Green travelers ~ The another seed ~ 作:VSBR
電気系統のトラブルで開かなくなったハッチを開けるため、緊急用のレバーを引く。鈍い音ともに、開閉部のシリンダーが小型の火薬で切断された。バネの力でゆるゆると開いていくハッチからリリトはようやくはいずり出す。ヘルメットを脱ぎ捨てて頭を振ると、汗が飛び散った。
見上げるグラティアの姿は薬品で全身が焼け爛れたようになっており、装甲のほぼ全部を取り替える必要がありそうだ。MSデッキの喧騒がさらに大きくなり、最後の機体が収容されてきた。
リベルは破損箇所も最も多く、水没したパーツはそのまま取り替える形となる。どの道、全ての機体が洗浄処理のためオーバーホールに近い修理が必要となるだろう。
アジズの怒声に混じって、軽い足音が駆けて行くのが分かる。キャットウォークを走っているのはカシアだった。バールを使ってハッチをこじ開けている最中のリベルに近づき、一緒にバールを押す。
ヘルメットが通り抜けるだけの隙間を作ると、パイロットを引きずり出した。フィジェがキャットウォークに転がる。立ち上がろうとしているのだが、上手く立てないといった感じだ。彼は、ヘルメットを震わせて何かを叫ぶ。
「フィジェ、無茶のしすぎよ。命令は聞こえていたのでしょ、あれは私が・・・」
リリトの言葉に、フィジェに寄り添っているカシアが泣きそうな顔を向けた。リリトは言葉を止める。
だが、事は生死に関わる事だ。今回はたまたま全員が無事だったに過ぎない。それも、コクピットを狙わないという敵の趣味で助かったのだ。次も同じ奇跡にめぐり合う可能性は低い。
実際、フィジェが翼付きに絡まなければ、グラティアで抑え込む事は可能だと思っている。その間にリベルが敵艦の足を潰せばよかったのだ。
「言いたくはないけど」
「リリト、後は俺が言うから。だから、今はそっとしてやってくれよ」
肩をつかんだイェレにリリトは黙り込んだ。カシアと同じような視線をフィジェに向ける彼を見て、リリトは踵を返す。
そのままロッカールームに向かうリリトの姿に、ユンディはキーボードを叩きながらつぶやいた。
「カシアの言葉、真剣に考えた方がいいかもね」
「やめる、か・・・」
一瞬手が止まったユンディとタルハにアジズの怒鳴り声が聞こえた。マダガスカル到着まで、敵の攻撃がないとは限らないのだ。整備班はフル回転でMSの整備を行う。
市場とは世界の有様を反映する場所だと、カヲは考えている。つまり市場とは、公正なルールに基づき、理性的な人間が合理的な判断に基づいて行動する場ではないという事だ。
ルールとは常に恣意的であり、人間は感性のままに非合理的な判断を行う。市場とは、そんな世界の有様を先鋭的に映す場である。それゆえ、市場を見つめるだけで世界の有様を知ることができる。少なくともカヲ・ツォピンはそう考えていた。
彼が今見ている市場は安定に向かっている。それが世界の向かう方向だ。
二度にわたる戦争、地球連合の弱体化、プラントの人的・物理的損失、大規模質量物の地球落着、解決しないエネルギー問題。不安定を維持するだけの余力を、今の地球圏は有していない。だからこそ安定に向かうのだ。
「問題は・・・」
どのような安定に向かっているかである。プラントを含めた地球圏全体で、複数の政治勢力がつりあいを取る多極化した世界。その方向性は動かないとしても、それをどのような形で達成するのか。そして各極を構成する政治勢力の内部では、どのような統治構造が生まれるのか。
ここまで来ると、金融屋の仕事から逸脱してしまう。何故なら、ここからは「べき論」の世界だからだ。世界とはいかにあるべきかと言う、理念・理想に関する世界だからだ。市場が見せるのは現実であって、その現実をどのような理想が形作っているのかは問わない。
だからカヲはそこまで考えない。そこまで考えなければならない案件から、身を引いた方が安全なのだ。理念だの理想だのは、物質的リスクを冒して精神的リターンを得るためのものであり、金融屋の扱う商品ではないからだ。
