Green travelers ~ The another seed ~ 作:VSBR
市街地の被害は軽微であった。MSの墜落が二件ほどあったがどちらも爆発は免れ、市街地でのテロも三件の爆弾事件と一件の立て篭もりがあっただけである。
避難も行われていたため市民への被害は無く、今は避難先からの帰宅準備が進められていた。しかし、実際に帰宅が始まるのは明日以降であろう。再度のテロが警戒されているのだ。
ビクトリア基地では、共同記者会見の準備が進められている。特設会場に、報道関係者が集まりだした。
新アフリカ憲章とそれに基づくビクトリア議定書の締結が発表されるのだ。
世界中から集まった報道関係者も、各国高官と共に基地に避難していた。ビクトリア襲撃は予測されていた事であり、戦闘終結までの時間もほぼ予定通りだった。夕刊や夜のニュースに間に合わせるために基地内での記者会見が必要だという事は、最初から分かっていたのだ。故に、記者会見用の特設会場の準備は戦闘中から行われていた。
始められた会見も、非常にスムーズに進行している。各国代表の挨拶が終わり、文書へのサインが行われていく。
仲介役となったスカンジナビア王国の皇太子が、四つのサインが入れられた条約文書を掲げると、一斉にフラッシュがたかれる。そして握手が交わされた。各陣営が何を考えていようとも、カメラに映る顔は笑顔である。
フラッシュの洪水がようやく収まると、司会を行っていたルチアーノ・プレスが記者からの質問を受ける。当たり障りの無い質問が続くという事が、アフリカへの関心の低さを物語っていた。ただ一人、独立系の女性記者が、アフリカにおける未成年兵士の問題と人身売買とのつながりについて、突っ込んだ質問をしたのが印象的だった。
ピンクのヘアバンドが目に付くその女性記者の質問が終わると、各国代表のコメントが求められる。ルチアーノは、唯一官僚作文が用意されていないアフリカ解放戦線代表のコメントを最後に求めた。
ヘストリー・オサバは小さく息を吸って、前を見据える。
「旧世紀より暗黒と呼ばれてきたこの大陸は、未だに夜明けを迎えていません。今までアフリカの人々は、その暗黒の中で向かうべき方向を見失って彷徨い、立ち向かうべき敵を見失って自ら争ってきました。しかしアフリカは、ようやく自ら朝を迎えるために歩き出した。ここは、アフリカ解放戦線のゴール地点ではありません。私達はようやく、アフリカ解放のためのスタート地点に立ったのです。暗黒の大陸に住む人々に向かうべき方向を指し示した星、レジー・マヌカはもう居ない。暗闇に燦然と輝いていた彼は、落ちてしまった。だから私達は、彼が流れた方角を目指す。彼が指し示したアフリカの解放に向けて、私達は歩き続ける事でしょう」
拍手はまばらだった。アフリカ解放戦線は、従来の武装闘争路線を変換しつつもその目標自体を変えたわけではない。今後、アフリカを構成する他の四カ国および、ビクトリアを押さえるユーラシアとの摩擦は避けられないであろう・・・そんな分析が、各社の解説記事を踊るだろう。
ヘストリーは、席に着きながらルチアーノをちらりと見た。冷静に司会を務める彼も、アフリカ解放戦線の強硬派を抑えるためにはこの程度の発言は仕方の無い事だ、そう思っているのだろう。彼女は、口元を引き締める。
好きに思わせておけばいい。偽らざる本心を述べただけだ。後は言葉ではなく、行動を示す事しかできない。
顔中を煤で黒くしたタルハが、消火剤の泡をかき分けて機体に近づく。プラズマトーチをハッチ横に向けた。甲板上で火を上げていたウェルガーセカンドがようやく鎮火し、パイロットの救出が行われているのだ。うつぶせで倒れているため、ハッチが十分に開かないのだ。
その横では、トレランシアを襲ったアッシュの残骸を、特殊フォークリフトを使って湖に落とそうとしている。爆発や発火の可能性が残っているのだ。周りの怒声から、タラスを収容したヘリが戻ってくるのが分かる。
