Green travelers ~ The another seed ~   作:VSBR

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第二十六話 子供の居場所

 前大戦において、ザフトはMSの投入によって序盤の戦闘を優位に進めた。しかしその後、各地の戦線がこう着状態に陥ったのは、連合の物量やプラントからの補給の問題だけではなかった。MSが万能兵器ではなかったからだ。

 戦中のザフト占領地は、主に海岸線と乾燥地帯である。これはMSを森林地帯で運用する事が極めて困難だったからである。頑健な遮蔽物として作用する木々は、同時に足元の視界を完全に遮断する。さらに熱帯雨林であれば熱センサーの精度は極端に低くなり、森の中の人間を見つけ出すことは不可能に近い。

 顔面に小型のロケット弾を撃ち込まれ、ダガーⅡはよろめく。慌ててサブカメラをメインディスプレイに回したパイロットは、見渡す限りの森に「緑の地獄」という言葉を思い出す。

 統一機構西アフリカ同盟の動きを牽制するために、ユーラシア軍はコンゴ盆地における軍の活動を増やしていた。MSによる偵察は示威行動でもあるのだが、それに対する反撃も活発になってきている。

 コンゴ川各支流の河畔では既に小競り合いが起こっており、アフリカ共同体軍や地域の民兵も動員して領域警備に当っている。アフリカ解放戦線が動いているという情報もあり、神経戦の様相も呈していた。

 メインカメラを失ったダガーⅡが片手を上げた。既に僚機の一機は、足首に仕掛けられた吸着爆弾によって擱座し放棄している。これ以上の偵察を危険と判断したのだ。

 だが戻るのも一苦労である。スラスターを吹かしたところで、着地できる場所が無い。木立に強引に着陸しようものなら、脚部に余計な負担を掛けることになる。実際それで着地に失敗した例は多いのだ。

「もと来た道を戻・・・」

 熱紋センサーが揺らぎを捉えた。その確認をするより早くコクピットを振動が襲った。ダメージを報せるアラームがなる。パイロットはディスプレイの強化アクリルを殴りつけた。また吸着爆弾にやられたのだ。

 森の中を駆け回る敵兵は、立ち止まったMSの足に爆弾を取り付け、通り過ぎるMSにロケット弾を浴びせる。鬱蒼とした木々は敵兵の姿を隠し、MSの巨体だけを目立たせる。一発一発は致命傷でなくとも、苛立ちと不安が心理的な圧迫感を常に与え続ける。

 その昔インドシナ半島で行われた戦争において、熱帯雨林を消失させるため大量の除草剤を撒布するという作戦が行われた。そのような途方も無い作戦を行いたくなる気持ちが分かるというものだ。

 だがその作戦を行った国は、その戦争に敗れた。

「結局、アウェーの不利は取り返せなかったということだな・・・」

 立ち往生している二機のダガーⅡをモニターに捉え、マクシム・ディエのゲルググはビームライフルを構えた。敵も、シールドを構えてビームライフルを空に向けている。放たれるビームを軽くあしらいながら、マクシムは正確に二機のダガーⅡを撃ち抜いた。

 爆発もせずに崩れ落ちるダガーⅡを確認し、ゲルググはバックパックの翼をひらめかせるように大きく旋回した。

 

 補充物資の搬入で慌しくなったMSデッキでは、アジズの嬉しそうな怒鳴り声が朝から響いていた。基本的に休むという事が苦手なタイプなのだろう。防水や防湿対策の機器が、次々と運ばれている。

 正式に作戦は発令されていないが、装備品のカタログを見れば向かう場所くらいは分かる。ビクトリア湖から西に向かい、山を越えて熱帯雨林地帯に向かうのだ。衛生班が頻繁に出入りしているのは、医薬品関係の積み込みであろう。

「大丈夫だと思うか・・・リリト」

「・・・大丈夫な性能よ。この子は」

 コクピット周辺の水密加工のチェックと、電子機器の結露対策の確認をしながら、ユンディはグラティアを見上げた。完全に修理が施され、新品同様の輝きである。あの翼付きや砂時計が出てこない限り、遅れを取る事のない機体だ。

