その①
「あら~比企谷くんじゃないの」
俺の安息の時間を打ち破ったのは、
そんな魔王(雪ノ下陽乃)の一言だった。
最近、人と関わることが多くなったせいか自分がプロのボッチであることを忘れるまではなくとも、鏡に向かって「俺はこんなんだったっけ?」と問い出したくなるときがある。
あるノベルのぼっち系の主人公は「友達ができると人間強度が下がるから」と言っていた。
そもそも友達がいない人間には関係の無いセリフだが、俺に置き換えると、「人と関わるとボッチレベルが下がってしまう」となる。
何これ?俺レベル下がってるの?
別に今のあいつらとの関係が悪いとは言っていない、むしろ居心地が良いと思っている俺がいる。
しかし、常にその居心地の良さになじめない自分がいる。ふと一人でいるときに何だか心の中で、モヤのようなものが溜まっているのを感じるのだ。
俺には竹藪の中で活を入れて、女の子の腰を抜かせることはできないので、こうして、一人でリア充の多いスターフロントカフェに身を置くことで、ボッチレベルを再確認している。
マッカンが無いのが欠点だが、シロップを大量投与して代替品を作り、店内奥のソファーにて読書をする。
友人同士で楽しく談話するもの、カップルで来ているのにお互いラインばかりしているもの、スーツ同士で何やら小難しそうな話をしているもの。
どいつもこいつもボッチレベル5以下だな……。
様々な人たちの中で俺は自分がぼっちだと改めて認識する。何だかとても心が平穏というか、静かになるのを感じる。
そうか、確か俺は理性の化け物だったな……。
あれ?俺なんか目覚めそう?奥義とか打てるんじゃないか?
そんなことを考えているときに、気が付いたら雪ノ下陽乃という魔王がいつの間にか目の前に立っていた。
「お久しぶり~。最近どうだね?ガハマちゃんとはイチャイチャしてるかね?」
魔王から逃げられないのは今までの経験で充分に分かっている。ここは一旦時間を稼ぐしかない。
しかし……偶然にも、運が無い。
エンカウントがいきなりラスボス(魔王)とは。
これどんな無理ゲー?
やはりボッチはリア充の多い場所に出るべきでは無かった。
自分を戒めよう。
「久しぶりでも無いですし、イチャイチャする相手なんかいませんよ。」
「それとも生徒会長ちゃんとイチャイチャしているのかな?」
「単なる雑用を手伝っているだけですよ……」
「そうなの?つまんないね?」
そう言って、陽乃さんは俺の隣にソファーを付けて座る。
あれ?普通、テーブルを挟んで前に座りますよね?ソファー取られた隣の人が唖然としてますよ?
陽乃さんが俺の左隣に座ると、髪が揺れて柑橘系の良い匂いが鼻をくすぐる。
なんか近くないですか?
八幡は臆病な動物なので接近は遠慮願いたいのですが……。
「ふ~ん、それってライトノベルってやつ?比企谷くんはどんな女の子とイチャイチャしたいのかな?」
そう言って、陽乃さんは俺の左太ももに手を置いて本を覗き込もうととする。
距離が近くなりさらに強くなる匂い。
挿し絵「Grooki」
近い!近い!近い!いい匂い!いい匂いーー!!なんか、左肘に当たってる!!柔らかいのが当たってる!!!
さっきまでの修業僧のような平穏はかき消されて、
動悸、息切れ、何これコワイ……。
反射的に反対側に身を寄せて、雪ノ下さんと間を空ける。持っていた本のページが乱れる。
「え~~!そんな態度取るんだ。お姉さんショックだな~!」
と言うものの、俺は見てしまった、陽乃さんの目が、万人に愛されるよう強化外骨格を纏った目が、獲物を狩るハンターの目になっているのを。
俺はバットエンドで首をすっ飛ばされんの?助けは間に合わないの?
