今、私はバージンロードを娘と共に歩いている。
人前式がしたいという娘達の希望で、チャペルではなくホテルのホールでの結婚式となっていた。
娘と共に行く一歩一歩を噛み締めながら、階段上の式台で待ち受ける新郎に目を向ける。やや緊張した顔つきの彼に娘を託し、私は自分の席につく。ホールは8階まで吹き抜けになっており、天井のガラスからは柔らかい自然光が指している。各階の通行人が何事かと私達の様子を見下ろしている中、式は厳かに始まった。
娘のウェディングドレスは黒に硝子の装飾が胸元から縦にちりばめられたもので、天井から注ぐ光で輝きを放ち、まるで星が流れる夜空のようであった。
××××
ある日、妻から唐突に告げられた。
「あの子、恋人がいるみたい」
いつかこんな日が来るとは思っていた。
社会人数年目の年頃の娘だから、恋人がいてもおかしくはない。そう自分に言い聞かせ心を落ち着かせる。
どんな輩かと聞き出そうとする私を、
「いい加減、私達の娘を信じなさいって」
妻は笑いながらたしなめる。
しかし私は居ても立っても居られなくなった。
もちろん娘のことは信用している。変な輩に引っかかるとは到底思っていないが、親なので心配してしまうのだ。
そうして悶々と日々を過ごしていると娘から「紹介したい人を連れていく」と連絡があった。
それから数日して、
「比企谷と申します」
娘が連れてきた婚約者だという男はそう名乗った。
やや癖のある髪に端正な顔立ちをしており、スーツ姿で中肉中背。その出で立ちは至って普通であると思われたのだが…。
よくその顔を見ると、
目が腐っている…、
と率直に感じたのであった。
××××
若い頃の私は、いち社会人として仕事漬けの毎日であった。
自分が会社を動かしているという自負から、周囲の期待に応えようと躍起になっていたのだろう。妻や生まれた娘との交流が少なかったが、男はまず経済的に家庭を支えるものだという確固たる信念があった。
しかし、ある重要な社内のプロジェクトが些細なことから暗礁に乗り上げてしまう。連日連夜、方々に解決策を模索したがどうにもならなくなっていた。
私は二つの選択肢を迫られることになる、一つはプロジェクトを中止させること。もう一つは大きな賭けに出てプロジェクトを進行させること。
私は悩んだ。
前者は負けが決定。後者は逆転の可能性があるが大きなリスクがある。
そんな葛藤の中、妻から「娘の幼稚園の発表会に出て欲しい」と頼まれる。
そんな場合では無いと断ろうと思ったが、連日の休日出勤で疲労もピークだったこともあり妻に参加を伝える。その時の私は決断を迫られるプレッシャーから少しでも逃げたいと思っていたのだろう。
しかし、それが私の人生の転機となったのだ。
××××
比企谷と名乗る青年を迎え入れた夕食は、我が家のリビングで行われていた。
この青年の自己紹介によると、地元千葉の大学に進学した後、大手建設会社に就職しているそうだ。
ちなみに娘が大学時代にこの男と知り合ったらしい。娘に当時そんなことは聞いてないが?と尋ねても「いちいち報告しないよ~」と軽くかわされた。まあ、あまり根掘り葉掘り聞くのもどうかと思い当たり障りのない会話が続いていく。
食事が終わり食後のデザートを準備するということで妻がキッチンに向かった。私の目配せを「仕方ないわね」と無言で理解したようで、娘に「ちょっと手伝って」と声を掛ける。我が家のリビングは縦長でキッチンから少し距離があるため、これで多少の密談が可能となる。
つまり、リビングのテーブルで比企谷と名乗る青年と二人きりになったのだ。
私とて長年組織に属していたため、それなりに人を見る目はあると思っている。ならば、この特徴ある目をした青年を私は見極めなければならない。
娘の相手としてふさわしいか否かを。
「ビールのおかわりは?」
事前に娘から、お酒は飲める方と聞いているので酌を勧めてみる。
「はい、頂きます」
「会社でも飲むのかい?」
「そうですね。付き合いも多いですから」
注がれたビールを軽く飲みながらも返杯もスムーズだった。どうやら酒席には慣れているようだ。
それから他愛もない会話をいくつか繰り広げてみた。こちらの話に素直に耳を傾け、程好いタイミングで相づちを打ち、意見を投げ掛けても無難な回答を述べてくる。
どうやら見た目の印象と(主に目と)ずいぶん違うようだ。会社で話す若手の社員に比べずいぶん落ち着いた印象を受ける。
特徴ある目以外の印象は今のところ悪くは無いが、まだ何とも言えない。単に落ち着いているだけでは世間の荒波を越えていけないだろうし、娘の人生のパートーナーとして頼りにできないかもしれない。
またまだこの男を慎重に見極めないと。
