Green travelers ~ The another seed ~   作:VSBR

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第十六話 生きる力

 山の斜面を立方体が登っていく。底面の無限軌道は塹壕を押しつぶし鉄条網を引きちぎり、前面から乱射される様々な砲弾はコンクリート製のトーチカを粉々に砕いていく。クラスター弾頭のロケットは爆弾を地面に敷き詰め、化学薬品を詰め込んだミサイルは鉄をも溶かすシャワーを降らせる。

 その上空では、砂時計が手足を振るわせている。触れるものをことごとく切り裂くその手足は群がる戦闘機を一蹴し、体の各部から伸ばされるビームサーベルが近くのMSを切り刻んでいく。そして遠方から攻撃しようとする敵は、レーザーが薙ぎ払っていった。

 奇妙な形をした二機のMS、チンシャーレンとチーシャーレンは、文字通り傍若無人に振舞っていた。この二機は、アフリカ解放戦線によって占領された鉱山の一つを奪還するために、投入されている。

「温いどころか冷たいな~、オイ」

「これじゃ勝利の美酒も安酒になっちゃうわ」

 だが二機のコクピットから聞こえる声は、この作戦が持つ戦略目的や戦術目標に関心がないといった感じの声である。その弛緩した声と下らない内容の会話に変化が現れたのは、敵に新型MSが登場してからであった。

 アフリカ解放戦線が使用しているMSは、連合製の旧式とザフト製の古い鹵獲機が主である。しかし鉱山守備隊の撤退支援に現れた部隊を引き連れていたのは、全く異なるMSであった。

 モノアイのデザインは間違いなくザフトのものである。ドムの持つ重量感とジンやゲイツのシャープさを兼ね備えるその機体は、ザクシリーズよりもはるかに洗練されたデザインであった。

 グリーンとグレーの地味な配色に抑えられたそのMSは、シールドを構えてビームライフルを放つ。

「はっ! 収束率が高いな、イイ銃持ってやがる!」

「お先!!」

 チーシャーレンが仕掛ける。レーザーキャノンで牽制しながら懐に飛び込み腕を振るう。シールドに傷をつけるが、逆に押し込まれた。敵の左腕に装備された三連装ロケットランチャーは辛うじて回避するが、その隙に距離を取られてしまう。

 そのMSは、前進を続けるチーシャーレンの前に立ちふさがるように着地して、ビームライフルを連射した。ラミネート装甲を使用するが、前面の砲門は全て閉じざるを得ない。それを見透かすように敵MSが突進する。

 長い柄の両端からビームの刃を形成する特殊なビームサーベルを回転させながら、チンシャーレンに肉薄するMS。立方体の一つから伸ばされた細い腕が、ビームサーベルを伸ばしてそれを受止めるが、同時に腕の二三本を切り落とされた。

 急降下してきたチーシャーレンの蹴撃を、木の葉型のシールドを犠牲にして受止めるとそのMSは煙幕を張って撤退した。十分に時間を稼いだということであろう。画面からは、ヤンとインの悪態が途切れることなく聞こえてきた。

「きちんと仕事をしているようで安心した」

「仕事? 遊びですよ、こんなものは」

 戦闘報告の映像を止めた男が冷たい声で言った。二機のシャーレンとイン、ヤン二人のパイロットを運用する、東アジア軍の特殊部隊・ジンビンメイの責任者、チン・ヤンチャンだ。会議室代わりに使っている輸送機のブリッジで、彼は目の前の男を睨んだ。

 スーツの男はそれを無視し、敵の新型はザフトの最新鋭機であろうと言う。それが意味するところは分かるが、ジンビンメイはそのような国際政治に関係する部隊ではない。彼らの目的は別のところにあるのだ。

 だが、スーツの男は思いがけないことを言う。ヤンチャンは、睨んだ視線を緩めて話を聞く体勢となった。

「ウェイティアンシーは消息不明、イージヨウは撃墜された。確定情報だ」

「やったのは?」

「連合の緊急即応部隊、君らも交戦経験があるはずだ」

 ヤンチャンは即座に思い出す。あの部隊に、一機だけ突出して動きの良い機体があった。だが、そうだとしてもにわかには信じがたい。彼らが戦後すぐから追い続けていた者が、こうもあっさりと失われるものなのか。

