デート・ア・ブレイド   作:白い鴉

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ちなみに今、折紙の変態度を原作よりも悪化させるかそのままにしておくか悩んでいます。どちらにせよ、士道の貞操が危ない……!


第七話 届かなかった手

 

 

 

 

 

 

「……ま、普通に考えれば休校か……」

 士道は一人呟きながら、高校前から延びる坂道を下っていた。

 この日は士道が精霊に十香という名前を告げた次の日である。

 普通に登校した士道はぴたりと閉じられた校門と、瓦礫の山になった校舎を見て、自分の阿呆さにため息をついた。

 校舎が破壊されたその現場にいたわけだし、普通に考えれば休校になる事ぐらい分かっただろうが、昨日目の前で繰り広げられた非現実的な光景に、無意識化に自分の日常と切り離して認識していたのかもしれない。

 しかも、昨日の夜ずっと十香との会話ビデオを見せられながらその日の反省会をさせられていたため、寝不足で思考力が落ちていたというのもあるのかもしれない。

 不幸中の幸いというべきか、今日は広瀬からアンデッド出現の報告が来ていない。こんな状態でアンデッドと戦えば逆にこっちがやられる危険性が大きいので、その事については素直に喜ぶべき事かもしれない。

「はあ……これからどうするか。そうだ、広瀬さんに十香の事を報告しとくか。烏丸所長の件についても、何か分かったかもしれないし。あ、だけどその前に買い物だな……」

 そう呟いてから、家への帰路とは違う道に足を向ける。広瀬への報告も大事だが、卵と牛乳が切れていた事を思いだしたのだ。それらを買ってから家へと帰った後に、広瀬に報告をしても問題はないだろう。

 しかし、数分と経たない内に、士道は足を止める事になった。

 道に、立ち入り禁止を示す看板が立っていたからだ。

「おいおい、通行止めかよ……」

 しかしそのようなものが無くても、その道を通行できない事は簡単に知る事ができただろう。

 何しろアスファルトの地面は滅茶苦茶に掘り返され、ブロック塀は崩れ、雑居ビルまでもが崩落しているのだ。これではまるで戦争にでもあったかのような状況である。

「……ああ、そうか。ここは……」

 この場所には見覚えがある。初めて十香に出会った空間震現場の一角だ。

 まだ復興部隊が処理をしていないためか、十日前の惨状をそのまま残している。

「………」

 頭の中に少女の姿を思い浮かべながら、士道は細く息を吐く。

 十香。

 昨日まで士道に名をつけられるまで名を持たなかった、精霊と、災厄と呼ばれる少女。

 あの少女は確かに、普通では考えられない力を持っていた。国の機関が危険視するのも頷くほどに。

 現在士道の目の前に広がっている惨状がその証拠である。確かに、こんな現象を野放しにはしておけないだろう。

「……ドー」

 だがそれと同時に、彼女がその力をいたずらに振るう、アンデッドのような思慮も慈悲もない怪物だとは士道にはどうしても思えなかった。

「……い、……ドー」

 そんな彼女が、士道が大嫌いな鬱々とした表情を作っている。それが、士道にはどうしても許容できなかったのだ。

「おい、シドー」

 まぁ、そんな事を頭の中でぐるぐると巡らせていたから、気付いて当然の事態に思考が追い付かず、校門前まで歩く羽目になってしまったのだが。これでは琴里に間抜けと罵られても仕方がない。

「……無視をするな!」

「……え?」

 視界の奥……通行止めになっているエリアの向こう側から声が響いてきて、士道は思わず首を傾げた。

 凛と風を裂くような、美しい声。

 しかもその声は、気のせいでなければ昨日学校で聞いていた声だった。

「え、ええと……」

 士道は自分の記憶と今響いた声音を照合しながら、その方向に視線を集中する。

 そして、全身を硬直させた。

 士道の視線の先にある瓦礫の山の上に、明らかに街中に似つかわしくないドレスを纏った少女がちょこんと屈み込んでいたのだ。

「と、十香!?」

 士道は思わず驚いてその少女の名前を口にする。

 そう。その少女は昨日士道が出会い名づけた精霊、十香だった。

「ふん、ようやく気付いたか。ばーかばーか」

 美しい顔を不満げにしている少女は、子供のような悪口を言いながら瓦礫の山を蹴り、かろうじて原型を残しているアスファルトの上を辿って士道の方へと進んでくる。

「とう」

 と、通行の邪魔だったのだろうか、十香が立ち入り禁止の看板を蹴り倒して、士道の目の前へと着地する。

「な、何してるんだ、十香……」

「ぬ? 何とは何だ?」

「いや、何でこんな所にいるんだよ……」

 士道はそう言いながら、後方に視線を送る。立ち話をする女性達や、犬の散歩をする近所の住人などが見受けられた。

 誰もシェルターに避難していない。つまり、空間震警報は鳴っていない。

 要するに、精霊現界の際の前震を、ラタトスクもASTも感知できていないのだ。今士道の目の前に、精霊がいるのも関わらず、だ。

「なんでと言われてもな」

 そして当の本人はその異常事態をまるで気にしていないようだ。何故士道がそんな事を言っているのかが、本当に分からないと言った様子で腕組みなどをしている。

「お前から誘ったのだろう、シドー。そう、デェトとやらに」

「なっ……」

 こともなげに言い放った十香に、士道は肩を震わせた。

「お、覚えてたんだな……」

「む、それはどういう事だ? 私を馬鹿にしているのか?」

「い、いや、そういうわけじゃないんだが……」

「……ふん、まあ良い。それよりもシドー。早くデェトだ。デェトデェトデェトデェト」

 十香が彼女独特のイントネーションでデートと連呼する。士道は気恥ずかしくなってしまい、十香に言う。

「わ、分かった! 分かったからそのワードを連発するのは頼むからやめてくれ!」

「ぬ、何故だ? ……はっ、まさかシドー、お前私が意味を知らないのを良い事に、口に出すもおぞましい卑猥な言葉を教え込んだのか?」

 頬を赤く染め、十香が眉をひそめる。

「……! し、してねえしてねえ! 健全極まりない言葉だ!」

 そう言ってから、頬を掻いて心の中で十香に少し嘘をついた事を誤った。人によっては極めて不健全な事態になるかもしれない単語なのだが、十香を落ち着かせるためにはこう言うしかないだろう。

 と、士道は居心地の悪い視線に身をよじった。

 近所の奥様方がニヤニヤしながら、微笑ましいものを見るような目を士道達に向けてきているのだ。まあ一部、十香の奇妙な格好を訝しむような視線が混じっている気もするのだが。

「……ぬ?」

 すると十香もその視線に気づいたらしく、士道の陰に身を隠すようにしながら奥様方に向かって視線を鋭くする。

「………シドー、何だあいつらは。敵か? 殺すのか?」

「はぁ!?」

 何の前触れもなく物騒な事を言いだした十香に、士道は肩を震わせた。

「いやいやいや、何でそうなるんだよ。ただのおばちゃん達だぞ」

「シドーこそ何を言っている。あの爛々と輝く目……まるで獲物を狙う猛禽のようではないか。私を狙っているとしか思えない。……放置していてはあとあと厄介な事になりそうだ。早めに仕留めておくのが吉と思うが」

