Green travelers ~ The another seed ~ 作:VSBR
熱帯雨林の湿度にはまだ慣れない。体調管理には気を配っているが、それでも気だるさが抜けないのは、肉体的なものだけではないという事だろう。無数に流れるコンゴ川の支流の一つに、一艘の武装舟艇が浮かんでいる。狭い甲板に出ても、水に浸されたような風しか吹いていない。
ヘストリー・オサバは、呼びかけに応えて艇内に戻った。アフリカ解放戦線の臨時司令部がそこに据えられていた。空調は備え付けられているが、利きは良くないようだった。ヘストリーは眩暈を覚える。
「どうかしたか?」
レジー・マヌカの言葉に、大丈夫だと答えておく。彼は、再び机の上の地図に視線を戻した。先日のウブンドゥに対する連合とユーラシアの介入に、どのような評価と対処を行うか。結論の取りまとめを急いでいるところだった。
連合とユーラシアが十分な連携を取れていないという事は分かったが、そのため逆に連合の意図が読みづらくなっていた。アフリカへの関与を強化するという狙いは分かるが、それは現状の維持でありユーラシアとの対立ではないはずだ。
「やはり理事会の声明はパフォーマンスか。緊急即応部隊はそれを糊塗するために動いた・・・?」
「だがウブンドゥの拠点を掴まれていた。パフォーマンスにしては強力な情報網が出来上がっている」
キサンガニでにらみ合っているアフリカ共同体と統一機構西アフリカ同盟は、数日内に戦端が開かれるであろうという観測であった。連合の出方が明確であれば、それに合わせて動く事ができる。
既にコンゴ盆地には、アフリカ解放戦線の通信用光ファイバーが敷設済みである。戦闘準備は整えられていた。レジーはポンと手を叩いた。
「北アフリカ連合体領内での連合軍の集結は確認されていない。ならばここで動いている連合の部隊は戦艦一隻だ」
そして行動の開始を決定した。ただ当初プランを変更し、キサンガニへの側面攻撃を優先して行う事とした。MSの集中投入によって連合の出方を見極めた後、本命の作戦を決行する。
部隊の再編のために指令文書が作成され、暗号電文として各地に潜伏する部隊へと伝えられた。キサンガニでの戦闘が始まる前に、部隊の再配置を終えなくてはならない。武装舟艇自体も移動を開始した。
ヘストリーは一人ため息をつき、レジーに出撃するのかと尋ねた。
「僕は一人椅子に座ってられるような身分じゃないよ」
心配するなと笑う彼は、相変わらずのラフないでたちだ。初めて会った時から何も変わらない。きっと彼は、ずっと変わることがないのだろう。だから、彼女の方が変わらなくてはならなかった。
それが成長なのか、ただの変化なのかは分からない。ただ、いつまでも変わらずにいられるほど、世界は不変ではない。だがそれも、夢と希望を見つめる彼には見えないままなのだろう。
艦自体に損傷はなかった。だがMSは軒並みダメージを受け、補給や今後の指示もあったため、トレランシアはキサンガニに向かっていた。慌しさの続く艦内の雰囲気を気にしつつ、リリトは居住区の一角に来ていた。
普通の部屋とはドアの構造が異なる部屋がいくつか並んでいる。捕虜などを収容するための部屋に、イェレが入れられていた。ウブンドゥでの単独行動に対する処分が決定するまでの措置である。
ユンディに借りたパスワードの解読器を使って、インターホンを繋ぐ。
「聞こえる、イェレ?」
「リリト!? 怒られるぞ、勝手に」
いつも通りの声にホッとする。気を失ったまま収容されたため、状況がよく分からないのだ。他の人に聞こうにも、そういう雰囲気ではなかった。何をしたのかという問いかけに、イェレは言いよどみながらも素直に応じた。
その答えに、艦内の雰囲気が少し理解できたような気がした。タラスは不機嫌だったが、ヒューやアレナは好意的な眼差しを向けてくれた。
