クロンの呼応   作:恐竜紳士

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第二十八話:嫌がらせのような雨が降る

 街中で出会った人間に声を掛け、何も描かれていない真白なカードに触れさせる。そんな作業を、ひたすら繰り返した。

 傍目には奇妙な行為に映ったかも知れない。だがそれがソール達に残された、攫われたクロンを取り戻す唯一最後の手段だった。

 異端の札。科学では到底解明できない、怪奇的なカード。この異端の札が特定の人間と接触した場合にのみ変化すると言うのなら、その“特定の人間”を見つけ出し、それを囮に敵を誘き出すしかない。

 それが人の道に外れる行為である事は承知しているが、他に彼を救う手立てが無い以上、今は手段を選んではいられなかった。

「どうだ、見つかったか!?」

 行動を始めてから二時間後。一度カードショップに戻ったソール達小学生組は、同じタイミングで戻って来た姫利ら高校生組に声を掛ける。

 異端の札が手元に二枚ある事を活かして二手に分かれ捜索したのであるが、双方共に成果は得られなかったらしい。姫利は首を横に振って、真白なままの異端の札をソールに見せた。

「うちの学校の生徒や先生に片っ端からあたってみたけど、さっぱり。そっちは?」

「似たようなもんだ。念の為その辺の野良猫にも試してみたが、全く反応がありゃしねぇ。…くそ!」

 苛立ちを隠さず、ソールは左腕に装着した決闘盤を壁に叩き付ける。

 今こうしている間にも、クロンがどのような目に遭っているかわかったものではない。生きているのか死んでいるのかさえ定かでは無く、焦燥感が彼女を苛立たせていた。

「……そろそろ、タイムリミットね」

 スマートフォンで時刻を確認しながら、ミランダがポツリと呟く。彼女の不穏な言葉を受け、この場にいる全員が彼女に視線を向けた。

「もうすぐ午後六時半。そろそろクロンの家族が心配し始める頃よ。いきなり警察に相談する事は無いだろうけど、知り合いや友達の家には連絡をする筈。そうなれば遅かれ早かれ…」

 クロンが失踪した事は家族の知るところとなり、警察の介入は避けられなくなる。クリフの手前口には出さなかったものの、ミランダの表情はそう語っていた。

 無論、クロンが連れ去らわれたのが事実である以上、警察が関わって来るは当然の事ではある。しかし、超常的な力を持つ異質な存在を相手に何ができると言うのだろう。文字通り消えたクロンを、どのように見つけ出せると言うのだろう。

 恐らく、何もできはしない。例え事の全てを警察に説明したとしても、彼らがそれを信じる事はあるまい。結局クロンが失踪したという事実だけが露見し、家族や知人を悲しませるだけの事だ。

「…その事なら、問題はねぇ」

 ミランダの言葉に皆が俯いている中、ソールがポツリと声を漏らす。

 彼女はズボンのポケットから、クロンが残した携帯電話を取り出すと、液晶を開いてこの場に居る全員に提示した。

「さっき、あいつのふり(・・)をして家族にメールを送っておいた。今日は友達の家に泊まるから、帰るのは明日になる……ってな。これで少なくとも明日までは、あいつの家族が騒ぐ事はねぇ筈だ」

「へぇ…?」

 驚いたような、感心したような表情でミランダが見返す。ソールはこの場の誰にも視線を合わさないまま、言葉を続けた。

「つまり、明日までに連中からクロンの奴を取り返せば、あいつは何事も無かったように日常に戻れるって訳だ。明日は休日、探す時間はたっぷりある。連中を釣る餌を探す時間はな」

「成程ね…」

 凛とした表情でミランダが応じた時。ポツリ、と空から一滴の滴がソールの首筋に降り注いだ。

 ――雨。気付けば空は黒い雲に覆われ、ぽつぽつと雨が降り始めている。まだ小雨程度ではあるものの、間の悪い天候の変化だった。

「……悔しいけど、今日はここまでのようね」

 失意の表情で雨を受けながら、姫利が呟く。降り注ぐ雨は早くも強まり、これが通り雨で無い事を示していた。

「今日の所は捜索を打ち切りましょう。予報じゃ明日は晴れらしいから、明日の朝に改めて捜索を開始すればいいわ。でないと、今度は貴方達の家族が心配するわよ」

 暗い声のトーンで提案する姫利に、答える者は無い。誰もが皆気落ちした表情で、悪天候の空を見上げていた。

「…じゃあ俺、店から傘取って来るよ。姉ちゃん達、傘持ってないみたいだから」

 落ち込んだ空気に耐え兼ねた亮助が、帽子の鍔で顔を隠しながら(自宅)の中へ入る。目の前でクロンの拉致を許した事を気にしているのか、その声は微かに震えているように聞こえた。

 雨の音が強まっていく。姫利達はそれきり口を閉ざし、ただ時が過ぎるのを許していた。

「……俺様は、もう少しこの辺りを探してみる」

 亮助が戻り、彼から傘を受け取りながらソールは言う。姫利達は心持ち驚いた様子で、決意の表情を浮かべる彼女の方を見た。

「あいつと約束したんだ。今度あの連中が襲ってきたら、俺様が返り討ちにしてやるって。…まだ、果たせてねぇからさ」

 傘を開き、表情を隠しながら、ソールは「じゃあな」と姫利達から離れていく。後ろから彼女達の制止する声が聞こえた気がしたが、今は気にする余裕も無かった。

 

 

――――――

 

―――――

 

――――

 

 今にも床が崩れ落ちそうな廃墟の中を、大小二つの影が歩いていた。

 先頭を歩くのは、生後一年にも満たないであろう黒い仔猫。デスと名付けられたその猫は、床に落ちた瓦礫を器用に避けて進みながら、少し離れた後方でトボトボと歩いている黒髪の少年に振り返った。

