Green travelers ~ The another seed ~ 作:VSBR
スコールに打たれて、船体の煤も少しは洗い流されたかもしれない。急速に晴れていく空から、トレランシアに日の光が降り注いだ。リヤドで綺麗に修理されたその船体も、今は無残にインド洋に浮かぶだけだ。
もっとも艦の機能への致命的なダメージはなく、浸水も小さな区画にとどまっている。ただ、着水の衝撃で浮遊装置とスラスターに異常が生じているため、マダガスカルから曳航のための船が来るのを待っているのだ。トレランシアはその作戦目標を達成したといえた。
大天使と呼称されるテロ組織によって、ユーラシアのアフリカ駐留艦隊は大きな打撃を受けていた。そのことがインド洋を通じたアフリカ解放戦線への補給ルートを支えていたのだが、そのテロ組織が有する戦艦とMSをトレランシアは撃破したのだ。もはやこのルートは遮断されたに等しい。
スラスター部をパージした敵艦の行方は現在捜索中だが、敵MSに関しては海底に沈没した核燃料の存在が確認されている。特殊な深海潜水艇で引き上げる計画も既に立てられていた。
損害に見合うだけの成果を挙げている、そう言っても過言ではないだろう。しかしトレランシアの艦内でそれを口にするものは少なかった。
「ミナカミ少尉を呼べ。スターム少尉を休ませろとな」
レセディは、心底疲れた表情でそう言う。その声が聞こえていないのだろう、カシアは薄暗いCICでコンピューターに向かっていた。示されるデータは、先の戦闘時における風向きや海流、確認された爆発から算出された爆風、過去の戦闘データから推測されるグラティアの電力やスラスターの残量である。
カシアはそれらを使って、グラティアが流された方角を割り出そうとしている。既に二日徹夜していた。リリトが行方不明になっているのだ。
本来ならMIAとしてその捜索を打ち切っても良いのだが、明後日の曳航船到着までは捜索を行うとマーカスは言った。正式なMIAはマダガスカルに戻ってから出すと付け加えたマーカスの言葉に、レセディもため息混じりに賛成する他なかった。今にも泣き出しそうな顔を二日も続けているカシアに、掛ける言葉などない。
それでも、いかんせん度が過ぎる。ユンディもそれを承知しているのか一緒に来たタルハとともに、カシアの抵抗を押さえつけるようにして彼女をブリッジから連れ出した。その瞬間に、カシアは顔を覆って泣き出してしまった。
「暴れなかっただけ、マシだよ」
食堂の片隅で、カシアに温めたミルクを勧めるユンディを横目に、タルハが言った。目の前にいるのは、目を充血させたパイロットスーツの二人である。コップのコーヒーを煽ると、フィジェがタルハを睨む。
「よく、そういう態度がとれるな」
「お前ら三人がそろってテンパってんだ、俺とユンディが冷静でなくてどうする」
カップを乱暴にテーブルに置いたフィジェが身を乗り出す。イェレはそれを止めるが、彼の目もまたタルハを睨んでいた。
「アンワール少尉の言う通りだ。そんなんでMSに乗っても捜索精度は上がらん、休め」
食事のトレイを返したタラスがそう言って二人の前に立つ。それを無視して、食堂から出ようとする二人をタラスが掴み止める。
「命令だ、休め」
掴まれた腕を振りほどき、逆に掴みかかろうとするフィジェをタルハが止める。騒動の気配に食堂の緊張が高まった。だがその緊張は、か細い泣き声によって静まってしまう。カシアが再び泣き出したのだ。
小さく舌打ちして食堂を出て行くタラスに、イェレとフィジェが最大限の怒りを込めた視線を送る。食堂を覗くようにして様子を見ていたアレナが、MSデッキに向かうタラスに言った。
「代りに俺が精一杯探す、そう言えばいい」