「・・・だから面白くはある」
上海第七銀行第三融資部部長としてではなく、カヲ・ツォピン個人として、それに興味があるのだ。金を増やすために金を欲しがるのではなく、金以外のことに使うために金を欲しがる人間。カヲが興味を引かれるのはそんな人間だ。
だからこそ、この案件を引き受けた。何度もその人物に会いもした。だが、カヲはどこか違和感を覚える。
今まで何度かそういう人物には出会った。彼らは一様に、情熱家でありロマンチストであり理論家でありリアリストであり、何かに立ち向かう人間だった。彼らは明確に未来を語り、的確に現在を語った。彼らが勝者になるのか、敗者になるのか、それはカヲには預かり知らぬことである。だが彼らが、何を望み何をしようとしているのか、それはよく分かった。
しかし今扱う案件の人物は、どこかが違う。何もかもが不明確なのだ。その人物が何を望んでいるのか、今もって分からないままだ。
「これだけの組織が空虚に動く・・・連合も手を焼くでしょう」
資金の流れのトレースは続けているだろう。ただ、即座に口座の凍結などが出来る訳でもない。規模を考えるとプラントも巻き込んでの政策協調が必要となるだろう。金融当局のみで動けるレベルではない。
アークエンジェル級特装艦、前大戦時に二隻だけが建造された連合の大型艦艇。ZGMF―X10A、フリーダム。前大戦時にザフトが開発した核エンジン搭載MS。どちらも、モルゲンレーテやザフトの反主流派開発局によって強化改造された機体がレクイエム戦役時に投入されたという話である。プラントやオーブの暗部に関わる話なので公式の記録はほとんど残っていない。
それを蘇らせ、各地の紛争に送り込んでいる人物が、カヲの今扱っている案件である。ユーラシアの石油王という陳腐な肩書き以外に何も知られていない人物、エフライム・ビーンシュトック。
カヲは資料を閉じて冷めたコーヒーに手をつけた。既に日付が変わっている。
マダガスカルは現在、アフリカのどの勢力にも属していない事になっている。形式上、事実上解体した南アフリカ統一機構に籍は置いているが、その残党勢力との提携関係はなかった。そのため連合に独自加盟する形であり、連合軍所属のトレランシアは快く迎え入れられた。
もっとも先の戦闘に関しては全くの無関心を決め込み、インド洋におけるアフリカ解放戦線への密補給ルートに関しても調査中という回答であった。マーカスは最近ため息が増えたと思う。レセディは相変わらずの怖い顔だ。先の戦闘が、相当悔しかったのだろう。
「こちらから、動くのですか」
「当然です」
マーカスの問いに、レセディは間髪入れず答えた。彼の言わんとしている事も分かるつもりだ。それでも仕掛けなくてはならない。
アフリカ解放戦線への支援、それはビクトリアの利権が関わっている。現在稼動している唯一のマスドライバーであるビクトリアはユーラシアが実効支配しているが、その根拠となるものはない。連合施設として加盟国の共同管理が筋だが、ユーラシアはそれを拒んでいる。
そのため、ユーラシアからビクトリアを奪還するために、赤道連合や大西洋連邦はアフリカ解放戦線を利用しようとしている。大洋州からの支援はプラントの意を受けたものであろう。地球からの物資打ち上げはプラントをも支えるものであり、そこへの影響力を確保するためである。
しかしそれは、アフリカの戦乱をいたずらに悪化させるものでもある。そしてアフリカの安定がない限り、「ビクトリア及び関連施設と周辺地域の安全確保」を名目としたユーラシア軍の駐留は継続される。
アフリカを安定させる事は、回りまわってビクトリアの共同管理への道を開く事にもなるのだ。それが連合本部の狙いであり、トレランシアの役割である。
様々な地域機構、地方政府、軍閥、部族、武装集団、企業の傭兵が入り乱れるアフリカで自在に活動できるのはトレランシアしかないのだ。インド洋での最初の躓きを挽回しなければ、今後の活動にも支障が出る。