 確かに彼女達の目は爛々と輝いているが、それは主に新たな話の種を見つけた事に対してであり、獲物を狙っている事に対してでは決してない。

「安心しろよ。言っただろ? お前を襲う人間なんてそういないんだ」

「……むう」

 十香は未だ警戒を滲ませながらも、とりあえずは今にも飛びかかって行きそうな気勢を収めたので、士道はjほっと息をついた。

「まあ良い。それで、そのデェトとやらは……」

「っ、ちょ、ちょっと場所を移そう。な?」

 恥ずかしげもなく続けてくる十香にそう言ってから、士道は素早く歩き出した。

「ぬ。おいシドー、どこへ行く!」

 十香がすぐさま士道の後を追ってくる。そして士道の隣に並び歩きながら、不満そうな声を上げた。

 士道は十香を伴って、人気(ひとけ)のない路地裏に入ると、ようやく息をついた。

「やっと落ち着いたか。おかしな奴め、一体どうしたというのだ」

 十香が半眼を作りながら、やれやれといった風情で言ってくるが、そんな事は気にしていられない。士道は十香の顔を真剣な表情で見つめると、彼女に尋ねた。

「十香……お前、昨日あの後どうしたんだ?」

 士道が尋ねると、十香は少し憮然とした様子になりながら唇を動かした。

「別にいつも通りだ。通らぬ剣を振るわれ、当たらぬ砲を打たれ。最後は私の身が自然と消えておしまいだ」

「……消える? どういう事だ、それ」

 士道は疑問に首をひねる。琴里達もそんな表現をしていたような気がするが、どういう事なのかはよく分かっていない。

「この世界とは別の空間に移るだけだ」

「別の空間ね……。どんな所なんだ?」

「よく分からん」

「……?」

 士道が眉根を寄せると、十香がその疑問に答えるように言った。

「あちらに移った瞬間、自然と休眠状態に入ってしまうからな。辛うじて覚えているのは、暗い空間をふよふよと漂っている感覚だ。私にしてみれば眠りにつくようなものだな」

「んじゃあ、目覚めたらこの世界に来るのか?」

「少し違う」

 十香は士道の言葉を訂正してから、話を続ける。

「そもそも、いつもは私の意思とは関係なく、不定期に存在がこちらに引き寄せられ固着される。まあ、簡単に言うならば強制的にたたき起こされているような感覚だな」

「なっ………」

 士道は思わず息を詰まらせた。

 士道は、精霊がこの世界に現れようとする際に、空間震が起こるものと思っていた。

 だが、十香の話が本当ならば、この世界に現れる事すら自分の意思でないという事になる。

 ならば、空間震というのは本当に、事故のようなものではないか。

 ……理不尽だ、と士道は思う。

 彼女は自分の意思でこの世界に現れているわけではない。空間震も、自分の意思で起こしているわけではない。アンデッドのように誰かを積極的に傷つけているわけでもない。

 それなのに、ただ空間震を起こすからといって、その責任までも十香に問おうというのはあまりに理不尽すぎる。

 と、そこまで考えた所で士道の頭にもう一つ疑問がよぎった。

 今の十香の言葉に、少し引っかかる部分があったのだ。

「って、いつもは? 今日は違うのか?」

「………」

 十香は頬をぴくりと動かすと、口をへの字に曲げて視線を斜め上にやる。

「ふ、ふん。知るか」

「頼む、ちゃんと答えてくれ。もしかしたら大事な事かもしれないんだ」

 明らかに嘘と分かる十香の言葉に、士道は必死で追いすがった。

 もしも十香が今日、自分の意思で士道達の世界に来ていたとしたら、それが原因で空間震が起こっていないのかもしれないのだ。ここで十香から詳しい事情を聞きだす事がでれば、もしかしたら十香が空間震を起こさない方法を知る事ができるかもしれない。

 しかし十香は何故か頬を赤く染めながら、視線を険しくする。

「しつこいぞ。もうこの話は終いだ」

「いや、だけど……」

 士道がさらに言おうとすると、十香が強く片足を地面に叩き付けた。彼女の踏んだアスファルトが一瞬であるが発光し、そこから放射状に光の線が走る。

「うお……っ!?」

 その光が士道の靴に触れると、その瞬間バチッという危険な音と共に火花が散った。

「――――――良いから、早くデェトとやらの意味を教えろ」

 十香が急かすように言ってくる。

「………む」

 彼女の有無を言わせぬ調子に、仕方なく士道は黙り込んだ。これ以上追及したら、昨日のように光線を放たれてしまいそうだ。さすがに二日も連続で攻撃を食らうのはごめんである。

 士道はしばらくううむと唸ってから口を開いた。

「……男と女が、一緒に出掛けたり遊んだりする事……だと思う」

「それだけか?」

 拍子抜けしたように、十香が目を丸くした。

「あ、ああ……」

 士道としては、そう言われても困る。士道自身もデートなど一度もした事が無い。さすがにマンガやドラマなどの知識はあるが、それはあくまで知識止まりだ。だが十香は腕組みをして唸ると、

「……つまりなんだ。昨日シドーは、私と二人で遊びたいと言ったのか?」

「ま、まぁ……、そうなるのかな……」

 自分の言葉を噛み砕いて言われると、恥ずかしさが二割増しだった。気まずげに頬を掻きながらそう答える。

「そうか」

 十香は少し表情を明るくして頷くと、大股で裏路地から出ていこうとした。その彼女に士道が慌てて声をかける。

「お、おい十香」

「なんだシドー。遊びに行くのだろう?」

「……! い、良いのか?」

「お前が行きたいと言ったのではないか」

「いや、そりゃそうなんだが……」

「なら早く行くぞ」

 そう行ってから、十香が進行を再開しようとする。

 そしてそこで士道は彼女の致命的な事象に気付いた。

「と、十香! お前、その格好はまずい……!」

「何?」

 すると、彼女は意外そうに目を丸くした。

「私の霊装のどこがいけないのだ。これは我が鎧にして領地! 例えシドーでも侮辱は許さんぞ」

 彼女の言いたい事は分かるが、そういう問題ではない。士道はさらに言葉を続けた。

「その格好だと目立ちすぎるんだよ……! ASTにだって嗅ぎつけられるぞ!」

「ぬ……」

 さすがにそれは面倒だと思ったのだろう、十香が嫌そうな表情になる。

「ではどうしろと言うのだ」

「まあ、着替えなきゃいけないんだろうけど……」

 問題は、そこまでの道のりである。今ここに都合よく女性用の服などないし、店に連れて行くにもやはり彼女の霊装が人目を引く事になる。それに加えて、士道の財布もそこまで温かいというわけでもない。

 士道が悩んでいると、十香が焦れたように唇を開いた。

「どんな服ならば良いのだ? それだけ教えろ」

「え? あー……」

 どんな、と言われてもすぐに出てくるわけではない。

 そんな時、視界の端を見慣れた制服姿が過ぎった。

「あ……」

 眠そうな顔をした、見知らぬ女子生徒が道を歩いていた。恐らく士道と同じように休校情報を聞き逃してしまった生徒だろう。

「十香、あれだ。あんな服だったら大丈夫だ」

「ぬ?」

 十香が士道の示した方向に目をやり、考え込むように顎に手を当てた。

「ふむ、なるほど。あれならば良いんだな」

 そう言うと十香は右手の人差し指と中指をピンと立てた。すると指先に黒い光球が出現し、その指が女子生徒の方に向けられる。

「って、何するつもりだ!」

 士道が慌てて彼女の右腕をがっと掴んで光球の発射を防ぐ。十香は士道を不満そうに睨み、

「何をする」

「何をするじゃねえよ! こっちの台詞だそれは!」

「気絶させて服を剥ぎ取るだけだが……」

 それが何か? というように彼女が首を傾げる。士道は腹の底から大きなため息を吐き出し、額に左手を置いた。

「良いか、十香。人を攻撃するのは駄目だ。いけない事だ」

「何故だ?」

「お前だって、ASTに攻撃されたら嫌だろ? 人にされて嫌な事はしちゃいけないんだ」

「……むう」

 士道の言葉に、十香は不服そうに尖らせながらも、指先の光球を消滅させた。

 士道の言う事が了承できないと言うよりも、子供に言い聞かせるような士道の話し方に不満を持っていると言った方が正しい調子である。

「……分かった。覚えておく」

 そんな表情のまま、十香は首肯した。

 それに続いて、十香は何かを思い起こすように顔を軽く上げて、

「……仕方ない。では服は自前で何とかするか」

 そう言ってから、指をぱちんと鳴らす。

 すると、十香が身に纏っていたドレスが端から空気に溶けるかのように消えていく。

 さらに不可思議な現象はそれだけで治まらず、それと入れ替わるようにして周囲から光の粒子のようなものが十香の体にまとわりつき、別の服を形作っていく。

 数秒すると、そこには先ほど道を歩いていた女子生徒と同じ、来禅高校の制服を身に纏った十香が立っていた。

「な、なんだそりゃ……」

 その現象を目の当たりにした士道は思わず呆然としながら呟いた。自身も変身する時はブレイドアーマーが瞬時に自分の体に装着されるが、今十香が行ったのはそれとはまた違うような気がしたのだ。

