Green travelers ~ The another seed ~ 作:VSBR
世界が安定していれば、金融屋は真っ当な商売が出来る。戦争によって、コズミック・イラが70年あまりの時間をかけて蓄積した富の全てが蕩尽されてしまった。これから時代は、再び富を蓄積する過程へと戻っていく。そこには、ナチュラルもコーディネーターも関係ない。
地球圏で平均しても、毎年の二桁成長は確定的だ。金融商品など、どれを買っても値上がりは間違いない。だからカヲは、顧客にリスクを取るような商品を勧めたりしない。そんな事をせずとも、元本保証つきの商品で十分利益は上がるのだ。
それでもなおリスクを求める人間は、一体どんなリターンを欲しているのだろう。カヲには全く理解の出来ない事であり、だからこそ興味をそそられるものであった。
「あなた方の資産運用には感謝しております」
定例の報告書を持ってやって来たのは、短すぎる夏が既に過ぎ去った後の大地だった。報告を受け取って静かにそう言った男を、カヲはじっと見つめる。ユーラシアの石油王にして、連合を悩ませるテロリストの首魁。頭髪が薄く白くなっている小柄の男性には、釣り合わない肩書きだ。
エフライム・ビーンシュトックは、茶を勧めながら珍しく晴れ上がった空を窓越しに見つめている。視線に先にあるのはマスドライバーだ。シベリア奥地にこれだけの施設を所有している人物である、カヲの持っている情報と同程度の情報は連合も有しているだろう。金融当局者は今も頻繁に接触し、その資金移動を追っている。
それにもかかわらず連合が動かないのは何故か。ユーラシアのみならず、ガスや石油を通じて東アジアにも隠然たる影響力を有するが故に動けないのか。何らかの目的があって動かないのか。
そして何より、そのような連合の動きを知っているはずなのに、この男性になんらのアクションもないというのはどういうことか。加盟各国の錯綜する利害の中で、身動きの取れない連合を相手にしていないのか。それとも別の考えがあって静観しているのか。
カヲに直接の利害を及ぼす話ではないが、全体の構図が描けないというのはいい気分ではない。
「何故あなたはこのお仕事を?」
「忘れました。もう二十年も前の話です」
カヲはいつものように話を切る。この人物とはまともに会話をしたことがなかった。いや、会話が成立すると思っていなかった。この手の人物は答えが固定されている。会話による受け答えの変化などありえないのだ。
常に問いを発し、相手の答えの否定を続ける事により、自らの考えの優位性を誇示する。それは他者の否定でしか自己の肯定が出来ない薄弱な考えに過ぎず、会話と言うインタラクティブな行為には耐えられない。
たとえ会話を試みたところで、カヲが引き出せるものは何もない。
「とどのつまりは・・・」
この男の考え方そのものが否定のための否定、抵抗のための抵抗だということなのかもしれない。だからカヲは最後まで言葉を発さなかった。ノックが聞こえる。
ドアを開けて入ってきたのは少年だった。ハイティーンになるかならないかくらいの、優しい顔立ちの少年だ。濃い茶色の髪はどこにでもいそうな感じだが、少し紫がかった瞳の色は印象的だった。整った顔立ちだが、その自信なさげな表情がそれを少し損ねている。
「うちの資産運用をお願いしているカヲ・ツォピンさんだ」
「はじめまして。スレイ・カルガです」
軽く握手を交わしてカヲはその場を辞す。情報では、アークエンジェルとフリーダムは撃墜されたという。だが別の情報では、各国とも未だにその行方を追っているとの事だ。
ビクトリアのマスドライバーは内陸に設置されている。そのため、パナマやオーブ、カオシュンと違い港から直接物資を打ち上げ施設に積み替える事ができない。ビクトリア宇宙港へのメインルートは二つあった。
