デート・ア・ブレイド   作:白い鴉

16 / 17
遅くなりましたが、明けましておめでとうございます。相変わらずの亀更新ですが、今年もデート・ア・ブレイドをよろしくお願いします。


第十六話 第二の精霊

 

 

 

「――――ああ、来たわね二人共。もうすぐ精霊が出現するわ。令音は用意をお願い」

 士道と令音がフラクシナス艦橋に着くなり、艦長席に座った琴里からそんな言葉が飛んできた。本来学校にいるはずの彼女がここにいるという事は、どうやら彼女も士道達と同じように学校からこっそりと抜け出してきたらしい。

「……ああ」

 令音が小さく頷き、白衣の裾を翻して艦橋下段にあるコンソールの前に座り込む。よく見てみると広瀬も、最近特別に作られたコンソールの前に座っていた。

「……さて」

 と、士道が無言でいると琴里が首を傾げるようにしながら問うてきた。

「あまり時間をあげられなくて悪いのだけれど。腹は決まったのかしら、士道」

「………っ」

 士道が思わず息を詰まらせると、突然艦橋内にけたたましいサイレンの音が鳴り響いた。

「な、何だっ? まさか、アンデッド?」

「違うわ、これは……」

「非常に強い霊波反応を確認! 来ます!」

 琴里の訂正する声に割り込むように、艦橋下段から男性クルーの叫び声が発せられる。

 それを聞くと、琴里はパチンと指を鳴らした。

「オーケイ。メインモニタを出現予測地点の映像に切り替えてちょうだい」

 琴里が指示を出すと、メインモニタに街の映像が俯瞰で映し出された。

 いくつもの店が建ち並ぶ大通りである。しかし当然の如く人の姿はなく、まるでゴーストタウンのような状態になっていた。

 そんな映像の中心が、ぐわんっ、とたわむ。

「え……?」

 一瞬、映像を映し出している画面の方に問題があるのではないかと思ったが、違う。

 何もないはずの空間に、水面に石を投じた時のような波紋ができていたのだ。そして士道の想いを代弁するかのように、コンソールに向かっていた広瀬から小さな声が発せられた。

「何よ、これ……」

「あら? 栞や士道は見るのは初めてだっけ?」

 琴里がそう言うのとほぼ同時に、空間の歪みがさらに大きくなる。

 画面に小さな光が生まれたかと思った瞬間、爆音と共に画面が真っ白になった。

「――――っ!」

 画面内の出来事であると分かっているはずなのに、思わず腕で顔を覆ってしまう。

 そして数秒の後、妙に激しくなった動悸を抑えながら目を開けると、画面には今までとは全く違う風景が映し出されていた。

 街に、穴が開いている。

 何を馬鹿なと思われるかもしれないが、そうとしか表現のしようがないのだ。

 今まで幾つもの建物が並んでいた通りの一部が、浅いすり鉢状に削り取られている。

 そこにあったはずの店や街灯や電柱、さらには道路の舗装に至るまで、全てが無くなってしまっていたのだ。

 そして爆発の余波のためだろうか、その周囲もまるで大型ハリケーンにでも襲われたかのような有様になっている。

 その様は、およそひと月前、十香に初めて会った場所に酷似していた。

 つまり、今のが。

「空間震……っ」

 士道が震える声で言うと、琴里がええ、と首肯した。

「精霊がこちらの世界に現界する際の空間の歪み。それが引き起こす突発性災害よ」

「………」 

 廃墟を見た事は何度もあったが、爆発が起こる瞬間を目撃したのは初めてだった。

 自分の掌が緊張と恐怖でじっとりと湿るのを、士道は感じた。

 頭では分かっていたつもりだった事象が、ようやく実感として理解できた気がした。

 街が、人々が生活している空間が、一瞬で全て壊れてしまう、その恐ろしさが。

 人の命を奪うアンデッドとは、また違う種類の恐怖が。

「ま、でも今回の爆発は小規模ね」

「そのようですね」

 と、琴里とその後ろに控えていた神無月が声を発する。するとそれを聞いていた広瀬が目を剥いて二人に叫んだ。

「ちょ、ちょっと待って! 小規模って、あれが!?」

「ええ。十香の時の空間震は今回のものよりももっと規模が大きいわ。ま、今回の精霊――――『ハーミット』ならこんなもんよ。あの精霊は、精霊の中でも気性の大人しいタイプだし」

