『H』 STORY   作:クロカタ

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八神はやての場合

八神はやては強かな少女である。

 幼い頃に両親を亡くし、天涯孤独の身である彼女は両足が不自由という己の境遇を悲観しつつも、前を向きでき得るかぎり悲しさを表に出さないように日々を過ごしていた。

 

 一人だけの生活。

 

 齢9歳の子供には厳しすぎる環境に慣れてしまった彼女だが、病院の先生や援助してくれる親戚らしき人の助けもあり、足の不自由さも気にならないほどには生活できるようにはなった。

 

「………あ、もうすぐ誕生日かぁ」

 

 そんな彼女はふと自分の誕生日に気づいたのは近くの薬局に切れてしまった薬と日用品を買いに行った時のことだった。今の今まで気づかなかった自分に苦笑しつつも、誕生日のことについて彼女は考ようとして……すぐに考えるのをやめた。

 どうせ祝ってくれる身近な人なんていない。

 親もいない。

 友達も学校にいってないから居ない。

 だから……たった一人だけの誕生日なんて空しいものでしかない。

 

「………っとと、今日は少し風が強いなぁ」

 

 店の前で少し風に煽られながらも店の中に入り小さなため息を吐く。、

 店に入ったら日用品を器用に膝に載せを前に進める。最初は不自由と思っていた買い物も慣れればお手の物、最近はなんでも一人でできるような気持ちになってはいたが……やっぱり一人だけというのは虚しいなぁ、と何気なく思いつつ車いすを進めていくと……薬局の一角で一人の少年を見つけた。

 

「んー?」

 

 特段これといって特徴のある少年ではない。

 耳にかかる程度の長さの黒髪、近くの小学校の制服とリュックを背負っている。何処にでもいる普通の男の子に見えた。

 そんな彼は彼女の視線の先でじっと座り込んで商品を手に取りずっとそれを注視していた。

 彼が見ていたのはシャンプーだった、薬効効果のあるようなシャンプーで、しかもそれはなんというべきか……髪が気になる人向けのものだった。

 何をやってるの?と素直に彼女は疑問に思った。

 

 お父さんに買ってあげるにしては随分とパンチの利いた代物だ。買ってあげた次の日までずっと落ち込んでもおかしくない。かといって目の前の彼が使うとも思えない。

 興味本位で見ているのかな?いや、吟味するように見ているあたり購入しようか迷っているということもある。どちらにしろ、はやての興味を引くのに十分な子だった。

 

 普段は他人に迷惑をかけないように行動している彼女だが、この時だけは異様な行動力を見せた。理由は彼女自身も分からない、誕生日という特別な日に少なからず自分も影響されているということかもしれない。

 

「ねぇ、そこの君なに見てるん?」

 

 声を掛けてみるも無反応。それほど没頭して選別しているのか、見方によれば凄まじい子供と思えるが、そんな事関係なしにそっけない態度をする少年がはやては少し気に入らなかった。

 

「ねぇってっ」

 

 手を筒の形にして、ちょっと大きめの声で耳元に声を投げかけると少年はようやくこちらに気付いたのか、ビクッと猫のように全身を振るわせて振り向いた……のだが、何故か頭に手を置いている。

 

 まるで自らの髪を守る様に頭部をカバーする少年に少しばかりの不信感を抱いた彼女だが、まさか同い年の少年がその頭部の下に地雷を隠しているとは露知らず、ようやくこちらに反応を示した彼によっと片手を上げ挨拶する。

 

「こんにちわぁ、さっきから熱心に育毛剤を見ているようやけど。どうしたん?使うん?」

 

 そう質問すると、驚愕したように目を丸くする少年。

 質問したはやてからすれば、親に送る?プレゼントなのかと言外に聞いただけでこんなに驚かれるとは思わなかった。

 なんだろうこの子、反応が面白い。

 少年からややミステリアスな気配を感じとった好奇心旺盛な彼女は何時にもなく積極的に少年へのコミュニケーションを交わそうと試みる。

 

「君、名前なんていうん?」

 

 そう聞くと、彼は『いずはらゆくえ』と名乗った。珍しい名前だなぁと思いながら、自分も自己紹介しつつ、彼がさりげなく隠そうとしている育毛剤の一つに目を移す。

 

 謎の気配……というほどのものではないが、興味がそそられる事には変わりない、思いつつあったはやてだが、自分が目の前の少年に対し結構不躾な事に気付き未だに困惑してるユクエに向き直り、慌てて弁解するように口を開く。

 

「あ、あー、ちょっとここで買い物してたら君の姿を見かけて、気になっただけなんよ」

 

 幸い彼はそこまで気にしていなかったようで納得したように頷き、立ち上がると彼はさりげなく後ろ手に持った育毛剤を持って流れるような動作でレジに持って行こうとする。

 

 あまりにも流麗な動きに反応が遅れたはやては何故か、後方へ通り過ぎようとした彼の腕を思わず掴んでしまった。

 

「……何か?」

 

「いや、なんとなく」

 

「離してくれ」

 

「な、何でそんな声震えてるの……?」

 

