『ライダーに会った!? 本当なのそれ!?』
「は、はい……」
夜、夕食を終えて風呂に入った士道は、自分の部屋に戻った後広瀬に電話をかけていた。用件はもちろん、今日自分が出会った黒いライダーについてだ。ちなみに琴里から言い渡されたギャルゲーを用いた特訓はこの後すぐさまやる予定である。
『どういう事……? BOARDが開発したライダーシステムは、一号のギャレンと今あなたが使っている二号のブレイドだけのはずなのに……』
「他の組織が開発したって可能性はないんですか?」
『そんな事……。いえ、もしかしたらあるかもしれないわね……』
広瀬の答えははっきりしないものだったが、それも当然かもしれないと士道は思った。自分だって今までライダーシステムの開発はBOARDだけしかできないと思っていたが、今日目の前に自分の知らないライダーが出現したのだ。そう考えてしまうのもおかしくない。
それに何より、
しかし、そうなると一体どこの組織がライダーシステムを開発したのかという話になる。ライダーシステムを開発するには、最低でもBOARDクラスの科学力が必要だ。昨日士道が接触したラタトスクという組織には負けるものの、BOARDの科学クラスも相当なものだ。あれほどの科学力を誇る組織など、そうはいない。
士道がそう考えていると、電話口の向こうの広瀬が口を開いた。
『そのライダー、何か気になる事を言ってなかった?』
「いえ……でも、こんな事を言ってました。全てが俺の敵だ。貴様もなって……。それで俺に襲いかかって来たんです」
そう言うと、その時の痛みを思い出して士道は顔をしかめながら自分の上着を軽くめくる。服の下の肌は、青みがかかった痣がついていた。
いくらアンデッドの攻撃にも耐えるブレイドアーマーでも、強すぎる衝撃を受けてしまえばダメージは装着者の体に影響を及ぼす。この痣もいずれは消えると分かっていても、やはり痛いものは痛いのだ。
士道の言葉を聞いて、広瀬は何かを考え込むように呟いた。
『全てが敵って……。どういう事? その言葉からすると、相手が何らかの組織に所属してるって事は考えづらいわね……。一体、何者なのかしらそのライダー……』
「さぁ……。でも、話し合いとかできそうな奴じゃなかったですけど……」
何と言ったって、士道が俺と一緒に戦ってくれないかと言いかけたその時に攻撃を仕掛けてきたようなライダーである。正面から話し合いをしようとしても、恐らくまた攻撃を食らうに違いない。
『そうね……。とりあえず、そのライダーの事はまた今度調べる事にしましょう。五河君は、アンデッドを封印する事に集中してちょうだい。あと、前言ってた精霊との会話にもね』
「あ、はい」
どうやら、士道の精霊との対話についてもちゃんと考えてくれているらしい。士道が返事を返すと、広瀬は電話を切った。広瀬もBOARDが壊滅した上に烏丸所長が現在行方不明で大変だというのに、士道の身をちゃんと案じてくれている。士道はその事をありがたく思いながら、再びゲームでの特訓を始めるためにテレビの電源をつけてギャルゲーを始めた。
十日後。
「あともう少し……あともう少しなんだ……!」
学校の授業が終わった放課後、士道はそんな事を口走りながらよろよろと廊下を歩いていた。行き先はもちろん、令音と琴里が待つ物理準備室である。
琴里と令音の放課後強化訓練が実地されてから休日を含めて十日。あれから士道はギャルゲーでの実力を上げて、もう少しでギャルゲーのハッピーエンドにたどり着くところまで来ていた。上手くいけば、今日の訓練で終わるはずである。
……それまでに、幾度か古傷を抉られたかはしたのだが。
そういうわけで、古傷を抉られて心と体がボロボロになった士道が歩いていると、廊下の向こう側からある人物が歩いてきているのが見えた。
どこか無愛想さを感じさせる整った顔立ちを持つその男子生徒は、士道のクラスメートの相川始だった。授業が終わるとすぐに真っ直ぐ帰る彼が校内にいるのは珍しいが、恐らく教師に呼ばれて残っていたのだろう。