タラスは何も答えずに食堂を後にした。ヒューのウェルガーが戻ってくる時間だった。捜索飛行の準備にかからなくてはならない。
体の節々が鈍く痛い。だから夢だと思った。しばらく見なくなっていた夢をまた見ているのだと。痛かったり、熱かったり、苦しかったり、はっきりしない内容のくせに、余計なことだけは思い出させてくれる夢。だからとりあえず目を覚ます。
まず気が付いたのは自分のいる場所、次に気がついたのは自分の姿勢、そして最後に痛みが本物である事に気付く。コクピットのシートで、ベルトにぶら下がるような形で気を失っていたのだ。慌ててレバーとペダルに手足を伸ばして体を支えようとするが、完全に横倒しになったコクピットの中で姿勢を保つのは容易ではない。
真っ暗なコクピットの中で、非常用電池のスイッチを探す。だが回路自体が壊れているのか、ランプ一つ点らなかった。リリトは焦る心臓を宥めるように息を吸い込む。状況を一つずつ把握していく。
あの翼付きを撃墜したところでグラティアはエネルギー切れとなった。着水と同時にライフジャケットの起動音が聞こえたと思う。その直後に激しい振動を感じた。
「覚えてるのはそこまで・・・」
目を覚ましたらこの状態だ。とりあえず機体の姿勢は腹ばいだろう。先ほどから機体は揺れていない。これは波間に漂っているのではないという事だ。
そこから考えられるのは二つ。ライフジャケットが破れて機体が沈没して海底にいるか、もしくはどこかの陸地に流れ着いたかだ。残念な事に、可能性としては前者の方が高い。グラティアの耐圧限界を考えれば、深い場所に沈んでいるわけではないだろうが、生命維持装置の働かない状況では窒息死の危険性が高まる。
リリトはノーマルスーツの腕時計を見る。気を失っていたのはざっと半日ほどだ。ボタンを押して気圧計を表示した。もしも海底に沈んでいれば、コクピット内の気圧も僅かに上昇するはず。デジタル表示は1のままだった。
「助かった・・・のかしら」
ベルトを外し、モニターを踏む形でシートから降りる。機体の姿勢を考えると、メインハッチは開かないだろう。どうせ海底なら外からの水圧でハッチは開かない。リリトは覚悟を決めて非常用ハッチのハンドルに手を掛ける。電池がなくても使えるように完全手動になっているハッチが、ギチリと動いた。
湿った風が入ってくる。リリトはほっと息をついた。どうやらどこかの陸地に流れ着いたようだ。シート裏のサバイバルパックを取り出すと、そろそろとハッチから首を出した。
胸部上面の非常用ハッチから顔を出すと、目の前には波打ち際、頭の後ろにはグラティアの顔があった。波が遊ぶ白い砂浜に足を下す。
岩場の見えない陸地だった。目の前にはいかにも南の島といった感じの木が生えている。朝日に照らされる海は鮮やかなエメラルドグリーン。珊瑚礁の小島といったところであろうか。木陰に移動したリリトは、大きく深呼吸する。艦で吸う潮の香りとは少し違う感じがした。
しばらく木陰に佇んでいたリリトは、気を取り直すように声を出す。
「何から、すればいいのかしら」
この島に人が住んでいればいいのだが、そうでない場合ここで救助を待たなくてはならない。しかし、グラティアは救難信号を発信できる状態ではなく、出来たとしてもNジャマー下ではそれが役に立つ可能性は低い。発見されるのを当て所なく待たなくてはならなくなる。
サバイバルパックを開けた。一リットルのペットボトルが二本に、ビスケットの入った缶詰が一つ。エマージェンシーブランケットと十徳ナイフにロープが少し、固形燃料一袋とライター。包帯にガーゼ、消毒薬と茶色の小瓶に入った黒い薬。気休め以外に何も入っていなかった。MSのコクピットのサバイバルパックなど、もともとが気休めのために置いてあるのだ。