「どうされました。着いて来ないのですか?」

 流暢な人間の言葉で喋りながら、デスはその場で立ち止まる。声を掛けられた少年――クロンはこちらもピタリと立ち止まると、怯えを含んだ眼差しでデスを睨んだ。

「…着いて来るも何も、結局ボクを家に帰してくれないんでしょう?」

 落ち込んでいるような低いトーンで、クロンは尋ねる。デスは少し沈黙した後、質問に答えないまま再び前を向いて歩を進めた。

 ――この世には複数の世界が存在し、その一つ一つが滅びの道を歩んでいる。数分前、教皇と名乗った男はクロンにそう告げた。それが真実か否かは今でも半信半疑であるが、少なくともクロンに危害を加えるつもりは無いようだった。

 だが、教皇がクロンに見せた誠意はそこまでで、彼の心からの願い――仲間の元へ帰りたい――と言う思いは、頑なに聞こうとはしなかった。

《今はまだ、帰せない》

《君にはもう少し、この場所で知るべき事がある》

《今日はここで泊まるといい。デスの部屋が()いている》

 有無を言わせぬ穏やかな口調で、教皇はクロンにそう語った。

 主導権を握っているのがあちらである以上、クロンにそれを拒む術は無い。出来る事と言えばこうしてデスの後ろを歩きながら、諦めの息を吐く事で抗議の意思を示すくらいのものだ。

「…教皇がお考えになる事は、僕にもよくわかりません」

 顔を前に向けたまま、独り言のようにデスは告げる。クロンは力無く顔を上げて、瓦礫の中を進む彼の姿を見た。

「僕達の目的は滅びの運命から世界を守る事、その為に必要なのは異端の札のみ。貴方には僕達と違って帰るべき場所があるのですから、異端の札だけ回収して、さっさと家に帰して差し上げれば良いのです。なのに何故、わざわざこの場所に留め置こうとするのか…」

 抑揚の無い声のトーンで呟きながら、デスは小首を傾げる。それはクロンに話し掛けていると同時に彼自身が抱いた疑問なのだと、クロンは感じ取った。

「…ですが、教皇は善人です。どのような考えがあるにせよ、貴方のような子供を(むご)く扱う事はしない方です。貴方にも言い分はあるでしょうが、今は教皇に合わせておくのが最善なのだと思いますよ」

 ちらりと一度クロンの方を見ながら、デスは語り掛ける。クロンはその言葉を肯定も否定もせず、代わりに一つの質問を投げ返した。

「ソールちゃん達は……ボクの友達は、どうしたんですか?」

「…あの場に居た三人の事ですか? それならご安心を、彼らには一切危害を加えておりません。その必要も無かったですし、意味の無い殺生は教皇の望むところではありませんので。…もっとも、貴方が攫われた事で大騒ぎにはなっているでしょうけどね」

 興味なさげに答えたデスは、ある部屋の前でピタリと脚を止める。ネームプレートに『死神』の名と肉球マークが描かれた部屋だった。

 ここがこの猫の個室なのだろうか……とネームプレートを見上げて考えていると、視界の端に異質な光景を捉え、クロンは肩を竦ませる。

 デスの足元。彼の小さな影から、黒い粒子が噴出しているのが見える。それらはデスの右側面に集束すると粘土の様に形を変え、やがて人の腕の形となって部屋のドアノブを握り締めた。さながら猫の体から人間の腕が生えたような奇妙な光景だった。

「なっ…!」

「おっと失礼。これは僕の異端の札、グリムリーパー・リゼンブルズ・キャットを実体化したものです。何しろ猫ですので、人間用の扉を開けるのは大変なんですよ」

 クロンの動揺を悟ったデスが、変わらぬ声のトーンで告げる。黒い腕は人間と同じ動作で扉を開くと、そのまま部屋の中に入って行って明かりを付けた。人工的な光が廊下の外に漏れ、デスの姿がこれまで以上にはっきり見えるようになる。

「さ、どうぞお入りください」

 光に映える黒い尻尾を揺らしながら、デスは部屋の中に入る。

 死神(デス)の誘い。そんな言葉がふと脳裏を過りクロンの足を僅かに押し留めたが、今は前に進むしかない。彼は警戒の色を強めながらも、デスに続いて部屋に入って行った。

 部屋の中は猫一匹が住むには十分すぎる程広く、ベッドやテーブルなど人間用の家具が一通り取り揃えられていた。内装は教皇の部屋と比べれば地味なものであったが、代わりに蓄音機やCDレコーダー、カラオケセットと言った娯楽品が多く置かれており、レコードやCDケースを詰め込んだ棚も確認できる。猫の部屋と言うにはあまりに人間的趣向がある印象だった。

