「しまった! やられた! 目を離した隙に……」
その日、アズカバンは大騒ぎであった。
つい数日前に逮捕された闇の帝王が、いとも呆気なく脱走を果たしてしまったのだ。
帝王……正確に言うならば帝王フェイスのハリー・ポッターは囚人服を見事に着こなし、カモシカのような素晴らしいフォームで逃げた。
数多の看守を潜りぬけ、ダンボールを被り、ゴキブリのような機敏さで逃げた。
「アロホモーラ!」
捨て台詞を残し、ハリーは駆ける。
学校行きの汽車が出るのは今日。これに乗り遅れれば素晴らしい魔法界での生活が遠のいてしまう。
乗らねばならない! 何としても!
故にハリーは駆ける。
風よりも速く、音よりも速く! 帝王フェイスを風圧でちょっと人に見せられない形相に歪めつつ走る。
まるでガラス窓に顔を押し付けたかのように顔が潰れ、歯茎を剥き出しにし、遂にハリーは野山を走るホグワーツ特急を視界に収めた。
「うおおおおおおおお!!」
雄叫びをあげ、汽車へと迫る。
すると何と理不尽な事だろう。まるでハリーから逃げるように汽車が速度を上げたではないか。
負けじとハリーも速度をあげ、人間の限界を越えて汽車を追う。
自分は風だ、風になっている。
たとえ汽車相手であろうと逃がすものか!
だが更なる試練がハリーを襲った。
汽車の窓が一斉に開き、そこから何人もの魔法使いが杖を出してハリーへ魔法を発射しはじめたのだ。
彼へ迫る幾百もの失神呪文! しかしハリーはそれを避けた。
右に左に華麗なステップを踏み、残像すら残して呪文を掻い潜り、汽車へと近付いて行く。
優雅にターン!
華麗にステップ!
美麗にスピン!
まるで氷上で踊る妖精のように舞う帝王フェイス。
その美しさに恐怖したのか、ますます呪文の密度が高まる。
何たる熱烈極まる歓迎! ハリーの心は感動で満たされ、自然と笑顔が浮かぶ。
間違いない、己は今決闘を挑まれている。
それはつまり、お辞儀を挑まれている事と同義。
こんなにも魔法使い達がお辞儀に飢えているとは思わなかった。
今こそ、俺様の愛を全ての魔法使いに!
「すごいおじぎを感じる! 今までにない何か無理矢理なおじぎを!
ステューピファイ……なんだろうおじぎしてる確実に、俺様のほうに!
ダンブルドアは礼儀を重んじるやつだった、とにかくおじぎをするのだ!
俺様の周りには沢山の死喰い人がいる。決して一人じゃない!
信じよう。そしてともにおじぎしよう!
不死鳥の騎士団の邪魔は入るだろうけど、絶対におじぎするのだ!!」
乱発される魔法を避け、本人も理解していない意味不明の言葉を吐きながらハリーは跳んだ。
本当ならばここでアバダケダブラの一つも撃ちたいところだが、生憎と杖が全然言う事を聞いてくれないのでそれは出来ない。
だが杖がなくても己にはお辞儀がある! お辞儀への愛がある!
ならば出来ない事などあんまりない!
「ロコモーター・俺様!!」
杖が言う事を聞かないので魔法など当然使えないが、とりあえず気合とお辞儀さえあれば何となる。
そんな謎理論で回転しつつ、ベアークローを両手に嵌めてハリーは汽車へと突貫した。
窓を突き破ってコンパートメントへ飛び込み、勢いあまって床に突き刺さってしまったが遂に汽車に乗り込む事に成功だ。
不運なのは偶々そのコンパートメントにいた赤毛の少年だろう。
彼は突然の乱入者に怯え、壁へと後ずさりしてしまった。
「ひっ、ひいいい!? 闇の帝王!?」
「いかにもその通り、俺様こそ闇の帝王ハリー・ポッターだ!