 琴里の言葉を聞いて、士道は思わず言葉を失いかけたが、すぐに思いなおす。

 今の空間震の規模は十香の時とは違って爆発の範囲などがあまり大きくなく、精々数十メートル程度だ。彼らにしてみれば、比較的軽微なものなのだろう。

 無論、頭で理解できたからといって、心臓は静まってくれなかったのだが。

「……なぁ、琴里」

 と、士道は琴里達の会話に気になる点を見つけて、声を発した。

「『ハーミット』ってのは、一体何の事だ?」

「ああ、今現れた精霊のコードネームよ。ちょっと待ってて。画面拡大できる?」

 琴里が艦橋下段のクルーに指示を出す。

 するとすぐに映像がズームして、街の真ん中にできたクレーターに寄っていった。

 と、それに合わせて画面内に変化が訪れる。

「……雨?」

 士道は小さく頷いた。

 そう、ふっと画面が暗くなったかと思うと、ぽつ、ぽつと雨が降り始めたのだ。

 だが、そんな変化はすぐに気にしてはいられなくなった。

 クレーターのように抉り取られた地面の中心に、小さな少女の姿が確認できたからだ。

「……あれが、精霊。どんな外見をしてんのかと思ったら、普通の女の子じゃない」

 と、艦橋下段からそんな事を呟く広瀬の呟きが士道の耳に入ってきた。

 だが、

「……………っ!?」

 今の士道に、そんな呟きを聞いていられる余裕は微塵もなかった。

 その少女を目にした瞬間、心臓を鷲掴みにされるかのような衝撃が、全身を通り抜ける。

 拡大された画面の中心に佇む、一人の少女の姿。それに、見覚えがあったからだ。

「あ、れは………」

 ウサギの耳のような飾りのついたフードを被った、青い髪の少女だ。

 年齢は大体十三から十四ほど。大きめのコートに、不思議な材質のインナーを着ている。

 そしてその左手には、コミカルな衣装の施されたウサギの人形(パペット)を装着していた。

 士道の目と脳。いずれかに異常でもない限り、間違いない。

 あれは……士道が昨日学校から帰る途中に遭遇した少女だ。

「………? どうしたのよ、士道」

 士道の様子を不振がってか、琴里が怪訝そうな声を響かせてくる。すると琴里の声が聞こえたのか、広瀬も怪訝な表情で士道の方に視線を送っていた。

 士道はもう一度画面を注視し、自分の思い違いでない事を確認してから唇を開く。

「俺……あの子に会った事が、ある……」

「何ですって? 一体いつの話よ」

「つい昨日だ……っ、学校から帰る途中、急に雨が降ってきて……」

 士道が記憶を探りながら、昨日の出来事を簡潔に話した。

 ひとしきり士道の話を聞いた琴里は、艦橋下段のクルーに指示を飛ばした。

「昨日の一六〇〇から一七〇〇までの霊波数値を私の端末に送って。大至急!」

 そうしてから手元の画面に視線を落とし、苛立たしげに頭をがりがりと掻く。そしてコンソールを操作していた広瀬がそんな琴里を見て尋ねた。

「琴里ちゃん。精霊が空間震も無しにこっちに現界する事ってあるの?」

「普通なら無いわ。だけど主だった数値の乱れは認められない……。どうやら十香の時と同じように、本当に空間震無しにこっちに出てきたみたいね。士道、何で昨日の内に言わなかったの?」

「む、無茶言うなよ。会った時は精霊だなんて思わなかったんだ……!」

 すると、コンソールを操作していた広瀬が突然険しい表情を浮かべた。

「……二人共、口喧嘩はそこまでにしといた方が良いわ」

 そう言った直後、フラクシナス艦橋に設えられたスピーカーからけたたましい音が轟いてきた。

「……!? な、何だ、一体……」

「……精霊が現れたんだもの。仕事を始めるのは私達だけじゃあないでしょう。アンデッドが現れたらあなた達が出るように、精霊が出現したらそれの相手をするのはどこの誰? 士道」

 琴里の言葉に、士道は指先をぴくりと動かした。

「AST……か」

「ええ」

 画面に目をやると、今しがた少女――――ハーミットと呼ばれる少女がいた場所に煙が渦巻いていた。恐らくミサイルか何かを撃ち込まれたのだろう。

 そしてその周囲に、物々しい機械の鎧を纏った人間達が数名浮遊していた。

 陸上自衛隊・対精霊部隊(アンチ・スピリット・チーム)。通称AST。

 精霊との対話を以て空間震などの問題解決を目的とするラタトスクとは違い、武力で精霊をせん滅する事を目的とした特殊部隊である。

 と、煙の中から小さなシルエット――――ハーミットが飛び出した。

 彼女は左手のパペットを掲げるような格好のまま宙に舞うと、周囲を固めるAST隊員達の間を抜けるように身を捻り、空に踊った。

 だが、AST隊員達はすぐにそれをに反応すると一斉にハーミットを追跡する。

 そしてそのまま、体中に装着していた武器から夥しい量の弾薬を発射する。

「危ない!」

 反射的に士道が叫ぶが、画面越しの警告には何の力もなく、AST隊員の放った無数のミサイルや弾丸は、無慈悲に小さな少女の体に吸い込まれていった。

「あいつら……あんな女の子に……!」

 士道は目を見開き、奥歯をぎりと噛み締めた。

「……気持ちは分かるけど五河君。あれは仕方のない事よ」

「仕方のない事って……何を言ってるんですか広瀬さん!?」

 思わぬ言葉に士道が叫ぶと、広瀬は真剣な表情を士道に向けながら言う。

「十香ちゃんの時に学習したはずよ。ASTにとって精霊がどんな姿形をしているかだなんて関係ないのよ。例え私達には普通の女の子に見えても、普通の人にとっては彼女達は空間震という形で世界に破壊をまき散らす災害なの。ASTにあるのは世界を守る使命感と、人類にとって危険である存在を排斥しようという、生物として至極まっとうな生存本能、……そして誰かの幸せのために戦うっていう強い意志よ。やり方はどうあれ、その点で言えば彼女達はアンデッドと戦うあなたと何も変わらないわ」

「………っ!」

 広瀬の言葉に、士道は何も言えなくなってしまった。そう、ASTも悪意があって精霊を殺そうとしているわけではない。彼女達はただ単にこの世界と、自分の大切な人達を護るために戦っているに過ぎないのだ。……まるで、アンデッドと戦う士道のように。

 と、士道が固まっていると煙の中から再び少女が空に踊る。

 だが、ハーミットは反撃しようとはせずただ逃げ回るだけだった。

「あの子……反撃しないのか?」

「ええ。いつもの事よ。ハーミットは精霊の中でも極めて大人しいタイプだし」

「なら……!」

「ASTに助けを求めるなら無駄よ。――――彼女が、精霊である限り」

「…………っ」

 逃げもない答えに、士道は唇を噛んだ。

 いや……、言葉を重ねるまでもなく、自分でも分かっていたのだ。

 彼女の気性や性格だなんて、ASTには関係がない。

 彼らはただ、この世に害なす敵を討っているだけなのだから。

 それを覆す方法など、一つしかない。

 士道は血が出るのではないかと思えるほどに拳を握りしめ、静かに喉を震わせた。

「……琴里」

「何よ」

「……精霊の力さえ無くなれば、あの子がASTに狙われる事は無くなるんだな……?」

 士道が言うと、琴里は眉をピクリと動かして士道の方に目を向けてきた。

「ええ。――――その通りよ」

「空間震は……起きなくなるんだな?」

「ええ」

 士道は数瞬の間押し黙った後、大きく深呼吸をして次の言葉を発した。

「俺には、それができるんだな……?」

「十香の現状を見て信じられないのであれば、疑ってくれて構わないわ」

 士道は一度息を静かに吐くと、制服からブレイバックルを取り出す。

 自分が戦うための鎧であり、大切な人達を護るための力。

 そして自分に宿る、心を通わした精霊の霊力を封印するという未知の力。

 この二つの力があれば、あの小さな少女を救う事ができるかもしれない。

 ならば……やる価値は、ある。

 士道は目をゆっくりと上げると、決意を発する。

「手伝ってくれ、琴里。俺はあの子を、助けたい」

「――――ふふ」

 琴里はどこか嬉しそうに、キャンディの棒をピンと立てた。

「それでこそ――――私のおにーちゃんよ」

 そして体の向きを変え、艦橋下段のクルー達に向かって声を投げる。

「総員、第一級攻略準備!」

『はっ!』

 クルー達が一斉にコンソールを操作し始める。

 琴里はそんな光景を眺めながら、唇を眺めた。

「さぁ――――私達の戦争(デート)を始めましょう」

 