 そして。この部屋の主デスは、部屋の隅に無造作に置かれたロボット掃除機(ルンバ)の上で香箱を組んで寛ぎながら、じっとクロンの方を見詰めていた。

「ようこそ僕の部屋へ。何も無い所ですが、どうぞお寛ぎ下さい。そこのベッドは自由に使って頂いて構いませんよ、僕はここで寝た方が落ち着きますので」

 そう言うとデスは、くぁぁ……と大きく口を開けて欠伸をする。クロンは警戒した表情で彼の姿を見つめたまま、猫の毛一つ付いていないベッドに腰掛けた。

 部屋は電灯によって明るく照らされており、とても廃墟の一室であるとは思えない。静かで清潔感のある内装はむしろホテルに近く、居心地は悪くなさそうであった。

「そう言えば、自己紹介がまだでしたね。僕はデス、死神の異端の札(カード)を持つ者です。貴方は?」

「…クロン=ナイト。貴方達の言い方を借りれば、愚者の異端の札の持ち主です」

 やけに落ち着いた声と、警戒心を露わにした声が互いの名を交換し合う。それで場の空気が和む訳では無いが、名乗り合った事で両者の距離は僅かに縮まった……ように思えた。

「クロンさんですか。性別は見たところ雄のようですが、歳はいくつくらいです?」

「…九歳です」

「では、(タワー)さんより一つ上ですね。それにしては落ち着いてらっしゃる。今の貴方の立場を思えば、泣き喚いてもおかしくありませんのに」

 悪意は無いのであろうその言葉に、クロンはむっとして口を尖らせる。

「別に好きで落ち着いてる訳じゃありません。ただ、泣いて事態が解決するとは思えないだけです」

「聡明でいらっしゃる。僕の周りには話が通じる方が少ないので、貴方のような方は好印象です」

 恐らくは本心からの言葉なのだろう。デスの表情は心無しか笑っているように見えた。

「そうだ、音楽でも流しましょうか。無音で会話というのも味気ないですからね」

 そう言ってデスはルンバから降り、軽い足取りでレコード棚へと歩いていく。彼はひょいと後ろ足だけで立ち上がると、棚に並べられたレコードやCDケースに前脚を伸ばした。

「何かリクエストはありますか? 曲はいろいろ揃ってますよ。ジューダス・プリーストのPainkiller、メタリカのMaster Of Puppetsを聞いて気分を盛り上げてみましょうか。OneやBatteryもありますよ」

「…メタルは趣味じゃないです」

「なんと。…では静かな曲にしましょうか。ジョー・ジャクソンのSteppin' Outなんてどうです? 夜景の様に綺麗で澄んだ曲で、就寝前に聞くとロマンチックな気分で眠る事ができるんですよ。Only Timeも神秘的でいいですし、名曲中の名曲Stairway to Heavenもありますよ。Rock This TownやWannabeも陽気でお勧めです」

「いえ…」

「そうですか。ではですねー……僕のお気に入り、QUEENのToo Much Love Will Kill YouやKiller Queenはどうでしょう? QUEENの曲は一つ一つキャラが立っていて僕は好きです。…あ、Bohemian Rhapsodyもいいですね」

「………」

「Inspiration、We Built This City、Hard to Say I'm Sorry、Epitaph、Beat It、The Game of Love、Still Waiting……」

 いつしかデスは我を忘れたようにレコード漁りに没頭していく。その後姿は楽しげで、警戒しきっているクロンをして、

(なんだこの猫……)

 と、困惑の表情を浮かべずにはおられなかった。

 やがてデスは悩んだ末に一枚のCDケースを取り出し、中身を口に咥えて器用にレコーダーにセットする。やがてレコーダーから美しい音楽が流れ始め、デスは満足そうに尻尾を立ててクロンの下へと戻った。

「今回はこれにしましょう。名盤と名高いThe Gold Experienceです。手に入れるのに苦労しましてね、音楽ショップを三つくらい回ってようやく見つけたんですよ。まあ(ぼく)が人間の店で買い物する訳にもいきませんので、教皇にお願いして代わりに買って来て頂いたんですけどね」

 さらりと言いながら、デスは再びルンバに腰を下ろして、のんびりと毛繕いを始める。まるでクロンを歯牙にもかけていないように、落ち着いた様子だった。

「さて。お互い何もする事が無くなった訳ですが、どうなさいますか。夕食の時間までまだ少しありますし、何か質問があれば可能な限り答えますよ」

 金色の双眸をクロンに向けながら、デスが問う。

 質問があればとデスは言うが、正直な所、聞きたいところは山ほどあった。クロンは俯いて暫し沈黙した後、ゆっくりと顔を上げて口を開いた。

「…さっき、あの教皇って人が言った話……本当なんですか?」

()とは、具体的には?」

 毛繕いを止め、顔を持ち上げたデスが小さく尋ねる。クロンはその眼差しに真向から向き合いながら、自らの言葉を続けた。

「世界が滅ぶだとか、並行世界だとか…。あまりに突然過ぎて、とても信じられません。あの人が言った事は本当なんですか?」

「事実です」

 驚くほど簡潔に、デスは答えた。

「貴方もご覧になったでしょう、滅びを迎えた世界の残骸を。かつてこの世に何百と存在した並行世界は、一つ一つ滅亡しているのです。教皇の言葉に嘘はありません」

 言い終えると同時にデスは飛び跳ね、ベッドに腰掛けたクロンの足元でちょこんと座る。人間の赤ん坊ほどの小さな黒い毛玉が、妙に大きく見えた。

「宇宙の始まりがどのようなものであったのかは存じませんし、科学的な仮説が事実かどうかも僕にはわかりません。ですが始まりがある以上、終わりもまた存在するのが道理です。時間は永遠ではありません。世界にも寿命があるのです」

「それが今だと……ボクが居た世界も、いつかそうなると言うんですか?」

「そう遠くない未来です。二ヶ月か…、あるいは一ヶ月後の事かも知れません。その時(・・・)はある日突然訪れ、瞬く間に全てを無へ還します。異端の札に選ばれた貴方は助かるでしょうが、貴方の友人や家族、その他の全ては消滅するでしょう。あの忌まわしい黒い羽根によって」

「黒い羽根…」

 教皇の部屋の窓から見た小さな黒い羽根がクロンの脳裏を過ぎり、ぞわりと全身に寒気が走る。

 触れたもの全てを消し去る、詳細不明の黒い羽根。あんなものが自分達の住む世界に出現したとしたら――。世界は、瞬く間に荒れ果ててしまうのだろう。イナゴが稲を食い尽くす様に、容赦なく。

 後には何も残らない。時間という概念すら忘れられた不毛の地が、ただ存在するだけだ。

「もっとも、これはあくまでこちら(・・・)の言い分です。全てを信じろとは言いませんし、信じてくれるとも思ってはいません。ですが、実際に世界の破滅が起きている以上、誰かがそれを食い止めなければなりません。僕達は、ただそれだけの為に活動しています」