 スーツの男の様子は、そうではないことを示唆している。しかし、それほど確度の高い情報を持っているわけでもなさそうだ。

「失われたと確定しているのは機体のみだ。組織そのものはまだ連合が追っている。諜報部からの情報だが・・・生きている確率は高いそうだ」

 男は、どのみち諜報部の手を借りなくてはならないと付け加えた。ジンビンメイだけで解決できる問題ではなくなったという事だ。軍や政府の関与が強まるのは、あまり面白い事態ではない。特に、軍に下手な興味を持たれたくはなかった。

 彼らとしてはあくまでも、対象の研究が目的なのだ。その利用など二の次以下である。スーツの男は紙コップのお茶を飲んで、しばらくはアフリカで現地軍との共同作戦を続けるように告げた。

 それには興味がないといった顔で、ヤンチャンは尋ねる。撃墜の要因は何が考えられるのかと。

「・・・機体の突発的なトラブルだろうな。少なくとも、ヤキンやメサイアを目の当たりにした人間としては、パイロットの変調は考えられん」

「この可能性は? 敵のパイロットも同等の性能を有している」

 ヤンチャンの言葉に男は視線を鋭くした。可能性であれば、排除できない。情報によれば、連合の緊急即応部隊にはプラントからパイロットが参加しているという。男はスーツの襟を正すようにして立ち上がった。

 そして、プラントにおける研究機関の動向についても調査を進めると置くと言い残し、輸送機のブリッジを出て行った。ヤンチャンは大きく息をついた。研究者としては面白い事態かもしれない。

 しかし、ジンビンメイの責任者としては、しばらくは退屈な日々を送らなくてはならないのだろう。紙コップを握りつぶし、勢いよくゴミ箱に投げ捨てた。

 

 バイザーを閉じたヘルメットは気密性が高い。水を汲んで運ぶにはうってつけの大きさでもある。昨日のスコールで水溜りの水量も回復し、楽に水が汲めるようになった。リリトは水をなみなみと湛えたヘルメットを置いて、もう一つのヘルメットを覗き込んだ。

 海水とともにたくさんの二枚貝が入れられている。だいぶ砂を吐いているようだ。砂浜から取ってきた二枚貝はこうしてから調理するという事を、リリトは知らなかった。あとは、グラティアのメンテナンス用ハッチの一部に使われていた金属板の上で焼けば食べられるそうだ。

 この島に漂着してから五日目、飢えも渇きもせずにリリトは生きている。呼び声に振り向くと、ヘンリーが手を振りながら歩いてきた。

「鳥?」

「さすがにシーフード生活に飽きたんでな、今日は肉だ」

 ヘンリーの手には、足をロープで結ばれた二羽の鳥がバタバタともがいている。彼はリリトに十徳ナイフを貸すように言った。リリトは無意識に後ずさりしている。彼は言った。

「魚なら焼けても、鳥を絞めるのは怖いか? とにかく俺は食う、ナイフを貸してくれ」

 リリトにもそれくらいの矛盾は分かる。棒と缶の蓋を使って作った銛に突かれたままピチピチと跳ねる魚を、そのまま焼いて食べるのと同じだ。これは生きるために必要な事であって、動物愛護などとは異なる次元の話なのだ。

 リリトは黙ってナイフを手渡す。ヘンリーはうなずいてそれを受け取った。

 鳥の首を捻って絶命させると、血管を切って逆さにして血を抜く。それが終わると慣れた手つきで羽をむしり、ナイフで腹を割くと内臓を取り出していった。つい先ほどまで鳥であった生き物は、瞬く間に肉という食べ物に変わっていく。そのことに感動すら覚える。

 燃えにくい太い棒で肉を丸ごと突き刺し、焚き火にかざした。

「美味そうだろ? 気にすんな、都会っ子はそういうもんだ」

 ヘンリーはそう言ってリリトに座るよう言う。ペットボトルに入れておいた煮沸済みの水を飲みながら、内蔵まで綺麗に食べる方法を考えないといけないと言って、焚き火の上の肉を回していく。