 戦場で絶対を言う事はしないが、旧式のMSを相手にしてパイロットを失うようなダメージを受ける事は無いであろう。プラントで開発されるMSの特徴であるコクピットの高い安全性は、この機体にも生かされている。

 タルハもグラティアを見つめる。整備に出来る仕事はそこまでだ。だが、友人として出来る事はまだあるのではないだろうか。

「取り返しが付くうちに降りろ」

 不意に言われた言葉に二人は振り返った。私服姿のタラスが艦内への入り口に向かって歩いている。彼は寝泊りは宿舎でしているのだが、日中はトレランシアの居住区にいた。一部クルーの中には、アレナとの噂を立てるものもいたが、彼は気にも留めていなかった。

 取るに足らない事を深刻な顔で悩んでいるリリト達は、タラスを苛立たせるには十分だった。そんなタラスの様子に、アレナは微笑ましい滑稽さと哀しさを感じる。そのような悩みを抱えられないのは、健全な事ではない。

 机の上の本の山が崩れた。それを拾いながらアレナは休憩しようという。時計は十二時を回っている。一つだけと言って、タラスは聞く。

「東アジア各国の独裁体制は、中華人民共和国成立にともなうアメリカの反共政策の一環だったのか?」

「それも一つだな。革命の輸出を防ぐための軍事支援は、結果的に戦後東アジア各国の治安の回復をもたらし、それがその後の経済発展の基盤となった」

 一方でアフリカの独裁体制を支えたのは、経済支援という名で多国籍企業が持ち込む外資であった。それは体制内部の人間の私財とはなったが国家の経済基盤にはならず、貧弱なインフラも治安の確保も放置される事となった。

 そこまで説明して、アレナはランチボックスを開く。サンドイッチを頬張りながら、ノートにそれを書き留めるタラスは、そこに『アフリカの現状はその当時から変わっていない』と書き加えた。

 次の作戦で向かう場所も、そんな場所なのだろう。ノートに向かうタラスの視線は、厳しかった。

 

 糊の利いたシャツにしっかりとプレスされたズボン、下ろしたての制服からは微かにドライクリーニングの匂いがする。袖を通しベルトを締めてボタンを留めると、流石に身が引き締まる。

 部屋の外で待っていた副長にきちんとした敬礼を返すと、背筋を伸ばしてトレランシアに向かう。ドックから引き出された艦は、朝日を受けて白く輝いていた。既に物資の搬入作業は終わっているのだろう、艦の周囲は静かだった。

 専門の業者が入ったのであろう艦内は塵一つ無く掃除が施され、床も壁も磨き清められている。小気味のよい足音を響かせながらブリッジに向かう。

「おはようございます!」

 クルーの挨拶に応え、マーカスはキャプテンシートに座った。状況報告を受け、一切の遅延が無い事を確認する。休養明けのクルーは、てきぱきと出航準備を進めていた。操舵手に航行ルートを伝えると、マーカスはレセディを伴ってブリッジを後にする。

 艦内放送で出航スケジュールを読み上げるカシアの声が、廊下に響いていた。レセディは、声を低めてマーカスに聞く。

「彼女らを、留めておくつもりなのですか」

 疑問の形で聞いているが、はっきりと批難の調子を含めていた。プラントの学生であった六人のクルー、貴重な戦力である事に疑いは無いが、それを分かった上でなおレセディはそう言うのだ。

 マーカスは何も言わずに艦長室のドアの前に立った。以前、侵入者があったことを教訓に、防爆仕様のアナログロックであった。ダイヤルとキーを組み合わせた金庫のような鍵を開けて中に入る。

 レセディの静かな視線を受け止めながら椅子に座り、腕を組んだ。子供を戦場に引き込むなど、大人のやる事ではない。彼女の言う事はもっともである。

「それでも、艦長は彼女らが艦に乗り込む事に意味があるのだとおっしゃるのですか」

 自分の考えが、身勝手でナイーブなものだというのは理解している。戦争に慣れてしまわないため、ここが非日常である事を認識するため、彼女らにいてもらうという発想は、大人のエゴだろう。

