Green travelers ~ The another seed ~ 作:VSBR
背の高い草が一面に生えている湿原。普段は乾燥しているのだが、雨季を迎えると水が集まり湿原が現れるという。だがここはもともと乾燥地帯や湿原ではなく、湖であった。それも海と呼ばれるほどに広大な湖、かつてアラル海と呼ばれた湖は完全にその水を失っているのだ。
今こうして湿原になっているのは、水を失ったからではなく、水を取り戻すためのプロジェクトを進めているからである。それでも、再び海の名を取り戻すまでにどれくらいの時間がかかるのか、プロジェクトを進めている者にも分からないであろう。
トレランシアは湿原の上空を飛び越え、バイコヌールへの着陸コースに入った。
前大戦時は、ザフト占領下であったり独立紛争が勃発したりと不安定な地域であった。しかし旧世紀から宇宙基地を置かれていた都市であり、ユーラシアでも有数の宇宙港施設を有していた事から、現在ではユーラシア中央地域の主要都市の一つとなっている。戦争による被害も比較的少なかったため、ユーラシア復興の原動力となっている地域であり、今は空前の活況を呈している。
「それでも安心はしていない」
バイコヌール基地の司令官が一言付け加えた。広大なユーラシアを一枚岩にするのは、ひとえに政治経済の安定だけであり、それが不十分な現状では常に警戒が必要だと言う。何より今は、基地に配備されていた部隊の一部をコラ半島攻撃に引き抜かれている。
トレランシアがユーラシア領を悠々と移動できたのも、連合軍の姿を見せる事で各地の不安定要因に有形無形の圧力を掛けるためであった。ユーラシア軍上層部は当然難色を示したが、現場では概ね歓迎されている。
トレランシアの最初の作戦が行われた東アジア国境地帯からも遠くなく、心配には事欠かない。その上、コラ半島攻撃への反発として各地のブルーコスモス残党も動いていると言う。
「補給や整備などには、最大限の便宜を図りましょう」
そう言う司令官にマーカスは頭を下げる。それ以外の事は出来ないという事だろうが、それはいつもの事である。何より次の目標は東アジア領内だ。司令官が席を辞し、代わりに別の人物が会議室に姿を現す。
東アジア軍の制服を着ているその人物は、ワン・グイシンと名乗り丁寧な挨拶をした。見た目は特徴のない人物だが、その物腰は十分に有能さを感じさせるものであった。
今、経済成長著しいユーラシア中央部と東アジア西部の物流網を強化し、経済連携を強めようという計画がある。その手始めとして、国境画定選挙を行った地域での共同治安維持活動を、赤道連合を含めた三ヶ国で行う事が決まっていた。その連絡調整官として派遣されているのが彼である。
トレランシアの次の作戦と東アジア軍の調整も彼が行う事となっていた。社交辞令を取り交わし、取り留めのない雑談をやり取りして本題に入る。
「その研究所は、軍関連施設なのでしょう?」
「今の世界に一枚岩の軍などありません」
ワン・グイシンは何の感情も込めず、ただの事実としてそう言う。自国の海外権益を擁護するために軍を使う。特殊部隊であったり軍事顧問団であったり軍事企業であったり、やり方は様々だ。しかし、それを推進するグループばかりで軍が構成されているわけではない。
ロップノル研究所襲撃作戦は、そのような手法を許さないという連合の意志表明だけではない。東アジア軍内部にも連合と同様の考えを持つグループがいるという表明でもあるのだ。
コラ半島のブルーコスモスへの攻撃のように、ユーラシア政府から公式に要請されユーラシア軍と共同作戦を行うのとは違い、東アジア政府からの非公式の打診に基づき、緊急即応部隊がその権限で東アジア領内の東アジア軍施設を攻撃するのである。これまで以上に成功が要求される作戦であった。
マーカスは顔を引き締める。グイシンはスクリーンに資料を映し始めた。
補給その他は一両日で済むとの事だった。すぐに作戦行動に移ることが分かっているため、短い休息時間を繁華街で過ごそうという猛者は、アジズ率いる数名だけであった。低層の軍宿舎から見えるのは、いつまでも明るい滑走路とその向こう側に見える街の明かりである。
