“運命”という言葉を、これほど身近に感じた事は無かった。
浚われたクロンを救う為、異端の札を扱える人間を探していたソールの前に現れたのは、かつてクロンとデュエルを行った“時を操る決闘者”フロムであった。
たった一度しか会った事のない彼がこのタイミグで自分の前に現れクロンを救うきっかけとなるとは何か因縁のようで、ソールの胸を熱くさせた。
だが、フロムが異端の札に選ばれたという事は、無関係のフロムをも問題に巻き込んでしまう事を意味する。覚悟していた事とは言え、複雑な心境だった。
「…あのさ。そろそろ手を離してくんない? 鬱陶しいんだけど」
怒りを含んだフロムの声が、呆けていたソールの思考を呼び覚ます。
彼女は掴んでいたフロムの腕を放すと、代わりに彼が持つ異端の札――…《アンブレイカブル・ザ・ワールド》を奪い取り、何も言わずにそのカードをフロムに突き付けた。
異端の札はソールが触れている指の辺りから白く染まり、瞬く間に真白な状態へと戻る。触れた人間によって姿を変える異端の札の特性であるが、初めて目の当たりにするフロムは、驚いたように目を丸くした。
「…なにそれ、手品か何か?」
「そうじゃねぇ。これは異端の札っつって、特定の人間が触ると変化する特殊なカードだ。普段は真白な状態だが……テメェみたいな奴が触れると、今みたいな通常のカードの姿になる。原理とかは知らねーがな」
「…信じられない話だね。その薄っぺらいカードに、そんなギミックが仕込まれてるって言うの?」
小馬鹿にするように嗤いながら、彼はソールが持つ異端の札に手を伸ばす。
ソールの言葉が事実か否か、今一度カードに触れて確認しようという事だろうが――ソールは、ひょいと異端の札を後ろ手に隠してそれを拒んだ。
「良く聞けよ天才野郎。このカードは正規に造られたカードじゃねぇ、明らかにヤバい代物だ。カード自体にそれほど価値はねぇらしいが、これを変化させられる奴はヤバい連中に狙われる事になる。異端の札はテメェに反応した、つまりテメェも狙われる訳だ」
「……。あのさ、ボクもう帰っていい?」
伸ばした腕を引っ込め、怒気を含んだ声でフロムが返す。
狙われるという一語が気に入らなかったのだろう、その表情には明らかな苛立ちが見て取れた。
「何の遊びか知らないけど、ボクは君みたいな馬鹿に付き合ってるほど暇じゃないんだよね。そういうごっこ遊びはさ、この間のガキとやったら?」
「――クロンの奴も、狙われた。得体の知れねぇ連中に、俺様の目の前で攫われたんだ」
絞り出すように告げると、流石にフロムの態度も変わった。瞳に疑念の色を残しながらも、真剣な面持ちでソールを見返す。
「何が起こってるのかは俺様にもわからねぇが、異端の札を変えられる奴を探して回ってる連中がいるんだ。クロンの奴はそれを知らねぇで……。今はもう何処に居るのか、生きてるのか死んでるのかさえわからねぇ」
「…警察には?」
「届けてねぇ。連中は人間離れした術を使って、一瞬でクロンを消し去りやがったんだ。それこそ手品みてーにな。そんな事を警察に話しても、信じてくれる訳がねぇ」
クロンが攫われた瞬間を思い出しながら、自分が知る全てをフロムに告げる。
彼は口元に指を当てて考える仕草をした後、「まさかとは思うけど」と前置きして口を開いた。
「ボクを囮にしてその連中を誘き出そうとか、あのガキと
流石に鋭い。ソールは内心で冷や汗を掻きながら、しかし真直ぐな面持ちで「その通りだ」と強く返した。
「クロンの奴を取り返す為には、もう一度連中と接触する必要がある。だから、悪いがテメェには囮役になってもらう。他に連中と接触する方法が無い以上、手段は選んでいられねぇ」
「はっきり言うね。OK、じゃあ君の話を信じるとして……無関係のボクを囮にしようってのは、どうなんだろうね? ボクの意志と人権ってやつが完全に無視されてて、卑劣な計画だと思うけど」
「…正論だな。返す言葉もねぇよ」
淡々と畳み掛けるフロムにこれ以上無い正しさを感じるが、しかし、それを認める訳にはいかない。他にクロンを助ける方法がない以上、彼の正論に負ける訳にはいかないのだ。
「だがな、知り合いが攫われたんだぞ。どんな手を使ってでも助けたいってのも間違いじゃねーだろ。人を助けたいって考えるのは、そんなに悪い事なのか…?」
「そうだね。悪い事なんじゃない?」
帰って来た冷ややかな言葉に、ソールは面食らってしまう。フロムは小さく溜息すると、反論の理由を簡潔に述べた。
「人助けは結構な事だと思うよ。攫われた友達を助けたいって気持ちも理解できるよ。けどさ、他人を巻き込んでまで人助けしようってのは傲慢じゃないの? それじゃ君もその連中と変わらないね。善の押し付けは悪だよ」
「ぐッ…」
今度こそ言い返す言葉が浮かばず、ただただ歯噛みする。
もとより無関係な人間を巻き込む事を前提にした行動なのだ。誉められた事ではないのは彼女自身が一番よくわかっている。
それでも、譲れない。これがクロンを助ける唯一の方法である以上、こちらも言いくるめられる訳にはいかなかった。
「…理屈じゃねぇんだ。俺様達のやってる悪だってんならそれでもいい、正義なんて糞食らえだ。ただ、あいつを助けたい。助ける方法があるってんなら、動かずにはいられねーんだ…!」
「………」
真直ぐにソールを見つめていた青い双眸が、ちらりと脇に逸れる。
辛辣な口ぶりではあったものの、フロムとて他人の気持ちがわからない訳でもあるまい。ソールの言葉通り、今は個々の感情の問題だった。
「達、ね…。つまり君一人で行動してる訳じゃないって訳だ。姫利お姉ちゃんとか、百合お姉ちゃんも一枚噛んでるってところかな?」
「…ああ。春川は最後まで反対していたがな」
「あの姫利お姉ちゃんが、人を巻き込む事を良しとする程の状況か……成程ね」
そう呟いて、フロムは唇に手を当てて考え込む。ソールは、もはや何も言わなかった。
伝える事は伝えた。頼む事もした。後は彼自身が決める事だ。無論、いざとなったら力づくで協力させる腹積もりであるが……今はただ、フロムの答えを待つだけだ。
「…OK、わかった。気は進まないけど、ボクも協力するよ」
やがてフロムは諦めたように吐息して、再びソールに向き直る。てっきり断られるとばかり思っていたソールは、思わず「いいのか?」と問い返してしまった。
