ」と言葉を残して部屋の中へと戻って行く。扉は開け放たれたままであった。
(……どうしよう…)
開いたままの扉を見つめながら、クロンは考える。今ならこの場から逃げる事はできるかも知れないが、「逃げる事はできない」と断言した教皇が、そんな隙を見せるようには思えない。
と言って、言われるままに彼の部屋に入るのも危険だ。たった今死にかけた事を思えば、尚更。
逃げ場は無いが、虎穴に入る訳にもいかない。と言って、今のクロンに他の選択肢は存在しない。二つに一つだった。
「………」
しばらく考えた後、クロンは教皇の言葉に従う事にした。
どうせ逃げる事ができないのならば、いっそ虎穴に飛び込んで活路を見出すしかない。自分と一緒に居たソール達はどうなったかという気掛かりもある。
無論、危険な行為である事に違いは無いが……覚悟を決めるしかない。クロンは何かあってもすぐに逃げられるよう扉を開けたままにして、意を決して教皇の居る部屋に入った。
――――――
―――――
――――
一席だけ空いた円卓が、場の空気を重くする。まるで通夜のようだと連想するが、それを口にする勇気はソールには無かった。
場所はいつものカードショップ。ミランダ達と合流したソール達は一度場所を変え、事のあらましを皆に説明した。
死神と塔を名乗る者の出現。神隠しが如く攫われたクロン。実体化していた
「…以上が、俺様達が知ってる全てだ」
ソール達は――実際には殆ど亮助とクリフが説明したのだが――知る限りの全てを姫利達に伝えると、俯いて押し黙った。
「…つまり、この間の女性の仲間が、クロン君を連れ去った……って事?」
まだ事態を把握しきれない姫利が誰にともなく問い掛けると、ソールがピリピリした表情で「連れ去ったんじゃねぇ、消し去ったんだ」と小さく応じた。
「あいつらは異端の札の力で自在に現れたり消えたりできるらしい。瞬間移動みてぇにな。その力でクロンの奴を何処かにテレポートさせたんだ。そしてその後、自分達も何処かへと消えやがった…」
「…と言う事は、クロン君が今何処に居るのかも?」
「わからねぇ。…わかる訳がねぇ。考えたくねぇが、生きてるかどうかも怪しいもんだ」
苛立ちを隠さずに毒づくと、向かいの席に座っていた亮助から「言い過ぎだ」と抗議の声が飛んできた。
…いや。「生きているかも怪しい」と言う彼女の言葉に反感を抱いたのは彼だけでは無い。この場に居る誰もがソールに言葉を慎むよう、目で訴えていた。
だが、それが逆にソールを苛立たせた。彼女は舌打ちを一つすると、「本当の事だろうが!」と声を荒げる。
「あいつが今何処に居て、生きてるか死んでるかテメェらにわかんのか!? あぁ!? わからねぇだろうが! わからねぇ事をわからねぇっつって何が悪いんだ!」
「悪いよっ!」
ソールの怒号に真向から反論したのはクリフだった。彼は
「クロンくんは生きてるもん! どこにいるかわからないけど、絶対生きてるもん!」
「どうしてそう言い切れんだ? テメェはエスパーか? サイキック族か!? 言った事は何でも叶う神様だってか!?」
「う……うわぁぁん! 絶対に生きてるもんっ!」
遂には泣き出したクリフはミラの胸に顔を埋める。それと同時にミランダの表情が見る見る怒りの色に染まり、険悪な空気が流れるが、喧嘩になる寸前でメイが彼女らの間に割って入った。
「確かにソールちゃんの言い分も間違ってはいません。ですが、無事でいて欲しいと想う気持ちがわからない訳では無いでしょう? クリフ様はそういう話をしています」
「……けっ。説教してる暇があんなら、あのガキを助け出す方法でも考えろってんだよ。どいつもこいつも」
ひねた事を言っている自覚はあったが、どうにも感情を抑えきれない。他人に当たりでもしなければ、とても落ち着いていられるものではなかった。
「…それにしても、どうして連中はクロン君の居場所がわかったのかしら。異端の札は全部警察に渡したし、そもそもリリオン達はクロン君が異端の札を使える事を知らない筈でしょ?」
「今それは重要じゃないわ、姫。私のクリフを怯えさせた連中をどうやって後悔させるか。それが先決よ」
「でもさミラるん、相手が何処にいるかもわからないんじゃ、お手上げのOだよ実際。クロぽんの携帯も公園に落ちてたみたいだし、どうやって相手を探すのさ?」
姫利の疑問にミランダが反応し、それに百合が正論で返す。結論は揃って「どうにもできない」と言うものであったが、それでも、こうして額を合わせて議論するだけでも意味はあるように思えた。
「…あのさ、ちょっといいかな」
罵倒と正論が飛び交う中で、亮助が小さく手を挙げる。一同の視線が一斉に彼一人に集中した。
「思ったんだけどさ、クロンを連れてった奴らの方から連絡が来る事はあるんじゃないかな。ほら、テレビドラマでも良く犯人から身の代金の要求が来るシーンがあるじゃん」
「…無いとは言えないけど、考えにくいわね」
亮助が提案に、姫利は静かに首を横に振ってそれを否定する。
「これが単なる誘拐事件なら、そういう連絡もあるかも知れないけど……リリオン達の狙いが始めからクロン君だけだとするなら、その可能性は期待できないわね」
「そっか…、そうだよな。お金の為に動いてるって感じでも無かったしな…」
口惜しげに呟くと、亮助は小さく吐息して俯いた。
確かに姫利の指摘通り、リリオン達の目的は既に達成されているのだから、向こうから連絡が来る事はまず無いと断言していいだろう。そう言う意味でも、彼女達の手掛かりは一切無かった。
「…今の意見、私は悪くなかったと思うけどね」
少しの沈黙の後、ミランダが亮助の顔を見ながら言う。フォローでは無く、単純に彼の意見に賛成しているようだった。
「こっちから接触できない以上、向こうからこっちに接触する意外に連中の手掛かりを得る方法は無いと思うわ。もちろん、ただ連絡を待ってるだけなのは論外だけど。連中がこっちに接近したくなるような事情や都合を作ればいいんじゃない?」
「…具体的には?」
百合が問うと、ミランダはわざとらしく両手を上げる。実際にどうするべきかは、まだ思い付かないようだった。
だが亮助達の言う通り、クロンが今何処に居るのかわからない以上、彼を救うにはリリオン側からの接触に賭けるしか無い。無論、それが出来れば苦労はしないのだが……亮助とミランダの意見は、なかなか状況に噛み合っているようにソールには思えた。
(あの糞共の方から俺様達に接触させる方法…。奴らを呼び寄せる方法か…)
心の中で一人呟きながら、ソールは唇に指を当てて考え込む。そんな中、また一つ新たな意見が飛び出した。