 

 

 

 

「ふぅ……ここで良いのか?」

 フラクシナス下部に設えられた転送装置で地上まで送られた士道は、右耳に装着した小型のインカムに向かって声を投げた。

『ええ。精霊も建物内に入ったわ。ファーストコンタクトを間違わないようにね』

「了解っと」

 士道はそう答えると、インカムから手を離した。

 士道は今、商店街の先にそびえる大型デパートの中にいた。

 琴里によると、ハーミットは比較的出現回数が多い精霊らしく、その行動パターンの統計と令音の思考解析を組み合わせれば、おおよその進路に目算がつくのだという。

 無論、ASTの出方によっては微妙に進路が変わってしまう可能性もあったが、その時はまた士道を回収して、次の予測地点に向かえば良いとの事だった。

 ASTの主要装備であるCR-ユニットは士道のライダーシステムとは違い、屋内での戦闘に不向きである。

 無論十香の時のように建物を破壊して精霊をいぶりだそうとしてくる可能性もあったが、とりあえずしばらくの間は、精霊が建物内から出てくるのを待つだろう。

 そしてその、数分とも数十分とも知れないわずかな間が、戦場において士道が精霊と会話をするための貴重な時間なのであった。

「………」

 辺りを警戒しながら、士道は四月中旬にこのインカムを着けてラタトスクの指示を仰ぎながら十香と会話を交わした時の事を思い出す。

 まさかそれからひと月しか経たない内に、再び精霊とのコンタクトを行う事になるとは思ってもみなかったが、仕方あるまい。

 何故かは分からないが、士道にはとんでもない力があって。

 その力を使えば空間震を止められ、精霊への攻撃もやめさせられると言われて。

 しかも、それを士道は望んでいるのだから。

「……まぁ、って言っても……」

 士道は小さく息を吐いた。その方法が精霊を口説いてキスをする事だというのだから、士道にはいささか難易度が高かった。……まぁ、それをする事とアンデッドを封印する事のどちらが難易度が高いんだと言われると、いささか判断に困ってしまうのも一つの事実ではあるのだが。

『――――士道。ハーミットの反応がフロア内に入ったわ』

「……! 分かった」

 不意に響いた琴里の声に、士道が体を微かに緊張させながら答えたその瞬間。

『――――君も、よしのんをいじめに来たのかなぁ……?』

「………っ!?」

 急に頭上からそんな声が響き、士道はバッと顔を上げた。

 そこには、件の少女であるハーミットが重力に逆らうような逆さの状態で浮遊していた。

『駄目だよー。よしのんが優しいからってあんまりオイタしちゃ。……って、んん?』

 と、少女は逆さになっていた体を空中でぐるんっと元に戻して、床に降り立った。

 そして、パクパクとパペットの口を動かす。

『ぉおやぁ? 誰かと思ったら、ラッキースケベのおにーさんじゃない』

 士道の顔をまじまじと見たのち、パペットが器用にぽんっと手を打ってきた。一体、片手でどうやって操作しているのだろうか。 

 だが今は、そんな疑問に時間を取られているような場合ではない。

 すぐに右耳に『待ちなさい』という琴里の声が聞こえてきた。その声が聞こえてきたという事は、今頃はフラクシナス達のクルー達が、メインモニタに表示された三つの選択肢の中から一番的確な答えを導き出している事だろう。

 そして数秒後、士道の耳に琴里からの指示がようやく飛んできた。

『士道、③よ』

 そう言うと琴里は、目の前の精霊に向かって何をするべきかと士道に話した。

「……っ、何だそりゃ……」

 妹からの言葉に、士道は床に尻をつけたまま小さく呟いた。

 耳に届いた彼女の行動指示が、あまりに突飛なものだったからだ。

『うぅん? どったの?』

 パペットが、器用に首を傾げながら軽い口調で聞いてくる。

 考えている暇はない。士道はその場にすっくと立ちあがると、近くに陳列されていた椅子に片足をかけ、

「ふっ………、そんな奴の事は知らないね。私は、通りすがりの風来坊さ……」

 なんてきざったらしく言ってから、髪をかき上げてみせた。

 誤解のないように言っておくが、いくら中学二年生のころに重篤な病気にかかっていたとは言っても、士道はナルシストではない。現に今も、顔から火が吹き出してしまいそうなほどの羞恥に襲われているのだから。

『………』

 ハーミットの操るパペットが、ぽかんと口を開けたまま黙った。

 そのまま、数秒が過ぎる。

「……お、おい琴里。どうしてくれんだこの空気……」

 と、士道が小声で琴里に不満をこぼした瞬間。

『ぷ………っ、は、ぁはははははっ!』

 パペットが、カラカラと頭を揺らして笑いだした。

『なぁーにぃ、おにーさん意外とひょーきん者? あっはっは、今どきそれは無いわー』

「は、はは……お気に召して何よりだ」

 士道はパペットに合わせるように苦笑する。今どき『ひょうき者』も無くね? と思ったが、それを口に出したら確実に機嫌を損ねる事になるのでここは黙っておくことにする。

『どーよ』

「……はいはい、悪かったよ」

 自慢げな琴里の声に小声で返し、士道はハーミットの方に向き直った。

 すると、それに合わせるようにパペットが士道の顔に視線を合わせてくる。

『やー、しかしラッキースケベのおにーさん。珍しい所で会うねー。ぁっはっは、おにーさんみたいなのは歓迎よー? どーもみんな、よしのんの事嫌いなみたいでさー。こっちに引っ張られて出てくると、すーぐチクチク攻撃してくるんだよねぇー』