「頼んどいてこう言うのも何だが、テメェにゃ関わりもねぇ事だぞ? 危険だってもちろんあるし、テメェには何のメリットもねぇ。それでも協力してくれるってのか?」
「もちろん、人身御供になるのは御免だけどね。けど協力者として手伝う分には構わないよ。…それに、姫利お姉ちゃん達が絡んでるとなると放ってもおけないしさ」
恐らくそれが本音なのだろう。彼の表情と口ぶりからは嫌々という気持ちが見て取れたが、承諾した事を後悔する様子は無かった。
「ただし、何が起きているのか事情を一部始終を話す事。それが条件だよ。訳の分からないまま巻き込まれるのだけは絶対に嫌だからね」
「あ、ああ…。それは構わねぇが…」
いつしか主導権を奪われたソールは、困惑の表情を浮かべながらも小さく頷く。
あれだけ正論を吐いて拒絶の意思を見せていた彼がこうもあっさりと承諾してくれたのは意外であり、嬉しかった。ソールは明日の朝に姫利らと合流する予定がある事、詳細はその時に説明すると伝え、フロムに待ち合わせの約束を取り付ける。
フロムはそれもすんなり承諾し、「じゃあ、また明日」とソールの横を抜けてその場を去ろうとする。その後姿を、ソールは思わず呼び止めた。
「なあ、フロム」
「ん? 何?」
「その……あれだ…。ありがとう、な」
「…君に感謝されても別に嬉しくはないんだけどね。ま、
最後は嫌味で締めると、フロムは軽く手を振ってその場を後にした。
気に入らない性格なのは確かだが、根は悪い奴でも無いらしい。いつしかソールは笑みを浮かべて、彼の後ろ姿を見送った。
――――――
―――――
――――
そして、その時はやって来た。
フロムと接触した翌朝、いつものカードショップで一同は集まり、いつものテーブルで顔を合わせる。
壁際の席にソールが座り、それを挟むように姫利とフロムが席に着く。姫利の隣には百合が腰かけており、その隣にミランダ、メイ、クリフ…と続いてテーブルをぐるりと一周していた。
亮助は店の手伝いがあるという事でこの席には居なかったが、必要とあればいつでも店を抜け出せるとの事で、作業の合間にもちらりとこちらに視線を向けている。即ち、都合八人の人間がクロン奪還の為に集まったという訳である。
「…つー訳で、ここに居るフロムが異端の札を変化させられるって事がわかった。後はクロンを連れ去った連中を誘き出して、腕づくでクロンを取り戻せばいい。それで構わねぇな?」
昨日の経緯を簡単に説明しながら、ソールが一同に問い掛ける。だが皆はその問いに答える事はせず、ただただフロムの顔を興味深そうに見つめていた。
「まさかフロむんが異端の札をねぇ…。どうする姫りん、今なら作戦変更もありだと思うけど」
いつも通りの恍けた口調で、百合が姫利に問い掛ける。
クロンを助ける為とはいえ、彼と同じ年頃のフロムを囮にする事に迷いは無いのかという事だろう。姫利は肯定も否定もしなかったが、代わりに真直ぐな眼差しをフロムに向けた。
「事情はさっき説明した通りだけど……本当に構わないの、フロム君? 凄く危険な事だし、私達は貴方を守れないかも知れない。手を引くなら……」
「大丈夫だよ姫利お姉ちゃん。ボクだって男の子なんだから自分の身くらい守れるし、クロン君を守ろうって気持ちもお姉ちゃん達と同じだよ。ねっ、ソールちゃん」
媚びを含んだ声で応じながら、フロムは屈託のない笑みをソールに向ける。年上の女性に対してのみ見せる、彼のもう一つの一面だった。
「危険と言えば…。ねぇミラるん、クリフ君を連れて来ても良かったの? ミラるんの事だから絶対に置いて来ると思ってたんだけど」
大袈裟に首を傾げながら、百合が隣に座るミランダに尋ねる。彼女はちらりと百合を一瞥した後、諦めたような表情を浮かべて大きく吐息した。
「本当はそうするつもりだったんだけどね。でもクリフったら、ボクがクロンくんを助けるんだーって張り切って聞かないのよ」
「こうなったクリフ様は、誰にも止められませんからね…。お嬢様も私も、根負けした形です」
心配そうな表情を浮かべながら、メイが続く。クリフはそんな二人の心配を余所に、張り切った様子で皆の表情を伺っていた。
「――よし。腹を括ったところで、一度状況を整理すんぞ」
ぱんと手を叩いて周囲の注目を集めながら、ソールは懐から四枚のカードを取り出してテーブルに並べる。異端の札……では無く、直前に店内で購入した通常のカードだ。
それらは裏側表示のまま無造作に置かれており、何のカードであるのかはわからない。この四枚のカードが何を意味するのかさえも。全員の視線を浴びながら、ソールは語り始めた。
「まずは敵の数だ。今の時点ではっきりしてんのは二人と一匹。最初にこの店を襲ってきたリリオンって奴と、デスって名前の喋る猫。そして直接クロンを攫った、
そう言って、ソールは四枚のカードのうち三枚を捲る。通常魔法カード《フォース》に、罠カード《死神の巡遊》と《バベル・タワー》。何れも状況とは何ら関係の無いカードであるが、恐らくはこれらをリリオン達に見立てているのだろう、ソールは至って真面目な表情で話を続けた。
「それからもう一人。連中の言葉から、他に教皇っつー仲間もいる事がわかっている。リリオン達はこの教皇の命令で動いてたらしいから……多分、こいつが敵の
最後の一枚が捲られ、《
「つまり、敵は最低でも四人いるって訳ね…」
「そうだ。もちろん実際はもっと仲間がいるだろうし、下手すりゃ百人近い数がいるかも知れねぇがな」
珍しく姫利の言葉に同調し、ソールが更に続けようとした時。静かに話を聞いていたミランダが、「待った」と話を遮った。
「私の見立てでは、連中はそこまで大規模な勢力じゃないと思うわ。十人か、二十人か……多くてもせいぜい三十人ってところじゃないかしら」
「…ほー。なんでだ?」
思わぬ指摘に驚いたソールが、座る姿勢を直しながら問う。ミランダはテーブルに置かれた《
「根拠は二つ。一つ目は最初に現れたリリオンと、昨日クリフが撃退した塔って子供の性格よ。塔の方は直接見た訳じゃないけれど、話を聞く限りかなり情緒不安定な奴だったんでしょ? いきなり店で暴れたリリオンと言い、その塔と言い……人攫いには不向きなタイプだとは思わない?」
「あぁ? …そりゃまあ、ヤベェ奴らだったとは思うが、なんでそんな事で敵の人数とかがわかるんだ?」
小首を傾げて問い返すと、隣に座って聞いていたフロムが、ふふんと小馬鹿にするように嗤った。