「霊草を解除して、新しく服を拵えただけだ。視認情報だけだから細部は異なっているかもしれないが、これなら問題ないだろう」

 ふふんと腕組みをしながら、自慢げに胸を張ってくる。

「いや、そんな事できるなら最初からそっちにしろよ!」

 士道が叫ぶが、十香は分かった分かったと言うようにひらひらと手を振るだけでそれ以上言葉は返さなかった。

「そんな事より、どこへ行くのだ?」

「そ、それは……」

 士道は助けを求めるように右耳に手を当てるが、そこである事に気付く。昨日着けていたインカムを、今日士道はつけていないのだ。

 そして当然の事だが、周囲にカメラも飛んでいない。しかしそれは当然の事だ。何しろ琴里を始め、フラクシナスのクルーも全員十香がこちらの世界に来ている事に気づいていないのだから。

 つまり、完全な二人きりだ。

 その状況を再確認して、士道は軽い眩暈を感じた。プレッシャーで胃も痛くなってくる。ろくなアドバイスをしない琴里や令音ではあるが、それでもいるのといないのとでは大違いだという事を再認識する。

「どうした、シドー?」

「……いや、何でもない」

 士道は自分を落ち着かせるために何回か深呼吸すると、ぎこちない足取りで歩きはじめる。

 すると、ほどなくして十香が声をかけた。

「シドー。歩みが速い。少し速度を緩めろ」

「あ、ああ。悪い……」

 指摘されて、歩調を整える。

 そもそも歩幅が違うのだから、士道の方が先に進んでしまうのは当然の事なのだが、何故かは分からないが少し不思議な感覚だった。

 きっとこれが、二人で歩くという事なのだろう。

 今までほとんど女子と歩いた事が無い士道にとっては、新鮮な感覚である。なお、琴里はぴょんぴょんと跳ねて士道より先に行ってしまう事があるのであまり参考にはならない。

 そこまで考えて、士道はちらりと横を歩く十香を見る。

 そこにいるのは、剣の一振りで大地や空を斬り裂く怪物ではなく、どう見ても普通の女の子だった。

 と、路地を抜けて様々な店が軒を連ねる大通りに出た所で、十香が突然眉をひそめてキョロキョロと辺り御様子を窺い始めた。

「な、なんだこの人間の数は。総力戦か!?」

 先程までとは桁違いの人と車の量に驚いたらしく、全方位に注意を払いながら忌々しげな声を発する。

 ついでに両手の指先合計十本に、それぞれ小さな光球を出現させる。恐らくあの光球の一つ一つが、辺りの地形を簡単に変えるほどの威力を秘めているだろう。士道は慌てて十香を止めにかかった。

「いや、だから違うって! 誰もお前の命なんか狙ってねえから!」

「……本当か?」

「ああ、本当だ」

 士道がそう言うと、十香は油断なく辺りを見回しながらも、とりあえず言われた通りに光球を消した。

 と、不意に警戒に染まっていた十香の顔から力が抜けた。

「……? おいシドー、この香りは何だ」

「香り……?」

 目を閉じて辺りの匂いを嗅いでみると、確かに彼女の言うように香ばしい香りが漂っている事が分かった。

「ああ、多分あれだな」

 そう言ってから、右手にあるパン屋を指差す。この香りは恐らく焼きたてのパンのものだろう。

「ほほう」

 十香は短く言うと、その方向をじっと見つめ始めた。

「……十香?」

「ぬ、何だ?」

「入るか?」

 士道が問うと、十香は指先を動かしながら口をへの字に曲げた。ついでにかなり絶妙なタイミングで、きゅるるるると十香の腹が鳴り始めた。どうやら精霊も腹は空くようである。

「シドーが入りたいのなら、入ってやらん事も無い」

「……入りたい。ちょー入りたい」

「そうか。なら仕方ないな!」

 十香はやけに元気よくそう言うと、大手を振ってパン屋の扉を開ける。士道は苦笑しながらも、彼女に続いてパン屋の中へと入っていった。

 

 

 

「………」

 そんな二人を、塀の陰に隠れて観察していた影が一つあった。

 その影は、士道のクラスメートであり、AST隊員の鳶一折紙だった。

 実は彼女も士道と同じよう登校していたのだが、学校が休校だったために仕方なく帰路につこうとしていた。しかしその途中で、士道が女子生徒と歩いているのを発見したのだ。

 折紙にとって、それだけでも充分に由々しき事態だった。なので、彼女は()()()()()しっとりと尾行を開始したのだ。……少し表現がおかしい気がするが、気にしてはいけない。

 だが、もっと大きな問題があった。

 その少女の顔を、折紙は見た事があるのだ。

「……精霊」

 その名を、小さく呟く。

 そう。怪物。異常。世界を殺す災厄。

 折紙達が討滅すべき人ならざる者が、制服を着て士道の隣を歩いていたのだ。

 ちなみに、同じ人ならざる者にアンデッドが存在するが、折紙はあまりアンデッドに興味を抱いていない。

 自分達の邪魔をするならば排除するが、精霊ほどの憎しみや敵対心を彼女はアンデッドに抱いていなかった。

「………」

 折紙は憎しみがこもった瞳で、冷静に少女を見つめていた。

 目の前にいるのは精霊に間違いないのだが、冷静に考えればありえない事でもあった。

 精霊が出現する時には、予兆として平時では考えられないレベルの前震が観測される。それをASTの観測班が見逃すはずはない。

 しかし、それならば昨日のように空間震警報が鳴っているはずだし、折紙にも伝令が来ているはずだ。

 折紙は鞄から携帯電話を取り出すと、開いて画面を見てみる。何の連絡も入っていない。

 だとしたら、やはりあの少女は精霊などではなく、他人のそら似だとでもいうのだろうか。

「………そんなはずはない」

 静かに唇を動かす。過去に精霊によって両親を奪われた彼女が、精霊の顔を見間違えるはずが無かった。

「………」

 折紙は開いたままにしていた携帯電話のボタンを押して、アドレス帳から蛮行を選択して電話をかける。

 そして、

「……AST、鳶一折紙一槽。A-0613」

 自分の所属と識別コードを簡潔に述べて、本題に入った。

「観測機を一つ、回して」

 

 

 

 そして、士道と十香を見つめる影が、もう一つあった。

 その影は建物の陰に隠れている、黒のスーツ姿の男だった。その男は二人をじっと観察したまま携帯電話を取り出すと、ボタンを押して電話を耳に当てる。

 すると、ワンコール鳴った直後に相手の男が電話に出た。スーツ姿の男は、電話の向こうの男に無感情な声でこう言った。

「ライダーシステム二号、ブレイドを発見しました」

 男がそう言うと、電話の向こうの男が満足そうに言う。

『そうか。ではそのまま観察を続けてくれ』

「はい。それと、気になる事が……」

『気になる事?』

「はい。ブレイドの横に少女が一人いるのですが……。私の見間違いでなければ、精霊です」

 男の報告に、電話の相手から困惑したような気配が漂ってきた。それからすぐ後に、怪訝そうな声が返ってくる。

『精霊だと? 馬鹿な、空間震警報は鳴っていないはず……』

「やはり、私の見間違いでしょうか?」

『……いや、結論を急ぐのはまだ早い。あとで観測機を回す。調べてみてくれ』

「はい」

 男は頷くと、携帯電話の通話を切り懐にしまってから、二人の監視を続けた。

 

