Green travelers ~ The another seed ~ 作:VSBR
空港ビルから見える風景は、機内から見える風景と変わらなかった。宇宙港とはいっても軍用のものであるため、それは街の郊外、砂漠の真ん中にあった。広大な滑走路を備えた空港のその向こう側には、それよりも広大なアラビア半島の砂漠が広がっている。機内から見た薄い褐色の風景と同じものだけしか目に入らない。
ムスリム共同体では、コーディネーターであってもイスラム教信者であれば保護する政策を取っていた。経済状況の悪さや政情の不安定さから、オーブのようにコーディネーターを集める事はできなかったが、それでも域内にはかなりのコーディネーターが住んでいる。そのため、リヤド宇宙港は地球軍の基地であるが、プラントから時折貨客船が降り立つのだ。
プラントへの出稼ぎに行く者や、逆に帰国した出稼ぎ者で空港はごった返していた。軍事施設であるためそれなりに厳しいチェックを受けて、男性はようやくリヤドの市街に向かう専用の鉄道に乗った。砂漠に敷設された専用パイプラインを通る鉄道だ。
列車の中ではかなり目立つスーツ姿の男性は、周囲の視線を気にしながらパソコンを取り出した。今度は飛行機の手配をしなくてはならない。
「直接、東アジアに向かった方がいいのか?」
一人つぶやきながら、リヤドを出る飛行機を探す。その男性はプラントから人を探しにきたのだ。その探している人物の足取りは、東アジアのカオシュンで途切れている。テロ事件があった場所であるが、もしも巻き込まれたのであれば逆に足取りははっきりするであろう。
ならばその人物は順調に足を進めているということになる。そうなれば向かう先は、オーブを経由してカーペンタリアというのが、通常の旅行日程となるはず。ただそれであればすでに時間的に、カーペンタリアからプラントに戻ってきても良さそうであった。
「やっぱ、東アジアのどっかを回って・・・いや、赤道連合か」
シンガポール行きの直行便を見つけたので、その予約をする。経費で落ちる事を考慮して、ビジネスクラスにしておいた。そのくらいは役得ですらない。
この広い地球を、たった一人の人間を探してあてどなく彷徨わなくてはならない仕事なのだ。本当なら手当てを倍貰わなくては割に合わない。腹立たしさとともにパソコンを鞄にしまった。
彼は尋ね人の写真を取り出す。美しい金髪をした女性、いやまだ少女に近いかもしれない。彼女が友人らとともに写った写真は、使いすぎてヨレヨレになってしまっている。また新しいのを印刷しておかなくてはならない。そこまで考えて、男性は椅子に深く腰をかけた。
パイプラインの暗い壁面は、列車の窓を全て鏡に変える。疲れた自分の顔を見る気にもなれず、彼は眠くもない目を閉じた。シャトルの中で眠らなければ良かった、などと考えながら規則正しい振動に身を委ねる。
「と、思うのよ」
「分かんない。いきなり『と』とか言われても」
唐突なカシアの言葉に、ユンディが仕方なしといった感じでツッこむ。そのやり取りに満足したかのようにカシアは本題に入った。彼女いわく、リリトの言っている事は正しいと。
「あのさ、その部分での意見の食い違いはないと思うぞ」
タルハは、すまなそうにそう言った。きょとんとした表情のカシアに、ユンディが説明する。今問うべき事は、自分達を取り巻いている状況の善悪ではなく、その状況の中で自分達がいかに振舞うかという事だ。
いや、自分達を取り巻く状況が正しいのか間違っているのかすら、その答えは容易に出せるものではなく、またその答えは一様ではないだろう。その上で、自分達がいかに正しい振る舞いをするのか。リリトは正しい問いを発しているだけで、答えは語っていないのだ。
何となく納得顔を見せたカシアは、場を見渡す。それ以上の発言はないようだった。彼女は満を持するように言った。
「みんなでさ、やめるってのはどう?」
もちろんそれは、選択肢として存在する。だがそれを選択できるかどうかは、また別の問題だ。だが、カシアはいたって本気だった。
「ぶっちゃけさ、私達ってどこまで必要か分かんないじゃん」
少なくとも彼女らは、重要人物であるからここにいるのではない。MSもプログラムをきちんと入れ替えれば、リリト達でなくとも動かせるようになる。プラントと連合にどのような思惑があるかは分からないが、現場において彼女らがどうしても必要とされているわけではない。
