Green travelers ~ The another seed ~   作:VSBR

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第四十六話 強攻策

 宿泊場所は最上階だった。もちろん、彼一人のためにスイートが用意されたのではない。二件の重要な取引先との面会のために、この部屋が選ばれたのだ。宿泊はそのついでに過ぎない。

 だが今から会う人物は、その重要な取引先とは別件だった。会社を通さずに彼個人と接触を続けている、連合の金融当局者だ。いつの間にか肩書きの変わっていた彼は、涼しげな表情を引き締め、いつになく緊張した様子で席に着いた。

 聞くところによると、先ほどプラントから戻ってきたところだそうだ。

「プラントの協力は取り付けたということですね」

 カヲは改めて聞く。ターミナルと呼ばれる組織の資金ルートを、地球圏全域で一斉に封鎖しようという作戦は、着々と準備が進められていた。そのためにカヲは、守秘義務に反してまで、彼に情報を流していたのだ。もっともそれ自体、その相手にはバレているであろう。エフライム・ビーンシュトックも、ターミナルを潰すという点では一致した目的を有しているのだ。

 それを承知で連合は作戦を進めている。ターミナルの側も防衛の動きを見せているが、それ自体が自身の資金ルートを狭め組織の弱体化を招く事になる。その影響は既に出始めており、南米ではターミナルが支援を続けていた組織の崩壊が始まっており、宇宙ステーション・アメノミハシラを本拠とするオーブ亡命政権は、物資窮乏に伴う住民流出が始まっていた。

 しかし今の連合加盟各国には、これらに呼応した軍事行動を起こす余裕は無い。南米では各地で無政府状態に陥っており、オーブやプラントはアメノミハシラからの避難民受け入れに苦慮していた。

「金の切れ目が何とやらです」

 秘密結社の資金と違法な軍事力で国家を気取っていたテロリストなど、本物の国家が本気を出せば赤子の手を捻るようなものだ。地球連合金融監視委員会事務局のソン・チョルスはそう嘯いた。カヲはその意見に同意する。

 市場において、国家ほどの不確定要因は存在しない。国家は市場の声に逆らえないなどというのは、バカな金融屋の思い上がりである。もしそうであれば、銀行や証券会社がロビー活動などする必要は無い。市場参加者は、国家という眠れる獅子が起きないように、行儀良く金儲けをしなければならないのだ。

 ロゴスやターミナルは、その獅子の眠りを覚ました馬と鹿なのだ。だから彼らは国家に食い殺された。

 カップの紅茶に手を付け、ソン・チョルスが話を変える。

「ビーンシュトックの意図は・・・ターミナルに成り代わる事と見てよいのですか?」

「ターミナルを正義の味方という意味で使用するのであれば、正しいでしょうな」

 その似つかわしくない単語に、ソン・チョルスが首を傾げる。カヲも苦笑した。しかしそれ以外に答えようが無いのだ。きっと彼らには個人的な悪意も私心もない。常に善意を持って公に尽くす愚か者なのだ。彼らはこの世界が、個人の悪意と私欲に満ち満ちている事を知っている。知っているからこそ、それらが絡み合い、個人の悪意と私欲とは異なる一つの社会を形成している事を知らないのだ。

 市場価格が需要と供給が織り成す神の手によって決定されるというより、私利私欲のために暴利を貪る資本家の談合によって決定されるという方が、はるかに分かりやすい。愚かな彼らは、その分かりやすい方しか理解できないのだ。それは真実の一側面でしかないにもかかわらず。

 その話題はそれきりとなった。

 

 廊下に聞こえるのは、上空を旋回するMSの音。既に耳に慣れてしまったその音は、頭の中には入ってこない。だからそこは静寂と同じだ。ヘルメットを外して耳をそばだてる。リリトは壁に背をつけたまま、気配だけで様子をうかがった。

 フリーダムのパイロットがいるかもしれないという情報を聞いた時、全員が戦場への大天使乱入を予想していた。混乱を利用してパイロットが脱出するという、最も単純な方法を失念していたのだ。今までの事を考えれば、それも仕方ないといえるかもしれない。だからといって、失態である事に代わりは無いだろう。

 何としてでも捕らえたいところだ。だがそれが可能かどうかには、確信が持てない。拳銃がどれほどのアドバンテージとなるか。相手は、自分と同じ存在。

「抵抗しないで下さい。僕にはまだやらなければいけない事がある」

 その言葉に力が抜けそうになる。その言葉が挑発ではなく警告だと思っている余裕が癇に障る。この男は、自分の存在に何も苦しんでいない。

「その言葉、そっくり返すわ・・・返せるだけの力があると、付け加えてね!」

 リリトは廊下に飛び出して銃口を向けた。男が僅かに体を動かす。射線を外された事を悟って、引き金は引かない。男は刀を構えた。その視線は銃口と指に注がれている。まだ距離がある、間違いなく当たらないだろう。リリトは誘った。

 発砲音より早く男が飛び出す。銃弾が弾かれ、一気に距離が縮まった。二発目は弾く気がないのだろう、男は壁を蹴ると反対側の壁に跳んだ。だからリリトは二回目の引き金を引かなかった。代わりに自分の意識を弾く。

 刃のない方を下にした刀が振り下ろされるのが見える。それが鼻先を掠めるのと、二撃目に備えた動きが相手の手足に現れるのを見た。一旦、拳銃のセーフティーをロックする。

 突く勢いで薙いでくる刀を銃把の底で受け止め、それを滑らせるようにして相手の胸元に肉薄する。左腕を振るった。

 男は全身をのけぞらせるように拳を避け、そのまま宙返りをするようにして爪先でリリトの顎を狙う。後ろに跳び下がって銃口を向けた。射線から外れようとする一瞬の動きに乗じて距離を詰める。至近距離からの銃弾は弾かれるが、刀の側面に当たった弾丸は刀身を砕いた。