早くインターホンを切るように言うイェレに、リリトは言う。
「間違ってない・・・ううん、正しいよ」
きっとすぐに出られると付け加えてインターホンを切る。フリーダムの事など、どうでもよくなった。パイロットが何か言っていたような気がするが、どれもどこかで聞いたことのあるような、忌々しい言葉に過ぎない。
その大仰な台詞は、イェレが示したささやかな行動の前には無意味だ。
いや、そのささやかな行動には大きな意味があるのだ。ブリッジにはビクトリアからの通信が回されていた。時折雑音が混ざるが、音声だけなら支障のないレベルのNジャマー濃度である。レセディの釣りあがった目に、マーカスはゾクゾクしたものを感じた。通信の相手はルチアーノ・プレスである。
「根回しの愚痴はここでは溢さない、そのパイロットの処分は取り下げざるを得なくなりそうだよ」
それを聞いたカシアは小さくガッツポーズをした。どう考えても悪いのはユーラシアの側だ、イェレが処罰を受けるいわれなどない。彼女はレセディの視線を挑発的に受け止めた。マーカスは見ない振りをして、ルチアーノに説明を求める。
ユーラシア軍の戦闘機9機が撃墜され、民間軍事企業のMSが10機も破壊されたのである。大半がアフリカ解放戦線に味方しているザフトの義勇兵によるものだとしても、フォルトゥーナによる攻撃の事実は消えない。ユーラシア軍はテロリストの掃討を掲げての行動だったのである、お咎めなしはさすがに虫が良すぎる話だ。
仮に100%ユーラシア軍に責任のある事態だとしても、何らかの処分を見せなければ、後々面倒だろう。ルチアーノもそんな感じの口ぶりだ。
「どうやら記者がいたらしくてね・・・ムウェル湖畔の街を報道したのと同じ記者だそうだ。ビクトリアは収まりがつかないだろうが、ジュネーブはすっかり怖気づいている」
後は察してくれたまえと言わんばかりの言い方に、マーカスは納得した。要するに、テロリストの掃討は口実だったのだ。正確に言えば、ウブンドゥ外縁部のスラム街の治安悪化が都心部に波及しないうちに、スラムごと排除する算段だったのだ。市街地を拡張するためにも、外縁部には人が住んでいない方が開発は楽である。
ウブンドゥ開発を主導しているのはユーラシアであり、おそらくその方針を決めたのもユーラシアだ。ウブンドゥ開発のために、一般住民ごとスラムを焼き払うという国家の暴挙が報道されるくらいなら、民間軍事企業の暴走を食い止める連合軍緊急即応部隊の活躍という物語が流れる方がマシということだろう。ルチアーノは、ウブンドゥの警備保障を請け負っていた会社が、認可の取り消しを受けたと付け加えた。
手回しが早いとため息をついたマーカスは、カシアが立ち上がるのを見た。彼女は、相変わらず画像の安定しないモニターに向かって怒鳴る。
「それって、イェレは間違った事したけど仕方なく処分しないって事ですか!? 違うでしょ!」
「スターム少尉、そこまでだ。では委員長、次の指示はキサンガニ到着からという事で」
マーカスはそう言って敬礼すると、通信を切った。カシアは収まりきらないという顔で睨んでくる。その表情に色気と凄みを感じないのは、彼女がまだ幼いからだろう。マーカスはカシアに、イェレの入れられている部屋のロックナンバーを教えると出してやるように言う。
彼は駆け足で出て行くカシアを見送る。そして警戒レベルを一段階下げ、レセディを呼んでブリッジを後にした。鋭い視線を浴びながらの廊下は、思った以上に長い。ようやくたどり着いた艦長室で、椅子にどかっと座る。疲労が一気に噴き出す感じだ。
だが寝る前に、レセディと話をしておかなくてはならない。直立不動の体勢で立っている時の彼女は、機嫌が悪いのだ。
「彼女らを艦に残した意味、分かっていただけましたか?」
「分かりません」
連合加盟各国との協調無しに、連合の独自部隊など運用はできない。対立などもっての他だ。こんなつまらない正義の味方ゴッコのために、部隊そのものが存続できなくなれば、それこそ本末転倒だろう。