「…方法は、あるかも知れません」
そう発言したのは、これまで一歩引いた姿勢で話に参加していたメイだった。
「実は、最初にクロン君の異端の札を見た時から、ずっと気になっていた事があるんです。それが今回の事に関係があるかはわかりませんが……ひょっとしたら、クロンを助ける手掛かりになるかも知れません」
「気になる事?」
鸚鵡返しに答えるミランダにメイは小さく頷いて、この場に集まった全員の顔を見渡す。それぞれの表情を伺った後、彼女は落ち着いた声で話し始めた。
「…皆様は、戦国事件と言う言葉に聞き覚えはありませんか?」
誰にとも無く向けられた問いに、その場にいた面子は二通りの表情を浮かべる。何の事だと首を傾げる者と、強張った表情を浮かべる者だ。
顔色を変えたのはメイと年齢の近い女子高生組で、反応が薄いのは小学生組の方である。メイもそれらの反応の違いを予測していたらしく、そのまま言葉を続けた。
「戦国事件は、その昔プロ決闘者の世界で起きた失踪事件の通称です。十年も前の事なので、クリフ様や亮助君はご存知無い事かも知れませんね」
そう言ってメイは、きょとんとしている二人に視線を向ける。
彼女が口にした『プロ決闘者』と言うのは、その名の通りプロの世界で活躍する決闘者達の総称である。決闘盤が開発され、デュエルモンスターズが世界的なエンターテイメントとして認められた現在、実力ある決闘者同士のデュエルがTV等で放映される事は珍しい事では無い。
少なくとも、メイが持ち出した『戦国事件』なるものよりは余程知名度のある職である。メイの話を聞いた亮助は、思い出したように手を叩いた。
「それ知ってる! たまにテレビで特番が組まれてるの観た事あるよ!」
声を上げた亮助は、そのままメイの代わりに『戦国事件』なるものの概要を語り始めた。うろ覚えの記憶をゆっくりと辿りながら。
「今から十年くらい前……だったかな。その当時、世界最強と言われていた日本人プロ決闘者が、突然行方を眩ましたんだって。かなりの有名人だったから世界中で大騒ぎになったけど、そのプロ決闘者は今も見つかってないんだとか。行方不明になったプロの名前は確か、えーと…」
「…戦国 殿方。空飛ぶ決闘者の異名で知られた、侍デッキの使い手よ。生きていれば……そうね、今年で六十四歳になるかしら」
亮助の言葉を引き継いだ姫利が、淡々とした口調で続ける。彼女もその戦国事件なるものについて知っているようだった。
「けど、あの事件がどうかしたの? 十年も前の事件なんだし、今回の件とは関係ないように思えるけど」
「そうかも知れません。ですが、一つ気になる点があります。当時の記事によれば、戦国プロは宿泊先のホテルにチェックインしたのを最後に消息がわからなくなったそうです。部屋には争った形跡は無く、机の上には『すぐに戻る』と言う書き置きと、一枚のカードが残されていたとか」
「……。一枚の、カード…」
姫利が呟くと、皆の表情が変わった。メイはその変化に「そうです」と応えると、神妙な面持ちのまま話を続ける。
「少なくとも戦国プロの持ち物では無かったそうです。最初に失踪に気付いた戦国プロのマネージャーによると、そのカードは市販されているカードでは無く、触れた途端に真白なカードに変わってしまったと言う事です。…もちろん、当時は誰もそんな話を信じなかったそうですが」
「触れると真白になったカード…。つまりメイさん、戦国プロの部屋に残されていたカードは――、」
「断言はできません。ですが、もしそうだったとしたら。戦国プロもクロン君と同じく異端の札を扱える人物で、同じような理由で行方知れずになったと考えられます」
断言しないと言いながらも、メイの瞳は確信を持っているかのようであった。
消えたプロ決闘者。異端の札らしきカード。それが今回の件と関わりある事なのかは、この場の誰にもわからない。だが、何かしらの接点があるように思えて仕方が無かった。
「じゃ、じゃあ…。クロンを攫った奴らは、十年も前から異端の札を使える決闘者を集めてるって事?」
強張った表情を浮かべながら亮助が呟く。メイは決して頷きはしなかったが、真剣な眼差しを亮助に向けた。
「少なくとも、戦国プロは帰って来ませんでした。世界中の人々が、警察や関係者が、懸命に捜索したにも関わらずです。あの女性…、リリオン=ストレングスの最終的な目的はわかりませんが、もし戦国事件の背後に彼女達が居たとしたら……あるいはそれが、クロン君を助ける手段に繋がるかも知れません」
「…どう言う事? 戦国事件が連中の仕業だと、どうしてクロン君の救出に繋がるの?」
メイの最後の言葉の意味を把握できず、姫利が問う。他の者も同様に、メイの考えを読めずにいるようだった。…もっとも、メイは敢えて肝心な部分を伏せて話していた為、仕方がない事ではあるのだが。
ただ、一人だけ。いつしかメイの話に耳を傾けていたソールだけは、彼女が言わんとしている事を理解できた。リリオン達とコンタクトを取る最も確実で――…、それでいて人道に外れた『方法』を。
「異端の札を使える奴を、もう一人見付けりゃいい。…そう言う事だろ?」
メイが口に出来なかった事を、ソールは平然と口にする。皆は驚いた様子で彼女の顔を見つめた。
「奴らが何者であるにせよ、連中が異端の札に拘ってんのは間違いねぇんだ。なら、今度はこっちが異端の札を利用すればいい。異端の札を餌にして奴らを誘き出すんだ」
言いながら、ソールはポケットから二枚のカードを取り出してテーブルに叩き付ける。イラストも文字も無い真白なカード、それを見て、誰もが表情を変えた。
「ここに異端の札が二枚ある。クロンが攫われた時、塔ってガキが投げてよこした奴だ。こいつをこの辺の奴に手当たり次第に触らせれば、異端の札が発現する奴を見つけ出せる。そうすりゃ後は連中の方から俺様達に接触して来る筈だ。クロンの時と同じようにな」
「ちょ、ちょい待ちソルたん。それってつまりさ……無関係の誰かを
ソールの思惑を察した百合が、恐る恐る尋ねる。ソールは真剣な表情のまま、ゆっくりと頷いた。
「奴らを誘き寄せさえすれば、後はどうにでもなる。巻き込まれる奴には気の毒だが…、クロンを助けるにはもうこの方法しかねぇ。他に良いアイデアがあるってんなら話は別だが、どうなんだ?」
右から左へと動く青い双眸が、この場の全員に問い掛ける。何か言いたげな表情を浮かべる面々は、しかし、ソールの問いに答える事は無かった。
異端の札を求める者に接触するには、新たな異端の札を用意するしかない。決して最善とは呼べないものの、彼女達に取れる手段はそれより他にありはしなかった。
「…私は反対よ」