彼を見て、士道はある事を思いついた。殿町から聞いた所によると、彼は女子生徒からかなりの人気を誇るらしい。その彼ならば、もしかしたら女子とうまく話せる方法を知っているのかもしれない。その方法を知る事ができれば、あの精霊の少女と会話する方法が見つかる可能性がある。
そんな事を思いながら、士道は始の正面に立って声をかけた。
「あ、相川。ちょっと良いか?」
「……お前は。確か、五河と言ったか」
どうやら士道が自分のクラスメートだという事はさすがに知っているらしい。しかし突然話しかけてきた士道に警戒しているのか、彼の声はやや低く怪訝な表情を浮かべている。士道は頬を掻きながら、彼に尋ねる。
「噂で聞いたんだけど……。相川って、モテるんだよな?」
「良い迷惑だがな」
恐る恐る言った士道の言葉を、始はばっさりと切り捨てた。中々予想以上に扱いづらそうな少年である。そして始は士道の目を真っ直ぐ見ながら尋ねてくる。
「それで、俺に何の用だ?」
「えーと……。そんなにモテるんだったら、何か女子とうまく話せる方法がないかなって思って……」
「女と話したいのか?」
「まぁ……そんな感じ」
この前見たあの精霊は女の子だったので、あながち間違いではない。士道がそう答えると、始はふんとくだらなさそうに鼻を鳴らして言った。
「そんな方法は知らない。俺の場合は、ただ単にあいつらが寄ってくるだけだ。そんな事に興味はないし、持つ気もない。女と話すためにくだらん努力をする暇があるなら、勉強でもしていろ」
そう言い捨てると、始は士道の横を通って歩き去って行ってしまった。その後ろ姿を見ながら、士道はぽつりと呟いた。
「……本当に、クールだな……」
もう少し他に言い方がないのかと突っ込みたくなるような口調だった。殿町の言う通り、確かに無愛想である。もしかしたら、女子という存在そのものに興味が無いのかもしれない。
だが士道自身、努力をやめるつもりはさらさらない。始はくだらん努力と言っていたが、士道の場合はそのくだらない努力をしなければあの精霊の少女と話す事ができない。あの少女との会話のためにも、士道は努力を諦める訳にはいかないのだ。
そして士道は、今出会った少年が十日前に自分に襲いかかってきたライダーとは当然知る由もなく、再び足を動かして物理準備室へと向かった。
そして数分後。
「どんなもんじゃーい!」
士道は左手にコントローラーを握った状態で、右手をぐっと握って天高く突き上げた状態で歓声を上げた。目の前のテレビの画面には、ゲームのハッピーエンドの場面が映っている。
「……ん、まあ少し時間はかかったが、第一段階はクリアとしよう」
「ま、一応全CGはコンプしたみたいだし、とりあえずは及第点かしらね。とは言っても、あくまでも画面の女の子に対してだけど」
背後からスタッフロールを眺めている令音と琴里が息を吐くのが士道の耳に入ってくる。
「で、次はどうするんだ? もうこれで終わりってわけじゃないんだろ?」
「そうね。じゃ、もう生身の女性にいきましょ。時間も押しちゃったし」
「……ふむ。しかし大丈夫かね」
「平気よ。もし失敗しても、失われるのは士道の社会的信用だけだから」
「………」
最近妹の自分に対する扱いが酷すぎる、と士道は内心思った。そんな士道の内心に全く気付かず、琴里が士道に言ってくる。
「それで士道。次の訓練なんだけど」
「ああ。何をするんだ?」
「そうね……誰が良いかしら」
「あ?」
琴里の意味不明の言葉に士道が首を傾げると、令音が手元のコンソールを操作し始めた。机の上に並べられたディスプレイに、学校内の映像がいくつも映し出された。どうやら学校のあちこちにカメラを設置し、その映像をこのディスプレイに映し出しているしい。いつの間にそんなもの設置したんだと士道は突っ込みたかったが、令によって無視されるだろうと思うのでやめておいた。
「……そうだね、まずは無難に彼女などどうだろう」
そう言って、令音が画面の右端に映し出されていたタマちゃん先生を指差した。
琴里は一瞬眉を跳ね上げると、次の瞬間邪悪な笑みを浮かべた。
「……ああ、なるほど。良いじゃない、それで行きましょう」
それを聞いて、令音が士道に視線を向ける。
