Green travelers ~ The another seed ~   作:VSBR

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第十話  人の深層

 交渉団を乗せた飛行機が慌しく飛び立っていく。電撃的なクルディスタンの独立交渉を取りまとめた連合の特使は、トレランシアに形ばかりの挨拶をすると現在連合本部が置かれているダブリンへと引き返した。

 現在ムスリム共同体を含めて周辺の治安情勢は極めて悪く、不測の事態が起こる可能性は捨てきれない。せっかくまとめた話を、連合特使襲撃事件などという形でご破算にしてしまうのは避けなくてはならない。

 リリトはその飛行機の姿を眺めていた。

 トレランシアが停泊しているガルナハン近郊のユーラシア軍基地も、基地施設に大きな損害が出ている。多少でも修理が出来ると考えていた整備班の当ては、大きく外れていた。既にユーラシア軍は撤退の準備を始めており、トレランシアの出発に合わせて、基地を引き払う予定となっている。

 そのため、今基地に立っているMSは、つい一昨日まで独立派と呼ばれていたクルディスタン共和国軍のMSである。連合の制式機やザフトの旧式が混ざる陣容に、背後関係の複雑さがうかがえた。

「あんま考え込むなよ」

 視線だけ向けた先で、ヒューが白い歯を見せている。差し出されたコーヒーを断ると、彼はそれを一気に飲み干した。リリトは小さく肩を落とす。彼のような人間を、典型的な大人と言うのだろう。

「考えずに済む事なんてありません」

「出来ない事を考えても意味ないぜ」

 どんな事情があったにせよ、クルディスタンでの内戦は終結し、その独立は認められた。トレランシアがそのために必要な役割を果たした事は、紛れも無い事実であろう。もしかしたら存在し得たかもしれない最善の方法ではないにせよ、現実には最悪の状況を脱しているのだ。

 ベストを選択できるまでワーストを放置するのは、許されない潔癖さである。その潔癖さは若者の特権かもしれないが、それは時として若者自身を傷付ける。今の彼女は、そんな状態なのだろう。

 ヒューは手にしていた資料をリリトに渡す。MS隊の中で唯一五体満足で戻ってきたグラティアのデータと交戦記録である。蛍光ペンでマーキングされている場所があった。

「アジズさんが言ってたぜ、何者なんだってな」

 コーディネーターパイロットの平均反応速度をはるかに上回る数値が随所に見られる。またコクピット内部の慣性重力は、瞬間最大で25Gまで出ていた。前の大戦でアジズが受け持っていたコーディネーターのパイロットでも出さなかったような数値を、リリトは幾度となく出しているというのだ。

 リリトは顔をしかめる。数字だけはごまかしが利かない。あの翼付きを相手に、そんな事を考える余裕はなかった。

 窓に視線を向けて、何も言わずに資料を返す。ヒューの大仰なため息を聞きながら、その足音が遠ざかっていくのを確かめる。手が小刻みに震えていた。彼女は自嘲する、自分の体はどこまでも付いて回ると。

 

 半壊したリベルとフォルトゥーナは、ハンガーに立てかけられているだけで整備はなされていない。換えの部品がないため、修理どころの話ではないのだ。だが、コクピット周りに損傷が無いため、そこをシミュレーター代わりにして訓練が出来る。フィジェはコクピットに篭っていた。

 正面モニターに映るのは、グラティアの戦闘データから構築された翼付きの画像。急ごしらえとはいえ、その動きはかなり正確に再現されている。アラームが背部ビームの損傷を知らせる。

 とっさに機体を地面に伏せさせようとするが、その時には既に腹部に致命的な損傷を受けた事を示すランプが点っていた。フィジェは奥歯を噛んで、再びシミュレーションを始める。

 機体がトレランシアに回収された時、彼はタルハとユンディにシミュレーションプログラムの作成を頼んでいた。そして今日は朝から組みあがったプログラムでシミュレーションを繰り返している。すでに撃墜された回数を数えるのは止めていた。