ヘルメットの無線からはブリッジからの指示や他の通信の声がひっきりなしに聞こえてくる。戦闘直後でNジャマー濃度が高く、僅かしか無い使える周波数に全ての声が集まっていた。
「ベルネル中尉のバイタル確認、意識は失っていますが生きています!」
「グラティアを早くハンガーに掛けろ! フォルトゥーナが収容できない! ネスタ少尉、傷は浅いぞ!」
「レペタ大尉の救助を確認、こっちに向かっているそうです!」
「リリト! リリト、聞こえる!?」
コクピットを開閉するシリンダーを外側から強引に切断し、バールでこじ開けてアレナをウェルガーセカンドから引きずり出す。彼女を担架に乗せると、甲板上の整備員はMSデッキに戻る。
ユンディは唯一動くリベルを誘導してフォルトゥーナの収容作業を行っていた。通常、MSでのデッキ作業はやらないのだが、ダメコン作業中の火事で負傷者が多数出たため、人手が足りないのだ。
外部からの操作でハッチを開くと、腕を押さえたイェレが転がり落ちる。慌てて呼んだ衛生兵がトリアージを行った。
「おそらく折れてはいない、肩も脱臼だろう。あと三十分で、ビクトリアから重傷者搬送用の飛行艇が来る。そしたら医務室に運ぼう」
近くにあったスパナやレンチを添え木代わりに、応急の固定だけをするとその場に取り残される。傍に付いていてもやりたいが、今はそれどころではなかった。脂汗を流しながら微笑むイェレに謝って、ユンディは次の作業に移る。
トレランシアは予想外の被害を受けていた。艦が動ける状態に無かった事と、水中用MSへの対処が不十分だった事が原因だ。予想以上に、ビクトリア湖への侵入を許していたようだった。ビクトリア基地からは、通り一遍の感謝の言葉があったが、マーカスは感謝より救助をよこせと怒鳴ってしまう。
艦長にしてはよく言ったと、レセディは感心する。だが、今までのうちでもっとも大きな被害だ。彼女は気合を入れなおすように、指示を出す声を強めた。
ガーンガーンと響く振動は、クレーンを乱暴に動かしている時に特有のものだ。一度大きな衝撃が来たのは、ハンガーに機体がぶつかった時のものであろう。電源の落ちたコクピットには、非常灯の僅かな光しかない。暗闇の中で感じるのは、機体の揺れだけである。他に、感じる事など出来なかった。
不意にコクピットが明るくなる。電源ケーブルの接続を示すランプが点り、外部からのハッチ操作を示す表示が、ディスプレイに出た。軽い音を立ててハッチが開いた。流れ込んでくる壮絶な喧騒をかき分けるように、リリトはゆるゆるとコクピットから出る。誰かに首元を掴まれた。
パイロットスーツのヘルメットを剥ぎ取られると、彼女は頬に衝撃を感じたような気がした。気が付くと体はキャットウォークの上に転がっていた。再び首元を掴まれて引き立てられる。
「貴様ぁっ!!」
タラスはもうもう一度リリトを殴る。何の抵抗も無くぐにゃりと吹き飛ぶ彼女の目は、どこかあらぬ方向を向いている。彼は再度彼女を殴ろうとした。駆けつけた整備員を振り払い、立ち上がろうともしないリリトを掴む。
吹き飛ばされた彼女を抱き止めていたのは、右腕を固定したままのイェレだった。その衝撃がもたらした痛みに顔を歪めながら、イェレは彼女を庇おうとする。
「甘やかすな、ネスタ少尉!」
タラスの声が響く。喧騒を突き抜けるような固い声は、MSデッキの視線を彼らに集中させた。
視線を彷徨わせたままのリリトを見下ろすタラスの表情は、深い怒りだった。リリトもその視線に射すくめられ、震えるように彼を見上げる。
「貴様の身勝手な戦い方が何をもたらしたのか、ここを見て分からないのか!」
彼女はグーンに銃口を向けなかった。周りを無視して一機のグーンに取り付き、味方の攻撃を阻害する事までした。MS隊が苦戦した要因はそこである。高い技量を持ったパイロットが高性能機に搭乗している。それは戦闘に置いて大きな責任を担う事でもあるのだ。