政治的な思惑とは言っても、所詮学生あがりの新兵六人である。国際関係に致命的な影響を与えるものではないだろう。そういう意味では、「やめる」という選択肢は考える事がバカバカしくなるほど不可能な選択肢ではない。
「そっか・・・やめれるよな・・・」
イェレのつぶやきに、カシアはハッと気が付いたように苦い顔をした。「やめる」という選択肢が生まれた以上、「やめない」という選択肢が一気に重くなる。「やめられない」と「やめない」は全くの別物なのだ。
全員が同じ表情になるかと思った時、一人が口を開いた。
「俺はやめない。する事ならある」
フィジェの言葉に視線が集中した。疑問の視線を向けるのは三人、どこか気遣うような視線を向けるのが二人だ。フィジェは立ち上がり、食器を載せたトレイを返却する。ユンディとタルハにシミュレーションの続きをすると言って、食堂を後にした。
カシアが慌てて彼の後を追いかける。
残された三人は、事情を知るであろうもう一人に視線を移した。視線を落としたイェレは、何度も逡巡を見せながら、結局その視線に負けた。腕組みをして話の順番を考える。彼はリリトに問いかけた。
「あの翼付き、何て名前だと思う?」
「?」
「多分さ、フリーダムって言うんじゃね」
公式の記録がほとんど残されていない、とあるMSの名称。だが軍関係者の間では、公式記録をはるかに超える記憶が共有されているMSの名前だ。あの翼付きは、そのMSと瓜二つであった。
それとフィジェがどう繋がるのか、イェレは重い口取りで話を続ける。
連合の大規模拠点とはいっても、運用実績のない空中戦艦を修理できる専用の施設はない。海軍基地であれば水上艦艇用のドックを流用できるであろうが、リヤドは空軍の基地であった。
そのため、トレランシアの修理は露天で行われている。予備滑走路用の駐機スペースをつぶして、巨大な艦体が鎮座している。ほぼ全面が白いシートで覆われ、重機の唸りが響いていた。施設の貧弱さをカバーするように、機材と人員は潤沢に投入されている。
基地中央の一室で作業の進捗状況が報告された。そのスタッフを下がらせると、司令官は強い握手で感謝の念を示す。
「正式な挨拶が遅れて申し訳ありません」
「いえ、本来ならこちらが出向かねばならない立場です。トレランシアには、返しきれない借りができた」
威厳のある声で深い感謝を示すのはリヤドの基地司令官だ。中東地域最大の連合軍事拠点の責任者であり、その地位は連合軍内部でも高いものである。マーカスがどことなく得意げな表情になるのも分かる。
だが司令官の言葉が社交辞令などではない事は、トレランシアの修理スケジュールを見ればよく分かる。中性子砲の交換を含めて一週間で全修復を終えるというのだ。その上リガリスシリーズの三機は、既にプラントから修理に必要なものをそろえていた。レセディは、トレランシア側の要求に迅速な対処をしてくれた事に謝意を示す。
ウェルガー三機を補充する事すら渋ったダブリンのルチアーノに比べて、はるかに良い対応をしてくれている。
「当然の事です。クルディスタンへのトレランシアの介入は、域内の不安定要因を一気に取り除いてくれた」
秘書らしい女性が持ってきた紅茶を二人に勧めながら、司令官はそう言った。もちろんトレランシアの介入だけではなく、連合外交当局の動きもあったのであるが、限定的な軍事オプションの行使が非常に強い抑止力として働き始めていた。
クルディスタン独立派が擁していたMSの多くは、ムスリム・ペルシャ共和国から購入・貸与されていたものである。マフディなどの新型MSの投入は、ムスリム・ペルシャ共和国の軍が連合の戦力を測るという側面があった。
トレランシアの部隊がそれの排除に一定度の成功を収めた事から、ムスリム・ペルシャ共和国は強硬手段の行使をためらっている。
それはアラブ連合においても同じ事であり、ムスリム共同体の東西内戦の可能性は急激に低下していた。リヤドの連合軍と外交当局は、軍事オプションをちらつかせながら、ムスリム共同体を平和裏に東西分割させるつもりであった。
いったん内戦になれば、リヤドの戦力では手が付けられないであろう。だからこそ、そうなる前に連合の「本気」を見せておく必要があったのだ。