「耐G設定をあげてくれ」

「あんたの耐G能力は18で十秒よ。それ以上の数値を出した事ないでしょ」

 ユンディの声は少し苛立っている。朝から休みなしで付き合わされているのだ、それも当然だろうと思う。休むように言う事もはばかれる雰囲気なので、タルハは何も言わずにいた。あそこまで見事にやられれば、悔しさの一つ二つはあるに違いない。ザフトの赤服は伊達ではないのだ。

 だが、手元のディスプレーに映る映像を見ていれば、何度やっても勝てないのではないだろうかとも思う。それほどまでに翼付きの動きは圧倒的なのだ。リリトがそれを凌いだ事の方が奇跡なのだろう。

 ユンディがつぶやくように、リリトの順位を知っているかと問いかけた。

「・・・六位じゃなかったか?」

「八よ、六はフィジェ」

 それ以上の問いかけはしなかったが、タルハにはその意味するところが分かる。彼らも、グラティアの先の分析資料は知っているのだ。画面の中でリベルが両断された。機体爆発の表示が出たため、翼付きのプログラムを修正する。

 コクピットを狙わないだけではなく、機体の爆発を誘発するポイントへの攻撃もしないようにしておかなくてはならない。その修正でリベルが勝つ可能性が上がるとも思えない、ユンディはそう言ってキーボードを叩く。

 コクピットの中から聞こえてきた音は、モニターの強化アクリルを殴りつける音だろうか。

 

 チンシャーレンの全身が光る。全方位に対して放たれるビームを、至近距離でかわす事などできるはずが無い。だから翼付きは、ビームサーベルでビームを弾いていく。ありえない方法で距離を詰められたチンシャーレンは、たまらずに後退する。入れ替わるように赤い機体、チーシャーレンが飛び込んだ。

 赤熱する鉤爪、高周波振動する伸縮自在の手足、全身から飛び出すビームサーベル。そんな斬撃の嵐を二本の腕で凌げるはずが無い。だから翼付きは、ギリギリの間合いを保ったままで射撃を続ける。決して近づく事のできないその距離に、チーシャーレンは焦れる。

 チンシャーレンの砲撃がなければ迷わず飛び込んでいるだろう。コクピットの中でインが叫ぶ。

「邪魔すんな!」

「こっちの台詞だ!」

 モニターの中を無駄に動き回るチーシャーレンが、射撃センサーへのノイズとなっているのだ。ほとんど動かないというのに、どうしても当らない攻撃にヤンは砲弾の種類を変更する。

 だが、散弾ではPS装甲に対して効果がない。モニターを揺らすインの笑い声に、ヤンは砲撃の密度を上げる。そして、翼付きの背後にいる戦艦も標的に加えた。戦艦を守るように移動する翼付きに、チーシャーレンが絡む。

 インはモニターに増えていく表示に苛立ちを募らせていく。チーシャーレンの全身に仕込まれたビームサーベル搭載アームが、少しづつ減っているのだ。苦し紛れに放つ頭部レーザーキャノンもあっさりとかわされ、あろう事か一発のビームライフルでそこを破壊される。

「どこまでもフリーダムかぁ!」

 懐に飛び込めたと思った時には、完全に誘い込まれていた。インはリアクションを取るよりも早く、機体が吹き飛ばされる衝撃に体を揺さぶられている。激しく揺れるモニターに映ったのは、全てのウェポンブロックを破壊されてみすぼらしい姿になったチンシャーレンの姿だった。

 悠々と去っていく翼付きの姿に、二人は捨て台詞を吐くのが精一杯だった。回収艇を降下させるという冷ややかな声に、二人は通信機のスピーカーを叩き壊した。

 

 休む暇も無い、それは休みを知っている者の言葉だろう。休みそのものが存在しなければ、そのような言葉に意味はない。カヲ・ツォピンは機上の人であった。厄介な案件をいかに処理していくか、目をつぶっていても考える事はそれだけである。