レセディは何か言おうとして息を飲んだ。プラントの学生は、そのような事を理解しないだろう。だが目の前の青年はそれを理解しているはずなのだ。それでもなお、彼女らの行為を容認する。
「何を、考えているのですか?」
「そうですね・・・千里の道も一歩から、といったところでしょうか」
国家間協調といえば聞こえもいいが、それは互いに都合の悪い部分をなあなあで取引し合うことでしかない。連合がそのような主権国家の寄り合い所帯を脱しようというのであれば、公正なルールに基づく統一した行動が求められるはずだ。
人道的危機への対処というものは、各論部分での議論があるとはいえ、国際的なコンセンサスを得ているはずだ。一般住民に対する無差別攻撃の阻止、今回の行動は人道的危機への対処に他ならない。
トレランシアは加盟国の都合で動く存在ではないはずだ。マーカスはそう夢想している。
修理の終わった機体がハンガーに並べられている。その前には、無数の部品が広げられていた。前回の戦闘で取り外された部品の修理が続いているのだ。溶接面を上げて、タルハは冷めて色を失っていく金属部品の出来栄えを見る。
アカデミーの整備課程を出たとはいえ、この手の作業は経験だけがものを言う世界だ。その上MSは精密機器の塊であるため、アカデミーでの講義もソフトや制御装置の面に偏りがちである。だがそんな考えは、見事に吹き飛ばされていた。
MSを実際に動かすのは巨大なモーターでありシリンダーでありシャフトである。そしてその手の部品ほど戦闘による損耗が激しいのだ。先輩の一人がタルハが繋いだ部品を撫でる
「ズレてるな、コリャ・・・繋いじまったか。ま、イイや、削れ」
グラインダーを手渡され、タルハはため息をつく。未だに一発OKをもらった事がない。何度撫でてもどう悪いのかが分からない。向こう側ではユンディが何かにキレていた。
警戒飛行から戻ってきたウェルガーがそろりとハンガーに戻った。MSの離発艦時には整備員は退避する事になっているのだが、完全に無視されている。広げられた部品の修理が出来なければ、MSの運用も出来なくなるのだ。
アジズが拡声器でフォルトゥーナの出撃を告げ、その近くの整備員だけが場所を移動する。タルハとユンディは同時にロッカールームの方を見た。イェレが解放されたという事なのだ。
多少テレくさそうな顔のイェレが小走りで機体の方に向かう。整備員の反応は半々だった。アジズら民間からの出向者は概ね好意的であり、軍の関係者は納得のいっていない表情だ。そんな納得のいかない者の代表がタラスだった。
ウェルガーから降りた彼は、イェレを呼び止める。
「どういうつもりだ?」
「どうって・・・ローテーション、俺の番だし」
イェレはタラスのドスの利いた声にたじろぐ。カシアから、無罪放免すぐに持ち場に戻れ、と言われたのでそうしたまでだった。
「自分のした事を、分かっているのか?」
「え・・・? だっ、だって・・・」
確かに、命令にない行動はした。だが行動それ自体は間違っていないはずだ。だから自分は外に出されたのではないのか。
イェレのその態度に、タラスは胸倉を掴んだ。アジズが拡声器で怒鳴り、整備員が割って入る。タラスはなおも暴れる。
「貴様の軽率な行動が、部隊に与える影響を考えたのか! 連合に与える影響を、アフリカ情勢に与える影響を! この艦がキサンガニに向かっている理由が分からないのか! それだけじゃない、貴様が援護に入ればフィランディエーレも楽に戦え・・・」
不意にタラスが浮き上がる。アレナが彼の襟首を掴んで持ち上げたのだ。比較的背の低いタラスと背の高いアレナである、まるで親猫が子猫を運ぶように、タラスが連れられて行く。