 

 

 そこは、一見してみると研究室のような場所だった。

 部屋の中では多数の白衣を着た人間が歩き回り、パソコンを使って何かのデータを観測していたり、手にしてペンで書類に何やら書き込んだりしている。士道や広瀬が見たら、崩壊したBOARDの研究室を思い出すかもしれない。

 その中に、奇妙な人物が椅子に座っていた。

 白衣の男達が歩く中で、その人物だけが黒い革製のコートを身に纏い、さらには部屋の中だというのにサングラスまでかけている。その人物は携帯電話をコートにしまうと、天井を仰いで一人呟いた。

「まさか、精霊まで出てくるとはな。これも運命のいたずらという奴か……。いや、もしかしたらこれも運命が望んだ事なのか……。……ふん、どちらにせよ、面白くなってきたな」

 そう言ってから、男は一人笑い出したが、研究員達は特に動揺する事も無く何かの研究を続けている。男は身体を軽く起こすと、そばにいる眼鏡をかけた中年の男に声をかけた。

「念のために、奴を出す準備をしておけ」

「分かりました、伊坂様」

 丸眼鏡の男はそう言うと、サングラスの男――――伊坂に深々と頭を下げた。

 

 

 

 

 

 

 

「あ、令音。それいらないならちょーだい」

「……ん、構わんよ。持って行きたまえ」

 琴里がフォークを伸ばして、令音の前に置いてあった皿のラズベリーを突き刺す。そのままゆっくりと口に運び、甘酸っぱい味を堪能する。

「んー、おーいし。なんで令音これ駄目なんだろねー」

「……すっぱいじゃないか」

 そう言ってから、令音は砂糖をたっぷり入れたアップルティーを一口すする。

 今二人がいるのは、天宮大通りのカフェだった。

 琴里は白いリボンに中学校の制服、令音は淡色のカットソーにデニム地のボトムスという格好だった。

 いつも通り中学校に登校した琴里だったのだが、昨日の空間震の余波で琴里の通う学校も多少の被害を受けてしまったらしく、休校になっていたのだ。

 そしてそのまま帰るのも癪だったので、電話で令音を呼び出しておやつタイムを楽しんでいたのだ。

「……そうだ、ちょうど良い機会だから聞いておこう」

 と、令音が思い出したように口を開いた。

「なーに?」

「……初歩的な事で悪いのだがね、琴里、何故彼が精霊との交渉役に選ばれたんだい?」

「んー」

 令音の問いに、琴里は一瞬迷ったように眉根を寄せてから、

「誰にも言わない?」

「……約束しよう」

 低い声音のまま、令音が頷いた。琴里はそれを確認してから首肯し返す。村雨令音は口にした事は必ず守る女だという事を、琴里は知っているからだ。

「実は私とおにーちゃんって、血が繋がっていないっていう超ギャルゲ設定なの」

「……ほう?」

 面白がるでもなく、かと言って驚くのでもなく、令音が小さく首を傾げた。ただ速やかに琴里の言葉を理解し、その事が今の話に何か関係が? と尋ねているような反応だった。

「だから私は令音の事好きなんだよねー」

「………?」

 琴里の言葉に、令音は不思議そうな表情を作った。

「気にしなーい。……で、続きだけど。何歳の頃だったかな、それこそ私がよく覚えてないくらいの時に、おにーちゃん、本当のお母さん捨てられたうちに引き取られたらしいんだ。私は物心つく前だったからよく覚えてないんだけどさ、引き取られた当初は相当参ってたみたい。それこそ、自殺でもするんじゃないかってくらいに」

「……」

 何故だろうか、令音がぴくりと眉を動かした。

「どしたの?」

「……いや、何でもない。続けてくれ」

「ん。ま、仕方ないと言えば仕方ないのかもしれないけどねー。年齢一桁の子供からしてみれば、母親っていうのは絶対的な存在だし、おにーちゃんにとっては自分の存在全てが否定されるような一大事だったと思う。まあ、一年くらいでその状態は治まったらしいんだけどねー」

 ふうと息を吐いてから、話を続ける。

「それからなのかなー。おにーちゃん、人の絶望に対して妙に敏感なんだ」

「………絶望に?」

「んー。みーんなから自分が全否定されるような……自分はぜーったい誰からも愛されないと思っているような。まあ要は当時の自分みたいなさ。そんな鬱々とした顔をした人がいると、全く知らないでも無遠慮に絡んでいくんだよね」

 だから、と目を伏せてから、

「もしかしたら、と思ったんだ。あの精霊に勇んで向かって行くようなの、おにーちゃんくらいしか思いつかなったからさー」

 琴里が話を終えると、令音は「……なるほど」と呟きながら目を伏せた。

「……だが、私が聞きたいのはそういう心情的な理由ではないね」

 令音のその言葉に、今度は琴里がぴくりと眉を動かした。

「っていうと?」

「……とぼけてもらっては困る。君が知らないとは思えない。――――彼は一体何者だね」

 令音はラタトスク最高の解析官だ。特注の顕現装置(リアライザ)を使って、物質の組成はおろか、体温の分布や脳波を計測して、人の感情の機微さえもおおよそ見取ってしまう。

 その人間に隠された、能力や特性すらも。

 琴里は息をつくと、

「ま、令音におにーちゃんを預けた時点でこうなるのは大体分かってたけどねー」

「……ああ、悪いが、少し解析させてもらったよ。……明確な理由もなく、一般人をこの作戦に従事させるなんておかしいと思ったのでね」

「ん、別に構わないぞー。どうせそのうち、みんなも知る事になるだろーし」

「………」

 令音は呑気そうな琴里の言葉を静かに見つめながら、しかし自分のもう一つの疑問は告げなかった。

 士道を解析した時、彼の制服の懐から、妙な反応が見受けられたのだ。

 反応は二つ。一つはラタトスクに所属する自分でも知らない技術で造られた何か。

 そしてもう一つは……、信じられない事だが、生物のような反応だった。

 どうしてただの一般人である士道がそんな物を持っていたのかは、さすがの令音も分からなかった。だから今の質問はその事も含んでいたのだが、琴里からはっきりとした答えは得られなかった。

 この事から考えられる可能性は二つ。

 琴里もその事を知っていてはぐらかしているという可能性。

 もう一つの可能性は、彼女の兄には、琴里すら知らない秘密がもう一つあるという事だ。

 それをはっきりさせるべく、令音は再び口を開いた。

「……琴里。君は……」

 と、それと同時に、カランカランという扉の音と来客を歓迎する店員の声が聞こえてきた。

 令音の言葉が聞こえなかったのか、琴里はさっきと変わらない様子で手元のコップにささっていたストローを咥えて、残っていたブルーベリージュースを一気に吸い込む。

 その瞬間。

「ぶっ!?」

 今店に入ってきたと思われるカップルが令音の後ろの席に腰掛けるのを見て、琴里が口の中に入っていたジュースを勢いよく吹き出した。

「………」 

 どうやら運よく後ろのカップルには気付かれなかったらしいが、琴里の目の前にいた令音はその被害を思いっきり受けていた。琴里が噴き出したジュースをモロに受けて、びしょ濡れの状態になっているのだ。