一つはビクトリア湖北岸の打ち上げ施設からモガディシオまで約1500キロを、ほぼ一直線で結ぶ鉄道。磁気浮上式の複々々線で、ほとんど貨物専用の列車で運行されている。
もう一つは、ビクトリア湖とタンガニーカ湖とマラウイ湖を運河でつなぎ、さらにマラウイ湖からザンベジ川までを運河で繋いだ水路である。大型貨物船が航行できる巨大なトンネル建設や河底の浚渫、そして複雑な閘門式運河で形成されたそのルートは、マスドライバー建設以上の難事業と言われていた。
このマスドライバー建設を主導したのはユーラシアである。他のマスドライバーに比べて格段に初期投資の大きかったビクトリアのマスドライバーに対して、ユーラシアが権利を主張する心情は理解できなくもない。
しかしそれが、アフリカ不安定化の要因の一つである。トレランシアはその運河の上を飛んでいた。
「凄いわ・・・コレ」
哨戒飛行に出ているフィジェはコクピットの中でつぶやいた。地平線の彼方まで延々と続く運河には、そんな感想しか出てこない。宇宙に人の住める大地を作る事に比べれば、たいしたことはないのかもしれない。それでも壮観な眺めであることは確かだ。
ユーラシアの統治地域の中でも特に警備の厳重な地帯であるため、哨戒といってもすることは少ない。自動操縦にして、姿勢を楽にする。
結局みんな、トレランシアに留まった。プラントに帰らせてもらえる保証などないため、その表現は正確には間違っているのかもしれない。しかし、不測の事態に巻き込まれ、ただ漠然と現在の状況を甘受しているという意識ではいられなくなった事も、また確かだった。
イェレの言葉は深かった、だが軽い。意識しなければ忘れてしまう。
「何もしないまま終わる・・・」
だが、自分にはあるのだろうか。何かに当る何かが。リリトが羽根付きを撃墜したシーンは、着水した機体の中で見ていた。思わず叫んだ快哉に、どんな意味があったのだろう。
コクピット内でタイマーが鳴り、フィジェは機体を反転させる。眼下に見えた装甲車両をライブラリーで照会して、ユーラシア軍のものと確認した。帰還を伝える信号弾が見え、機体をそちらの方向に向ける。
リベルから打ち出された応答の信号弾がブリッジで確認される。
「リベルの帰投は二十分後です」
信号弾のパターンを読んで艦長に伝える。カシアはMSデッキにもその事を伝える。キャプテンシートに座るのがレセディからマーカスに交代したため、ブリッジの緊張感は若干緩和されていた。
Nジャマー濃度が比較的低く、レーダーも多少であるが使える状態であるため、索敵も比較的容易だった。もっともここで敵に遭遇するという事態は、政治的に非常に厄介な事となるだろう。
少しうっとうしくなってきた前髪をいじりながら、カシアはレーダーの画面を見つめていた。微かに映っている動く点はリベルの反応だろう、それをじっと目で追っていた。
羽根付きの撃墜以後、フィジェの様子はとりあえず元に戻った感じだ。ただMSの操縦に関しては、リリトからレクチャーを受けている。アカデミー時代はフィジェの方が成績優秀だったが、実戦では圧倒的な差が出てしまっていた。その差を埋めて見せると彼は言っている。
MSの操縦技術が向上することは、直接的に生存の可能性を高める事だ。そのための努力は当然の事である。それでも、カシアはため息をつく。アカデミーの時も、そんな感じだった。
勉強関係のことは基本的にリリトの担当だったのだ。それ以外のことならカシアにも分があるのだが、フィジェの興味を引く分野はカバーできていなかった。教えてもらう側に回ることはできるのだが、専攻が違うためにそれもなかなか出来なかった。
今も、ブリッジオペレーターとパイロットである。接点はリリトの方がはるかに多い。
「ダメだな・・・こんな事考えてるようじゃ」
思わず声に出していたのだろう、横に座っていた先輩が怪訝な顔をする。何でもないと適当に誤魔化しておいて、カシアはもう一度ため息をついた。