 今も、その厄介な案件が増えたところだった。目の前に座るのは、連合の国際金融監視委員会のソン・チョルスと名乗った人間だ。上海第七銀行が所有する自家用飛行機は、その内部に会議のためのスペースを設けている。

 その男は次の資料を差し出すが、カヲは目を通さなかった。早い事、結論に移って欲しいと思う。

「どれも複雑な経路をたどってはいますが、その出所は絞られてきた」

「そのうちの一つがウチだと」

 代りに結論を言ってやる。カヲにとっての失敗は、連合が組織横断的な活動を行っている事を軽視していた事だった。国際金融監視委員会は、金融市場を睨んでいるだけではなかったのだ。

 おそらくは、常設軍事委員会の肝いりで作られた紛争介入部隊の側面支援を行っているのだろう。地球圏安定化に向けた連合の動きは、本格的なものであるらしい。連合は、テロ組織を資金面からも捉え、封じ込めようとしているのだ。

 上海第七銀行は、市場において当局の網にかかるほど間抜けな商売はしていない。ルールにのっとった経済活動こそが、利益を生むのだ。それを逸脱したロゴスやターミナルがどうなったか、それは語るまでも無い。

 上海第七銀行の商売は基本的に「人の金を増やす事」だ。その人の金が回り回ってテロ資金になったと言われても、責任を負えるものではない。ましてや直接的な資金ではなく、複雑な投融資関係を通じた極めて間接的なものなのだ。よく調べたものだと思うし、今後は連合の金融当局の動きにも注視しなければならないとは思う。

 だが目の前の男が何を要求してくるのかが、いまいちつかめない。

「我々としても、上海第七銀行へのペナルティなど考えてはいません。ただ、テロ組織封じ込めのために協力を仰ぎたいのです」

 丁寧な物言いだが、恫喝でしかない。顧客に関する情報の横流しを要求してきたのだ、それも拒否すればどうなるかにさりげなく言及して。

「金融屋は、町の金貸しとはちがいます。信頼関係とは秘密の厳守のみが作り上げるものです」

「健全な市場を維持するための条件です、それは承知しています」

 引き下がる気はないということだろう。カヲは窓の外に視線を向けた。手元の資料には、世界各地の独立紛争における反連合勢力の資金ルートが示されている。その中には、大天使と呼称されるテログループの名前もあった。

 各地の独立勢力に軍事的支援を行う謎の集団、二年前の南アフリカ統一機構崩壊や先日のクルディスタン共和国成立にも関わっていたという勢力である。その組織は、カヲが現在抱えている最大の案件にも深く関わっていた。

 視線を戻したカヲは、ため息をついた。政治的案件、アングラ案件を受け持つ第三融資部としては、連合との取引も行わなくてはならないということだろう。レフェリーが認める反則は、もはやルールなのだから。

 

 エンジンやスラスター周りの損傷は軽微であり、トレランシアはすぐにでも動ける状態だった。しかし、ここからリヤドまでは直線距離で約1000キロ。リヤド基地の制空権内に入れば攻撃を受ける可能性も低くなるとはいえ、武装の半数以上を失った状態で飛ぶのは、不安である。

 だからといってどうなるわけでもないが、ゴネるくらいしなければ気がすまなかった。ダブリンとの交信を続けるレセディのきつい口調が心地よい。モニターに映るルチアーノ・プレスも、さすがに余裕の無い顔をしている。

「今後は、このような作戦が無いように願います」

「当然だ、約束しよう」

 ルチアーノにそこまで言わせるというのは、多分すごい事なのだろう。口にはしないが、マーカスはレセディに喝采を送る。彼女の報告を聞くと、アンカラからウェルガー三機が送られて来るそうだ。それを受け取り次第、出発という事になった。