「もし相手が構成人数に余裕のある組織なら、もっとマシな人材を使う筈だって事じゃないかな。子供を攫う事が目的なら、何をするかわからないような人間には任せられないでしょ? だのにそんな人材を送り込んできたって事は――、」
「他に人が居なかった。…つまり、動かせられる人間が限られていたという訳ですね」
フロムに同調するように、メイが言葉を続ける。
言われてみれば、リリオンの時も塔の時も、連中の手口はあまりに荒々しかった。リリオンが派手に暴れた事で自分達は“敵”の存在を認識した訳だし、塔は目撃者が居るにも拘わらず平然とクロンを攫って行った。連中の異様な能力があれば、人知れずクロンを拉致する事も可能だったにも関わらずである。
明らかに人攫いに向かないと知りながら、何故“教皇”なる人物は彼女達を起用したのか? ――なるほどミランダの指摘通り、「人材不足」という結論が浮かび上がる。もちろん、他の仲間は彼女達以上に凶暴だったという可能性も無くはないが……まずあり得る事ではあるまい。
「なるほどな…。それで、もう一つは?」
「根拠の二つ目は……まぁこれは補足に近いんだけど、敵が常にツーマンセルで動いてた事よ」
言いながら、ミランダは手に取った二枚のカードをVの字に重ねてテーブルに置く。
「異端の札が連中にとって何なのかは知った事じゃないけど、拘っているのは確かな筈でしょ? 何しろ人攫いすらやる程だから。けど、そんな重要な物を手に入れる為に送って来たのがたった二人だけ……っていうのは、少なすぎると思わない? さっきの件にしてもそうだけど、質も数も揃っていない証拠よ」
一理ある、とソールは内心思いながら頷く。今度はフロムの補足を受けるまでも無かった。
リリオン達の異常な能力にばかり目が行って気付かなかったが、もし彼女達が本気で異端の札とクロンを手に入れるつもりなら、初めから大人数で押しかけて来ていた筈だ。
人数が多ければそれだけ手間は省けただろうし、クロンを攫うのに手間取る事も無かった筈。にも拘わらず少ない人数で襲撃して来たという事は、やはり動かせる人間に限りがあったとしか思えない。無論、何処までも推測でしかないのだが……あながち見当外れではあるまい。
そして。敵の数が少ないという事は――。
「もし本当に敵が少数なら、付け入る隙は十分にあるね」
ソールより早く結論を出したフロムが、今度は真面目な表情を浮かべて話す。思考を阻まれたソールは彼を睨むが、彼は気にする様子も無く言葉を続けた。
「特に、相手が常にツーマンセルで動いてるってところはアドバンテージだと思う。クロン君を攫った人達の仲間が実際に何人いるかは調べようがないけど、行動するのが一人か二人なら、ボク達でも何とかできるんじゃないかな」
わざとらしく軽い声で語るフロムだが、彼の言い分はまさにソールの言いたい事であった。
異常な能力を持っているとは言え、操っているのは所詮生身を持った人間だ。やり方次第ではいくらでも対処しようはある。
問題はその“やり方”であるが、それはこれから考えればいい。周囲の意見の一致を感じたソールは勢いよくテーブルを叩き、再び周りの視線を自分に集めた。
「決まりだな。なら、ぼちぼち具体的な作戦を考えるとするか。クロンの奴が今どんな状況にあるかわからねぇから、手短にな」
強引に場を取りまとめ、議論を次のステップに持っていく。
あと少しだ。もうすぐ、助け出してやる。遠い場所にいるであろう相手に胸の内で語り掛けながら、ソールは皆との議論を続けた。
――――――
―――――
――――
ソール達の思惑が進行している頃。彼女達の思慮の届かぬ場所にて、ふわぁ……とだらしなく欠伸をする者がある。
教皇の
その表情には敵意や悪意と言った影は無く、無垢な子供の様にのんびりとした笑みを浮かべている。起きたばかりなのか時折眼鏡を外し、寝惚け眼を擦っていた。
時の概念すら忘れてしまう程の静寂の中、教皇はぱらりとページを捲る。――直後、部屋の扉を三度ノックする音が、教皇の耳に入った。
まるで赤子の腕で叩いているかのような軽い音。その音に一つの姿を連想した教皇は、澄んだ緑色の双眸をそちらに向ける。
「死神かい? 構わないよ、入っておいで」
優しく声を掛けると、レバー型のドアノブが下り、扉がゆっくりと開かれる。
扉の向こうに居たのは、小さな仔猫。人語を喋る黒猫デスであった。彼は部屋の中に入ると、まずは教皇の姿を見つけてぺこりと頭を下げた。
「おはようございます。読書中のところ申し訳ありませんが、少しお話してもよろしいでしょうか?」
「ん、大丈夫だよ」
教皇は読んでいた本を閉じて膝の上に置くと、向かい合う形で置かれたもう一つのソファに座るよう手で促す。
デスは軽い足取りでソファに乗ると、礼儀正しく座り込んで教皇と向き合った。
「話と言うのは、愚者の事かな?」
微笑を浮かべながら、教皇が問う。まるで心の内を見透かすようなその眼差しに、デスは驚いたように耳をピンと立てた。
「ご明察です。あのクロンという少年、今は落ち着いているようですが、やはりまだショックが大きいようです」
「無理も無いさ。昨日まで不自由なく暮らしていた子供が、突然知らない連中の根城に連れ込まれた訳だからね。…食事は取っているのかい?」
「一応は。ですが、あまり喉を通らないようで……朝食も殆ど残しておりました。あれでは体調を崩しかねません。如何致しましょう?」
「なに、すぐに慣れるさ。恵まれた環境に育った子供は、不幸に酔うものだよ」
きっぱりと言い切った教皇が、自然な笑みをデスに向ける。何か言い返そうとしたデスの言葉は、その表情によって阻まれた。
教皇とはこういう人物だった。少年のような純粋さと、大人としての狡猾さ。相反する二つ性質を無意識的に両立し、それでいて相手に疑念や不快感を与えない。有り体に言えば、底知れない所があった。
(恐ろしい御方だ……)
内心そう思いながらも、しかし、デスはそんな教皇が好きだった。
黒い一面もあるとは言え、教皇という人間の本質が“無垢な優しさ”である事を、彼は良く知っていたのである。
「…ところで、
「ん? ああ、ご明察ってところかな」
先程のデスの言葉をそっくり返しながら、教皇は隣の寝室に目を向ける。
「目を覚ましてはいるんだけどね。あの子は昔から朝に弱いから、あと三十分はベッドから離れないんじゃないかな。…呼ぼうか?」