いつの間にかいなくなったユンディとタルハには気を止めることなく、四人は雀卓を囲んでいる。イェレが牌を切る前に、リリトは次の牌に手をかけていた。しかし彼女は、その牌をツモることなくイェレの捨て牌を鳴く。
「だから盲牌するなっての」
「してないわよ」
ハコテン寸前のイェレの不機嫌さをいなすように、リリトが牌を切る。無口になっているカシアに、全員の注意が向いていた。細かく牌を並び替えるのは、あがりが近い証拠だ。カシアの捨て牌が横を向いた。点棒が卓上に転がる。
フィジェはツモを見つめる。現時点のトップだが二位のリリトとの差は少ない。東場の三局でまだ先は長く、既に出来上がっているイッツーを崩してまで安牌を切るのは弱腰だ。ツモは白、場には既に二枚出ている。
「字待ちはないだろ!」
「ロン・・・とりあえずリーチ一発よね、あと東三枚持ってる」
「ってか、ホンイツじゃね」
「白二枚切れててなお、頭にしてリーチ・・・事故ね事故」
ガックリ頭を抱えているフィジェに、カシアは無邪気に高得点を喜ぶ。点数計算が出来ないのに、彼女は強いのだ。ホクホク顔で牌をかき混ぜだしたカシアは、呼び声に振り向いた。
ユンディとタルハが客を連れて来たのだという。軍宿舎に訪ねてくるという事は、それなりの人が正式な手続きをしてきたという事だろう。流石にジャージというわけにもいかず、四人は着替えに戻った。
一階ロビー脇の面会スペースで待っていたのは、初任務の時に出会った選挙監視団のスタッフだった。表情を引き締めて挨拶をする。男性が全員に握手を求めた。
「プラントから降りてきたら艦が見えたのでね。艦長さんに挨拶をしたついでに君達にも会っておこうと思って」
選挙監視団の仕事が終わったあと一旦プラントに戻り、今度は地元軍閥の武装解除の仲介をするために降りてきたと言う。ユーラシア軍との打ち合わせが終わったらすぐにでも、国境地帯に向かうそうだ。
そして、選挙後の様子をかいつまんで教えてくれた。
選挙直後は、テロや小競り合い、各国軍の進出などで揉めたそうだが、最近では治安回復が少しずつであるが進んでいるようだ。計画されていた各種プロジェクトもNGOを中心に施行されだしているという。軍閥の武装解除もその一環であった。
男性は改めて感謝の言葉を述べた。トレランシアの行った作戦は、間違いなく国境地帯の情勢安定に貢献したという。
「なにせMSや戦車の類は君達があらかた片付けてくれたからな。あとは人が手に持つ武器を何とかしなくてはいけない。それは我々の仕事だ、君らの活躍を無にはできん」
リップサービスとは思えない口調で彼は言った。そして武装解除に関わる計画についても教えてくれる。
地元の人々が武器を手にする理由の一つは、失業である。軍閥は手当てを与えて兵士を募集しているため、生活に困った人達はすぐにでも兵士になってしまう。農業支援や、就業訓練などを行う団体と連携し、生活していくための収入を確保する手段を形成していく事が重要である。それは同時に、軍閥の大きな収入源である大麻やケシの栽培を抑えることにも繋がるのだ。
しかし、それらの活動をバックアップするはずの実力組織が脆弱なのが不安だと、男性は言う。連合加盟国のうち三ヶ国が利害関係国であるため、連合の治安維持部隊は主に大西洋と大洋州、それにプラントと北アフリカから少数の部隊が派遣されているだけであった。
武装解除とは武器を捨てさせる事だが、それを円滑に実施するための治安の維持に武器が必要なのは現実だ。武装集団によるNGO職員の誘拐事件なども起こっている。
「君達がいてくれれば心強いと思っていたのだが・・・別の作戦のようだね」
頭を下げようとするのを制して男性は笑った。そして黙って話を聞いているリリトに水を向ける。
「今日はずいぶんとしおらしいじゃないか。武装解除のための仲介者が軍隊に守られている事の矛盾を指摘したりしないのかい」