彼女はその責任を果たさなかった。いや、最低限の義務すら放棄していた。
「だって・・・あれには・・・」
「敵を救う事が仲間に優先するのか! 貴様を庇ったネスタ少尉が骨折で済んだのは偶然以外の何物でもない! クラフ少尉を撃墜したのは貴様が取り付いていた敵だ! 友人を殺してまで何を守ろうとした!」
キリキリと首を後に回したリリトは、イェレの顔を見る。もはや微笑む余裕は無く、苦痛に呻かぬよう歯を食いしばるだけの彼の顔がそこにあった。リリトは口を開ける。
か細く声にならない悲鳴を上げ、涙を溢れさせた。
リリトは頭の中を何かが渦巻き破裂するのを感じた。視界が白くなった後の事は、何も覚えていない。
外部からビクトリアへの入市が再開された。被害を受けた場所の復旧作業は早速始まっており、街は戦闘前と変わらぬ活気を呈していた。未だに完全装備の警察官が警備を行っている場所もあるが、市民生活は平穏である。ビルの谷間から見えるのは、爽やかな青空であった。
大通りには人が溢れ、ブティックには最新モードが飾ってある。ビジネスマンが時計を見ながら道を横切り、OLがカフェでランチを取っている。一週間前、この上空で大規模な戦闘が起きたとは、なかなか信じられない光景だ。マスドライバーをバックミラーで見ながら、クルト・クラウはビル街を抜ける。
ビニールシートで囲われた建物と、陥没を仮設舗装された道路だけが、微かに戦闘の記憶をとどめているかのようだ。彼は煙草をくわえる。記者生活で身についてしまった悪癖の一つだ。大して美味くもないと思いながら、煙を吸い込む。落ち着くというより、軽い酩酊感を覚える。
記事を書いている時や取材の時、カメラを構えている時には吸いたいとは思わない。欲しくなるのは、現場から離れた時だ。
「嘘っぽいんだよ・・・こういうのが」
この街を覆う空気は軽やかで、平和を謳歌しているようだ。だがそれは、彼が取材で巡る場所と本質的にどう違うのであろう。世界史の矛盾が結晶化したようなアフリカの現実の延長線上に、この街はある。いや世界中がそうやって繋がっているのだ。墜落したMSの爆発で吹き飛んだコンテナヤードには重機が集まっている。ここに集められたコンテナには、何が入っていたのだろう。
ただ遠くて見えないだけで、確実に繋がっている。ビクトリアから打ち上げられる物資の中で、どれだけが合法的かつ倫理的に入手されたものなのであろう。ビクトリアへ運び込まれる物資の中で、どれだけが合法的かつ倫理的に使用されるのだろうか。
地下資源は持ち去られ、耕地には嗜好品が植えられ、アフリカを潤す事のない富がビクトリアから運び出される。アフリカを潤すのは武器と弾薬、そしてそれによって流される人々の血である。
そんな現実と、目の前の光景には、恐ろしいほどの乖離がある。だから嘘のように感じるのだ。煙草の酩酊感でもなければ、目の前の矛盾を落ち着いて受け入れられない。クルトは煙草を消してハンドルを切った。
撮影は概ね順調だった。アフリカ解放戦線だけでなく、統一機構西アフリカ同盟軍機らしき一団の交戦もカメラに収めることが出来た。本社の方は、彼のアフリカ取材を連載の特集記事にすると言ってきている。手持ちのデータをまとめて本社に送れば、彼自身も一旦ユーラシアへと戻らなくてはならない。
各国の記者団が一斉にいなくなり、閑散としてしまった安ホテルの駐車場に車を入れる。今から人を一人、港まで送る約束をしているのだ。
どことなく雑然とした感じが残っているのは、大量の負傷者を収容した名残であろう。溢れるほどの患者はいなくなったが、今でもベッドは満床である。だが廊下もロビーも静かなのは、見舞い客が基本的にいないからである。
ビクトリアに勤務する兵士は基本的に単身で派遣される。事務系の高級将校など数年単位で派遣される者を除けば、家族は皆ユーラシアに住んでいるのだ。だから見舞いに来る者はいない。基地内の病院であり外来の患者は少ないので、私服姿でロビーにいるとかなり目立つ。