「大天使がまだインド洋にいる保証もないですし」
「補給ルートを潰していけば、いつか必ず現れます。それも近いうちに」
それは確信を持って言えた。そして連中が圧倒的であっても、絶対ではない確信も持っていた。敵の頭数が一つなら、対処のしようはある。リリト・フィランディエーレは、思わぬ掘り出し物だった。だが学生気分が抜けていないのは、如何ともしがたい。
そろそろ戦場の空気に順応してもらわなければ、ふとしたはずみで死にかねない。もしも六人のうち一人でも欠けるような事になれば、それで彼らは瓦解する。それだけは避けなくてはならなかった。
マダガスカルからの護衛艦艇が到着した。マーカスはブリッジに戻り、レセディは自室に向かう。とりあえずアンティラナナまではゆっくり出来るはずだ。彼女は居住区でリリトとすれ違う。型どおりの敬礼は様になっているが、悩みを隠せないその表情は感心の出来るものではなかった。
『コーディネーターといっても、その程度か・・・』
いやその程度の少女が、あれだけの戦闘を可能とするといういびつさこそが問題なのだろう。人間関係のコーディネートは、遺伝子改造より手間がかかるのだ。
食堂は人がまばらだった。整備班が全員MSデッキで作業しているためであるが、がらんとした食堂はどこか寒々しい。カシアとイェレは言葉もなく、食事を口に運んだ。フィジェは疲労困憊で部屋に伏せっており、リリトは早々に食事を終えて食堂を後にしている。
カオシュンを出てから半年ほどになるが、六人で一緒に食事を取るという決まりもだんだんとルーズになっていた。それぞれの仕事がはっきりとしだし、予定が合わなくなったというのもあるが、それ以外の要因も大きい。
「ねぇ・・・どうすればいいの」
「ど、どうって・・・」
イェレに答えを期待していたわけではないが、カシアは手を止めた。小さい時から、人と接するのは苦手ではなかった。引越しを繰り返す両親だったこともあり、友達を早く作ることは得意だった。
だが、それは友達だったのだろうか。それとも、友達とはもともとがこういうものなのだろうか。フィジェに掛ける言葉はなく、リリトの悩みの核心は分からないままだ。彼らはただ一人で苦悩の中にいる。何か、取り残されたような感じだ。
イェレはポットに手をかけた。薄い紅茶は、もう湯気も立てないほどに冷めている。
「暗いぞ、二人とも」
視線の先にヒューの白い歯が見えた。二人は同時にため息をつく。
「失礼な連中だな、人の顔見てため息とはどういう了見だ」
「いえ、そういうわけじゃ・・・」
「ここを突破すれば長い付き合いになるぜ。出来なければ、年賀状も出さない関係だ」
ヒューの言葉に二人は黙った。別に隠すつもりはないが、他所から見ても自分達がどういう状況にあるのかははっきりと分かるという事であろう。横に腰をかけるヒューにカシアが聞く。
「突破法はあるんですか?」
「それは自分で考えろ・・・と言いたいが、年長者としてアドバイスしてやろう。リスクのないところにリターンはない」
人間関係を破綻させるリスクを負って初めて、人間関係は進展させる事ができる。ヒューはそう言った。そしてそこにスマートな方法はないと付け加える。
「ま、俺も偉そうなことは言えないか・・・プラントにはそういう友人、いないしな」
「・・・プラント?」
「あれ、言ってなかったか? 俺、プラント出身で元ザフト。もちろんコーディネーター」
カシアとイェレは顔を見合わせる。艦への馴染み具合から、てっきり連合軍の人間だと思っていた。戦後、傭兵を経てユーラシア軍に採用されたと言う。
コーディネーターとナチュラルの間の壁、それはこの艦の中でも感じる事だ。それを、もはや普通であると感じる。しかしそれは、遺伝子の差異が作り出す壁ではないのかもしれない。
ヒューの言葉は、偉そうに言うだけの価値があるのではないだろうか。少なくとも、友人との間に薄くそれでいて硬い壁を感じる二人にとって、その言葉は決して軽いものではなかった。