 ただそれだけの為。淡々とした口振りで語られたその一語にデスの熱意が見えた気がして、クロンは思わず息を呑んだ。

 話の全てを信じられる訳では無い。ただ、目の前で自分を見上げているこの猫が、嘘を吐いているようには思えなかった。

「…確か、デス……(くん)も、並行世界の出身という話でしたよね」

「ええ、僕もかつては数ある並行世界の一つに暮らしていました。人間ではなく、猫が文明を築いた世界です。その世界が滅びたのが半年前。何もかもが消滅した世界にただ一匹取り残された所を教皇に救われ、以後は教皇の部下として働いています」

 黒い尾をゆらりと揺らしながら、デスは「僕だけじゃありません」と更に一語を続ける。何か聞き返そうとしたクロンの言葉は、その一語によって遮られた。

「教皇や塔さん。リリオンさんも、滅亡した世界の生き残りです。どのような世界でどんな生活をしていたのかは誰も語ろうとしませんが、それぞれに辛い過去や失ったものがあるのです。それに…」

「それに?」

「僕達とて生き物です。住み心地は悪くないとは言え、いつまでもこんな廃墟で暮らしていく訳にもいきません。新しい居場所が必要なのです。世界の破滅を食い止め、その上で自分達の新しい生活を探す。それが僕達の目的です」

 それが本音か。内心思いながら、クロンは小さく二度頷いた。

 世界を救うため。破滅の運命を変えるため。そんな大層な志より、新たに住む場所が欲しいとはっきり言われた方が、共感できるし説得力もあるというものだ。もちろん、世界を救いたいという主張も決して嘘ではないのだろうが。

「…でも。世界が滅ぶ運命にあるって言うのなら、皆で協力し合った方がいいんじゃないですか?」

 デスの言葉から少し間を置いて、クロンが尋ねる。「どういう事です?」と応じたデスに、クロンは更に言葉を続けた。

「世界が滅ぶ運命にあるって事を、世界中の人に教えるんです。そりゃあ世界的なパニックになるかも知れませんけど、世界の危機となれば誰も軽視できないでしょう? 皆で知恵を合わせれば、滅びの未来を変える事もできると思うんです。異端の札についてもやりやすいでしょうし」

「共通の目的があれば人類全てが手を取り合う事もできる……ですか? そうですね、一理あると思います。実は僕も一度同じ事を考えて、教皇に進言した事があるのです。…が、物事はそう上手くはいかないようで」

 そう言うとデスは静かに首を横に振り、何に対してかも知れぬ溜め息を吐いた。

「教皇も以前は滅びの運命を人々に伝え、協力を仰ぐ手法を取っていたそうです。…しかし、期待した程の成果は得られなかったのだとか。何故だと思います?」

「…さあ。正直想像もつかないですけれど」

 クロンが首を傾げると、デスは「そうでしょう」と得意気に笑った。

「もともと世界が滅びるという途方も無い話です。個人で信じる者は居ても国家規模、組織規模となるとそうはいきません。例え信じる勢力があったとしても、それは上辺だけの事。実際は僕らの力と知識を利用する魂胆であったり、世界を救う事よりも、滅びを回避した後に誰が世界の主権を握るかに執着したり…。時には危険思想の持ち主として教皇らの命を狙う事もあったそうです」

 世界を救う為に行動できる者は、世界中を探してもそうはいない。そう皮肉で締め括り、デスは再び口を閉ざした。

 ただの子供であるクロンには彼の言葉は「そんなものか」という程度にしか響かなかったが、物事がそう上手くいくものではないというのは良くわかる話だった。

 実際に滅びた世界を目の当たりにした自分も教皇の話を疑っているし、世界の事よりも家に帰る事を望んでいる。個人ですらこうなのだから、世界中の人間が協力して……という考えが如何に夢物語であるかは想像に難しくなかった。

「それじゃあ、あの話……滅びの原因の事も、本当なんですか?」

「世界が崩壊を始めたのは、創造主たる神が死んだからだ……という話ですか? 僕は信じていませんよ。あれは教皇の狂言、妄想というものです」

 声と表情に微笑を含ませながら、デスははっきりと断言する。それがクロンには意外な事に思えて、目を丸くして足下のデスを見返した。

「教皇はメルヘンチックと言いますか子供っぽいと言いますか、物事を美化したがる方でして。世界の滅びに関しても、何か劇的な理由があったと考えているようなのです」

「つまり…。根拠の無い仮説って事ですか? 確かに本人もそう言ってましたけど、それにしては…」

 あの語り口は真に迫っていたような気がする。そう続けようとしたクロンの言葉は、「真偽は問題ではありません」というデスの言葉によって阻まれた。

「どのような原因があったとしても、僕達のやるべき事はただ一つ。二十二種類存在するであろう異端の札を全て集め、滅びの運命を食い止める。それだけです」

 きっぱりと言い切ったデスの言葉が、有無を言わせぬ説得力となって胸を打つ。

 言葉だけでは無い。デスの眼には確かな決意が宿っており、力強い眼差しをクロンへと向けていた。

「じゃあ、もう一つ」

 デスの眼差しを真向から受け止め、クロンは更に質問を重ねる。

「異端の札を全て集めれば世界の滅びを回避できるって話。それは本当なんですか? 凄い力を持っているのはわかりましたけど、そんな事まで可能なんですか?」

「………」

 これまでクロンの問いに即答で返していたデスが、ここに来て答えに窮した。彼は困ったようにクロンから目を逸らすと、視線の先に会ったルンバに歩み寄り、再びそこに腰を下ろした。

 