彼女が残った理由はシンプルだ。みんなが残ると決めたからである。だがそれを受身の姿勢で決めたつもりはなかった。アカデミーからのなあなあな友人関係を清算するために、みんなと共に残ったのだ。
ただ一日を面白おかしく過ごしていただけの学生時代とは、全く異なる環境に否応なく組み込まれてしまった。その環境に合わせて、互いの関係を順応させることは簡単だろう。クールにドライに、互いの距離を決めていけばいい。しかしカシアは、それを良しとしない。
逆にこの環境を奇貨とし、それに耐えうる関係性を能動的に作り出そうと考えていた。やらねばならない事に追い立てられただ流されるだけの日々に打ち込む楔となるような友人、そんな関係を考えていた。
「あとは・・・」
そんな形而上学的な構想を、いかに形にしていくかである。何をどうすればという問いは、常に投げかけられている。
アカデミーの事務局はキャンパスの片隅の建物にあった。事務局長のオフィスからは、グランドの一部と、学生寮の庭が見える。パイロット課程の生徒が基礎トレーニングをする姿と、庭にずらりと干された洗濯物が良く見える。
サーシャ・ローレンスは視線を戻した。机には集まった資料が散らかされている。どの資料も核心には迫っていない情報ばかりだった。思ったよりてこずっているという事が、彼女の頭を悩ませていた。
教育機関とはいえ、ザフトの中核を担う人材を育成する場所であり、軍や各界の有力者との繋がりも多い。アカデミーの事務局長は、プラント内部の情報を集める事にそれほど苦労するポジションではないはずだ。それにもかかわらず、集まってくる情報には手ごたえがない。
ただ、周辺の情報が埋まっていく事によって、その核心がおぼろげながら浮かび上がってくる。「コーディネーター」に関する、一つの重大な研究が。
それを確かめるには、プラントの各政庁が計上している予算の分析が必要かもしれない。かなりの期間に及ぶため、骨の折れる仕事となりそうだ。サーシャは頬杖をついて思案に暮れた。
第二世代、第三世代コーディネーターという言葉は矛盾をはらむ。遺伝子を「調整された者」(コーディネーティド)を、宇宙と地球を「調整する者」(コーディネーター)と名付けたのはジョージ・グレンの宣伝戦略でしかない。もともとコーディネーターとは、常に遺伝子調整を必要とする一代限りの存在のはずだ。
それを第二世代などという形で血統化させたのは、パトリック・ザラのプロパガンダだ。戦争遂行のためには、そのようなナショナリズムのよりどころとなる物が必要だった。その結果が、出生率の異常な低下だ。
コーディネーター同士であっても、第一世代と同様に体外受精と遺伝子調整を加えれば、通常と変わらない確率で妊娠・出産が可能なのだ。だがパトリック・ザラと、ナチュラルへの回帰を訴えるシーゲル・クラインの同床異夢が、コーディネーター同士の自然出産を政策的に推進した。
これによって、コーディネーターに本来必要な技術の研究はストップすることとなった。しかし、それを諦めずに続けた者がいた。
サーシャは冷めた紅茶を飲み干し、資料の整理をする。公務ではない仕事に裂ける時間は少ないのだ。決裁の必要な資料にサインを書いていく。連合の緊急即応部隊に派遣された、六人の卒業生の定時報告に目を通す。今回の物はいつもの物より厚く、地球における遭難に関する報告が加えられていた。報告者の書かれているリリト・フィランディエーレの名前に苦笑する。
「タイミング、というのかな」
彼女は、運とか巡り合わせとか偶然の一致とか、そういう言葉が好きだった。ままならない事象に対して、受動的でありながら楽観的に行動するための指針となる言葉だ。あとはそれに感謝し、機会を生かすだけだ。