 艦とレガリスシリーズの三機は、リヤドで修復の準備を進めておくという。到着しだい修復に着手できる手はずとなっていた。

 報告を終えたレセディに席とお茶を勧める。疲れたというように席に着いた彼女は、ゆっくりとカップを傾ける。

「何か?」

 彼女の言葉に、マーカスは視線を戻す。見とれる分には良いが、それ以外の事となるとやっぱり苦手な人だと思う。彼は、視線を向けることなく尋ねた。

「スターム少尉ですか? ・・・子供です」

 僅かにあいた間に、マーカスは彼女の苦衷を察する。今回のカシアの言動に対して、レセディは懲罰を提案しなかったのだ。カシアの言葉は、正しい憤りだ。キャプテンシートに座っていれば、嫌でもそう思う。

 計画書に書かれたものを見たときは、よく出来たシナリオだと感心もした。現在は混乱が残るクルディスタンの情勢も、早期に収拾に向かうであろう。結果だけ見れば、連合外交の勝利である。

 だがその現場に居合わせれば、その勝利も茶番に見える。いや、現に茶番だったのだ。

 地球連合緊急即応部隊、それ自体が政治的な存在であったとしても、その政治とやらのために命を張る事は難しい。国家というイデオロギーを超越した場所で活動する彼らには、国家を超越した物語が必要なのだ。命を張るに値する物語が。

 カシアが見せた涙は、その物語の不在を嘆く涙である。それを子供だと切って捨てる事はたやすい。では大人は、何に対して命を張るというのだろうか。マーカスは、その問いを胸にしまっておく。

 

 アカデミーに入った動機は、割の良い奨学金があった事と寮があった事だ。農業技術者として一年おきに引越しを繰り返していた両親も、腰を据えて勉強が出来ると賛成してくれた。アカデミーから民間への就職は珍しい話ではなくなっており、絶対にザフトに入るという動機は持っていなかった。

 今トレランシアのブリッジにいるのは、旅行中の事件が原因であり、他の選択肢が無かったからに過ぎない。最初の頃は、就職先が見つかった程度の考えしか無かった。

 だから、自分の反応には少し驚いている。ただ状況に流されて今の場所にいるに過ぎないのだから、この部隊がどのような行動を行おうとも淡々と自分の仕事をこなせるものだと思っていた。仕事とは多かれ少なかれそういうものだと思っていた。

 だが、実際は違った。

 「死」と「殺」に満ちた戦場に、淡々とこなせるような仕事は無かった。敵の只中に飛び込む友人達を、単なる仕事として送り出す事など出来なかった。

「そういうことなの・・・リリト」

 ベッドの上で丸くなりながら、カシアは煩悶する。

 彼女達が機体を破壊されていたまさにその時、外交交渉とやらが行われていた。それがどういう形で決着するかは、始める前に既に分かっていた事である。それにもかかわらず戦闘が始まる前に交渉を行わず、あらかたの戦闘が終わり多くの犠牲者を出した時点で交渉を妥結した。

 交渉の妥結を持って外交的勝利と言えば、その犠牲者は尊い犠牲者になるとでも言うのだろうか。紛争を解決するために、紛争の阻止を放棄する事は、矛盾ではないのか。カシアは起き上がる。

 脇に置いてある鏡を見ると、酷い顔が映っていた。シャワーを浴び、髪を梳かし、服を着替えて、目立たない程度に化粧をする。そして、笑顔を作ると部屋を出た。

 いつだったかリリトに、この部隊の事を「正義の味方」と言った。その時は当然冗談のつもりだった。軍と正義が直結しない事くらい、分かっているつもりだった。ザフトの人間として連合軍に参加する、いずれにせよ彼女は、正義の味方ではなく軍人を選んだつもりだった。

 だが、実際は違った。

 希薄な自覚と曖昧な覚悟で戦場に放り込まれた彼女は、軍人ではなく正義の味方を選んでいた。そうでなければ「死」と「殺」を直視などできなかった。だから、今回の作戦が許せないのだ。

 回避できたはずの戦闘を回避しなかった。避けられたはずの犠牲が出てしまった。それは正義ではない。軍人ならば、作戦の政治的成功に満足するだろう。だが、彼女はそうではない。

「だったら・・・どうすればいいの」

 その疑問は、彼女に選択肢を与える。今度は流されるのではなく、自分で考えなくてはならない。胸の奥に、形にならない思いが渦巻くのが分かった。それはきっと、リリトの苛立ちに似たものなのだろう。