 多感な時期に戦場に立たされれば、彼女らは幾重にも傷付く事になる。それに対して、償う事も責任を取る事も出来ないだろう。マーカスは目を伏せた。プラントから医療スタッフが派遣されたのは、その当たりのケアを考慮しての事なのかもしれない。

 彼女らをビクトリアで降ろし、プラントに帰らせたところで、彼らの仕事に変化が訪れるわけではない。地球連合軍緊急即応部隊としての任務を遂行するだけだろう。

「だからこそ、必要だと思うのです」

 任務を遂行するだけの部隊に成り下がらないためには、必要な事だと感じるのだ。マーカスは顔を上げて、以前に説明したはずですと付け加えた。

 レセディは納得していないという事を明確に示す表情のままで敬礼をした。ドアの閉まる重い音を聞きながら、マーカスは長いため息を吐く。机の上のディスプレイを起動させて外部カメラの映像を映し出す。ビクトリア湖の湖面がどこまでも広がっていた。

 

 窓際に立ってトレランシアの出航を満足げに見つめるルチアーノ・プレスは、同席する相手を手招きする。露骨な表情でそれを断った相手は、苛立たしげに椅子の肘掛を指で叩いていた。約束の時間が過ぎていると言うのだ。

 忙しさを強調する相手に、ルチアーノは苦笑する。どうせ仕事の予定ではないのだろう。愛人とのお楽しみなど、夜だけで十分なはずだ。そんな事はおくびにも出さずに、ルチアーノは席に着く。もう一方の相手が来るまで、済ませられる話は済ましておこうと、テーブルに据え付けられたパソコンを起動させる。

 相変わらず肘掛を小刻みに叩き続けているのは、ユーラシアの通商担当相だ。マスドライバー及び、そこへの陸海空路を管轄する省のトップである。

「資料は御覧になっていますか?」

「ああ、よく根回ししているようだ」

 相手の不機嫌さはそこにある。ルチアーノは表情を崩すことなく、胸の内で舌打ちをする。もともとこの計画を進めるにあたって、連合内の調整からユーラシアの各省庁との折衝など、多岐に渡る手順を踏んできたつもりだ。

 ユーラシア外務省を説き伏せ、ユーラシア軍と取引し、財界との協議も進めてきた。ビクトリア行政府との打ち合わせも順調に進み、アフリカ共同体と北アフリカ連合体との交渉も進んでいる。個人的に、よくやっていると思っていた。外交官の面目躍如だなどと自画自賛もしている。

 それにつまらないケチを付けられた気分だ。それも、現在進行中の計画に重大な欠陥があり、それを指摘し計画の変更を求めるという、建設的なものではない。単に、通商担当相への根回しが後回しになった事が気に食わないだけなのだ。つまらない面子の問題であった。

 しかし、こういう問題はこじらせると後々面倒である。タイミングを合わせて全ての決裁が進まなければならないのだ。相手の機嫌を伺いつつ、面子を立てて話を進めなくてはならない。ドアがノックされ、来客が告げられた。

 今回の交渉の本命の相手だ。ルチアーノは立ち上がり、その相手を迎え入れた。ダークなスーツに身を包んだ女性だ。艶やかな黒い肌に淡い色の口紅を合わせている。

 理知的な目に陰りを見せ、口元の微笑みもどこか寂しげな印象だ。落ち着いた所作で席に着いた女性は、軽く会釈をした。

「ようこそ、ミス.オサバ」

「ヘストリー・オサバです。はじめまして、ミスター.プレス」

 今回の交渉の主役ともいうべき相手だ。事前の情報交換や折衝は何度も行っている、今回が詰めの交渉であった。成功させる自信はあるが、絶対に失敗は出来ないのだ。これはアフリカの将来を左右すると言っても過言ではない。ルチアーノは笑顔のままで眼光を鋭くする。

 ユーラシアの通商担当相など、もはや眼中に無い。地球連合という組織が何をなし得るのかが問われる交渉となる。時間も無い、テーブルの上の冷めたコーヒーに軽く口をつけ、ルチアーノは口を開いた。

 