わかったならばさっさと俺様を床から抜くのだ!」
上半身が埋もれたまま足をジタバタとさせるハリーは、それはそれはシュールな事だっただろう。
しかしそんなシュールな彼をとりあえず助けるあたり、この赤毛の少年はなかなかにお人よしなのかもしれない。
あるいは単に怯えて言う事を聞いてしまっただけか。
どちらにせよハリーはようやく自由を取り戻し、一息をつく事が出来た。
「ふう、助かったぞ。お礼にお辞儀してやろう」
ハリーは赤毛の少年に完璧なフォームのお辞儀を披露し、それから椅子へと腰かける。
少年もそれを見て、すぐに危害は加えられないと悟ったのか、とりあえず椅子へと座った。
「ええと、君、ハリー・ポッターって名乗ってたけど……」
「うむ、いかにも俺様こそ魔法界の英雄ハリー・ポッターだ。崇め、お辞儀する事を許してやろう」
「あのー、ハリー・ポッターって『例のあの人』を倒したんだよね? なのに何でその本人が帝王を名乗ってるのさ?」
「帝王を倒したのだから俺様が新たな帝王だ。何もおかしい事はない」
――おかしい事しかねぇよ……。
少年は咄嗟に心に浮かんだそのツッコミを、何とか口に出さず飲み込んだ。
そして考える。
うん、ちょっと待とうか。まず彼がハリー・ポッターだという前提で……正直認めたく無いが1億歩くらい譲ってそうであるとして考えよう。
帝王を倒したのだから自分が帝王。まあこれはいいだろう。
いや、全然良く無いのだが要するに勝手に自称しているだけだ。これだけならまだ、ただの自意識過剰野郎で済む。
しかし問題は顔だ。
帝王倒したから顔が帝王になりましたとか、どう考えても無理がある。
ツッコミ所しかない。
「うん、その……とりあえず何がどうなってそんな事になっちゃったの?」
「そんな事とは?」
「いや、うん……気を悪くしたら悪いんだけど……顔とか」
「顔?」
ハリーは何を言われているのか分からないといった様子で窓を一瞥し、そこに映った自分の顔を眺める。
それから少年へ振り返り、本心からの言葉で答えた。
「世紀の美男子フェイスにしか見えんぞ。何がおかしいのだ?」
――おかしい事しかねえよ!
少年は脳内の叫びを、何とか口に出さず苦虫を噛み潰したような顔をする。
駄目だこいつ、美的感覚までヴォルデモートになってやがる。
これではきっと、いくらこちらがおかしいと言った所で気にはしないだろう。
ロンは天を仰ぎ、そして思う。
今日は何て日だ。せっかく憧れのホグワーツに入学出来るというのに、初日から変なのと関わってしまった。
これならまだフレッドやジョージと同じコンパートメントの方がマシだった。
「おいロニー坊や、一緒に真ん中の車両まで行かないか? リー・ジョーダンがでっかいタランチュラを持ってるんだ――」
「おっと、ロンは蜘蛛が苦手だったな!」
そんな内心の声を知ってか知らずか、今まさに思考にあがっていた双子がコンパートメントのドアを開けて顔を覗かせる。
そして、ハリーの顔を見てすぐにドアを閉めた。
ドアの向こうから慌てて逃げるような足音が響く。
そりゃないぜ。
正直気持ちはわからないでもないが、せめて僕を助けようという素振りくらいあってもいいじゃないか。
そう思い、ロンはさめざめと涙を流した。
「ああもう、それにしても、どうしたスキャバーズ、さっきから落ち着きがないぞ」
ロンはポケットに手を入れ、そこから太った鼠を出す。
ウィーズリー家の6男である彼の持ち物は全てが兄達のお下がりだ。
この前足の指が欠けた鼠もまた3番目の兄であるパーシーのペットを貰い受けたものである。
普段は寝てばかりで全く役に立たない彼であるが、今日に限ってはやけに落ち着かずしきりに逃げようとしているのがロンには不思議だった。
それから時間が経ち、12時頃になるとえくぼのおばさんが笑顔でコンパートメントの戸を開けた。
「車内販売よ。何もいりませんね」
そしてハリーの顔を見て戸を閉めた。
見事な逃げっぷりである。感心するしかない。
だが不運な事に、ハリーは腹を空かせていたらしい。
音を超える速度で戸を開け、おばさんを捕まえてしまった。
「よく来た、歓迎するぞ! とりあえず売り物全部もらおうか!」
「ひいいいっ!?」
「どうした、何故怯える?!」
「お助けを、お助けを! 売り物は全部さしあげますから、どうかお助けを!」
「何、全部無料でくれるというのか!? 貴様何ていい奴なんだ、俺様は感動したぞ!
お礼に俺様の部下にしてやろう!」
「ひいいい……どうか、どうか、それだけは……」
これはひどい。
ロンは心から呆れ、天を仰いだ。
とりあえずこのままでは車内販売のおばさんが可愛そうなので何とかするしかない。
正直この隙に逃げてしまいたい所だが、どうせ逃げてもこの帝王は追ってくるだけだろう。
ならばせめて被害者を減らす努力くらいはするべきだ。
「ストップ、ハリー、そこまでだ。
おばさんをいつまでも捕まえてたら仕事にならないだろう?