 カシアは自分の頬をパンと叩くと、居住区の廊下を走り出した。

 

 広い窓から日の光が差し込んでいる。開け放たれた窓から入る微かな風がカーテンを揺らめかせ、木々のざわめきが耳を撫でる。淡いベージュの壁には小さな時計が掛けられ、その針がチクタクと時を刻んでいる。この部屋の時間は時計の針と同じように、決して前に進む事はない。

 ベッドに横たわるのは男性、その傍らにいる女性は何かを話しながら編み棒を動かしている。動くものは他にない。ベッドの男性は微動だにしない。

 もう何年も、そんな両親の姿しか見ていない。

「ほら、ただいまの挨拶は」

 母の声に、笑顔を取り繕う。苦痛に耐えながら、母の望みに応える。ベッドの上の父は、もはや見る影も無い。その父にただいまと言う声は、いつも涙に震えそうになる。だから、顔を背けて窓の外を見る。

 母が何かを話している。幼い日の事だったり、将来の事だったり、ついさっきの事だったり、色々と話してくれる。その話には必ず、父が登場する。そして話の中の父は、いつも元気だった。ベッドの上に横たわる父と、話の中の元気な父。母は、その区別をしないのだ。

 鼻から胃へと伸ばされたチューブ。切開された喉から肺へと続くチューブ。腕に刺された点滴。頭に突き立っている電極。それはもはや父とは呼べない。

 医者は言った、生かし続ける事はできるが治す事はできないと。だが医者の言う生かすとは、生命活動を機械的に維持するという事に過ぎない。機械が止まれば死ぬ、いや死者を機械に繋いで生きているように見せかけているだけだ。

 父は既に死んでいる。母だけがそれに気付いていない。

「赤服を取ったんですよ、この子」

 母の誇らしげな声に、涙がこぼれる。青い空が滲む。もしかしたら、母も死んでいるのかもしれない。

 いつだったか、母に言われて父の手に触れた事がある。母は言っていた、声を掛ければ反応を返してくれると。それは回復の兆候なのだと。だが、なんらの力も入っていない手は重いゴム細工のようで、その体温すら機械仕掛けのまやかしのようだった。

 最初の頃は、母にも分かっていたと思う。ただ、父の死を受け入れられるようになるまで延命措置を続けて欲しいと、医者には頼んでいた。なのに母は、父の死を受け入れないまま今に至っている。いつの頃から、母には父の死が見えなくなっていた。

 単に回復を信じて待っているのではない、母は狂っていた。いや、もはや父と同じ死者の側の住人になってしまったのかもしれない。

 母は今、何着目のセーターを編んでいるのだろうか。

「ちょっと、フィジェ。いい加減にしなさいよ」

 目の前にあったはずのモニターは消え、代わりに開けられたコクピットハッチからカシアが顔を覗かせている。手元のモニターには、丁度六十回目の撃墜が示されていた。彼女の示した時計を見ると、すでに昼を大きく回っていた。

 カシアが持ってきたのだろうか、タルハとユンディがランチパックを開いている。彼女は手を差し出した。

「休憩しよ」

 フィジェは自分で立ち上がると、カシアを押しのけるようにしてコクピットを出た。ランチに目をくれることなく、彼は昇降用ワイヤーを伝ってリベルから降りる。カシアが慌ててフィジェの後を追いかけていった。

 

 MSデッキに出てもすることは無い。フィジェのことは理由に心当たりがあるだけ気にかかるが、もっと心配なのはリリトのことだ。昨日の食事の時も、終始無言だった。イェレは居住区を一回りしてため息をつく。

 たまたま出会ったヒューが彼女の居場所を教えてくれたので、そちらに足を向ける。尋ねたわけでもないのに、リリトを探していると分かったのはどうしてなのか疑問のままだが。