××××
幼稚園の演劇の舞台に娘が登場した。
演劇は、畑に出来た大きな野菜を引き抜くために森の動物達が協力する話だった。おそらく童話の話をアレンジしたものだろう。娘は途中で呼ばれるウサギの役だった。
正直、娘の舞台が始まるまではプロジェクトの進行や自分の進退の事で頭がいっぱいだった。何を見ても、何を聞いても仕事の事に繋がってしまい、私は苛立っていた。
他の動物に呼ばれた娘が他の子達と声を掛け合って野菜を引っ張る。
ただそれだけの話だった。
無事に野菜が抜けたらみんなでシチューを作ってパーティーを開く。
そして歌を歌って劇は終わる。
いつの間にか仕事の事は頭から完全に消えていた。
私は呆然としていたのだった、娘の元気に歌う姿を見ながら何を苛立つ必要があるのだろうか。
そして改めて強く思ったのだ。私は何のために頑張っていたのだろうかと。
家に帰ってから私は洗いざらいを妻に話した。
仕事の事や今後の進退の事。そして今までの自分が何をしたかったのかを。私が吐き出すように話した後に、
「あの子の転園先を探さないとね」と妻は笑顔で優しく言った。
そうして私は責任を取る形で千葉県の子会社に出向となる。肩書は社長であったが体のいい左遷であった。しかし私には後悔は無かった。
それから私はできるだけ娘や妻との時間を作るように努めた。娘の幼稚園の行事にも全て参加したし休日は家族と過ごす事を第一とした。
××××
ー今から見舞いに行くー
そうメールを送信した後に、私は娘が住むマンションに向かっている。
娘が高熱を出して寝込んでいるらしいと、妻から聞いた私は仕事を半ば投げ出すこととなった。
心細いだろうからお見舞いに行こうと思っていると、
ー比企谷くんに看病してもらっているから大丈夫。仕事してねー
という娘の返信があり、かえって娘の元へ駆けつけねばならないこととなった。
「お邪魔してます…」
バツが悪そうに娘のマンションの玄関で挨拶する比企谷という男。その後ろでパジャマ姿の娘がにこやかな笑顔を私に向ける。
父親だから分かるが、あれは怒っている笑顔だ。
たまたま仕事で近くに寄っただけだとしらを切るが、娘は「もう寝る」とベットに潜り込んだ。「熱はもう下がったから大丈夫」「帰っていいから」と娘とやり取りをしていると、
「自分はそろそろ帰りますね」と比企谷という男が切り出す。
「ならば一緒に帰ろうか、娘の具合もだいぶ良くなっているみたいだし」
とこの男をマンションから連れ出すことにした。少し意地が悪いかもしれないが、結婚前の身でそう易々と出入りを認める気にはなれない。
「君は娘のどこが気に入ったのかい?」
マンションの下りのエレベーターの中で、そんな質問をこの男に投げ掛けてみた。
我ながら意地悪な質問かもしれないと思った。
「……」
数秒の沈黙の後、
「…『面白い目ね』って言われたんですよね、初めて会ったときに」
彼は微笑みながら静かにそう言った。
「自分は人からの第一印象がどうも良くないようで…。彼女だけなんですよ、いきなりそう言ってくれたのは」
「……そ、そうなのかい」
本気でそう言っているかはどうか分からないが、私はどこか見透かされたような気がして返す言葉に詰まってしまった。
「それよりも、彼女の話が聞きたいですね。小さい頃の話とか」
「それならとっておきの話があるよ」
娘の話なら父親として応えなければならない。あのお転婆姫のエピソードは事欠かないからだ。
「それは是非聞きたいですね」
「あれは娘が幼い時に連れていった遊園地でね…」
どこか気まずさを誤魔化すように私は彼に話し掛けるのだった。
××××
私は娘のあらゆる行事に参加しており、地域でも会社でも有名人となっていた。
娘との時間を確保するため私は仕事から一切の無駄を無くし、効率性重視で定時退社を当たり前とした。私がそうしていると社内の雰囲気が明るくなり徐々に業績も良くなっていった。効率化に繋がることなら私が全て許可したのもあるだろう。いつの間にか「働き方改革、実践企業」として内外から評価されるようになっていた。
地域では空いた時間で娘の小学生のPTA会長も行った。娘が行事に必ず来る父親が私くらいで恥ずかしいというので「父親の会」を結成し、他の家庭の父親が参加できるような機会を増やしていった。今では地域の行事を全て仕切る組織まで成長している。
ただ仕事に打ち込んでいた若かった日々より、明らかに私の人生は充実していた。これも全て、あの時私を導いてくれた妻と娘のおかげだ。
ならば私は全力で家族の幸せを第一としなければならない。特に娘の結婚ならばその相手を十分に見極めるのは父親である私の責務だろう。
だが、娘の理想の結婚相手とは何なのだろうか?