暫しの沈黙を打ち破り、姫利が呟く。彼女は明確な嫌悪感を声と目に宿して、はっきりと否を突き付けた。
「確かに他に方法は無いのかも知れない。けど、無関係な人を巻き込むなんて許される筈がないわ。それに連中は得体の知れない力を持っているんでしょう? あまりに危険が多すぎるわ」
「なら、このままクロンの奴を見捨てるか? 冷てぇもんだな、
「…あの子を助けたいのは私も同じよ。でも、こればかりは認められないわ。私達だけで連中をどうにかできるとは思えないし、警察に事情を話しても信じてくれる訳がない。囮にした人を連れ去られてしまうのがオチよ」
「流石は春川、ごもっともな意見だぜ。アドバンテージが最優先なのはデュエルだけじゃないって訳か。決闘者の鑑だなテメーは」
鼻で笑って挑発し、姫利の表情にようやく怒りの色が見えた時。「はい、そこでストップ」と百合の呑気な声が、二人の亀裂に割って入った。
「姫りんの言う事は道徳的に正しいし、ソルたんの言う事は感情的に正しい。物事の答えが常に一つだけだと考えるのは良く無い事だと思うのよ百合ちゃん。だから煽り合いはそこまでにしましょ。OK?」
こういう一触即発の場面で、彼女の惚けた物言いは不思議な力を持っていた。
今にも喧嘩を始めそうだった両者は、納得いかないという表情を浮かべながらも、百合の言う通り沈黙する。遺恨は残ったかも知れないが、今はそれでいい。少なくとも百合はそう考えているようで、にひっと明るい笑みを浮かべた。
「ちなみに私はソルたんの意見に賛成派。危ない橋には違いないけど、クロぽんを助けない訳にはいかないからね。けど姫りんの言う事も間違ってないし、それを冷酷だとは思わないよ。ここに居る人は皆、助けたいって想いは同じ筈だからさ」
想い。その一語に、百合の心の全てが込められている気がした。
個々の考え方に違いがあっても、願うところが等しく同じであるなら、仲間同士で争う事に意味は無い。“敵”が誰なのかはっきりしているなら尚更だ。
「…どうやら、結論は出たようね」
凛とした表情を浮かべながら、ミランダが散らばった意見を纏めに入る。
「こうなったからには、リスク無しにクロンを助ける事はどう考えても不可能。ここはメイやソールの言う通り、異端の札を扱える決闘者を探すしかないわ。それはあんたもわかってる筈でしょ、姫?」
「………」
「もし攫われたのがクリフだったなら、私は間違いなくそうするわ」
あんたはどうなの、と暗に問い掛け、ミランダは翡翠色の双眸を姫利に向ける。最後の決断を迫られた姫利は、目を強く閉じて暫し沈黙した後、「絶対に間違ってる」と絞り出すように答えた。
「赤の他人を巻き込んでクロン君を助けようだなんて、どう考えたって間違ってるわ。こんなの、リリオン達のやってる事と何も変わらないじゃない…!」
先程と変わらない、変わりようのない意見を断末魔に、姫利は「でも」と言葉を翻す。許される訳がない。そう頭ではわかっていても、胸に湧き上がる衝動を、彼女は抑えきれなかった。
「それが…、それがあの子を救う唯一の方法なら…。私は……私も、そうするわ」
行き場を無くした正義感が姿を消し、嘘偽りない姫利の本心が頭をもたげる。
それしかない。居場所のわからない子供を引き戻すには、道を踏み外す勇気も必要なのだ。そう自分に言い聞かせ、苦しみながら、姫利はソールが握る異端の札を一枚奪い取った。
「…決心したわ。あの子を救う為なら、私は悪にでもなる。探しましょう、異端の札を扱える決闘者を。リリオン達に奪われたあの子を、取り戻すために」
姫利の声を、皆は重苦しい表情で聞いている。否を唱える声は、もはや一つも上がらなかった。
――――――
―――――
――――
廃墟の一室にしては。…と言うのが、最初に抱いた印象であった。
全体的にシックな雰囲気で飾られた広々とした空間。薄暗かった廊下と違って室内は明るく照らされており、床には白黒のカーペットが敷かれている。宛ら高級ホテルの一室のようであった。
装飾の施されたタンスや黒色のデスクと言ったインテリアが室内を彩り、壁際には冷蔵庫が置かれているのも確認できる。廃墟に電気が通っているのかと言う疑問はあったが、些細な問題と思い直しすぐに忘れた。
隣の部屋は寝室のようだった。僅かに開いた扉の隙間から天蓋付きのベッドが見え、子供用のパジャマが無造作に脱ぎ捨てられている。柄や色合いから想像するに、女の子物のようだった。
「座りながら話そう。好きに掛けてくれていいよ」
落ち着いた声で、部屋の主、教皇は話しかける。
部屋の中央には長方形のガラス製テーブルがあり、それを囲うようにコーナーソファが二組置かれている。クロンは教皇に言われるままに、彼と向かい側に腰掛けた。
小さなテーブル一つを挟んで、大人の男性と向かい合う。学校の保護者懇談を連想するが、当然、緊張感はその比では無かった。
見知らぬ場所に押し込められ、帰れるかどうかすらわからないのだ。冷静さを保とうとしても、心臓は不安と恐怖から大きな鼓動音を鳴らしている。今は柔らかな物腰を見せているものの、この教皇を名乗る人物が善人であるとも思えない。
何よりクロンを怯えさせたのは、部屋の至る所にある“置物”であった。
タンスやテーブル、ソファなど家具の上に並べられた、首の無い人形や縫いぐるみ。それらは明らかに人為的な力で頭部を切断されており、本能に訴えかける不気味さがあった。
「ああ…。そこの人形達なら気にしなくていいよ」
クロンの心を見透かしたように、教皇は笑う。
彼はテーブルに乗った首なし人形を一つ手に取ると、何気ない様子で断面を指でなぞった。
「この部屋には僕の他に
「……会いました」
躊躇しつつ、クロンは教皇の問いに正直に答える。
こう言う時――…、明らかに相手に主導権を握られている時は、下手に反発せずに相手のペースに合わせた方が賢明だ。波風を立てず様子を伺い、可能なら逆に相手を自分のペースに持っていく。それが今のクロンにできる唯一の抵抗だった。
少なくとも、クロンの大人しい態度は教皇に好感を与えたらしい。彼はにっこりと微笑みながら、人形をクロンの視界に入らないよう足元に置いた。
「ま、変な趣味だなーとは僕も思うけど、そういうのは人それぞれだしね。怖いけど襲って来る訳でもないし、適当にリラックスするのが一番じゃないかな」
「…そうします」
「ちなみに、僕の趣味はガーデニングとドレッシング作りかな。こんな場所だから、ガーデニングの方は最近ご無沙汰だけどね」
気の利いた冗談でも言ったつもりなのだろう。教皇は子供の様に手を叩いて笑っていた。
「…あ、そうだ。チョコレートでも食べる?」