「・・・少しは大人になったつもりです」
そう言ってリリトはうつむく。あの頃の自分がしゃべっていた事は、高みから評論家の正義を語っていただけだった。それも、自分自身から目を逸らすために、遠くの出来事に目を向けていただけのような気がする。
白でないのなら全ての灰色は黒である、そんな考え方は通用しないのだ。少しでも明るい灰色を目指して、何かを「しなければ」ならない。考えるとか、語るとかは、疲弊した大地の上では何の力も持たないのだ。今の考えはそこまでだった。
「それではつまらない大人になるぞ」
「でも・・・ただMSに乗っているだけの私と、あなた方では」
「違うかい? 同じさ、危険にさらされることも、大して感謝されない事も、何の得にもならない事も、みんな同じだ」
武装解除とはいえ、それらの武器は独立の自負心であったり郷土への矜持であったり自衛のための最小限の手段であったり、色々だ。農業の指導も就業支援も、伝統社会への不当な介入と感じる人達もいる。地元の人の感謝など、援助する側のマスコミが取り上げる美談か、援助を受ける側のメディアが伝えるPRでしかない。
中央アジアの人々が安定した暮らしを出来るようになったところで、プラントに住む彼らが何らかの恩恵を受けるわけでもない。ましてやここに工場を建てて儲けようと考えているわけでもない。
「・・・だったらどうして」
「褒めて欲しくて何かをするのは三つの子供と同じだろ」
「じゃあ、何で」
「理由のある恋はただのミーハーな憧れだ、理由のある愛は単なる打算だ。気持ちが良いと知るより早く、キスはしたくなるものじゃないか」
ちょっとセクハラかな、そういって男性は立ち上がった。面会のための時間が過ぎていたのか、係員が顔を出す。
思案に暮れる顔をした六人を置いて、その男性は軽く片手を挙げて宿舎の玄関をくぐっていった。
タクラマカン砂漠は標高が低く、また6000m級の山々にぐるりと取り囲まれている。山に降った雪が解けて、夏だけの川が生まれたりする。ロップノル研究所はその東の外れであり、前世紀の半ばごろまで存在した湖の跡に建てられている。
前世紀には観光も可能であったらしいが、再構築戦争後はタクラマカン砂漠を含めタリム盆地一帯が立ち入り禁止区域となっていた。ユーラシアなどとの国境地帯に近い事や、未開発の油田・ガス田が存在している事などがその理由である。
もっとも、盆地周辺の一部を除いては開発困難な不毛の大地であり、立ち入りを禁止せずとも立ち入る人間はいないであろう。
新京新医学学術院の流れをくむ研究所が建設されるにはもってこいの場所である。
「作戦ですか」
「パオペイレンを運用できるのは君達だけだ」
チン・ヤンチャンはあからさまに嫌な顔をする。スレイ・カルガの確保に成功し、ようやく一息つけると思った矢先であった。研究所とはいえ、東アジア軍の特殊な部隊の運用も彼らは受け持っている。好きな研究にだけ没頭できる環境ではないのだ。
国境画定選挙では、東アジアに不利な結果が生まれていた。中央アジア地域の活況を利用したユーラシアの選挙キャンペーンに、遅れを取った結果であった。ユーラシアが国境地域での自治活動を認めたことにより、東アジアでも分離独立の芽が頭をもたげ始めている。
失地を回復し、なおかつ国内へ睨みを利かせるためには、国境地域の治安悪化をあえて起こし、それを押さえるために軍を派遣する事が必要であった。治安を悪化させるため地元軍閥への武器供給などは行っているが、選挙によって醸成された厭戦気分は徐々にその効果を薄れさせていた。
「そろそろ本腰を入れねばジリ貧だ」
スーツを着た偉そうな男が言う。ヤンチャンは話を聞き流した。ジリ貧なのは彼らであって東アジアではない。彼らの直接の上層部、いわゆる軍内強硬派は徐々にその発言力を失っている。ユーラシアとの経済連携などの計画からも外されていた。
秘密工作と軍事介入という旧時代の発想以外に持たない彼らは、戦争の終わった時代には無用の長物なのだ。その無用の長物にたかって研究を続ける自分達の立場に、ヤンチャンは悲しい苦笑をもらした。