「……恐らく(・・・)、可能なのでしょう」

 僅かな間を置いて、デスは自信無さげに一言返す。「恐らく?」と即座に応じたクロンは、疑惑の眼差しをデスに向けた。

「僕はあくまで組織の末端、教皇の命令で動く下っ端に過ぎません。与えられる情報も最低限のもので、異端の札がどのような物かも詳しくは存じません。…ただ、異端の札を開発した仲間は、異端の札の力で世界を救う事が可能だと断言しています。恐らくと言ったのは、そういう意味です」

「…なるほど。造った本人が言っているのなら、そうなんでしょうね。……ちなみに、開発した仲間と言うのは?」

Dr.(ドクター)31という名前(コード)の自称科学者です。組織の古参メンバーだそうで、教皇の信頼も厚い方です。彼女自身は異端の札を変化させる事はできないそうですが……異端の札に関しては、あの方が一番詳しいと考えて構わないでしょう」

 言いながら、デスはまたチラリとクロンに視線を戻し、「ですが」と自らの言葉を翻した。

「異端の札には、未知の部分が多いのも事実です。何故カードが変化するのか、何故デュエルモンスターズのカードなのか、開発者である博士自身にも明確な答えは出ていないようで。今も部屋に籠って研究を続けているそうです」

 まるで他人事のように言いながら、デスはゆらゆらと尻尾を揺らす。恐らく彼自身も何処までが真実か掴みかねているのだろう。視線をクロンに向けたまま、何事かを考えているようだった。

「…現状、異端の札についてわかっている事は三つ。名称にタロットのアルカナが含まれている事と、異端の札に選ばれる者は黒い羽根の影響を受けない事。そしてもう一つは、異端の札の変化は触れた者の精神に呼応している可能性が高いという事です」

「触れた者の……精神?」

 初めて聞く事柄に、クロンは首を傾げて聞き返す。デスは再び金色の双眸をクロンに向けて、「そうです」と小さく答えた。

「自由気ままに暮らしたい。好き勝手に暴れたい。滅びゆく世界を救いたい。そういった個々の精神――…心が、異端の札を変化させるきっかけとなるそうです。…リリオンさんの異端の札、ストレングス・フォー・ユーを覚えていますか?」

「え、えぇ…」

「ルールそのものを破綻させ、力技で敗北を勝利に塗り替える。あの異端の札(ストレングス)は、リリオンさんの性格そのものです。異端の札のデザインと効果は、所有者の性格が強く反映されます。好戦的な性格の者には攻撃的なカードが宿り、温厚な性格の者には穏やかな効果が発現します。…貴方の異端の札もそうなのではありませんか?」

 突然に問われたクロンは、思わず答えに窮して口を閉ざす。

 言われてみれば、クロンの異端の札――《先見眼の銀愚者(フォーサイトアイズ・シルバー・フール)》のトリッキーな効果は、クロンの性格に似通ったものと考える事はできる。以前見たリリオンの異端の札も、デスの言う通り彼女らしい乱暴な効果だったように思えた。

「異端の札は、言うなれば心の名刺なのです。デザインや効果を見れば所有者の凡その性格がわかりますし、触れた者によって変化が異なるのも当然の事です。性格は人それぞれですからね」

「じゃあ……ボクの銀愚者は、ボクの心に反応して現れたって事?」

「その通りです。そして精神と言うものは、人間だけが持つものではありません。猫にも心はありますし、熊や犬コロにも心はあります。実際この組織には僕の他にも二名、人間では無い仲間が居ます。女帝(エンプレス)(ムーン)という方々です」

 少しずつ。ほんの少しずつではあるが、謎に包まれていた異端の札の秘密が紐解かれていくような感覚だった。

 僅かずつ明かされる真実は、そのままデスに対する信用となり、いつしかクロンの警戒心は――少なくともこのデスに対しては――解れ始めていた。

「…せっかくです。この組織の構成についても少しご説明しましょう」

 デスはそんな心境の変化を観察するかのようにクロンの顔を見詰め、にんまりと口元を緩めて笑みを作った。

「教皇も仰っていたでしょうが、この組織の始まりは今から二十年前、最初の並行世界が滅びた頃にまで遡ります。当時のメンバーは教皇と、今は審判と名乗っている方の二人のみでした。それから少しずつ仲間が増えていきましたが、現在も組織はこの二人の手によって動かされています」

「って事は…。教皇と審判、二人のリーダーが居るって言う事?」

 クロンが問う。その声のトーンは普段姫利達と話す時と同様の落ち着いたものとなり、知らず知らずデスに気を許し始めている事が容易に伺えた。

「そう言う事です。二人のトップは対等で、どちらが上位という事はありません。そして彼らの下には、それぞれの右腕となって動く幹部が存在します。教皇の右腕は塔さん、審判の右腕は正義と呼ばれる老人です」

 デスが言うと同時、塔と呼ばれていた少女の顔がクロンの脳裏に過る。幹部と呼ぶにはあまりに不釣り合いな彼女の姿に、クロンは小さく首を傾げた。

「塔って…。あんな小さな女の子が、組織の重役なんですか?」

「もちろん、塔さんに部下を指揮する程の能力はありません。幹部と言ってもあくまで形式上の事で、実際に僕達に命令するのは教皇御自身です。塔さんの仕事はせいぜい教皇の身の回りの警護くらいでしょう」

「なら、別の人を幹部職にすればいいじゃないですか。どうしてわざわざ?」

「それは……そうですね、僕も詳しい事情はわかりませんが、恐らく塔さんの気性に関係があるのだと思います」

 真面目な顔でデスは答える。クロンはその言葉の意図が掴めず、「気性?」と鸚鵡返しに応じた。

「塔さんは、ある意味ではリリオンさん以上に凶暴で何をするかわからない方です。わかりやすく例えるならリリオンさんはデスメタル、塔さんはブラックメタルと言った所でしょうか。そんな塔さんに雑務を任せられる筈もありませんから、いっそ腹心として傍に置いて問題を起こさないよう見張っていよう……という事なのでしょう。塔さんは教皇にだけは懐いているようですから」