「ごめっ、令音……」

「……ん」

 声をひそめて琴里が謝ると、令音は何事もなかったかのようにポケットから出したハンカチで顔を拭っていた。

「……何かあったのかね、琴里」

「ん……ちょっと非科学的かつ非現実的な物を見た気がして……」

「……なんだね」

 令音の問いに答えるように、琴里は無言で令音の後ろを指差す。

「………?」

 令音は振り返り、ぴたりと動きを止めた。

 数秒の後、ゆっくりと首を元の位置に戻すと、手元のアップルティーを口に含む。

 それからぶー、と琴里に紅茶を吹き出した。

「……なまらびっくり」

 何故か分からないが北海道方言だった。もしかしたら彼女なりに動揺しているのかもしれない。

 だがそれは当然かもしれない。何故なら令音の後ろには、琴里の兄である士道が、女の子を連れて座っていたのだ。

 さらにそれだけではない。その女の子は、琴里達が災厄、もしくは精霊と呼ぶ、あの少女だったのだ。

「えええ……なにこれぇ」

 琴里は令音から手渡されたハンカチで顔を拭きながら、押し殺した声を発する。

 ちなみに令音のハンカチには、真ん中にクマさんがプリントされていた。ブルーベリージュースとアップルティーのシミのせいで、どこぞの特撮ヒーローみたいになっていたが。

 琴里はポケットを探って携帯電話を見てみるが、ラタトスクからの連絡は入っていなかった。つまり、精霊が出現する時の空間の揺らぎは感知されていないという事だ。

 だが、あれは確かに精霊・十香である。あんな美しい少女はこの世に何人もいるものではない。

「精霊には、私達に感知されずに現界する方法があるって事?」

「………ただのそっくりさんという可能性は?」

 令音の言葉に琴里はしばし考えを巡らせたが、すぐにその考えを否定するかのように首を横に振る。

「もしそうだとしたら、おにーちゃんが普通の女の子を連れてるって事になるぞー。精霊の静粛現界とどっちが非現実的かって言ったら……僅差で前者かなー」

「……なるほど」

 わりと酷い言葉だが、令音はすんなりと首肯した。

「……だがそうなると、シン一人で精霊に対応できるだろうか」

「うーん……」

 二人して口元に手を当てて唸っていると、令音の後方から二人の会話が聞こえてきた。

「ほう、この本の中から食べたい物を選べばいいのだな?」

「ああ」

「きなこパンは。きなこパンは無いのか?」

「さすがに無いだろ……。ってか、最初のパン屋で食いまくったじゃねえか」

「また食べたくなったのだ。一体何だあの粉は……。あの強烈な習慣性……あれが無闇に世に放たれれば大変な事になるぞ……。人々は禁断症状に震え、きなこを求めて戦が起こるに違いない」

「いや、ねえよ」

「むう……。まあ良い。新たな味を開拓しようとしよう」

「へいへい。でも、金ねえから全部合わせて三千円までな」

「ぬ? 何だそれは」

「お前が買い食いしまくるから金が無くなったんだよ!」

「むう、世知辛いな。ならば仕方がない。少し待っていろ、私が金子を調達してこよう。それならば良いだろう」

「おい待て! どうやって金を調達する気だ!」

 そんな会話を聞いて、琴里は思わずため息をついた。

 さらにポケットから黒いリボンを取り出し、髪を結いなおす。

 これは、琴里なりのマインドりセットだった。リボンを替える事によって琴里は、士道の可愛い妹からフラクシナスの司令官へとトランスフォームするのだ。

 そして携帯電話を開くと、ラタトスクの回線につなぐ。

「……ああ、私よ。緊急事態が発生したわ。作戦コードF-08・オペレーション『天宮の休日』を発令。至急持ち場につきなさい」

 そう言うと、令音がピクリと頬を動かした。

 琴里が電話を終えるのを待ってから、声を発してくる。

「……やる気かね、琴里」

「ええ。指示が出せない状況だもの。仕方ないわ」

「……そうか。この状況からだと……ルートCというところか。……ふむ、では私も動くとしよう。早めに店に交渉してくるよ」

「お願い」

 そう言ってから琴里はポケットからチュッパチャップスを取り出し、口に咥えた。

 

 

 

「……よし、大丈夫だ」

 士道は手にした伝票に書かれている数字と、自分の財布の中身を交互に見ながら呟いた。ほとんど残らないが、辛うじて払いきれる金額である。

「ほら、行くぞ十香」

「ん、もうか?」

 十香が目を丸くしながら言った。士道は急かすように立ち上がった。これ以上ここにいては、皿洗いか食い逃げしか退路が残らなくなってしまうからだ。

 士道がレジに歩いて行くと、十香もそれについて来た。周囲の客にも、そこまで刺々しい敵意は放っていない。どうやら大分人のいる街に慣れてきたようだった。

 とりあえずは安堵して、レジに伝票と有り金の九割にあたる紙幣を三枚置いた。

「お会計お願いします」

 言ってから、士道はレジに立っていた店員に声をかけようとした。

「……っ!?」

 しかしその時、士道は盛大に眉をひそめて、思わず一歩後ずさった。

 何故ならそこに立っていたのは、

「……はい、お預かりします」

 見覚えのある、目の下に分厚い隈を拵えた、やたらと眠そうな女性だったからだ。

「な、ななな……」

「ん? どうしたシドー。……はっ。まさか敵か!?」

 この上なく分かりやすく狼狽えている士道に、十香が戦慄した顔を向けてきた。

「いや、違う違う……」

 士道は力なく彼女の言葉に否定を示した。

 すると、いやに可愛らしい店の制服を身に着け、肩にクマさんのぬいぐるみを乗せた令音が、その眠そうな両眼をギラリと輝かせて士道を睨み付けてきた。

 一瞬士道は彼女が自分に何らかの脅しをかけているのかと思ったが、すぐにそうではない事に気付いた。

「……こちら、お釣りとレシートでございます」

 士道が驚いている間に、手早く会計を済ませた令音が紙面をトントンと叩きながらレシートを渡してきた。

 そのレシートの下の方には、『サポートする。自然にデートを続けたまえ』という文字がしたためられていた。

 つまり今の視線は、士道が令音と知り合いである事を後ろの十香に知られる事なく、デートを続行しろという事なのだろう。どうして彼女がこの店にいるのかは分からないが、遅らく何らかの方法で十香が士道と一緒にいる事を突き止めたラタトスクが手を回したのだろうと士道は思った。

「い、いや、何でもない」

 士道はごまかすように言うと、レシートをポケットにねじ込んだ。

 令音が、研ぎ澄ましていた視線をいつもの眠たげなものに戻す。

 そしてレジ下の引き出しからカラフルな紙を一枚取り出し、士道に手渡してきた。

「……こちら、商店街の福引券となっております。この店から出て、右手道路沿いに行った場所に福引所がありますので、よろしければご利用ください」

 場所を詳しく説明した上に、後半をやけにはっきり言ってきた。よろしければではなく、必ず使えという意味なのだろう。しかし、もしかしたらそう念を押さなくても良かったのかもしれない。

「シドー。何だそれは」

 何故ならば、十香が福引券をかなり興味深そうに見つめていたからだ。

「行ってみるか?」

「シドーは行きたいのか?」

「……ああ、行きたくてたまんねえ」

「では行くか」

 十香が、大股で元気よく店を出ていく。

 士道はその様子に苦笑しながらも、令音に軽く頭を下げてからその後を追った。

 

 

 

「ご苦労様、令音」

 レジの陰に隠れて士道達の様子をうかがっていた琴里は、二人が店を出るのを確認してから立ち上がった。

「……慣れないね、どうも」

 令音がやたらとフリルの付いた制服の裾を持ち上げて、抑揚のない調子で言った。

 これが、作戦コードF-08、通称オペレーション『天宮の休日』である。

 ラタトスクにはありとあらゆる可能性を考慮し、細かく分ければ千以上の作戦コードが存在している。これはそのうちの一つだった。

 精霊がこちらの観測をすり抜け、士道と接触した場合、フラクシナスのクルーが街の住民に溶け込んで陰ながら士道をサポートするのだ。

 このためにクルーは、皆最低一ヶ月の劇団の演技演習を受けている。

「似合ってるわよ。可愛い可愛い」

 琴里は飴を舐めながらそう言うと、すぐに携帯電話を開いて電話を掛けた。

「ああ、私よ。今店を出たわ。……ええ、なるべく自然にね。失敗したら皮を剥ぐわよ」

 簡潔に用件とペナルティを伝え、電話を切った。ペナルティがやけに重すぎるような気もするが、それはもう気にしてはいけない事である。

「第二班のスタンバイは完了してるみたいね。……さて、私達はフラクシナスに戻りましょう。こちらの声は届かないにしても、映像だけは見ておかないとね」

「……ああ、そうしよう」

 令音が言ってくるのを背に聞きながら、琴里はにやりと唇の端を上げた。

「さあ――――――私達の戦争(デート)を始めましょう」

 