 やがて肉の焼ける香ばしい匂いと、溶けた脂の甘い香りが広がり始めた。リリトは唾を飲み込む。差し出された腿にかじりつきながら、リリトはヘンリーを見つめた。

「美味いか? この美味さが命だよ」

 ナイフで肉を切り分けながら、ヘンリーはそんな事を言った。きっと、頼りがいという言葉は、こういう人物に当てはめるのであろう。褐色の肌に、落ち着きと余裕の表情が映える。

 はっきり言って、この島においてリリトの出来る事は火の番と水汲みくらいである。貝のいる場所を的確に探す事も、素潜りで魚を取る事も、鳥を捕まえて肉にすることも、火を起こす事だって出来ない。アカデミーでの野営訓練など、ここでの生活に比べれば体育館でのピクニックのようなものだ。

 知識も身体能力も、劣っているとは思わない。いや劣っているはずがない。だがリリトの持つそれは、人が生きるためにはたいして役に立たないものばかりだったのだ。リリトは笑う。

「どうした? 熱い視線には応えられないぜ、俺には君と同い年の娘がいるんだ」

「・・・っバカ! セクハラおやじ!」

 リリトは腿の骨を投げつけて立ち上がった。

 砂を払ってグラティアに向かう。上まで登って周囲を見張るのだ。素足に絡む波が気持ちいい。パイロットスーツはもう着ていなかった。隙なら、これまでに嫌と言うほど見せてしまっている。それで大丈夫なのだ、信頼できる男性だろう。

 横倒しになったグラティアの一番高い場所、バックパックの一角に腰をかけて、周囲の水平線を見る。全パノラマがインド洋だ、空と海以外は何も見えない。風に髪をなびかせながら、リリトは微笑む。

 自分の小ささが嬉しかった。コーディネーターの限界が嬉しかった。自分が特別ではないという事実に頬が緩む。世界はこんなにも大きい。壁も天井も何もない。どうしようもなく広大な世界の中で、どうしようもなく小さな自分は、きっとどこまでも自由だと思う。

 しかしその自由は、ひどい不安も呼び起こす。この広さの中で消えてなくなってしまいそうな不安。視線を移して、木陰に横たわるヘンリーの姿を確認する。

 リリトの目の端に積乱雲が入った。真上の雲を見上げて流れる方向を見る。スコールが来るかもしれない。リリトはグラティアを降りた。うとうとしかけたヘンリーを起こして雲を指差す。

「・・・来るかどうか、五分五分じゃないかな。ま、来てくれるに越したことはない」

 ヘンリーとリリトは木陰の一つに穴を掘る。そしてそこに焚き火を移動させた。灰と炭で火を維持できるように整えると、その上からエマージェンシーブランケットをゆったりとかける。ビニールとアルミ箔の複層構造になっているこれは、水を通さない。短い時間の雨ならこれで凌げるのだ。レンズでの火起こしは日が照っているときでないと使えないため、出来るだけ火は維持しなければならない。

 そうこうしている間に、雲が一気に近づいてきた。間違いなくスコールになる。ヘンリーは小躍りしながら、裸になって雨を待ち構えた。

「いきなり脱ぐな!」

「この年になって恥ずかしいとかないから」

「こっちが恥ずかしいの!」

 後ろ向きになったリリトは、そう叫んで林の中に入る。そのまま反対側の浜に向かった。スコールで全身の汗を流すのだ。嫁入り前の体を男の前に晒すわけには行かないので、反対側までいく。

 丁度着いた時に雨が降り出した。雨の降り方は激しいが、その時間は驚くほど短い。リリトも裸になって全身に雨を浴びる。痛いほどの雨粒が、あっという間に汗を洗い流してくれた。

 難点は、乾いたタオルも代えの下着もないことだろう。張り付く感触を気にしながら濡れた服を身につけ、波打ち際に沿って歩き始める。焚き火の場所に戻るころには、服も髪も程よく乾いていた。

 

 焚き火で熱せられた金属板の上で、二枚貝が耐えかねたように口をあけ始めた。こぼれた汁が焦げて香ばしい匂いが漂ってくる。リリトは牡蠣の身を口の中に滑り込ませると、手袋をつけて焼けた貝をつまむ。海水以外の味付けがないのは玉に瑕だが、十分に舌鼓を打てる味だ。