世間一般論からすれば社会的な地位の高さや家族を養える経済力、加えて外見や性格の良さ等が該当するのだろう。最近では家事や育児への理解や協力といったものも挙げられるだろうが。
やはり私の世代からすれば、娘にとって頼りがいがある人間なのか?に尽きると思う。
××××
比企谷と名乗る青年と出会ってから幾日か過ぎた日にそれは起こった。
「私たちの結婚に何の文句があるのよ!比企谷くんに失礼でしょう!!」
娘が私の叔父に対し怒りを上げたのだ。
法事にて親戚一同で集まり、料亭で食事をしている際の出来事だった。
娘が怒った相手は私の叔父で親族の中でもクセのある人物だった。面倒見が良いところがあるのだが、裏を返せばお節介と言うか、親戚の出来事に口を出さずに要られない性格をしていた。
親戚一同が集まるとのことで婚約者として紹介しようと彼を呼んだのだが、初見だった叔父が一言二言小言を彼と娘に言ったらしい。普段なら簡単に聞き流す娘なのだが…。
「比企谷くんに謝ってよ!」
怒鳴られた叔父も含め、みんなが呆気に取られている。こういう場ではいつも笑顔で親戚の相手をしている娘が突然怒ったのだから。しかし彼への失礼とも言える態度には私も不快を覚えていたので娘を応援したいとも思った。
すると彼が娘に近づき耳元で何やら呟いた。
途端に娘はその場に座り込んでしまった。真っ赤になった顔を両手で押さえている。
「おさわがせしてすいません。また改めて挨拶申し上げます」
落ち着いたよく通る声で彼は叔父に頭を下げる。叔父はばつが悪そうにしていたが、何とかその場は落ち着いたようだ。
「しかし、どうやってあの状態の娘を黙らせたのかね?」
帰り間際にこっそり彼に尋ねてみる。娘は一度怒るとなだめるのが大変だったはずだが。
「いや…その…」
珍しく言い淀む彼だったが、
「オヤジ…いえ父が母に似たようなことをしてたことがあったので…」
「何か特別な言葉とかかな?」
「ええ、まあ…」
「それはー「あなた!そういうのはいろいろ聞かないの!」
妻から諭されることになった。ただ、頭をかきながら、照れくさそうにしている彼が珍しかったのである。
ちなみに、後日娘に聞いても顔を真っ赤にして怒られるだけであった。
そう言えば彼がご両親のことを話したのは初めてだったような気がする。どんなご両親なのだろうかとても気になるところだった。
何だかんだ言いながらも私は彼のことを初めから認めていたのだろう。
なぜなら、
自分の最愛の一人娘が、
満面の笑顔で連れて来た相手なのだがら。
××××
人前式は無事に終わり舞台は披露宴に移っていた。
終盤に恒例の新婦から両親への手紙が読み上げられる。
手紙の内容は、自分にかまいすぎる父親を恥ずかしく思い、そっけなくしていた時期があったことへの謝罪と、自分が社会に出て家族のために時間を作るのがいかに大変か分かり、改めて私達への尊敬と感謝を抱いたこと。そしてそんな親に自分達もなりたいと彼と誓い合ったことだった。
私は自分のハンカチでは足りずに、妻が差し出す分まで必要になっていた。
今日という日を迎えられたことに感謝をしたい。
私は何と幸せ者だろうか。
今まで見たどんな笑顔よりも輝いている娘と、
そんな娘を愛おしそうに見つめる彼を目にしながら、
改めてそう思った。
そして披露宴は終盤となり、司会のアナウンスが告げる。
「では最後に両家を代表して」
私たちの隣では、
よく似た目を持つ親子が目線を交わしている。
その光景に思わず頬が緩んでしまい、
こう思ったのだった。
「新郎の父、比企谷八幡よりお礼のご挨拶がございます」
やはり彼らの目は特徴的である、と。
××××
それは、ある日の娘との会話だった。
「ただいまー。今日はすんごい緊張したよ~」
「比企谷君のご家族と初めての会食だっだのだろ?どうだった?」
「お義母様はすんごい美人でとても気さくな素敵な方だった。仲良くやっていけそう!」
「そうか、それは良かった。嫁姑は難しいからな…」
「お義父様はとても面白い方だったよ!それに彼ととても目元が似てるんだよ」
「それはそれは」
「後ね、彼の叔母様もすんごい美人で会社の社長さんなんだって。なんか迫力がすごくて緊張しちゃったよ。ちなみに名刺もらっちゃった」
「えっと、雪ノ下建設って、県下有数の大企業じゃないか!彼はオーナー関係者になるのでは…」
「へーそうなんだ。なんか元々彼のお義母様が跡継ぎみたいだったけど、妹である叔母様に譲ったんだって」
「そ、そうなのか。しかし、うちみたいな普通のサラリーマンの家系で大丈夫なんだろうか?」
「別にいいんじゃないかな?比企谷くんのところは会社とあんまり関係ないみたいだし」
「それに私、叔母様にも気に入られたみたいだし。『何かこの親子で困ったことがあったらいつでも私に言いなさい』って。何故か彼とお義父様も困った顔をしてたんだけど」
「それは一体?」
「どうも彼の叔母様には頭が上がらないって感じかな?」
「そうなのか。比企谷君は大抵のことには動じない印象だが」
「普段の澄ましている顔もいいけど、ああいう困った顔も、また可愛いんだよね~」
「はいはい、ご馳走様」