あっけに取られてそれを見送るが、アジズの再びの怒鳴り声で全員が持ち場へと戻っていった。取り残されたような形のイェレはフォルトゥーナへと足を向ける。
「メット、忘れてる」
その声に振り向くと、リリトがパイロットスーツのヘルメットを拾って手渡してくれた。背中のフックに保持していたはずが、今の揉み合いで落ちたのだろう。受け取って、襟のアタッチメントに取り付けた。
そのままリリトの顔を見つめ、ゴメンとつぶやく。
あの時、グラティアがバッテリーや推進剤をすり減らして戦闘していることは分かっていた。タラスの言う通り、グラティアの援護に向かえばその負担を軽減できたはずだ。撃墜されなかったのはフリーダムの趣味に過ぎず、普通の相手であればどうなっていたかは分からない。
だがリリトは、微笑んだまま首を振る。
炎に追われ爆撃に晒される人々を、無視してまですべき事など無いはずだ。トレランシアに残ったのは、きっとそのためだ。だからリリトは首を振る。謝る必要など無い。
「リリト・・・」
「早くしろよ、イェレ!」
リベルのコクピットから顔を出したフィジェの声で、我に返ったようにイェレはフォルトゥーナのコクピットに向かう。
シートに座ってモニターを起動させ、真っ先にリリトの姿を確認する。揺れる髪を押さえるようにして、彼女は同じ場所でフォルトゥーナを見つめていた。
低い雲が重く空を覆っていた。極東の辺境にこれだけの施設を有する事ができる組織、アンジェリカ・マイズナーはマスドライバーを見上げてため息をついた。連合の目は接収を目論んでいるギガフロートに向いているのだろうが、同じようなものがここでも運用されているのだ。
改めて自分のいるターミナルという組織の節操の無さを感じる。もっとも今や、ここはターミナル本体とは別の組織の拠点なのだが。廻されて来た車に乗り込んで、アンジェリカは髪を撫でた。外は風が強い。
ターミナル本体というが、そもそもの意味で彼女達は主流派ではない。
プラント建造に伴い、いわゆる産業資本がその力を伸ばす事になった。資源や鉄鋼、造船や重電といった企業の合従連衡が相次ぎ、それはロゴスという国際的カルテルの結成に至った。それは折からの反コーディネーター思想と結びつき、「コーディネーターの脅威からナチュラルを守るため」の政府機能を強化し競争を抑制する保護主義的経済政策を連合にもたらす事となった。
小さい政府と競争の促進を求める金融資本は、密かに反連合武装闘争の相互援助ネットワークだったターミナルと結びつき、反ロゴス活動を開始した。それはデュランダル政権による反ロゴスキャンペーンに結実したのだが、一方で予想外の結果も引き起こした。金融資本からの潤沢な資金を得たターミナルは、その行動が一気に過激化したのだ。
南アメリカにおける独立闘争は未だに尾を引いている問題であり、アフリカの内戦激化にもターミナルが関与している。さらにジャンク屋などのアングラ勢力や、サハク家などの反政府組織をも抱き込み、現在における地球圏の不安定要因の大半を作り出していると言っても過言ではなかった。
「ようやくお会いできました」
アンジェリカは、思いの外こじんまりとした邸宅で意中の人物と握手を交わした。ターミナル過激勢力の中心人物とも言うべき、エフライム・ビーンシュトック。その寂しげな笑顔に、アンジェリカは警戒心を露わにする。何の変哲も無い老人だ。理念を語る情熱すら感じないほどに平凡な見かけに、作為的なものすら感じる。
レクイエム戦役時の金融市場の混乱で打撃を受けたターミナル本体は、クライン派やアスハ家のクーデターという政治的リスクを背負う事ができず、それらを切り捨てて生き延びる道を選択したはずだった。しかしそれらを切り捨てた時に気付いたのだ、捨てた部分の方がはるかに大きかったという事を。
そしてターミナル本体のくびきから外れた過激勢力は、その活動をさらに先鋭化させることとなった。彼らはターミナル本体のように何らかの政治経済的な目的が無く、ただあいまいなイデオロギーに基づいてテロを起こしている。