「いえっ、いえ! お構いなく、何となく聞いてみただけですので…!」
慌てて取り繕おうとするデスに、教皇はけらけらと意地悪く笑って見せる。デスが塔を苦手としている事を知った上で揶揄ったようだった。
――と、そこに。
一人と一匹が爽やかな朝の会話を交わしているところに、再びノックの音が聞こえてきた。
塔の居る寝室からではない。僅かに開いたままの入口の扉からのようだ。デスと教皇がそちらに目を向けると――、
「お休みのところ失礼します。
澄んだ女性の声が、扉越しに聞こえてきた。
否。声質こそ人間と変わりないが、発音や抑揚と言った細かい部分に不自然な部分があり、それが肉声では無い事を直感させる。即ち、人の声に似せた電子音である。
「やあ、
落ち着いた教皇の肉声が、部屋の外にいる人物に向けられる。少しの沈黙の後、「了解しました」と再び電子音が響き、部屋の扉がゆっくりと開かれた。
そこに居たのは、端正な顔の人物。青いセーターの上にレザージャケットを羽織り、青いロングスカートを穿いた、長身の女性だった。
――否。女性、と言うのは正しくはない。女性に似せて作られた機械という表現が正確だろう。白い肌に見える金属製の体に、眼球は青く発光するアイカメラ。銀色のロングヘアーも地毛では無くカツラで、無論、眉やまつ毛といった体毛も全て作り物である。
ただ、その外見は限りなく人間に近く作られており、パッと見ただけではこれが機械であるとは気付きにくい。その上香水で体臭まで再現しているのだから、デスでさえ“彼女”を初めて見た時は人間と信じて疑わなかった。
『
「小型の熱源を探知。内部データを検索、照合。――おはようございます死神。今日も良い一日を」
月は口をぱくぱくと動かしながら、喉元のスピーカーで声を発する。社交辞令と呼ぶにも相応しくない、棒読みによる挨拶だった。
デスは少し躊躇いながらも、「どうも」と軽く返答する。月はそれを見届けた後、次いで教皇へと
「おはようございます教皇。今日も良い一日を」
「はは、ありがと月。最近調子はどう?」
「エネルギー残量97%。予備パーツのストックに問題なし。定期メンテナンスもクリア。極めて良好です」
「あ、君じゃなくてDr.31の方ね。やだなー、いくら僕でもロボットに体調を聞いたりはしないよー」
手をぱたぱたと振って笑う教皇。月は表情を少しも変えず、「失礼しました」と即座に返した。
「本日の博士の睡眠時間、体温、音声等を平常時と比較する限り、何の異常もありません。従って博士の健康状態は良好と思われます」
感情らしいものを一切見せず、淡々とした口ぶりで月は答える。文字通り機械的な対応であるが、教皇はむしろそんな月の様子を楽しんでいるようだった。
「それで、博士からのメッセージというのは?」
「はい。口上をそのままお伝えします。――新たな異端の札の反応を探知した。至急回収に向かって欲しい。――との事です」
ピク、とデスの耳が動く。何処か眠たげだった教皇もこの一語で目が覚めたようで、怪訝な表情を浮かべてちらりデスと目を合わせた。
「あれ…、変だな。愚者のカードなら昨日回収したんだけどね。その事は博士にも報告したと思うけど」
「いえ。
「…へぇ」
デスに注がれていた視線が、再び月へと向けられる。すぐ傍で話を聞いていたデスは、「昨日の今日でですか?」とどちらにとも無く問いかけた。
「異端の札の出現は、半年に一度あるかどうかと聞いています。愚者を回収したその次の日に、また新たな異端が出現したと言うのですか?」
「前例が無い訳ではありません。過去にも審判チーム所属の“悪魔”と、同じく審判チーム所属で既に処刑された“吊られた男”が、同時期に異端の札を発現させるケースがありました」
自分への問いと判断したらしい月が、青色の双眸をデスに向ける。「稀なケースだけどね」と教皇の穏やかな声が補足し、半ば強引に事実を受け入れさせた。
「状況は把握した、すぐに回収に向かうとするよ。それで、異端の札の反応は何処から?」
「はい。異端の札は、昨日愚者を回収した地点と同ポイントで停滞中。どのような状況かはわかりませんが、現在は完全な静止状態にあります」
その言葉を受けた途端、教皇の顔つきが変わった。愛嬌すらあった柔和な表情が消え、冷静な大人としての振る舞いに変わる。
「…確かな情報、でいいんだね?」
「はい、間違いありません。昨日愚者を回収したポイントが、そのまま新たな異端の札の現在地です。博士も解せない様子でしたが、全ての判断は教皇に一任するとの事です」
表情を変えずに月が答える。
教皇は納得したように二度頷いた後、瞳を閉じて暫し沈黙した。
「…失礼。という事は、二枚の異端の札が同じ場所で発現したと言うのですか? それはまた凄い偶然ですね…」
デスが横から話に割り込もうとすると、「偶然じゃない」と教皇の言葉が更に割って入る。怒っている様子では無いが、その口調はいつもより厳しいものに思えた。
「タイミングが重なるだけならまだいい。けれど場所まで同じとなると、偶然の一致とは思えない。まず、人為的なものだろう」
「…人為的と言いますと?」
質問を重ねると教皇の目がゆっくり開かれ、落ち着いた視線がデスに向けられる。何か気に障る事でも言ってしまったかと内心委縮していると、「愚者の仲間が居た筈だ」と教皇の声が続いた。
「愚者を回収した際、近くに何人かの子供が居たと塔から聞いた。多分、それが呼び水になったんだろう」
「呼び水、ですか…」
「そうだ。知っての通り、異端の札は触れた者の精神に反応して変化する物だ。友人を攫われた子供達が、彼を助けたい一心で異端の札を発現させたというのは十分に考えられる。あるいは自分達とは別に新しい異端を見つけ出したのかも知れないが……どちらにしても、愚者の仲間が関わっていると見て間違いないだろう」
確信を持った言葉がデスの胸に注ぎ込まれ、「そうなのだろう」という無意識的な納得となって心の奥底に湧きだす。
少なくとも、他に可能性は見出せない。答えが一つしか無いのであれば、それが正解と見るのが道理だろう。
『もし貴方が、あの少年。愚者との再会を望むのならば――』
『貴方も
昨日、クロンの友人の
戯言のつもりで言ったあの言葉を、彼女達は本気に受け取ったのだろうか。“仲間を助けたい”、ただその一念で異端の札を発現させたのだとすれば――…。
「とにかく、異端の札が出たからには回収に向かう必要がある。死神、頼まれてくれないか。