 

「えーと、福引所……。あ、あれか」

 士道と十香が店を出てから道なりに進んでいくと、赤いクロスを敷いた長机の上に大きな抽選器が置かれたスペースが見えてきた。ハッピを羽織った男が、抽選器のところに一人、商品渡し口に一人おり、その後方に商品と思われる自転車や米などが並べられていた。すでに数名、人が並んでいる。

「………」

 士道はその男達を見て、思わず頬を掻いた。

 うろ覚えではあるが、ハッピを着た男達はもちろんの事、並んでいる客の顔もまた、フラクシナス内部で見た事がある気がしたのだ。どうやらフラクシナスのクルー全員が、士道と十香のデートのために駆り出されているらしい。

「おお!」

 しかしそんなものは十香に関係あるはずがなく、士道から受け取った福引券を握りしめ、子供のように目を輝かせる。

「ほら、じゃあ並んで」

「ん」

 と十香が頷き、列の最後尾につく。

 前に並んだ客が抽選器を回すのを見ながら、首と目をめまぐるしく動かしている。

 するとすぐに、十香の番が来た。前の客にならって券を係員に手渡し、抽選器に手を掛ける。良く見てみると、係員は『早すぎた倦怠期(バッドマリッジ)』川越だった。

「これを回せばいいのだな?」

 そう言ってから、ぐるぐると抽選器を回し始める。数秒後、抽選器から赤いハズレ玉が飛び出した。

「っと、残念だったな。赤はポケットティッ……」

 そう士道が言いかけた時、川越が手に持っていた鐘をガランガランと高らかに鳴らした。

「大当たり!」

「おおっ!」

「……ええ?」

 士道は眉をひそめるが、川越の後ろで別の係員が後ろに貼ってあった賞品ボード『一位』の所に書いてある金色の玉を、赤いマジックペンで塗り潰しているのを目撃して、声を出すのを止めた。

「おめでとうございます! 一位はなんと、ドリームランド完全無料ペアチケット!」

「おお、なんだこれはシドー!」

「……テーマパークか? 聞いた事ない名前だけど………。どこにあるんだこれ」

 興奮した様子でチケットを受け取る十香の横で士道が訝しげな声で言うと、川越が士道にずずいと顔を寄せて、

「裏に地図が書いてありますので、是非! これからすぐにでも!」

「……は、はぁ……」

 気圧されるように一歩下がりながら、チケットの裏を見てみる。確かに地図が書いてあったが、かなり近い。その地図を見て、士道は首をひねって呟いた。

「こんな所にテーマパークなんてあったか……?」

 自分の記憶に間違いが無ければ、こんな名前のテーマパークなどなかったはずだ。

 しかし、ラタトスクの指示なので、きっと何かあるのだろう。ここは行ってみるしかない。

「……行ってみるか? 十香」

「うむ!」

 どうやら彼女も乗り気なようで、とりあえず足を運んでみる事にした。

 場所は本当に近かった。この福引所から路地に入って数百メートル。まだ両側には雑居ビルが並んでおり、とてもではないがテーマパークがあるとは思えない。 

 だが、

「おお! シドー! 城があるぞ! あそこに行くのか!?」

 そんな馬鹿なと思いつつチケットの裏面から視線を外して顔を前に向けた。

「………なっ」

 その瞬間、士道は思わずその場に凍りついた。

 確かに小さいながらも、西洋風の城だった。看板にきちんとドリームランドと書かれている。

 ついでにその下には『ご休憩・二時間四千円』などの文字も書かれていた。

 つまり、大人しか入ってはいけない愛のホテルだったのだ。

 この場所に自分達を案内して何がしたかったのか、士道は無性に自分の可愛い妹に問い詰めたい衝動に駆られた。

「も、戻るぞ十香! 俺ってばうっかりさんだから道を間違えた!」

「ぬ? あそこではないのか?」

「ああそうだ。ほ、ほら、早く戻るぞ」

「あそこにも寄っていかないか? 入ってみたいぞ」

「い、いやいやいや。今日の所はやめておこう! なっ!?」

「むう……。そうか。分かった」

 残念そうに言う彼女には悪かったが、さすがにあそこは無理である。士道は、恐らく上空から一部始終を楽しそうに見ている琴里に睨むような視線を送ってから、十香と一緒に道を戻っていった。

 

 

 

「まったく、あそこまで行っておいて普通引き返す? つくづくチキンね我が兄ながら」

 フラクシナスの艦長席に座っている琴里は、ため息まじりに肩をすくめた。

「……まあ、仕方がないだろう。いきなりあれは酷だ」

 艦橋下段に座って令音が、コンソールを操作しながらそう言った。

 彼女の解析によって画面に表示された数値は、昨日よりもずっと安定値を示していた。さすがに恋人までとはいかないが、それでも十香が士道を信頼のおける友人と思っている数値である。

 まあ、だからこそ少し思い切ったパターンを試してみたのだが。

「最後までいかなくても、キスくらいかましてくれれば詰みだったんだけどね」

 そう言ってキャンディの棒をピコピコさせると、鼻から息を吐いた。

「……次はどうするね」

「んー、そうね。次は……」

 

 

 

 

 

 