 リリトがこの部隊のあり方、作戦の内容について、疑問や不満を持っているという事は分かるし、その考え方には理解も共感も示せる。特に今回の作戦は、イェレ自身憤りを感じるものだ。MS隊の六人は、全員死にかけたのだから。

 翼付きの介入は予想されたもので、戦闘の終結は予定通りだった。ならば、自分達がどのような目に遭うかも分かっていたはずであろう。それを隠して戦場に放り込んだのだ。文句の一つ二つでは済まない。

 しかし、今イェレが気になっていることは、リリトの考えている事ではない。あの戦闘の事だ。グラティアの激しくそれでいて無駄の無い動き。自分もフィジェも、手も足も出せなかった翼付きと互角に戦っていたのだ。

 その戦闘は、アカデミーでは考えられないレベルの戦闘だった。そしてそれを行っていたのはリリトである。

「そりゃ、赤だけどさ・・・」

 普通に緑である自分がいうのもなんだが、リリトはトップの成績ではなかった。どの分野でも満遍なく点を取るが、何かが突出して良いというのはなかった。MSの操縦に関しても、上手くはあったが凄いものではなかった。

 しかし、実戦でリリトが見せたものはその「凄い」戦闘であった。トレランシアに収容された時に、真っ先にその事を聞いたのだが、適当にはぐらかされた。そして、彼女が不機嫌になったのを感じた。

 単に激しい戦闘で疲れていただけ、そうではないだろう事は窓辺に佇む彼女の姿から見て取れる。綺麗な顔というものは、時によっては損なのかもしれない。眉を顰め、伏目がちに外を見ていても、見とれてしまうくらいだ。不意に動いたリリトの視線に、イェレは言葉を探す。

「何か見える?」

 会話のきっかけとしては最悪のチョイス。これで、リリトが考えている事もあの戦闘のことも何も聞けなくなった。だが、そんなイェレの落胆を知ってか知らずか、リリトは窓の外を指差す。

 丸い窓を覗き込むと、基地の滑走路に白い鳥が群がっていた。MSや飛行機の発進が一段落したので集まってきたのだろうか。追い払おうとしているのか、ジープが一台走っているが、鳥の群れは少しづつ場所を変えるだけで滑走路からどこうとしない。

「地球の鳥は、プラントの鳥より、自由だと思う?」

 不意の問いかけに、イェレはもう一度言葉を探した。しかし今度は、言葉を選ぶ事も出来なかった。

 

 せめて塗装くらいはと、基地の責任者は気を遣ってくれた。しかし、その後の修理の事を考えると、破損箇所は分かりやすいほうがいい。そのためトレランシアは、傷やヘコミ、火災による煤を残したまま発進の準備を進めていた。支給された新品のウェルガーを搭載し終わり、今は大破した三機を代りに搬出しているところだ。

 昼までには作業も終わり、ガルナハンを発つ事ができるだろう。アジズはウェルガーを輸送してきた人員の中に見知った顔を見つけると、ポケットから取り出した手紙を渡した。

「ご家族にですか?」

「あぁ。それとうちの会社の人間にもな」

 答えを聞いてアレナは驚きの表情をする。トレランシアの整備員の多くは、ユーラシアの民間企業から集められたと聞いていたが、まさか社長自らが社員を率いてやって来ていたとは知らなかった。

 彼らは前大戦時に、鹵獲ジンやGAT-Xシリーズを運用していたという噂だった。腕は確かに、噂に信憑性を与えるだけのものではある。だがもしそうであれば、ユーラシア軍が放っておくとは思えない。

 そんなアレナの疑問を読んだのか、アジズはさらっと言ってのけた。

「親会社がアクタイオンじゃなかったんだよ。軍に行ったのもいるが、男なら一国一城を目指すもんだろ」

 小さな下請企業から脱却するチャンスとして、ここの整備員に募集したのだという。二人が話している横を、ウェルガーを載せたトレーラーが通っていった。今では珍しくなったディーゼルエンジンが、もうもうと黒煙を吐き出す。