話を終わらせるために、彼は作戦を了承した。現時点で使用に耐えるパオペイレンをかき集めて、連合が派遣した治安回復部隊を標的に派手なテロを起こす。それがジンビンメイに与えられた作戦であった。
流石にシャーレンは使えないであろうが、インとヤンも連れて行かざるを得ない。研究所の事は心配だが、それでスレイ・カルガに逃げられたりすれば、それは軍の責任である。そして、その方がありがたいかもしれない。
彼は当然、研究に協力する気は無い様で、いまだ分厚い鉄とコンクリートで作られた部屋に閉じ込めている状態である。それでもなお、ヤンチャンはスレイ・カルガがその壁をぶち抜いて研究所を破壊し尽す夢を見る。
ここに来たのはいくつくらいの時だっただろうか。正確には分からないが、おそらく十歳くらいだったように思う。正確に分からないのは、その頃は年齢を数えると言う事すら知らずに生きていたからだ。
いや、果たしてあれは生きていたと言うのであろうか。ただ実験に明け暮れるだけの年月、それが実験である事すら分からず言われた通りの事を行っていただけの、実験体としての日々。それはここに来てからも変わらなかった。ただ違う事は、ここには同じような人間がいたということだ。
ただ、自分の周りにいた人間は常に入れ替わっていた。自分と同じ条件での実験に耐え切れず、次々と姿を消していった。
「最高のコーディネーター・・・」
それが呼び名だった。スレイ・カルガはマジックハンドが下げていく食器を見つめる。拘束は解かれているものの、窓すらない部屋に閉じ込められていた。ここに来てから感じたもう一つの違いは、自分が恐れられているというあからさまな周囲からの反応であった。あの頃も、こんな部屋に閉じ込められていた。
そしてここで、自分が何者であるかを教えられた。コーディネーター技術の一つの到達点。人の持ちうる全ての能力を十全に持つ存在。人と人にあらざるものの境界線に立つ者。自己を認識するよりも早く、他者とは異なる存在として生み出された人間。
しかしそれは、彼の疑問に答えるものではなかった。自分は何者なのか、何故自分は存在するのか、自分が存在する事に意味はあるのか、そしてその意味とは何か。
作り出された存在である自分自身は、自分自身が存在する以前から何らかも目的、意味を持っていたはずだ。では、自分を作り出した人間の目的が、自分自身の存在する意味なのだろうか。繰り返される実験の果てに、存在の意味が立ち現れてくるのであろうか。コンピューターに蓄積されるデータの集合は、やがてスレイ・カルガの存在意義を示すのだろうか。
「否」
つぶやきは記録されているだろう。だがその記録に意味はあるのだろうか。ここには、彼の疑問に答える者はいなかったのだから。だから彼は、差し伸べられた手を取った。生まれる前から存在した自分自身の目的ではなく、生まれたからこそ存在する自分自身の意味を知るために、彼はその手に引かれて外に出た。
そこで彼は多くの事を知った。実験のために与えられる情報ではなく、知識と知恵を学んだ。
自分は最高のコーディネーターではなく、スレイ・カルガだと知った。自分は周囲の者と同じ人間であり、周囲の者とは違う唯一の自己であると知った。ナチュラルがコーディネーターを作り、コーディネーターが最高のコーディネーターを目指す理由を知った。そこに託された願いと、世界の現実の落差を知った。
それは単に、学術的な目的の元に作られた存在ではないという事だ。最初のコーディネーターが自分達を「コーディネーター」と名付けた願い、それこそ彼が最高のコーディネーターとして存在する理由だ。
「だから、僕は・・・」
その存在理由を行動に変えた。地球と宇宙を調停する者として、さらなる世界へ踏み出す人類への架け橋として、ただ存在するのではなく生きる事に決めた。そのための力を、彼は手にした。
それはこれからも変わらない。スレイは天井を見上げた。