「…確かに、危ない雰囲気の子ではありましたね」

 一連の塔の言動を思い返しながらクロンは呟く。デスは「でしょう?」と微笑を含みながら答え、話を続けた。

「さて、何の話でしたか。……そう、教皇達の下には塔さんのような幹部が居て、その下には僕やリリオンさんのような下っ端がいます。僕達はそれぞれのトップの指示の下、行動していると言う訳です」

「なるほど…。要するに教皇と審判、二つの派閥に分かれた組織って訳ですね?」

 首を傾げながら訪ねると、デスは「その通りです」と小さく頷く。

「教皇組と審判組は別々の並行世界を担当し、それぞれのやり方で異端の札に選ばれる者を探しています。教皇組のメンバーはトップの教皇と、幹部の塔さん。その下に僕、リリオンさん、そして先程名前を挙げた女帝(エンプレス)の五人。…確か貴方は、女帝以外にはお会いしているんでしたね」

「ええ。…その女帝って人はどういう人です?」

「正確には人ではありません。外見は人間に近く、年齢は貴方より少し上でしょうか。教皇の部下である筈が、どういう訳か審判に懐いていましてね。今も恐らく審判の所に遊びに行って、彼の手を煩わせているのでしょう。良くも悪くも自由な女性ですよ」

 ため息混じりに語りながら、デスはまたクロンから目を逸らす。女帝と呼ばれる人物がどんな性格なのかは、今の説明とデスの態度で伺えたような気がした。

「もう一つの審判組は、審判、正義、女教皇、悪魔の四人で構成されたチームで、今は貴方が居た世界とはまた別の並行世界で活動しています。纏め役の審判は教皇の二十年来の友人で、二人の間には強い信頼関係があるそうです。…もっとも、僕はあまり好きではありませんけどね」

「どうしてです?」

「………」

 何気なく質問するクロンだが、デスは答えなかった。

 恐らくは上司の友人の陰口を叩く事に抵抗があったのだろう。彼は不自然な間を置いた後、クロンの問いを無視するかのように更に話を続けた。

「正義は先程も述べた通り審判組の幹部です。こちらは塔さんと違って名実共に審判の右腕で、組織としても古参のメンバーなのだとか。奇妙な格好をした体格の良い老人で、規律を重んじる実直な方です。真面目過ぎて少し堅苦しい所もありますけどね」

「ふむふむ……女教皇って人は?」

「審判、正義の命を受けて動く下っ端です。男性なのに女性のような言葉遣いをする方で、なよなよして気味が悪いというのが正直な印象ですね。昔は聖職者だったと嘯いていましたが、疑わしいものです」

 再度溜め息を吐いたデスは、逸らしていた双眸をクロンに向け、「そして」と言葉を続ける。

「女教皇さんと同列に、悪魔という方もいます。身形が良くて気品溢れる老紳士といった印象の方ですが、審判、教皇の心証は良くないようです。人を悪くいう事を嫌う教皇が、悪魔には気を許すなと僕に釘を刺す程です。異端の札も性質が悪い効果ですし、貴方も注意した方がいいでしょう」

「なるほど…。ん、さっきのDr.31って人は、どちらのチームにも所属してないんですか?」

「ええ、博士は独自に異端の札と世界の破滅についての研究をしておられるので、誰の部下という訳ではありません。博士の傍には常に(ムーン)と言う方が控えていて、博士の研究の手伝いをしているそうです。…月さんについては、こちらも先程名前を出しましたね、この組織の数少ない非人間の仲間です。…ま、そもそも生物ですらありませんが」

 さらりと言ったデスは、それきり口を閉ざしてクロンを見詰める。

 少しの間を置いて、ふと気が付いたクロンは、「あれ、でも…」とデスの方に身を乗り出した。

「教皇さんの話だと、異端の札はボクの愚者を含めて十六枚集まってるんですよね? 今出てきた名前は、そのDr.31って人を入れても十一人。仲間の数が合わないんじゃないですか?」

「……そうですね」

 クロンの問いに、デスは再び目を逸らして沈黙する。先程よりも更に長い間を置いた後、デスは目を逸らしたまま小さく答えた。

「…審判組は、人を殺します」

 棒読みよりも更に低いトーンで、デスは呟く。その言葉の意味する所をすぐには理解できず、クロンは「え?」と頓狂な声を上げた。

「異端の札は精神の具現化だと、先程言いましたね。個人の心が異端の札を発現させているのだと。…審判はそれを知って、効率良く異端の札を収集する方法を思いつかれたのです」

「……どういう事です?」

「人間を極限状態に置く事で、その者の精神を意図的に変化させるのです。一度は異端の札に選ばれなかった者でも、精神に大きな変化があれば……例えば過度な苦痛やストレスで精神が歪むなどすれば、そこから新たに異端の札発現の可能性が出て来ます。実際に見た事はありませんが、かなり残酷な手を使って人を追い込んでいるそうですよ」

「それって…!」

 何か言い掛けたクロンの言葉を、デスは右前脚を上げて制す。彼が何を言おうとしたのか、わかっているかのようだった。

「異端の札は、誰もが使える訳ではありません。殆どの者は異端の札に触れても変化は起こらないでしょう。…ですが、人の精神を強引に変化させる事ができれば、全ての人間に異端の札発現の可能性を見い出す事が可能です。後天的な発現とでも言いましょうか」

「後天的って…。それってつまり、人を拷問に掛けたりするって事でしょう!?」

 耐えかねて、クロンは思わず声を荒げる。

 断言こそしなかったものの、デスの言葉には明らかに拷問のニュアンスが含まれており、薄れかけていた緊張が再び顔を擡げた。

「……僕は、審判が嫌いです」

 クロンの言葉に否定も肯定もせず、俯きながらデスは呟く。これまでのような淡々とした口ぶりと違い、恐怖と嫌悪が入り混じった声だった。

「あの方には、いつも血の臭いが染みついています。彼らは一枚の異端の札を手に入れる為に、途方もない数の人間を地獄に突き落として、殺しているのです。たまに異端の札を発現した者が現れたとしても、廃人になっていたり、仲間になる意思は無いとしてその場で処分したり…。仲間の人数が合わないのはその為です。結果を出しているので教皇も彼らの所業に口出しできないようですが、快くは思っていないそうです」