既に、国境画定協議が独立したてのクルディスタン共和国を交えた三ヶ国で、非公式ながら行われている。連合としてはこれを妥結させ、同時に三ヶ国の安定を促すための経済協定の締結を目指していた。
「もちろん一年二年はかかるでしょう。だが、内戦になれば十年経っても終結しない」
哀しいかな全てが話し合いで解決できるほど、世界は理性的でもなければ無邪気でもない。だからこそ、最小限の戦争で最大限の効果を挙げる部隊が必要とされたのだ。今回のトレランシアがまさにそれであった。
中東は石油という資源を失い、世界から見捨てられたような地域となっている。そこで内戦が起これば、もはや誰もその解決に乗り出そうとはしないであろう。戦争を止めるためのコストは膨大なのである。
最終的にそのコストを連合が負わねばならないのであれば、内戦の発展する前に軍事介入してその芽をつぶす事が最も理にかなっている。
「トレランシアはそれを証明した。そしてそれは結局、この地域の人々のためでもある」
司令官はそう言って、壁にかけられた地図を見る。アラビア半島とその周辺地域の地図だ。そこには既に、ムスリム共同体分割後の新国境線が引かれていた。
成層圏の上層から徐々に高度が下がっているのが分かる。体が、機内の微かな気圧の変化を敏感に感じ取っていた。輸送機のブリッジでその事を確認する。
「久々に地面の上を歩けるってか」
「我々も感謝しているぞ、ヤン」
機長の嫌味に、ヤンと呼ばれた男は露骨な表情を見せる。ややあごの長い細面に不釣合いな丸い目をした男だ。
ジンビンメイの事実上の母艦である成層圏周回輸送機が着陸をするのは、二機のシャーレンを修理するためである。機内の設備では修理不可能なほどにダメージを受けていたのだ。
誰ともなしにフリーダムと呼び出したMSとの交戦による損傷であった。それに引き変わる成果は特になかった。ただ、既存のMSを使用した場合は十秒に満たない戦闘時間であったものが、それなりの交戦時間を稼げるようになったため、データの蓄積は進んでいた。
いつの間にかブリッジに顔を出していた女がその事を指摘する。糸のような細い釣り目をしたおさげの女。機長は女にも冷ややかに言った。
「我々の目的はデータの収集ではないぞ、イン」
東アジア共和国軍に所属する彼らであるが、その母体となる組織はとある特殊な研究機関であった。先の大戦中に消滅したと言われているが、一部の研究者は軍の研究機関で研究を進めていた。
その研究の一つの成果としてヤンとイン、そして二機のシャーレンが作られた。この部隊は、性能試験部隊という側面を持っている。だがあのMSを性能試験の相手として選んだのは失敗だったのかもしれない。
それなりの相手を選べば、もっとマシな結果を出せるだけの実力は持っているはずの二人である。だが彼らには、あのMSを狙わねばならない理由があった。
「でもさ、失敗続きだと流石にヤバいっしょ。もっと弱い奴を狙おうぜ」
「そうそう、あたしらだってたまには勝利の美酒に酔いたいわ」
好き勝手なことを言う二人をブリッジから追い出し、機長はため息をついた。科学者は性能だけを追及し、軍の上層部も性能だけを要求する。だが、現場において必要とされる性能は、机上の空論よりももっと広範でシビアなものなのだ。ヤンとインはそれを全く満たしていない。
兵士として求められる物の多くが欠落し、MSに乗っていないときは街にたむろするガラの悪い若者と変わらないのだ。それを使わねばならない側の人間の事を、彼らについている白衣の人間は全く分からないのであろ。
機長は軽く頭を振って、気を取り直すように声を上げた。
「進路そのまま、リヤドからの照会には指定のあったコードを使用しろ」
彼らが向かうのはドバイ。前世紀、潤沢なオイルマネーを国内投資に振り分けた結果、その都市は現在のムスリム共同体では例外的に安定した経済基盤を有している。
東アジア共和国軍の関係団体が出資する企業がそこにもあり、そこ施設を使って補給とシャーレンの修理を行う予定となっている。本国に戻らないのは、東アジア軍の関与を隠すためである。
あのMSを狙って行動しているとはいえ、彼らの行動は領空侵犯や他国領内の不法侵入を含んでいる。Nジャマーによってレーダーが使用できないため、その行動がバレる可能性は高くない。だがいったんバレてしまえばもはや言い逃れる事はできず、東アジア共和国への非難は極めて強いものとなるであろう。