マジックハンドがガタガタと動き、やがて取り外される。天井に現れた四角い穴から逆さまに顔を出したのは、桃色のショートカットだった。
窓から見える砂漠の景色は、あまり暑さを感じない。乾燥しきった空気は澄み渡り、砂の粒子が飛ばない程度の風速だと綺麗な青空の地平線が見える。どこか爽やかさすら感じさせるような風景だ。トレランシアは徐々に高度を下げていった。下に広がる風景は、爽やかさとは対極のものだ。
タクラマカン砂漠の中央部はまさに砂漠である。見渡す限り、砂と岩、砂利と土、他の色彩が一切存在しない薄い褐色のみ世界。古代の言葉で「無限の死」というのも頷ける感じだ。
紙コップを潰してミーティングルームに向かう。目的地まで一日の距離までやって来た。このミーティングの後、クルーは臨戦態勢に入る。リリトは席に着いた。
「目標は純粋な軍事施設ではないが、情報が少ないため用心しなければならない」
東アジア軍の研究機関であるが、特殊な処置によって身体能力を向上させた兵士の生産を行っている施設である。各国のブルーコスモスの退潮によって、この手の施設の取り壊しや責任者の追及などが進められているという話だが、実際はトカゲの尻尾切りであり、各国とも研究を行っているというのが実情である。
しかし今回はその非人道的な研究に対する実力行使ではなく、この施設が運用している部隊が中央アジアやアフリカ大陸で軍事行動を行っていた事への制裁である。トレランシアの作戦開始と同時に、東アジア政府には証拠の提示が行われる予定となっており、同時に東アジア軍における強硬派の粛清人事が発動されるとの事であった。
そのため抵抗がなければ、何もせずに終わる可能性のある作戦であった。
「あの砂時計とコンテナが出てくる可能性は?」
当然の質問にマーカスは黙る。何もせずに終わる可能性などという楽観論は、排さなくてはならない。他国への軍事介入や紛争の幇助を行う連中である、連合軍の旗印に驚いて白旗を揚げるとも思えなかった。
だからこそ、この作戦は成功させなくてはならない。連合は加盟各国の身勝手な軍事活動に対し、毅然とした対応を取るとの姿勢を示さなくてはならないのだ。
「それは上の台詞だ。現場に必要な情報をくれないか艦長」
ヒューが釘を刺す。もっとも、そのような情報が不足しているからマーカスも演説をぶつのだろう。かなり機密レベルの高い施設であるらしく、正確な位置情報が得られただけでも御の字なのだ。
代わりにレセディが大天使と翼付きに関する情報を提示した。翼付きのパイロットが、あの施設に監禁されている可能性があるという。流石に部屋がざわめいた。
「情報の裏付けはありません。そのパイロットの確保も作戦には入っていません。ただし・・・」
大天使を運用していたテログループが何らかの動きを見せる可能性は高かった。この情報はリークされた情報であり、おそらく緊急即応部隊の動きとそれに伴う施設側の混乱を利用しようという考えなのだろう。こちらは、あえてその誘いに乗ったのだ。
「それってさ・・・」
「本命は大天使ってことじゃね」
マーカスは頷いた。東アジアの施設に関しては、連合軍が実際に動くというポーズさえあれば政治的な目的は達せられるのだ。
スカンジナビア皇太子を拉致し、スカンジナビアの反乱軍の指揮を取っていたテロ組織を誘い出し殲滅する。それが今回の作戦である。
機体の整備は最終段階に入っていた。バイコヌールで搬入された装備の点検が続けられている。グラティアら三機のMSには、新型のバッテリーとスラスターが装備されている。外見上の変化はないのだが、機体能力は向上していた。
しかしそのために、ウェルガーとの連携は取りにくくなっていた。小隊の組み換えやフォーメーションに関する変更など、パイロット同士の調整も本番前の仕上げに入っている。
出来れば研究所らしく抵抗せずに白旗を上げてもらい、新装備とフォーメーションの慣らし程度で作戦終了を迎えたいところであった。打ち合わせに使っているブリーフィングルームの時計を見上げる。出撃までまだ間がある。