 そう言って、パペットがまたもわははと愉快そうに笑った。

『随分とまぁ、陽気な精霊ね』

 右耳に、士道が思ったままの言葉が聞こえてくる。やはり、琴里もそう思ったらしい。

 と、ハーミットの言葉の中に気にある単語があった。それを確かめるために、小さく口を開く。

「なぁ……よしのんっていうのは?」 

 士道が問うと、パペットが驚きを表現するように口を大きく開けた。

『ああ、なんてみすていく! よしのんともあろう者が、自己紹介を忘れるだなんて! よしのんはよしのんのナ・マ・エ。可愛いっしょ? すごいでしょ? 天才でしょ?』

「あ、ああ……良い名前だな」

 耳をピン、と立てるハイテンションなパペットに気圧されるように頷く。

 すると、右耳に琴里の怪訝そうな声が聞こえてきた。

『よしのん、ね。ふうん、この精霊は十香と違って、名前の情報を持ってるのね』

「あ……」

 言われてみればその通りである。十香は自らの名前を持っていなかった。だから士道が『十香』という名前を考えて、彼女につけたのだ。

 だがパペットがずずいっ、と顔を寄せてきたため、その思案は中断させられた。

『ぅんで? おにーさんはお名前なんてーの?』

「あ、ああ。俺は士道、五河士道だ」

『士道君ねー。カッコいい名前じゃないの。ま、よしのんには勝てないけどねー』

「お、おう……ありがとう。ええと……よしのん?」

『はいはーい、何かなー? 今しがた覚えたばかりの名前を、軽妙に会話に織り込んでくる士道君のフロンティアスピリッツに、感心しきりのよしのんだよー』

 大仰な仕草で手を広げるパペットに苦笑で返してから、士道は言葉を続けた。

「いや、大した事じゃないんだが、ええと……よしのんって言うのは、このぱぺっとじゃなくて、君の名前なんだよな?」

 言って、パペットの奥……青い目をした少女の方に視線を向ける。

『………』

 すると、今まで容器に話を続けていたパペットが急に黙りこくった。その沈黙に、士道は何故か胸騒ぎを覚える。まるで自分が踏んではならない地雷を踏んでしまったような、そんな感覚に襲われたからだ。

 と、そんな士道の不安が的中したかのように、右耳のインカム越しにけたたましい警告音が響いてきた。

『――――っ、士道、機嫌の数値が一気に下がっているわ。あなた一体何を言ったの?』

「え? いや、俺はただ、なんでずっと腹話術でしか喋らないのかなあ……て」

 士道が疑問を口にすると、パペットがゆらりと顔を近づけてきた。

『士道君の言ってる事が分からないなぁ……。腹話術って何の事?』

 口調は穏やかなまま。ついでに、パペットなので顔の造作だって何も変わっていない。

 それなのに、何故か途轍もないプレッシャーを感じて、士道は後ずさった。

「い、いや……その……」

『士道、原因はあとげ考えれば良いわ。とにかく、今は精霊の機嫌を直すのよ』

 琴里から指示が飛ぶ。士道は目を泳がせながらも必死に唇を動かした。

「そ……っ、そうだよな! よしのんはよしのんだよな! いやー………はは……は」

 正直かなり怪しい演技だな、パペットはどうやらそれで満足したらしい。それまでの凄みを霧散させると、さっきのような甲高い声を響かせた。

『ぅうん、もー、士道君ったらお茶目さんなんだからー』

 機嫌が良くなったパペットを見ながら、士道はほっと安堵の息をつきながらも小さく呟く。

「……な、何だったんだ、今の」

『さあね……。まぁ、いくらフレンドリーとはいえ、相手は精霊。油断は禁物って事よ』

「りょ、了解だ。……で、俺はこれからどうすれば良いんだ?」

 するとインカムの向こうから、呆れたようなため息が聞こえて来た。

『まったく……とにかく、精霊に逃げられないようにして』

「ど、どうやってだ?」

『そんなの、決まり切ってるでしょ。折角大型デパートの内部にいるのよ? 時間あったらちょっとデートしよう、で良いのよ。良い? 「デートしない?」じゃなくて「デートしよう」っていうのがポイントよ。選択権を相手に渡さないで、一気に展開をこっちの望む方に進めるのよ』

「は、はぁ……」

 士道は少し気後れしながらも、よしのんに向き直った。

「な、なぁよしのん。時間があったら、ちょっとデートしよう」

 そして何の脈絡もなく、聞いたままの台詞を発してしまうのだった。

『………そのままって。もうちょっと柔軟に対応しなさいよ。ったく……』

 琴里がやれやれといった調子で言ってくる。

 が、よしのんの方はあまり気にしていないようだった。いや、むしろ最高だ! とでも言うように耳をピンと立てながら小さな手をバタバタさせる。

『ほっほ~! 良いねー。見かけによらず大胆に誘ってくれるじゃーないの。うふん、もちろんオーケイよん。ていうか、ようやくまともに話せる人に出会えたんだし、よしのんからお願いしたいくらいだよー』

 言って、カラカラと笑った。

「そ、そうか……」

『……ま、結果オーライにしといてあげる』

 琴里のため息交じりの声を聞きながら、士道はよしのんと共にデパートの中を歩いて行った。

 

 

 

 

 

 

 それからの二人はデパートの中を歩き回りながら、会話に花を咲かせていた。

 もちろん時折琴里から指示が飛ぶのだが、妙に笑いの沸点が低いらしいよしのんは、どんな些細な事にもカラカラと笑っていた。実際、彼女の精神状態をモニタリングしているフラクシナス艦橋でも、良い数値が出ているらしい。先ほどの豹変ぶりが何かの間違いに思えるほど、順調な展開だった。

『……ふむ、存外良い感じじゃない』

 琴里が、そんな事を言ってくる。

『そもそもが人懐っこい性格なのかしらね。好感度も上々よ。今すぐキスしようって言っても、拒まれはしないんじゃないの?』

「おいおい………」

 冗談なのか本気なのか分からない妹の発言に、士道は思わず頬を掻く。

 しかし、実際に士道も驚いていた。

 今でこそ十香も普通に会話できるようになってはいるが、最初会った時はこちらに現界するたびにASTから攻撃されていたために酷い人間不信に陥っていた。そのため、言葉を間違うたびに死にそうになったものである。

 だが。

『やっぱりお喋りするのはたーのしーいねー。どうもあの人達は無粋でさー』

「あはは……」

 パペットが口をパクパク開きながら言う事に、曖昧な調子で返す。

 何と言うか、やはり気になった。

 会話が弾むのは願ったり叶ったりであるし、数値的にも機嫌や好感度が上がっているのなら何も問題はない。……はず、なのだが。

「………」 

 士道は無言で、ちらとパペットを操っている少女の方を見やった。

 昨日会った時も、そして今日も。雄弁に喋るのはパペットの腹話術だけで、本人の口はピクリとも動いていないのだ。

 まるで……人形浄瑠璃の黒子みたいに。

『――――おぉ?』

「………っ!」

 と、不意にパペットがこちらを向くのを感じて、士道は肩を震わせた。

『すっごーい! 何かねありゃー!』

 パペットが興奮気味に手をばたつかせると、その場からとてとてと走って行く。まぁ、もちろん走るのは本人の足なのだが。

 よしのんが興味を持ったのは、玩具売り場の一角に組まれていた、お子様用の小さなジャングルジムらしかった。やたらカラフルな強化プラスチックのお城に、両足と右手だけで器用に上っていく。