それは、戦時中に派遣されていた地球で学んだ感覚だった。天候すらコントロールされるプラントではなかなか理解されない感覚である。サーシャは決裁のサインをやめて、情報の整理と分析に取り掛かった。
着艦デッキからエレベーターが下りてくる。入れ替わるように偵察機が二機、カタパルトの方に上がっていった。リベルが歩いてハンガーに向かい、乗っていたゾーリンはクレーンで整備台の方に移動させられる。
キャットウォークの上でそれを見ていたイェレは、騒がしくなったMSデッキを眺めながら、後ろの気配に神経を集中する。フォルトゥーナのコクピットの中で、リリトがプログラムのチェックをしているのだ。彼女が言うには、GOSの能力を生かしきれていないと言う。
特に近接格闘戦をメインとするフォルトゥーナでは、プログラムの多彩さはかなり重要なポイントとなる。イェレはコクピットの中を覗き込んだ。
「下手に増やされても扱いきれないんじゃね?」
「基礎動作の精度を上げるだけでも違うわよ」
コクピットに入り込んで、リリトの指し示すディスプレイを覗き込んだ。コクピットはその無機質な匂いが消えて、代わりにほのかな石鹸の香りが漂っている。艦内の石鹸は全て同じはずだか、何故か違う香りのように感じた。
少し視線を下げるだけでサラサラと流れる金髪を、その都度かき上げている細い指。白く艶やかな肌は、さりげなくそれでいてはっきりとその頬の柔らかさを示している。薄く淡い紅色の唇は、言葉を発するだけで美しく動く。
リリトが美人であることは、衆目一致する意見であろう。だが今の自分の感覚は、単に美人を見ているが故の感覚なのだろうか。
「聞いてる?」
リリトの声にビクッと肩を震わせる。少し不満げな視線に見つめられ、思わず身を引いてしまった。何か言いたそうな表情のまま、彼女は説明を続ける。イェレは頬を緩めた。
「イェレの言った事、私・・・達みんな、考えてるんだからね」
彼女がポツリと言った言葉に、再び肩を震わせる。トレランシアに留まる事、それは手段の一つなのだ。
しかし、手段を手放さないために下した決断は、目的が明確にならなければ正当化できない。そして、目的を見つけるだけでは意味がない。トレランシアで活動するという手段によって、その目的に結果をもたらさなくてはならない。その時初めて、自分達の決断は正しかったという事になる。それは降りるという決断でも同じ事だ。
だから留まる方を選んだ。ここは、その問いかけを常に必要とする場所だから。その問いかけなしにコクピットに座ることは、もはや出来ないから。
リリトの横顔に真剣な視線を注ぐ。
「ごめん、リリト。俺のも見てくれないか?」
イェレはもう一度肩を震わせる。フィジェがパイロットスーツのままコクピットのところに来ていた。フィジェに手を差し出されて、リリトはコクピットから引っ張り上げられる。
彼女は、促されるままに整備作業中のリベルへと足を向ける。振り返ると、イェレの顔に微かな怒気が見えた。しかし彼女が言葉を発する前に、フィジェがプリントアウトしたプログラムの一覧表を見せる。
涼しげな微笑を浮かべながら、それらのプログラムの組み合わせと問題点を質問してくるフィジェに、リリトは苦笑した。アカデミーの時から、結構強引なタイプだったのだ。整っていながら人の良さそうな顔立ちと、柔らかな物腰なのだが、頼み事も相談事もこんな調子で迫ってくる。
ぞんざいな言葉遣いをしながら相手への遠慮が消えない感じのイェレとは、違うタイプだ。もう一度振り返ると、彼はコクピットの中に消えていた。
「悔しいとか、嬉しいとか・・・」
そのつぶやきに怪訝な顔をしたフィジェに微笑み返し、リリトはイェレの言葉を反芻した。そんな感情を得られるかも知れない、それは素敵な可能性だと思う。
ここはプラントではない。彼女は自由に、リリト・フィランディエーレとして、行動する事ができる。誰のためでも、何のためでもなく、自らの行動に意味を与えられることなく、ただ自分の考えや想いだけが、自らの行動に感情をもたらしてくれる、そんな可能性。
