Green travelers ~ The another seed ~   作:VSBR

27 / 67
第二十五話 みんなのため・きみのため

 夜になってもクレーンの唸り声がやむことはない。鉄骨で作られた摩天楼はライトで照らされ、昼夜の別なく突貫作業が続けられている。さながら光に集まる虫のように、資材を積んだトラックが轟音と共に街の中心部に向かう。

 だが、その光を引き立てるものは、周囲の闇である。ビルの建設が続く街の中心部以外は、文字通りの暗闇なのだ。そこを照らす電気など存在しない。ただランプの明かりの下で、人がうごめいているだけだ。

「車が丈夫だからって油断しないで下さい」

 ハンドルを握る男が、歯だけを浮かび上がらせるようにしゃべる。地元出身を名乗るガイドも、夜に出歩くのは恐ろしいのだ。クルト・クラウは、暗視スコープのカメラを構えて撮影を続けている。

 軍用の装甲四輪車だが、防げるのは自動小銃までであろう。重機関銃や携帯用ロケット砲が相手では、軽トラックと変わらない。当たり前とは言わないまでも、そう言った武器まで存在するという。

 クルトは思わず歯を食いしばった。カメラの向こうに、頭を吹き飛ばされた人間がいる。撃った男が拳銃をこちらに向けた。同時に周囲の人間も、銃を向け始める。シートに体を押し付けられるような加速と共に車がスピードを上げ、同時に車体に銃弾が当る音が聞こえた。

 すぐにその音がやんだのは、その場の人間同士での銃撃戦になったからだろう。銃声だけが後ろから聞こえてくる。

「これ以上はダメだ。私も命が惜しい」

 ガイドの男がはき捨てるように言った。クルトは謝礼の増額を条件に、遠回りで帰るように頼む。

 街の郊外には、大きな工場とそこの製品の材料となる植物を栽培するための広大な池が広がっている。仕事を求めて人々が街に流れ込み、何の都市計画も無く拡大した街は巨大なスラムと化した。

 カメラが捉えるのは、売買春であったり麻薬の売買であったり乱闘、銃撃、殺人、その他諸々だった。流れ込んだのは人だけでは無い。

 街は中心から同心円状に広がり、ここは最も外側の最底辺の場所なのだ。

 ビルの建設が進む中心部は、ゲートとコンクリート壁に囲まれている。その周囲に街の行政機関と有力者の邸宅が連なっている。さらにその周囲に工場や栽培池で働く人達の街が広がり、さらにその周囲に工場での仕事にありつけなかった人達の街が広がっている。

 一目瞭然の差がそこにはあった。だが、それはよくある光景でもある。特に外国の企業が進出した街では、珍しくも無かった。しかし、ムウェル湖畔の街よりもひどく見えるのは、街に流れ込む資金量の差であろう。

 アフリカには、旱魃や内戦などによる「何もかも失ってしまう悲劇」の他に「モラルを失ってしまう悲劇」が存在する。この街はその典型だ。多くの人間を養うだけのものが溢れながら、それが平和にも発展にも繋がらない。金を手にしてもただ、悪と腐敗に蕩尽されるだけなのだ。

「金がつぎ込まれればつぎ込まれるほど酷くなる・・・」

 ガイドの男の緊張が緩んだのを感じ、クルトも一息入れる。工場労働者の住むブロックに入ったのだ。相変わらず電気も無く、立ち並ぶ家も粗末なままだが、身の危険を感じる場面に出くわさなくなった。

 外側の区域は昼間でも危険だが、この区域には商店もあり、とりあえず普通の生活が存在する。だが、並んでいる商品はどれも、クルトにも見覚えがある商品ばかりだった。主食であるはずの芋はほとんど見かけず、小麦粉の袋ばかりが山積みされているのを写真に収めていた。

 車がスピードを緩める。完全武装の兵士が近づいてきた。これから街の中心部にたどり着くまで、何度も検問が行われる。パスポートや記者証では通る事ができず、ただアースダラーのみが通行許可証となるのだ。

 