 手を掴んでいるこちらが悪いのは分かるけども、挙動がおかしい。

 訝しげな眼で見つめて来るはやてに、諦めに似た空虚なため息を吐き出した彼は、はやての掴んだ手を優しくほどきポケットに手を入れ財布を取り出した。

 財布を取り出してどうするの?と思うはやて、だが彼が財布から千円札を差出した瞬間、呆然とする。

 

「すいません……これで勘弁してください……」

 

 …………。

 

「カツアゲじゃねーよ!!」

 

 予想外すぎる彼の行動に思わず標準語になってしまう。

 何だこの子どんだけ深い闇を背負ってんねん!そこまで守りたいか親のハゲを。どんだけ切羽詰っってんねん!!―――と心の中でツッコみ切れない声を堪えながら、差し出された千円札を彼に押し返す。

 自分をカツアゲか何かと勘違いしている無礼さはこの際目を瞑ろう、理由も無く彼を止めてしまった自分も悪い、でも行動があまりにも素っ頓狂過ぎないか?

 押し返された千円札を震える手で財布に戻した彼は、もう片方の手に持った育毛剤を棚に戻す。はやてとしてはただ育毛剤を買う理由が知りたかったというだけの単純な好奇心だったのだが、ここまでの事をされると逆に気が引けて来る……というよりここまでされる理由を訊くのが怖い。

 

 名残惜しそうに育毛剤を見ていた彼。

 だがその次の瞬間、彼の瞳に涙があふれ出した。

 

「………ッ…………………ッ」

 

「へ?う、うわっ……何で泣くん!?」

 

 歯を食い縛り必死に嗚咽を漏らさないようにし、上を向き男泣きしているユクエの姿は異様の一言に尽きるのだろう。しかし、この状況で最も困惑しているのはユクエではなくはやてである。

 彼女は、君の父親は育毛剤送らなくちゃいけないほど深刻な頭髪環境なんか!?という喉にまで差し掛かった台詞を必死に飲み込みながら、あわあわと周りを見ながら慌てる。

 

「え、ええええ!?何で泣くん!?ちょ、ちょちょちょちょこんな所で泣かないで!外っそう!外に出よう!」

 

 訳が分からないが、泣いている子をこのままにはしておけへん。

 はやてはユクエの手を掴み、もう片方の手で車いすを押し店の外へと彼を連れ出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「大丈夫?なんかごめんなぁ」

 

 商店街近くの公園のベンチにまで彼を引っ張っていき向かい合うような形でベンチに座らせた彼に、申し訳なさそうにはやてはそう言った。

 公園に移動する途中で泣き止んだ彼は、謝るはやてに慌てて謝り返しす。

 その慌てた様子にくすりと笑った彼女は、車椅子の向きを彼に向ける。

 

「何で、あれが欲しかったなんてもう聞かない。誰にだって触れられたくないものはあるのは私はよ~く知っているんよ」

 

 家族の事や車いすの事。

 気軽な善意に任せて人の心に土足で入って来ることは、気持ちの良い物ではない。

 なにより、彼が抱えている問題はなんとなく察しがついていた。

 

 お父さんの髪が薄くなっている事。

 きっと自分と同じくらいの年の子がヤバイと思う程にヤバいのだろう。自分にはよく分からないが、親の恥ずかしい所は自分も恥ずかしく思うらしいのでそれだろう。

 

「……俺の、愚痴を……聞いてくれないか」

 

 不意に俯きそんなことを訊いてくるユクエ。

 その言葉にはやてはどうするべきかと逡巡するも、彼の言葉を訊いてみる事にした。

 

「夢で、よく見るんだ……もし、この現実で失ったものが、元通りになって……本物になって、全て元通りになっている夢を……でも、それがどうしようもなく現実みたいで、それでもそう思えなくて……俺はどうしようもなって……それが、とても虚しくなる」

 

 俯いたままポツリポツリと吐き出した彼の言葉にはやては絶句した。

 彼に何があったのか、自分と違い傍目には普通の少年に見えるがその言葉には色々な意味が込められているようにも思える。

 

「虚しくなって、もう手遅れだって。もう戻らないって、そんなのは目が覚めた時にはもう分かっている筈なのにっ……でも、だとしても諦めきれないじゃないか……だって、そこにあったんだから……確かに其処に存在していたんだからっ……でも、神様は俺をこんなに嫌っている」

 

 感極まった彼が俯きそう慟哭したその言葉ははやての心を大きく揺り動かした。

 彼の言っている事は、彼女にとってよく理解できるものだった。

 だからこそ、彼女は―――

 

 

「上を向いたら、いいんや」

 

 

 失くしたものに囚われるのは一番駄目だ。

 自分はまだ抜け出せていないかもしれないが、人よりも低い視点にいるからこそ何時も前を―――上を向いて生きている。

 失ったものは、取り戻せない。

 在るものだけが自分を助けてくれる。

 

「私も、そうしてるから」

 

 数秒ほどの沈黙の後、顔を上げた彼は憑き物が落ちた様な表情で、はやてに「ありがとう……」と言う。

 たった一言二言しか言っていないはやては、今頃自分が言った言葉の気恥ずかしさに気付き少し顔を赤くさせる。

 