 それから数時間経ち、時刻は十八時になった。

 天宮駅前のビル群に、オレンジ色の夕日が染み渡る。

 そんな最高の絶景を一望できる高台の小さな公園を、士道と十香は歩いている。

 そして夕日に照らされながら歩く二人を、二つの人影が遠くから観察していた。

 その二人の内の片割れ……日下部燎子は十香を見ながら、目を細めて唇を舐めた。

「存在一致率九十八・五パーセント。さすがに偶然とかで説明できるレベルじゃないわね」

 精霊。

 世界を殺す災厄。

 三十年前にこの地を焦土に変え、五年前には大火を呼んだ最凶最悪の疫病神(カラミティ)と同種の少女。

「………」

 しかし、今燎子の目に映っているその姿は、ただの可愛い女の子だった。

「狙撃許可は」

 と、静かな……逆に言えば、底冷えするような声音が燎子の鼓膜を震わせた。

 振り向くまでもない。折紙だ。

 燎子と同じようにワイヤリングスーツにスラスターユニットを装備し、右手に自分の身長よりも長い対精霊ライフル『クライ・クライ・クライ』を構えている。

「……出てないわ。待機してろってさ。まだお偉方が協議中なんでしょ」

「そう」

 安堵した様子も、落胆した様子もなく折紙は頷いた。

 今精霊がいる公園の一キロ圏内には、燎子達AST要員が十人、二人一組の五班に分かれた状態で待機していた。

 二人がいるのもそのポイントの一つだ。

 公園よりもさらに都市部から離れた宅地開発中の台地だ。昼間はトラックやらクレーンやらの作業車が列を作っているものの、この時間になればもう静かなものである。

 数時間前、折紙が発見した少女に精霊の判定が出てからすぐにCR-ユニットの起動許可が下りた。

 だが、まだ防衛大臣やら幕僚長やらは対応を協議しているらしい。

 要は、攻撃を仕掛けるか、否かである。

 空間震を観測できない現界だっために、現在まで空間震警戒は鳴っていない。

 つまり住民は誰一人として避難しておらず、今精霊が暴れ出したら深刻な被害が出てしまうかもしれないのだ。

 だが、だからと言って今警報を鳴らして精霊を刺激してしまうのも上手い手とは言えない。なんとも嫌な状況である。

 しかし、

「これは好機」

 折紙はいつも通りの温度の無い口調で言った。

 確かに彼女の言うとおり、これはチャンスでもあるのだ。

 何故なら今、精霊はその身に霊装を顕現させていないのだ。

 燎子達の随意領域(テリトリー)と同じように、士道のブレイドアーマーと同じように、精霊を最強で究極で無敵の生命体たらしめている鎧を、今は纏っていない。

 今ならば、こちらの攻撃が届く可能性は十分にあった。

 ただしそれはあくまで可能性に過ぎない上に、確実に一撃で致命傷を与えなければならない。折紙が平常装備に含まれない対精霊ライフルを持っているのもそれが理由だった。

 使用者が悲鳴を上げ、弾道が軋み、目標が断末魔の声を上げる。

 三つのそれらが悲鳴を上げる事から、このライフルは『クライ・クライ・クライ』と名付けられた。

 随意領域(テリトリー)を展開させていなければ、反動で狙撃種の腕の骨が折れてしまう、撃つ人間よりも威力を重視した怪物である。

 だが燎子は、その銃を使うような事態になるとはあまり思っていなかった。

「……頭の中日和ってるお偉方達が、この状況で攻撃許可出すとは思えないけどねえ」

「出してもらわなければ困る」

 折紙の返事に燎子はため息をつきながら、

「ま、現場としちゃそうなんだけどさ。攻撃許可を出したけど一撃で仕留めきれなくて精霊が暴れ出しましたってのと、精霊が勝手に暴れたけど現界してたなんて知りませんでしたー、てのだと責任問題になった時に随分意味合いが違ってくるのよ」

「そんな理由で決められては困る」

「そうは言っても、人命よりも自分の地位が大事なお方が多いからねえ。ま、大概のお偉方はそういうのが多いのが現実なのよね……」

 そう言いながら、燎子は肩をすくめた。

 折紙の表情は微動だにしなかったが、どこか憮然としているような気がする。

 と、そこで燎子の耳にノイズ交じりの音声が入ってきた。

「はいはい。こちらポイントA(アルファ)。結局どうなっ……え?」

 燎子は自分の耳に入ってきた情報に、思わず目を丸くして驚きの声を出した。

「……了解」

 そう言ってから、通信を終了してから折紙に言う。

「……驚いた。狙撃許可が下りたわ」

 正直、少し意外だった。燎子は間違いなく待機命令が出ると思っていたのだ。

 しかし、よくよく考えてみれば昨日の校舎への攻撃命令も、今までではあまり考えられない強硬策だった。上層部で人事異動でもあったのだろうか。

 まあ、燎子は自分の仕事をするだけだ。具体的に言えば、ここにいる中でもっとも作戦の成功率が高いであろう隊員に引き金を預ける事だ。

「折紙。あんたが撃ちなさい。今いる面子の中では、あんたが一番適任よ。失敗は許されないわ。絶対に一撃で仕留める事」

 その、言葉に。

「了解」

 折紙は何の感慨も浮かべず、無表情のままそう答えた。

 

 

 

 

 

 同じ頃、伊坂は研究室でスクリーンに映し出されている映像を見ていた。その映像は、高台公園を二人の男女が歩いているものだった。二人の男女は言わずもがな、士道と十香である。デートの最初から二人を見張らせていた男にカメラを持たせ、映している映像をこの部屋のスクリーンに映し出しているのだ。

 研究室の中には伊坂の他にも研究員達が大勢おり、それぞれが自分達のパソコンを使って何かの数値を記録している。

 伊坂がスクリーンを見つめていると、眼鏡をかけた男が伊坂に駆け寄ってきた。

「結果が出ました。やはりあの少女は、精霊です」

「ふん。招かれざる客だが、まあ良い。準備の方はどうだ?」

「いつでも出せます。……しかし、大丈夫でしょうか? 現場にはASTの連中もいるようですし、もしも戦闘になったりしたら……」

 眼鏡の男がスクリーンを見ながら不安そうな声を出す。士道達が公園に入った時に念のために彼らの周囲を調べさせた所、ASTと思われる人間達がいるのを発見したのだ。彼女達に見つかるのを防ぐためにあまり長くは調べられなかったものの、もしかしたら彼女達の存在が自分達の実験の邪魔をするかもしれない。そうなったら、自分達の目的の達成に支障が出る恐れがある。

 しかし伊坂は、ASTなど眼中にないと言わんばかりの笑みを浮かべながら、

「別に構わん。いくら随意領域(テリトリー)を操るASTでも、アンデッドは殺せない。それが精霊であってもだ。アンデッドに対抗するためには、ライダーシステムの力が必要になる。……大体、精霊も殺せないような奴らが、アンデッドに対抗できるとも思わないさ。現に奴らは今まで何回か他のアンデッドと交戦しているようだが、全て逃がしている。別に放っておいても奴らは何もできないだろう」

 最後にそれだけ言うと、伊坂はすっと椅子から立ち上がった。

「奴の様子を見てくる。観察を続けていてくれ」

「分かりました」

 眼鏡の男が伊坂に向かって頭を下げると、伊坂は研究室の扉を開けて外に出た。

 部屋を出た伊坂は長い無人の廊下を一人靴音を立てながら歩いて行くと、ようやく見えた目的の部屋の前で立ち止まり扉を開ける。

 部屋の中はさっき彼がいた研究室のように大量のパソコンや研究員達の姿は無かったが、代わりに透明な箱のような形をした檻が一つだけ設置されていた。伊坂は部屋の中に入ると檻の前まで歩き、その檻の中にいる生物に声をかけた。

「そろそろお前にも、役に立ってもらうぞ」

 それだけ告げて、伊坂は踵を返して部屋を出た。

 そして檻の中にいた生物――――三葉虫の特徴を持つアンデッド、トリロバイトアンデッドはガン!! と左腕を檻に強く叩き付けた。

 

 

 

 

 