 目を開けると天井だった。寝返りを打つと毛布の起毛が鼻をくすぐる。小さくくしゃみをして目を閉じた。夢を見てしまった。昔、いや実際にはほんの数年前の夢。たくさんの人がいて、とてもとても大事に扱われていた頃の夢。

 熱い部屋に入れられた事があった。皮膚を刺す熱、喉を焼く空気、涙は枯れ目を開けることも出来なかった。苦しみの中で倒れると、白衣を着た人達が駆け寄ってきてくれた。

 別の時には不思議な部屋に入れられた。そこは、時々息苦しくなる部屋だった。何日かすると苦しくなくなり、また数日後に苦しくなる。何度かそれが繰り返された後、どうしても苦しく助けを呼ぶと、酸素ボンベをつけた白衣の人達が駆けつけてくれた。

 注射を打たれるたびに熱を出した事があった。マスクから送られる空気を吸って気を失ったこともあった。円筒形のベッドに入れられて、下痢と嘔吐が止まらなくなった事もあった。その度に、白衣の人達は付きっ切りでそばにいてくれた。

 漏れ聞こえてくる彼らの声から、自分が危険な状態にいることは理解できていた。そして、自分の治療が常に優先されるという事も分かっていた。

 でも誰も、優しくしてくれなかった。苦しみを訴えても、治療しかしてくれなかった。ただ一人で泣きじゃくり、ただ一人ベッドの上で悶えていた。

「どうして・・・」

 多分それが、自分の発した最初の意味のある言葉だろう。そして自分が覚えている一番古い言葉は「みんなのため」だった。それは、ある時は「世界のため」であり、「プラントのため」であり、「コーディネーターのため」だった。常に、そう言われ続けていたのだ。

 幼い自我が見せる当たり前の反抗の全てに、その言葉が答えていた。そこではそれが当たり前であり、それだけが周りの世界だった。全てが「みんなのため」だった。自分自身も、その例外ではない。

 いや、自分自身こそが「みんなのため」に存在していた。だからこそ、誰よりも大切に扱われたのだ。リリト・フィランディエーレは誰のものでもなく、ただ「みんなのため」にそこにいた。

「だから私は・・・」

 誰よりも私のものでありたかった。だがそれはきっと、一時の夢だったのだ。

 

 ビクトリアは現在、ユーラシア連邦が管轄している。連合はここを共同管理にするよう勧告を続けていた。そのような状況の中では、トレランシアの居心地もはなはだ微妙なものとなる。

 もっともその居心地の悪さを感じているのは、艦長と副長くらいなものであろう。トレランシアのクルーは、ビクトリア基地の専用宿舎を割り当てられ、静かで揺れない広いベッドを堪能している。

「当然の報いだと思っている。君達は我々の予測を超える活躍をしてくれた」

 宿舎の建物の最上階にはラウンジがあった。制服に身を包んだマーカスとレセディは、昼間から出されたカクテルを、少しの後ろめたさとともに口にしていた。外にはビクトリア湖の煌きと巨大なマスドライバー、ユーラシア軍の誇る基地の威容と遠くの街並みが見渡せる。

 慢性的な寝不足から開放されたレセディの顔は色艶もよく、鮮やかな桃色の口紅が映えていた。任務から離れて表情も明るく、時折微笑みすら浮かべている。ブリッジでみせる険のある声と釣り上がった目も捨てがたいが、やはり女性は笑顔の方がいい。

 そんなマーカスの視線に、レセディは妙なものを見るような視線を向ける。ルチアーノ・プレスはウェイターを呼んだ。

「同じものをもう一杯」

 テーブルに並ぶのはノンアルコールのカクテルだ。彼は酒が飲めない。そしてアルコールを勧めなかったということは、仕事の話をするということだろう。もっとも正式なものではないのだろうが、緊急即応部隊を管轄する常設軍事委員会のトップであるルチアーノ・プレス自らがビクトリアまで出てきたのだ、ただの慰労であるはずが無い。