アカデミーに入ったのは、自分が決めたことではない。ただそう決められていた。コーディネーター間での広範な比較を行うために、アカデミーは絶好の場所だったのだ。
慢性的な人不足に陥っているプラントでは、ザフト兵士にも行政官としての能力を持たせることによって、地球駐留軍の人員削減を計画していた。そのため、アカデミーは単なる士官学校ではなくなり高等教育機能も付与された、事実上のプラント最高学府となっていた。ザフト以外への就職が緩和された事もあり、プラント中から俊英が集まる場所になっていたのだ。
彼女の能力を調べる上で、選りすぐりのコーディネーターが集まるその場所が選ばれたのは当然であった。その結果が満足いくものだったのかどうか、彼女には分からない。しかしアカデミーでの生活は、彼女にとって満足のいくものであった。
「私は・・・続けたかった・・・」
リリトは天井に向けてそうつぶやく。アカデミーで吸った自由な空気、その中に居続けたかった。
しかし、彼女らは社会に出てしまった。そこでは「自由」を続ける事が困難だった。自分の感じる事を吟味する時間も、自分の考えを組み立てる時間もない。不正に憤っても、悪を指弾しても、世界はただ流れていく。「自分」を脇に置いて、今いる場所でやらなくてはならないことをこなすだけで一日が終わる。「自分」を中心に置く「自由」はなかった。
その上、流れていくだけの現実は決して心地よいものではない。「何かのため」そんな言葉で自分を繋ぎ止めなくては、きっと現実の中で溺れてしまう。
「だから・・・」
例えトレランシアを降りても同じなのだ。現実の流れの中で自分を繋ぎとめる言葉がない限り、同じ事の繰り返しだ。だが、そんな言葉は本当にあるのだろうか。
「世界のため」「平和のため」「みんなのため」、どうしてそんな言葉でなくてはならないのだろう。どうして自分自身を投げ出すような言葉が必要とされるのだろう。それはこの身を傷付けてきた言葉だというのに。
リリトは毛布を被った。思い出す必要などなかった。部屋の呼び鈴を無視する。
静かになった部屋に、インターホンのスピーカー音が響く。フィジェの声だ。リリトは部屋のロックを外した。
「寝てた?」
明かりに照らされた彼の顔は心なしか青白い。まだ疲れが抜けてはいないのだろう。額の包帯は割れたヘルメットのバイザーの破片で切ったものだった。リリトは椅子を勧める。
「その・・・ゴメン」
フィジェがあの翼付きに執着する理由、その一端はイェレから聞いている。それでも彼の言葉を待った。
「あれがフリーダムじゃないってのは、分かってるんだ・・・でも、その、許せなくって。生きていればそれでいいって、死ななかったから良かったんだって、そんな風に考えてる奴がいるってのが・・・生きるって事をその程度に考えてる奴がいる、のが」
フィジェの父親のような傷病ザフト兵は、前大戦時から数多くいる。しかし、その全ての人が彼の父親のように延命治療を受けているわけではない。看取る身内もおらずに安楽死させられた人、経済的負担から尊厳死を選んだ家族、症状に絶望して自殺した人、介護に追われて死を選んだ家族、フィジェの家はむしろ幸福な方なのだ。
人が生きるとは、ただ心臓が継続的に動く事でもなければ、脳が活動する事でもない。いや、人間にとって「ただ生きている」とは死んでいるのと同じなのだ。生命維持装置の一部と化した人間は、もはや人ではない。
人として生きるために必要なものを奪った者が、それでいてなお「生きていて良かった」などと考えるのは、想像力の絶対的な欠如であり救いがたい傲慢さだ。それは、生きるという事を単なる機械的なシステムとしてしか見なさない、戦慄すべき思想だ。戦場での殺しを忌諱する矛盾から逃れるために、人間を個体の内部に閉じたシステムへと矮小化させている。