ここに、自分自身とその周辺を見る者はいない。アカデミーの頃のように、見られているという意識は必要ない。だったら、もう少し近づいても構わないかもしれない。普通に友人として、
「・・・として」
頭に浮かんでしまった単語に、頬が熱くなるのを感じた。慌てて、フィジェの言葉に集中して、彼の質問に答えていく。軽く言葉が上ずっていた。
そんな動揺を隠そうと、彼女はリベルのコクピットに滑り込んだ。そして素早いキーボード操作で、動作プログラムのチェックを行っていく。機体の足元の方からは、ユンディがタルハを呼ぶ声が聞こえた。
トレランシアが停泊したのは、ザンベジ川とマラウイ湖を結ぶ運河の途中にある管理施設の近くであった。小型の輸送機の離着陸しか出来ない施設であるため、近くの草原に着陸している。突如として現れた艦艇の姿は、その威容を無駄に誇示しているかのようだった。
運河の長さは約300キロ。しかも峠をいくつか越えなくてはならないため、複雑な閘門等が各地に設置されている。それを作動させる施設の一つだった。その場所で、連合から派遣された現地の職員と落ち合うこととなっている。
地方政府や軍閥、武装勢力といった諸々が引き起こしている、自動小銃同士の細かな戦闘にMSが乗り出すことは出来ない。連合の本部もトレランシアに対して、具体的な作戦を提示することは困難だ。そこで現地の要請に対して柔軟な対応を取れるよう、作戦に関する権限の一部が、連合の人道支援局に暫定的に移譲されていた。
この人道支援の強化拡充も、連合本部が現在推進している計画である。緊急即応部隊との相乗効果を期待されてのことであった。
「支援局のトーマス・ピアフです」
マーカスとレセディは居ずまいを正して、その人物を迎え入れた。連合の事務局の中でもかなりの高級幹部だ。人道支援局自体は新設された小さな部局であるが、その出先機関に事務局の有力者を置くという所に、連合の力の入れ方を垣間見る。
一緒にいた秘書が差し出した分厚い資料は、現在支援局が行っている事業のリストであった。地元政府や部族の有力者、現地の民間団体や各国のNGOなどと協力して行っているものだ。
しかし、事業は多岐にわたるがトレランシアが必要とされそうなものは少ない。レセディは率直にその事を尋ねた。トーマスは一つ一つ言葉を置くように言う。
「トレランシアには、我々が事業を行える環境を作っていただきたい」
アフリカに限った話ではないが、人道支援自体を拒む地域も少なからず存在する。そういった地域ほど、現地住民への人道的危機が迫っている場合が多い。しかし基本的に丸腰である人道支援局では、そこに対するアクションを起こすことが出来ないのだ。
だから、連合の権限で武力行使が可能なトレランシアに動いて欲しいという。丁寧に頭を下げたピアフに、マーカスは恐縮する。
必要な資料の入った記憶媒体を受け取り、ピアフを最敬礼で送り出す。ユーラシア軍の駐屯地に向かう飛行機に、ウェルガー二機を護衛につける。窓からその姿を追いながら、マーカスはホッと息をついた。
「厄介な仕事ですね。その上、忙しくなりそうだ」
振り返ると、ソファーに深く腰をかけていたレセディが姿勢を正す。そのままでいいですよと声をかけて、マーカスも座った。
「MSの頭数は・・・増えないでしょうね」
「艦の能力としてもギリギリですから。それよりも人員です」
予備パイロットは要請しているが、どの国の軍も熟練したパイロットを派遣したがらない。そういうパイロットはたいてい、現場での要職に就いているからだ。六機のMSを六人で運用するという無茶を今まで続けられたことは、奇跡のようなものだ。
マーカスは愚痴交じりにそう言った。しかしレセディは首を振る。プラントから派遣された六人をこのまま隊に留めておくのかと言うのである。