 空を埋め尽くさんばかりに星々が輝き、それを圧倒するように満月が夜を照らしていた。薄青いその光は、明るいという表現がぴったりだ。地球の夜をちゃんと見たのは初めてのような気がする。

「そうか、まだ半年か」

「プラントの夜がいかに作り物か、よく分かるわ・・・」

 リリトは飽きることなく空を見上げる。焚き火が小さな音を立ててはぜた。ヘンリーは星を指差しながら星座の名前を言っていく。そしてそれらの高さから、島がほぼ赤道直下であると見積もる。

 救助のたしになる情報でもないがなと付け加え、ヘンリーは横になった。立派なベッドはどうやれば作れるだろうかなどと言っている。リリトは笑った。彼なら本当に作ってしまいそうだ。

 救助が来るまでどれくらいの期間があるのだろう。その頃には、もっと暮らしやすくなっているのではないだろうか。リリトはそんな事を思った。

「楽しそうだな、お嬢ちゃん」

「生きていく目途がたって、余裕が出たのよ」

「助かる目途は立ってないぜ・・・」

 そう言うとヘンリーは起き上がる。そして深いため息を一つついた。焚き火のほの赤い光が、寂しげな陰影をその顔に作る。彼はリリトの顔を見つめると、言葉を選ぶように尋ねた。

 何故MSに乗っているのかと。リリトはその問いの意味を問う。

「君のような若者が、このご時勢に戦争の只中にいる。それは理由がなくても可能な事なのか?」

「・・・可能なのよ」

 水を口に含みながらリリトは答えた。確かにプラントと連合の戦争は終わり、両者とも同様に戦争を再開する余力はない。各地に紛争が存在するとはいっても、それは当事者でなければ無関係で済ませられるものだ。

 それにもかかわらず、リリトはその最前線にいる。しかし積極的にそこに関わるだけの理由が、彼女にあるのだろうか。カオシュンのテロ以来、トレランシアのクルーとして見知ってきた事、そこから感じた事、それがグラティアに乗る理由だとは、思えないままだった。

 連合加盟国の政策がもたらす紛争や貧困とそれへの憤り、それは直接見なくとも知っていたことに過ぎない。それらに対してオートマチックな反応したところで、自分自身を動かす決定的な理由にはなりえない。

「現代っ子、って奴なのかね・・・俺らの若い頃じゃ、理由の一つ二つ即答できたぜ」

「国家のため? そういうの嫌いなの・・・」

 それはリリトを傷付ける言葉だ。もしトレランシアに残る理由があるとすれば、その言葉から遠く離れるためなのかもしれない。

「家族は?」

「いないわ」

 リリトは膝を抱える。ヘンリーのばつの悪そうな顔に、小さく微笑んで見せた。

「あなたは、良い父親なのでしょうね・・・父親がどういうものかは知らないけど、きっとそうだわ」

「・・・娘に聞かせたいね」

 リリトは会いたいかと聞く。ヘンリーは無言のまましっかりとうなずいた。そして彼は、同じ問いかけをリリトに返した。恋人とか友人はいるだろう、と。

 リリトは目を伏せた。イェレ達の顔を思い浮かべる。膝を抱く手に力がこもった。波の音は規則正しく、それでいて時折揺らぐタイミングがそれに飽きさせないようなリズムを入れる。

 リリトは小さくうなずいた。

 

 マダガスカルの領海に入り、護衛の艦艇がトレランシアについた。クルーには一斉に休息が与えられ、ブリッジも無人になる。いや、CICには一人だけ残っている者がいた。

 マーカスは薄暗いブリッジの中で、寂しげにキーボードの音が響くのを聞いた。タラップを降りて中の人間に声をかける。

「艦長・・・」

 カシアの力ない声に、マーカスは眉を顰める。いくらコーディネーターとは言え、無理をすればそれが体に返ってくるのは道理だった。顔色は悪く、目の下のくまは隠せず、充血した眼は痛々しい。

 命令通りに休むように告げると、カシアはあと少しだけといってキーボードに向かう。レセディのように軽蔑を込めて放っておくのは性に合わなかった。

「先ほど発艦した偵察機が戻ってくる頃には、入港の準備開始だ。フィランディエーレ少尉とグラティアの捜索はマダガスカル到着までと言ったはずです」

 つまり今行われている捜索が最終なのだ。グラティアの漂流地点割り出しはもはや必要ない。カシアの仕事も必要ないということだ。彼女は手を止めなかった。マダガスカルに到着して、状況をプラントに説明してからMIAの認定を出す事になっている。