自分でも不思議なほどにショックを受けないのは、まだ今の状況を十分に把握していないという事だろう。サバイバルパックを背負い、ホルスターの拳銃を確認して砂浜に沿って歩き始めた。人が住んでいれば、それで全て解決する。
汚れていない綺麗な砂だった。砂浜に遊ぶ波は透明なのに、それがほんの少し深くなるだけで、鮮やかな色をかもし出す。淡い緑色だったはずの海は、すぐに青い海となり、それが水平線まで進むと、とたんに空の水色に変わる。そして、その色を引き立てるように、雲が純白のコントラストを加えていた。
左手の木立は、椰子の木であろう。実物はプラントの植物園でしか見た事がないが、間違いないと思う。風に吹かれてざわめいているが、鬱蒼という感じでもない。一回りして何もなかったら、木立の中に入ってみる必要もあるかもしれない。
変化のない景色が続いた。砂浜には起伏もなく、緩やかにカーブしながらただ続いている。
環礁のようなものが見えた。この島を中心として珊瑚礁が輪を成しているのではなく、この島を基点にして小さな珊瑚の輪が出来たのだろう。その部分は、少し遠浅になっている感じであった。
鳥の鳴き声が聞こえ、海鳥が頭の上を舞っているのが見える。砂浜に降り立っている海鳥は人の姿に驚こうともしない。それを横目に、リリトは歩を進める。
あっという間に倒れたグラティアの姿が見えてきた。島を一回りしてしまったのだ。リリトは時計を見る。
「十五分弱・・・一周1キロないわね。ってことは、ほぼ円形だったから直径にして三百メートルほどの島・・・」
パイロットスーツを脱いでアンダー姿になったリリトは、汗を拭いながらそう結論付ける。もちろん人のいる痕跡はゼロだった。波打ち際が上がってきているので、満潮になるともっと小さな島になるだろう。砂浜の幅から、満潮時の波打ち際の線を予測してみる。
このような島は通常、孤立して存在することはない。他の珊瑚礁とともに群島となっているはずである。広大なインド洋とはいえ、そのような場所は限られているはずだ。近くに人の住んでいる島があれば、立ち寄る人もいるかもしれない。リリトはそう考えてペットボトルを見た。唇を湿らせる程度に水を口に含む。汗で失った水の方がはるかに多い。
それでもちゃんと水を飲もうとは思えなかった。スコールのようなものは期待できるとして、安定的に水が確保されないのであれば、このペットボトルは命綱である。インド洋の水平線が、地球の弧を描いていた。
リリトは椰子の木にもたれながら、それを眺めた。倒れたグラティアが驚くほどに小さく見える。ようやく実感が沸いてきた。今すぐにではないが、間違いなく命の危機だ。しかもそれを乗り越える術はあまりにも少ない。
リリトは立ち上がって周りを見渡す。さし当って考えなくてはならないことをピックアップする。
「夜は、コクピットに戻ればいいとして・・・水と食料・・・」
背後の林を振り返る。食べられる植物は期待できるのだろうか。だが煮炊きはどうやればいいのか。海には魚がいるだろう。だが、食べられるものを捕まえ、それを食べられる状態に出来るのだろうか。鳥なども捕まえるまでは出来るかもしれないが、それを食べる方法が分からない。
何度見ても同じものしか入っていないサバイバルパックを開け、もう一度コクピットに入って使えるものがないか探す。光が差し込んでいるため中の様子はよく見えた。しかし機体が倒れているために、シートすら使い物にならない。生きるために必要な物を、MSは持ち合わせていなかった。
せめて工具箱くらいはないかと思うが、最新鋭の兵器にドライバーやスパナは役に立たないのだろう。あったとしても、とりあえず何かの役に立つとも思えなかった。それでも、横倒しのコクピットを何度も見回した。