代わりに混んでいるのは、ユーラシアとの直通電話が設置されているブースであった。松葉杖や車椅子の患者が列を作って待っていた。それを横目に、カシアは受付を訪ねる。
「4422・・・4422・・・ここだ」
薄曇りの空を窓から見つめていたイェレは、ドアの方を向いて返事をする。ゾロゾロと入ってきた四人を見て、彼はため息をついた。
「残念、リリトは艦に残ってるわ。調子、悪いって」
カシアが先に言った。あまりその話題には触れたくないので先手を打ったのだ。そして彼の着替えを差し出す。まだ腕の固定は外れないが、これ以上の入院の必要はないという。トレランシアのレントゲンが壊れたために艦での治療が出来ず、イェレは病院まで運ばれたのだ。
だが、負傷者でごった返す病院で一晩放置され、ようやく治療が済んだ時には、疲労と緊張の糸が切れたことで彼は気を失ってしまった。そのため、とりあえず入院という措置になったのだ。
カシア達はその迎えに来た。私服で来ているのは、休暇ももらったからだ。艦の方はそれなりに忙しいのだが、艦長の命令だった。腕を吊ったままじゃなぁとぼやくイェレをせかして着替えさせる。
「そうだ、アレナさんは?」
「あぁ、軽い脳震盪で気絶しただけだったって」
車の窓を開けて湖岸沿いの道路を走る。トレランシアで借りた車には、誰の趣味なのかミーア・キャンベルの音楽ディスクが入っていた。クライン派が政権を追われた頃、楽曲分析の結果という触れ込みで彼女の存在が暴露されたのだ。実際は、政権近辺からのリークという話だが、プラント芸能界は沈黙を保っている。マニアの間では、ミーア・キャンベルの音楽は市場価格が乱高下する投機商品と化していた。
かかっている曲は、彼女が死の直前にレコーディングを終えていたというオリジナル曲だった。ラクス・クラインのカバーではないためその存在自体が疑問視され、自動プログラムによる合成音声だという噂も流れているいわく付きの曲だ。
「誰も知らない私を見つめて、あなたの知ってる私に変えて・・・」
助手席のカシアが歌詞を口ずさんだ。風の無い湖面は静かで、のっぺりと灰色をしていた。全員の視線が一点に集まる。
水平線の手前あたりに、三隻のタグボートに曳かれる艦が見えた。トレランシアがようやくドックに向かう。
時折、部屋が揺れる。トレランシアの水上での安定性はそれほど良いものではない。だがリリトは、それすら感じる事が出来ないでいた。部屋の暗さも、汗でべたつく肌も、遠くから聞こえる機械の唸りも、鼻の奥に感じる血の臭いと、口の中に残る鉄錆びの味も、知覚しながら感じられない。
全ての感覚に優先して、頭の中を何かがぐるぐると回っている。言葉にならないその「感覚」の奔流の中で、リリトはただ溺れていた。
それでも時折、その感覚は言葉を見せる。だがリリトはそれを掴む事をしない。その言葉を掴めば、彼女はこの感覚の奔流から逃れるだろう。だがそれは、明確な苦しみの岸に引き上げられることに他ならない。
だから彼女は溺れるに任せていた。
しかし、ゆっくりと確実に、その奔流は弱まっていく。言葉はその数を増し、溺れるリリトに絡みつく。彼女は目じりの熱と、火傷しそうなほど熱い液体が顔を流れ落ちるのを「感じた」。
枕に顔を押し付けて泣いた。苦しいかの悲しいのか、よく分からずに泣いた。涙は雑多な感情を押し流し、残ったのはあやふやだが紛れもない言葉だった。
「私は・・・何を・・・」
みんなを危険に晒した。
でも、あそこにはヘンリーがいた。自分の事を助けてくれた、分かってくれた人がいた。
それなのに、今は分かってもらえなかった。彼は世界を語って、自分の事を語らなかった。
翼付きが身勝手に現れた。何も聞かず、何も語らず、ただ平和と正義を掲げた。
ヘンリーが目の前で死ぬ。
