クロンの呼応   作:恐竜紳士

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前回までのあらすじ。

主人公達、全滅して敵に捕まったらしいっすよ。


第三十七話:The Show Must Go On.

 コイントスの表と裏で結果が変わるように。あるいはタロットの意味が正位置と逆位置で異なるように。勝利するか敗れるかで、人の運命は大きく変わる。

 勝者の得るものが多い程、敗者が失うものは大きい。ましてや法の加護など存在しない環境での争いとなれば、敗者の末路は無残なものとなる。

 

 ――…正しさは、実らなかった。

 

 攫われた子供(クロン)を助ける為。ただそれだけの為に敵に挑んだ正しい心は、圧倒的な悪の力の前に敗れた。姫利達九人は敵の拠点である廃墟の屋上に集められ、周囲を敵に囲まれて“今後の処遇”を決められる身となっている。

 逃げ出そうにも体には敵とのデュエルで受けたダメージが残っているし、手足を縄で縛られている為に逃走も叶わない。生殺与奪の権は、まさしく敵に掌握された形だった。

(でも、まだ死ぬと決まった訳じゃない…!)

 絶体絶命の状況の中、クロンは動けない体の代わりに頭を働かせて真直ぐに敵を睨みつける。

 どんな絶望的な状況にも、必ず活路は存在する。糸の様にか細いその活路を見逃す事が無ければ、きっと未来は拓ける筈だ。それがこれまでの経験から学んだ、彼なりの哲学だった。

 だからこそ、今は何が生き残りのヒントとなるかわからない。クロンは早まる鼓動を懸命に抑えながら、敵の吐息一つにも聞き耳を立てた。

「こいつらか。俺達に挑んだガキってのは」

 何もない空間から現れた強面の男が、感情の読めない声で吐き捨てる。

 初めて見る顔だが、教皇達の仲間である事は間違いないだろう。彼と共に現れた三人の男女も、同様の筈だ。

「馬鹿な奴らだ。たかが数人で俺達を倒せると考えていたとはな。正しい者は必ず勝つとでも思っていたのか?」

 黒いコートのポケットから煙草を取り出しながら、強面の男、“審判”が呟く。

 感情も人情も一切感じられない漆黒の瞳が姫利達の顔を右から左へと見つめ――…ふと、クロンと目が合う。瞬間、彼の眉がピクリと動いた。

「ん…?」

 審判の瞳がクロンを映し、次いで隣にいるソールを映す。彼は米神に指を当てて考えるような仕草をした後、やがて思い出した様に小さく頷いた。

「…そうか。お前達か(・・・・)

 心持ち驚いた様子で呟いた後、審判はじっとクロンとソールを凝視する。思い掛けない彼の様子にクロンが目を丸くしていると、審判の瞳が再びクロンに向けられた。

「名前は確かクロン……と、ソール……だったか? 因果だな。こうしてまた、生きているお前達と巡り逢うとは。お前達が絡んでいるのなら、この状況も少しは納得できるか」

「え…?」

「もっとも、お前達は俺の事など知らないだろうがな」

 苦笑交じりに呟き、審判はクロン達に背を向けて仲間達の方へと歩み寄る。クロンはその後ろ姿を見ながら、鳥肌が立つような感覚を抱いた。

 お前達か。そう彼は言った。名乗ってもいない自分とソールの名前を言い当てもした。まるでずっと以前から二人の事を知っているかのように、自然に。

「……あいつらに俺様達の事を話したのか?」

 そうソールが質問するのも無理は無かったが、クロンは「まさか」と首を横に振って、

「ただ、向こうはボク達の事を知ってるみたいです。それも、多分、ずっと遠い記憶として」

 それが何を意味するのかはわからなかったが、考えてみると、そんな気配は教皇にもあった事に気付く。

 昨日、初めて教皇と顔を合わせた時。何気ない会話の中で、教皇がこんな事を言っていた。

『――ところで、君は信心深い方だったかな?』

 さり気無い言葉だったので気にも留めていなかったが、今思えばこれは不自然な物言いだった。

 “君は信心深い方だったか”。初対面の相手に、こんな言い方はすまい。ある程度相手を知っていなければ出てこない言い方だ。それに思い返せば、彼はソールについても何か知っているような語り口だった。

 そして、今の審判の言葉…。クロンは教皇と審判の姿を見ながら、ごくりと息を呑んだ。

(この二人は……以前から、ボクとソールちゃんを知っている…!)

 確証は無いが、そうとしか考えられなかった。

 流石に何故この二人が自分達を知っているのかはわからなかったが、これは一つの巧妙の様に思えた。

 彼らが自分達に面識があるのであれば、その事実は何らかの形で利用できる。自分が生き残る為に。自分を助ける為に捕らわれた仲間達を守る為に。

「はぁい教皇ちゃん、久しぶりねぇ。何ヶ月ぶりになるかしら?」

 そんな事を考えていると、審判とは別の男が教皇に歩み寄り彼に声を掛ける。

 胸を大きく開いたピンク色のシャツを着て、長い黒髪をお下げにした大柄な男。女性的な口ぶりは不気味な印象を受けるが、教皇は特に気にする様子も無く彼の挨拶に応じた。

「やあ女教皇、久しぶり。確か最後に会ったのが死神が言葉を覚えた頃だから……半年くらいかな?」

「あら、もうそんなに経つの? 早いものねぇ」

 女教皇と呼ばれた男は教皇の足下で佇むデスに視線をちらりと見た後、「それにしても、貴方いつ見ても若いわねぇ」と恍惚な表情を浮かべて彼の頬に手を伸ばした。

「肌もスベスベしてるし皺も白髪も見当たらないし……とても私より四つ上とは思えないわぁ。悔しいから抓っちゃおうかしら」

「あふぁふぁ…、やめふぇよー女教皇」

 女教皇に頬を軽く抓られながら、教皇はけらけらと笑う。

 その表情はまるで年端のいかぬ少年のようで、年齢を感じさせない。それが癇に障ったのだろう、女教皇はむっとした表情で指先に更に力を込めた。

「…これで三十六ぅ~?」

「いふぁい!? いふぁいよ、おんやひょうほう!?」

 思わず声を荒げた教皇に構わず、女教皇は彼の頬を弄り回し続ける。

 他の仲間が誰も止めに入らないのは、これが彼らなりのスキンシップと言う事なのだろう。教皇に病的な執着を見せる(タワー)すら、くすくす笑って彼らのやり取りを見つめていた。

 どうやら仲間同士の信頼関係は強いらしい……と何気なく考えていると、敵の中の一人が自分を見ている事にクロンは気付いた。

 血の様に赤いメイド服を来た、中学生くらいの少女だった。彼女はクロンと目が合った事に気付くと、無邪気な微笑みを浮かべ、ててて…と軽やかな足取りでクロンの傍に歩み寄る。

 スタイルの良い体が中腰になり、真っ赤な瞳が強張ったクロンの表情を映す。その少女は値踏みするようにクロンをじっくり眺めた後、にこりと屈託のない笑みを浮かべた。

「貴方が、新しい異端さんですかぁ?」

 気の抜けるようなおっとりした声で尋ね、少女はクロンの額に人差し指を押し付ける。邪念の無い真赤な瞳に己の顔を見ながら、クロンはごくりと息を呑んだ。

「小っちゃいですねぇ~。アシュちゃんよりもっともぉ~っと子供じゃ無いですかぁ。侵入者が暴れてるって言うから怖ぁい顔の人をイメージしてましたけど、貴方はむしろ迷子の迷子の子犬さんって感じですねぇ」