その度に絶望的な状況が、一つ一つ浮かび上がってくる。このままペットボトルの水を飲み干すまでに二日、それから死ぬまでに三日、その五日以内に発見される可能性は・・・リリトは頭を振った。
ぐるぐると回るだけの頭は、何も考え付かない。何度も息を吸うが、呼吸が整わない感じがする。
ジリジリと気温が上がるコクピットから抜け出そうと頭を出す。リリトは視線を止めた。先ほどパイロットスーツを脱ぎ捨てた木陰で何かが動いたのだ。それは、こちらに気付いたように木陰に隠れた。リリトは一瞬見えたものに考えを巡らせる。
漁などでこの島に立ち寄った人間であれば、ヘルメットなど被っているだろうか。
ショートパンツに挟み込んだ拳銃を抜く。サバイバルパックを置きっ放しにしていたことを悔やむ。リリトは木陰を睨んだまま、呼びかけた。
「私は、地球連合軍緊急即応部隊所属艦トレランシアの艦載機パイロット、リリト・フィランディエーレ少尉だ!」
木陰に動きがあった。パイロットスーツ姿の男が手を挙げて出てくる。バイザーを上げると応えた。
「アフリカ解放戦線のヘンリー・カグタだ。丸腰だ、とりあえず銃を下してくれ」
出てきた男の素直な対応に拍子抜けしながら、リリトは警戒を緩めず銃を構えたままで近づく。男の挙動を見逃すまいと最新の注意を払いながら、置いていたサバイバルパックを掴む。脱いでいた自分のパイロットスーツを小脇に抱えると、男からすばやく距離を取る。
ヘルメットの中で、男はあきれた表情を見せた。リリトは頭にカチンと来る物を感じながら、なおも男への警戒を続ける。いつの間にか足元を波が洗っていた。不意に足の小指に激痛が走る。
「! ったい! ・・・って!? きゃぁッ!」
思わず足を振り上げると、砂に足を取られてしりもちをつく。二度三度足を振って、ようやく小指を挟んでいたヤドカリが離れた。ずぶ濡れで呆然とするリリトの姿に、男は堪え切れないといった感じで笑い出した。
リリトも釣られて笑う。何か、笑うしかなかった。
男はフォルトゥーナが撃墜したグーン・エグゾゼのパイロットだった。近くの海に墜落し、機体が水没する前に脱出してここに泳ぎ着いたという。
「さて、お嬢ちゃん。これからどうするかだ。あと、いい加減、拳銃から手を離してもらえないか?」
パイロットスーツを着たリリトは、塩でべたつく体を気にしながら男を睨んだ。サバイバルパックの中のロープで、椰子の木に縛り付け、その間にスーツを着たのだ。流石にアンダー姿ではいられなかった。
そのまま縛っておこうとしたのだが、男からの猛烈な抗議に折れ、ロープは解いてある。ヘンリー・カグタと名乗った男は、年は四十より少し前だろうか、パイロットとしたら高齢の部類だろう。少し褐色がかった肌に黒い縮れ毛、丸い目の愛嬌のある顔だ。だがアフリカ解放戦線のパイロットであり、つい先ほどまでMSによる戦闘を行っていた相手だ。
しかし男は、敵同士であるにもかかわらず、まるでそんな事は意に介していないという態度だった。だからといって警戒を解ける相手ではない。
「真面目だな、二人で戦争する気かい?」
「・・・」
「自分が生きて帰るのと、敵を殺すのと、どっちの方が連合では重要な任務なんだ?」
リリトは男との距離を取ると、拳銃をホルスターに収める。不意に飛び掛られても対処できるだけの間合いを確保すると、先ほどまで縛られていた手首をさすっている男に向き直った。
男の言うことももっともだが、それを額面通りに受け取れるほど余裕はない。男は大仰に肩を落とすと、勝手にしゃべりだす。
「ここなら凍死の心配はしなくていい。島の真ん中に大きな水溜りがあった、スコールが定期的にあれば水も何とかなる。あとは食い物だが・・・」
男は海を振り返ると、大丈夫そうだなと言う。その余裕が癪に障る。男はサバイバルパックの中身を聞いた。リリトはパックを抱える。