「そ、そういえば……君が買おうとした育毛剤って、あまり効果ってないんやってなぁ」

 

 あまりにも苦しい話題転換。

 先日、どっかのバラエティ番組に話題として挙げられ、先程ユクエが育毛剤を買おうとしていたという事もあり何気なく出した話題。

 はやてとしては照れ隠しのようなものだったが、ユクエにとっては意味が違った。

 

「…………え」

 

「髪を生やす効果はそれほどないって聞いたけど……でも、さっきみたら結構な値段だったし……むー、どうなんやろうなぁ」

 

 ユクエとしては育毛剤は最後の最後の手段の植毛の前段階に位置する手段であったが、それが効果がないと言われ白目を剥き能面のような表情になるも、すぐにその表情を苦笑いに変える。

 

「は、ははははは………」

 

 複雑すぎる心境だが、はやてと話して少し心が軽くなった彼はそのまま立ち上がる。

 そろそろ時間も遅いし、帰りにお使いを頼まれていたのでそろそろ行かなければならない。

 

 それに―――少し風も強くなってきた

 はやてにその旨を話した後に返ろうと踵を返す―――その前に。

 

「じゃ、また会おう八神」

 

 自己紹介をした間柄なので別れの言葉を言っておく。

 彼の言葉にはやては少し衝撃を受けた様に面を喰らったその後に笑みを浮かべ手を振った。

 

 夕暮れに染まった公園ではやてに背を向けて帰路へ戻るユクエ。

 結局は育毛剤を買う事ができなかった。

 だが―――彼はもっと大きなものを得る事が出来た。

 それはお金で帰るものでも、ましてや形のあるものでもないたった一つの言葉。

 ―――上を向くこと―――

 少し、自分は頭の事ばかりを気に過ぎていたかもしれない。今、この時から頭ばかりを抑えていないで心を軽くしておこう。

 

 晴れ晴れとした心境の中、ユクエは橙色に染まった空を少し見上げるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかし、そんな甘い話しで終る筈も無く。

 機をてらったかのように、自然が彼に牙を剥いた。

 穏やかに見えた公園に突如として突風が吹き荒れ、無防備な………頭に手を添えず若干斜めの状態にある彼の頭部に荒れ狂う風が直撃し、風の波に一房のヅラが乗った。

 

 風の波に乗りくるくると回転しはやての膝元に落ちるヅラ。

 はやてに背を向けたまま硬直するユクエ。

 そんな彼の頭とひざ元に落ちたヅラを目を見開き交互にガン見するはやて。

 状況はあまりにも最悪の一言に尽きた。

 

 はやては思った。

 これ、マジモンのアカンやつやないの?と。

 そして理解した。彼が育毛剤を購入しようとした訳を、断じて父親の為に買ったものではないと。

 気まずっ、なにこれどうしたらいいんや?もうこれアウト、セーフって言い張っても無理なレベルのアウトなんやけど。というよりこの子の心の闇が完全に分かってしまった……ッてかヅラキューティクルぱない。

 

 もうすぐ齢9歳になるはやてに訪れた人生最大の試練。

 まさかそれが今日会ったばかりの男の子の最大の秘密を知る事とは露とは思わなかっただろう。

 だからこそ、混乱した。

 

 未だに動かないユクエを見る限り、もう自分にばれてしまった事は決定しているものなのだろう。

 だが、まだ自分はあまりの衝撃で声も出せていない。

 

「あ、うーん……まったくもぉ、今日は風が穏やかって聞いたのになんやもう目が痛いわぁ……ユクエくん、大丈夫やったかぁ?」

 

 さりげなくヅラをやさしく地に落とし、わざとらしくも目をこするはやて。

 その言葉に体を震わせ振り向いたユクエは、目を擦っているはやての前に落ちているヅラを見て、息を吞んだ。瞬時にヅラを拾い上げ頭に装着した彼を見て、指の隙間から見えていたはやてはなんだかとても悲しくなった。

 

 

「は、ははは、今日は風が強いからな。あ、あはははは……大丈夫かー!」

 

 

 もう、なんというか……頑張って。

 地面に落ちた時についた砂埃がびっしりと張り付いヅラを見たはやてにはそんな言葉位しか思いつかなかった。

 

 何原行方、なんて少年なのだろうか、自分が見るファンタジー小説に出る苦しい運命を背負った主人公――――と言う風なシリアス過ぎる運命ではないとは思うが、色々な意味で十分に厳しい運命を背負った少年だろう。

 先程の風の衝撃も収まり、今度こそ別れの挨拶を交わそうとした時、はやては意を決したようにもう一度の別れの言葉を言おうとした彼よりも早く手を上げる。

 

「あの……また、なぁ……ユクエくん」

 

 なんだか力になってあげたい。

 こんな自分でも何か力になれるならばなってあげたい、今度はちゃんと彼に別れの言葉を言い渡した彼女はそう思うのだった。

 





更新が遅れてしまって申し訳ありません。
なろうの方と、リアルの方が少し忙しくなってしまったので他の作品の方も少し更新が滞ってしまうかもしれません。

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