「こ…、子犬…?」

 状況にそぐわない物言いに困惑すると、「そうですよぉ?」と少女は頷いて返し、

「本当は子猫でもいいんですけど、猫はもうデスちゃんが居ますしぃ。だから子犬さんですぅ」

 訳のわからない事を言いながら、その少女――“女帝”は額に押し付けた指をつつつ……と下に動かす。

 真っ白な指先が両目の間を通って鼻先に向かい、そのまま唇へと下って行く。まるで口紅を塗るかのように指で唇を撫でた後、今度は顎を伝って喉元へと向かって行き――…

「あ、あの…。一つ、聞いてもいいですか?」

「はぁい、何でしょうかぁ?」

「…僕達は、これからどうなるんですか?」

 駆け引き無しに尋ねると、女帝は表情を変える事無く喉元に押し当てた人差し指を更に下へと伝わせる。

 上着の襟首を強引に伸ばして鎖骨を撫でながら、ようやく女帝は「んー、そうですねぇ」とのんびり答えた。

「アシュちゃんは予知能力なんて持ってませんから、先の事なんてわからないですけどぉ……ただ、審判ちゃんは貴方達を殺しちゃうつもりみたいですねぇ」

「っ…!」

 あっさり言われただけに、脅しでも何でも無いと実感できた。ドクンと跳ねた心臓の鼓動を聞きながら、クロンは睨むように女帝の瞳を見返す。

 人の心を読む事を得手としているクロンだが、この少女の感情はまるで読めなかった。

「助かりたいですかぁ?」

 指で鎖骨をなぞったまま、女帝が問う。あまりに直球な問いに面食らいつつも、クロンは「当然ですよ…!」と反発するように声を張り上げた。

「そうですかぁ、助かりたいですかぁ」

 女帝は楽しそうに笑みを浮かべながら、

「助けてあげたら、アシュちゃんのご飯になってくれますかぁ?」

「ご…、ご飯……?」

 唐突な質問に戸惑っていると、「そうですよぉ?」と女帝は小首を傾げる。

「こう見えてアシュちゃん、人間じゃ無いんですぅ。人間の血がご飯になる生き物で、ちょうどお腹も空いてきたところなんですよぉ」

「人間の血が、ご飯…? ヴァイパイアや、チュパカブラみたいな…?」

「ですぅ。貴方の血をすこーし飲ませてくれるなら、アシュちゃんが助けてあげますよぉ。どうですかぁ?」

 揶揄われているのか。そんな疑念が一瞬脳裏を霞めるが、女帝の目を見る限り嘘は言っていない――…ように思える。

 いや、仮に冗談であったとしても。追い詰められた今のクロンには、彼女の言葉に縋るより手段は無かった。

 自分の血液、その位でいいのなら。クロンが二つ返事で受けようとした矢先、先程まで教皇と話をしていた女教皇が、背後から女帝の肩を掴んだ。

「はーい、勝手に話を進めちゃダメよ~女帝ちゃん。この子達をどうするかはこれから皆で決めるんだから」

「えぇ~? 話をするくらい良いじゃないですかぁ」

「ダメって今言ったわよぉー?」

「…ぶーっお腹が空いたんですよぉ」

 頬を膨らませて抗議する女帝の声が、女教皇に引き摺られて遠くなっていく。

 奇妙な物言いの少女の言葉は、その不思議な存在感だけをクロンの心に残し、「んで?」と気怠そうに呟いたリリオンの越えに掻き消された。 

「結局どーすんの、こいつら?」

 にやついた表情をクロン達に向けながら、リリオンが誰にとも無く問う。

「私らのアジトに乗り込んだからにゃ、このまま、はいさよならって訳には無いよね? いくら子供でもさ」

 言いながら、今度はリリオンがつかつかとクロン達に歩み寄る。

 悪意を隠す気も無い視線がクロンや亮助といった少年達に注がれ、ぺろりと舌を出した自分の唇を舐める。姫利達女性陣に興味を示す様子は無かった。

「どーせ殺すんなら……」

 言いかけたリリオンに視線を下腹部に受け、クロンがぞくりと肌を粟立たせた瞬間。「控えよ、痴れ者」と叱咤する老人の声が割って入った。

「貴様如き下っ端の出る幕では無い。番犬以下の存在ならば、それらしく口を閉ざしていれば良い」

「おぉ怖っ。ま~だ何も言ってないってのにさ」

 両手を上げてゲラゲラと笑いながら、リリオンもまたクロン達から離れて行く。彼女を叱咤した正義は鼻を鳴らしながら、鬼の仮面で隠れた双眸を教皇へと向けた。

「なれど、(ストレングス)の申す通りであろう教皇。この者達の処遇、よもやこのままと言う訳にも行くまい」

 教皇に向けた瞳をちらりとクロン達に向け、再び教皇に双眸を向ける。教皇は困ったように苦笑しながら、「そうだね」と言って頬を掻いた。

「それについてなんだけど、僕から一つ提案がある。いいかな?」

 教皇はこの場に居る仲間達の反応を伺いながら、

「彼らの中から異端の札に選ばれた者が現れ、僕達の存在を知った以上、このまま帰す事は出来ない。それは事実だ」

「如何にも。して、提案とは?」

「僕としては、殺すよりは活かす道を選びたい。ここは彼らに首輪を付けて、間接的な協力関係を築くべきだと思うんだけど……どうかな?」

 澄んだ緑の瞳が時折クロンを移し、再び正義に向けられる。

 どうやら自分達にも向けて話しているらしい……と考えていると、クロンは「ちょい質問」と口を挟むリリオンの声を聞いた。

「あんたの喋り方はいちいち回りくいからさぁ。首輪って言ったけど、その首輪ってのはどういう意味なわけ? 言葉通り飼い殺しにしよおって意味じゃないんでしょ、あんたの場合」

「鈴を付ける、と言い換えてもいいね。君が期待するような意味で無い事は確かだよ、(ストレングス)

「…鈴ぅ?」

 如何にも面倒くさそうな表情を浮かべるリリオンに、教皇は「そう。鈴だ」と言葉を重ねる。それを聞いた審判は、嘲笑うように鼻を鳴らした。

「見張りを付けて解放しよう…、と言うのか? 教皇」

 黒い笑みを浮かべながら、審判はリリオンを押しのけて教皇と対峙する。珍しく険しい表情を浮かべた教皇は、「その通りだ」と真っ向から言葉を返した。

「僕達の存在や目的を漏らさないよう、この子達に見張りを付ける。その上で、僕達の目的の為に力を貸して貰う。それが一番ベストな筈だ」

「ぬるいな、お前は」

 審判の顔から笑みが消え、鋭い視線が再びクロン達に向けられる。

 明確な殺意を露わにした漆黒の瞳。クロンは蛇に睨まれた蛙の様に戦慄し、後退ろうとして背後にいるソールに背中をぶつけた。

「こいつらは俺達の存在を知った。世界の枠の外側を知り、あろう事か俺達の敵として挑んできた。…生かしておいては何かと面倒だ」

 感情を出さない冷たい声が、死刑宣告にも似た響きとなってクロン達に浴びせられる。

 審判はゆっくりとクロンの元に歩み寄り、怯える子供の顔を無表情に見下ろした。

「異端の札は、こいつらが寝ている間に回収したんだろう? なら、もう用は無い。全員この場で殺してしまえ。後顧の憂いは断つに限る」

「なっ…!」

 きっぱりと言い切った審判の言葉に戦慄したのは、クロン達だけでは無かった。

 彼の仲間である教皇達からも声が漏れ、そのうちの一人、女教皇がぎょっとした様子で「ちょっと待って」と一歩前に進み出た。

「全員って事は、異端になった子も含めて始末するって事?」

「もちろんだ。一度変化した異端の札は、持ち主が死んだとしても消える事は無い。既に実証済みの事だ。そう言う意味でも、こいつらを生かしておく理由は一つも無い」

「…子供もいるわよ? まだ小学生くらいの子よ?」

 一瞥もくれずに答えた審判に、女教皇はバツの悪そうな表情を浮かべる。「ああ。それが?」と応じた審判の声は、心持ち苛立っているように聞こえた。

「子供かどうかは問題じゃない、俺達にとって邪魔になるという事だ。俺達の目的の為にも、こいつらには消えてもらう他無い」

「待て、待とうか審判」

 慌てて割って入った教皇が、審判の肩を掴む。振り返った黒い瞳と教皇の瞳が互いの顔を映し、一触即発の空気が場に流れた。

「人手はいくらあっても足りないんだ。目的の為と言うのなら、無暗に命を奪わず、活用しようとは思わないのか」

「思わないな」

 審判は平然と即答し、「ガキほど扱いづらいものは無い」と続けてクロン達を睨む。

「ガキという奴は、自分達の視野の狭さに気付きもしないで、薄っぺらい正義感を掲げて行動しやがる。たまに自分の非に気が付いても自論を修正するだけで、決して安定する事は無い。厄介な生き物だ。塔はお前に心酔しているからいいが、これ以上味方に子供は要らない。余計な力を付ける前に、ここで始末すべきだ」

 嫌悪とも取れる冷たい声を、クロンは審判の声に感じた。あるいは話し合いで解決できると考えていたクロンの期待は、この瞬間に儚く潰えた。

 敵同士ですら意見が割れているのだ。クロンが声を上げたところで、この男が聞き入れる訳が無い。冷笑して、皮肉で返されるのが目に見えている。

 無論、どうせ殺されるのであれば何でも言ってみる価値はあるのだが……すぐ近くに他の仲間が居る以上、下手な事は言えない。悪戯にこの男を刺激して、どんな行動に出るか予測は付かないのだ。

(ハッタリでも脅しでも無い…。この人は、本気で僕達を殺そうと考えている…!)