彼らがこの部隊にいるのは、カオシュンで起きた緊急事態とそれによる隊の発足の遅延を避けるための措置に過ぎない。緊急即応部隊が正式に動き出し、その成果を出しつつある状況では、もはや彼らを留めておく必要性は無い。
ザフトとの調整もあるが、彼らからの申し出があればそれを受ける事は可能だ。
「まだ子供です、いつまでもこんな場所に・・・」
レセディのその言葉は、意外といえば意外だった。単に実利的に考えているだけではなかったのだ。
「自分としては、残ってもらいたいのですが」
驚いたような表情をするレセディにマーカスは続けた。彼らがいれば戦場がルーチンにならないような気がすると。
連合とプラントの戦争が終結した今、戦争は当たり前の現実ではなく、特殊な事例なのだ。そしてその特殊な事例を正常な状態に戻すために、緊急即応部隊は存在する。しかトレランシアの中では、未だに戦争が当たり前の現実のままである。
紛争地帯を渡り歩く以上、それは仕方のないことなのかもしれない。しかしそれは危険な事でもある。
「彼らは、それに疑問を持てる。連合の利害から離れたプラントの人間として、大人の分別から離れた若者として。それは貴重な事だと思うのです。この部隊にとって」
紛争を止めるための武力行使という矛盾を、大人は簡単にやり過ごす事ができる。しかしそれは、その矛盾が矛盾で無くなる危険性を伴う。矛盾を矛盾のままにしておくためには、矛盾を矛盾として訴え続けなくてはならない。
平和な学生時代を過ごした彼らにはそんな可能性があると思う、マーカスはそう言った。
「何より、こっちの都合でザフトの貴重な人材を無理やり引っ張っておいて、急に帰れなんて言ったら、痛くも無い腹を探り合う事になりますし」
そう付け加えてマーカスは小さく笑った。レセディはそんな彼をしげしげと見つめる。
未だに戦闘になるとてんで使い物にならないが、こういう場では鋭い事をいう。若く甘い考えだと思うが、同時に非常にラジカルな考えでもある。父親が連合の高官であるにもかかわらずこんな艦の艦長などをやらされている理由が、何となく分かるような気がした。
レセディはさっと立ち上がると、敬礼をして部屋を辞した。今後の準備に取り掛からなくてはならない。
付箋を貼っておいたMS用の追加装備リストをもって、アジズのもとにいく。タルハの質問に、アジズは答えにくそうな顔をして答えた。それらの装備は、全て対人か対車両用の装備である。
戦争におけるMSの使用が一般化したとはいえ、アフリカの紛争の主役は前世紀同様、自動小銃を持った人間である。そういった戦闘に赴くのに、対MSの装備を持っていたのでは役に立たない。これからの戦闘を思い、タルハは小さく唇をかんだ。
「一応、非殺傷兵器も用意はされているけどな」
デモ隊の鎮圧ならいざ知らず、戦争においてそのようなものが役に立つとも思えなかった。選んだ道の前途はどこまでも多難である。グラティアの前で、コンピューターの画面とにらめっこをしているユンディにその話題を振ってみた。
彼女は肩をすくめ、限界が訪れる前に艦を降りる決断を下さなくてはならないと言った。無論それは彼女達の役割だろう。「下手っぴなのよ」とつぶやき、彼女はキーボードをいじる。
映し出されていたデータは、グラティアと翼付きのデータであった。その戦闘の再現シミュレーションが繰り返され、いくつものデータが矢継ぎ早に表示されていく。ユンディはそれらの数字を拾い上げては別画面に打ち込んでいた。
「凄いわよ・・・リリト」
ユンディはそう言って画面を示す。
グラティアの性能は翼付きと基本的には遜色のないレベルだ。だが、使用されている電源の差がもたらす火器の性能と、誘導ミサイルとして使用するドラグーンの存在が、二機の戦力の差として現れていた。