フィジェはそれを許せないと言う。フィジェの父親はまだ生きている。だがフィジェの家族はもう死んでいるのだ。そして彼の父親を死の病床に追いやった人間は、彼の家族が墓地に横たわっている事を知らない。きっと彼らは心の底からこう言うのだろう、「良かった、生きていて」と。
リリトはハンカチを差し出した。フィジェが目頭を拭う。
扁平な姿をしたその輸送機は、小さな空港の大半を覆い隠しているようだ。整備されているとは言いがたいが、それでも周辺地域では有数の空軍施設であった。MSが登場する以前から配備されている兵器が、丁重に並べられていた。もっともそれは、部品供給が先細りしているため、下手に動かす事ができないからに過ぎない。
そんな基地に似つかわしくない最新兵器が輸送機から降り立つ。底面から出した無限軌道で進む巨大な立方体と、蛇腹状の手足でクネクネと歩く砂時計。東アジア軍の特殊作戦部隊・ジンビンメイの機体だ。
そのあまりにも先鋭的なデザインは、基地の人間の言葉を奪う。そして誰もが、自分達がどれほどまでに見捨てられているかを実感する。ここは統一機構西アフリカ同盟の基地であった。司令官が輸送機の機長に挨拶をする。
「遠路、東アジアからようこそいらして下さった」
最大限の社交辞令もここまでしか出なかった。もはや戦力として当てにしようと考えるのも嫌になる。その上パイロットとして紹介された二人は、典型的なチンピラ風体なのだ。連合軍の軍人として、盗賊団レベルの兵士を指揮しなくてはならないフラストレーションを抱える司令官としては、もはや怒りを示す気力すらない。
輸送機の機長は握手だけをして席に着く。そして作戦の説明を求めた。彼らにとって、ここへの派遣は本来の目的とは異なるため、早く終わらせたいというのが見え見えの態度であった。
アフリカ統一機構西アフリカ同盟の領内にあった、とあるレアメタルの鉱山がアフリカ解放戦線に奪われたのだ。問題はその鉱山の採掘権の八割を、東アジアの企業が有していたという事である。様々な産業分野で必要とされるレアメタルは戦略物資であり、東アジアとしても看過できないものであった。損害賠償や代替地を要求できる状態にない以上、実力で奪い返すしかない。
もっとも大規模な軍事的援助などできるわけもなく、彼らのような部隊が送り込まれる事となったのだ。
「そこで貴官らには・・・」
「うざ。ココとココとココ、潰せば終わりだろ」
パイロットの一人、ヤンが地図を指差す。
「あたしらだけでやるわ。作戦とか面倒だし・・・」
もう一人のパイロット、インがそう言う。そして話は終わりとばかりに立ち上がった。久々に勝利の美酒が飲める、そうはしゃぎながら二人は部屋を出て行った。機長も会釈だけをしてその後に続いた。
取り残された司令官は、広げた地図をクシャクシャに丸めると思い切り蹴飛ばした。
南アフリカ統一機構を解体させたアフリカ解放戦線は、着実にその勢力範囲を伸張させている。ユーラシア駐留軍のいるインド洋側には手を出さずに、大西洋側からその勢力を北上させていた。既に戦線の一部は赤道に達し、統一機構西アフリカ同盟の領域を侵食しつつあった。
それを支えるのが豊富な物資である。ケープタウンを陥落させた時には、運用するMSをほとんど持たなかった組織であったが、この二年余りの間に急激に軍備を増強していた。その供給源は、連合加盟各国である。
もちろん、連合は非加盟国への武器輸出を禁止している。しかし抜け道を通して、武器は供給されていた。その抜け道こそマダガスカルである。
マダガスカルは形式上、連合加盟国である南アフリカ統一機構に所属し、またマダガスカル独自でも連合に参加する形となっている。そのため加盟各国は、マダガスカルに対する武器輸出という名目で輸出許可を行う。そしてマダガスカルではなく大陸本土に物資が陸揚げされ、アフリカ解放戦線に送られるのだ。マダガスカル政府は輸入に関する形式上の手続きと、輸送船の領海内航行を許可するだけでいい。