デスの思考を遮断し、教皇はソファから立ち上がる。彼は部屋の隅に置かれたデスクに向かうと、ノートパソコンに似た形状の機械を開き、電源を入れる。仲間同士で連絡する際に用いる、特殊な通信機のようなものだった。
「力、僕だ。教皇だ。朝早くからすまないが、新たな異端の札の反応があった。回収に取り掛かって欲しい、大至急だ」
通信機に向かって教皇は命じる。
彼の声は機械を通じてリリオンの部屋に届けられ、リリオンの返事もすぐに返って来る筈なのだが……反応はない。教皇が何度か呼びかけても、彼女からの返答は無かった。
「……あれぇ?」
「反応が無いですね。まだ寝ておられるのでしょうか?」
他人事の様にデスが言うと、教皇は呆れたように「まったく…」と吐き捨てて通信機のスイッチを切る。これ以上呼びかけ続けても無駄だと悟ったようだった。
「…仕方ない。死神、悪いけど一人で回収に向かってくれないか。場所はわかっているんだ、君だけでも十分に仕事を遂行できる筈だ」
「それは……そうしろと仰るのならそうしますが、愚者の見張り役はどうするのです?」
「構わないさ。どうせ彼は自力でここから逃げる事は出来ないし、今優先すべきは異端の回収だ。手を拱いている暇はない。…頼まれてくれるね?」
いつしか教皇の表情は普段通りのものに変わり、にこりと笑みを浮かべてデスの顔を見つめていた。
こう言われては、デスに断る理由は無い。デスは「畏まりました」と快諾すると、即座に行動に移った。
デスの背後。ソファの後ろから、真黒な腕が出現し、彼の小さな体を抱き上げる。デスの異端の札――、《グリムリーパー・リゼンブルズ・キャット》である。
「では、行って参ります」
猫耳の生えた背丈の小さい死神は、胸の辺りにデスを
「教皇。よろしかったのですか?」
「ん…?」
長らく沈黙していた月が、堪り兼ねたように口を開く。教皇は小首を傾げて彼女の方を見ると、「何が?」と恍けた表情で尋ねた。
「相手が愚者の関係者だとすれば、今回の異端の札の反応は罠である可能性が考えられます。死神一人に向かわせたのは、聊か危険かと思われますが」
「まあ、そうだろうね。死神は気付かずに行ってしまったけど、
そう言うと教皇は再び立ち上がり、部屋にただ一つだけの窓の傍に歩いていく。
「何にしても、これで異端の札は十八枚になる。全ての異端の札を揃え、滅びゆく世界を救うという二十年来の悲願の達成も目前だ。長い長い旅だったけど、それももうじき報われる」
「……十七枚です、教皇」
僅かな沈黙の後、月が訂正を入れる。教皇は目を丸くして月を振り返った後、「そうだった」と思い出した様に微笑んだ。
「まあ、好きにやらせてみようじゃないか。若い世代のお手並み拝見だ」
静かに呟き、教皇は窓を覆う赤いカーテンを開けて外の景色を眺める。
何処までも広がる不毛の大地と、オレンジ色の空に舞う無数の黒い羽根。全ての生命が死に絶えた、かつて世界だったものの残骸――。滅びを迎えた世界の光景であった。
――――――
―――――
――――
トンネルを一つ抜けると景色がガラリと変わるように。あるいは国境を一歩抜けると環境がまるで異なるように。隣の世界に到着したデスの目に飛び込んで来たのは、教皇の部屋とは全く異なる光景だった。
青空の天井に太陽の明かり。土と砂利と絨毯、近くには遊具のようなものが見える。規模は小さいが公園のようだ。デスは滑り台の上に出現した空間の渦からひょいと顔を覗かせ、まずは周囲を確認する。
並行世界を行き来すると言っても、それは扉一枚を通り抜けるようなもので、大した労力でも無ければ大仰なものでも無い。デスは近くに人の目が無い事を確認すると渦の中から飛び出し、滑り台の側に軽く着地した。
太陽の位置からしてお昼前の時間帯らしいが、公園には人っ子一人見当たらない。遊具の少なさや雑草の伸び具合を見るに、滅多に人の寄りつかない寂れた場所であるようだ。
(どうやら、昨日の場所に間違いないようですね)
昨日クロンを回収し、塔と共に見知らぬ決闘者二人――クリフと亮助といっただろうか――とデュエルした公園。今デスが立っているのは紛れも無くあの場所だった。
ただ、肝心の異端の札の所有者らしき人物は見当たらず、早くも月の情報と差違が見られる。公園の外に野良猫が訝しげにこちらを見ているのが確認できるが、あれが所有者という事もあるまい。
「逃げられましたか。あるいは近くに潜んでおられるのか…」
呟きながら、デスはざっと周囲を見渡す。
二つ並んだ大型で四角形のゴミ箱。敷地の隅に一本だけ生えた木。伸びきった茂み。隠れようと思えば、公園の中だけでも身を隠せる場所はいくつかある。
試しに一つ一つ探ってみようか。そう考えていると、デスの目が思いがけない光景を捉えた。
(おや…?)
公園の入り口近く。ジャングルジムの隣の砂場に、一枚のカードがあるのが見える。砂山に突き刺されたそのカードは遠目からでは確認できないが、どうやら遊戯王のカードであるようだった。
「あれは…」
もしやと思い、デスはトコトコと軽い足取りで砂場に向かって行く。ゴミ箱や茂みといったものは、あっと言う間に頭から離れてしまった。
一歩近付く毎にカードは鮮明に見えていき、砂場に足を踏み入れる頃には、カード名すらはっきり読み取れるようになっていた。
《アンブレイカブル・ザ・ワールド》と名が刻まれたモンスターカード。イラストには0と1の数字で構成された女体が今にも動き出しそうな躍動的な体勢で描かれており、デスを見返している。
「
刹那。爪先で触れた部分の色彩が薄れたかと思うと、そこから上書きするようにカードが変化していき、やがてデスが所有する《グリムリーパー》のカードへと姿を変えた。触れた者によって変化する、異端の札の性質である。
「やはり異端の札…! と言う事は情報通り、新たな異端者はすぐ近くに――、」
「そう言うこった。待ってたぜ」
背後から声。人の気配。
異端の札に気を取られ、周囲の警戒を怠っていたデスは戦慄し、咄嗟に振り返ろうとする。金色の双眸が相手の姿を映そうとした瞬間、デスの目に砂の飛礫が飛び込んで来た。
「うわっ――!」
砂が眼球に当たり、怯みながら反射的に目を閉じる。
何が起きたのかは突然過ぎて理解が追いつかなかったが、視界を遮断された事でデスの本能が生命の危機を察知する。
(もしや、誘い込まれた――?)