かと思えば、思い出したように立ち上がり、デスクの引き出しからチョコレートの箱を持って来てクロンの目の前のテーブルに置く。
「実は最近チョコに凝っててね。いろんな種類のチョコを手に入れて食べ比べしてるんだ。で、その中で一番のお気に入りがこれ。試しに食べてご覧よ、きっと口に合うと思うよ」
得意げに笑いながら、教皇はチョコレートの箱を開ける。
どうやら中身は安心と信頼の逸品、ベルギーチョコらしい。十六個入りの箱の中には、宝石のような形と大きさのチョコレートが三つほど残っており、それぞれ包み紙にくるまれていた。
「あー…。また数が減ってる…」
がっくりと肩を落としながら、教皇は一つ指で摘まんで口に入れる。そしてクロンに勧めるように、開けたままの箱をそっと指で押し出した。
だが、クロンは決して箱に手を伸ばさなかった。…いや、伸ばせなかった。
相手のペースに合わせようとは思うものの、何が入っているとも知れない物を口に含む気にはなれない。毒や睡眠薬……チョコレートだけに麻薬の類が混入されている事もあり得る。一度疑ってしまうと、とても食べる気にはなれなかった。
「い…、いえ、遠慮しておきます。甘いもの苦手なんです」
「そう? 何処かのお姫様も食べてるような高級品なのに。…ま、仕方ないか」
残念そうに呟いて箱を閉じる教皇。だが次の瞬間には表情を緩めてにっこりと微笑んでいた。
「…さてと。じゃあ、そろそろ本題に入ろうか」
教皇の口調と声のトーンが僅かに変わり、これまで浮かべていた子供っぽい表情から落ち着いた大人の顔へと変貌する。まるでスイッチを切り替えたかの様に。
「まずは自己紹介させて貰おうかな。僕は教皇、三十六歳。君やリリオンと同じ、異端の札を扱える者だ」
「ッ――! 異端の、札…!」
思わず立ち上がり、鸚鵡返しに呟く。予想してはいたが、やはりクロンがこの場に連れて来られたのは異端の札に原因があるようだった。
「既に気が付いているだろうけど、あのカードは特定の人間が触れる事で変化する性質を持っていてね。その変化は十人十色、所持者が違えば全く異なるカードが浮かび上がる。まるで手品のようにね」
「…タロットカード、ですね」
割り込むように呟くと、教皇は「おや?」と一瞬驚いたような表情を浮かべ、直後に嬉しそうに目を細めた。
「驚いたな。デスや塔が君に教えたのかい?」
「いえ…。ただの推測と、カマを掛けただけです」
「なるほど…。いやはや、聡明だな君は。まさにその通りだ、異端の札の変化は人によって様々だが、名称にタロットカードのアルカナが含まれていると言う規則性が存在する。僕のカードが
「………」
教皇の問いにクロンは答えず、じっと彼の瞳を凝視する。彼と接触してからまだ数分しか経っていないが、クロンの鋭い感性と直感は、早くも教皇と言う人物の人間性を見抜き始めていた。
クロンを助けた際の態度と、この部屋に入ってからの言動。少なくとも悪い人間には見えなかった。リリオンのような凶暴さも感じなければ、
とは言え、クロンがここに無理やり連れて来られたのもまた事実。人の良さそうな笑顔の裏に、何が隠れているともわからない。気を許してはならない相手に変わりは無かった。
「…あの、教皇……さん。一つ質問してもいいですか?」
「ん? 構わないよ、何かな?」
「貴方は……貴方達はボクをどうするつもりなんですか? 貴方達の目的は何なんですか?」
一歩踏み込んで質問を投げ掛けると、教皇は面食らったような表情を浮かべる。だが、クロンにとっては重要な問題であった。
教皇が何を目的に自分を連れて来たのか、そんな事はどうでもいい。今はただ皆の元に……家に、帰りたかった。
その為ならば、何でも差し出そう。異端の札であろうとデッキであろうと、姫利から譲り受けた大切な決闘盤であろうと構わない。命さえ無事で帰れるのなら、他に望む物は無いのだから。
しかし、教皇はすぐには答えなかった。困ったように
と、そこへ。
「失礼します。死神と
「おじちゃん、ただいまー」
聞いた事のある二つの声が、背後から聞こえて来た。ゾッとして振り返ると、部屋の入り口に喋る黒猫デスと、首無し縫いぐるみを抱えたゴスロリ少女
クロンにとってはあまり印象の良くない一人と一匹である。咄嗟にソファの背もたれに隠れて震えてしまうが、対するデス達はクロンの姿を見ても平然としていた。
「あ、さっきの愚者の子だ…。ふーん、一人でこの部屋に辿り着けたんだ」
感情の見えない声で呟くと、塔はクロンの横を素通りし、教皇の膝の上に腰掛けた。
前髪から僅かに覗く紫色の瞳がクロンに据えられ、口元には不気味な微笑が浮かんでいる。塔はしばらくクロンを静観した後、思い付いたように一つ問い掛けた。
「ねぇ愚者ちゃん。人間の頭ってどのくらい重いか知ってる?」
「…え?」
反応にも答えにも困る、奇怪な質問であった。「愚者」と言うのが自分の事である事はわかったが、質問の意味が理解できない。
意図がわからず暫し彼女の様子を伺うが、彼女は足をパタパタさせて静かに笑うだけ。クロンがどう答えるのか、待っているようだった。
「えぇと、確か……だいたいボーリングの球と同じくらいだって聞いた事が…」
恐る恐る答えると、塔は「正解正解」と嬉しそうに手を叩く。そして続けざまに、もう一つ尋ねた。
「じゃあ、象さんの頭はどのくらい重いか知ってる?」
「えっ!? …い、いえ。そこまでは知らないです」
「ふ~ん…。私、知ってる」
そう言うと塔は、けらけらと得意げに笑いだした。
その様子も言動も、何もかもが理解できず恐ろしくて。思わず顔を背けると、今度は金色の双眸と目が合った。人語を操る黒猫が、床の上に行儀良く座ってこちらを見上げていたのだ。
「塔さんの事はお気になさらないで下さい。いつものご病気ですので」
そう言うと、デスは身軽な動きでガラス製のテーブルに上り、同じようにちょこんと座る。その堂々とした振る舞いは、子猫ながら気品が漂っていた。
「時に教皇。ここに来る途中、泥酔したリリオンさんに絡まれたのですが、また何かあったのですか?」
「ん? …ああ、ちょっとね」
デスの問いに簡単に答えながら、教皇は塔へと視線を落として彼女の頭を軽く指で叩く。反応した彼女はきょとんとした表情で振り返り、彼の顔を見上げた。
「塔、すまないけど寝室から僕の決闘盤を取って来てくれないかな。この子との話に必要なんだ」
「はーい」
素直な返事を一つして、塔は教皇の膝から降り隣の部屋に移動する。間髪置かず、入れ替わるようにデスが教皇の膝の上に乗り、綺麗に前脚を畳んで香箱を組んだ。