「あのなぁ・・・取って食おうってんじゃない。こんな島で敵味方の殺し合いやったって生き残れないだろ」
差し出された手を無視して、リリトはパックの中身を広げる。転んだせいで、中に水が入ってしまっていた。慌てて中身を乾かすが、電子式のライターは火が着かなくなっていた。リリトは頭の中で、火を起こすための方法をいくつも考える。だが実践できる方法は何一つない。
「ライター以外は使えるな。とりあえず飯にしようや。そのビスケット、開けてくれ」
「食料の確保が出来るかどうか分からないのよ! これは最後の・・・」
「確保できなかったらどうせ死ぬ。空腹だと今まで以上に頭が働かなくなるぞ」
それに缶は用途があるので、錆びないように洗っておきたいと付け加えた。男の目は軽蔑とか嘲笑を通り越し、無知な若者への心からの哀れみを湛えていた。その視線にリリトはキレる。
缶詰のプルタブを投げ捨て、中に入っていた金平糖の小さな袋だけを男に投げつけると、入っていたビスケットを猛然と食べ始めた。大振りの缶に入っていたビスケットはあっという間にリリトの腹に収まり、缶の底の僅かな粉まで口に入れると、彼女はそのままペットボトルの水一リットルを一気に飲み干す。
男は金平糖を口に運びながらそれを感心したように眺めていた。
「ハッ、ふぅぅ・・・」
何か特別な事を成し遂げた気分で、リリトは木にもたれかかる。どうだといわんばかりの視線を男に向けると、男も木にもたれかかっていた。別段気分を害した様子もない。貴重な食料と水を無為に消費したというのに、体の方は即物的な満足に浸っていた。
やがてリリトは、急に襲ってきた睡魔との闘いに突入する。
「起きたか?」
目を覚ました事で眠っていたことに気付く。慌ててホルスターに手をやると、拳銃はちゃんと収まっていた。念のため弾の数も調べる。そしてサパイバルパックの十徳ナイフも確認して一息つく。太陽は相変わらず真上にいた。それほど長い時間眠っていたわけではないようだ。
そこまで考えて、リリトはようやく目の前の変化に視線を止めた。ノーマルスーツを脱いだ男が、焚き火に枯れた椰子の葉っぱを投げ入れていたのだ。明るい太陽の下だが、火の存在感は確かだった。
リリトはライターを取り出してみる。何度スイッチを押しても火は着かないままだ。固形燃料はいつの間にか使われていたが、どうやって火を着けたのか。
「種明かし、しようか?」
茶化すような男の声に、リリトは聞こえるように舌打ちをする。男はもったいぶった手つきで、丸い透明なものを取り出した。透明のアクリルで出来たレンズのようなもの。見ると湾曲した二枚の丸いアクリル板の間に水を入れ、泥で張り合わせたものだ。
そのアクリル板に見覚えがあったので、リリトはグラティアに走った。コクピットを覗くと、モニターのあちこちに石か何かで叩かれた跡がある。計器のカバーに使われていたアクリル板が取り外されていた。
即席のレンズで太陽光を集めて、ほぐした固形燃料に火を着ける。それが人のMSを勝手に壊す方法だとして、非常に賢い方法だと言えた。
「どうせ動かないMSだ」
男の言葉に腹も立たなかった。事実であるし、何より寝る前と違って頭が冴えている感じがする。食べた事と寝た事が良かったのだろう。逆にその単純な事実に腹が立つ。リリトは大きく息を吸う。気合を入れるように息を止めて、男の前にドカッと座った。
気圧されないように視線に力を込めると、男は笑った。焚き火をつつきながら笑顔のままで言う。
「気張るな、何とかなるさ」
「・・・そのようね」
男は焚き火で湯を沸かしていた。ビスケットの空き缶に水を入れて沸騰させている。サバイバルパックの水は封を切らずに置いていた。男の周りには牡蠣の殻がたくさん落ちている。
「ちょっと行ったところにたくさんいた。こいつは生が一番だ、レモンがないのは我慢する」