 マーカスとしては、ギリギリまで延長したつもりだ。それで納得できないのであれば、何をやっても納得できないだろう。彼はカシアの肩に手を置く。

「君達は出来うる限りの事をしていた。だったらそれを受止めるしかない」

「そんなので・・・!」

 カシアは手を振り払うようにマーカスを睨む。何度も何度も涙を拭ってディスプレイに向かう。

 それが戦争だとでも言うつもりなのだろう。だがそれは納得ではなく諦めだ、事実を受止めるのではなく現状を是認しているだけだ。これは無駄な抵抗などではないはずだ。カシアの思いを遮るように、マーカスが腕を掴む。

 カシアの視線を圧倒するような厳しい顔。マーカスが初めて見せる表情だった。

「君の苦しみは世界を動かすのか?」

「そんなこと、考えてなんか・・・」

「なら、君が休んでいても世界は動く」

 マーカスはいつもの柔和な表情に戻った。そして、カシアの眼を見て尋ねる。どんな友達だったのかと。カシアは涙に震える声で、分からないとだけ答えた。本当に友達だったのか、それすら自信が持てなくなっていた。

 リリトの事を、驚くほど知らない自分がいる。そして自分もリリトに、どれだけ自分の事を伝えてきただろうかと思う。

 一緒に講義を受け、一緒に遊んでいた、あのアカデミーの日々は、実はどこまでも空疎だったのではないだろうか。日々の騒々しさにかまけて、互いのことに関心を持たぬままきたのではないだろうか。何か大切な事を考えないまま、ただ生活していたのではないだろうか。

 せっかくそこまで気が付いたのだ。せっかく今からそうではない関係を目指そうと思っていたのだ。それがこんな形で途切れてしまうことは、本当の意味で取り返しの付かない事をしてしまうような気がして、たまらなく怖い。

 もしリリトが見つからなければ、きっとアカデミーでの生活全てを後悔するのだ。彼女の事を知ろうとしなかった、その必要性すら感じなかった愚かな日々を後悔するのだ。それが怖かった。

「ちゃんと友達になっておけばよかった・・・」

「君達は友達だよ」

 マーカスがカシアの頭を撫でると、彼女は静かに泣き崩れた。そして緊張の糸が切れたように椅子から崩れ落ちる。彼女は涙のまま寝息を立てていた。

 マーカスは、彼女を抱きかかえてブリッジを出る。たまたま通りかかったレセディが、過保護な事でと冷たく言ったがそれを無視しておく。だが彼は途中で引き返してレセディにカシアを頼んだ。

 泣いている女の子を部屋まで運ぶ男、良い噂が立つとは思えなかった。

 マーカスからカシアを受け取ったレセディは、彼の後姿に首を傾げる。頼りになるのかならないのか、よく分からない人だと。

 

 枯れた椰子の葉が燃える。揺れる炎が影を作る。波の音も耳に慣れ、島の夜はとても静かだ。リリトは膝を抱いたまま思う、友達に会いたいという気持ちは嘘ではないと。それが片思いではないという自信を持てないままに。

 リリトが始めて触れた社会であるザフトのアカデミー。そこは彼女の力を比較するための最適の場所として選ばれたのだ。日常生活に伴う人間関係は、副次的なデータとして収集されていた。

「だから・・・出来るだけ関わり合う人間を少なくしようとしていたわ」

 それは単にささやかな抵抗に過ぎなかった。しかし、自分に関わってくる人間が現れた事で、それはささやかな抵抗では済まなくなった。

 ただ当たり前のように、自分自身に接してくれる人達。それは新鮮な喜びだった。ただのリリト・フィランディエーレに関わってもらうという事は、ただのリリト・フィランディエーレでいられるという事だ。それは初めての体験だった。