 アフリカ情勢は現在、嵐の前の静けさといった様相である。アフリカ解放戦線と統一機構西アフリカ同盟の戦闘は断続的に続いているが、アフリカ中央部は、いくつかの不穏な動きを除いて、平静が保たれている。

 だが、アフリカ共同体を含めた三派がその勢力を接しているコンゴ盆地が、アフリカの火薬庫である事に変わりは無い。だがそれこそが、常設軍事委員会の狙い目でもある。

「連合の仕事はその火薬庫の管理であるべきだ」

「もう、煙は上がっているのですか?」

「それでは爆発してしまう」

 レセディの問いかけに、ルチアーノは小さく笑いながら言った。火薬庫が爆発する前に動けというのだ。それは即ち、導火線の用意くらいは出来ているという事だろう。マーカスは外に目をやった。ユーラシア軍の動きが活発だという話は聞いていたが、ビクトリアは動くつもりなのだ。

 ルチアーノは表向き、マスドライバーの管理についてユーラシア軍の幹部と会談を行う予定でビクトリアに入っていた。だが実際は、ユーラシア軍の動きを確かめに来たのだ。トレランシアをビクトリアに寄港させたのも、この後の作戦を考えてのものであろう。

 またハードな任務になりそうだとマーカスは、視線を戻した。だがラウンジでの話はそこまでだった。正式な話は会議室で行われる。ルチアーノは連合の近況などをかいつまんで話していた。

 

 宿舎の廊下が長い。足取りは重く、歩みは遅い。それでも目的の場所には到達してしまう。そんな矛盾を噛み締めるように、リリトは歩く。毎日、定期的な検診を受けるように言われていた。データの採取と、彼女がプラントから離れている間にどのような事があったのかを報告している。

 それは辛い事だった。自分自身を切り分け、標本にしていくような作業。ピンに刺されて並べられた彼女の想いは、その死骸をデータベースに晒している。今までも、これからも。

 何も無い場所でリリトは立ち止まる。小さい頃は当たり前だった事が、今はどうしようもなく苦しい。

「いた・・・リリト!」

 振り返るより早く、カシアが背中に抱きついた。服を見に行こうと誘ってくれる。リリトは微笑んで、昼からならと答えた。カシアがリリトの顔を覗きこむ。鼻先をくっつけるように顔を近づけたカシアは、少し眉を曇らせた。

「どうかした? 最近、何か・・・暗いよ」

 否定を口にする笑顔もやはり暗い。カシアは探るように彼女の顔を窺う。

 トレランシアでパイロットをやるようになってから、彼女の気分は激しい浮き沈みを見せている。だが今回は、その暗さの原因が分かっていた。新しく来た医者の存在である。プラントから来たその医者を見てから、リリトの様子が変わったのだ。

 いや、変わったというより戻ったという感じであろうか。アカデミーでの彼女の様子に近い。

 その医者は、彼女ら六人の専属メディカルスタッフという肩書きだが、リリトの検診は他の五人に比べて一回の時間もその頻度も多い。何か理由があるのだろうと、気にも留めないという訳には、もういかないのだ。リリトの隠し事と、関係があるのだろう。

「ねぇ、どこか悪いところあるの?」

「何でもないわ、ちょっと疲労が溜まっているって言われただけ」

 リリトの苦笑いにカシアは小さく唇をかんだ。ベテランの通信オペレーターは、出撃前の短い交信でパイロットの身体面や心理面の不調を見抜くという。だが、今のリリトでは、新米にもその不調を見抜かれるだろう。

 カシアのもどかしさは、その理由が分からない事であり、その理由に迫れない事であり、その理由を隠されているという事だ。それは、自分とリリトの関係を最も正確に表しているのであろう。

 秘密の共有が友情の証などというつもりはないし、そんな友情の胡散臭さにも気付く年齢だ。だが、悩みの一つも打ち明けてもらえないというのは、その程度の関係だと言われているのと同じである。

「あの・・・」

「じゃ、お昼食べてからね」

 リリトはそう言って廊下の角を曲がった。カシアは、一人取り残される。そして言いようの無い苛立ちが、自分とリリトに等しく向けられる。

 