「……シン。次の訓練が決まった」
「ど、どんな訓練ですか?」
士道が問うと、令音が首肯しながら返してくる。
「……ああ。本番、つまり精霊が出現したら、君は小型のインカムを耳に忍ばせてこちらの指示に従って対応してもらう事になる。一回、実戦を想定して訓練しておきたかったんだ」
つまり、アンデッドと戦う時に広瀬のサポートを受けながら戦うのと同じような事をするらしい。
「じゃあ、俺は何をするんですか?」
「……とりあえず、岡峰珠恵教諭を口説いてきたまえ」
「はぁ!?」
予想もしていなかった言葉に士道は思わず眉根を寄せて叫んだ。
「何か問題でもあるの?」
琴里が士道の反応を楽しむようにニヤニヤと嫌な笑みを浮かべながら言ってくる。こいつ、間違いなく楽しんで矢がると士道は思いながら反抗するように言った。
「大有りだろうが! そんな事、できるわけが……!」
「本番ではもっと難物に挑まなきゃならないのよ?」
「――――っ。そりゃ、そうだけど……」
あの凄まじい力を持つ少女の姿を思い出して、士道は思わず言葉を詰まらせる。すると令音がぽりぽりと頬を掻いて、
「……最初の相手としては適任かと思うがね。恐らく君が告白したとしても受け入れはしないと思うし、ぺらぺらと周りに言いふらしたりもしなさそうだ。……まあ、君がどうしても嫌だと言うのなら女子生徒に変えても良いが……どうする?」
そう尋ねられた士道の脳裏に、士道に声をかけられた女子生徒が教室に戻るなり女友達を集めて告白された事を話し、それについて女子生徒達が笑いながら士道の事を酷評するという場面が浮かび上がった。もう、それだけで新たなトラウマが生まれてしまいそうである。
それに対して、珠恵に関してはそういう場面がまったく思い浮かばない。若く見えると言っても相手は大人の女性なので、生徒の戯言と聞き流してくれるに違いない。
「で、どうするの? 本番での失敗はすなわち死を意味するから、どちらにせよ必ず一回は予行練習させるつもりだったけど」
「……分かった。先生で頼む」
士道が内心やれやれと呟き、さらにため息をつきながら言った。
「……よし」
士道の言葉に令音は小さく頷くと、机の引き出しから小さな機械を取り出して士道に手渡す。それに続いてマイクと、さらにヘッドフォン付きの受信機らしきものを机の上に置いた。
「何ですか、これ?」
「……耳に付けてみたまえ」
令音に言われるままに、士道は機械を右耳に嵌めこむ。
それを確認すると、令音はマイクを手に取って唇を動かした。
『……どうかね、聞こえるかな?』
「おおっ」
突然耳元で令音の声が響き、士道は軽く声を上げる。
『……よし、ちゃんと通っているね。音量は大丈夫かい?』
「あ、はい」
士道が答えると、令音はすぐさま机の上に置いてあるヘッドフォンを耳に当てた。
「……ん、こちらも問題ないな。拾えている」
「え、今の声拾えたんですか? こっちにはマイクみたいなのついてませんけど」
「……高感度の集音マイクが搭載されている。自動的にノイズを除去し、必要な音声だけをこちらに送ってくれる優れものだ」
「へぇ……」
どうやら、広瀬のサポートを受けるためにブレイドに搭載されている通信システムと同じような原理らしい。一方、琴里は机の奥からもう一つ小さな機械部品のようなものを取り出して指で弾く。琴里の指に弾かれた機械部品は、そのまま虫のように羽ばたくと宙を舞った。
「今度はなんですか?」
「……見たまえ」
そう言うと令音は、目の前のコンピュータを操作して画面を表示させる。そこには琴里と令音、さらに士道のいる物理準備室が映し出されていた。
「これって、もしかしてカメラですか?」
「……ああ。超小型の高感度カメラだ。これで君を追うから、虫と間違って潰さないようにしてくれ」
「あ、はい」
士道が頷くと、琴里が声を上げた。
「ターゲットは今東校舎の三階廊下よ。もたもたしてないで早く行きなさい鈍亀」
「へいへい」
士道が適当に返事をしながら、物理準備室の扉を開けて廊下に出る。
そして階段を下りて左右に視線を巡らせると、廊下の先に自分の担任教諭である珠恵の背中が見えた。