「……この子達は、関係無いわ」

 審判の威圧に呑まれたクロンの後方から、姫利のか細い声が聞こえて来た。

 恐怖に震えながらも気丈に振る舞うその声に、クロンのみならず審判達も彼女に視線を向けた。

「私なら……私の事なら、どう扱ってくれても構わない。殺してくれてもいい、どんな辱めだって受け入れるわ。けど他の皆は……せめて子供達だけでも、解放してあげて。…お願い」

 今にも泣き出しそうに見える表情を浮かべて懇願する彼女を前に、クロンはぐっと言葉に詰まる。

 言っても通じる相手じゃない。それは姫利にもわかっている筈だが、それでも言わずにはいられない様子だった。

「…私も、どのようにして下さっても構いません」

 姫利に呼応するように、メイが縛られた体を揺すって審判の前に出る。

「ですから、ミラお嬢様やクリフ様……他の方々には手を出さないで下さいませんか」

「メイ!? それに姫も、何を言って…!」

「お嬢様! …今は、私にお任せ下さい。全て、私が引き受けますから…」

 絞り出すようにミランダに告げ、メイは真っ直ぐな瞳で審判を見上げる。止める言葉を失ったミランダは顔を背け、人知れず唇を噛んだ。

「…戦国プロ」

 しばしの沈黙の後、姫利は審判達の背後に隠れていた正義に声を掛ける。「む…」と小さく応じた正義がリリオンを押しのけて前に出ると、姫利は目に涙を浮かべて言葉を続けた。

「私が子供だった時……まだ小学生だった頃、貴方にサインを貰った事がある。百合を誘って一緒にスタジアムに乗り込んで、こっそり選手控え室に忍び込んで……今でも部屋に飾ってあるわ」

 震える声に僅かな懐旧の想いを乗せ、姫利は語り掛ける。正義は表情こそ動かさなかったものの、彼女の声を真っ向から聞いているようだった。

「世界的な決闘者だった貴方が、どうしてこの人達と手を組んでいるのかはわからない。けど貴方は…、私が憧れた戦国プロは、子供が傷付くような事が何より嫌いだった筈。私はどうなってもいい! だから貴方の力で、この子達だけは――、」

「薄気味の悪い事だ。聖女にでもなったつもりかね?」

 姫利の視界の外。モーニングコートを着た老紳士が、パイプを咥えながら吐き捨てるように呟く。

 “悪魔”の暗号名(コード)を持つその老紳士は、人当たりの良さそうな顔を姫利に向けて「それとも、悲劇のヒロイン気取りかね」と冷たい皮肉を重ねた。

「君達の命に、どれ程の価値があると言うのだね。確かに君の体は若く美しいが、それが人の命と釣り合うと考えているのなら傲慢だよ。ましてや敵に思い出話を語るとは……いやはや、理解できん感情だ」

「ッ……」

 意を決した哀訴を一蹴され、姫利は蒼白になった顔を床に向ける。小刻みに肩を震わせるその姿に審判は冷笑し、感情の動かない双眸を再び教皇に向けた。

「見ろ教皇、所詮こいつらはこの程度だ。この状況にあってまだ、自分達は助かるものと考えている。敵にも慈悲があるものと決め付けてやがる。まるで現実を見ていない、甘ったれてるんだ。こんな酔っ払い共の力を借りるだと?」

 冗談じゃない。そう言って審判は体を揺すって教皇の手を払い、冷酷な表情で教皇の答えを待つ。教皇はその視線に真向から立ち向かい、「そうだ」とはっきりと言葉を返した。

「自分を犠牲にしてでも他人を守ろうとする意志、それが彼らの強さだ。異端の札は心の象徴、持ち主の強い意志に反応して姿を変える。――…審判、彼ら九人のうち、何人が異端の札を発現させたかは聞いたか?」

「ん…?」

 僅かに表情を和らげた審判は、「三人だ」と続いた教皇の言葉を無言で受け取る。

「愚者と恋人、そして世界のカード。彼らのうち三人が、この短期間で異端に目覚めたんだ。たった数日のうちに、三人がだよ。こんな事、今まであったか?」

「そうねぇ…。悪魔ちゃんと吊られた男ちゃんの二人が、同時期に発現したくらいかしらね」

 話に割って入った女教皇が、唇に指を当てて先程の老紳士に視線をやる。

「あれもかなりレアなケースだったけど、三人も同時に発現したって言うのは今回が初めてになるわね。…ま、吊られた男ちゃんはとっくに死んじゃってるけどさ」

「……教皇、何が言いたい?」

 勝手に喋り始めた女教皇を一睨みして黙らせ、審判は猜疑に満ちた相貌で教皇を射抜く。言葉の先を知った上で尋ねている、そういう目だった。

 「つまりだね」、と教皇はいつもの子供っぽい笑みを浮かべて応じ、クロン達に優しい瞳を向ける。

「この子達を生かしておけば、今後も新しい異端が生まれるんじゃないかなって事だよ。後顧の憂いだと君は言うけど、僕から見ればこの子達は未来の希望だ。期待するだけの価値はあると思う」

「…希望だと?」

 審判は一笑し、

「お前と正義に難なく制圧されたガキ共が、か?」

「子供というのは、僕達大人より感受性が強い。君の言う通り、状況に応じて思想を修正する柔軟さも持っている。それは力だよ」

「力、ね…」

 ちらりとクロン達に向いた黒い双眸が、しばし思考を巡らせる。

 教皇の言葉に絆された訳では無いが、「一理ある」と考え直した悪意ある暗黒の目。やがて彼は含みを持たせた笑みを浮かべ、「まあいい」と小さく呟いた。

「なら、俺の方が少し方針をズラそう。こいつらに異端の素質があると言うなら、俺がその素質を目覚めさせてやる。俺なりのやり方でな」

 そう審判が告げた瞬間、教皇は表情を強ばらせて「まさか…!」と目の前の男を睨む。審判はそれに頷いて応じながら、「そうだ」と肯定の声を上げた。

「殺すのは止めだ。その代わりにこいつらを“選別”に掛ける。こいつらの眠った素質とやらを、強引に引きずり出してやる。…それでどうだ?」

「……そこまでやるのか…!」

 不快感を露わにした教皇の表情に不穏なものを感じ、クロンは心臓を掴まれたような恐怖を覚えた。

 まだ何処か余裕を持っていていた教皇が、「選別」という言葉を耳にした途端に血相を変える。それは事態がより悪化した事を意味しており、「選別…?」と呟いたクロンの声は、無意識のうちに震えていた。

 その掠れた呟きが審判の耳に届いたか、審判は教皇から視線を外し、その場にしゃがみ込んでクロンに目を合わせる。冷酷な悪意を両目に宿しながら。

「異端の札は、持ち主の精神に反応して姿を変える事は知っているな? 例え異端の札に選ばれなかった者でも、精神に大きな変化があれば後天的に異端を発現させる事もあると」

「精神に、大きな変化…?」

 そこまで言われて、ようやくクロンは思い出した。

 この状況に陥る前。ソール達がこの廃墟に突入する前日に、クロンはデスから聞いていた。審判達が行っている、身の毛のよだつような凶行について。

『――審判組は、人を殺します』

『――人間を極限状態に置く事で、その者の精神を意図的に変化させるのです』

『――例えば過度な苦痛やストレスで精神が歪むなどすれば、そこから新たに異端の札発現の可能性が出て来ます。実際に見た事はありませんが、かなり残酷な手を使って人を追い込んでいるそうですよ』

『――彼らは一枚の異端の札を手に入れる為に、途方もない数の人間を地獄に突き落として、殺しているのです。たまに異端の札を発現した者が現れたとしても、廃人になっていたり、仲間になる意思は無いとしてその場で処分したり…』

 脳内に反響したデスの声が、目の前の視線と噛み合って、死の予感をクロンに与える。

 自分が想像しうる全ての残酷さが向けられたような気がして、クロンは思わず「ひっ…」と動けない体で後退った。

「相変わらず勘は鋭いみたいだな。自分の未来を悟ったか」

 審判はにやりと笑いながら立ち上がり、怯えている無力な少年を静かに見下ろす。「相変わらず」と言った言葉の意味には興味も湧かず、クロンは目の前の男を見上げた。

「まあ、早い話が拷問だな。お前達の命をゆっくりと磨り潰して行けば、素質ある者は異端に目覚める。一人でも発現すれば、それでいい。後は解放するなり飼い慣らすなり……これが折衷案だ。文句は無いな、教皇?」

 途中からは教皇に向けての言葉だったのだろう。審判は言葉を失っている教皇に意識を向け、隠す気の無い本性を曝け出した。

「本当にこいつらに素質があるのなら、異端の札はすぐに発現する筈だ。爪を剥がすか、それとも歯を抜いた辺りか……早い段階でな」

「……もし、一人も異端に目覚めなかった場合は?」

「おいおい、未来の希望なんだろう?」

 ようやく絞り出したらしい言葉に皮肉で答え、「今回の事には俺も一枚噛んでいる」と一言付け足す。そこで再び教皇は言葉に詰まり、助け舟を求めるように周囲にいる仲間達に視線を流した。

「俺が関わった以上、お前の意見だけを聞く訳にはいかないな。嫌とは言わさんぞ、教皇」

 有無を言わせぬ威圧を言葉に宿らせ、審判は鋭い眼光で教皇を睨む。

 教皇は承諾こそしなかったものの返す言葉も無く、傍観を決め込んだ彼らの仲間達も二人の間に介入しようとはしなかった。

 睨み合う両者の間にじりじりとした空気が流れ、また審判が何か言おうとした時。「イカれてる…!」と姫利の声が割って入った。

「貴方達、正気じゃないわ! たかがカード一枚手に入れる為に、子供まで痛めつけようって言うの!?」

 叫んだ声が緊迫した空気を消し飛ばし、全員の視線が再度姫利へと向けられる。

 「姫りん、あんまり相手を刺激しない方が…!」と宥める百合を「いいえ、言わせて!」と拒み、姫利はずいと我が身を前に押し出した。

「元はと言えば、貴方達が私達を巻き込んだんじゃない! クロン君に目を付けたのも、攫ったのも! 全部貴方達でしょ!?」

 堰を切ったように感情を吐き出し、憎むべき敵に叩き付ける。冷静で無い事は姫利自身もわかっているようだが、それでも言わずにはいられないという様子だった。

「何が異端の札よ! 何が素質よ! そんなカードがいったい何だって言うの!? 子供の命を奪ってまで手に入れる価値がそんな物にあるって言うの!? いったい何が目的なの、貴方達は!」