「フリーダムのパイロットって・・・連合の強化兵士が脱走したんじゃね?」
「砂時計とコンテナは脱走兵の追っ手なのかもな」
イェレとフィジェの会話を聞きながらも、リリトは違うと思っていた。だがそれは口にしない。
あのパイロットは、間違いなく自分と同じような能力を持っている。それはすなわち、自分と同じように生み出されたという事だ。だから軍ではなく、研究機関が追っていたのだろう。
彼女は微かな興味が生まれているのを感じた。どんな答えを求めて、フリーダムのパイロットに興味を持つのだろう。混線した無線の向こう側から聞こえる憂いの声、それが語る言葉を疑問に思っていた。
何故彼は「世界のため」と語るのだろう。彼の語る世界とは何なのだろうか。もし同じような生まれと育ちであれば、なぜそのような言葉を語れるのだろうか。自分とは違い、その言葉に傷つけられなかったのだろうか。
「たいした答えは・・・ないでしょうね」
呟きが思った以上に大きく、イェレとフィジェが怪訝な顔をする。それをごまかすために、リリトは問いかけた。自分達は、いつまでトレランシアに残るのだろうと。
彼女らの中に引っかかり続ける問題。リリトは二人の視線を受け止める。そして一つの答えを提示してみせた。自分達は降りる理由を探すために、今も残っているのではないだろうかと。
積極的に降りる理由、それは二つのうちどちらかだ。ここで何かを達成するか、自分のすべき事がここでは不可能だと理解するか。そのどちらも、未だ持たないが故に残っているのではないかと。
「たいした答えでは・・・ないけどね」
「だったら出て行け。バカ話は自分の部屋でやれ」
ドアを開けて入ってきたのはタラスだった。打ち合わせに使うから場所を空けろというのだ。毎度の棘のある言い方に、リリトは問いかけた。
「エリクセン中尉は、何故トレランシアに?」
タラスはただ鼻で笑う。そして三人を追い払った。アレナとヒューが来る前にプロジェクターの準備をしておく。
すべき事は、考えている時点で間違いなのだ。ましてや他人のすべき事は、自分のすべき事ではない。それはただ行動によってのみ意味を成し、結果によってその意義を問われる。
いまだ結果に至る前のタラスには、ただ行動あるのみである。
最大望遠のカメラが、砂漠に出現した森を映し出す。その中に、白い建物が何棟も立ち並んでいる。トレランシアはMS隊の射出と同時に速度を落とした。向こうのセンサーもこちらを捉えているはずだが、動きは見られない。
Nジャマーが比較的薄いため、無線を最大出力にして通信を送る。奇襲とはいえ、問答無用で攻撃できるわけではない。マーカスは軽く咳払いをしてからマイクを取った。
「我々は地球連合軍緊急即応部隊です。地球連合常設軍事委員会は、東アジア共和国MS戦略総合開発機構第五分室の不当な軍事行動に対して、実力制裁を決定しました。本艦はこれより常設軍事委員会緊急決議第52号に基づき、貴研究所に対する攻撃を行います。これは警告ではありません」
マーカスはマイクを置いた。同時にトレランシアのレールガンが砲弾を撃ち出す。まず直撃はさせずに、研究所の手前と向こう側に着弾させた。そして降伏を申し出る通信を待った。
そのまま息を詰めるようなブリッジの空気に、カシアの声が通る。MS隊が施設に接触するまで残り一分を切ったのだ。同時にモニターが信号弾を捉えた。敵との接触を意味する色。レセディは舌打ちをして、トレランシアの前進を命じた。念のためにアンチビーム粒子を煙幕と共に撒いておく。
砲台等の施設がないことを伝える信号弾がモニターに映った瞬間、センサーが接近するミサイルを捉えていた。移動式の発射台でもあるのだろう。艦の対空砲が唸りを上げ始めた。
「トレランシアを狙われるのは面白くないな!」
ヒューはそう言って森の中の車両を狙った。背中にミサイルを積んだまま、その車両は横転する。
反撃は予想通りだが、その規模は予想外に小さい。旧式のストライクダガーに、大戦前から配備されているような戦車や対空車両が僅かに抵抗の素振りを見せているだけだ。既にアレナとタラスには近くの滑走路を抑えさせてあるので、航空機による反撃は出来なくなっている。