「我々としましても、これ以上の活動は容認できない」
「私は種を飛ばすだけです。芽吹くかどうかは、一つ一つの種にかかっている」
「ご冗談を。あなた方は種で増えるのではない、地下に根を張り巡らしそこから頭を出す」
彼らは既に独自の資金獲得手段や情報ネットワークを有している。だがそれらは、ターミナル本体とも密接に絡み合うものでもある。株を分けたように見えても、根は一つだ。
そして今、連合はその根を一本一本丹念にたどっている。下手をすれば、ターミナルは根こそぎ失われるかもしれないのだ。アンジェリカは気付く、目の前の男はそれが分かっているはずだと。上海第七銀行の男とも接触があるのだ、その手の情報には既に触れているだろう。
ならば分かっていて、なお動き続けているという事だ。
上層部はただの主義者と断じている。彼女としてもそこに異論は無い。問題はその目的のためにいかなる手段を使うかという事だ。かつてテロに興じた小娘とは違う可能性がある。
「東アジアから奪取したメンデルベビーと、モルゲンレーテが作った核動力機・・・なるほど、盲点でした」
ターミナルの人間であればこの組み合わせに何かを見る。それは逆に、他の可能性を考慮しなくなるという事でもあった。表情の変わらないビーンシュトックに、アンジェリカはこれ以上の問答は無駄だと判断する。
キサンガニの港は、海のものとは異なる趣きだった。運河のように人の手で作られた河ではなく天然の河である事、そして基本的なインフラ整備がなされていないことがその原因である。
食料品や生活雑貨を満載した小船がひっきりなしに接岸しては、人の手によって積荷の揚げ降ろしが行われている。コンテナを載せた河川専用の貨物船や大型のホバークラフトの姿もあるが、それらは肩身が狭そうに港の端の方にいる。当然トレランシアなど、お呼びではない。ボヨマ滝の上流、大きな中洲の北側に停泊していた。河の本流から分かれた川の側であるため、他の船の通行の邪魔にならないのだ。
正式には、この滝から下流がコンゴ川と呼ばれる。キサンガニは、この滝によって隔てられる上流と下流の水運を繋ぐ街なのだ。河が唯一の物流路であるコンゴ盆地における、最大の要衝であった。
MSデッキでは補給物資の搬入が始まり、艦長と副長は会議のためキサンガニの街に赴いている。アフリカ共同体と統一機構西アフリカ同盟の衝突は時間の問題だった。
「SEEDを発現させたね? それほどの相手かい?」
カルテに何かを書き込む医者を無視して、リリトは制服のボタンを留めた。そして挨拶もせずに医務室を出る。
自分にどんな力があり、相手がどのような存在であっても、そこで弄される言葉は虚ろだ。背景に広がるだけの世界、単なる言葉としての人類。そんなものの「ため」に何ができると言うのだ。イェレが示したのはそんな事ではない。
リリトは足音を残すように医務室から立ち去る。その後姿を確認するようにフィジェが医務室のドアをノックした。気の抜けた返事に軽い苛立ちを覚えながら、彼はドアを開ける。
フィリップ・ラフィーヌという名のプラントから来た医者、少し癖のあるブラウンの髪に、アイロンの利いていない白衣の男だ。彼ら六人の体調管理を受け持つ専門の人間を配置したいというザフトからの要請で、この艦に来ているはずだ。
だが実際は、リリトを検査するために来たのだろう。診察時間も頻度も、彼女だけが異常に多い。端的にはその理由を、そしてその理由こそ彼女が隠している事の核心なのではないかという予想のもとで、話を聞きに来た。
ボールペンを指先で回しながら何事か考えている男の顔には、苦悩も何も無い。問いかけるフィジェの表情にもその声にも気付かないような素振りで、ただ頭を捻っている。
「それは、彼女のプライバシーに関する事だから・・・いや、待てよ・・・」