「何の用……ですか……?」
「ふ~ん、そんな反応するのは比企谷くんぐらいだね」
「読書の時間を邪魔されるのがあまり好きで無いだけですよ……」
「本の中では誰かとのイチャイチャを妄想していたのかな?」
「別にライトノベルだからって、女子にモテるだけの話だけではありませんよ。それに妄想するにも相手が…」
「クラスの委員長女子のパンチラを何ページにも渡って描写しているのに、何も関係無いんだ?」
「ぐは!!」
飲みかけのコーヒーを吹き出しそうになる。
そういう描写は確かにあるが読んでいたページでは
無いないはずなのに?まさか、さっきページが乱れた一瞬で速読したのか?
何それ?どこの神々の義眼なの?
「比企谷くん、いやらし~。そんなにパンチラが好きなんだ~。」
何?ハンターでは無いの?タイラントなの?
どこのGウイルスなの?
このままではバットエンドしか見えない。
「見せてくれる相手がいないなら、お姉さんが見せてあげようか?」
そう言って、笑いながら陽乃さんはそのしなやかな手を自身のスカートに置く。
今日はロングでは無く膝上くらいのスカートなのですね。ちらちと見える足はとても白くて、長く、眩しすぎる。
俺は慌てて、コーヒーを飲み直す。
「無料で施しを受けるなと母親に躾けられているもので……、遠慮しておきます。」
「興味無いのかな?お姉さんだとだめかな?」
と笑いながらスカートの裾に手を掛けほんの少しめくり上げる。まぶしいほどの太ももが……、視線が固定されてしまう!!
顔の奥が熱くなるののを感じる。
何コレ?さっきまで平穏な時間が異次元に。このままでは八幡の中の問題児がやって来てしまうー。
しかし、陽乃さんは相変わらず笑った表情のまま。
「こ、公衆の面前で、そ、そんなことは止めて下さい。」
何とか視線を外しながら声を振り絞る。このままでは鼻血を吹いて地球を破壊してしまうかもしれない。
「そんなこと?何のこと?私はスカートの位置を直しただけだよ」
陽乃さんはすっと、俺のソファーに肘をかけてさらに近づく。
くっ!!はめられた!!
さすが魔王!!八幡は深刻なダメージを負った……。
「顔赤いよ~!その反応可愛いね~!」
ふぇぇぇ~、八幡のHPはもうレッドです。早く死んで教会で生き返らせてもらおう……。
ほとんど自暴自棄で相手を見返す。
陽乃さんはクスクスと笑っていた。
その笑顔は今までの強化外骨格を纏ったものでは無く、寒気がするゾッとするものでも無く、普通の笑顔だった。ただ楽しそうな。
あの再び紅茶の香りのする部室で、
彼女が時折見せる笑顔によく似ている。
やはり姉妹なのだと思わず見惚れてしまう。
「どうしたの?そんなにお姉さんの太ももが見たいのかな?」
「違いますよ。ただ……、そうして笑っているところが
雪ノ下と似ているなと思っただけですよ。まあ姉妹だから当たり前ですが。」
俺は、一旦陽乃さんから目線を外して、
コーヒーを一口飲み直して心を鎮める。
勇者でも無い、村人(八幡)には魔王(雪ノ下陽乃)を
倒すすべは無い。なら選択は逃げる一択。
「すいません、そろそろ帰らないと、その何が…、そう妹が心配しますので……」
そう言って帰りの挨拶をしようとすると、
陽乃さんは目を大きく開けて俺を凝視していた。
今まで見たことのない表情で。目をぱちくりさせて、下を見て、上を見て急に落ち着きが無くなってきた。
あれ?強化外骨格はどうしたんですか?
「ごめん帰るね!」
そう言って、陽乃さんは俺の方を見ずに立ち去ってしまった。嵐のように過ぎ去った魔王の攻撃にただ茫然とするしか無かった。
何はともあれ、こんな勝ち目の無い無理ゲーはもうごめんだ。動悸、息切れもあり心身共にダメージがでかい。
早く帰って、マイシスターの顔でも見て和みたいものだ。
このとき、当然俺は気が付くはずがなかった。
全ての間違いが始まったことに。