 一方的に相手を否定し、睨みつける。

 これで審判の悪意が自分一人に向けば儲けものだと後から考えたが、審判の表情は変わらず、冷めた目で彼女を見返していた。

「いい啖呵だ。下手に命乞いされるよりは、そうやって好き勝手言ってくれた方が印象がいい」

 気持ちの無い称賛を口にした後、審判の視線は姫利から外れ、あらぬ方向へ向けられる。

 思わずクロンがそちらに目を向けると、彼の視線の先には古びた玉座が一つ、置物の様に備わっていた。

 王が座るにしてはあまりにも小さい、小学生であるクロンですら窮屈に感じるかも知れない小さな王の席。審判は懐旧を含んだ目でそれを見つめながら、「目的か」と一言呟いた。

「そうだな…、俺達にも目的はある。壊れてしまった世界を修復し、破滅の運命を食い止める…。それが俺達の、唯一の目的だ」

「破滅の運命…?」

「如何にも」

 何を言っているのだと言いたげに呟いた姫利に、審判の傍にいた正義が相槌を打つ。老人とは思えぬ巨体がのっそりと動き、姫利の前に立ちはだかった。

「そうか…、そなた達は何も知らなんだか。ならば今我らが居るこの場所が、どのような場所なのか。それも知らぬだろうな」

 そう言って正義は、何か言いたげに審判に目を向ける。審判は彼の視線に気付くと、「好きにしろ」と淡白に答え、姫利達から距離を置いた。

 正義はその彼の後ろ姿から視線を外しながら、「この場所は、そなた達が暮らす世界とは異なる空間にある」と、声に重みを持たせて姫利達に語り始めた。

「並行世界と呼べば良いのか、それとも異世界と呼べば良いのか……妥当な表現はわからぬが、そなた達が暮らす世界とよく似た、しかしながら僅かに異なる部分を持った似て非なる空間。それが我らが居るこの場所だ」

「……ここが、並行世界ですって?」

 信じられないと言った様子で正義の顔を見上げ、姫利が尋ねる。

 その反応は以前クロンが教皇から同様の話をされた時と似ており、正義も「当然の反応だな」と彼女の疑念を素直に認めた。

「百聞一見、ならば証を見せるとしよう。これを見れば、そなた達も並行世界の存在を信じるざるを得まい」

 そう言うと正義は姫利達の横を通り、その後ろにあった壁の傍に立つ。そしてその場で身構えたかと思うと、右の拳で思い切り壁を殴りつけた。

 彼の右拳は決闘鎧の甲部分に仕込まれたスラスターによって加速し、分厚い壁に大穴を開ける。破壊力の凄まじさも相当なものだが、姫利達を戦慄させたのは、砕けた壁の向こう側に広がる異様な光景だった。

 廃虚の外には雲一つ無いオレンジ色の空が延々と広がり、小さな黒い羽根が砂塵のように無数に舞っている。その羽根に砕かれた壁の破片が触れると、光の粒子となって周囲に四散した。

「これは…!?」

 あまりに非現実的な光景に姫利は絶句し、笑点の定まらぬ瞳で外を見つめる。

 正義は振り返ってその反応を確認しながら「この世にはかつて、無数の並行世界が存在していた」と話を続けた。

「一口に並行世界と言っても、その形は様々だ。陸地の形もそれぞれ異なるし、文明を築く生物もヒトとは限らぬ。人が支配する世界、猫が支配する世界、吸血鬼が支配する世界……多種多様の並行世界は互いに接触する事は無く、命の送故迎新を繰り返しながら時を過ごしていた。…少し前までは、な」

 ゆっくりと語る正義の言葉を、姫利達は白昼夢でも見ているような心地で聞いていく。以前同じ話を聞かされたクロンでさえ、未だ彼の話に現実味を感じられなかった。

「しかし今から二十年前。それら並行世界に、滅びの兆しが見られるようになった。それこそ我らの目的であり、外の光景が意味するものだ」

「滅びの兆し…?」

 鸚鵡返しに呟きながら、今度はミランダが正義に問う。彼はその視線を真向から受け止めながら、「如何にも」と大きく頷いた。

「空を覆う黒き羽根を見るが良い。あれこそが全ての始まり、否、全てを無へと導く悪しき力だ。あの羽根に触れたものは、生物であろうと物質であろうと悉くこの世から消滅する。それが無数に空を舞っている事が何を意味するか……想像は難しく無かろう」

「……まさか…」

 ポツリと呟いた亮助が、動かない体を強引に立ち上がらせて壁に開いた大穴の傍まで歩いて外を見る。

 高所から見下ろした外の世界は、人はおろか建物や樹木、小石の一欠けらすら存在しない。凹凸の無い平らな大地が、延々と続いているだけだ。

 ――死の世界。そんな言葉が亮助の脳裏を過り、思わず体勢を崩して外に落ちそうになる。正義は片腕で彼の体を支えながら、もう一方の腕を虚空に向けた。

「この世界にも、(かつ)ては文明が存在した。教皇の話では、人類同様の進化を遂げた恐竜達が我ら人間と同じように歴史を重ねて生きておったと言う…」

 だが、それも全て滅びた。正義は開いた掌で何もない空間を掴み、

「数多の命が築いた歴史も文明も、命も! あの黒き羽根に呑まれ、消滅した……! 生き残りなど一人も居らぬ、滅亡したのだ。この世界は、あの忌まわしき羽根の為にな…!」

 突然声を張り上げた正義は、「この世界だけでは無い!」と拳を震わせながら、睨むように姫利達に鬼の仮面を向ける。

「嘗て無数に存在した並行世界、その一つ一つが、この黒き羽根の為に滅びを迎えておる! 余の故郷……そなた達が暮らす世界も、遠からずこう(・・)なるだろう。余はこの者達と共にあって、世界が終わる様を何度も見て来たのだ…!」

 怒り狂う様に叫ぶ正義の声が廃墟に響く、亮助はふと思い出した。

 ここに連れて来られる前――…ミランダ達と教皇のデュエルが始まる少し前に見た、一枚の絵の事を。

 この廃墟の玄関ホールに掛けられていた一枚の絵、そこには爬虫類のような尻尾が映えた少女が描かれていた。奇妙な絵だとクリフと一緒に不気味がっていたが、正義の言う通りここが進化した恐竜が暮らす世界だったとしたら――…あれは、当時ここに暮らしていた者を描いた物だったのかも知れない。

 だとしたら。ここが並行世界だと言う話も、自分達の世界が滅びようとしている話も、全て事実なのでは無いだろうか? ――そんな筈は無い、と思いながらも、亮助は正義の言葉が出任せだとは思えなかった。

「僕達は、そんな破滅の運命を変える為に活動している。異端の札はその為に必要なものだ」

 感情的になり始めた正義を宥めるように、教皇の穏やかな声が割って入る。微笑を浮かべて話すその姿は正義とは対照的で、それでいて言葉に嘘は無いように見えた。

「この黒い羽根の正体については、僕達にもまだはっきりした事はわかっていない。ある日突然、何の前兆も無く出現し、その世界を滅ぼすんだ。そして滅びてしまった世界は、どんな方法を使おうと元に戻す事はできない。死者が生き返らないのと同じように」

「……だからね。全ての世界が羽根に滅ぼされちゃう前に、何とかしなきゃいけないの」

 教皇に続くように、塔が姫利達に話し掛ける。

「私達はね、滅んだ世界の生き残りなの。住んでいた世界が亡くなっちゃったから、せめて他の世界は助かるようにって異端の札を集めてるんだよ…」

「異端の札が人智を超えた力を持っている事は、既に貴方達も御承知のはず。その力を使って世界を救う。それが僕達の目的です」

 呼応するようにデスが口を開き、抑揚の無い声で自らの大義を語る。次に口を開いたのは、クロン達にとって全ての元凶であるリリオンだった。

「つまり、私らは言わば世界を救おうとしているヒーローって訳よ! 何千億兆っていう命を助けようとしてる救世主って訳よ! その邪魔をしよーとしたあんた(・・・)達は、控え目に言っても悪者って事になるんじゃねぇの? ギャッハハ!」

「……俺達が、悪…?」

 表情を強ばらせながら、しかし亮助はリリオンの挑発を否定できなかった。

 もし正義達の言い分が真実で、彼らが世界の為に行動しているのだとしたら、それは善だ。容易く悪と断ずる事は出来ないし、返す言葉も浮かばない。

 だが一方で、彼らはクロンを始め無関係な者を巻き込み、時には冷酷な手段で追い詰めていると言う。それは紛れも無い悪であり、それ故に亮助達は彼らを敵視していたのだが……ここに来て、状況ががらり(・・・)と変わってきた形であった。