 アフリカ中央部の赤道周辺は熱帯雨林である。旧世紀の乱開発によって減少の危機にあったが、連合設立以後の保護政策などで現在は少しずつであるが回復傾向にあるという。だが相次ぐ紛争や難民問題などによって、再度の危機が招かれるだろうと言われていた。

 コンゴ盆地はその熱帯雨林をすっぽりと収め、アフリカ有数の大河がただ中を流れている。そのコンゴ川の支流の一つロマニ川の中流に、大きな船が停泊していた。

 船といってもそれは空を飛ぶ戦艦である。周囲の風景に溶け込むための特殊な偽装を施して、川の真ん中に浮いていた。そのため、遠くから見ると、MSが川に目掛けて降下していくように見えた事だろう。

 木の葉型のシールドを背負いグレーとグリーンで塗装されたMSが、その艦に降り立ち偽装の施された艦内に収容されていく。コクピットの中で、マクシム・ディエは大きく息をついた。ようやく修理が終わったゲルググでの最初の仕事が、アークエンジェルと呼ばれる艦との接触であった。

 広いMSデッキは閑散としており、連合製の戦闘機が二機止められているだけであった。指示されたハンガーに機体を据えて、寄せられた昇降機に乗り移る。

「わざわざのお出迎え、感謝します」

 昇降機を降りたマクシムは、艦長の挨拶に慌てて敬礼を返した。その隣にいた少年に疑問の視線を向けたまま、艦長室に案内される。そこで、その少年がフリーダムのパイロットである事を知らされた。

「スレイ・カルガです。よろしく」

「こちらこそ。お話は、議長から伺っています」

 マクシムはそういって、ディスクを取り出した。アフリカ解放戦線の作戦内容が記されたものである。これを渡す事が彼の役目だった。艦長はそれを受け取って、机の上に置いた

「確かに。しかし・・・」

「それは議長も承知しています」

 アークエンジェルとアフリカ解放戦線は共同作戦を行っているわけではない。アークエンジェルは、独自の判断に基づき自由に活動している。彼らを動かすものは、ただ自己の信念のみなのだ。

 レジー・マヌカは言う、彼らの信念の延長線上に我らの正義がある事を願うと。アフリカ解放戦線は、あくまでもアークエンジェルを当てにしない作戦を行うのだ。自分達が渡した情報を彼らがどのように使うかは、彼らの自由である。

 マクシムは、話が一段落したのを見計らって、自分の事を切り出す。

「僕は構いません。艦長がよろしいのであれば」

 スレイはそう言ってマクシムを見た。彼と彼のMSをアークエンジェルに同行させて欲しいと言うのだ。艦長はその申し出を受け、その上で理由を聞いた。

「私が義勇兵となったのはザフトの理念を実践するためです」

 だからこそ、その理念に反する者が何を考えているのかを知りたいのだという。それが知っている者であるのならば、なおさらだ。アカデミーで自分が示してきた事は、何も伝わらなかったのだろうか。

 マクシムは、艦長とフリーダムのパイロットに握手を求めた。

 

 宿舎の医務室の一角に即席の壁がたてられ、周囲に声が漏れないように小さな部屋が作られていた。愛用のパソコンのキーボードを叩きながら、目の前に座る少女に質問を続ける。

 だが、なかなか話は核心に迫らない。時間が経ち過ぎたという事もあって、記憶も不十分な部分はあるだろう。しかし、意図的に隠そうとしているのであれば、由々しき事態である。フィリップ・ラフィーヌは、緩いウェーブのかかった前髪を触りながら、キーボードの手を止めた。

 リリト・フィランディエーレは、表情も無いまま前を見つめていた。その視線はフィリップに向けられているわけではなく、ただ前だけを見ている。

「友達との関係はどうだい? 色々と苦労も・・・」

「特にありません」

 フィリップはマウスをいじる。戦闘に関するデータや、定期的な健康診断に関するデータは提供されたものがあるし、それらに関する質問には、普通に答えてくれる。ところがそれ以外の話は、全く触れさせてくれない。