遅まきながら気付くデスであるが、今はそんな事を考えている暇はない。相手の数も姿も見えない今、取れる行動はただ一つ。自分の身を守るべく《グリムリーパー》を実体化させる事だ。
「異端の札ッ、グリムリーパー・リゼンブルズ…!」
「おっと。妙な真似はすんなよ、糞猫」
見えない相手の凄んだ声が聞こえたかと思うと、人間の手らしきものがデスの後頭部を鷲掴みし、そのまま顔面を砂場に押し付けた。
口の中に砂が入り込み、「ぶわッ」と情けない声が代わりに飛び出す。いよいよ身の危険を感じたデスは、とにかく《グリムリーパー》を展開して身を守ろうとするが――、
「警告しとくぞ。見えねーだろうがテメェの鼻先にはナイフが突きつけられている。抵抗しようとしてみろ、瞬間テメーの目ん玉をタコ焼き引っくり返すみてーに
怒気を含んだ少女の声が、これ以上無い脅迫となってデスを拘束する。
見えないという恐怖はもちろんだが、それ異常にデスが恐怖したのは、その声が明らかに本気であると直感できる事であった。
この状態からでも異端の札で身を守る事は可能だが、ここまで接近されては無傷という訳にはいかない。実体化には最低でも二~三秒の時間を要するし、猫の腕力で拘束を振り払う事は不可能だ。
無論、負傷覚悟で無理矢理に抵抗する事もできなくはないが……『異端の札の所有者の回収』という使命を思えばそれも許されない。もし今自分を押さえているのが目的の人物で、抵抗した弾みでうっかり殺害してしまいでもしたら元も子もないのだ。
結局、デスは従うしかない。彼は諦めたように耳と尻尾をペタンと寝かせると、「…わかりました」と諦めを含んだ声で相手に話しかけた。
「降参です…。抵抗も逃走も致しませんから、どうか命だけはお助けを」
自分でも驚くほどあっさりと白旗を掲げたデスは、両前脚をぐっと前に突き出して
口の中で砂の味が広がっていくのが気になったが、吐き出している余裕はない。何が相手の機嫌を損ねるかわかったものではないからだ。
「よーし、いい態度だ。今からテメェにいくつか質問する。全てに正直に答えな。黙ってたり嘘を吐いた場合は殺す。わかったな?」
「……。…わかりました」
ハッタリでは無いのであろう声に答えていると、両目の異物感が薄らいで来た。デスは少し躊躇しながらも薄っすらを目を開き、ここで始めて、自分を襲った相手の顔を目撃した。
緑色の髪をポニーテールにした、十歳前後の少女。昨日デスがクロンを回収した際にその場にいた、目撃者の一人だった。
「貴方は、確か…」
「おっと、余計な口は叩くんじゃねーぞ糞猫。命令すんのは俺様だ、私語は慎みな」
そう言って、少女――ソールは、右手に握った裁ちバサミをデスの鼻先に突き付けている。先程ナイフと言ったのは誇張だったようだが、悪意を持って使えばハサミも凶器には変わらない。
いや、それよりも。デスが驚いたのは、この場に居る人間の殆どに見覚えがあった事だ。
昨日自分と塔とデュエルを行ったクリフ、亮助と呼び合っていた少年達に、以前リリオンとデュエルした女性。他にもあの場に居た覚えのある人間が集まっており、その数はソールを含め合計八人。それぞれ敵意を持った目でデスを睨んでいた。
(そういう事か…)
全てを察したデスが、自嘲するように溜息を吐く。
今回の異端の札の反応は教皇が推測した通り、クロンの仲間である彼女達が用意したものだったようだ。何処に隠れていたのかは知らないが、彼女達は異端の札で自分の注意を引き、虚を突いて拘束しようと計画していたのだろう。
粗のある古典的な作戦ではあるが、こうして引っかかってしまったからには文句は言えない。まんまと釣られた形だった。
「さてと、それじゃ質問するぜ。…クロンの奴はどうしてる?」
デスが状況を把握したと見て取ったソールが、一度デスの鼻先からハサミを離して問う。その質問は予想の範疇であったが、デスは少し間を置き、言葉を選ぶようにして回答した。
「彼ならば、僕達の拠点で丁重にお預かりしております。危害は一切加えておりませんし、もちろん生きておられます」
「ほー? その証拠は?」
「…異端の札に選ばれた彼は、僕達にとっても大切な存在です。そんな彼を粗雑に扱う筈がない……と、申し上げる他ありません」
できる限り慎重に、相手の意に沿うようにして返答する。
無論デスの言葉に嘘は無かったが、この場で重要なのは言葉の真偽よりもそれを相手が信じてくれるか否かだ。もしソールがデスの言葉を嘘と見て取ったら、躊躇なく手に持ったナイフを振り下ろすだろう。そんな迫力が彼女にはあった。
「いいだろ、じゃあ次だ。テメーの仲間は他に何人居る?」
「…十人です。昨日僕と一緒だった塔さんと、リリオンさん。僕の上司の教皇さんに、他にも審判、正義といった仲間が居ます。もっとも殆どの人は出払っていて、今拠点にいるのは五人だけですが」
「テメェらはいつも二人一組で行動してたのに、今回に限って一匹で来たのは何でだ?」
「…他に動ける人が居なかったのです。塔さんとリリオンさんはまだ寝ておられますし、統率者の教皇が拠点を離れる訳にもいきません。他の二人の仲間はそもそも回収作業の担当ではありませんから……止むを得ず、僕一人で来た次第です」
こんな事なら一人で来るべきでは無かった。そう続けようとして、慌てて言葉を飲み込む。言葉を選んだ甲斐あってソールは納得してくれたらしく、「なるほどな」と呟いて二度ほど頷いていた。
だが、安堵している暇はない。ソールの質問が一旦止まったかと思うと、続いて別の女性が一歩前に出て「それじゃあ」と話しかけてきた。
「貴方達が連れ去ったクロン君を、今すぐこの場に連れて来てもらおうかしら。貴方達の異端の札、そういう事もできるんでしょう?」
以前リリオンとデュエルしていた女性――確か姫利と呼ばれていただろうか――が、厳しい表情で尋ねてくる。
彼女はソールのように武器こそ持っていなかったが、明らかな怒りの表情を浮かべていた。デスは少し沈黙すると、これも相手の意に添うよう言葉を選んで回答する。
「可能かと言われれば可能です。…が、彼をここに連れて来る為には、僕自身が一度拠点に戻る必要があります。異端の札は自分や周囲の人間を転移させる事はできますが、遠くに居る人間を近くに持って来る事はできないのです。しかし貴方達が僕を拘束している限り、僕は拠点に帰る事はできません。そう言う意味では、不可能とも言えます」
「……貴方の仲間に連絡して、連れて来させるって方法は?」
「…恐らく、難しいでしょう。僕は組織の末端、歯車の一つに過ぎません。仲間が僕の命を取るか、それともあの少年を取るか、僕にもわからないのです。…いえ、恐らくは僕を見捨てて、異端の札に選ばれた者の回収を優先しようとするのでしょう。僕も命は惜しいのですが」
この言葉にも嘘は無かった。
自分達の目的はあくまで異端の札を全て揃える事。滅びゆく世界を救うという本懐を遂げる為なら、仲間一人失うくらいは些細な犠牲でしかない。あの優しい教皇でさえ、それを選択するだろうという確信があった。