「ま…。そうは言っても、私達も全能って訳じゃ無いのよねぇ」

 やれやれと吐息しながら、今度は女教皇が話に加わる。

「志を掲げたところで運命なんてそうそう変えられるものじゃ無いし、本気で世界を救おうとすれば、それなりの犠牲も必要になって来るのよ。悲しい事だけど」

「だが、珍しい事でも無いだろう? 安定した平和ってやつは、いつだって人の死を土台に作られるものだからな」

「それを良しとするかについては、我々の間でも意見が割れているようだがね」

 女教皇の後に審判の皮肉が加わり、芝居がかった悪魔の声で締めくくられる。

 世界の救済と、人身御供の許容。善悪が混じった不安定な大義。

 彼らは正しいのか、それとも間違っているのか。あまりに規模が大きすぎて、誰にも計る事は出来ない。それ程までに彼らの掲げる大義は(いびつ)だった。

「星の数ほどあった並行世界も、今はその殆どが死に絶えた」

 静寂となった空間に、歪さを良しとする審判の声が反響する。

「そう、お前達が居た世界と、もう一つの世界。それも遠からず滅びる。俺達が、破滅の未来を変えない限りはな」

 冷ややかな眼光をクロン一人に向け、審判が呟く。

 ここまでの事は、既に教皇やデスから聞いている。これまでは半信半疑であったが、人を人とも見ていないこの男までもが言っているのなら、紛れも無い事実なのだろう。

 壊れゆく世界を救う為に、多くの人命が必要となる。それが事実だとすれば、審判のやり方も一理ある。トロッコ問題という例もあるが――…しかし、実際に手に掛けられるのが自分達である以上、彼の言い分に頷く訳には行かない。

 クロンは心の内で彼らの言い分を否定し、尚も、この状況を覆す手段を探した。

「最初に滅びた世界……俺と教皇が居た世界が消えてから、もう二十年になる」

 審判は、そんなクロンの考えなど無視するかのように言葉を続ける。

「俺達二人は世界を救う為、あらゆる手段を試みた。青春を捨てて、延々と破滅する世界を渡り歩く日々……お前達のような青臭い善を掲げていた時期もある」

 だが現実は…。そう呟いて、審判はふと外の光景に視線を逸らす。

 表情に変わりは無かったが、初めて感傷に浸っているらしい黒い双眸。審判はしばらく外を見つめた後、「異端の札は…」とポツリと呟いた。

「異端の札は、俺達が失敗と挫折を繰り返した末に辿り着いた最後の手段だ。この十数年で殆どのカードが集まり、残りは数枚。全ての異端の札が揃った時、俺達の目的は達せられる」

 自然と審判の足が壁の傍まで進み、荒廃した世界を一望する。

 この光景を、いったい何度見てみただろう。背中越しに彼の疲れた声が聞こえた気がして、クロンは思わず同情の眼差しを彼に向けた。

「ここに来るまで二十年……。長かった…」

 審判は万感の思いを瞳に滲ませ、深い溜め息を吐き――…気持ちを切り替えたように、再び振り返って冷酷な瞳をクロン達に向けた。

「わかったろう。お前達の命など、俺達にとっては些細なものでしか無い。たった数人の命と世界の命運を、天秤に掛ける訳にはいかない。正義を気取りたいのなら、異端の札の肥やしとなって死ねばいい。それが世界の、未来の救済に繋がる」

 声に感情が乗り始めているのは、これが偽りの無い彼の本心だからだろう。審判は一頻り語った後、長年の盟友である教皇に視線を向けた。

「…話は終わりだ。こいつらは俺のやり方で処理する。このまま貰って行くぞ、教皇」

「待て審判、僕は承諾した覚えは…!」

「言った筈だ。文句は言わせん」

 鋭い眼光で教皇を睨み、審判は連れてきた部下達にクロンらを連れて行くよう顎で指示する。

 万事休すか。誰もがそう思った時――、

「――ここでボク達を殺したら、永遠に異端の札が揃う事はありませんよ」

 にやりと笑みを浮かべながら、ただ一人、クロンが待ったを掛けた。

「……何だと?」

 やや間を置いて、審判が部下を制止しながら聞き返す。その表情は眉一つ動いてはいなかったが、クロンの言葉に強く反応しているのは明らかだった。その心の揺れを、愚者(クロン)は更に揺さぶりに掛かる。

「実はボク、貴方達に拉致される前日に、ここに居る面子とは別に異端の札を発見してるんですよね。異端の札について調べてる時に、偶然見つけたんです」

「…俺様達以外にも、まだ他に異端の札に選ばれた奴がいるって事か?」

 思わず尋ねたのは、傍にいたソールだった。クロンは思わぬアシストに感謝しつつ、「そゆ事です」と笑って頷いた。

「見つけたのはボクだけですし、それが誰なのか知ってるのもボクだけです。人間かも知れないし、たまたま近付いて来た野良猫だったかも知れない…。ボクだけが知っている情報です。もしボクがここで死ぬような事があれば……貴方達にその異端の札を見つけ出せるでしょうか? もう一度言います、知ってるのはボクだけ(・・・・)です」

 ゆっくりと、慎重に、言葉を選びながら。敵に任せるがままだった状況を、自分のペースに持って行く。

 不思議と恐怖は無かった。一度喋り始めてしまえば、そこは生来の策略家。次から次へと舌が回って、いい様に場の流れを掴んでいく。

 ――無論、『別に異端の札の発現者を知っている』と言うのは真っ赤な嘘(ハッタリ)である。リリオン襲撃の一件で異端の札は全て警察に預けてしまっていたし、身の危険を感じてからは異端の札への関わりは一切断って来た。 

 しかし、相手が異端の札を必要としている以上、この嘘は武器になりえる。例え彼らがこのハッタリを見抜いていたとしても、確証は無い。自分が嘘と認めない限り、この言葉は意味を持つ筈だ。

「もし姫利お姉ちゃんやソールちゃん、皆を傷付けでもしたら……。ボクは絶対にその異端の札について喋ったりはしません。例え拷問されたって、教えたりするもんか…!」

 感情を高ぶらせて言い切り、睨むように審判の顔を見上げる。

 審判の表情に変化は見られない。だが、この男が本心から世界を救おうとしていて、異端の札が唯一の手段と言った言葉に嘘が無ければ、今のクロンの言葉を無視する事は出来まい。

 仮にこの男が強行に走る事があったとしても、今度こそ他の仲間が止める筈だ。異端の札が、彼らの悲願を達成する唯一の手段である限り。

「ふっ……俺を謀るつもりか。そう言えば駆け引き上手だったな、お前は」

 にやりと口元を吊り上げながら、審判は余裕の眼差しでクロンを見返す。その表情と口振りは明かにハッタリを見抜いており、まるで動じた様子は見られ無かった。

「どうだ、女教皇」

 審判の相貌が簡潔な問いと共に女言葉を使う男に向けられる。女教皇は少し考える仕草をした後、醜い笑みを審判に返した。

「ま、案の定ってところかしら。今の話、全部作り話よ。それも今即興で考えたみたいね、まったく大した坊やだわ」

 迷い無く断じた声で、女教皇はクロンの嘘を撃ち抜く。

 あっさり嘘と断じられたクロンはポーカーフェイスを忘れ、「作り話なんかじゃ…!」と慌てて言葉を取り繕おうとするが、「あら?」ととぼけた女教皇の言葉が割って入った。

「間違いは無い筈よ? 貴方自身の心を読んだんだもの、確実な真実だわ」

「心を、読んだ…?」

 鸚鵡返しに尋ねたクロンに、女教皇はにひっと暑苦しい笑みを浮かべる。ハッタリでも大ホラでは断じて無い、そう思うに足る表情だった。

(まさか、異端の札の力…!?)