 夕日に染まった高台の公園には現在、士道と十香以外の人影は見受けられなかった。

 時々遠くから自動車の音や、カラスの鳴き声が聞こえてくるだけの、静かな空間に二人だけが存在していた。

「おお、絶景だな!」

 十香は先ほどから、落下防止用の柵から身を乗り出しながら、夕日の光で黄昏色に染まった天宮の街並みを眺めている。

 フラクシナスのクルー達による密かな誘導によって作られたルートを辿ってきたところ、ちょうど日が傾きかけた頃にこの見晴らしのいい公園にたどり着いたのだ。

 士道もここに来るのは初めてではない。というか、実は密かなお気に入りの場所である。

 終着点にここを選んだのは、きっと琴里だろう。

「シドー! あれはどう変形するのだ!?」

 十香が多くを走っている電車を指差しながら、目を輝かして言ってくる。

「残念ながら電車は変形しない」

「何? 合体タイプか?」

「まあ、連結くらいはするな」

「おお」

 実は変形するどころかミサイルなどをぶっ放して巨大な怪物を倒す事ができる時を超える電車があるのだが、そんな事はもちろん士道も十香も知らない。

 十香は士道の言う事に納得した調子で頷くと、くるりと体を回転させて手すりに体重を預けながら士道に向き直る。

 夕焼けを背景に佇む彼女はとても美して、まるで一枚の絵画のようであった。

「……それにしても」

 十香が話題を変えるかのように、んー、と伸びをした。

 そして、にぃっ、と唐突に屈託のない笑みを浮かべてきた。

「良いものだな、デェトというのは。実にその、なんだ、楽しい」

「………っ」

 突然放たれたその言葉に士道は不意を突かれた。自分では見えないが、頬は真っ赤に染まっているだろう。

「どうした、顔が赤いぞシドー」

「………夕日だ」

 そう言ってから、顔をうつむかせる。

「そうか?」

 すると十香が士道の元に寄り、見上げるようにして顔を覗き込んでくる。

「………っ」

「やはり赤いではないか。大丈夫か? まさか、何かの疾患か?」

 吐息が触れるくらいの距離で、十香がさらに言ってくる。

「や………ち、違うから……」

 視線を逸らしながらも、士道の頭の中にはデェトという言葉が渦巻いていた。

 漫画や映画の中の知識ではあるが。

 恐らく、恋人達がデートの終盤でこんな素敵な場所を訪れたなら、やっぱり……。

 自然に、士道の目が十香の柔らかそうな唇に向けられた。

「ぬ?」

「――――――っ!」

 別に十香は何も言っていないのだが、自分の(よこしま)な思考が見透かされたような気がして、再び目を逸らしながら体を離す。

「なんだ、忙しい奴だな」

「う、うるせ……」

 士道は額に滲んだ汗を袖で拭いながら、ちらりと十香の顔を見る。

 十日前、そして昨日、彼女の顔に浮かんでいた鬱々とした表情は随分と薄れていた。鼻から細く息を吐き、一歩足を引いて彼女に向き直る。

「どうだ? お前を殺そうとする奴なんていなかっただろ?」

「……ん、みんな優しかった。正直に言えば、まだ信じられないぐらいだ」

「あ……?」

 士道が首をひねると、十香は自嘲するように苦笑した。

「あんなにも多くの人間が、私を拒絶しないなんて。私を否定しないなんて。あのメカメカ団、ええと……なんと言ったか。エイ……?」

「ASTの事か?」

「そう、それだ。街の人間全てが奴らの手の者で、私を欺こうとしていたと言われた方がまだ真実味がある」

「おいおい……」

 さすがに発想が飛躍しすぎていたが、士道はそれを笑えなかった。

 何故なら彼女にとっては、それが普通だったのだ。

 否定されるのが、され続けるのが普通。

 それはあまりにも、悲しすぎる。

「……それじゃあ、俺もASTの手先って事になるのか?」

 士道がそう言うと、十香はぶんぶんと必死に否定するかのように首を横に振った、

「いや、シドーはあれだ。きっと親兄弟を人質に取られて脅されているのだ」

「何だよ、その役柄……」

「……お前が敵とか、そんな事は考えさせるな。考えたくもない……」

「え?」

「何でもない」

 彼女の呟きが聞き取れなかったので士道が問い返すと、今度は十香が顔を背けた。

 表情を無理矢理変えるように手で顔をごしごしとやってから、視線を士道に戻す。

「……でも本当に、今日はそれくらい有意義な一日だった。世界がこんなに優しいだなんて、こんなに楽しいだなんて、こんなに綺麗だなんて……思いもしなかった」

「そう、か……」

 士道は口元を綻ばせて息を吐いた。

 だが十香は、そんな士道に反するように眉を八の字に歪めて苦笑を浮かべた。

「あいつら……ASTとやらの考えも、少しだけ分かったしな」

「は……?」

 士道がその言葉に怪訝そうに眉根を寄せると、十香は少し悲しそうな顔を作った。

 士道が嫌いな鬱々とした表情とは少し違うが、見ているだけで胸が締め付けられてしまいそうな、悲壮感の漂う表情だった。

「私は………いつも現界するたびに、こんなにも素晴らしいものを壊していたんだな」

「………っ」

 士道は、息を詰まらせた。

「で、でもそれは、お前の意思とは関係ないんだろ……!?」

「……ん。現界も、その際の現象も、私にはどうにもならない」

「なら……」

「だがこの世界の住人達にしてみれば、破壊という結果は変わらない。ASTが私を殺そうとする道理が、ようやく知れた」

 士道は、すぐには言葉を発す事ができなかった。

 彼女の悲痛な面持ちに胸が引き絞られ、上手く呼吸ができなくなる。

「シドー。やはり私は、いない方が良いな」

 そう言って、十香は笑った。

 しかし、今日の昼間に覗かせた無邪気な笑顔ではない。

 まるで自分の死期を悟った病人のような……、弱弱しく、痛々しい笑顔だった。

 その表情に、士道は思わずごくりと唾を飲む。

 いつの間にか喉はカラカラに乾いていた。張り付いた喉に水分が滲みていくのを感じながら、どうにかして口を開く。

「そんな事……ない……っ」

 士道は声に力を込めるために、ぐっと拳を握った。

「だって、今日は空間震が起きてねえじゃねえか! きっといつもと何か違いがあるんだ! それさえ突き止めれば……!」

 だが十香は、士道の言葉を否定するかのように首を横に振った。

「例えその方法が確立したとしても、不定期に存在がこちらに固着するのは止められない。現界の数は減らないだろう」

「じゃあ……! もう向こうに帰らなければ良いだろうが!」

 士道が叫ぶと、十香は顔を上げて目を見開いた。

 まるで、そんな考えを全く持っていなかったと言うかのように。

「そんな事が……可能なはずは……」

「試したのか!? 一度でも!」

「………」

 士道の叫びに、十香は唇を噛んで黙りこんだ。

 士道は異様な動機を抑え込むように胸元を押さえながら、再び喉を唾液で濡らす。

 咄嗟に叫んだ言葉だったが、それが可能ならば空間震は起こらなくなるはずだ。確か琴里の説明では、精霊が異空間からこちらの世界に移動する際の余波が空間震となるという話だ。

 そして、十香が自分の意思とは関係なく不定期にこちらの世界に引っ張られてしまうというのなら、最初からずっとこちらの留まっていれば良いだけの話だ。

「で、でもあれだぞ。私は知らない事が多すぎるぞ?」

「そんなもん、俺が全部教えてやる!」

 十香が発してきた言葉に、士道は即座に答えた。

「寝床や、食べるものだって必要になる」

「それも……どうにかする!」

「予想外の事態が起こるかもしれない」

「そんなもん起きたら考えろ!」

 それはもしかしたら、子供の駄々のように聞こえるかもしれない。

 しかし、今の士道には迷いなどなかった。

 十香は少しの間黙り込んでから、小さく唇を開いてきた。

「……本当に、私は生きていても良いのか?」

「ああ!」

「この世界にいても良いのか?」

「当たり前だ!」

「……そんな事を言ってくれるのは、きっとシドーだけだぞ。ASTはもちろん、他の人間達だって、こんな危険な存在が自分達の生活空間にいたら嫌に決まっている」

「知った事かそんなもん……! ASTだぁ!? 他の人間だぁ!? そいつらが十香! お前を否定するなら! それを超えるくらい俺がお前を肯定する!!」

 そう叫んで、士道は十香に向かって手を伸ばした。

 すると目の前の十香の肩が、小さく震えた。

「握れ! 今はそれだけで良い……!」

 十香は顔を俯かせ、少しの間思案するように沈黙した後、ゆっくりと顔を上げて士道に手を伸ばしてきた。

「シドー……」

 そして。

 士道と十香の手と手が触れ合おうとした瞬間。

「………っ!」

 士道は、ぴくりと指先を動かした。

 何故かは分からないが、途方もない寒気がしたのだ。

 まるでざらざらの舌で全身を舐められるような、嫌な感触。

「十香!」

 士道の喉は、意識してもいないのにその名を呼んでいた。

 そして、士道の叫びに十香が答えるよりも早く、士道は両手で彼女を強く突き飛ばした。

 細身の十香は突然の衝撃に耐えられず、漫画みたいにごろんと後ろに転がった。

 それから、それと同時に。

「………あ」

 士道は、胸と腹の間くらいに、凄まじい衝撃を感じた。

「な、何をする!」

 砂まみれになった十香が非難の声を上げてくるが、それに返す事すら士道にはできなかった。

 息ができないどころか、意識と姿勢を保っている事も難しかった。

「……シドー?」

 十香の、呆然とした声が聞こえてくる。

 士道は原因を探るために、震える右手を脇腹に当てようとした。

 しかし、何故か何も手ごたえが無い。

 それを知覚した瞬間、士道は地面に倒れて意識を失った。

 こうして。

 五河士道は、死んだ。

 

 

 

 




次話ももしかしたらもうすこし少し早く投稿できるかもしれません。
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