たいていの補給は空中で行っているので支障はないのだが、地上に降りる場合はこのように国外の民間施設を使用するのだ。
そんな危ない橋を渡ってでも追う価値が、あのMSとそのパイロットにはある。
褐色の埃に煙る街、ムスリム共同体の都市は多くがそうである。アラビア半島の砂漠に作られた都市を支えていた石油マネーはもはやなく、街は緩慢だが確実に砂の中に埋もれようとしているかのようだ。
だがかつて、石油がこの地にどのような幸福をもたらしていたのかは、よく分からないままだ。だから、石油マネーが失われた事がそのまま不幸を意味するのかどうかも分からない。少なくとも、ラクダを連れて歩くあの人達の生活は、旧世紀から変わっていないのだろうと思う。
整備の滞った道路で、砂にタイヤを取られた車をようやく引っ張りあげて、イェレとタルハは汗を拭った。トレランシアの修理が済むまで、クルーには比較的多くの自由時間が与えられている。そこで彼らは、リヤドの街に出てきたのだ。
街の中心部に近づくにしたがって道路も綺麗になり、人や車の往来も多くなってきた。日差しと空気以外はプラントの街並みと変わらない街である。ただ、道行く人のファッションだけが異なっている。
「逆に涼しいんじゃね?」
白いゆったりとしたワンピースの服は、服の中に熱をこもらせる事なく直射日光からは肌を守るのであろう。女の人が頭から被っているベールも、同じ役割を果たしているのだろう。見慣れた格好をしているのは、おそらく自分達同様に別の地域から来た人間なのだ。宇宙港や国際空港があるため、域外からの人も少なくない。
ショッピングセンターのような場所を見つけて、駐車場に車を入れる。後部座席の二人がとりあえず日焼け止めを欲しいというのだ。暑い地域だからと、涼しい格好をしてきたのが裏目に出た。いかにも日焼けして下さいといった格好なのだ。
「車から出ただけで焼けそう」
ユンディはうんざりといった口調で車を降りる。リリトは額に手をかざしながら、歩き出す。湿度が非常に低いので、日差しの割には暑さを感じない。その分、光そのものの強さを感じるかのようだ。それを避けるように店内に入る。
医薬品売り場を探しながら、ユンディとリリトは目配せをした。男女問わずすれ違う人から感じる非難めいた視線に、妙な居心地の悪さを感じるのだ。まさか見た目でコーディネーターだと判断されたわけでもあるまい。
その事を後ろの二人に言おうとしたとき、イェレから声を掛けてきた。
「あれ、ヒューさんじゃね?」
見ると喫茶店にヒューらしき人がいる。向かいに座るのは、スーツ姿の女性だ。遠目だがなかなかの美人だった。嬉しそうにその話題を続ける男二人に、リリトはため息をつく。
店内をしばらく歩くと、遠くにいた男性が指差すのを見た。すると警備員らしき制服を着た人間が小走りにやってきて、リリトとユンディを取り囲む。イェレとタルハが慌てて割って入り、その場が騒然となった。
現地の言葉で何か言われているのだが、早口の怒鳴り声で聞き取る事すらできない。強引に突破する事もできず、さりとて捕まる気もなく、四人はもみ合いを続けた。不意に警備員の動きが止まる。
見るとヒューが責任者らしき者と話をしていた。しばらくの押し問答の末、ヒューが連合軍の身分証を提示すると警備員はしぶしぶと言った感じでその場を立ち去っていった。
何がなんだか分からない四人に、ヒューが苦笑いを見せる。
「美人が裸で歩いてるって通報されたんだよ」
リリトとユンディが顔を見合わせる。チューブトップとショートパンツにサンダル、確かに露出は多いが、警備員に捕まる格好ではないはずだ。
「郷に入れば郷にしたがえだ。とりあえず、もう一回通報される前に上に何か着ろ。どの道、その格好じゃこの日差しはきついだろう」
そう言ったヒューは周りを見渡し、あとの二人はどうしたと聞く。ユンディが肩をすくめて、艦に残っていると答えた。
MSの修復はリヤドの整備員と、プラントから補充部品とともにやって来た技術者によって行われている。艦の修理に合わせたスケジュールであるため、かなりの急ピッチで進んでいた。既にフォルトゥーナはほとんど元通りになっている。
クレーンやリフトの唸り、溶接やボルトを締める音を聞きながら、カシアは所在無くキャットウォークの手すりにもたれていた。目の前のハッチは閉ざされ、コクピットから伸ばされたケーブルに繋がれた機械が、時折画面を切り替える。フィジェはシミュレーションを続けていた。