机の上の本を取り出しパラパラとめくるその姿に、フィジェは拳が震えるのを感じた。リリトは自分達にも言えない何かに苦しんでいる、この男はその事に気付いていないのだ。その無神経な態度に、声を上げそうになった。
不意にノックの音が聞こえ、カシアが顔を出す。考える事は同じかと思ったが、彼女はフィジェを見つめ、ただ手招きをした。
「待ってて、今・・・」
「そういうの、汚いと思うわ」
その言葉に、フィジェは医務室を出る。カシアについて人目を避けるように廊下の隅へと足を向けた。振り返った彼女の視線は暗い。
「何?」
苛立ちを隠さないその言葉に、カシアは舌打ちをしそうになる。あの医者が何かを知っているだろう事は、みんな分かっている。だが、リリトが秘密にしている事を、彼女のいない場所で聞きだす事は考えない。それは彼女に対する裏切りに等しいはずだ。
それを行ってしまうフィジェに、カシアは怒鳴りたい気分だった。
アカデミーの頃から、彼にはそういう面があった。大胆というか、勇み足を踏む事がしばしばあった。特にリリトの事となると、その傾向が強まる。それが、無性に腹立たしい。
「リリトのため? 自分のため?」
「・・・んだよ、それ」
視線を逸らしたフィジェから、カシアは目を離さなかった。リリトの悩みの原因を知り、苦しむ彼女を支えたい。口で言えばそういうことになるだろう。だがそれは空虚な理屈だ。
自分一人が彼女の支えになろうとする、それこそが本心だろう。だから腹が立つ。足を動かした彼の前に立ちふさがり、再度同じ事を聞く。フィジェは黙ったまま、カシアを押しのけようとする。
彼女はその手を掴み、彼はそれを振り払った。
全てのMSが起動する。先陣を切るのは可変機構を備えた水中用のガルフダガーの部隊、大西洋から十機だけ極秘に供与された機体だ。その後を揚陸用ホバークラフトに乗ったセカンドダガーの部隊が続く。ウィンダムは全てジェットストライカーを装備して出撃に備えている。
投入されるMSは四十機、敵も同じくらいの頭数を揃えてくるだろう。アフリカ内戦での戦闘としては、初となる大規模なMS戦だ。キサンガニから西に百キロ、イサンギの街に集結していた統一機構西アフリカ同盟軍は、行動を開始した。
コンゴ川の水運を掌握しアフリカ中央部を押さえることで、北上するアフリカ解放戦線に対して優位を保とうとするのだ。キサンガニを支配しているアフリカ共同体はユーラシアからの支援を受けているが、統一機構西アフリカ同盟はビクトリアの安全保障を脅かさないとの条件を水面下でユーラシアに提示していた。
「何より、連合とユーラシアが上手く行っていないようですからな」
赤と青のウィンダムⅡを見送るチン・ヤンチャンは、司令官の言葉に生返事を返しておく。東アジアからの支援としてこの作戦に参加しているのだが、ヤンチャンにとっては、不安だらけである。
ウブンドゥで行われた戦闘で確認されたという謎のMSは、フリーダムで間違いが無いだろう。シャーレンであっても敵わない相手に、ウィンダムでどうしろと言うのだ。特注のマルチストライカーパックなど、気休めにもならない。
無事を祈りたくなる部下ではないが、責任者として彼らが失われる事を想像したくはない。だが、そんな気を知るはずのない二人である。
「フリーダムと、連合の新型、どっちをやるよ」
「トドメだけならどっちも同じよ」
ウィンダム部隊の先頭にたっていた機体が信号弾を上げ、全機が一斉にミサイルの発射体勢を取る。赤と青のウィンダムはそれを無視して上昇した。
キサンガニの西、二十キロほどのところに、長さにして十キロほどの大きな中洲がある。そこがアフリカ共同体軍の防衛拠点であった。ミサイルと対空砲火が交錯する。特殊機雷に接触してホバークラフトが爆発し、搭載されていたセカンドダガーがその爆煙の中から飛び出してくる。微妙にカラーリングの異なる同じ機体が、わずかな遮蔽物を巡って銃撃を交わす。