イェレは傷付き、苦痛に顔をゆがめていた。
「私は・・・戦いたくなかった」
だからグラティアを駆った。ヘンリーを死なせたくなかった。でもそれは、イェレやフィジェを殺したかったのではない。ただ、ヘンリーを死なせたくなかった。ヘンリーがイェレを殺すのも、フィジェがヘンリーを殺すのも嫌だった。自分は引き金を引けなかった、引けるはずがなかった。
その全てが無駄で無意味で有害だと、その時には気付かなかった。ただ夢中で、そして無知だった。
戦争の意味は、どこまでも空虚で、それでいて胸にしっかりと傷だけを刻んだ。リリトは悲しくて泣いた。
駐車場に車を止めて、レストランに入る。ビクトリア湖が見渡せる良い立地だが、平日の昼間では客もまばらだった。カチャカチャと食器が音を立てるだけの静かな食卓。五人の視線は湖に向けられていた。
店の奥から聞こえてくるのは、有線放送のニュースだった。街区の封鎖解除や、幹線道路の補修情況などを伝えている。市街地の被害は少なく、開催されていた会議も当初の予定通りに終わったようだ。先に食べ終わったタルハが、店に備え付けてあった新聞を広げる。
その地元紙は会議の成功を評価し、ビクトリアの警備体制についても概ね好意的に捉えていた。武力闘争の時代が終わりを告げ、対話のみがアフリカを前進させていく時代が始まったのだと結んであった。
「俺たちさ・・・」
「いい事したのよ、きっと」
カシアが視線を湖に向けたまま言う。そんな高揚感はどこにもない。リリトは憔悴し、イェレは目の前で手を吊ったままフォークを持っている。今までも危険な目には遭っているが、そういった積み重ねが抜けない疲労のように胸の奥に溜まっていた。
そのけだるさを取り除くもの、そのけだるさを振り払うもの、それを持たなかった。このけだるさの理由すら分からないのは、未だに彼女らがここに意義を見出しかねているからだ。未だに彼女らは、巻き込まれた時のままだった。
運ばれてきたコーヒーに口をつけながら、各々がそれに思いを致す。ユンディは、限界が近い事を感じた。
「君達、連合の?」
全員の視線が声の方を向く。伝票を持った男性が驚いた顔で立っていた。マダカスカルで出会った記者だ。その男性はレジに向かわずに、彼女らのテーブルに座った。話を聞かせて欲しいという。
クルト・クラウは改めて記者証を示し、まず自分の事を話し始めた。トレランシアとほぼ同じコースで北上していた彼は、ムウェル湖畔の街やウブンドゥでの取材活動も行っていた事を明かす。それらは、ユーラシアの対アフリカ政策にいくばくかの影響を与えていたという。
「特にウブンドゥのスラム街を焼き払おうとした民間軍事会社に対して、連合の部隊がそれを実力阻止したのは大きかった。あれでユーラシア政府は強硬姿勢を緩めたし、アフリカの各勢力も連合に対する懐疑心を解き始めた」
ビクトリアでの会議が成功したきっかけの一つだと、クルトは指摘した。あれは君達の部隊だろう、という問いにイェレはただ頷く。第三者の評価を聞くのは初めてだった。
一通りの話を終えたクルトが、いくつかの質問をしてくる。難しい質問は無かったが、どれもまともに答えられなかった。アフリカの現状や、連合の政策について、何か意見を述べられるほど、彼女らは分かっていないのだ。当たり障りのない答えに、クルトは拍子抜けしたような表情を見せる。
フィジェが逆に今後のことを質問した。
「どうかな・・・悪い方に転がるとは思いたくないが。でも内戦の形式的な終結で、国際的な関心が低下することは間違いないだろう。そんな中で、連合が継続的に支援を続けられるのかどうか・・・」
君達の部隊は戦闘が終われば立ち去れるが、本当に関与が必要なのはこれからだと言う。ユーラシアや大西洋が行っていたような軍事偏重の関与ではなく、アフリカの政治経済的自立を促すような建設的関与ができるのか否か。