 そして頂点に達すると、

『わーはは、どーよ士道君。カッコいい? よしのんカッコいい?』

 なんて、声を弾ませて聞いていた。

「お、おい、そんな所に立ってると危ないぞ」

 あくまで子供用の室内用ジャングルジム。そこまで大きくないとはいえ、頂点から落ちてしまったら怪我をしてしまうだろう。

 いや、彼女が空を飛べるというのは分かっているのだが、どうも士道の脳内には昨日の派手にすっころぶ少女のイメージが残っていたのだ。慌ててジャングルジムの元に駆け寄る。

 しかしよしのんは不満げにパペットの手を振った。

『んもう、カッコいいかどうかって訊いてるのにぃ――――っと、わ、わわ……!?』

「お、おい!」

 その動作でバランスを崩してしまったのだろうか、よしのんはジャングルジムの上で踊るように手を振ってから、士道の上に落下してきた。そのままよしのんに押しつぶされる形で、床に張り付けられる。

「っ………痛ぇ………」

 仰向けになりながら声を発する。何故か、前歯が痛かった。

 と、そこで違和感に気づく。

 何か、目の前に少女の青い髪と、端正な造作の貌があって。

 そしてちょうど唇の辺りに、妙に柔らかい感触があった。

「――――っ!?」

 数秒の後、今自分がどういった状況に置かれているのかを、脳が理解した。

『………わお。やるわね、士道』

『驚いたわ……五河君て、意外と大胆……』

 さすがに琴里と広瀬も予想外だったのだろう。インカムから二人の驚いたような声が聞こえてくる。

 それはそうだ。だって今士道は――――上から落ちてきた少女と、ばっちりと口づけを交わしてしまっていたのだから。

『………』

 無言のまま、よしのんが身を起こす。その際、ようやくくっついていた二人の唇が離れた。

 図らずも、キスをしてしまった。

 しかしこれで、よしのんの力は封印できたはずである。

 だが、それにしては奇妙だった。先月十香とキスした時のような、身体に温かいものが流れ込んでくるような感覚が感じられなかった。もしも力を封印できたと言うのならば、あの時と同じ感覚が無いというのはいささか奇妙である。

 と、そこで再びインカムの向こうからけたたましいサイレンが鳴り響いた。

「な………っ」

 一瞬力を封印できていなかったのか? と思った士道だったが、このサイレンの意味を思い出して体を強張らせる。この音は確か精霊の機嫌が崩れ、士道に危険が迫った時に鳴るものであったはずだ。

 と、いう事はよしのんは今……。

『あったたたぁー……ごめんごめん、士道君。不注意だったよー』

 しかしよしのんはパペットをぱくぱくと動かすと、平然とそんな声を発した。

「え……?」

 呆然と、目を見開く。目の前のよしのんに怒っているような様子は全く見られなかった。

 ならば、耳に届くこの警報は一体何を意味しているのだろうか。

『――――士道、緊急事態よ。……それもたぶん、最強最悪の』

 と、琴里がいつになく焦った様子で言ってくる。

「は……? 一体何が……」

 と、後方から足を踏みしめるような音がして、士道は肩を震わせた。

 恐る恐ると、首を後方へと向ける。

 するとそこには……意外に過ぎる、顔があった。

「と、十香……?」

 目を見開き、そこに立っていた少女の名前を呼ぶ。

 そう、そこにいたのは来禅広告の地下シェルターに避難しているはずの十香だったのだ。

 しかも雨に降られたのか、その前身はびしょ濡れで、ついでについ今し方全力疾走でもしてきたかのように、荒く肩で息をしている。

「――――シドー」

 士道の思考を遮るように、十香が体をゆらりっ、と揺らしながら声を発してくる。

 何故だろうか、ただ名前を呼ばれただけのはずなのに、背筋に寒気が走った。

「……今、何をしていた?」

「な、何って……」

 その問いに思わず唇に触れ、すぐに思いなおして手を背の後ろにしまう。

 だが、その仕草すら気に入らなかったのか、まるでぐずる子供のような表情を浮かべるとのどの奥から震える声を絞り出した。

「――――あ、あれだけ心配させておいて……」

「え……?」

「女とイチャコラしてるとは何事かぁあああああああああああああああああああああああっ!!」

 十香が叫び、ズドン! という轟音と共に足を打ち付けた瞬間、その位置を中心に床が陥没し、周囲に放射状の亀裂が走った。

「な、ななななな……」

 突然の自他に、士道は目を剥いて戦慄した。

 今の十香は精霊としての力を封印されており、そのため今の彼女には常識的な範囲内の身体能力しかないはずだった。しかし今の十香は、明らかに精霊としての力を取り戻しているように見える。

「ど、どういう事だ琴里……!」

 インカムに問うと、琴里がため息交じりに返してくる。

『だから前々から言ってたでしょ。士道と十香の間にはパスが通ってるから、十香の精神状態が不安定になると、力が少し逆流する恐れがあるって』

「つ、つまり今の十香の精神状態は不安定になってるって事か?」

『ええ。状態が悪化する前に、どうにかして十香の機嫌を直しなさい』

「そ、そんな事言ったってどうすりゃあ………」

 そんな事を言っている間に、十香は士道とよしのんの元に到達した。

 そして鋭い視線で二人を交互に見た後、むむむと唇を引き結んでから、士道にキッ! と視線を、よしのんにビッ! と指を向けた。

「……シドー。お前の言っていた大事な用とは、この娘と会う事だったのか?」

「あ、いや、それは……」

 確かに言葉の上ではその通りなのだが、ここでイエスと言って、こちらの真意が十香にきちんと伝わるかどうかは疑わしかった。下手をしたら、彼女の怒りの炎にガソリンを投入してしまう事になりかねない。