上がってきたアレナがカシアに声を掛ける。彼女は曖昧に微笑んだ。ハッチを開いてフィジェが機械をいじる、そして再びコクピットに潜り込んだ。
「熱心だな」
「ええ、まぁ・・・」
はっきりしないカシアの態度に、アレナが不思議そうな表情を見せる。何事かを聞こうとした彼女は、下から呼ばれてそっちに向かった。カシアは再びコクピットハッチを見つめる。今のフィジェは熱心なわけではない。
あの翼付きのMS、いやあの翼付きに良く似たMSに対して、憎しみのようなものを抱いているのだ。そのMSの名はフリーダムと言った。
レクイエム戦役におけるメサイヤ攻防戦。その戦闘でザフトのメサイヤ防衛隊は僅か一機のMS・フリーダムによって全滅させられている。結局、メサイヤ自体がフリーダム一機によって破壊されたのだが、フィジェの父親はメサイヤ防衛隊に所属していた。
彼の父親の乗ったローラシア級は、フリーダムの攻撃によって各部砲塔と推進部を破壊され、月面に不時着した。その衝撃で艦内電力の供給に支障をきたした事から、クルーは脱出不能に陥ったのだ。さらに、艦が流れた方向が他の月面基地や都市から離れた方向であったため、救出も遅れる事となる。
結果としてクルーの大半は酸欠によって死亡。生き残ったクルーもほとんどが重度の酸素欠乏脳症にかかってしまう。フィジェの父親もそうだった。
その後、プラントはメサイヤを陥落させた側が政権の座に付いたため、ザフトであってもメサイヤを守る側の人間に対する補償はほとんどなされなかった。これはプラントがレクイエムによる物理的な破壊や、戦時中に行われた金融攻撃によって財政的な危機を迎えたことにもよるのだが、傷病兵を抱える家族の生活は困窮することとなる。
プラントでは珍しくフィジェには兄と姉がいて、二人とも既に就職していたため、金銭面での苦労は他の家族に比べると楽だったそうだ。しかし回復の見込みのない介護生活の中で、彼の母親は精神を患ってしまった。
今では、父親の延命を続けるかどうかで兄と姉ももめているそうで、フィジェの家族は実質的に離散状態にあるという。
「偽善が生んだ残酷な結末・・・」
軽い口調でそんな事を言ったフィジェに、カシアは掛ける言葉を見つけられなかった。初めてその話を聞いた時の、気にしていない、仕方のないことだと言っていた彼の声が蘇る。どんな気持ちでそれを口にしていたのだろう。
あの頃からずっと今のような気持ちだったのだろうか。それとも、あの翼付きの出現が彼のその気持ちを呼び覚ましたのだろうか。あの翼付きがフリーダムではない事は分かっているはずだ。だからきっと、その存在ではなく行為が気に食わないのだ。残酷な結末を知らないままの偽善が。
「その偽善に生かされているのなら・・・悪じゃないと思う」
おそらく、そういう問題ではないのだ。父親も母親も死んでいるようなもの、兄も姉も他人だと言う彼との間には、高い壁と深い溝がある。
それを意識すると胸が痛い。コクピットハッチの向こう側にいる彼に、どうしても触れられない。その寂しさが胸に広がる。
彼とはアカデミーの入試説明会の時に出会った。一緒に来たはずだったイェレとはぐれて会場を迷子になっていたときに、声を掛けてくれたのが彼だった。後で聞くと、彼も同じように迷子になっていただけなのだが、知り合いのほとんどいない彼女にとってはとても心強かった。
イェレとも馬が合ったようで、アカデミー入学当時から三人は仲の良い友人だった。複雑な家族関係をおくびにも出さない明るい性格、そう思っていただけに今の彼の様子には少なからぬショックを受けている。
「そりゃ、簡単に打ち明けられるものじゃないけどさ」
何か、そんなのばっかりだ。カシアはただ、暗いため息をついた。機械の画面にはリベルの百回目の撃墜が示されている。
露出を抑えた服を買ってそれに着替えた。艦に戻るつもりだというヒューを同乗させてショッピングセンターを出る。街頭の電光掲示板に流れるニュースを読みながら、タルハが尋ねた。
「いいんですかヒューさん、デートの途中に」
「・・・は?」
ヒューがとぼけた声を出した。イェレは、ショッピングセンターの喫茶店で彼と金髪の美女が話しているのを見た事を告げる。ヒューは首をひねる。そして人違いではないかと指摘した。彼は書店に立ち寄っただけだという。手にしていた袋から出したのは、月刊の経済誌だった。