 実際、彼らの機関が今もっとも興味を持っているのは、心理面におけるデータだ。身体面に関するデータはある程度の蓄積が存在する。問題は、社会的諸関係の内部における心理面の変化に、遺伝子がどのように作用しているかが現在のメインテーマであった。フィリップは、冊子を取り出した。

 それを示して、ちゃんと読んだかどうかを聞く。『先端遺伝子補助医療研究開発機構倫理規定・抜粋』という題字が、目立たなく表紙に載っている。フィリップはそれを開きながら、丁寧に説明を行う。

「我々の研究はコーディネーター、いや人間という生物がいかなるものたり得るのかという命題を掲げている。君はただプラントやコーディネーターのためだけではなく、広く人間という種そのもののためにも存在しているんだ。もちろん、君にも人間同様の基本的人権を認め、内面の自由やプライバシー権は十分に尊重することは約束している。我々はただ人類共通の福祉の向上のため、君に協力を依頼する立場だ」

 先端科学とは、時として人の想像力すら飛び越え従来の倫理や規範が想定していない事態をもたらすこともなる。それらの技術を包摂する倫理が、社会的に確立されるまでの間は、危険な綱渡りを強いられる事になる。一歩間違えば、ブルーコスモスが行っていたおぞましい人体実験まで転落してしまう。

 リリト・フィランディエーレの一時的なロストは、組織に今一度その事を考えさせる機会となった。彼女が受けていたであろう心理的圧迫を考慮し、それを取り除きつつ効果的な研究を行うためにはどうすればいいか。倫理規定は、そういった観点から策定されたものである。

「男の子とはどうだい。あの彼、イェ・・・」

「関係ありません」

 約束がありますから、そう言ってリリトは立ち上がった。急ごしらえの壁を揺らすように扉を開けると、彼女は部屋を出て行く。フィリップは、前髪をいじりながら今日のレポートの文面を考える。

 

 このプラントはランダム降水だという事を忘れていた。走って店に駆け込んだが、結構濡れてしまった。店員がすぐにタオルを持ってきてくれる。別のプラントから来た人は、よくこういうことがあると言っていた。

 高級なコース料理の店だが、手頃なランチを出す事でも有名で、店内は上品な身なりの婦人が多かった。趣味のいいBGMが、絶妙な音量で店内のざわめきを打ち消している。微笑みを絶やさないウェイトレスにタオルを返し、サーシャ・ローレンスは相手の名前を告げる。

「こちらにどうぞ」

 ウェイトレスが案内したのは専用の個室だ。居心地の悪さを感じるほどに趣味がいい室内で、女性が待っていた。サーシャは軽く会釈して席に着いた。早速話を切り出そうとすると、ソムリエが入ってきてワインの説明を始めた。目の前の女性は、ソムリエの勧めるワインではなく、銘柄と年代を指定して注文した。

「構いません?」

 サーシャは黙って頷く。銘柄と年代でワインの味が変わるのは、地球で栽培するブドウだからだ。完全に調整された果樹園で栽培されたプラントのブドウは、工業製品並みに品質が安定している。

 ワインの指定など、半可通の地球趣味でしかない。意外と簡単に相手の底を知る事ができたと、サーシャは冷めた目で女性を見つめる。

「シャメローの61年ものは、シャトル輸送の地球産ブドウで作られたものです」

 グラスを傾けていたサーシャは、ソムリエの説明に自分が試された事を知った。おそらくこの一杯で自分の月収が飛ぶレベルだろう。グラスを置いてソムリエを下がらせると、彼女は口を開く。遠慮の必要が無いほどに嫌な女だ。

 自分が調べている情報の内容を考えれば、善人が登場するわけが無い。蛇の道は蛇ということだろう。上品に、そして艶かしく口を拭う女に、サーシャは切り出した。

「お久しぶりと言うべきでしょうか、ネウシャ・アミン隊長」

「そうね、サーシャ・ローレンス司令」

 二人は前大戦時、一度だけ会っている。

 サーシャは、当時ザフト占領下だったユーラシアのバイコヌール基地が連合の反攻を受ける中、そこを脱出し敗色濃厚だったプラントからの亡命を画策していた。とある暗礁空域で亡命先との交渉を行っていたのだが、結局ボアズ、ヤキン・ドゥーエの陥落が想定外の早さであったために亡命計画は頓挫し、彼女はザフトに出戻った形となったのだ。