 と、そこで、

『……いやぁー、はやぁー……そぉーいうことねえ……』

 今の今まで十香の登場にきょとんとしていたよしのんが甲高い声を出した。

 一体どうやっているのか、ウサギの顔がいたずらっぽい顔になっている。

『おねーさん? ええと……』

「……十香だ」

 パペットに言われ、憮然とした様子で十香が返す。

『十香ちゃん。君には悪いんだけどぉ、士道君は君に飽きちゃったみたいなんだよねぇ』

「なっ……」

「………!?」

 十香と士道が、同時に息を詰まらせてパペットの方に向く。

『いやさぁ、なんていうの? 話を聞いてると、どうやら十香ちゃんとの約束すっぽかしてよしのんのとこに来ちゃったみたいじゃない? これってもう決定的じゃない?』

「………っ」

 十香が肩をぴくりと揺らし、今にも泣きだしてしまいそうな顔を作る。

「お、お前何言って……むぐっ!?」 

 士道がパペットの発言に声を上げるが、十香にガッと口を掴まれた。

「シドーは少し黙っていろ」

 有無を言わせぬ迫力を発しながら、万力のような力でギリギリと頬骨を締め付けてくる。

「………!」

 パペットはそんな様子が愉快で仕方ないと言うような調子で、言葉を続けた。

『やー、ねー、ごめんねぇ、これもよしのんが魅力的すぎるのがいけないのよねぇ』

「ぐ、ぐぐ……」

『別にと香ちゃんが悪いって言ってるわけじゃあないのよぅ? たぁだぁ、十香ちゃんを捨ててよしのんの元に走っちゃった士道君を責める事もできないって言うかさぁ』

「う……うがーっ!」

 しばしの間、士道の顔を掴みながら肩をぷるぷると震わせていた十香だったが、もう我慢の限界とばかりに叫びを上げた。

 ようやく、士道の顔から手が離される。

「う、うるさい! 黙れ黙れ黙れぇっ! 駄目なのだ! そんなのは駄目なのだ!」

『ええー、駄目って言われてもねぇ。ほらほらぁ、士道君もはっきり言ってあげなよぅ、十香ちゃんはもういらない子って』

「………っ!」

 その瞬間、十香はガバッとパペットの胸倉を勢い良く掴んだ。無論小さなパペットである。少女の手から容易く外れ、上空に持ち上げられてしまう。

「………!?」

 すると、それまで無表情だった少女が目を丸くした。

 次の瞬間には眼球がぐらぐらと揺れ、顔面が蒼白になり、顔中にびっしりと汗が浮かんだ。ついでに目に見えて呼吸も荒くなり、指先がぷるぷると震え始める。

「よ、よしのん……?」

 士道は未だ痛む頬をさすりながら、急な変化を見せたよしのんに怪訝そうな視線を送った。

 だが十香はそんなよしのんの様子に気づいていないようだった。両手で掴みあげたパペットに、ナイフのような鋭い視線を向けながら詰め寄っている。

「わ……、私は! いらない子などではない! シドーが……シドーが私に、ここにいて良いと言ってくれたのだ! 私を護ると言ってくれたのだ! それ以上の愚弄は許さんぞ! おい、何とか言ったらどうだ!?」

 パペットが声を発していたと思っているのだろうか、ウサギの首元を掴み上げながら、ぐらぐらと揺する。

「……! ……!」

 そんな様子に、よしのんが声にならない悲鳴を上げていた。

 先ほどまでの悠然とした調子が嘘のように、全身をチワワのように震わせている。

 そしてよしのんが視線を避けるようにフードを目深に被りなおしてから、おっかなびっくりといった調子で十香の服を引っ張った。

「ぬ。な、なんだ? 邪魔をするな。今私は、こやつと話をしておるのだ」

「――――かえ、して……くださ……っ」

 十香の両手で高々と吊り上げられたパペットを取ろうとしてか、よしのんがぴょんぴょんと飛び跳ねる。

 そう言えば、彼女の地声を聞いたのは昨日会った時以来初めてかもしれなかった。それからはパペットが彼女の代わりに話しているような状態だったし。

『何してるの士道。よしのんの精神状態まで揺らぎまくりよ。早く止めなさい!』

 と、右耳に琴里の声が響いてくる。

 士道は頬を掻きながら、恐る恐る喉を震わせた。

「な、なぁ十香。その……それ、その子に返してやってくれないか?」

「…………っ!」

 すると十香が、士道の言葉に愕然とした様子で目を見開いた。

「シドー……やはり……私よりもこの娘の方が……っ」

「は、はぁ? いや、そういう事じゃなく……」

 と、それとほぼ同時に。

「………っ、『氷結傀儡(ザドキエル)』………っ!」

 よしのんがバッと右手を勢いよく上げたかと思うと、それを真下に振り下ろした。

 瞬間、床を突き破るようにして、その場に巨大な人形が現れた。

「なっ……!?」

 全長三メートルはあろうかという、ずんぐりとしたぬいぐるみのようなフォルムの人形だった。体表は金属のように滑らかで、所々に白い文様が刻まれている。

 そしてその頭部とも思われる箇所には、長いウサギのような耳が見受けられた。よく観察してみると、その人形はまるでウサギを巨大化したような姿だった。

「に、人形……!?」

「な、これは――――!?」

 士道と十香が、同時に声を発する。

 よしのんは自分の足の下から出現した人形の背にピタリと張り付くと、その背に開いていた二つの穴に両手を差し入れた。

 次の瞬間、よしのんが両手を差し入れたのを合図としていたかのように、人形の目が赤く輝き、その鈍重そうな体躯を震わせながら、低い咆哮を上げた。それに合わせて人形の全身から、白い煙のようなものが吐き出される。

「冷た……っ!?」

 白い煙の冷たさに、士道は思わず足を引っ込めてしまう。冷たいと言っても、冬の寒さなどとはまるで比べ物にならない。言うなれば、まるで液体窒素から発せられているもののような冷気だった。もしもこれをまともに受ければ、凍死を冗談抜きで覚悟しなければいけないかもしれない。

『このタイミングで天使を顕現……!? 士道、まずいわ、逃げなさい!』

「ちょ、ちょっと待てよ! 天使って何だよ!」

 突然右耳に響いてきた琴里の焦ったような叫び声に、思わず大声を上げてしまう。

『目の前に現れたでしょう! 精霊を護る絶対の盾・霊装と対を成す最強の矛! 精霊を精霊たらしめる「形を持った奇跡」よ! 十香の「塵殺公(サンダルフォン)」を忘れたの!?』