それは自分達ジャーナリストの仕事でもある、クルトはそう付け加えた。
「クルトさんはどうして記者を?」
カシアの問いに、クルトは視線を外して遠くを見る。そしてある人の影響だと言った。フリーのジャーナリストをやっている女性に触発されて、この世界に飛び込んだと言う。今日も、その女性を港まで送って行った帰りだそうだ。
久しぶりに会ったが、コーヒーを飲むくらいの時間しか話せなかった、そういってクルトは苦笑する。
「真実は人を変える・・・そう言ってその人はジャーナリストをやってる。俺も、変わった内の一人だと思いたいさ」
それだけのものを取材してきたつもりだといって、彼は腕時計を見た。礼を言って席を立ったクルトの背を見送る。
イェレは思った。あの時から、自分達は何の真実も見ずにここまで過ごしてきたのだろうか。
図書館は蔵書、設備共に整っていた。市街地の中心部にあるため基地の宿舎からは離れているが、通うだけの価値はある。閲覧や学習用の個室を確保するためには、開館時間に合わせて朝から出なくてはならないが、その手間を惜しむことはしなかった。
専門書だけでなく、政治経済系の論文が載った学術誌の最新号まで揃っている。それらを抱えてタラスがドアをノックする。
「足を使うな」
アレナがそう言ってドアを開けた。両手がふさがっているので、爪先でドアを蹴ったのだ。タラスは抱えてきた本を机の上に置く。教養関係はいいのかと聞くアレナに、暗記だけならどこでも出来ると答えた。
暗記では済まないのだがなと言って、アレナはタラスのノートを覗き込む。上手い字ではないが、きっちりと書き込まれたノートは既に何冊目か分からなくなっていた。今彼が取り組んでいるのはアフリカの近代史である。
現実の政治を語るとき、その背後にある歴史を知らなければ、それは虚構を語るのに等しい。コズミック・イラのアフリカもまた、植民地時代のアフリカと地続きなのだ。
タラスの質問に備えながら、アレナは椅子に座る。朝一番で入館したので、良い部屋が取れた。はめ殺しながら小さな窓あり、そこから街並みが見渡せるのだ。空調の微かなモーター音すら聞こえるような静寂の中で、ページを繰る音とノートに鉛筆が滑る音だけが、途切れ途切れに響く。
アレナがそっと欠伸を噛み殺す。タラスの真剣な横顔に、申し訳なく思った。不意に彼が口を開く。
「トレランシアは、しばらくアフリカか?」
「いや、動くだろう。武装解除や難民問題への支援は正式に連合軍を編成する事になっている、即応部隊の出る幕じゃない」
「・・・上手く行くのか、議定書通りに」
難しい質問だった。ユーラシアはアフリカへの関与を減らし、ビクトリアとその周辺地域に閉じこもるだろう。北アフリカ連合体はサハラ砂漠より南への関心が低い。アフリカ問題の当事者となるのは残り三つの機関だが、どれも不安定だ。
そもそもアフリカ解放戦線が、あれほど急速に勢力を伸ばせたのは、単に反ユーラシアや反連合で外国からの支援があったからではない。富の偏在、配分の不平等、そういったものへの不満を、既存の組織がすくい上げなかったからだ。彼らのゲリラ戦術を支えたのは、アフリカに根深く張り巡らされている「不満のネットワーク」を活用したからだ。明確な反政府運動となる前の住民の不満、それを巧みに取り上げ結集させ、戦闘に利用する。
それを独裁者の延命でなく、政治目的達成のための手段として利用したところに、レジー・マヌカの非凡さがあるのだろう。利権によって懐柔されない上層部を持つアフリカの組織に対して、連合もユーラシアも十分な対応が出来なかったのだ。
「その不満のネットワークは未だに健在だ。今回の会議で、それらの不満が解消されるわけではない」
アフリカに対する援助や支援のあり方については、包括的な枠組みが示されただけで、具体策は一切ない。住民が抱えている貧困の問題について、何一つ解決の筋道はたっていない。