 その時、サーシャのいる部隊をザフトに連れ帰ったのがネウシャの指揮する艦隊であった。ヤキン・ドゥーエからの脱出を終えたネウシャの部隊は、引き上げた兵員をプラントに降ろすと、一人の評議会議員の指令で、亡命艦隊の連れ戻しに従事することとなったのだ。

「もう少し、組んだ相手の素性を調べておくべきだったと思います」

「でも、調べている事とは関係なくてよ・・・メンデルとは全く別系統だから」

 前菜を口に運ぶネウシャ・アミンはいきなり核心を口にした。手を止めたサーシャに、ネウシャの視線が絡む。

 バイコヌールから脱出したのはザフトだけでなく、勢力争いによって弾かれた連合の部隊も加わっていた。その一つに東アジアの研究機関があり、そこはプラント医療界とも裏のパイプを持つ組織だった。

 ネウシャの艦隊はザフトの部隊だけを連れ戻し、東アジアの研究機関をはじめとする連合の部隊はそのまま連合へと引き渡していた。その時、いくつかの研究データがやり取りされていた。

「メンデルに関するいくつかのサンプルがこちらから渡ったのは事実。向こうから何を貰ったのかは知らないわ。メサイアごと消えてしまったし」

 だがサーシャの追っているセプテンベルの研究機関は、もともとザラ派の影響下にあった機関であり、クライン派とは関係ないという。もちろん、そこで何が研究されているかも知らないといった。

 メインディッシュのムニエルを切りながら、サーシャはため息をつく。少ない手がかりの中から、かなり有望だと考えて接触した相手だったのだが、外れだった。収穫は高いワインと豪華なランチだけだ。せめてそれを楽しもう。

 サーシャは頼まれていたデータの入ったディスクをテーブルの上に置いた。アカデミー卒業生の成績データだ。保護期間が過ぎているので、正規の手続きでも入手可能だが一年近くかかる。それをバッグに収めるネウシャを見て、深く関わるのはやめにしようと思った。

 

 赤道の日差しの下であるが、街路樹の多い整った街並みは爽やかさすら感じさせる。マスドライバー建設時から、それを支える市街地として整備されてきただけあって、歴史的な風格すら漂い始めていた。西に少し行った所にある、旧世紀からの街とあわせて、アフリカ最大の都市・ビクトリア市が形成されている。

 ショーウインドーを飾るのは最新のモードだが、気候に合わせてかプラントでいうところの初夏の装いが多い。パラソルを並べたオープンカフェから、洒落た音楽が流れてくる。

 街路樹脇のガードレールに腰をかけていた三人がゆるゆると立ち上がる。ランジェリー専門店から出てきた三人を迎え、増えた荷物を持つ。

「あとは、リリトの服をいくつか見繕って」

「もういいんじゃね・・・」

 イェレの言葉を即座に却下したカシアは、代りに休憩を提案した。

 ベビーシャンパンとライ麦パンのサンドイッチで軽い昼食にしながら、六人は談笑を交わした。しかしカシアは、その笑顔の微かな陰を気にする。アカデミーの時には気付かなかったリリトの表情の陰。

 あの頃は、控えめな笑顔、程度にしか感じていなかった。講義や訓練の時には時折驚くほど強気に出ることがあったが、こう接する時はいつもこんな感じだった。口調はきつい感じなのに、一歩引いた態度で皆の輪の中にいた。社交性の弱い彼女を、自分が引っ張っているのだと思っていた。