しばらくして、塔が決闘盤を一つ抱えて戻って来る。茨模様の装飾が施された最新型の決闘盤である。彼女はそれを教皇の前に置くと、いつの間にか場所を奪われている事に気付きデスを一睨みする。そして教皇の背後に回ると、抱き付くようにおぶさった。
どちらも彼に懐いているらしい、と何気なく考えていると、「話を戻そう」と教皇の声がクロンの耳朶を叩いた。
「君の質問には正直に答えるつもりだけど、少し長い話になる。僕達が何処からやって来て、何を目的としているのか、全てを一口に語る事は不可能だ。君自身の心の整理にも時間がかかるだろう」
決闘盤からデッキを取り外し、扇状に広げながら教皇は問う。その後ろでは塔が彼の後ろ髪を口に含んで甘噛みしているが、それを気にかける様子は無かった。
「ところで、君は信心深い方だったかな?」
広げたカードの中から一枚を抜き取りながら、教皇は尋ねる。話を戻した直後の唐突な問いにクロンは面食らうが、少し間を置いて「さあ」と曖昧な答えを返した。
「あまり考えた事は無いですけど……多分、そんなに真剣な方じゃ無いと思います。聖書も読んだ事はありませんし」
「なるほど…。これから君に話す事は、俄には信じられない事かも知れない。しかし、誓って偽りは言わない。全てが真実だと思って聞いて欲しい」
そう前置きする教皇の声のトーンが更に真面目なものへ変わり、言葉の一つ一つに重みが加わる。子供っぽく見えた表情も、今は大人の貫禄に満ち溢れていた。
威圧感にも似た雰囲気に呑まれ、クロンは唾を飲み込んで一つ頷く。ここ数日のうちに何度も現実的ではない出来事を見てきたのだ、今更何を言われようと驚くつもりはなかった。
クロンの強い眼差しを受け、教皇はにこりと笑みを浮かべる。彼は小さく息を吸い込むと、ゆっくりとした口調で語り始めた。
「並行世界。――という言葉を聞いた事はあるかな?」
真直ぐにクロンを見つめながら、教皇は問う。予期せぬ質問に呆気に取られるクロンだが、教皇は構わず言葉を続けた。
「今居る世界とは別に存在する、全く異なる空間。それが並行世界と呼ばれるものだ。異世界と言う呼び方もあるし、異なる世界線と呼ぶ者もいる。次元という言葉を使うのもいいだろう」
「…聞いた事はありますけど……フィクションの話でしょう?」
「作り話だと思うかい? だが人類の歴史上、それまで知られていなかった外側の世界が新たに発見される事は度々あった。人は海を渡る事で他国を知り、地球の外に目を向ける事で宇宙を知った訳だからね。外だけじゃない、人類は深海に生物がいる事さえ長い間知らなかったのだから、まだまだ未知の世界があっても何ら不思議じゃないだろう? …もっともそれらを並行世界と呼びはしないけどね」
わかるような、わからないような。…と言うのが率直な感想だった。
仮に並行世界なるものの存在を信じた所で、それが何だと言うのか。クロンが首を傾げていると、更に踏み込んだ教皇の言葉が、クロンの心を揺らした。
「結論から入ろう。僕達は、その並行した世界からやって来た。そして僕達が今居る
「っ――! 隣の、世界…!?」
「その通り。並行世界とは言わば平行する線のようなものだ。線はいくつも存在してそれぞれ色も太さも異なるけれど、決して交差する事は無い。ましてや異なる世界に住む者が顔を合わせるなんて有り得ない事だ。線が歪みでもしない限り」
しかし――。と教皇は続け、手にした一枚のカードを指で挟んで提示する。
《
それがクロンの《銀愚者》やリリオンの《ストレングス》と同じ異端の札である事は確認するまでも無い。教皇は更に続けた。
「決して交わる事のない平行線に、干渉できる力も存在する。空間と空間を繋ぐ超常的な力だ。それが、僕達が異端の札と呼ぶカードだ」
教皇の緑色の瞳が異端の札を映し、次いで彼の後ろから伸びてきた塔の小さな手を映しこむ。塔の手が異端の札に触れると《
超常的、という言葉を教皇は使った。触れた者によって変化する異端の札の性質は、なるほど、超常的と呼ぶに値する代物ではある。
だが、突然そんな事を事実として信じろと言われても無理と言うものだ。白昼夢のように実感のない言葉に、クロンは困惑を隠せなかった。
「ここが、並行世界…? 並行世界から来た…? は、はは……そんな事、いくらなんでも…」
「一口に並行世界と言っても、その環境は様々だ。人類に代わって猫が文明を築いている世界もあれば、恐竜が支配している世界もある。海と陸地の割合が逆転して、海の中に国家が築かれた世界もあった。ここにいるデスも、そんな並行世界の出身だ。ここに居る者は、それぞれ違う世界から来た集まりなんだ」
異端の札と決闘盤をテーブルに置き、畳み掛けるように教皇は続ける。彼はあくまでクロンが信じる前提で話をしているようだった。
疑問を上げればキリがないが、今はとにかく話を聞くしかない。クロンは喉元まで出掛かった懐疑の言葉を呑み込んで次の言葉を待った。
「ここからが本題だ。並行世界は本来なら互いの存在さえ認識する事は無い……と僕は言ったが、さて、そうなると一つ矛盾が生じるね」
「……教皇さんは、どうして並行世界の存在を知っているのか。…ですね」
「その通り。結論から言うと、異端の札を持つ僕達だけは並行世界の存在を知っている。数ある並行世界を自由に行き来する事もできるし、その世界に住む人間と接触する事も可能だ。…そして、並行世界の存在を知る僕達だからこそ。全ての世界に迫る危機について早い段階から知る事ができた」
そこまで言うと、教皇は一度言葉を切ってクロンの顔を見つめる。
話が終わった訳では無い。クロンが自分に問い掛けて来るのを待っているようだった。
「……全ての並行世界に迫る、危機…?」
恐る恐る尋ねると、教皇は微笑を浮かべて「その通り」と答えた。
「僕が元居た世界を襲い、塔やデスが居た世界を覆った災厄のようなものだ。いずれ君
の世界にも降りかかる。僕達はその災厄から逃れる為に、そして災厄から他の世界を守
る為に活動している。異端の札は、その災厄に対抗する為の力だ」
そう言うと教皇は再度言葉を切り、壁に掛けられた赤いカーテンに視線を送る。
「…ところで。君はここに来る途中、窓が全て木の板で塞がれている事に気付いたかな?」
「え? …え、えぇ。見ましたけど」
「あの窓は意図的に塞いでいるんだ。仲間の中には、外の光景を見たくないと言う者もいてね。彼らの忌々しい記憶を呼び起こさないよう、ああして隠しているのさ」
話が見えない、と言うのが素直な感想だった。
並行世界の話になり、異端の札の話になったかと思えば、また話が逸れたのだ。クロンが首を傾げるのも無理はない。教皇はそんな彼の反応に微笑しながら、赤いカーテンに隠れたこの部屋の窓に視線を移した。