「現時点では、あの少年をここに連れてくる方法はありません。貴方達が一度僕を開放してくれるというなら話は別ですが、僕がメロスのように戻って来るとは限りませんし、貴方達も僕を信用はしないでしょう。…それに、教皇には今日まで育てて頂いた恩があります。あの方を裏切るような事はできません」
きっぱりと言い切り、デスはそれきり口を閉ざす。
彼女達がこの事実をどう受け止めるかは定かでは無いが、無理なものは無理と言い切るしかない。その女性、姫利は「本当でしょうね?」と念を押した後、瞳に一縷の哀しみを浮かべて周囲の仲間達の顔を見渡した。
「困ったわね…。どうする? 見た感じ嘘を言ってる様子はないけれど」
「当てが外れたってところだねぇ。この猫を三味線にしたところでクロぽんがリターンのRしないなら意味ないし…」
姫利の問いかけに、恍けた表情を浮かべた青髪
「この猫に人質……じゃなくて猫質の価値がないとなると、この場でプランBを用意しなきゃって事になるんだけど、何か良いアイデアござったりする?」
「そうですね…。思いつく限りでは、この猫を警察の方に見せて敵が常識外の存在である事を説明し、協力を仰ぐのが最善でしょうか……」
たおやかな印象の
その迷いを、デスは見逃さなかった。
「警察の協力を得たところで、僕達をどうこうする事はできませんよ。それより平和的な解決を目指しましょう。貴方達の中に異端の札に選ばれた人が居るのでしょう? 僕を開放して、その方をお引渡し頂けるならこの場は――、」
「おい糞猫。一つ確認すんぞ」
デスの言葉を無視したソールが、ハサミの持ち手部分で頭を小突く。主導権はあくまでこちら側だと言わんばかりに声を凄ませながら。
「クロンの奴をここに連れて来る事はできねーが、クロンの所に行く事はできるんだな?」
「…そう申し上げたでしょう。ですが、僕が拠点に戻ってあの少年を連れて来る為には一度僕を開放しなければなりません。しかし開放してしまったら、僕には貴方達に協力する義理は無いのです」
「つまりだ。
更に威圧を掛けながら、ソールが問う。驚いたのは彼女の仲間、姫利達だった。
「ちょっと、ソールちゃん!? いきなり何を言い出すの!?」
「聞いての通りだ。クロンの奴をここに連れて来る事ができねーってんなら、直接こいつらのアジトに乗り込んであいつを助け出すしかねぇ。それならできんだよな、糞猫?」
「ちょ、ちょい待ちソルたん! それ絶対ヤバいやつだよ、自分から敵の真っ只中に飛び込むって事でしょ!?」
姫利に続いて百合が慌てて待ったを掛けるが、ソールは聞く耳持たずと言った様子でデスを睨みつけていた。
それにしても、自ら敵の拠点に乗り込もう……とは、何と無謀な提案だろうか。一瞬我が耳を疑ったデスだが、やがて呆れたように吐息した。
「確かにそれは可能です。ですが…、正気ですか? 僕達の拠点に来るなんて、言わば鼠が猫の群れの中に飛び込むようなもの。行ったが最後、到底生きては帰れませんよ」
「誰が鼠で、誰が猫だ? テメェらの仲間が邪魔をするってんなら、そいつらも全員ぶっ倒してやるだけの事だ。現にテメーは俺様に命を握られてんだろーが?」
「貴方は何もわかっていない。貴方も見たでしょう、塔さんの異常性とリリオンさんの凶暴さを。…いえ、あの二人は教皇に従っているだけまだ
声に焦燥を表しながら、デスは早口に語る。ソールは聞いているのかいないのか恍けた表情を浮かべていたが、デスは構わず話を続けた。
「僕達とて一枚岩ではありません。人の命を何とも思っていない外道の仲間だっているのです。妙な考えはお止めになった方がいい、これは警告です」
「テメェは違うってのか…? 人間一人攫っておいて、テメェは何か思うところがあったってのか…!?」
怒気を含んだ声に殺意が混ざり、ハサミを握る手にぐっと力が入る。デスはしまったとばかりに口をつぐみ、これ以上相手を刺激しないように努めた。
「……つー訳だ。俺様はこれからこの猫野郎を連れてクロンの奴を助けに行く。テメェらはどうする?」
少しの間を置いて、怒りが静まったらしいソールが仲間達に声を掛ける。どうやら警告は無駄に終わったらしく、その瞳には決意のようなものが秘められていた。
だが、一方で彼女の仲間達の表情は重い。それぞれ思うところはあるだろうが、少なくとも皆彼女の提案には否定的なようだった。
「…私は行くわ」
そんな中、一人だけソールの意見に賛同する者がある。鮮やかな金髪の
「クロンの救出も大事だけど、私の目的はクリフを怯えさせた塔って奴に地獄を味わわせる事よ。その為には敵の拠点に乗り込んだ方が手っ取り早いでしょう?」
「ミラお嬢様…!」
「ただし、行くのは私とソールだけ。メイ達はここに残っててちょうだい。これ以上クリフを危険な目には遭わせられないわ」
慌てて止めに入るメイを、ミランダは手で制する。――文句は言わせない。彼女の表情はそう物語っていた。
だが、だからと言って承知できる者はこの場に居ない。案の定、ミランダの弟クリフが「ボクも行くっ!」と姉の脚にしがみ付いた。
「おねえちゃんが行くなら、ボクも一緒に行く! いっしょに行って悪い人たちをやっつけて、クロンくんを助けるっ!」
「駄目よクリフ。ここからは本当に危険なの。お友達はお姉ちゃんが絶対に助けてあげるから……クリフはメイと一緒に、ここに残っていなさい」
「やだっ! やだっ! 連れてってくれないなら離れないもんっ!」
今にも泣きだしそうな表情を浮かべて、クリフはぎゅーっとミランダの脚に回した両腕に力を込める。これにはミランダも困った表情を浮かべて、助けを求めるようにメイに視線を向けていた。
「…ミラが行くって言うなら、私も行くわ。もともと私の弟子の事だもの、ミラだけに任せていられないわ」
続いて同行を表明したのは、他ならぬ姫利だった。最初こそ反対していた彼女だが、ここまで来たら覚悟を決めるしかないと考えを改めたらしい。重く苦しげな表情を浮かべて、小さく挙手していた。
「…姫りんが行くって言うなら、じゃあ私も」
姫利が賛同した事で、場の空気も変わった。同じく反対派であった筈の百合が姫利に釣られる形で手を上げて、彼女の腕をぐいっと引き寄せる。
「なら、俺も行く。あのリリオンって姉ちゃんと塔って子には俺も借りがあるし、俺だってクロンを助けたいしな」
続いて亮助が決意を表明し、泣いて駄々をこねるクリフの肩に手を乗せる。
「お姉ちゃん達が行くって言うなら、ボクも付いていくよ。女性を守るのは男の役目だからね。…正直、気は進まないけど」
しぶしぶと言った様子で、フロムが手を上げる。
これでほぼ全員が参加を表明した。最後の一人メイは暫く瞳を閉じて沈黙した後、「お嬢様」と重い口ぶりでミランダに話しかけた。
「及ばずながら、私も同行致します。この様子ではクリフ様は何が何でもお嬢様に着いていく筈です。ならば私もご一緒して、お嬢様とクリフ様をお守りします。例えこの身に代えてでも」
「………」