「んふっ、正解」

 女教皇はクロンの心の声に相槌を打ちながら、投げキッスでもするように唇を尖らせる。

「自己紹介しておこうかしら。私の名前はゲーレズ=ナベカマン、ここでは女教皇って呼ばれてるわ。異端の札は《強制懺悔の女教皇(フォーシング・トーク・ハイプリエステス)》、お察しの通り相手の心を読む能力よ」

「っ……!」

「……んー、強いて言うなら後者かしらね。単純に頭の中で考えた事や、質問に対して深層心理に浮かんだ答え。それらを読む事が出来るわ。…そ、つまりは貴方の天敵ね。罠使いの愚者ちゃん?」

 論より証拠とばかりにクロンの心と会話し、女教皇の視線はそのまま審判へと向けられる。

 読心能力によって嘘が証明された以上、クロンのハッタリはもはや何の意味も成さない。審判はクロンがそう悟った事を表情から見て取ると、「目論見が外れたな」と小さく吐き捨てた。

「お前の十八番(ブラフ)も、今の俺には通用しないという事だ。悪い手では無かったが、運が無かったな」

 言った直後、審判は背後に並ぶ二人の部下を振り返り、

「連れていけ。やり方はいつもの通りでいい、こいつらの眠った精神を引きずり出してやれ。今回は教皇のお墨付きだ、特別可愛がるくらいでいいだろう」

「良いのかね? 当の教皇はまだ承服していないようだが」

「構うな。教皇も馬鹿じゃ無い。世界の命運と数人の命、どちらを優先すべきかは理解している筈だからな」

 そうだろう? …と、審判は悪魔の問いかけに答えながら教皇を振り返る。教皇は顔に憤りの色を浮かべながらも、審判の二人の部下を強引に止める事もしなかった。

 その事を確認した女教皇と悪魔が、ゆっくりとした足取りでこちらに向かって来る。

 もはやここまでか。万策尽きたクロンが諦め、両目を閉じた時だった。

 

「――待て」

 

 まるでクロン達を庇うように、正義の巨体が割って入った。

「この者らを選別に掛ける事、余が許さぬ」

 ずっしりと構えた声が威嚇する、女教皇達の歩みを止め、審判を振り返る。審判は彼らと入れ替わるようにして正義の前に立つと、「何の真似だ?」と彼を睨んだ。

 正義はその眼光に真っ向から受けて立ちながら、「我らの本懐は滅び行く世界の救済にある」と重い声で答えた。

「その本懐を遂げるには、人身御供を要するのも事実だ。なれど……否、なればこそ。犠牲を良しとするからこそ、我らの本質は善でなければならん。悪によって世界が救われるなど、あってはならぬ歪みだ」

「……それで?」

「聞けばこの者ら、連れ去られた仲間を助けんが為にここに来たとの事ではないか。それを手に掛けたとあっては、我らの志、ここに来て悪鬼羅刹となり果てようぞ」

 そう言って正義は鬼の面を背後に居るクロンに向け、「教皇の話も一理ある」と言葉を続けた。

「実際に戦ってみて感じた事だが、成程、この者らには可能性のようなものが見える。今は小さな焔であるものの、生きておれば新たな異端の札を発現させる事もあろう。その芽を摘んでしまっては――、」

「だからだ。こいつらを選別に掛ける事で、その可能性とやらを振るいに掛ける。それが確実で、手っ取り早い方法だ」

「鶏を殺してしまっては、金の卵は手に入らぬよ。審判」

 ぴしゃりと釘を差した正義は組んでいた腕を解く。

 それと同時、肌が粟立つような気迫を審判に向け、「聞き入れぬとあれば、仕方あるまい」と呟いた。

「一戦交えても良いのだぞ、審判」

「……貴様…」

 舌打ちしながらも、審判は一歩後退る。一戦交えても良い。その一言が、彼の反論を強引に捩じ伏せているようだった。

 かつて世界最強と呼ばれた決闘者の力は、彼ら組織の中でも無視できない発言力を持つらしい。その上力で捩じ伏せてでも我を通すと宣言されては、反論など出来る筈も無い。

 二人は暫く睨み合い、やがて審判の方が正義から目を逸らそうとした時。正義とは別の老人の声が、この場に響いた。

「これは、これは…。思いがけない言葉を耳にしたものだ。今更それを言うのかね?」

 嘲笑を含んだ不快な声に、正義は視線を向ける。

 その声の主、悪魔は穏やかな笑みを浮かべながら瞳を底知れぬ悪意で濁らせ、抱擁を求めるように両腕を広げて正義の前に立った。

「世界の為、未来の為、人々の為…。そんな大義の為に、我々審判組はいったいどれだけの命を奪って来ただろう? 数年続けて来た作業だ、百や二百では足りるまい。数千か…、あるいはもう一桁もあるだろうか」

 誇張では無い、と思えた。

 人の犠牲を良しとする審判であれば、それだけの数の命を奪っても気にも留めまい。正義が何も言い返さない事も、悪魔の言葉が真実である事を証明していた。

「それだけの命を奪っておいて尚、君は我々が善だと考えているのかね? 明確な理念と目的があれば、命を奪う事も許される……と?」

 ククク、と悪意に満ちた笑みを浮かべながら、悪魔は正義の顔を覗き込む。正義は明らかに憤怒の表情を浮かべていたが、しかし何も言わず悪魔を睨み返していた。

「いや…。無論、大義は大切だよ。死んだ万人の者達も殆どは無駄死にに終わったが、擦り切れた精神は時に新たな異端を生んだ。それが未来の為になるのなら、成程、我らのやっている事は善なのかも知れない。平和的な拷問、慈愛に満ちた殺戮……いやはや結構な善行だ」

「貴様!」

 ついに感情を爆発させた正義の右手が、悪魔の肩に掛けられる。

 肩を握り潰さん程の力が老人の体に掛かるが、悪魔は苦痛の表情を浮かべるどころか、むしろ楽しげに嗤って己の手を彼の手の甲に置いた。

「正義。君も随分殺したな?」

「ッ…!」

 小さく囁いた悪魔の声が、正義の表情を大きく歪める。ぎょっとしたクロン達は、思わず正義の背中に目を向けた。

 世界最強の決闘者と言われた、決闘の達人。その彼が、審判と同じように拷問と虐殺を行っていた。…一度戦っているだけに、クロンにはとても信じられない事だった。

 だが、正義はこれも否定しなかった。悪魔の言葉を不快に思っているのは後ろ姿だけでも見て取れたが、それでも、悪魔の言葉を偽りとは言わない。それが何を意味するのか……クロンには、説明が無くとも理解できた。

「忘れたとは言うまい? 君は大義の旗の下、多くの命をその手に掛けたじゃないか。それも無垢な若者や子供ばかりを、進んで請け負っていたようだが?」

「…余が手を下さなければ、貴様や審判、女教皇が彼等を殺めていたであろう。……下手に苦しめるよりは…」

「彼らは生きたがっていたよ? 恐怖に震え涙を流しながら、懸命に命を乞うていた。たすけて…、しにたくなぃ……。咽び泣く彼らの声が、今でも心地よく私の耳に聞こえて来る。そんな彼らを救うのでは無く、介錯してやるのが君の謳う“正義”なのかね?」

「言うなッ!」

 叫んだ正義は怒りに任せて悪魔の体を突き飛ばし、何も無い空間を握り締める。

「我らには……我らには、成さねばならぬ大義がある! 必要な犠牲、意味ある供物! 誰かが背負わねばならぬ大罪だ! そう信じればこそ、余は――!」

「らしくない矛盾だ。疲れているのかね?」

 突き飛ばされた悪魔は女教皇に受け止められ、尚も笑みを浮かべて悪意を正義に向ける。まるで彼を追い込もうとするかのように、執拗に。

「他人の命を奪うストレスが、君の心を擦り減らしているようだ。少し休んではどうだね? 友人として、実に心配な事だ」

「くッ…! 堕ちたりとは言えこの戦国 殿方、貴様如き外道に友呼ばわりされる謂れは無い!」

「君が思っていなくとも、私は君を想っている」

 その言葉が追い打ちとなったのだろう。正義は再び殴り掛かろうとした手を引っ込め、それきり言葉を噤む。

 悪魔は彼が沈黙したのを見て取ると、次は教皇へとその悪意を向けた。

「教皇、君とて無関係ではあるまい。君は以前から我々の“選別”に反対していたようだが、結局は黙認しているな?」

 声を掛けられた教皇が、ピクリと眉を動かす。いつしか彼の表情から笑みが消え、彼もまた悪魔に対する不快感を露わにしていた。

「心情的には反対だが、結果を出しているから口を出せない。…と言うのが、君のスタンスだったね? だのに目の前の人間が選別に掛けられる段になって口を出して来るとは、流石に虫が良過ぎるのではないかな?」

「…そうだね。知ってて人の死を見過ごしていた以上、僕にも罪はある。偽善ですら無い自覚はあるよ」

 けれど。教皇は悪魔の悪意に向き合いながら、

「それでも、僕の意見は変わらない。この子達を殺させる訳にはいかない。矛盾していようと、偽善だろうと、自分の心に嘘は吐けないな」

 そう言って教皇は、普段通りの温和な笑みを浮かべて正義と並んでクロン達の前に立つ。

 ――誰に何と言われようと、この子達は殺させない。例え仲間と争う事になるとしても。彼の瞳はそう告げており、その意思に賛同してか、塔とデスもぞろぞろと彼の隣に集まった。

 気付けばクロン達の敵であった筈の彼らが、今は身を挺してクロン達を護ろうとしている。悪魔の言う通り矛盾した行動だが、不思議と疑問には思わなかった。

「この際、善悪は抜きにしよう。たまには本気で喧嘩してみるかい、審判?」

 教皇は悪戯っぽく笑いながら、しかし瞳に強い意志を浮かべて問う。審判は暫く彼の澄んだ瞳を睨んだ後、「…いいだろう」と忌々しげに吐き捨てた。

「お前がそこまで言うのなら、もう少しだけ譲歩してやる。俺の考えが正しいか、お前の意見が正しいか……ここにいる全員に聞いてみようじゃないか」

 そう言って審判は、背後にいる女教皇と悪魔を始め、女帝とリリオンを振り返る。

 この場にいる面子に問う。その言葉の意味を察した教皇は、「多数決、かい?」と意外そうに審判に質問した。

「これでお前の意見が取り上げられるなら、俺はもう何も言わん。お前の好きにすればいい。だがもし俺に賛成する者の方が多ければ……」

「その時は、今度は僕の方が譲歩しろ……と言う事か」

「そう言う事だ。言うまでもないが不正は無しだ。異端の札は使うなよ」

「…わかった。それで構わないよ」

 これ以上は望めないと察した教皇が、躊躇いつつ頷く。審判は気怠そうに吐息すると、この場に居る仲間達に話し掛けた。

「聞いた通りだ。こいつらの処遇について、教皇の意見に賛成する者はあいつの傍に付け。俺の意見に同意する奴は、俺の傍だ。誰の部下だとか誰の世話になっただとかは考えなくていい。自分が正しいと感じた方につけ」