水溜りの水は沸かして飲めば安全だと付け加えた。
「一生、生牡蠣で生活するの?」
「セレブな生活じゃねぇか」
鳥も魚も取り放題だと言うと、男は缶を焚き火から取り出す。パイロットスーツの耐熱性は十分に使えるので、手袋だけ切り取って手にはめていた。男は息を吹きかけながら湯をすする。
リリトは立ち上がった。暑いのでパイロットスーツの上だけを脱ぐ。
「迷子になるなよ」
林に向かう彼女に、男はそう呼びかけた。
男の言っていた通り林の中に大きな水溜りがあった。直径にして十メートルほどだろうか、深さはなさそうだが、上澄みを煮沸すれば飲み水として使えそうだ。このような島ではすぐに干上がってしまいそうだが、周りの地面を見ると十分に湿っている。おそらくスコールの直後はもう少し広くなるのだろう。常に天水が補給されるのであれば、水の心配はなくなるかもしれない。
ただ植物に関しては食べられそうなものが見当たらない。赤道付近の島では芋のようなものを栽培していると聞くが、どこにでも自生している物ではないのだろう。
「椰子の実って、食べられたっけ?」
考える間もなく反対側に出た。もと来た道を引き返すか、海岸沿いに戻ろうかを考える。リリトは波打ち際を歩き出す。視線が食べられそうな貝がないかと足元に向かっている事に、彼女は一人笑った。
一端の漂流者気取りだ。いや漂流者なのだが、想像以上に順応している事が可笑しかったのだ。それは多分、あの男のせいだろう。一人だったら、今でも取り乱し続けていたに違いない。
一人でいるということが、それほどに不安を掻き立てるのだということを思い知る。小さい頃はそうではなかったというのに。
不意に友人達の顔が浮かんだ。彼らは何をしているのだろうか。
ユンディがタルハにしな垂れかかる。ぐったりと投げ出された体をタルハは抱きとめ、そっと椅子に座らせた。彼女はカップに注がれたホットミルクに口をつける。吸い込んだ表面の膜を下の上で転がしながら、ゆるゆると視線を上げた。
食堂の小さな窓から見えるインド洋は相変わらずの青さだが、その景色は僅かずつ動いている。曳航船が到着したのだ。トレランシア自体が海の上を進む格好をしているわけではないので、二隻の船に引かれながらもその速度はそれほど速くない。マダガスカルに到着するのは、順調に行って三日後だった。
「リリト・・・生きてるよね」
そのつぶやきはようやく発する事ができたものだ。彼女の生存に疑問を差し挟むことすら、出来る状態ではなかった。もしそんな事をすれば、それこそ殴りあいになりかねない、そんな状態だった。
だが、その状況に居心地の悪さを感じているのも事実だ。友人として、行方不明になった彼女を心配するのは当然だろう。ユンディもタルハもそれは同じだ。だが、それがあたかも自己目的化してしまっているような雰囲気に気持ち悪さを覚えるのだ。
もともとはフィジェとタルハが知り合いで、ユンディとカシアが複数の同じ講義を取っていたという仲である。そこから、同じ専攻のユンディとタルハのカップルが、カシア達四人のグループと繋がるという形の友人であった。だから、半歩引いたスタンスで今の三人を見つめる事ができている。
「あの子達の心情に嘘はないと思うよ・・・」
フォルトゥーナが発艦していく姿が見えた。三人とも、ろくに寝ないでリリトの捜索を続けている。艦長も副長も、半ば放任状態であった。アレナがイェレを殴り飛ばしていたが、あまり効果はなさそうである。
しかしそれはやはり異常なのではないだろうか。確かにきめ細かな捜索だけが発見のための唯一の方法であるが、それは個人の過重な負担によってなされるものではない。現に複数の偵察機がローテーションを組んで、漂流予測海域の捜索を行っている。フィジェやイェレが無理をしなくても、十分なシフトになっているはずだ。ましてや漂流予測は、コンピューターが無数のシミュレートを行っている。カシアが徹夜で行う必要など皆無だった。