数機の攻撃ヘリが襲ってきたが、頭部機関砲を威嚇で撃つとすぐに逃げていく。だがリリトは、常に上を気にしながら施設の上空を旋回していた。砂時計とコンテナ、そして大天使、どれも真上から現れる。
だから、一つの建物が屋上で大きなアンテナを伸ばした事に気付かなかった。コクピットのモニターのいくつかがいきなり暗転した。
「何、なんなの!?」
キーボードを引き出して叩くが反応がない。画面の一つがウィルスチェッカーを起動していた。グラティアの機能の半分近くが沈黙している。
コロイド技術と量子通信の応用で、遠隔でコンピューターウィルスを送信するシステムというものが存在すると聞いた事があった。技術的に不安定であり、またコストに対応するだけの成果に乏しい事から、一部の特殊機体が試験採用しただけという話であったが、それに類似する技術なのだろう。
真っ先にキーボードが使えなくなった以上、手作業の駆除は無理であった。リリトは、レバーとペダルに神経を集中させる。不安定なスラスターをどうにか宥めすかしてグラティアを降下させた。降りる場所を選ぶ余裕もなく、不時着地は研究施設のど真ん中、芝生が植えられた中庭のような場所だった。
PS装甲も起動できない、敵がいれば危なかっただろう。組織的な抵抗をされている中でこれを食らったら大事であった。フォルトゥーナが慌てた様子で隣に着地する。
「とりあえず大丈夫よ、動けないけど」
接触回線は使えたのでそう伝える。生きているカメラは、研究施設の様子を映し出していた。
突然MSが着陸した事で、避難のために混乱していた建物の中はさらに混乱しているようだ。白衣やスーツが、書類や記録媒体を持って右往左往している。その中に、はっきりと目的を持って動いている一団がいた。濃紺の防弾チョッキにヘルメット、手にしているのは自動小銃だ。リリトはハッとする。
ここは違法な人体実験も行っていた施設だ。まだその被害者が建物に残っているかもしれない。あの連中は証拠を消すために走っているのではないだろうか。グラティアの頭部機関砲の引き金に手をかけたが、流石に撃てない。リリトはハッチのレバーに手をかける。脛のホルスターに入っている拳銃を確認するとコクピットを飛び出した。
フォルトゥーナの外部スピーカーの呼びかけに少しだけ振り返ると、リリトは芝生に飛び降りた。膝をついているとはいえMSのハッチは10mほどの高さである。当然のような軽やかな足取りで、彼女は建物に向かった。
すれ違う白衣に嫌悪の情を抱きながら、彼女は走った。発砲音が聞こえ、足を速める。男の叫び声が聞こえ、自動小銃を持った男が目の前の廊下を転がっていくのが見える。リリトは柱に背を預け、未だ発砲音の聞こえる廊下の奥を窺った。
「こちらは銃を持っているんだ、距離をお・・・うわぁっ!!」
混乱し、腰が引けている男達は狙いもつけずに銃を撃っている。その向こうにいるのは、まだ少年のような顔をした男性だ。特徴的な紫の瞳が鮮やかに輝いている。手にしているのは大振りのナイフ、いや刀だろうか。
リリトの反射神経がギリギリ追えるスピードで男が動く。男達が叫ぶより早く、自動小銃の先端は切り落とされ、激しく突き飛ばされる。男が手にしているのは柔らかな反りを持つ片刃の刀だった。刃の付いていない方で斬りつけているため、防弾チョッキを着ている男達は突き飛ばされるだけで死にはしない。
しかし戦意は完全に殺されていた。自動小銃を捨てて一人の男が逃げ出す。残っていた数名も後に続くように逃げていく。
「化け物めぇ!!」
一人だけ残った男が、半分になった自動小銃を捨てて拳銃を構える。発砲と同時に、廊下の両側にある窓ガラスが割れた。振り下ろされた刀が振り上げられると、今度は拳銃が真っ二つになった。最後に振り下ろされた刀は男のヘルメットをしたたかに打ち据える。
「銃弾を、斬った」
リリトは、その男がフリーダムのパイロットだと確信した。