士道はその背中に向かって呼び声を上げようとしたが、ふとある事に気が付いて名前を呼ぶのをやめる。
確かに大声を出せば届く距離ではあるが、まだ学校に残っている生徒や教師達の注目を集めてしまう可能性は高い。特訓とはいえ、これから教師を口説くためそういう事は避けたかった。
「……はぁ、仕方ねえ」
士道はため息をつきながら、軽く駆け足になって珠恵を背を追う。
しばらく進むと、士道の足音に気付いたのか珠恵が立ち止まって振り返ってきた。
「あれ? 五河君、どうしたんですかぁ?」
「あ、あの……」
ほぼ毎日見ている顔だというのに、いざ口説く対象となると一気に緊張感が増す。士道は思わず口ごもってしまった。
『落ち着きなさいな。これは訓練よ。しくじったって死ぬわけじゃないわ。気楽にやりなさい』
右耳から琴里の声が響いてくる。
士道は目の前の珠恵に気付かれないように深呼吸を数回して、何とか自分を落ち着かせようとする。琴里の言う通り、これは訓練だ。失敗したって死ぬわけじゃない。それに、死ぬ危険性があるアンデッドと戦うよりもこちらの方が何倍もマシだと自分に言い聞かせる。
すると、だんだんと呼吸が落ち着いてきて、士道はふうと息をついた。
とりあえず、まずは無難に相手を褒めてみるかと思う。前に広瀬から聞いた話だと、女性の容姿を直接的に褒めるとどこか白々しく聞こえてしまうらしい。なのでまずは、相手の衣服やネックレスなどの装身具などを褒めて、間接的に女性のセンスを認める方が良いという話だ。
士道は広瀬の言葉を思い出しながら、口を開く。
「ところでその服、可愛いですね」
「え? そ、そうですかぁ? やはは、なんか照れますねぇ」
珠恵は嬉しそうに頬を染め、後頭部を掻きながら笑顔を作ってみせる。
その反応に士道は小さく拳を握った。自分自身も年上である広瀬と何回も話した事があるためか、自分が思っていたよりも緊張していない。士道はさらに言葉を続ける。
「はい、先生にとても似合ってます」
「ふふ、ありがとぉございます。お気に入りなんですよぉ」
「その髪型もすごく良いですね」
「え、本当ですかぁ?」
「はい。すごく可愛らしいです」
「えへへ。可愛いだなんて、そんなぁ……」
士道の言葉に、珠恵はてれてれと笑った。
『中々良い調子よ。そのまま攻め続けなさい』
「だけど、これ以上何を言えって言うんだ?」
一応衣装などを褒めてみたものの、これが広瀬以外にあまり女性と面識がない士道の限界だった。しかしこのまま会話を続けようとしても、いずれボロが出そうで不安である。
すると、士道の右耳に眠そうな声が聞こえてきた。令音だ。
『……仕方ないな。では私の台詞をそのまま言ってみたまえ』
今の士道に、その令音の言葉はとても頼もしいものだった。士道は小さく首を前に倒し、了承を示す。
そして何も考えずに、耳から聞こえてくる情報を口から発する。
「あの、先生」
「何ですか?」
「実は俺、最近学校に来るのがすごく楽しいんです」
「そぉなんですか? それは良い事ですねぇ」
「はい。……先生が、担任になってくれたから」
「え……?」
士道が発した言葉に、珠恵が驚いたように目を見開く。
「な、何言ってるんですかもぅ。どうしたんです急に」
口ではそう言いながらも、結構まんざらでもなさそうである。士道は続けて、令音から伝えられてくる言葉を言う。
「実は俺、前から先生の事が……」
「ぃやはは……駄目ですよぉ。気持ちは嬉しいですけど、私は先生なんですからぁ」
出席簿をパタパタとやりながら、珠恵が口調する。
やはり相手は教師にして大人の女性である。きちんといなすつもりのようだ。
『……ふむ。どう攻めるかな』
絶え間なく台詞を紡いでいた令音が小さく息をついた。
『……確か彼女は、今年で二十九歳だったね。ではシン、こう言ってみたまえ』
令音が次なる台詞を支持してくる。士道は何も考えずに、令音に言われたままに口を動かす。
「俺、本気なんです。本気で先生と……」
「えぇと……困りましたねぇ」
「本気で先生と、結婚したいと思ってるんです!」