ミランダは、何も言わなかった。いや、言うべき言葉が見つからないようだった。
攫われた子供を助け出すという大義と正義を背負った強固な意思は、誰にも抗い切れるものではない。彼女は否定も肯定もせず、代わりにクリフの頭を撫でて微笑を浮かべた。
「決まりだな。仲間ってのはいいもんだなぁ、糞猫」
この場の全員が賛成したのを見て、ソールがにやりと口元を釣り上げて皮肉を吐く。デスは呆れているのか驚いているのか、ポカンと口を開けて彼女達の姿を見比べていた。
「……どうやら、何を言っても無駄なようですね」
やがて。説得は無意味と判断したデスが、呆れたように溜息を吐く。
たった一人の人間の為に、どうして身を投げ出せるのか? デスには良くわからない感情であったが、それが彼女達の望みというのなら是非もない。“死神”らしく地獄への片道切符を、切ってやるだけの事だ。
「警告はしました。いいでしょう、貴方達が僕達の世界に来たいと言うのなら、招き入れようじゃありませんか」
静かに告げたデスの体の下から、再び黒い粒子が噴出する。ソールは今度こそそれを止めず、粒子はこの場にいる全員を黒く包み込み、ドーム状の円となって固まっていく。
もう誰も後には引き返せない。見えなくなっていくソール達の表情には、同じ思いが浮かんでいた。
「
デスを含めた全員を包んだ黒い粒子が再び分散し、宙に溶けていく。
やがて粒子が全て溶けて消えた時、そこにはもう、誰の姿も無かった。ソールが持っていたハサミだけが、かさっと軽い音を立てて砂の上に落ちた。
――――――
―――――
――――
闇の中、ふわりと浮かぶような感覚が全身を巡る。
深海に身を落としたような、あるいは無重力下に放り出されたような。そんな心地良い開放感にしばし身を委ねていると、再び重力の糸が身体に絡み付いて来て、ソールは離れかけていた意識を取り戻した。
いつしか目の前の闇は晴れ、廃墟の中のような光景が広がっている。ほんの数秒前には公園に居た筈が……一瞬の変化であった。
「……ここが…」
意識の外で呟いて、ソールは周囲をぐるりと見渡す。
一見して、尋常な場所ではない。壁に点々と取り付けたランプに照らされる廊下、豪華なレリーフが刻まれた天井。壁には所々に亀裂が入り、崩れ落ちた瓦礫が床に放置されている。近くには螺旋階段があり、それぞれ上階と下階に向かって伸びていた。
窓は全て木の板で塞がれ、外の様子は確認できない。従ってここが何処なのか、何階なのかも確かめようが無かった。
「どうやら、着いたみたいね」
ソールのすぐ近くには、仲間の姿もあった。その内の一人姫利が、ソールと同じように周囲を観察しながら誰にともなく呟く。
「見た感じ、何処かのお城か宮殿の成れの果てってところかしら。人が住む場所というよりは、ちょっとした心霊スポットね」
「だねぇ。携帯も圏外みたいだし、埃っぽいし、ノーマルな場所じゃないのは間違いなさそうかも」
余裕さえ感じさせる口調で恍けながら、百合が状況を確認する。ソールも確認してみると、確かに携帯電話は圏外を示している。予想はしていたが、ここは外部との接触を遮断された場所のようだった。
本当にここにクロンが居るのだろうか? ふと疑問に思うソールだが、肌に感じるピリピリした感覚と直感が、間違いないと訴えている。この建物の何処かに、必ず彼は居る筈だ。
「よーし…。おい糞猫、クロンの所に案内してもらおうか」
左腕を持ち上げデスに命じようとした刹那、さっきまで掴んでいた筈のデスが忽然と消えている事にソールは気付いた。
いや、デスだけではない。右手に持っていた筈の
(まさか…!)
悪寒が走る。
ソールは慌てて周囲を、今度は体全体で見渡し、消えたデスの姿を探す。薄暗い場所で黒猫を見つけるのは困難であったが、廊下の向こう、十五メートルほどの距離に小さな黒い塊が逃げていくのを辛うじて捉える事ができた。
しまった。そう思った時にはもう手遅れだった。黒い塊は一度ソール達の方を振り返ったかと思うと、再び廊下を走って視界の外に消えていく。敵の拠点に着いたのも束の間、早くも最悪の事態だった。
「くそッ! あの猫野郎、逃げやがった…!」
ソールが怒りに任せて叫ぶと、姫利達がぎょっとした様子で彼女の方を見る。
ここは敵地。そこで唯一の人質であるデスに逃げられたというのは、地雷原の中心に取り残されたにも等しい。…いやそれ以上に危険な状況だった。
あの猫はこれから自分達の事を仲間に報告しに行くだろう。そうなれば彼の仲間が自分達を処理しに来るのは必然だ。と言って、今からデスを追いかけたところで捕まえられる訳もない。
「くっ…! 仕方ねぇ、さっさとクロンの奴を見つけて脱出すんぞ! 俺様は上の階を探すから、テメェらは他を頼む!」
焦りを覚えたソールは、血気に任せて近くの螺旋階段を登っていく。「ソールちゃん!」と叫んだ姫利の声は、彼女の耳に入らなかった。
「何て事を…。一人で行動するなんて無茶よ。敵に見つかりでもしたら…!」
「…ボクが追いかけるよ、姫利お姉ちゃん。捕まえて来る」
動揺と緊張で動けない姫利の横をすり抜け、フロムがソールの後を追って螺旋階段を登っていくいく。「あの馬鹿…!」と舌打ち混じりに吐き捨てた声は、誰の耳にも届かなかった。
「ちょっと、フロム君まで! …くっ。ミラ、ここは任せるわ。あの子達は私が何とかするから…!」
一瞬遅れて、今度は姫利が二人を追って階段を登っていく。その後ろ姿を見て、ミランダは呆れた表情で「まるでミイラ取りがミイラね」と皮肉を一つ呟いた。
「…仕方ない、ここは二手に分かれましょ。メイ、あんたは姫の後を追ってちょうだい。私と百合はクリフとこの亮助って子を連れてクロンを探すわ」
「お嬢様、ですが…!」
「クロンを見つけたら一度合流して、それから脱出よ。その為には、人数は均等に分けた方がいいわ。…姫はあの子を御しきれていないようだしね」
何か言おうとしたらしいメイを言葉で制し、ミランダは早く彼女達を追うよう手で指示した。
時は一刻を争う。メイは一瞬躊躇した後、「わかりました」と承諾し、「どうかご無事で」と祈りを残して姫利達の後を追った。
八人居た仲間が、瞬く間に四人と四人に分散する。それが致命的となるか英断となるかはわからない。しかし状況は早くも、確実に。彼女達を窮地へと導いていた。
ギャオッス、作者の恐竜紳士です。
最近はデュエル無しの回が多かったですが、次回からは久しぶりのデュエル回になりますです。
しかも五連戦! デュエルシーンを書くのは大好きなので、今から書くのが楽しみですたい。
今までは一つのデュエルに二~三話かけていましたが、今後はタッグデュエルや特別なデュエル以外は一話で纏めていく予定です。
あと、しばらく実験的に次の対戦カードを後書きで発表していこうかなーと思います。そっちの方が何となく面白いかなーって。ネタバレというより次回予告的な。
と言う訳で、怒涛の五連デュエル、一戦目はソール姉貴vsリリオン姉貴となります。
さーて、遊戯王っぽい事を始めようじゃないかー>ヮ<