それでも彼女らはそれをやめようとしない。それをしなければリリトが見つからないと思っているからなのか、それともそれをしない自分に耐えられないからなのだろうか。
「耐えられない・・・か」
タルハはユンディからカップを受け取って、ミルクを飲む。
例えばユンディが行方不明になったら、自分もああなるかもしれない。それは単に、友人として近いか遠いかだけの問題とも言えた。しかしそれは、自分と彼らを比べた場合である。彼ら三人の中では、何か別の力が働いているとも考えられた。
それがこの違和感を生み出す正体なのかもしれない。先ほど戻ってきたばかりのリベルが発艦する。アジズも匙を投げているのだ。機体が壊れるまで、何を言っても無駄だと嘆いていた。
だったら彼らが壊れる前に、機体の方が壊れてもらいたいものだった。MSならいくらでも直す方法はある。
「さ、カシアに朝御飯持っていくかな」
寝るのはそれからにしよう、そういってユンディが立ち上がる。朝食を取っていたヒューに頭を下げると、二人で食堂を出て行く。その背中に視線を注ぎながら、ヒューは離れた場所に座ろうとしていたタラスを手招きする。あからさまな不満顔を浮かべた彼は、それでもヒューの斜め前の席に着いた。
無言でスープに口をつけるタラスを、ヒューはじっと見つめる。そして彼に意見を求めた。
「こっちには関係ないですよ」
「そう言うなよ、シフトずらして飛行回数増やしてるだろうが」
「あの機体は貴重です」
ヒューは大げさにため息をつき、カップのコーヒーをすする。彼らの行動は咎める方法が難しいのだ。上下関係を利用して無理やり休ませることは不可能ではないが、一番上の二人がそれを放棄している以上、なかなか難しい。
コーディネーターは頑丈だなどといっているが、頑丈なのと壊れないのとは別の話だ。しかしそれを言ったところで納得も理解もしないだろう。
「連中が自己満足の友情ごっこに浸りたいならやらせとけばいいじゃないですか」
「・・・うらやましいか?」
「別に。戦闘に関係しないなら死ぬのは奴らだけです」
不意打ちの挑発に乗らなかったということと、意外と的確な分析をしている事に感心する。ただ、悪意のあるその物言いにまで同意するつもりはなかった。むしろそれは若者にとって必要な事のはずだ。タラスもまだ、そういう事を必要とする年齢だろう。
現実と理想のギャップを、理想を引き下げる事でなく行動を先鋭化することで埋めようとする行為。それは重要な行為であるはずだ。ただ彼らにとって、それを行う場所が戦場であることが不幸なだけである。
しかし同時に、それを平和な学園生活の間に体験しておかなかったことは、彼らのうかつさであろう。学生時代の短さに、学生でなくなってから気付いても遅いのだ。
「早いとこMIAを宣言すればいい。そうすれば心置きなく休める」
「涙に暮れてな・・・」
「そうでしょうかね」
タラスはコップの水を飲み干す。
悲しみは過去に対してのみ生まれるものだ。未来を悲しむ事など出来はしない。それに対して、希望は未来に向かって生まれるものだ。
儚い希望をかき立てて、それに縋って日々を過ごさなくてはならないことは、苦痛でしかないだろう。その希望が消えない限り、別の希望を探す事すらできないのだから。それはもはや希望ではない。
それは、もしかしたら不幸な生き方かもしれない。タラスは空になったグラスを見つめた。彼の故郷は、きっとそんな不幸の中にある。
立ち上がって伸びをするヒューを見上げた。窓の外には着艦する偵察機の姿が見える。グラティアの捜索はマダガスカル到着まで続けられる。