ビクトリアに対する軍事的な危機を招くためユーラシアはこれを非難するのだが、加盟各国は形のみの同調を示すだけである。同時に、各国はビクトリアの共同防衛を提案しているのだが、それをユーラシアが受け付けるはずもない。
「それだけ分かってるなら、マダガスカルを押さえればいいんじゃね?」
イェレの声は呆れていた。
「複数の利害関係者が本音と建前を使い分ける世界で、正論は意味を持たないんだ」
マーカスが諭すように、そして自らを納得させるように言う。戦争の構図とは、時としてただ愚かなだけである。だが兵器という商品で経済活動を行うということは、すなわちそういうことであった。
戦争をやめるか、経済をやめるか。その問いは、戦争の被害者と経済の受益者が分断された現状では無意味な問いである。
「我々には連合加盟国の首都を空爆する権限も、占拠する能力も与えられてはいません。供給元を断てない以上、ルートを叩きます」
レセディはそう言って地図を示した。マダガスカルの西側海域はユーラシアの実行支配地域と近いため、密補給ルートはセーシェル近海から南下し、マダガスカルの東側を回って、マプトやダーバンへ向かうルートが基本であった。マダガスカル近海では領海線の関係上活動に制限が加わる。そのため、セーシェルとマダガスカルの間の海域で網を張る予定であった。
「この前タンカーを取り逃がした辺りだな・・・警戒されてるだろ」
「弾薬や部品の補給が滞るだけでも打撃になります、警戒される分には問題ありません」
そして、敵がトレランシアの排除に現れる可能性を付け加えた。それは当然、あの翼付きであろう。フィジェの表情が、心なしか固くなる。
そのフィジェに視線を向けたカシアは、リリトと目が合ってしまった。
レセディは、この間のような事にならないように対応は練っている、そう付け加えてミーティングを終えた。
艦内の動きが慌しくなった。海上で期限の定めなく活動する作戦である。武器弾薬、修理用の部品から、生活用品まで色々と取り揃える必要があった。軍用品の補給はマダガスカル当局が協力的であるため、別段の問題はなかった。クルーは短い非番の時間を利用して、私物の買出しに向かっていた。
イェレはポケットからメモを取り出す。出かける直前にタルハとユンディに頼まれたものだ。リベルの調整にかかりっきりの二人は休みなしで整備を行っていた。メモを手渡された時も、彼らの目は妙なテンションで輝いていた。
隣の座席に座るカシアがそれを覗き込んだ。その中の一つに、彼女は深いため息をつく。
「これってさ・・・人に頼むもの?」
「・・・生々しすぎるよな」
あの二人が交際していることは周知の事実であり、彼らがどのような関係であるかもまた分かっている。分かっているとしても、それをこのような直接的な形で示されると流石にため息が出てしまう。
もちろんそれは無くてはならないものだし、きちんと自分達で責任を持って自己管理しているという事でもある。支給品がケース単位でない以上、自分達で買うのも道理である。
「罰ゲームだよ、買う方にとっては」
イェレはメモをポケットにしまった。車はショッピングセンターの駐車場に入る。
車を運転していたタラスは一時間後に車に戻るようにとだけ言って、さっさと自分の買い物に出かけた。カシアは助手席のリリトを伴って店内に向かう。イェレも誘ったのだが、彼は丁重にそれを断った。
「ちっ、荷物持ちに逃げられた」
カシアはそういって、棚に並んでいた化粧品を手に取る。
基本的に軍艦内部の生活は、軍からの支給品で十分に事足りる。実際、私物をほとんど持たない人もいる。だが狭い艦内での長期生活ともなれば、精神衛生の観点からも生活に張りと潤いをもたらすためのアイテムを持つに越したことはない。
石鹸やシャンプーの香り、タオルの柄、歯ブラシの色、そういった僅かな変化のあるなしこそが、生活にとっては貴重なのだ。
「リリトは、そういうのあんま気にしないよね」
プラントで使っていたブランドを探すのは早々に諦めて、成分表示や宣伝文句を眺めながら品定めする。カシアはその真剣な表情のままリリトに聞いた。彼女はアカデミーの頃からそういうものに無頓着だった。