ホバークラフトはそのまま中州に上陸し、支援砲撃を行いながら走り回っていた。急増のトーチカからビームが撃ち出され、水柱や土煙が巻き起こる。クラスター爆弾の雨が降り注ぎ、爆撃を終えた戦闘機が中洲の上空をパスしようとするウィンダムの編隊に襲い掛かった。
一部の戦闘機は変形してMSに変わる。モルゲンレーテ製のムラサメのユーラシア輸出版・フロッティだ。アフリカ共同体に供与されたものであろう、ビームライフルはウィンダムと同型だった。青空にビームが走り、ジェットストライカーを破壊されたウィンダムは、そのまま中洲の攻防戦に突入する。
ブリーフィングルームから六人のパイロットが駆け出していく。トラレンシアは警戒態勢から戦闘態勢に移行し、MSデッキは既に整備員の退避が終わっている。コクピット内部で最終点検を終え、機体がカタパルトに移動していくのが分かる。
アフリカ共同体と統一機構西アフリカ同盟の戦闘開始の報から一時間、戦闘の趨勢に大きな変化が現れた。そのタイミングでトラレンシアが動く。
「タイミングとしては悪いんじゃないのか?」
「事前に敵の動きが分かりゃ苦労しない」
発進を待つ体勢となったタラスの問いかけに、ヒューが嘆息のような答えを返す。全ての情報を掴む事も、掴んだ情報を伝達する事も困難なのだ。ならば後は的確なリアクションで、後の先を狙うしかない。
そもそも連合としては、キサンガニを巡る大規模戦闘を避けるつもりだった。それがユーラシアと大西洋の代理戦争に発展すれば、アフリカの状況は旧世紀と同じか、もっと悪くなる。
だが、ウブンドゥで起こった連合軍緊急即応部隊によるユーラシア軍機の撃墜が、そのシナリオを狂わせた。統一機構西アフリカ同盟は、連合がユーラシアのバックについて、戦闘やその後の交渉で便宜を図ることは無いと判断したのだ。連合との連携がなければ、ビクトリアの部隊もアフリカ共同体の領内で目立つ行動は取れない。ならば、十分に勝機があると踏んだのだろう。
カタパルトが解放され、通電を示す赤いランプがレールをなぞる。トレランシアも浮上を開始し、カタパルトから見える景色がゆっくりと上昇していく。
「今回は、大丈夫だろうな」
「心配するな。ユーラシアの片棒を担ぐための作戦じゃない」
アレナの言葉に、タラスは息をついた。そしてブリッジから発進のコールがかかる。タラスはレバーを押し込みペダルを踏んだ。レールのランプが赤から青に変わり、体をシートに押し付ける加速度と共にウェルガーが飛び出す。
姿勢制御のスラスターを吹かし、下の景色を見ながら降下地点を探す。推進剤を節約するためのジャンプ飛行だが、間違って河の上に着地するような事になったら笑い話にもならない。
その時、濁った河に走る三つの影を見つけた。タラスはもう一度姿勢を制御し、シールド裏のグレネードを取り出して河に投げ込む。水柱が上がると共に、影の動きが乱れる。それを目掛けて、サブ・フライトユニットの上にいるリベルがレールガンを撃ち込んだ。
「一つ・・・!」
爆発とともに浮上した影から、ビームとミサイルが撃ち上げられた。二機のゾノが河からキサンガニに迫っていたのだ。だが頭を上げた瞬間に狙い打たれたゾノは、あえなく沈黙した。
トレランシアのMS隊は、さらに索敵を密にする。突然現れたアフリカ解放戦線のMS部隊が、キサンガニ市街に向かって侵攻を開始したのだ。アフリカ共同体と統一機構西アフリカ同盟の衝突の隙をつき、キサンガニを押さえアフリカ中央部への進出を狙っているのだろう。
しかし、トレランシアの目的はキサンガニの防衛ではない。彼らはユーラシアやアフリカ共同体のために動くのではなく、あくまでも連合の目的のために動くのだ。彼らの標的は、侵攻部隊の指揮を取る空色のジン、アフリカ解放戦線議長のレジー・マヌカだった。