士道の口から『結婚』という単語が発せられた瞬間、珠恵の頬がピクリと微かに動いた。
そしてしばらく黙った後、小さな声を響かせてくる。
「……本気ですか」
「え……。あ、はぁ……まぁ……」
突然変わった雰囲気に士道がたじろぎならも返すと、珠恵は急に一歩足を踏み出して士道の袖を掴んでくる。予想外の行動に、士道は思わず体をびくりと震わせた。
「本当ですか? 五河君が結婚できる年齢になったら、私もう三十歳超えちゃうんですよ? それでも本当に良いんですか? 両親に挨拶しに来てくれるんですか? 婿養子とか大丈夫ですか? 高校卒業したらうちの実家継いでくれるんですか?」
目を爛々と輝かせて、鼻息を荒くしながら珠恵が詰め寄ってくる。さっきまでは間延びしていた声が、今ではかなりはっきりしたものに変わっている。とんだビフォーアフターである。
「あ、あの、先生?」
『……ふむ、少し効きすぎたか』
士道があまりの変貌ぶりに軽く顔をひきつらせていると、令音がため息をとtも二声を発してきた。
「ど、どういう事ですか?」
珠恵に聞こえないように声を小さくしながら、令音に尋ねる。
『……いや、独身・女性・二十九歳にとっては結婚というのは必殺の呪文らしい。かつての同級生は次々と家族を気築き始め、両親からは早く孫の顔が見たいとせっつかれ、自分に関係ないと思っていた三十路の壁を今にも超えそうな不安定な状況だからね。……にしても、少々彼女は極端すぎるような気もするな』
珍しく少し辟易した様子を声ににじませながら、令音が言ってくる。一方、その話を聞いていた士道は目の前の女性に未来の広瀬の姿が重なったような気がして身震いした。広瀬本人に言ったら殴られる事間違いなしの考えである。
「そ、それは良いんですけど、どうしろってんですかこれは……!」
「ねえ五河君、少し時間良いですか? まだ婚姻届を書ける年齢ではないので、とりあえず血判状を持っておきましょうか。美術室から彫刻刀でも借りてきましょうね。大丈夫ですよ、痛くないようにしますからね」
「すいません何を言ってるんですか!?」
予想以上に珠恵の中の結婚という言葉が重くて、士道は思わず震えた。
『あー、必要以上に絡まれても面倒ね。目的は達したし、適当に謝って逃げなさい』
士道は唾液を飲み込むと、意を決して口を開く。
「す、すいません! やっぱりそこまでの覚悟はありませんでした……! どうか、どうか無かった事にぃぃいいいいいい!!」
必死に叫びながら、士道は珠恵から逃げ出した。
「あ、い、五河君!?」
背中に珠恵の声を聞きながら、士道はBOARDの訓練で鍛えた足をただひたすら動かして逃げる。
『いやー、中々個性的な先生ね。悪いと思うけど笑わせてもらったわ』
言葉の通り、呑気そうな琴里の声が聞こえてくる。士道は足を動かしながら妹に怒鳴った。
「ざっけんな! 何を呑気な事を……!」
そう、言いかけた瞬間だった。
「うわっ……!?」
「…………!」
インカムに注意がいってしまっていたせいで、士道は曲がり角の先から歩いてきた生徒とぶつかり、思いっきり転んでしまう。
「いてて……。す、すまん。大丈夫か?」
そう言いながら身を起こすと、
「いっ……!?」
目の前の光景に、士道は自分の心臓が引き絞られるのを感じた。何故なら、そこにいたのが鳶一折紙だったからだ。
しかもそれだけではなく、転んだ拍子に尻餅をついてしまったせいか、ちょうど士道の方に向かってM字開脚をしていたのだ。ちなみに下着の色は白だった。
それに思わず士道が目を背けると、折紙はさして慌てた様子もなく士道に言う。
「平気」
そして、その言葉通り何事もなかったかのようにすっと立ち上がった。するとそれと同時に、イヤホン越しに琴里が士道に言ってくる。
『ちょうど良いわ、士道。彼女でも訓練しておきましょう』
「はぁっ!?」
予想外すぎる提案に素っ頓狂な声を出す士道に、琴里がさらに続けてくる。
『やっぱり先生だけじゃなく、同年代のデータも欲しいしね。それに精霊とは言わないまでも彼女はAST隊員よ。中々参考になりそうじゃない。見る限り、彼女も周りに言いふらすタイプとも思えないしね』