 あるいは、それがこの組織が二つの派閥に分かれている遠因かも知れない。言葉無くそう告げたデスに対し、クロンは何も言えなかった。

 もし審判と呼ばれる男が異端の札の為に無関係な人間を巻き込み、苦痛を与えているのなら――…それは紛れもなく『悪』だ。世界の救済という大義名分を利用した、ただの虐殺行為に過ぎない。実際にその行為を目撃した訳ではないが、義憤に駆られずにはいられなかった。

「…嫌な話になってしまいましたね。話題を変えましょう」

 クロンの心中を察したらしいデスが、申し訳なさそうに頭を垂れながら呟く。

 とは言っても、こんな話の後ですぐに次の話題は思いつかないようで、困った様子で尻尾をパタパタと振っていた。

 それはクロンも同じ事であったが、先程から気になっていた事をふと思い出し、口直しにとデスに問い掛けた。

「…そう言えば、ずっと疑問に思ってたんですけど…。教皇さんや塔って子の名前、まさか本名じゃないですよね?」

「名前ですか? ええ、コードネームです。この組織では仲間同士をそれぞれの異端の札(アルカナ)で呼び合っています。こうすれば誰がどの異端の札を発現したのか、わかりやすいですしね」

「けど、アルカナで呼び合うなんて息苦しくないんですか? 教皇とか塔とか、まるで記号みたいじゃないですか」

「その方が良いのです。本名で呼び合うと、どうしても元居た世界の事を思い出してしまいますから」

 そんなものか。さも自然な事のように語るデスを見ながら、クロンは内心腑に落ちなかった。

 いくら辛い記憶が蘇るからと言って、親から与えられた自分の名前をそう軽く扱えるものなのか。クロンの常識では考え難い事であったが、当事者である彼らからすれば、本名を投げ捨てたい気持ちにもなるのかも知れない。

 そんなクロンの心中を察したのか、「もちろん、完全に名前を捨てた訳ではありません」とデスは続けた。

「普段はコードネームで呼び合っていますが、リリオンさんのように本名に拘る仲間もいますし、話のタネに仲の良い者同士で本名を教え合う事もあるそうです。…そう言えば、僕も以前塔さんから本名を教えてもらった事がありましたっけ。昔はユミルという名前だったそうですよ」

「へぇ…」

 どちらにしても軽い扱いには違いないと考えながら、相槌を打つ。

 やがてクロンとデス、双方の話題が尽き、言葉の無い時間が訪れる。デスはチラリとテーブルに置かれた猫型の時計に目をやると、「さて」とクロンに声を掛けた。

「そろそろ夕食の時間です。お互いお腹が空いた頃でしょうし、食堂に向かいましょうか。教皇の作るご飯は美味しいですよ」

 そう言ってデスはルンバから降り、先程と同じように部屋の扉を開けて外に出る。その足取りは軽やかで、食事の時間を楽しみにしている事が容易に伺えた。

「あ…。その前に、最後にもう一つだけ」

 デスの後姿に手を伸ばしながら声を掛ける。デスはぴたりと立ち止まり、首を傾けながらクロンの方を振り返った。

「異端の札の実体化っていうのは、どうやるんですか? デス君にできるという事は、ボクにも可能なんですよね?」

「…そうですね。ちょっとしたコツさえ覚えれば、貴方にも実体化は可能な筈です。…が、そのコツがどんなものかは教える訳にはいきません。今貴方に異端の札を実体化されたら、ここから逃げられる恐れもありますので」

 見透かすように言いきられ、クロンは心の内で舌打ちする。うっかり口を滑らせる事を期待していたのだが、そう上手くはいかないようだった。

 組織の目的や構成について少しわかりはしたが、逃げられない状況には変わりない。クロンは諦めたように溜息をついて、いそいそと食堂に向かうデスの後を追った。

 

 

――――――

 

―――――

 

――――

 