どこか疑わしい視線を向けるタルハとイェレに、ヒューは大げさなため息をつく。
「デートの相手がいたら、とっくに結婚してるっての」
「えー、港港に女がいるってタイプじゃないんですか?」
「いつの時代の船乗りだよ」
そんな会話には興味もなく、リリトは窓の外に視線を向けていた。やや雑然とはしているが、普通の街並み。そこを行きかう人々は、何事もなく日々をすごしている。自分達がこの間までいた世界とは、全く異なる様子。それが不思議だった。
戦争をしている場所と平和を享受している場所が、同居している世界。それを当たり前だという感覚こそ、理不尽なのではないだろうか。ほんの数日前までは、コクピットの中で生と死の狭間を垣間見ていた。だが今は、小奇麗な店で買い物をしている。それは不条理な事なのではないだろうか。
自分自身すら、理不尽な世界、不条理な現実の一部として、今ここにいる。
「私はそれを感じている・・・」
自分の胸の中にある苛立ち、その元にあるわだかまりは、つまりそういうことではないだろうか。世界に対する何か具体的な憤り、現実に対する明確な怒り、そういうものではなく、自分自身がそれを感じられるという事に対する、自分自身の戸惑い。
だから「はしゃいでいる」「楽しそう」と評される。当たり前ではなく不思議だと感じられることは、とても嬉しい事だから。世界のありよう、現実の姿に対して、自由に考えられるという事だから。
自分自身が感じる事をそのまま感じていられる。そこには、感じるべき規範も、考えるべき答えもない。そんな自由だけがある。
「何ニヤニヤしてんの」
ユンディの言葉に肩を震わせる。頬を押さえてバックミラーを覗き込んだ。
車は街の中心部からだいぶ離れていた。車の数も少なくなり、道路の上の砂の量も増えているように感じる。
空港や基地のある場所へは専用の列車が通っているため、道路の整備は後回しにされているという。突然、ブレーキがかかった。全員がつんのめるようにして、前方に視線が集まる。道の真ん中でタクシーが急停車していた。
運転手らしい人が降りて車の周りを回る。そして慣れた様子でボンネットを上げる。もうもうと湯気が上がった。
「オーバーヒートか?」
トランクから工具箱らしきものを出した運転手の様子は取り立てて困った感じでもなかったので、イェレはハンドルを切ってその車の横を通ろうとする。すると、後部座席から客らしいスーツの男が降りてきた。
その男は腕時計を指し示しながら運転手に何か言っている。どうやら時間を気にしているようだ。そして男は天を仰いだ。
「どうかしましたか?」
助手席の窓を開けてタルハが聞く。男は飛行機の時間に間に合わせようとタクシーを頼んだらこの有様だと訴えた。そして空港までなら乗せていってくれないかと頼む。基地へ戻る通り道なので断る理由もなかった。
男はここまでの料金をタクシーに払うと、車に乗り込んできた。しきりに礼をいう男はほっと汗をぬぐう。プラントから貨客船でリヤドに降りて、今からシンガポールへ向かう予定だという。
「プラントから? お仕事か何かで?」
「えぇ、まぁ・・・」
男はそう言って、何かを思い出したように懐のポケットに手を突っ込んだ。人を探していますと言って写真を差し出し、ご存じないですかと聞く。期待など全くしていないという感じの声だったが、ヒューはその写真をじっくりと見る。
「フィランディエーレ少尉、君じゃないか?」
三列シートの二列目から、最後列に座るリリトに写真が渡される。いつ撮影されたのだろう、アカデミーの時の写真だ。イェレとフィジェ、そしてカシアも一緒に写されている。撮影には気付いていない様子なので、おそらく遠くから隠し撮りされたものであろう。
男は驚いたように後ろを見る。写真を持ったままじっとしているリリトに、視線を注いだ。髪型は多少いじってあるが、間違いなく探していた人物だ。驚きのあまり声も出ない。
リリトは写真をつき返し横を向いた。
「違います、よく似てますけど人違いです」
その声が微かに震えている。
突然の事態に、車内の空気が静かに張り詰めた。男も戸惑いの表情のままつき返された写真を受け取る。だが彼はバックミラー越しに、ハンドルを握る男性が写真に写っている人物と同じである事も確認していた。
そして、空港ではなく基地まで同行させて欲しいと言った。