 琴里の言い放ったその単語に、士道は眉をぴくりと動かした。

 それは、先月十香が精霊の力を有していた時に顕現させた、巨大な玉座と剣である。

 それが示す事象は、たった一つ。

 キスをしたのに、精霊の力が封印できていない。

 そしてその理由を考えている暇は今の士道には無かった。よしのんが小さく手を引いたかと思うと、人形――――氷結傀儡(ザドキエル)が低い咆哮と共に身を反らしたからだ。

 するとデパート側面部の窓ガラスが次々と我、フロア内部に雨が入ってくる。

 いや、正確に言うのならば少し違う。

 窓が割れて雨が入ってきたのではなく、まるで雨粒が凄まじい勢いで以て、外部から窓ガラスを叩き割ったかのような感じだったのだ。

「なっ……!」

 士道は驚愕に目を見開き、足を震わせながら前方にそびえる人形を見た。――――ギロリ、と十香の方に顔を向ける人形を。

「十香!」

 士道は言うが早いか十香の手を引き、その体を抱き込むようにして床に倒れ込んだ。

「な、シドー!?」

 十香の声が鼓膜を震わせる。と、それとほとんど同時に今まで十香の体があった位置を、夥しい弾丸のような物が通り抜けていった。それらは商品棚を派手に穿った後、透明な液体となって床に流れていく。

(雨……!? まさかこの天使、冷気だけじゃなくて水も自由自在に操れんのか!?)

 今まで自分が倒したアンデッドの中には雷を操れる個体もいたので、水を操る程度ではいちいち驚かない。ただ問題なのは、水の量だった。一つ一つがまるで銃弾のような速度と殺傷力を持つ雨粒が、文字通りほぼ無数にあるのだ。こうなってしまうと、ブレイドの『メタル』ぐらいしか対抗策が思い浮かばない。

 そう考えて士道がブレイバックルに手を伸ばしたその時、よしのんの駆る氷結傀儡が動いた。

「………っ」

 咄嗟に十香を護るように、体勢を低くして氷結傀儡と向き合う。

 だが、氷結傀儡は鈍重なシルエットに似合わぬ俊敏な軌道で地を蹴ると、先ほどまで十香がいた位置を取り抜け、そのまま割れた窓から屋外へと飛び出して行ってしまった。

 途中で、十香の手から床に落ちたパペットを口に当たる部分で咥えて。

「…………」

 士道はよしのんの背を視線で追ってから、小さく口を開く。

「助かった……のか?」

『……ええ。反応は完全に離脱したわ。中々無茶をするわね、士道』

「でも、何でいきなり……。って、十香! 大丈夫か!?」

 自分が庇っていた少女に視線を向けると、驚いたような表情を浮かべていた十香は何故かぷくっと頬を膨らませた。

「……ふん。別に私の事など心配しなくても良いだろう。お前は私よりも、あの娘の方が……」

「は、はぁ? お前、何言って……」

 その時だった。

 ビー! ビー! とインカムから何回も聞きなれたアラーム音が鳴り響き、それと同時に広瀬の声が士道の鼓膜を震わせた。

『嘘でしょ、このタイミングで……!? 五河君! アンデッドよ!』

 どうやらあまりにもタイミングの良すぎる出現に、広瀬も困惑しているらしい。焦ったような声で言う広瀬に、士道も驚きながらも返答をする

「なっ……! 場所は!?」

『ちょっと待って……! 何よこれ……! 何て速さ……!』

「広瀬さん!? どうしたんですか!?」

『あと数秒で今五河君がいるデパートに着く! 五……三……一、来る!』

 言葉と同時だった。

 突然、ズドォン!! という轟音と共に、先ほどよしのんが割った窓があった壁をぶち抜いてその怪物は侵入してきた。

 まるでジャガーのような姿に、左手の甲には巨大なカギ爪が装着されている。左腕はプロテクターで護られており、胸部と背中には強固な鎧が着けられていた。

「くそ、何でこんな時に……!」

 毒づきながらも士道は素早くブレイバックルを取り出してラウズカードを装填、腰に着けると右腕をゆっくりと伸ばす。すると士道が何かをしようとしているの察したのか、アンデッド――――ジャガーアンデッドが士道に襲い掛かるが、その前に早く士道が叫んだ。

「変身!」

『Turn Up』

 ターンアップハンドルと引くと同時にブレイバックルからオリハルコンエレメントが飛び出すと、襲い掛かったジャガーアンデッドは自分からオリハルコンエレメントに衝突し、その際の衝撃でジャガーアンデッドは後方へと吹き飛ばされた。その隙に士道はオリハルコンエレメントを走って通過し、ブレイドに変身する。

 そしてブレイラウザーを素早く引き抜くと、その刃を思いっきりジャガーアンデッドに叩きつけた。 

 が、ブレイドの手に返ってきたのはまるで金属を思いっきり切りつけたような固い手ごたえだった。それもそのはず、ブレイドが振るったブレイラウザーの刃はジャガーアンデッドのプロテクターで保護された二の腕によって防がれていたのだ。恐らくブレイドの攻撃を警戒したジャガーアンデッドが、咄嗟にプロテクターでブレイドの攻撃を防いだのだろう。

「何っ!?」

 それにブレイドが驚くが、まるでその隙を衝くかのようにジャガーアンデッドはブレイラウザーを弾くと左手に装着された巨大なカギ爪でブレイドの胸部に強烈な突きを放つ、

「がはっ……!」

 その威力にブレイドの胸部の鎧から火花が散り、肺から強制的に酸素が吐き出される。どうにか体勢を立て直してジャガーアンデッドに切りかかるが、その攻撃をジャガーアンデッドは高く跳躍してかわすと、攪乱のつもりなのか素早い動きでブレイドの周りを跳び回り始めた。

「なんて速さだ、こいつ……!」

 ジャガーアンデッドの速さに、ブレイドは思わず目を見開いた。必死にジャガーアンデッドの動きを目で追おうとしても、まったくその動きについていく事ができない。一瞬でも瞬きをしてしまったら、その瞬間背後に回り込まれ攻撃をされてしまうかもしれない。

「ならこれだ!」

 ブレイドはオープントレイを展開すると『METAL』のカードを取り出して、スラッシュリーダーで読み込みその力を発動させる。

『METAL』

 カードの絵柄がブレイドの胸部に吸い込まれると、ブレイドの体が銀色に輝き鋼鉄の防御力を得る。そして動きを止めたブレイドを仕留めようとしているかのように、ジャガーアンデッドがブレイドの背後に着地して左手のカギ爪を振るう。