 自分自身が何者であるかを忘れるくらいに楽しい日々。彼らと共に過ごす時は、何者でもない自分でいられる気がした。

 だが、その関係が深まっていくことに、リリトは不安を覚えてもいた。自分に深く関わる人間は、やがて自分と同じ扱いを受けるのではないかと。

「イェレに誘われて映画に行った日だった・・・報告書にその時の状況を記入する欄が出来ていたの」

 リリトは唇を噛む。

 自分と同じように自分の周囲の人間が扱われるのは、耐え難い苦痛だ。だから、深入りは避けようと思った。アカデミーを出れば離れ離れになる。学生時代のただの友人で終わればそれでいいと思った。

 しかし、それもまた苦痛であった。もっとイェレの傍にいたいと、カシアの事をもっと知りたいと、フィジェと仲良くなりたいと、ユンディやタルハとも・・・そう、どうしようもなく思ってしまうのだ。

 それでいて、自分の事は知られたくない、隠し通さなくてはならないと思っていた。単にそれを言う事を禁じられていただけではない。自分自身のことを彼らに知られる事が怖かったのだ。ただのリリトでいられなくなることが嫌だったのだ。

 そして、中途半端な距離のまま、近づく事も遠ざかる事もできず、解決策も見つけられないまま今まで来てしまった。リリトは涙を浮かべて笑った

「でも・・・私の事は知られずに済んだ。ただの友人で終わる事も出来そうだし・・・」

「だから、悲しいんだろ」

 ヘンリーの言葉に、リリトは浮かべた涙をこぼす。

 通り一編のお悔やみで忘れられてしまうただの友人だとすれば、それはどうしようもなく悲しい。リリトは涙を何度も拭った。

 ヘンリーは真っ直ぐにリリトを見る。そしてゆっくりと言葉を選ぶ。

「君の生まれは確かに特殊だ。君の育った境遇も特殊だ。でもな、会いたい友達がいるってのは、君がただの女の子だってことだろ」

 ただの普通より美人だけどなと、一言そうつけ加えてウインクをした。

 彼は気休めなどではなく、本当にそう思って言ってくれているのだろう。ヘンリーの視線をそう感じた。リリトは膝を抱えたまま眼をつぶる。

 眠りに落ちていく中、潮騒が遠くなっていく。

 

 救助の手は意外と早かった。二日後、東アジアの遠洋漁船がこの島を発見してくれたのだ。海図にも載っていない島だったため、発見は全くの偶然であった。

 前世紀、地球温暖化による海面上昇はインド洋の島嶼国家を水没の危機に追いやった。この島はその対策の一環として、比重の軽い特殊なコンクリート製ブロックに成長の早い珊瑚を移植して作られた、人口の島だったのだ。温暖化の危機が去った事で島は放棄されてインド洋を漂流し、まだ海面に頭を出していなかった珊瑚礁に引っかかってそのまま成長を続けていたのだという。

 二人は最寄のセーシェルで下され、そこで引渡しを待つこととなった。リリトは不安げな顔でヘンリーを見る。

「あなたは、どうなるの?」

「連合に引き渡されて、どっかの収容所だな」

 こぼれんばかりにバターを塗ったトーストを口に運びながら、ヘンリーはこともなげに言う。連合はアフリカ解放戦線を国家とは認めておらず、あくまでもテロ組織として扱っている。そのため、捕まった者はコルシカ条約に基づく捕虜ではなく、犯罪者として扱われる。そこでの待遇に、良い噂は聞かない。

 リリトは視線を落とした。自分に何が出来るだろうか。彼に報いるために、何か出来る事があるだろうか。それを察したのかヘンリーが笑う。戦場に舞い戻るより死ぬ可能性は少ないと。

 滞在場所として与えられたホテルの食堂は閑散としている。仕事熱心なウェイターが何度もコーヒーを勧めにきた。ヘンリーは飽きることなくコーヒーをおかわりする。湯冷ましとシーフードのみの食生活か解放された幸せを噛み締めているのだ、などとのん気な事を言っていた。

 リリトが呆れた表情を見せた時、スーツ姿の男性が二人のテーブルに近づいてきた。その人は丁寧な口調で話す。

「申し訳ありません、フィランディエーレさん、すぐに出発の準備を」

 驚いた表情で聞くと、直接原隊へ復帰させるようにとの連絡を、迎えの飛行機が持ってきたのだという。突然の事にリリトは戸惑いの表情をヘンリーに向ける。彼は微笑んでいた。