欲しい物はもう手に入ったんだから離してやりなよ」
「む? そうだな、もう行っていいぞ」
ハリーが手を離すと同時におばさんは凄まじい速度で逃げていった。
あまりに慌てていたので販売用のカートを置いて行ってしまったが、恐らくもう取りに来る事はないだろう。
ハリーはハリーで、何の遠慮もなく載せられた食べ物を物色している。
「これは何だ、ロニー坊や」
「ロンだよ。ロナルド・ウィーズリー。
ええと、これはカエルチョコだね。カエルの形をしているチョコレートさ」
「ではこのゲコゲコ鳴いているのは?」
「それは本物のカエルだね。どこから紛れ込んだんだろう?」
「そうか」
ハリーはそう言うと、カエルを口の中に放り込んだ。
うん、僕はもう突っ込まない。何も突っ込まないぞ。
出会ってから数分、既にロンの心は諦めの境地に達していた。
もう何があっても驚かないぞという気分だった。
「ねえ君達、僕のヒキガエルを見なかった?」
コンパートメントの戸が開かれ、丸顔の男の子が入ってきた。
なるほど、どうやら先程のカエルは彼のものだったらしい。
ロンはすぐにハリーを指差し、彼の口からはみ出ているカエルの足を見せてやった。
「トレバァァァァァ!!? ちょっ、何で僕のトレバーを食べようとしているの!?
吐いて! 吐いてよ!」
「む、何だ貴様! 俺様に歯向かう気か!?」
「ぼ、僕は戦うぞ! トレバーを返せ!」
ロンは思わず少年に拍手を送っていた。
何と勇敢な少年だ。あの帝王フェイスに挑みかかるとは、これぞグリフィンドール生の素質というやつか。
しかし勇気だけではどうにもならない事がある。
ハリーは優雅とは言い難い、無駄に洗練された無駄の無い無駄な動きでネビルの手をスルリスルリと避けてしまう。
「ネビル、カエルは見付かった?」
既に大混乱のコンパートメントに、更に新たな来訪者が現れた。
フサフサとした栗色の髪の、可愛らしい女の子だ。
ロンは彼女を見て硬直してしまったが、これが一目惚れというやつかもしれない。
そして決める。
よし、もし彼女にあの帝王フェイスが襲いかかる事があれば僕が守ってやろう。
大丈夫、僕だってウィーズリー家だ。それに何と言っても彼の杖は言う事を聞かずひたすら主人への罵倒を繰り返している。
杖さえなければ闇の帝王といえどそこまで怖くない。
来いよヴォルデモート、杖なんか捨ててかかってこい。
しかし先に仕掛けたのは意外にも少女の方だった。
彼女はハリーの顔を見るや真っ青になり、半狂乱を起こしたのだ。
いや、これはまあ仕方の無い事だろう。
コンパートメントを開けたらそこに帝王がいたのだ。誰だってまずは怖がる。
しかし普通で終わらないのはこの後だ。
彼女は勇敢なのか無謀なのか、たまたま近くにあった白い杖を掴んで悲鳴をあげながらハリーに向けてしまったのだ。
『
少女が掴んだ途端、先程まで「Fuck」しか言わなかった杖が流暢な英語を話し始める。
そして少女の身体を淡い輝きが包み、ホグワーツの制服とは全く違う白い衣装を身に纏った。
『
よほど前の主人が嫌いだったのか、少女が何も言っていないのに杖が勝手に魔法を発動する。
杖の先端に桃色の破滅的な輝きが集い、まるで星の煌きのように辺りを照らす。
OK、ガール、ちょっと待とうか。
帝王フェイスを撃つのは別にいい、むしろ全然オッケーさ。僕惚れちゃいそうだよ。
けど今、射線上には僕と丸顔少年もいるんだ。
ロンは諦めに満ちた顔で少女を止めようとするが、杖が勝手に暴れているだけなのだから止まるはずもない。
「スターライトブレイカァァァァァァ!!」
とうとう杖から戦術核にも匹敵する超破壊エネルギーが迸り、ロン、ネビル、トレバー、ハリーを纏めて飲み込んだ。
大丈夫、非殺傷設定だ。たとえ都市一つ消し飛ばす威力でも死にはしない。
汽車の壁を消し飛ばし、ハリー達は飛んだ。空高く飛んだ。
あまりの衝撃にハリーはカエルを吐き出し、根性溢れる丸顔少年は飛びながらカエルを掴んだ。
そして完全に巻き込まれただけのロンは滝のような涙を流し、偶々最悪のタイミングでコンパートメントを訪れてしまったドラコ・マルフォイは何が起こったかもわからず新惑星ベジータまで飛んだ。
大丈夫、非殺傷設定だ。
――ママ、僕もうホグワーツとかどうでもいいから帰りたいよ。
ロナルド・ウィーズリーは心から思い、そして重力に任せて落ちて行った。
ブロリー「……何なんだあ? お前はあ……」
マルフォイ「(((;゜д゜)))」