「……私は、教皇のおじちゃんの味方になる」

 真先に答えたのは、塔だった。

「教皇のおじちゃんのする事はいつだって正しいし…、もし間違ってたとしても私はおじちゃんに味方するよ。この子達は敵だったけど、おじちゃんが守りたいって言うなら、私もそうする」

 盲目的な意見を述べた後、塔は足下に立つデスに視線を落として「猫ちゃんは?」と小さく問う。

 デスは彼女を見返さないまま、「僕も教皇に味方します」ときっぱり答えた。

「僕は猫なので皆さんの語る大義はよくわかりません。ですが誰も死なずに済むのなら、それに越した事はありません。ましてや彼らは悪い人では無いのですから、尚更保護すべきだと考えます」

「ほへぇ~、言うねぇデスちん偉そうに。よっ! 生後九ヶ月!」

 にやにやと笑って茶化したのはリリオンだった。彼女は教皇達を指さして笑いながら、一人、審判の後ろに回る。

「まっ、私は審判のおっさんに味方しよっかね。そこのポニテ嬢にゃデュエルで負けた恨みがあるし、腹いせって事でさ」

「……それはリリオンさんの個人的な怨みでは?」

「だから、個人の意見を聞くって話っしょ?」

 そう言ってリリオンは、先程デュエルしたソールに視線を向けてほくそ笑む。紛れもない異種返しであるが、意見は意見。教皇も審判も、彼女の言い分に口を挟まなかった。

「ふん…。デュエルでの遺恨をこのような形で晴らそうとは。やはり異端の札頼りの半人前よ」

 正義は皮肉たっぷりに言いながら、

「…余の意志は変わらぬ。例え地獄に堕ちる身であろうと、今回だけは譲らぬ」

 と、迷いを含んだ重い声で審判に決意を表明した。

 これで現在教皇の傍には三人、審判の傍には一人。数の上では教皇が優位だが、まだ意見を表明していない者はまだ三人。そのうち女教皇と悪魔の二人は、差して時間を置かずに審判の後ろについた。

「そうねぇ…。心情的には教皇ちゃんに賛成したいとこだけど、綺麗事を言ったところで問題は解決しないじゃない? 悪いけど、私は審判ちゃんに付くわ」

「では、私もこちらに付くとしよう。審判の主張に頷く訳では無いが、と言ってこの子供達を特別扱いする理由も見当たらないのでね」

 二人が審判に賛同した事で、意見は四対四と綺麗に分かれた。

 こうなると、多数決の行く末は残る一人、先程クロンと会話のあった女帝に委ねられる事になる。この状況を見たクロンは、「しめた!」と内心胸を撫で下ろした。

(さっき話した印象だと、あの女帝って子はボク達に味方してくれそうな感じだった…! なら、ここはボク達が助かるように動いてくれるはず…!)

 都合良く期待しながら、クロンは縋る様な目で女帝を見つめる。

 その少女、女帝は唇に指を当てながら、天井を見上げて考え込んでいる。クロンの期待とは裏腹に、どちらに付くか決めかねているのだろう。彼女がしばらく考え込んでいると、「早く決めろ」と痺れを切らした審判の声が聞こえてきた。

「俺に賛成するか、教皇に賛成するか。お前の意見はどっちだ、女帝」

「んー、そうですねぇ…」

 女帝は困った様に指で唇をなぞりながら、

「アシュちゃん民主主義なんて初めてですし、どっちの意見も間違ってないと思いますから、凄く悩むところですけどぉ……強いて言うなら…、むーむむ…」

「…どっちだ?」

「どっちの味方をするかと聞かれたら、ちょっとだけ審判ちゃんに寄るかもですぅ。でもアシュちゃん、一応は教皇くんの部下になりますしぃ、正義のお爺ちゃんに後で拳骨されるのも嫌ですしぃ…。うーん、迷いますねぇ」

 気の抜けた声で唸りながら、彼女が悩む事更に暫く。漸く決断した女帝は、「決めましたぁ!」とにっこり笑って、審判の方へと掛けて行った。

「アシュちゃんの清き一票は、審判ちゃんにあげちゃいますぅ。審判ちゃん友達少ないタイプですから、アシュちゃんが味方してあげないとグレちゃいますもんねぇ」

「なっ…!」

 期待を裏切るような女帝の言葉に、クロンは声を失う。

 これで四対五。多数決は、審判の勝利に終わった。それは即ち――自分達の死が、もはや避けられないものである事を意味していた。

「決まりだな。この場に居る人間のうち、五人が選別に掛けろと言っている」

 審判は皮肉交じりに言いながら、勝ち誇った笑みを教皇に向ける。

「もう文句は無いな。約束通りこいつらは貰って行くぞ」

「くっ…。審判、君は本当にそれでいいのか…?」

「今度は説教か? 馬鹿馬鹿しい、もう決まった事だろうが」

 突っぱねるように言い、審判は冷酷な光を帯びた相貌をクロンに向ける。

 敵意でも殺意でも無いが、確かな悪意を浮かべた冷たい瞳。その眼光にクロンが恐怖を感じた時、「あれぇ?」と気の抜けた女帝の声が、彼らの耳朶を叩いた。

「その人達の意見は聞かないんですかぁ?」

 不思議そうに首を傾げながら、女帝はクロン達を指差す。思いがけない、そして思いもよらない一言だった。

 敵も味方も。この場の誰もがその言葉の意味が理解できず、女帝に視線を向ける。彼女はその視線を一身に受けながら、言葉を続けた。

「審判ちゃん、さっきこの場にいる全員に聞くって言ってましたよねぇ? ここにいる全員って事なら、この人達にも聞いてみないと不公平だと思いますよぉ?」

「…何を寝ぼけている。 俺が言った全員ってのは、あくまで仲間内での――、」

「え~っ? でも審判ちゃん、そんな風には言わなかったじゃないですかぁ」

 心底意外そうに顔を傾けた女帝が、同意を求めるように他の仲間達に視線を向ける。彼らは一様に目を丸くしていたが、暫くして、

「はっはっはっ! 如何にも、その通りだ!」

 嬉しそうに肩を揺すって笑う正義の声が、この場に響いた。

「いや、痛快痛快! 審判よ、まさに女帝の申す通りでは無いか! この場に居る者全てに問うのであれば、当然この者らにも問うのが道理! 然すれば己の命が掛かっておるのだ、よもやそなたに同調する者は居るまい! これは見事に一本取られたでは無いか! ははは…!」

「……屁理屈だな」

 審判が呆れたように溜息を吐くと、「けど、もっともな意見だ」と教皇が割って入る。

「君の言葉を額面通りに受け取るなら、この子達の意見を聞かないのは確かに妙だ。採決の途中ならまだしも、僕らの意見が出揃ってからルールを変えるのもよろしく無い。これは正当な主張だよ、審判」

 くすくすと笑いながら、教皇は「違うかい?」と問いかける。

 言い分としては間違ってはいない。だが、流石に暴論が過ぎるのでは……とクロンは内心思ったが、ここは敢えて口にはしない。暴論であれ何であれ、自分達が助かる道に違いは無いのだ。

「そなたの言い分もわかるが、今は聞けぬな」

 正義は何か言い返そうとした審判の声を遮りながら、

「そも、多数決を提案したのはそなた(・・・)、ルールを決めたのもそなた。言葉を誤ったのも、やはりそなただ。なればこの女帝の言い分、斥ける訳にはいくまい?」

「全面的に女帝と正義を支持するよ」

 正義の主張に教皇が同調し、審判に圧を掛ける。

 審判は暫く彼らと睨み合った後、分が悪いと見たのか舌打ちして二人から目を逸らした。

「……女教皇、悪魔。帰るぞ」

「あら、珍しい。素直に引き下がるの?」

「こいつらはどうあっても譲る気は無いらしい。言い合うだけ時間の無駄だ」

 愚痴るように呟いた審判の前方。何もない空間に小さな火の粉が出現し、宙を舞う。火の粉は徐々に膨れ上がり、やがて楕円型の炎の渦となって審判の前に浮かんだ。

 審判達がここに来た時と同じもの――…数多の並行世界を繋ぐ次元の渦。審判はその渦の中に片腕を突っ込むと、安堵の表情を浮かべる教皇を睨みつけた。

「忘れるなよ教皇。全ての異端の札が集まらない限り、世界の破滅は止まらない。今日そいつらを生かした事が、明日の未来を殺す事になるかも知れない。…よく考えておくんだな」