 それと入れ違いになるように、一台のジープがトレランシアの格納庫に入っていく。頭や腕に包帯を巻いたままの姿の女性だった。彼女は真っ直ぐにハンガーに向かい、搬入された機体の調整を行おうとしていたタラスを呼び止めた。彼は一瞬の逡巡を見せた後に、彼女を艦内へと案内する。

「艦長なら・・・」

「まず、あなたと話したいわ」

 タラスは立ち止まる。振り返ったそこには、静かな目をした女性、コニール・アルメダが立っている。彼は目をそらす。それでも、彼女の視線に気圧されるようだった。

 彼女の用件は聞かなくとも分かる。だが、彼女も答えは分かっているはずだ。だから、何も言わずに視線をそらし続けた。艦内の通路は無音のままで、遠くの足音さえ聞こえない。

 タラスはここの生まれだ。正確には分からないが、物心付いた時にはゲリラだった。連合やザフトや色んな敵と戦ってきた。それしか知らなかった。だから自治の獲得と言われても、はっきり言って意味が分からなかった。周りの大人もそうだった、喜ぶ人間もいれば、悔しがる人間もいた。

 今となっては、その理由がぼんやりと分かる。自分と同じようにそれしか知らない人間にとっては、「自治の獲得」とはそれを失う事に他ならなかったのだ。タラスが悔しがる人間の側に行かなかったのは、コニールがいたからだ。

 彼女は自治政府の設立に奔走し、ガルナハンとその周辺地域の民生安定に尽力していた。彼女に誘われる形で、彼は自治政府の治安部隊に入った。

 しかしそこで感じた事は、得体の知れない不安だった。コニールは時々、未来の事について語っていた。彼にも、それは素晴らしいものなのだろうと感じられるような未来を語っていた。それが不安の根っこであった。

 彼の見ている現実は、彼女が語る正反対の姿だった。解消されない内部対立、ユーラシア連邦の無関心、ムスリム共同体の干渉、どれも彼女が語る未来を導き出すとは思えないものばかりであった。それでも、彼女は未来を語る事を止めず、努力する事を止めなかった。

 そしてある日、自分自身を振り返った時に、何もできない自分自身に気付いてしまった。敵を倒すことしか知らなかった自分が、敵の見えない戦場に恐怖している事に気付いてしまった。

 ユーラシア軍への研修に参加したのは、そこから逃避するためである。ユーラシア軍が引き抜きを行っているという話を聞き、自らユーラシア軍への参加を希望した。MSパイロットを欲しがっていたユーラシア軍は、喜んで彼を迎え入れた。

 それ以来、ガルナハンのことは忘れる事にしていたのだ。倒すべき敵も、目指すべき場所も分からない霧のような現実の中で、視線をそらすことなく進んでいくコニールへの引け目が、そうさせたのだ。

「戻ってこないんでしょ。せめて・・・理由は教えて」

 コニールの声が胸を抉る。その静かで力強い声が怖いのだ。だから、大声で払いのけようとした。

「嫌なんだよ! お前の、そういうのとか・・・何か、全部が!」

 タラスは叫ぶようにそう言って、コニールの胸倉を掴む。そして彼女のズボンの右側を握ってずりあげる。膝から下に、若干の違和感があった。彼女の右足は義足だった。そんな目に遭ってなお、眼差しを変えない彼女を正視できないのだ。

 ガクッと力の抜けたタラスは、そのまま背を向ける。そして問いかけた。

「何で、そこまでするんだ」

「・・・私は、世界に期待するのをやめているの。だから自分で動く」

 コニールの声は固く、冷たく、どこまでも暗かった。

 それは未来への希望ではなく、現実への絶望を語る声だ。自身への信頼ではなく、他者への諦めを語る声だ。タラスが見ていたのは彼女の表層に過ぎなかった。その深層は、彼の逃避など児戯にも等しいくらいに荒んでいたのだ。

 振り返ったタラスは、離れていく背中に声を掛けることができない。トレランシアの発進時刻を伝える艦内放送が通路に響く中、彼はただ立ちすくむだけだった。

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