「この部屋の窓は、塞がれていない。君の目で見てみるといい、外の光景を。僕達が異端の札を集めている理由……君がここに呼ばれた理由が、わかる筈だ」
そう告げると、教皇は会話を中断してデスの顎を指で撫で始めた。話の続きは外の光景を見てからだと、暗に言っているようだった。
少し迷った後、クロンはソファから立ち上がって窓の前までゆっくり歩く。教皇の語り口から垣間見える不穏な空気に、言い知れぬ不安を感じながら。
「………」
無言のまま、カーテンを両手で掴み左右に開く。そこから見える外の景色は――…凡そこの世のものとは思えなかった。
絵の具で塗り潰したかのようなオレンジ色の空に、僅かな凹凸もない平らな地面。見渡す限り建物のようなものは一切なく、人の姿もまるで無い。石ころ一つ転がっていない不毛の大地が、地平線の向こうまで延々と続いていた。
それだけでも奇妙な光景であったが、更にクロンを驚かせたのが空中に舞う小さな物体だった。長さ3cm程の黒い鳥の羽根が、風も無いのに塵芥の如く舞っている。それらはクロンの居る廃墟周辺を除いたあらゆる場所に飛び交っており、異様な模様を景色に添えていた。
しかも。空に見えるのは羽根だけで、曇一つ無ければ太陽や月も見えない。星も無ければ街灯のようなものも無い。それでいて、外は少しも暗くは無いのだ。明かりとなるものが何一つ無いにも関わらず、だ。
「っ――…!」
とても現実のものとは思えない、並行世界という言葉をもってしても形容できない光景を前に、クロンはただただ絶句する。目の前に広がる光景が何を意味しているのかも、理解できなかった。
「よく見ておくといい。それが、
いつの間にかクロンの背後に立っていた教皇が、同じように外の景色を眺めながら呟く。彼の右腕に抱かれたデス、彼におぶさったままの塔も外を眺めているが、その表情は決して穏やかでは無かった。
「世界の、終わり…?」
「そうだ。
言いながら、教皇は手に持っていたチョコレートの箱を窓から外に放り捨てた。
投げ出された箱の蓋が開き、まだ残っていたチョコレートが空中にバラ撒かれる。それらは放物線を描きながら宙を舞い、やがて空を覆う黒い羽根に接触した。
その瞬間。箱が黒い羽根に触れた瞬間、それは黒い粒子となって分解され、空気に溶けるように消滅する。箱から飛び散ったチョコレートもまた、別の羽根に触れて同じように消滅した。まるで一瞬で蒸発したかのように。
「なっ…!」
「見ての通りだ。あの羽根に触れたものは、何であろうと消滅してしまう。人間も動物も、石ころや植物も、家や田畑、太陽でさえも。後に残るのは死の世界だけ……君が今見ているものは、かつて世界だったものの残骸なんだ」
教皇の言葉は聞こえはしたものの、頭の中には入って来なかった。ただただ目の前の光景が信じられず、理解できず、呆然と立ち尽くす事しかできなかった。
これは果たして現実なのか、それとも夢か幻か。決闘盤の立体映像などでは無い事は確かだが……それにしてもわからない。
「さっき僕が言った災厄と言うのも、この黒い羽根に関わる事だ」
突然肩に置かれた教皇の手が、呆けていたクロンの意識を呼び覚ます。彼は窓のカーテンを閉めると、そのまま先程座っていた場所へと戻って行った。
「かつて並行世界は無数に存在した。正確に数えた事は無いけれど、三百種類の世界は……あったと思う。けれど今は、殆どの並行世界が死滅してしまっている。今も残っているのは君の世界を含めてもほんの僅かだ」
「世界が………死滅…?」
「そう、
「まっ…、待って下さい! そんな事、急に言われても! ボクには何がなんだか…!」
耳を手で塞ぎながら、クロンは叫んだ。
並行世界。全てを消し去る黒い羽根。世界の破滅。少年が想像するにはあまりに規模が大きい言葉が飛び交い、彼は錯乱する。脳裏に焼き付いた窓の外の光景が、更に彼の冷静さを奪っていった。
そんな彼の動揺を知ってか知らずか、教皇は暫く沈黙する。やがて彼が再び口を開く頃には、クロンは僅かに落ち着きを取り戻していた。
「…事の始まりは、今から二十年前。僕がまだ十六歳だった時の事だ。当時の僕は、異端の札や並行世界の事なんて何も知らない、ただの学生だった。君と同じように学校に通って、勉強の合間に友達と遊んで……好きな女の子を気にするような、他愛ない日々を過ごしていた」
寂しげな表情を浮かべながら、教皇は語りを再開する。その双眸はクロンに向けられているが、彼の見つめる先は、ここでは無い
「ある日の事だ。突然目の前の空間に亀裂が入ったかと思うと、そこからいくつもの小さな黒い羽根が出て来た。その羽根に触れた友人達が、僕の目の前で消滅した。彼らだけじゃない、周りの建物や人間……全てが羽根に触れて消えていった。本当に、あっと言う間の出来事だった」
「さっきの、黒い羽根…」
「そう、あれと同じものだ。羽根は僕の体にも接触した……が、どう言う訳か僕は消滅しなかった。周りの人や物が羽根に呑まれて消えていくと言うのに、僕だけが何事も無く生き残ったんだ」
いつしかクロンも先程の場所に座り、再び教皇の話に耳を傾けていた。彼の話を聞く、それだけが現状を理解する唯一の方法だった。
「最終的に、僕の元居た世界は外と同じようになって死に絶えた。奇跡的に生き残ってしまった僕は、友人も家族も、何もかも消えて無くなった世界にただ一人取り残された。…とても孤独な生還だった」
今まで以上に感情がこもった教皇の口振りに、彼の弱さが感じられた。彼の背中におぶさった塔も、彼を気遣ってか慰めるように頭を撫でている。…教皇は続けた。
「だが、生き残りは僕の他にも居た。仲間の一人で、今は『審判』と名乗っている男だ。生き延びた僕と彼は協力し、どうして世界が滅んだのか、滅びた世界を再生する方法は無いのかを知る為に活動を始めた」
「審判…?」
何処かで聞いたようなと少し考え、それがリリオンに見つかる直前、教皇と会話していた人物の事だと思い出す。他にも「正義」「女教皇」と呼ばれた人物の声も、クロンは聞いていた。
「やがて僕と審判は並行世界の存在に気付き、それらの世界も同じように滅びを迎えている事実を知った。当時の僕らにそれを止める力は無かったが、時折僕らのように生き残った人間を見つけ、仲間にする事ができた。同じ運命を背負った者達は一つに纏まり、並行世界を渡り歩き……世界の破滅を見続けるうち、一つ結論に辿り着いた。――このままでは、全ての並行世界が死滅してしまう……と」