 皮肉を一つ溢して、審判は次元の渦を潜り抜けてこの場を去って行く。女教皇は「拗ねてるわねぇ」と苦笑しながら、教皇に振り返った。

「ま、審判ちゃんがそれでいいなら私は何も言わないわ。世界と人命を天秤に掛ければ、果たしてどちらに傾くのか…。答えは誰にもわからないものね」

 そう言い残して、女教皇もまた空間に残った炎の渦を通って次元の向こう側に帰っていく。その表情には結果に対する不満の色は無く、「それならそれでいい」と言った彼の言葉が嘘でない事を示していた。

 ただ一人この結果に不満そうな表情を浮かべていたのは悪魔だったが、彼もまた「やれやれ」と吐息して炎の渦へと近付いて行く。

「結局、審判も甘さを捨てきれない男と言う事か。些か失望させられたが……まぁいい。その子供達が助かったところで、我々は今後も選別を続ける。これからも大勢死ぬ事に変わりは無い。…教皇。我々が帰るのは止めなくて良いのかね?」

 悪意を含んだ声で嗤いながら、悪魔もまた次元の向こうへと帰って行く。

 最期に残された女帝は彼らが去っていったのを見届けた後、首を傾げて教皇に視線を向けた。

「…あのぉ教皇くん。アシュちゃん、何か審判ちゃん達を怒らせるような事をしたんでしょうかぁ?」

「いや…、怒らせたのはむしろ僕の方だろうね。助かったよ女帝、君のおかげで希望を護る事が出来た」

 心から労った教皇の言葉を受け女帝は「そうですかぁ?」と照れたように笑うとそのやり取りを見ていた

 そんなやり取りをしている二人のの背後を、「けっ、つまんねーの」と吐き捨ててリリオンが通り過ぎる。それに気付いたデスは、「おや」と呟いて少しだけ彼女の後ろを追いかけた。

「リリオンさん、どちらへ?」

「ハッ、どちらもそちらも無いっての! こちとらまだ体が痛いんだから、部屋に戻って酒食って飯飲んで寝る! 他にやる事ねーしさ! バ~~カ!」

 臍を曲げた子供のように愚痴を零しながら、リリオンはその場を去っていく。

 明らかに結果が不満で仕方ないという様子だが、それにしても感情がわかりやす過ぎて、教皇は静かに苦笑した。

 

 

――――――

 

―――――

 

――――

 

「……た…」

「助かった、のか…?」

 教皇達のやり取りが終わった後、何処か放心した心境でクロンとソールが呟く。

 生き延びた、という実感は無かった。どうやら自分達を殺さないと言う方向で話は纏まったようだが、それでも相手に生死を握られている現状に変わりは無い。

 まだまだ気を抜けないこの状況、油断せず敵を睨んでいると、教皇が笑みを浮かべてクロン達を振り返った。

「難しいだろう? たった数人救うにも、これだけの手間が掛かるんだ。ましてや世界を救おうと考えれば、気の遠くなる時間が必要になる。仲間同士の団結も、おかしくなっていく」

 何処か寂しそうに言いながら、教皇は足元に居るデスに視線を落とし、

「死神。愚者の縄を解いてくれないか。彼だけでいい」

「愚者を? …わかりました」

 首を傾げて応じたデスの体から黒い瘴気が吹き出し、真黒な鎌を持った死神の姿となってクロンの背後に回る。

 デスの異端の札――、《グリムリーパー・リゼンブルズ・キャット》はクロンを縛る縄を器用に断ち切ると、蒸散するように空間に溶けて消えて行った。

「君の仲間達は、君を助ける為にここに来た。だから君を彼女達の代表として、話がしたい」

 そう言って教皇はクロンの傍まで歩み寄り、そっと手を差し伸べる。

 まるで年齢を感じさせない、女性の様に綺麗な手。クロンは少し躊躇しながらもその手を取り、彼に誘導されるまま立ち上がった。

「今聞いて貰った通り……そして前にも話した通り、僕達の悲願は世界の破滅を防ぐ事にある。結果として敵対する事になったけれど、誓って君達を傷付けるつもりは無かった。そこは信じて欲しい」

「…理解はしてるつもりッス。貴方やデス君からは敵意は感じませんでしたし、結果的に皆を庇ってくれた事に関しては……その、感謝してます」

 本心からの言葉だった。

 底知れぬ相手である事に変わりは無いが、少なくとも今の教皇の言葉は信用して良いように思える。でなければ自分達はこの場で殺されていただろうし、味方に反発してまで自分達を庇う筈も無い。今のやり取りが自分達を取り込む為の演技であったようにも思えなかった。

 教皇はクロンの言葉を受けて一言礼を言うと、クロンの手を引いて先程正義が開けた大穴の傍まで歩き、荒廃した空を見上げた。

「世界を救う…。言うのは簡単だが、それは人の身には過ぎた願いだ。個人がいくら頑張ったところで、到底叶える事は出来ない。星に手が届かないようにね」

 言いながら、教皇は澄んだ瞳でクロンを見つめる。敵意も悪意も無い、少年の様にあどけない笑みを浮かべながら。

「だからこそ僕は、志を共有する仲間を募っている。僕達が背負う責務と未来を知って、その上で手を貸してくれる仲間を」

「仲間…」

「僕達に協力してくれないか、愚者」

 唐突に、はっきりとした声で教皇は告げた。

 思わず顔を上げたクロンは、まじまじと彼の表情を見つめる。教皇の顔は何処までも穏やかで、計算も企みも感じられなかった。

「残る異端の札を見つけ出して、共に世界を救おう。君達は僕を信用しないかも知れないけど、僕は君達の意思を信じる。一緒に破滅の運命を変えようじゃないか。全ての人々の未来の為に」

 真直ぐに言い切った教皇は、もう一度クロンに右手を差し出す。

 全ての人々の為に未来を救う。壮大過ぎる言葉は時に嘘くさく聞こえるものだが、教皇は物静かに笑ってクロンを見つめている。嘘偽りの無い本心である事は、その表情からも明らかだった。。

「もちろん、無理にとは言わない。君が断ると言うのなら、それもいいさ。どの道君達は解放する。…君の気持ちを聞きたいな、愚者」

「……」

 クロンは、すぐには答えなかった。

 ついさっきまで敵として戦っていた相手だ、そう簡単に信用できる訳も無い。彼は迷いを含んだ表情で、ふと仲間達の方に視線を向ける。

 彼女達は皆、何も言わずにクロンを見つめている。全ての決断を委ねると言わんばかりの強い視線を受け、クロンは決心したように再び教皇に向き直った。

「……名前を、教えて貰えますか?」

「ん…?」

「これから僕が…、僕達が仲間になると言うなら。貴方の本当の名前を教えて下さい。コードネームしか知らない相手と協力しようとは思いません」

 思ってもみない言葉だったのだろう。教皇は目を丸くして、「名前…?」と小さく呟く。

「ボクの名前はクロン。愚者の異端の札に選ばれた、クロン=ナイトです。…貴方は?」

 クロンは教皇の表情を真直ぐに見つめながら、まずは自分から名前を告げる。

 ここで漸く教皇もクロンの考えがわかったのだろう。改めて笑みを浮かべ、こちらも真直ぐにクロンの瞳を見つめた。

「楽しいな、人生は。ほんの少し心を開くだけで、人間関係が大きく変わる。仲間同士の考えが合わなくなる事もあれば、敵だった相手と手を取り合う事もある」

 そう前置きし、教皇は一度は差し出した手を引っ込める。思わずそちらに目を向けたクロンは、「わかった」と穏やかに呟いた教皇の声を聞いた。

「神風メリス。――それが、僕の名前だ」

 あっさりと告げられた名乗りに、クロンは思わず彼の顔を見上げる。

 その女性的な表情と「神風メリス」という名が噛み合い、どうやら間違いなく本名らしいと実感する。不思議と聞き覚えのある名前だ、とも。

「神風…、メリス…」

「連合は成立、という事でいいのかな?」

 再び差し出された右手が、思考していたクロンの意識を揺り動かす。

 クロンはその手を見つめて少し考えた後――、

「貴方達の事は…、正直、まだ疑っている所もあります。貴方達のやり方についても思う所が無い訳でもありません」

 でも。そう小さく呟き、クロンは自らの右手で教皇の手を握る。

「ボク達の暮らす世界を守る為に。ボクが知る人達を守る為に。…貴方達に、協力します」

 自分の頭で考え、自分で導き出した答えだった。

 教皇は嬉しそうに口元を緩め、クロンの手を優しく握り返す。「良かった」と小さく囁いた教皇の声が、クロンには何より心地良く聞こえた。




最新話書くのに半年も掛かってしまったぜ(´・ω・`)
シリアスなシーン書くのが苦手なのはわかっていたけど、ここまで手間取るとは思わなかった。正直後半は手抜きたっぷりだし、ディオの如く反省せねば。


………。
ち、違うぞ! 今回の展開を考えるのに時間掛かってた訳じゃないぞ! この展開自体は前々から考えてたんだぞ! ほんとだぞ! 鴻上博士と同じくらい信頼していいぞ!
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