 だが今は、そんな単純な事ではなかったのではないかと思う。あの頃から、彼女は何かを隠していた。だから・・・

「私、迷惑だった?」

 会話に割って入ったカシアの言葉に、全員が疑問の視線を向ける。彼女はただリリトの視線だけに目を向ける。

「いや、あんまり派手なのは好みじゃないって言うか」

「そうじゃなくて・・・」

 カシアはそこで言葉を飲み込む。冷静にならないと、またいつかのようにとんでもない事を言いかねない。探るように言葉を選ぶ。

「リリト、何か隠し事してるでしょ? それは知られたくない事なのよね・・・だから、その、私がそこに首を突っ込もうとするのは迷惑なのかなって。もしかしたら、その、友達面して接するのも、嫌なのかなって・・・」

 言ってから気持ちの悪い事を言ったと思う。こんな事を言われて、肯定の返答など出来るわけがない。だからといって否定されて納得するのか、いやもし肯定されたらどうすればいいのか。そこで縁を切ってお終いなのか。

 訳が分からなくなり、カシアは視線を空に向けた。他に向ける方向が無い。全員の視線を浴びながらリリトの声を聞く。

「私は、その・・・」

「だって、アカデミーの頃からじゃない。気付くの遅いけど、そうでしょ? あの頃から迷惑に思われてたなら・・・」

「違う、私は・・・」

「独りよがりの勘違いなら、私がバカなだけだけど、もしそれでリリトが嫌な思い・・・」

「だから! 関係ないの、皆には・・・私の事なんだから、気にしないで。お願い」

 リリトは立ち上がって席を外れた。イェレがその後を追いかける。一緒に追いかけようとしたフィジェは、袖を掴んだカシアを睨んだ。カシアも涙目で睨み返す。

「フィジェも・・・隠し事はやめて」

「俺は・・・」

「知ってる事を話して」

 フィジェは、ユンディとタルハに同じ事を言われる。唇を噛んで、椅子に座り直すと、残っていたシャンパンを飲み干す。

 

 建設中の高層ビルが立ち並ぶ中、いち早く完成したそのビルは高級ホテルとして使用されていた。最上階の一室からは、ルアラバ川の流れがはるか遠くまで見渡せる。逆に足元の街はよく見えない。それが示唆するものに、彼女は背筋が冷たくなるのを感じた。窓から離れる。

 ここがどこなのかを忘れてしまうくらいに、西ヨーロッパ趣味で統一された部屋。真新しい調度品とともに配置されたソファは、座り心地が悪いくらいに柔らかい。ワインクーラーの中のワインも、本場から空輸したものだという。

 ジーンズの男性が、唇を湿らせる程度にグラスに口をつけていた。彼女はその傍らに立つ。

「北の金はアフリカを腐らせる。それは旧世紀から変わらない」

 正面に座る老人が、低くよく通る声で言った。小奇麗なスーツに身を包んだ紳士らしくその口調は冷静であるが、はっきりとした怒りを込めている。ウブンドゥの街は、ユーラシア連邦からの支援によって、空前の開発ラッシュとなっていた。

 アフリカ中央部、コンゴ盆地は現在、アフリカにおける勢力争いの最前線となっている。二ヶ月前に、コンゴ川下流のキンシャサをアフリカ解放戦線が奪取した。キンシャサから撤退した統一機構西アフリカ同盟の部隊はコンゴ川を遡り、アフリカ共同体が抑えるコンゴ川上流の要衝キサンガニを窺っていた。近々攻勢をかけるとの情報もある。

 コンゴ川は、アフリカ中央部の大動脈である。統一機構西アフリカ同盟はコンゴ川中流域を押さえているものの、キサンガニがアフリカ共同体の手にある以上、その十二分な活用が出来ない。

 キサンガニが統一機構西アフリカ同盟の手に落ちれば、アフリカ中央部の物資流通を全て握られることになり、下流にあるキンシャサは強い圧力を受ける事になる。大西洋岸に沿って勢力を伸ばすアフリカ解放戦線としては、キンシャサを維持するためにもキサンガニの動向を無視できない。

 だがキサンガニは、ビクトリア基地西部の緩衝地帯の主要都市でもある。ユーラシアはアフリカ共同体への支援を通じて、キサンガニの防衛力を増強している。キサンガニから100キロほど上流に遡ったウブンドゥへの支援も、その一環であった。