「お前なぁ……。あまり適当な事を……」
『精霊と話したいんでしょ?』
「……む……」
琴里の言葉に士道は一瞬そう声を出してから、下唇を噛んだ。
覚悟を決めると、折紙の背中の声を投げかけた。
「と、鳶一」
「なに」
まるで士道に声をかけられるのを待っていたかのように、折紙が素早い動きで振り向いた。
士道はその反応に少し驚きながらも、呼吸を落ち着けて唇を開く。
「その服、可愛いな」
「制服」
「……ですよねー」
『なんで制服をチョイスしたのよこのウスバカゲロウ。髪型とか、他にもあったでしょ』
おっしゃる通りです、と士道は心の中で頷いた。どうやら同年代を相手にするという事は、予想以上に緊張する事らしい。
『……手伝おうか?』
士道の反応に焦れたのだろうか、先ほどのように令音が助け舟を出してくる。
不安は残るものの、この精神状態で会話を続ける自身もない。士道は折紙に気付かれないように首肯した。
右耳に聞こえてくる言葉に従って、声を出していく。
「あのさ、鳶一」
「なに」
「俺、実は……前から鳶一の事知ってたんだ」
「そう」
声は相変わらずそっけないままだったが、信じられない事に折紙が言葉を続けてきた。
「私も、知っていた」
「…………っ!」
内心驚きながらも、不自然に思われないように声を出すのだけはどうにか防いた。
「そうなんだ。嬉しいな。……それで、二年で同じクラスになれてすげえ嬉しくてさ。ここ一週間、授業中ずっとお前の事見てたんだ」
口ではそう言いながらも、士道は内心我ながら気持ち悪いと思っていた。この告白はまるでストーカーのようであるからだ。
「そう」
しかし折紙はそんな士道の言葉にもまったく動揺を見せずにこう言ってきた。
「私も見ていた」
「………っ」
まっすぐ見つめられながら放たれた言葉に、士道は思わず唾液を飲み込んだ。実際の所、士道は気まずくて授業中に折紙の方など見られなかったのだが。
脈打つ心臓を抑え込むように、耳に入ってくる言葉を士道はそのまま口から出していく。
「ほ、本当に? あ、でも実は俺それだけじゃなくて、放課後の教室で鳶一の体操着の匂いを嗅いだりしてるんだ」
「そう」
さすがにこれはいくらなんでも引かれるだろうと思っていたが、士道の予想に反して折紙はまったく表情を雨後咲かなかった。
しかも次の瞬間、彼女は士道の予想もしていなかった事を口にした。
「私も、やっている」
「………!?」
折紙の言葉に、士道の表情が固まった。
というよりも、折紙もそうだがさっきから琴里と令音の言葉がおかしいような気がする。
しかし頭の中が混乱している今の士道に、今更自分の言葉で会話する事など不可能だった。
「そ、そっか。なんか俺達気が合うな」
「合う」
「それで、もし良かったらなんだけど、俺と付き合ってくれないかって急展開すぎるだろうがいくらなんでも!!」
もう訓練とかどうでも良くなり、士道は後方を振り返って叫び声を上げた。
折紙から見ると、勝手に告白して自分の発言に盛大なノリツッコミをしている頭のおかしい男である。
『……いや、まさか本当にそのまま言うとは』
「そのまま言えって言ったのあんただろうが!」
士道は怒りを声に乗せて言ってから、ようやく我に返り折紙に向き直る。
折紙はいつもと変わらない無表情ではあったが、気のせいだろうか、先ほどよりも少しだけ、本当にほんの少しだけだが、目を見開いているように見えた。
「あ、その、なんだ……すまん、今のは……」
「構わない」
「……………うぇ?」
士道は折紙から発せられた言葉に、思わず間抜けな声を出してしまった。
聞き間違いではないかを確認するために、折紙に尋ねる。
「な、なんて?」
「構わない、と言った」
「な、ななななななにが?」
動揺のあまりどもってしまう士道だが、折紙はそれに構わずに続けてくる。
「付き合っても構わない」
「………!?」
士道は驚きのあまり顔中に汗をぶわっと拭き出させた。額に手を当てて、落ち着け、落ち着けと必死に自分に言い聞かせる。
どう考えてもありえないのだ。数えるくらいしか会話をかわした事も無い、しかも目の前でいきなり変態的な告白をした男にいきなり交際を迫られて、OKする女がいるのだろうか。