「ち、ちょっと待って下さい! 仮に今までの話を信じるとして――! そもそも、どうして世界が突然滅亡なんてしたんです!? お話を聞く限り、何の前触れも無くいきなり世界が滅びたように聞こえますけど、そんな事があり得るんですか!?」
急ぎすぎる話にクロンが横槍を入れると、少しの沈黙の後、教皇は「いい質問だ」と簡単に答えた。
「世界が突然滅び始めた理由については、未だにはっきりした答えは得ていない。けれど……そうだな、恐らくこうだと思える仮説がある。推測と哲学的な解釈がかなり含まれるけど、まず間違いはないだろう」
「仮説…?」
「そもそも、どうして世界は一つでは無く、いくつも存在していたのだろう? 無数の並行世界があると言う事は、その全てに
教皇の声に熱意を感じながらも、クロンの理解は遅かった。彼が何を言いたいのか、方向が見えなかったと言ってもいい。
ただ、どうやら宇宙が誕生した理由について考察しているらしい……とおぼろげに理解し、「明確な意思を持ったもの」という言葉から、教皇がある一つの単語を自分から引き出そうとしているのだと気付いた。
「ひょっとして……“神様”がこの世界を創った…、と言いたいんですか?」
自信無く尋ねると、教皇は待っていたかのように微笑を浮かべ、力強く頷いた。
「もちろん、根拠がある訳じゃない。さっきも言ったように、これは全て推測に基づいた仮説、僕の妄想だ。しかし…、現実に幾百もの並行世界が存在していた以上、神なるものの存在を考えざるを得ない。そして創造主の存在を仮定すれば、世界の破滅という現象に一つの答えを導き出す事ができる」
根拠は無いと言いながらも、教皇の表情は確信に満ちているように見える。クロンは否定も肯定もせず、静かに教皇の話を聞いていた。
「僕の結論を言おう。全ての並行世界は、恐らく神によって創られたものだ。そして今この世界が滅びを迎えているのは、創造主たる神が何らかの理由で死んでしまったからじゃ無いだろうか……と僕は見ている」
「…神様が、死んだ?」
言葉の意味を理解するより先に、鸚鵡返しに応えていた。教皇は真直ぐな瞳でクロンを見つめながら、「そうだ」と小さく頷く。
「耕す人が居なくなれば、田畑はやがて枯れ果てる。どんなに綺麗な建物も、住む者が居なくなれば廃虚となって朽ちる。水槽の中の魚は、餌を与える者が無ければ死んでしまう。…それと同じ理屈だ。世界が滅び始めたのは、世界を管理する者が居なくなったからじゃないか。創造主たる神が死んでしまったから、残された世界は壊れてしまったんじゃないか、とね」
真面目な表情で言い切った後、教皇は僅かに口元を緩ませて、「もちろん」と小さく吐息する。
「何もかも僕の想像だ、恐らく真実には掠りもしていないだろう。…だが原因が何であれ、実際に幾多の世界が次々に滅亡している以上、誰かがそれを止めなければならない。全ての世界が滅び、何もかもが消えてしまう前に」
「………」
もはや返す言葉も思い浮かばなかった。まるで全てが白昼夢か絵空事のようで、足が地についていないかのようだった。心の整理に時間がかかると言った教皇の予言が、見事に的中した形ではある。
この話が果たして事実なのか、それともただの妄言なのか。クロンには判断する術は無い。ただ、この非現実な話を事実として認めなければ、先程見た現実に説明がつかないのも事実だ。クロンは少し考えた後、「でも、どうやって?」と正直な疑問を教皇にぶつけた。
「今の話が本当だとして、どうやって世界の滅亡を止めるって言うんです? 並行世界とか神様とか……そんなの、個人でどうこうできる問題とは思えないですけど」
「確かに、それは並大抵の事じゃない。しかし、今の僕達には力がある」
教皇はクロンの質問を待っていたかのように、テーブルに置いた異端の札を再度手に取る。表情に笑みを浮かべたまま。
「この異端の札は、並行世界を渡り歩くうちに偶発的に開発したものだ。その力の一端はさっき説明した通りだが……このカードには、僕達にすら解析できない未知の力を秘めている。人智を超えた、それこそ神にも匹敵する力をね」
教皇がそう告げた刹那、ぞわりと鳥肌が立つような感覚をクロンは覚えた。
口元を緩めたままの教皇の背後、今もなお彼の髪を甘噛みしている塔の更に後ろに、黒い粒子が見える。闇よりも深く冷たいそれは教皇のすぐ傍に集結し、やがて一つのシルエットを作る。真黒なローブで身を包んだ、木製の人形だった。
大きさはクロンと同じくらいだろうか。のっぺらぼうな顔には鼻と思われる細く長い突起だけが確認できる。背中には子供のものと思われる人骨を背負っており、異質な雰囲気を出している。
その外見は教皇が持っている《傀儡教皇》と全く同じで、まるでカードから抜け出したかのように教皇の傍に浮遊していた。
「なッ――!?」
突然の事に、クロンは言葉を失ってしまう。
決闘盤が普及した現在、カードの立体化自体は珍しい事では無い。だが、教皇の決闘盤はテーブルの上に置かれたまま起動すらしておらず、そもそもカードがセットされてもいない。つまり目の前にある《傀儡教皇》は、決闘盤という媒体も無しに出現した事になる。
こんな事があり得るのか。信じられないと言った面持ちで、クロンは教皇と《傀儡教皇》の姿を見比べる。その反応が教皇には可笑しかったらしく、教皇はにこりと笑みを浮かべた。
「これも異端の札の力の一つだ。異端の札の所有者は、自身に発現したカードを自在に実体化する事ができる。実体化したカードを、自分の意思で動かす事も可能だ」
「実体化…!? 立体映像じゃないんですか、それは…!?」
「言葉の通りだ。信じられないなら、証明してみせようか」
教皇がそう言うと、彼の背後に浮遊する《傀儡教皇》がゆっくりとクロンに近付き、握手を求めるような仕草で右手を差し出す。本当に実体化しているかどうか、確かめてみろと言わんばかりに。
本来であれば――…これが決闘盤による立体映像であれば、この《傀儡教皇》に触れる事など不可能だ。如何に迫力ある
しかし、クロンが恐る恐る《傀儡教皇》の手に触れると、冷たい感触があった。つるつるした木の感触が、実感として伝わって来たのだ。
「ッ…!」
「さっきリリオンを縛ったのも、この実体化した傀儡教皇の力だ。決闘盤は科学の力でカードを立体映像化するけど、異端の札は……そうだな、魔術や妖術のような力でカードを実体化させていると言う所かな」
教皇の言葉は殆ど耳には入らず、クロンは目の前の状況に絶句していた。
この部屋に来る前、クロンは《サーチライトメン》の光で廃墟内を探索していたが、あれはあくまで立体映像の応用に過ぎず、カードが実体化していた訳では無い。