 準備といっても身一つで救助されたのだ。カップに残っていたコーヒーを飲み干すとリリトは立ち上がる。ヘンリーも付いてきてくれた。

 滑走路しかないような空港に、車でそのまま乗り付ける。CとAを乗せた天秤の絵、緊急即応部隊のマークを付けた小型機が隅の方に駐機してあった。慌てて調達したのだろう、マークがすこし歪んでいる。整備員がタラップを移動させて小型機につける。

 風がリリトの髪を揺らした。彼女は振り返って言葉を探す。

「その・・・本当にありがとう。他に、他に何て言っていいのか、分からなくて・・・その・・・」

「おいおい、泣くのは友達に会ってからだろ」

 その言葉に、リリトの眼から涙が溢れる。ヘンリーに抱きついてリリトは泣いた。子供をあやすように撫でられ、彼女は気持ちが落ち着くまで彼に抱きついていた。

 差し出されたハンカチで涙を拭くと、リリトは小さく頷いてタラップに足をかける。機内に入る前に、もう一度振り向いた。ヘンリーは言う。

「早く行きな、友達が待ってるんだろ。知るとか知らないとか、普通とか特殊とか、そんなのは友達である事とは何の関係もないさ」

 乗組員に促され、リリトは機内の席に着いた。窓に張り付くようにして外を見る。滑走路に向かってゆるゆると動き始めた飛行機を、彼は見送り続けてくれた。

 

 リリト救出の報を受けたのは、MIA認定のための書類にサインをしている時であった。マーカスは書類をシュレッダーにかけると、すぐに迎えを手配させる。レセディも表情を緩めていた。

 グラティアの漂着地点も伝えられたため、そちらの回収も指示しておく。発見したのが民間の漁船であったため、機体の機密に関する始末書は書かずに済みそうだった。

 クルーにもその報は伝えられ、トレランシアは一気に慌しくなる。アジズは早くもグラティアの受け入れ準備を始めていた。トレランシアのサブカタパルトから発進した輸送機の中で、アレナが言う。

「タラスはあっちの方が良かったんじゃないのか?」

「はぁ!?」

「イジってやるな。こいつなりに気を利かせたんだよ」

 ヒューはそう言ってタラスの頭をポンと叩く。むくれた顔のタラスは、格納庫へ足を向ける。三人はグラティア回収に同行するのだ。

 リリトを迎えるのは当然、五人であった。マーカスから伝えられた到着時刻は夕方であるが、五人は昼前から空港ビルに陣取っている。あまり人のいない空港ロビーを、イェレは既に十回も往復している。

「落ち着けって」

「だったらお前も貧乏ゆすりやめろ」

 小刻みに動くフィジェの足を指摘しながら、イェレは再びロビーの端まで歩く。ロビーの時計を見上げていたカシアは、その針を指差しながらユンディに言う。

「ねぇ、あの時計、止まってない?」

「どの時計も正常です」

 一分おきに腕時計を見ている彼女の様子は、最初こそ微笑ましいものだったが、今はうっとうしいだけである。それを言おうとするたびに、タルハに止められる。そんな三人の様子をひっくるめて、リリトを待つことにした。

 飛行機が到着するたびに、期待と落胆を繰り返すこと半日。夕日が見える頃、ようやく目当ての飛行機が到着した。小型機から降りた女性を乗せた車は、一般客の使わないゲートに向かう。五人も慌てて場所を移した。

「迎えの方が見えていますよ」

 空港の職員にそう言われて、リリトはロビーを見渡す・・・必要もなかった。明らかに自分を目指す複数の足音に視線を向ける。しかし、先に出たのは喜色ではなく驚きの表情であった。

「リリト!」

 駆け寄ったイェレとフィジェが一瞬足を緩めた時、その二人を押しのけるようにカシアがタックルを仕掛けてきたのだ。彼女としては抱きついたつもりだろう。だが全力疾走のそれをリリトは受止める事ができなかった。派手に尻餅をつく。

 思わず文句を言いそうになるが、何を言っているのか聞き取れないほどに泣きじゃくるカシアに口をつぐむ。その泣き声がみんなにうつって行く。全員でボロボロと涙を零した。

 リリトはカシアの体を抱きしめながら、声を上げて泣いた。

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