恐らくいない事はいないのだろうが、折紙に関しては絶対にそんな答えを返してくるとは士道はまったく思わなかったのだ。
いや待て、と士道はそこである事に気付く。もしかしたら折紙は、何か勘違いをしているのではないだろうか。
「あ、ああ………。どこかに出かけるのに付き合ってくれるって事だよな?」
「………?」
しかしまたしても士道の予測に反して、折紙が小さく首を傾げる。
「そういう意味だったの?」
「あ、いや……ええと、鳶一はどういう意味だと思ったんだ……?」
「男女交際の事かと思った」
その言葉を聞いた瞬間、士道は先日ディアーアンデッドの雷が直撃した時のように全身を震わせた。そんな士道を見て、折紙がさらに尋ねてくる。
「違うの?」
「い、いや。違わない……けど」
「そう」
折紙が何事もなかったかのように首肯した。
そして、士道が何故違わないなんて言ったんだと頭を抱えようとしたその瞬間。
ウゥゥゥゥゥゥゥ――――――。
「っ!?」
何の前触れもなく、周囲一帯に警報が響き渡った。
それとほぼ同時に、折紙が軽く顔を上げた。
「……急用ができた。また」
そう言うと、踵を返して廊下を走って行った。
「お、おい……」
士道が声をかけるが、折紙は止まらずにその姿を消した。それと同時に、士道のインカムに妹の声が聞こえてくる。
『士道、空間震よ。一旦フラクシナスに移動するわ。戻りなさい』
「分かった。で、精霊はどこに来るんだ?」
空間震が起こるという事は、あの少女がこの世界に顕現するという意味でもある。士道が尋ねると、琴里は一拍おいてから続けた。
『――――今私達がいる場所、来禅高校よ』
十七時二十分。
避難を始める生徒達の視線を避けながら、街の上空に浮遊しているフラクシナスに移動した三人はスクリーンに表示されている様々な情報に視線を送っていた。
軍服に着替えた琴里と令音は時折言葉を交わしながら頷いていたが、士道には画面上の数値が何を意味しているかは分からなかった。
唯一理解できるのは、画面右側に表示されているのが士道の高校を中心にした街の地図である事くらいだ。
「なるほど、ね」
艦長席に座ってチュッパチャップスを舐めながら、クルーと何やら言葉を交わしていた琴里が小さく唇の端を上げる。
「士道」
「何だよ」
「早速働いてもらうわ。準備なさい」
「――――」
その言葉に、士道は身体を硬直させる。
予想はしていたし、覚悟もしていた。それにこういう事はアンデッドと戦うライダーの仕事で慣れたと思っていた。
だがやはり、実際にその時が来てしまうと緊張を隠せそうになかった。
「もう彼を実践登用するのですか、司令」
突然、艦長席の隣に立っていた神無月がスクリーンに目をやりながら不意に言った。
「相手は精霊。失敗はすなわち死を意味します。訓練は十分なのでしょげふっ」
最後まで言い切る前に、彼の鳩尾に琴里の強烈な右ストレートがめり込んだ。
「私の判断にケチをつけるなんて、随分偉くなったものね神無月。罰として今から良いと言うまで豚語で喋りなさい豚」
「ぶ、ブヒィ」
何故かかなり慣れた様子で神無月が返す。士道はもうそれにいちいち突っ込むのも面倒なので、黙っている事にした。すると琴里がキャンディの棒をピンと上向きにしてから、スクリーンを示す。
「士道、あなたかなりラッキーよ」
「え?」
琴里の視線を追うように、スクリーンに目を向ける。
さっきと変わらず意味が分からない数字が踊っていたが、右側の地図には先ほどと違った所があった。
士道の高校には赤いアイコンが一つ、その周囲には小さな黄色いアイコンがいくつも表示されているのだ。
「赤いのが精霊、黄色いのがASTよ」
「それのどこがラッキーなんだ?」
「ASTを見て。さっきから動いてないでしょ?」
「ああ」
「精霊が外に出てくるのを待ってるのよ」
「何でだよ。突入しないのか?」
士道が尋ねると、琴里が大仰に肩をすくめた。
「ちょっとは考えてものを言ってよね恥ずかしい。粘菌だってもう少し理知的よ」
「な、なにおう!」