だが、今触れている《傀儡教皇》は、確かに実体が存在する。手の部分を触れれば木の感触があり、ローブに触れれば上質の繊維の感触がある。背負っている人骨は――、流石に触りたくはないが、
「この異端の札こそ、僕達の切り札だ」
教皇の一言が、乱れかけた思考に割って入る。持っていた異端の札をテーブルに戻し、僅かな休息の後に彼は続けた。
「黒い羽根は触れた物を全て消滅させるが、例外もある。異端の札は羽根に触れても消滅する事は無いんだ。異端の札を扱える僕達も、羽根に消される事は無い。僕達がいるこの建物も、異端の札の力によって守られている」
言われてみれば、とクロンは夢から覚めたように落ち着きを取り戻し、今居る部屋を見渡した。
全てが無に還ると言うのなら、この建物もまた消滅している筈だ。だが先程見た限り、あの羽根はこの建物の周囲には一つも寄って来てはいなかった。クロンがその事実に気付くと同時、「その通りだ」と自信を含んだ教皇の声が続いた。
「異端の札は、世界の破滅に対抗し得る唯一の力だ。この力を使えば、まだ滅びていない世界を破滅の運命から守る事ができる。君が居た世界も、滅びずに済むだろう」
唯一の力。唯一の希望。唯一の手段。教皇の声に含まれた熱意が言葉に複数の意味を感じさせ、クロンの胸に擦り寄る。半ば強引に思想を押し付けた教皇は、「だが――、数が足りない」と右の拳を握りしめた。
「異端の札の力も無限じゃない。世界一つを救うには、僕の傀儡教皇だけではあまりに力不足だ。塔やデス、他の仲間の異端の札を加えても、まだ足りない。もっと異端の札が必要なんだ。世界を救うには、もっと力が要る…」
いつしか教皇の顔から笑みが消え、真面目な表情でクロンを見つめていた。
だからか。異端の札を至る所にばら撒いて、《銀愚者》を発現した自分をここに連れてきたのは、その為か。初めて教皇と言う人間の根っこが見えた気がして、感嘆の声が無意識に漏れた。
タロットに準えて変化すると言うのなら、異端の札には二十二種類の変化が存在するのだろう。それら全てを集める事。その力で、世界の滅びを防ぐ事。それが彼らの……これまで悪意ある敵と見ていた者達の目的だったのだ。
「でも…、どうしてボクが異端の札を使えるとわかったんです?」
僅かな沈黙の後、クロンは尋ねる。教皇の話を信じるならば、自分に危害を加える気は無いと言った言葉は本当なのだろう。そうなると、次にクロンが疑問に思ったのはそこだった。
確かにクロンは異端の札、《銀愚者》のカードを使う事ができる。しかし、どうしてその事が教皇達にはわかったのか。リリオン襲撃の際はその事を隠し通したし、あの後《銀愚者》のカードは警察に預けた筈だ。
にも関わらず、教皇は自分の存在を特定し、こうしてここに連れて来ている。それがどうにも気掛かりだった。
「…特に深い理由があった訳じゃない。僕の直感、と言っておこうか」
あっさりと答えた教皇は、微笑を浮かべて首を傾かせる。
「以前リリオンが君の周りに現れた時、僕はその一部始終を見ていた。その時、君に目を付けたんだ。長い間、異端の札を扱える仲間を探していたからかな、素質のありそうな人は何となくわかるんだ」
「何となく…? 何となく、ですか?」
「正確には、君かポニーテールの女の子のどちらかと踏んでいた、かな。こう見えても勘はいい方でね」
ポニーテールの女の子。ソールの事かと内心考え、クロンは呆気にとられた表情で教皇の顔を見つめた。
どんな複雑な理由があるのかと思いきや、ただの直感と言われてしまえば、もはや文句を言う気にもならない。「目を付けた後は、簡単だったよ」と楽しげに続ける教皇の声も、耳に入らなかった。
「顔がわかっているのなら、子供の居所を特定するのは特別難しい事じゃない。リリオンが襲ったカードショップ周辺の学校に部下を向かわせて、登下校する学生を一人一人確認させればいい。…ま、虱潰しだったから数日も掛かっちゃったけどね」
子供っぽく笑った教皇は、後ろに居る塔の頭を撫でる。言われてみれば、彼女の姿を初めて見たのは小学校の校門だった。
あれは教皇の言う通り、下校する生徒達の中に
「ともあれ、これで新たな異端の札の所持者が見つかった訳だ。これで僕達が手に入れた異端の札は十六枚。――つまり、残るは六枚だ」
「っ…! 十六枚…!?」
「その通り。僕の傀儡教皇を始めとして、『
すらすらと並べられた名前が、全て異端の札のカード名なのだという事はすぐにわかった。《銀愚者》と《ストレングス》しか知らなかったクロンにとって、その数は圧巻の一言であったと言える。
足りないカードは、残り六枚。これまでの教皇の話を考えれば、彼らがどれだけ苦心して異端の札を収集していたのかよくわかった。
「そう、もうすぐなんだ。あと少しで、異端の札は全て揃う。そうすれば、まだ滅びていない世界だけでも救う事ができる筈だ。残された世界は君の世界を含めて二つか三つ……これもいつ滅びるかわからないが、きっと間に合う。いや、間に合わせて見せる」
これまで以上に熱を帯びた教皇の声が、クロンの胸を打つ。教皇はデスが膝に座っているにのも構わず立ち上がり、すっと右手をクロンに差し出した。
「君を無理やり連れて来た事は悪かったと思ってる。けど、こうでもしなければ君は僕の話を信じはしなかっただろう。…破滅の運命を止めるため、僕に力を貸してくれないか。共に戦おう、君が帰るべき世界を守る為に」
そう言って、教皇はさながら聖人の様に無垢な笑みを浮かべる。
気付けば手を差し伸べているのは教皇だけでは無く、塔やデスも、彼と同じように手をクロンへと伸ばしていた。
――鼻の長い《傀儡教皇》は、静かにその光景を見つめている。
『後書き』
既にお気づきかも知れませんが、クロンの呼応は現在シリアス路線でお送りしております。
日常物として続けても良かったんですけれど、やっぱり遊戯王作品である以上は敵キャラとか壮大な世界観とかが欲しいなーと思い、vsフロム辺りからこちらの路線に決定。これが結構楽しいのだ。
あ、そうだ(唐突)
今回の教皇の台詞の中に、少なくとも一つ不自然な日本語があった事にお気付きになられたでしょうか。
あの台詞、誤字でもミスでもなく、ちょっとした伏線だったりします。回収する前からバラすのも変ですけど、違和感のある部分だったと思うのでこの場で報告させて頂きます。
あ、そうだ(唐突)
ついでに言うと、教皇が使うデッキのヒントも今回の話にいくつか散らばってたりします。探して予想してみるのも一興かも知れません。彼のデュエルはちょっと先になりますけれど。
少し間が空いてしまいましたが、今回も読んで下さりありがとうございます。今後もご愛読いただければ幸いです。