 コクピットのスイッチを一つ一つ入れていく。その度に小さなランプが付いていった。MSの機能が一つずつ立ち上がり、最後の仕上げのように人の目を模したような二つのカメラに光が点った。ディスプレイにMSデッキの様子が映し出される。

 振動と共に機体が上昇する。MSデッキからカタパルトに移動した機体から、電磁レールの色が緑に変わるのが見えた。ブリッジからコントロールの委譲が伝えられ、パイロットは一呼吸の後、機体を発進させる。

 フォルトゥーナは機体を安定させるために数度スラスターを吹かすと、バックパックを展開する。定期の哨戒飛行だ。

 エアブレーキを効かせながら高度を落とし、山の頂に狙いを定めて着地する。そこから西には広大な熱帯雨林が広がっていた。大西洋からの湿った空気は、この山のある山脈にぶつかって雲となり熱帯雨林を育てる。湿り気を失った空気が山を越えるため、ビクトリア周辺は乾燥した気候となるのだ。

 視界一杯に広がる緑に、イェレはデジャビュを感じる。今まで見てきた地球の景色と同じだ。どこまでも途切れる事のない砂であったり、空の彼方まで繋がる海であったり、地球の大きさを端的に物語る眺めだ。宇宙のように何も無い広さではない、何かに満ち満ちた広さ。

「プラントから見ると、頼りないのに・・・」

 イェレはフォルトゥーナを屈ませ、一気に飛び上がる。センサーが捉えたのはユーラシア軍機であった。この山脈までは、ユーラシア統治領なのだ。戦闘機が大きく旋回して飛び去っていくのを見て、イェレはカメラを前方に向ける。

 ここからしばらくは、親ユーラシアのアフリカ共同体の影響下の土地らしいが、その情勢は不穏なものらしい。MS戦こそないが、兵士同士の小競り合いは日常茶飯事だと言う。

 これからの哨戒飛行は、不測の事態が起こる可能性が高くなるのだ。イェレは唇を舐めた。

 ビクトリアを出てから数日、とりあえずは平穏に過ぎていた。ただ、リリトは一層皆との距離を取るようになった。その原因も、あの時彼女が泣き崩れた理由も分からないまま、挨拶以上の言葉を交わしていない。

 フィジェに聞いた話は、リリトが重さ300キロ以上の岩板を受け止めたというものだった。ユンディとタルハは、彼女の戦闘データが通常のコーディネーターでは考えられない水準に達していると話していた。それが意味する事も分からず、それが何にどう関係するのかも分からない。

 しかし、誰も口にしないが、それが何らかの関係を持っているのではないかというのは、漠然と確信していた。リリトが挨拶をする時のぎこちない笑顔がよぎり、イェレは奥歯を噛んだ。

「あの医者・・・知ってるって事だ」

 イェレは思いついたようにつぶやく。時間を過ぎた事を報せるアラームが鳴り、機体を反転させる。簡単に話を聞けるとは思わないが、何か取っ掛かりを見つけたような気がした。

 

 キサンガニから北西に二百キロほどの街が、統一機構西アフリカ同盟の前線基地となっていた。コンゴ川を押さえ、アフリカ中央部全域を勢力下に入れることによって、大西洋岸を北上するアフリカ解放戦線の側面に圧力を掛け、同時にビクトリアに対する牽制を行う。

 大西洋連邦や東アジア共和国も積極的な支援を行っていた。ジリ貧が続く統一機構としては、一発逆転を狙った大勝負である。兵力の集結も順調に進んでいた。旧式のMSに並んで、湿地や河川での使用が考慮されたダガーやウィンダムも見受けられる。

 ジャングルでのMS使用は困難であり、またコンゴ盆地の町は基本的に川岸に作られる。コンゴ川の川幅は広いところでは五キロ近くある。MSの主戦場はそこになるだろう。

「後は空だろ」

 青く塗られたウィンダムⅡを恨めしげに見つめながらヤンが言う。本国からの指令で統一機構の支援を行うジンビンメイも、その街にいた。だが、二機のシャーレンは修理中であり、代わりの機体を与えられていた。