それは会議に出席したアフリカ解放戦線も同じ事だ。彼らの組織把握が不十分なことは、ビクトリアの襲撃によって示されている。そしてアフリカ全土には、いまだ無数のレジー・マヌカ支持者がいる。彼らの不満が、別のアフリカ解放戦線を生み出すこともあり得るのだ。
「早急に結果を出せなければ、また混乱に陥る可能性は高いだろうな」
だが結果を出すなど不可能な話だろう。ならばアフリカが再び深刻な状況に陥るのは、ほとんど必然だという事になる。しかし、それが分かっていても、彼らに出来る事はない。その時にはトレランシアは、どこか別の場所で別の活動を行っているのだ。
タラスは再びノートに向かう。したい事と出来る事の間を埋めるには、それしかない。
行く当てもなく、公園のベンチに佇む。宿舎に戻ってもいいのだが、行く当てがない事に変わりは無かった。ソフトクリームを舐めながら、カシアはため息をつく。考えなくてはならない事がたくさんあって、何を考えていいか分からない。
自分達はトレランシアで何をすべきか、トレランシアに残っていいのかどうか。クルト・クラウは、トレランシアの行動に一定の評価をしてくれた。だがそれを持って、今後もこれを続けていく事が出来るのだろうか。
「リリトの事は・・・」
考えたくなかった。もっともっと自分の内面に深く関わりそうな問題だから。カシアはソフトクリームのコーンに巻いてあった紙を捨てる。剪定の行き届いた生垣と、街中の公園にしては立派な木。カシアは一人、公園の中を巡った。
男性が一人大きな荷物を降ろして地図を見ている。たまたま目が合うと、その人に話しかけられた。郵便局を探しているという。誰かに描いてもらったのだろう下手な地図を前にカシアは、少し待つように言う。車にナビゲーションが付いていたはずだ。
みんなを乗せた車を回して、その人を乗せる。郵便局はすぐ近くだった。人に頼まれたものなので助かったと言うその男性は、お礼に似顔絵を描こうと申し出た。他に返せるものがないのでと笑うその男性は、スケッチブックを取り出す。
カシアは、この子も一緒に描いて欲しいと、リリトの写った写真を取り出した。今日はたまたま来られなかった友達だというと、男性はそれ以上の詮索をすることなく絵を描き始める。
「ずっと、似顔絵を描いてらっしゃるんですか?」
「いえ、街に寄った時だけ。スケッチ旅行をしてまして」
ちょっとした自己紹介をしながら、彼は色鉛筆を走らせ続ける。描き溜めたスケッチを中心に、プラントで小さな個展を開くことになったのだ。家族の者が勝手に進めた事だが、旅行費用を出してもらっているため、わがままは言えない。
その準備でプラントに戻るため、ビクトリアに来たという。フィジェが思い出したように口を開いた。ロディ・ギャリという名前に聞き覚えがあったのだ。
「ワン・オブ・サウザンド・・・」
男性が一瞬手を止める。フィジェが、ザフトにいたことがあるかと尋ねると、彼は小さく頷いた。今は関係ないですけどねという、彼の言葉にはそれ以上その話題に触れる事を良しとしない響きがあった。
ようやく描きあがった絵をカシアに手渡すと、ロディは写真の彼女にもよろしくと言った。彼は荷物を背負いながら、死ぬなよと付け加えた。
フィジェの問いから、彼らがザフトの関係者である事が分かった。つい先日まで戦闘の行われていたビクトリアにいるのである、彼らが戦闘に関わりのある人間だという事も容易に推理出来る。
かつての自分と同じくらいの年の者が、かつての自分と同じように戦場に出ている。ならばせめて、かつての自分と同じような喪失は避けて欲しいと願った。
「誰か一人でも欠けてしまったら、その絵は悲しい思い出になってしまう」
ロディの言葉を、カシアは何度も思い返す。
だが果たして、死だけが喪失を招くのだろうか。もう既に、一人欠けてしまっているのではないだろうか。カシアは描いてもらった絵を見つめた。そこではまだ、六人が微笑んでいる。