私服もパッとしたのがなく、カシアは三年かけて彼女のファッションセンスを磨いてやったものだ。この場で時間を食いすぎると服を見る時間がなくなる、カシアは最後まで決めかねていたリップクリームの色を決断してレジに持っていく。
「・・・そういうの、よく知らないから」
値段のみを判断基準にしたようなリリトの買い物篭が、それを雄弁に物語っている。彼女は、試着の時間がないといいながら洋服を見て回るカシアの黒い髪を見つめた。アカデミーの時と同じような、それでいて全く異質な時間。
状況が異なるのだ、異なる時間が流れていて当然である。一週間もしないうちに、彼女らは戦場の只中にいるのだ。理由も目的もあやふやで、ただ目の前の敵と自分の死が直結するが故に、敵を倒さねばならないだけの世界に入り込むのだ。
ならば、この時間は何なのだろう。目の前で、黄色と緑のどちらがいいか鏡に問いかけているカシアは、それを感じているのだろうか。艦を降りるという提案の先に、彼女は何かを見つけているのだろうか。
「リリトさ・・・私の事、バカにしてる?」
カシアの不意の問いに、リリトは我に返った。カシアは眉を顰め、目だけで笑っていた。リリトは問いかけの意味が飲み込めず、ただその複雑な笑いから目をそらした。
「そりゃ、頼りないよ。成績だって、ギリギリだったし・・・でも、だからって、最初から諦めてるでしょ?」
カシアは自分の口から出てくる言葉に慌てる。こんな言葉を選ぶつもりはなかった。まるでこれでは喧嘩を売っているようなものだ。だが、努めて明るく振舞っていた自分に、冷めた視線を向けられれば、どうしても言葉に棘が生まれてしまう。
「別に・・・気にしすぎよ」
一言余計だったかもしれない。リリトはカシアの顔を見る事ができない。ただ、自分の事だから自分で考えようと思っていたに過ぎない。そうではない問題は、ちゃんと友人と共有したいと思い、自分の考えを伝えてきたではないか。
「地球の政治の話とかさ・・・確かに、そういうのよく分からないけど、でも・・・」
それでも、怒りとか悲しみとか憤りとか、そういうものなら分かるはずだ。そういうものをもっともっと伝えてくれればいい。
「分からないなら、別に・・・それに私は・・・」
自分の事は、深く考えたくもなければ、人に話したいものでもないのだ。むしろ触れたくないのだ。だからせめて、自分の内に留めておきたい。それに触れる事で、初めて得た友人関係を無駄にゆるがせたくない。
「私は何よ? どうして、そこからは隠すの? 私には知られたくないの? どうして? 私だからダメなの?」
口調が速くなる、言葉が止まらない。肝心なところで何もいわなくなるリリトの態度に、苛立ちを感じる。そこまでの関係ではないと突き付けられているようだ。自分ではなければ、例えばフィジェになら話すのだろうか。
「そんな事言ってない! 隠してる事なんてないし、関係ないことでしょ!」
声が大きくなる、また余計な事を言ってしまった。知られたくない事がある、それを知られたくないのだ。普通に友人でいい、ただの友人で構わない。それ以下になりたくないから、それ以上を望まないのだ。
「関係なくないでしょ!」
「違うの! 何でもないから!」
「何でもないなら話せばいいじゃない!」
「何もないのに、何を話せっていうの!」
「何もないって・・・リヤドにいたスーツの男は何よ!」
「昔いた施設の人だって言ったでしょ!」
カシアは手を振り上げていた。それより早くリリトがその腕を掴んでいる。ビニール袋が床に落ち、買ったものが床に転がる。
その後のことは良く覚えていなかった。確か、揉み合いになったところ、たまたま近くを通ったイェレが割って入り、騒ぎを聞きつけたタラスに思い切り殴られて、頬を腫らして艦に戻ったような気がする。
リリトはベッドの上で丸まっていた。殴られた頬は痛くない、それなのに体中に痛みを感じるようだ。シーツが濡れている。