 ジェットストライカーを装備しているとはいえ、新型フリーダムとやりあうには十段も二十段も下の機体だ。空戦能力も限定的なものしかない。

「今度ばかりは出会いたくないかもね」

 クククと笑ったインが後ろを見る。苦い表情のチン・ヤンチャンが咳払いをした。そして、今回はフリーダムとの戦闘を禁止すると言った。コクピットを狙わない相手であっても、不測の事態があればそこまでである。

 そもそもフリーダムが現れるかどうかも定かではない。入っているのは、コンゴ盆地でアークエンジェルをロストしたという情報だけである。彼らがアフリカ解放戦線の支援を行っていることは確かだが、今回の戦闘にアフリカ解放戦線が直接関与するという情報はない。

 むしろ気になるのは、連合の緊急即応部隊の動きであった。彼らは、ユーラシアの動きとは関係なく動く可能性がある。そしてその部隊には、彼らの標的と同様の存在がいる可能性があった。

「じゃ、そっちも捕まえる? 偶然拾った声は女だったわよ」

「スレイと繁殖実験か?」

 腹を抱えて笑う二人を無視し、データの収集のみを厳命する。正体不明のテロリストではなく、身元のしっかりした相手である。何度か交戦した以上、こちらの尻尾も捉まれているだろう。下手な事をすれば、自分達がトカゲの尻尾として切られる

 ヤンの言った事は、科学者として純粋に興味のある事である。だがそれは、スレイ・カルガの捕獲に成功してから言う台詞だろう。何度やってもシャーレンを破壊されるだけの二人に、ヤンチャンは深呼吸で怒りを鎮める。

 彼が持つカードはその二枚だけである、失われていないだけでもマシとしなければならない。

 

 旧世紀には、東アジア経済の中心であったこの街も、今では落ち着いたたたずまいを見せ始めている。盲目的な経済発展がもたらした豊かさは、その経済発展がもたらした負の側面に目を向ける余裕を生んだのだ。再構築戦争に伴う政治的動乱によって被害を受けたのは政治の中心であったペキンであり、シャンハイはそこから距離を置くことが出来た。

 整然と摩天楼が立ち並ぶ一角に、上海第七銀行の本社ビルがある。正面玄関の前に置いてあるオブジェは、風水破りの呪詛とも結界を張るための基点とも言われている。そのおかげかどうかは知らないが、上海第七銀行は順調に業績を伸ばしている。カヲ・ツォピンは正面のドアをくぐった。

 半年ぶりに戻る本社は勝手が分からず、来客用のインフォメーションで道順を聞いて自分のオフィスに向かった。それでも掃除だけは行き届いている点が、大企業というものなのだろう。赤外線を遮断する窓ガラスから、太陽の光だけが差し込んでいる。

「来客の予定が一件あります。最低限すべきことはリストアップしていますので、明日夕方の出発時間までにお願いします」

 第三融資部部長付きの秘書であるが、彼女の普段の仕事は何なのだろう。一人で世界を飛び回るカヲの、ささやかな疑問であった。どうでもいい決裁書類に、片っ端からハンコを押していく。

 その横では、パソコンのディスプレイが、様々な情報を伝えていた。刻一刻と移り変わる市場の噂に資金は日々右往左往するのだ。そんな数字遊びにも似たこの仕事に疑問を持つことも無く、カヲは仕事を続けている。

 専門誌から取材を申し込まれるくらいには、その筋で名の通ったバンカーだった。今日の来客もそういった類であればいいのだが、と思いながら書類の束を秘書に渡してコーヒーをすする。応接室からの電話に、腰を上げた。

「お久しぶりです、部長」

 ここしばらく姿を見せないと思っていた連合の金融当局者が、口元にだけ笑みを浮かべて手を差し伸べる。軽く握手を交わしてカヲは向かい側のソファーに座った。用件は聞かなくても分かる。

「資料は定期的にお渡ししているはずですが」

「ええ、ですが今日は少し別の話でして・・・新京新医学学術院、ご存知ですか?」

 カヲは聞きなれない単語を頭の中で検索した。戦中、東アジア政府の外郭団体とか何かで、融資の検討をしたことがあったと記憶している。だが、実際の融資は行わなかったはずだ。一、二度短期の資金繰りに協力した程度で関係を切っているはずだ。