機体の動きから推定される翼付きのパイロットの能力と、リリトの能力はほぼ互角であった。今回グラティアが勝利したのは、三機の連携によって翼付きに手傷を負わせていた事と、敵艦の損傷に伴う翼付きパイロットの動揺が主な要因であろう。
しかしユンディが指摘するのは、今回の勝利についてではない。この二人のパイロットの能力についてだ。
どちらの能力も、コーディネーターの平均をはるかに上回っている。リリトなど、グラティアの性能限界に突き当たり、機体がパイロットについていかない状態に迫っていた。ギリギリで機体の性能限界の内部に留まったのは、無意識に力をセーブしていたからだろう。
「こんなデータ・・・整備課程じゃ扱ってない」
「でも、知っている」
タルハはユンディの言わんとしている事を察した。この異常とも言えるパイロットのデータは、習った事のあるデータなのだ。
アカデミーの「遺伝生物学概論」の講義で、人間として持つことの出来るDNAから合成されるタンパク質によって、どのような事が可能かという話題が出た。理論上、最も理想的な神経系がどのような反応速度を示すか、最も理想的な筋肉がどれほどの力を発揮するのか。そういった「理論上の数字」を見せられた。
この二人のパイロットが叩き出した数字は、それに極めて近い。
そしてその講義は、こう締めくくられた事を覚えている。この理想的な身体を有する事は、理想的な遺伝子の調整とその十全な発現によって可能であり、しかもそれが単に理論の中に留まるのではなく、技術的な裏付けも存在するのだと。
アンティークな暖炉で十分に暖かいのは、部屋が完璧な断熱性と給排気設備を持っているからだ。パチパチと音を立てる薪は香りだけを部屋に残し、煙は全て外へと流れていく。それでいてそこから冷気が入り込むことは無い。
ジャムを添えた紅茶を前にして、少年と老人は静かに部屋に佇む。視線も交わす言葉もなく、ただ沈黙だけを交し合う。不意に少年は涙を零した。それを拭う事すらせず、少年はカップを置いた。
「僕は・・・」
「まだ休息は、必要ないかい?」
老人の問いかけに、少年は頷いた。涙の跡の残る寂しげな微笑は、それでもなお瞳の輝きだけは失っていない。老人はゆっくりと立ち上がり、少年はその後をついて行く。入り組んだ施設の廊下を進み、何度かエレベーターを乗り換えた先に、巨大な金属の扉が現れた。
老人は再び問いかける。
「剣は、君を守るものではない」
「でも戦えます。だったら守れます、僕の・・・生まれたこの世界を」
少年ははっきりと言った。老人は一瞬目をつぶり、そして扉の解除コードを打ち込む。扉に現れたのは小さな鍵穴だった。老人はニッコリ微笑んで、空に向かって手招きをした。にぎやかな声と共に、一つのボールが落ちて来る。
バスケットボール大のそれはただのボールではない。目のように見える二つのセンサーと、口のように見える線。四箇所の丸い模様の所が開いて、パタパタと羽ばたきをしている。少年もよく知っているロボットだ。白く色のそれは、まるで感情があるように少年に飛びついた。
コクピットに専用装置に接続すると、コンピューターの拡張デバイスとしても使える高性能のロボット。彼がインド洋で機体を失った時に一緒に失ったはずのそれが、寸分たがわぬ姿で彼の手の中にある。
そのロボットは羽ばたきしている部分の内側からじゃばら状の腕を伸ばす。その先端は鍵の形をしていた。
少年は鍵を鍵穴に差し込み、息を止めた。カチリという手ごたえと同時に、扉が開き始める。その奥、非常灯のほの暗い光に照らされて、灰色の装甲が見えた。少年はつぶやく。
「ガン・・・ダム・・・」
「最後のフリーダムだ・・・だが、君が乗るのであれば、やはりガンダムだな」
老人は悪戯っぽくそう言う。少年は深く頭を下げた。招くように開かれたハッチに向かって、少年は駆け出す。
見送る老人をよろめかすほどの突風とともに、その機体、ガンダムは晴れた空に吸い込まれていった。