「そもそもCR-ユニットは、狭い屋内での戦闘を目的として作られたものではないのよ。
「なるほど……」
士道は妹の説明を聞いて納得した。ライダーシステムは屋内と屋外両方の戦闘を前提にして作られているし、遮蔽物が多くてもブレイドのオーガンスコープは透視機能も備えているので、遮蔽物が多いという点も大した問題にはならない。
説明を終えてから琴里が指を鳴らすと、それに応じるようにスクリーンに表示されていた画像が、実際の高校の映像に変わる。校庭に浅いすり鉢状のくぼみができており、その周りの道路や校舎の一部も綺麗に削り取られている。先日、士道が見たのと同じ光景だ。
「校庭に出現後、半壊した校舎に入り込んだみたいね。こんなラッキー滅多にないわよ。ASTのちょっかいなしで精霊とコンタクトが取れるんだから」
「……なるほどな」
理屈は分かったが、琴里の台詞に引っ掛かりを覚えた士道は琴里に半眼を向ける。
「だけど、精霊が普通に外に現れてたらどうやって俺を精霊と接触させるつもりだったんだ?」
「ASTが全滅するのを待つか、ドンパチしている最中に放り込んでたわね」
「………」
士道は先ほどよりも深く、今の状況が本当にどれだけありがたいものかを思い知った。下手をすれば、この組織はBOARDよりもブラックである。
「じゃあ、早いところ行きましょうか。インカムは外してないわね?」
「ああ」
答えながら士道はインカムが装着されている右耳に手を触れた。
「よろしい。カメラも一緒に送るから、困ったときはサインとして、インカムを二回小突いてちょうだい」
「ん、分かった。だけど……」
士道は琴里と、艦橋下段で自分の持ち場についている令音に視線を送る。
訓練の時の助言を思い出してみると、正直心細いサポートメンバーである。
士道の表情から思考を察したのだろうか、琴里が不敵な笑みを浮かべる。
「安心しなさい、士道。フラクシナスのクルーには頼もしい人材がいっぱいよ」
「ほ、本当か?」
士道が心配そうに尋ねると、琴里が上着をバサッと格好よく翻して立ち上がる。
「たとえば」
言いながら、艦橋下段のクルーの一人をビシッと指差した。
「五度もの結婚を経験した恋愛マスター・『
「四回は離婚してんじゃねーか! 離婚マスターに改名しろ!!」
「夜のお店のフィリピーナに絶大な人気を誇る、『
「金目当てだろどうせ!!」
「恋のライバルに次々と不幸が! 午前二時の女・『
「ウソだドンドコドーン!!」
「百人の嫁を持つ男・『
「現実見ろ現実!!」
「その愛の深さゆえに、今や法律で愛する彼の半径五百メートル以内に近づけなくなった女・『
「誰も信用できねー!!」
頭を抱えて士道は絶叫した。というよりも、誰も彼もが一癖も二癖もありすぎるし、一人は下手をすれば犯罪まで行きかけている。士道はラタトスクの人選が本当に心配になった。
「……皆、クルーとしての腕は確かなんだ」
艦橋下段からまるでフォローするようにぼそぼそと令音の声が聞こえてきた。
「そ、そんな事言われても……」
「良いから早く行きなさい。精霊が外に出たらASTがあっという間に群がってくるわよ」
令音に士道が苦情を発しかけるが、そんな士道の尻を琴里が勢いよく蹴った。
「痛って……、こ、このやろ……」
「心配しなくても大丈夫よ。士道は一回くらい死んだもすぐニューゲームできるわ」
「ざっけんな。俺は普通の人間だぞ」
「つべこべうるさいわね。妹の言う事を信じない兄は不幸になるわよ」
「兄の言う事を聞かねえ妹に言われたくねえよ」
士道はため息混じりに言うが、そのまま大人しく艦橋のドアへと足を向ける。
「グッドラック」
「おう」
ビッと親指を向けてくる琴里に、士道は軽く手を上げて返した。
緊張が完全にほぐれたわけではないが、この機を逃すわけにはいかなかった。
琴里達には悪いが、倒すとか、恋をさせるとか、世界を救うとか。士道はそんな大それた事はまったく考えていなかった。
ただ。
あの悲しそうな表情をした少女ともう一度話をしてみたい。
それだけが、今の士道を突き動かしているのだった。
更新が中々できなくて辛い……。