 本業と関係ない話を振られても困るだけなのだがという表情をしてみせた。相手もそれを承知しているようだ。

「この団体は戦中に解体されていまして、一部研究者だけが軍で兵器開発を継続していたそうです。ビーンシュトック一派と、奇妙な接点がありましてね」

 大天使と呼ばれるテロ集団の背後にいるエフライム・ビーンシュトックの一派。ターミナルの分派らしいが、実際にはターミナルの実働部隊に関するネットワークを引き継いだ組織であるらしい。

 プラントにおける政変でクライン派が失脚した後も、地球各地の反連合組織に対する支援を継続し、サハク家を筆頭とするオーブ反体制グループや、傭兵・ジャンク屋などのアングラ勢力とも繋がっている。それを考えれば、東アジア軍の一セクションと接点があっても不思議ではないだろう。

 新京新医学学術院に関するデータが乏しく、銀行に過去の資料が残っていないかとの話だった。カヲは首を振る。継続的な付き合いが不可能な相手とは、徹底して縁を切らなければ危険なのだ。金融当局者も期待はしていなかったのだろう、ため息もつかず深く追求もしなかった。緑茶を口に含んで、カヲは世間話をする

「アフリカでは動きがあるのでしょう?」

「ええ、軍の方で。うちはうちで別の事を考えていますから・・・」

 連合の金融当局は、ビーンシュトック一派に関する資金の流れを徹底して追っていた。組織が活動するとは、資金が動くということである。世界中の金融機関をロンダリングされる資金を追い、その活動実態を暴く。それが目的であった。

 そして最終的には、それらの口座の凍結を行い組織の息の根を止める。そうすれば、ほとんどの反連合組織が活動不能に陥るだろう。戦場でMSを動かすよりも効率よく、敵組織を壊滅させる事ができる。

 それに合わせて、傭兵の取り締まりや民間企業のMS使用制限など、外交当局もプラントとの協議を検討しているという。連合は本気ですよという金融当局者の言葉を聞き流し、カヲは腕時計を見る。

 それを見て相手は、湯飲みの中身を飲み干して立ち上がった。

 

 夜の窓に顔が映る。髪をいじりながら何も見えない外を見つめる。月も出ていない闇夜だった。ビクトリアで整えてもらったロングヘアーが、室内の光で艶やかに光っている。カシアはコップをディスペンサーに返した。

 リリトとは、定期哨戒の発進と着艦の時に交わす事務的なやり取りしかしていない。多分半分は自分のせいだ。カシアは頭をかく。

 人付き合いがこんなに下手だとは思わなかった。親の転勤暮らしに合わせて、知り合いを作る事には長けていたのかもしれない。だがそんなスキルは、友人関係には何らの役にも立たない能力だったのだろう。リリトの事が何も分からないまま、彼女との距離は離れていく。

 近づく術、いや近づく事をリリトが望んでいるのかどうかも分からない。自分の行為は、彼女の負担になっていただけなのではないだろうか。

「片思い・・・っていうのかな、こういうのも」

 アカデミーの日々も、自分の勘違いだったのだろうか。リリトはその胸の奥で、うんざりとため息をついていたのだろうか。自分の事を情けなく思う。

 足音に振り向くと、レセディが歩いてくる。丁度交代の時間だろう。カシアは形ばかりの敬礼をして壁際に寄った。レセディはカシアの前でわざわざ立ち止まり、きちんと敬礼を返した。

 腰まで届く長い黒髪に、出るとこの出たプロポーション。街を行けば声の一つ二つは当たり前のように掛けられるであろう。彼女と同年代の少女は、そんな日々を謳歌しているはずだ。それなのにこの子は、違う。

 狭い軍艦の中で、明日とも知れない戦場の中で、心と体をすり減らすような日々を送っているのだ。そしてその責任は、大人の側にある。彼女らをそんな場に引っ張り込んだのは、連合である。

 彼女が立派に役割を果たしていることは認めるし、貴重な戦力である事もその通りだ。だが、それとこれとは全く話が違う。子供を戦場に送るのであれば、それはその辺の武装勢力と何ら変わらないではないか。それは大人のやる事ではない。