 いつしか本降りになった雨が、傘越しにも髪や衣服を濡らす。

 雨に濡れた靴と靴下が、走る度に言いようのない不快感を与えて来る。悪天候と夕刻の為に道行く人もめっきり減ってきたが、それでもソールは諦めなかった。

 ひたすらに人を探し続け、すれ違い様に“異端の札”に触れさせ、そのまま走り抜ける。さながら辻斬りのような事を、延々と続けた。

 諦めの悪いのが性分だ。そう誰にともなく言い訳し、走り続けること数十分。ソールは相変わらず変化の無い異端の札を握り締めながら、漸く足を止めた。

「畜、生…! なんで見つからねぇんだッ…!」

 肩で息をしながら、絞り出すように呟く。好転しない状況は一層彼女の心を急かせ、苛立たせる。その怒りを何処にもぶつけられない事が、更に彼女の心を苛立たせた。

 そして同時に――…痛感せざるを得なかった。自分が状況に対して、全くの無力である事。友人一人救う事さえできないという事を。

「本当に……本当に、あいつとはもう会えねぇのか…?」

 傘を強く握り締めながら、珍しく弱気な感情を吐露する。

 認めない。こんな形での別れなど認められる訳がない。そう思う一方で、人智を超えた力なるものに屈服せずにはいられなかった。

「異端の札…。こんなカードのせいで……こんなもんが、何だってんだよ…!」

 悔しげに呟きながら、ソールは事の発端である異端の札に目をやる。

 そして、気付いた。先程まで真白であった異端の札に、これまでに見られなかった変化がある事を。

 ――文字が、浮かんでいた。

 カードの端、ちょうどカード名にあたる部分に《先入眼の涅恋人(プレジュディスアイズ・ブラック・ラバーズ)》という文字が書かれているのが見える。

 文字だけでは無い。カード名の下には、下半身の無い黒色の悪魔のようなモンスターが描かれており、今のソールを嘲笑うかの様に口元を歪めていた。

 カード枠は黒く染まり、属性や攻撃力や守備力の数値も浮かび上がっている。通常のカードと何ら変わらぬものが、そこにあった。

「なっ…!」

 思い掛けない光景にハッとしたソールは、思わず両目を閉じて指で瞼を擦る。

 そして改めて目を開けて確認すると――…たった今見えたカードの姿が消え、真白なままの異端の札が視界に飛び込んで来た。

「……ッ」

 失意と疲労が起こした目の錯覚か――?

 理解した瞬間、胸の内から抑えようのない激情が溢れ出てきた。ギリギリと歯ぎしりしただけでは感情は収まらず、次の瞬間には異端の札を足下に叩き付けていた。

「ッ~~! ッざけんな! このッ、糞カードが!」

 叩き付けられた異端の札が、雨水に濡れてふやけていく。クロンを取り戻す唯一の手掛かりという事はもはや頭には無く、ソールは感情のままに異端の札を踏みつけていた。

 それで気が済む筈が無い事はわかっている。後で後悔するであろう事は百も承知であったが、不器用な性格、他に感情の収め方を知らなかった。

「はぁ、はぁ、はぁ……」

 やがてソールの動きが止まり、泥と水にまみれた異端の札から足をどける。異端の札はもはや使用に耐えうる状態では無く、カードとしての原型も留めては居なかった。

「………」

 カッとなった頭が冷え、ソールの心に僅かな後悔の兆しが浮かんだ時。――彼女の背後から、雨音に混じって人の声が聞こえた。

「…ねぇ。何やってんの?」

 聞き覚えのある声だった。ハッとして振り返ると、そこには一人の少年が、傘を差してじっとソールの方を睨んでいた。

 背中まで届く青髪を伸ばした、顔立ちの良い少年。年頃はソールと同じくらいで、落ち着いた雰囲気が漂っている。背中には通塾用と思しきカバンを背負っており、塾帰りである事が見受けられた。

 フロム=アステリア。以前クロンとデュエルを行った相手――…“時を操る決闘者”の異名を持つ人物であった。

「テメェは…」

 思いがけない相手に声を掛けられた事で、ソールは絶句する。

 恐らくはたまたま通りがかった所でソールの姿を見掛け、何気なく声を掛けたのだろう。フロムはソールと彼女の足元の異端の札を交互に見比べると、呆れたように吐息した。

「あのさ。何か嫌な事があったらしいのは見ればわかるけど、カードに八つ当たりするのは決闘者として最悪なんじゃないの?」

 そう語るフロムの顔には、明らかな嫌悪の色が浮かんでいた。事情を知らない彼から見れば、カードを粗末に扱うソールの行為は悪質なものに映ったのだろう。

 彼は気怠そうに吐息しながらソールの方に歩み寄り、彼女が踏みつけた異端の札を拾い上げる。すっかりボロボロになった異端の札をしばらく眺めた後、彼の緑色の双眸は再びソールに向けられた。

「…何、このカード? こんなもの見た事ないけど」

 小首を傾げながら問うフロムに、ソールは「うるせーな」と舌打ちして返す。

「テメェには関係ねぇ代物だよ。俺様は今ムカついてんだ、さっさと何処かに消えねーと今度はテメェに八つ当たりすんぞ」

「ふーん…。ま、野蛮人を視界に入れたくないってのはボクも同じだけどさ。でも、こんな良いカードを粗末に扱うなんて随分と勿体ない事するんだね。聖書で言うところの豚に真珠ってやつかな?」

「あぁ!? なんだテメェ、喧嘩売って――、」

 言いかけて、ソールは気付く。フロムの言葉に隠された、もう一つの意味に。

「……ちょっと待て。良いカード、だと?」

「そう言ったつもりだけど?」

 小馬鹿にするように笑うフロムだが、ソールはそれに憤る事無く、別な事に思考を走らせていた。

 名前もイラストもテキストも、何一つ書かれていない真白なカード。それが異端の札の特徴だ。彼は今「良いカード」と言ったが、何も描かれていない異端の札を見て「良いカード」という言葉が出て来るものだろうか…?

「まさか、テメェ……み、見せろ! そのカード見せろ!」

「わっ!? な、なんだよ引っ張るな!」

 咄嗟にフロムの腕を引いて、その手に握られた異端の札を確認する。そこには――…フロムの言う通り、見た事の無いカードが浮かんでいた。

 《アンブレイカブル・ザ・ワールド》と名が刻まれたモンスターカード。イラストには0と1の数字で構成された女性の裸体が描かれており、攻守ステータスや効果テキストも書かれている。

 異端の札の変化だ。そう確信したソールは、鳥肌が立つような気持ちでフロムの顔を見返した。

「テメェ、フロム…。まさかテメェが……テメェなのか…!?」

「……? なんだよ、ボクに何か文句でもあるっての?」

 苛立った様子で返すフロムだが、ソールは何も答えずに、ただただフロムの顔を見続けた。

 ――異端の札を変化させる人物は見つかった。だがそれは、この一件に無関係なフロムを巻き込む事も意味している。それがはっきりとわかっているから――…ソールは、何も言えなかった。




前回に続いて今回も情報量の多い話で書くのが面倒臭い……もとい大変だったけど、次回からは比較的シンプルな内容の話になると思います。(多分)
今一つ盛り上がる場面が無かった最近の呼応ですが、次回からはエンタメできそうかなー。(きっと)
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