「ユーラシアの金がもたらすものは、貧困でしかない。自らアフリカの富を産み出す事をやめ、ユーラシアの富に縋る事しか出来なくなった」

 二十年ほど前に発見された新種の水草から作られる甘味料は、低カロリーで健康的だとしてユーラシアや大西洋での使用が増えていた。そこでユーラシアの食品企業が、水草の栽培と甘味料への加工を一貫して行う工場を建設したのだ。そこに、ユーラシア政府からの支援も加わった。

 だが流れ込んだユーラシアからの資金が、人々の手元に残ることはなかった。同時にユーラシアの商品も流れ込み、人々が手にした金は全てユーラシアの商品として消費される。ウブンドゥの人達は、食べ物までユーラシアの商品を買う生活に変わっていた。ユーラシアの資金が潤したのは、その金を手にした人々ではなく、ユーラシアの企業に過ぎない。

 その上、ユーラシアがもたらした商品の中には、麻薬や覚醒剤、銃や地雷まで含まれている。行きに甘味料を運ぶユーラシアの輸送機は、自動小銃を満載して帰ってくる。そしてその銃を購入した民兵が、アフリカ共同体の尖兵としてコンゴ盆地各地の紛争に介入しているのだ。

「その連鎖は、アフリカの悲劇そのものです。それを断ち切る第一歩、踏み出していただけるのですね」

「もちろんです、レジー・マヌカ議長」

 老人は男性と握手を交わした。アフリカ解放戦線のトップであるレジー・マヌカは、各地の有力者と接触し、コンゴ盆地における同時攻勢のための根回しを行っていた。アフリカ共同体勢力下であるウブンドゥでの会談は、その仕上げとも言えた。

 ヘストリーは彼の力強い笑みに高揚しない自分に、改めて驚いた。そしてただ、自分の足元を見つめる。

 

 イェレには簡単に追いつかれた。手を掴まれたまま、視線をそらす。雑踏の中のはずなのに、何も聞こえなかった。頭が飽和している感じだ。

 もう隠し通すことは出来ないだろう。もし隠し通そうとすれば、それは彼らと縁を切ることに繋がる。リリトは選ばなくてはならない。秘密を明かしてリリト・フィランディエーレであることを諦めるか、秘密を守り抜いて友人を失うか。どちらが、よりベターな選択なのだろう。

 ただの友人でいられる距離を保つはずだった、ただの友人を望んでいたはずだった。それなのに、カシアは無理やりに近づいてきた。手を取って引き寄せてきた。皆の輪の傍にいるはずが、いつの間にか中にいた。それはきっと、自分自身がそれを望んでいたからだろう。

「リリト、戻ろう」

 手を引こうとするイェレに抵抗する。視線を落としたまま、その場に立ち尽くした。何の抵抗にもならない事を、リリトはしていた。

「お願い、一人で帰るから・・・ほっといて」

 望まない事を口にする。イェレが手を離さない事を嬉しく思っている。そんな自分は最低だと思う。

 イェレが強く手を引いた。反射的に力を込めたら、イェレの方がよろめいた。ハッと顔を上げると彼と視線がぶつかった。怒気を含んだ彼の視線に、また視線をそらしてしまう。

「ほっとけるかよ・・・リリトの事なんだから」

 視線を上げると、困ったように視線を彷徨わせているイェレがいた。

「こういう言い方はしたくないけど・・・カシアだってリリトのために、ああいう事を言うんだ。俺だって、リリトの・・・その・・・」

 リリトの視界が歪む。目が熱くなり、その熱さの源が頬を伝わるのが分かる。鼻の奥が耐え切れないほどの痛みを発し、リリトは顔を覆ってその場にしゃがみこんだ。

 通行人からの矢のような視線を浴びながら、イェレは泣き崩れたリリトの抱きかかえるようにして、歩道の真ん中から離れる。彼の腕の中で、リリトはただ泣き続けていた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。