「髪はちゃんとまとめておきなさい。それに、制服の勝手な改造も本来なら許されない事です」

 ミニスカートにされた制服を注意する。そんな無邪気な子供が軍艦にいる、それは異常なことなのだ。

 分かりましたと返事をしたカシアに、レセディは意外な視線を向けた。カシアの視線はしおらしく伏せられている。レセディは、自室に戻ろうとするカシアを思わず呼び止めた。

「作戦が終わったら、艦を降りるための申請を出しなさい」

「・・・そしたら、また戻れますか? 何も考えずに済んでいたあの頃のみんなに?」

 カシアはもう一度敬礼をして踵を返した。

 彼女が抱えている悩みは年相応のものであろう。それなのに彼女がいる場所は、違う。レセディは天井を仰ぎ、目をつぶって息を吐き出した。

 

 ウブンドゥの街は遠くからでもよく分かる。熱帯雨林の一角にぽっかりと穴が開き、その穴から不釣合いなほど巨大なビルが何本も頭を伸ばしている。計画というものが感じられない街の姿だった。森に接する部分はバラックが密集し、森の伐採と市域の拡充も続いているようだ。

 トレランシアはウブンドゥが接するルアラバ川の数キロ下流に停泊した。連絡員を乗せた船が出発し、護衛のためウェルガーファーストが随伴する。

「ユーラシアの先手を打つ、それが作戦だ」

「そっちについては我々としては関与しない。君・・・いや、君の部隊には大天使を抑えてもらいたい」

 君の部隊という言葉にヒューは肩をすくめる。川岸の港の隅にウェルガーを立たせて連絡員を見送った後、彼と接触する男がいた。その男は、アークエンジェルがこの近くに来ているという情報を伝えてきたのだ。

 近くにいるだけで何もしないなどという事をする集団ではありえないので、何らかの動きがあれば当然それに合わせて動いてくるだろう。それを抑えろと言うのだ。あいにく、アークエンジェルの側の目的などについては全くもって不明であるため、明確な指示というものは下しようが無い。

 曖昧極まりないその言葉をヒューは笑う。そしてそれは自分の仕事ではないと付け加えた。男が蔑むように言う。

「フリーダムを抑えられるのは、リリト・フィランディエーレだけだよ。ジョセフ・ロギライ」

 しばらく使っていなかった本名にヒューは顔をしかめる。同時に、上の方がそれなりに追い詰められている事を感じた。クライン政権という最大の実力組織を失い、頭だけになっているのだ。勝手に動く手足に対処が出来なくなっているのだろう。

 ヒューは善処するとだけ言っておいた。実際にフリーダムが出てくれば対処せざるをえないのだ。これまでのことを考えれば、味方となる可能性はゼロである。一つ気になった事を聞く。

 何故、リリトを名指ししたのか。一度フリーダムを落としたと言う実績を指摘した感じではなかった。

「私はメサイアの悪夢の目撃者でね。人間は化け物に敵わないという事を、確信を持って言えるんだよ」

 フリーダムの性能が驚異的であるのは確かだ。だが男は、MSの事を話しているのではないのだろう。ナチュラルならコーディネーターのことをそう言うかもしれない、だがこの男は違う。

 フリーダムのパイロットは、コーディネーターが化け物と呼ぶ存在であり、リリトもまたそうであるということなのだ。ヒューはわざと疑問を顔に浮かべた。男は得意そうに続ける。

「メンデルベビーに対抗できるんだ・・・セプテンベルの少女はな」

 ヒューは舌打ちをする。コーディネーターの暗部ともいうべきプラント・メンデル。かつてのフリーダムのパイロットがそれだった。しかし今もそうであるとは、下手な漫画のような運命ではないか。

 そしてリリトもまた、そのような存在なのだろうか。ヒューには想像が付かなかった。少なくとも彼には、友達づきあいを手探りする多感な少女にしか見えない。

 その他、二三の情報を交換すると、男は昇降ワイヤーで下に降り小舟を漕いでいずこと無く去っていった。ヒューはモニターを切って目をつぶる。何事も無く済むというわけにはいかないようだ。

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