 だが鋭い切れ味を誇るそのカギ爪も、ブレイドの硬化した全身の前では無意味だった。カギ爪はギィン! という音と共に弾かれ、ジャガーアンデッドの体がよろめく。ブレイドはそれを見逃さず、素早く振り返ると右手の拳を強く握りしめてその胴体に力強いストレートを放つ。ブレイドがMETALのカードを手に入れてから習得した、硬化した体を利用しての捨て身のカウンターである。

「おおおおおっ!!」

 気合と共に放たれたその拳は、ジャガーアンデッドの胸部の鎧に直撃した。

 しかし、その拳でもジャガーアンデッドの鎧にヒビを入れる事すらできなかった。ジャガーアンデッドは拳を撃ち込まれた状態のままカギ爪が装着された左手を下ろすと、そのまますくい上げる様な動きでブレイドの胸部を切り裂いた。

「ぐあああああああっ!!」

 ブレイドの胸部からまるで血のように火花が盛大に散り、ブレイドは火花を散らしながら後方へと吹き飛ばされる。そして地面に叩きつけられ、そのままごろごろと床を転がってからようやく停止すると、顔を上げて目の前の敵を睨み付ける。

「くそ、どうしろってんだよこいつ……!」

 ジャガーアンデッドの素早さも脅威だが、その体を護る鎧も厄介だった。約2.8tもの威力を誇る拳はおろか、地球上の固形物で斬れない物は無いとされるブレイラウザーの刃すら防いで見せた。恐らくあの鎧の上からいくら攻撃を打ち込んでも、全て防がれてしまうのがオチだろう。

 だが、

(だからと言って攻撃が通じないわけじゃない……! 鎧のせいで攻撃が通らないなら、鎧で護られていない箇所を攻撃すればいいだけの話だ……!)

 ジャガーアンデッドの鎧は確かに厄介だが、身体の全てがあの鎧で護られているわけではない。現に胸部と背中は鎧で護られてはいるが、右肩や腹部などは剥き出しである。どうにかしてその部分に一撃を加える事ができれば、ジャガーアンデッドを封印する事は可能のはずである。

 ブレイドはブレイラウザーを握る右手に静かに力を込めると、ジャガーアンデッドが自分の間合いに入るのを待つ。ジャガーアンデッドは自分にとどめを刺すつもりなのかゆっくりとこちらに近づいてきてはいるが、もしもここで焦ってしまえばあの瞬発力ですぐに間合いの外へと逃げられてしまう。この状況を覆すためには、ジャガーアンデッドが一気に襲い掛かってくるのを息をひそめて待たなければならない。

 そして――――、その時は来た。

 動かないブレイドにとどめを刺そうとして、ジャガーアンデッドが一気にブレイドに飛びかかる。その瞬間を待っていたブレイドはブレイラウザーを力強く握ると、カギ爪の攻撃をかわしてすれ違いざまにジャガーアンデッドの横腹を切り裂いた。

『ギャアアアアアアアアアアッ!!』

 ジャガーアンデッドの口から悲鳴が放たれ、横腹から緑色の血液が吹き出す。地面に倒れ込んで動きが鈍くなってはいるものの、バックルはまだ割れていない。という事は、まだ封印できる状態ではないという事だ。

 ならばとどめを刺すまでだ、とブレイドがオープントレイを展開してカードを二枚取り出そうとしたその時だった。ジャガーアンデッドの視線が、ブレイドの後方へと向けられた。

 その視線の方向を見て、ブレイドは顔を強張らせた。そこにいるのは、しゃがみ込んで戦闘を呆然とした様子で眺めていた十香だ。恐らくよしのんが逃げた所にアンデッドが突然現れたので、逃げ出すタイミングを失ってしまったのだろう。それに十香は前にセンチピードアンデッドの毒で生死を彷徨う状態に陥っていたので、その時の恐怖を思い出してしまっているのかもしれない。

 どうやらジャガーアンデッドはそんな十香に目を付けたらしい。ジャガーアンデッドが右腕を振るうと右腕からナイフが放たれ、それは一直線に十香へと向かって行く。

「十香!!」

 ブレイドはすぐさま十香の元へと向かうと彼女を庇うように抱きしめる。その瞬間脇腹に鋭い痛みが走り、ブレイドの口から呻き声が漏れた。

「ぐぁっ……!」

「シ、シドー!?」

 驚き半分心配半分の声を上げた十香の顔を見てみると、どうやらナイフは彼女には突き刺さらなかったらしい。それにほっと安心したのも束の間、ブレイドの注意が自分から逸れたのを確認したジャガーアンデッドは、凄まじい速度で走り出すと、自分が侵入してきた壁から外へと逃げ出していった。ブレイドはすぐに立ち上がって壁の外を見るが、そこにはもうジャガーアンデッドの姿は無かった。

「広瀬さん、アンデッドの反応は?」

『……駄目、反応がロストしたわ。こっちに向かってきた時の速度と今の逃げ足を考えると、かなり素早いアンデッドのようね』

「……ASTが追ってる、って可能性は無いですか?」

『それも無いと思うわ。さっきのよしのんって精霊との戦闘に夢中だったみたいだし、何よりもあの速度よ。ASTでも追いつけるか分からないわ』

「そうですか……。そうだ、十香!」

 ブレイドは通信を切ると、変身を解除して士道の姿に戻り十香の元に駆け寄る。

「十香、大丈夫か?」

「……っ! う、うるさい! 私に近寄るな!」

「うわっ!?」

 どん、と十香が士道の体を突き飛ばす。精霊の力はすでに無いとはいえ、不意を突かれた事で士道の体がふらつくと同時に、脇腹に痛みが走った。士道がシャツを捲って見てみると、そこには先ほどジャガーアンデッドのナイフから十香をかばった際にできた切り傷があった。いつもならば謎の癒しの炎によって治るはずだが、どうした事か炎は出現せず、そのせいで傷口から鮮血が流れている。

「あっ……」

 傷を見て十香がはっとした表情を浮かべたが、すぐに「むむむ……」と唸るとぷいと顔を背けてしまった。どうやら士道との話し合いは完全に拒否するつもりらしい。

 そんな彼女の姿を見て、士道は深いため息を吐くのだった。

 




次回は始視点で、今話の裏側のような物を投稿したいと思います。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。