「しまった・・・!!」

 相手の武器を損傷させた事で、逆にリリトの集中力が弛緩した。投げつけられた柄を単純に避けてしまい、相手に身構える余裕を与えてしまう。男は腰にした鞘からもう一本の刀を抜いた。二本の刀が入る特殊な鞘だったのだ。

 相手の動きに緊張感が生まれた。リリトは勝負を仕掛ける。

 銃声、銃声、半テンポ遅れて銃声。リリトの目の前には刀を振りかぶる男がいる。接近する動きは見えていた。だがそれより強く反射神経が働こうとする。引き下がろうとする体を押し留めて、相手がフリーダムのパイロットである事に賭ける。踏み込みの微かな浅さに、賭けの半分に勝った事を確信した。

 振り下ろされる刀はリリトの眼前の空を切る。その動きをフェイントにするように、刀が横薙ぎに振るわれた。狙われたのは拳銃のみ。残りの賭けにも勝った。

 リリトは手首をスナップさせている。拳銃が僅かに宙を舞った。手と拳銃の間の空間を刀が流れていく事と、驚いた男の表情が見える。次の瞬間には、深く踏み込んだリリトが受け止めた拳銃を男の顎に突き付けていた。

「刀を捨てなさい」

 男は素直に従った。いまだ驚愕から覚めていない、そんな感じの男に呆れる。

「やっぱり、君は・・・」

「質問はこちらがします」

 男の問いには答えなかった。だが何かの確信を得たように、その表情が変わった。安堵か憐憫か、よく分からない微笑。親近感の沸かない男だと思った。名を問うと、素直に答えた。そして、アークエンジェル艦載機、フリーダムのパイロットであると付け加える。

「地球連合軍緊急即応部隊の権限に基づいて、あなたを逮捕します」

「拒否する、そう言えば?」

「抵抗するテロリストには発砲が許可されています」

 銃を突きつけたまま、あくまで事務的に言う。スレイ・カルガの表情が曇った。

「それが、君の正義? 君が僕と同じ力を持つのなら、それを連合のために使う事が正しい事?」

「力・・・?」

 リリトはおぼろげながら、スレイ・カルガに感じる違和感の正体を掴む。彼は自分自身の力を嫌っていない。最高のコーディネーターという存在を忌諱していない。

「僕にはまだ力がある、それを必要とする場所がある・・・だから・・・」

 最高のコーディネーターであるリリト・フィランディエーレを受け入れるのに、自分はどれだけかかっただろう。それを受け入れてくれる人の可能性を知って、ようやくその端緒を掴んだのは、最近の話だ。それでも、彼女は自分の力を誇示する気にも、自分の存在をひけらかす気にもなれない。

 最高のコーディネーターの部分より、リリト・フィランディエーレの部分で人と接したい。ただの数値で記述されてきた最高のコーディネーターではなく、アカデミーの友人達によって語られるリリト・フィランディエーレでいたかった。

 この男は、そうではない。最高のコーディネーターとして、リリトの前にいる。そして最高のコーディネーターとして、世界を語ろうとしている。

「コーディネーターが地球と宇宙の調整者として生まれたのなら・・・僕達は、なお一層そのために」

 話が飛躍している。この男の話からは、スレイ・カルガ自身が抜け落ちている。この男は、自分を語らずに世界を語っている。自身を語らずに最高のコーディネーターを語っている。

 だからリリトは問いかけた。

「あなたは、何者なの?」

「僕はただ、この力をほんの少しでも人々のために使いたい、世界に返したい」

 それは答えではない。同じ問いをなされたならば、リリトはこう答える。カシアに聞け、イェレに聞け、と。何者かと問われて、何故世界と語るのか。それでは、

「ブルーコスモスと変わらない・・・」

 リリトはつぶやいた。そしてこれ以上の会話が無意味だと悟る。銃を構えなおして、慎重に後ろに回った。引き金をいつでも引けるように、指先に全神経を集中しておく。男の手を後に回させた。

 ノーマルスーツの補修テープを取り出す。粘着性が高く頑丈な特殊布のそれで、男の腕を固定しようとした。両手が補修テープにかかった瞬間を狙われる。女の声が響いた。

「スレイ! 伏せて下さい!!」

 同時に伏せたリリトの頭上を弾丸が掠める。押し倒して確保を続けるつもりだったが、男の動きの方が一瞬早かった。銃を向けようとするが、後方から立て続けに弾丸が飛んでくる。舌打ちを連発して柱の影に隠れた。

 スレイ・カルガは斜め前方の柱の影、彼を助けに来たであろう女は、廊下の曲がり角のところに身を潜めている。微かに見えた桃色の影に、牽制の弾丸を撃ち込む。リリトの狙いは、あくまでもスレイ・カルガの方だ。一旦、息を整える。

「・・・ボール?」

 飛び出すより早く、目の前にピンク色の球が転がってきた。それはリリト目の前で止まり、口を開けるように半分に割れる。

「嘘でしょ!?」

 その口からピンク色の煙が吹き出したのだ。あっという間に視界が塞がれ、足音だけが廊下に響く。リリトはその足音目掛けて、残りの弾丸の全てを撃ち込んだ。悲鳴が一つ聞こえたが、命中した感じではなかった。

 ようやくピンク色の煙が晴れる。廊下の窓から、フォルトゥーナとリベルが顔を覗かせていた。リリトは拳銃をしまって、無事を示すように窓に近づく。

 

 成層圏を飛ぶ扁平な輸送機に、ロップノル研究所襲撃の報はすぐに届いた。チン・ヤンチャンは膨大な研究データが散逸し、二度と元に戻らない事を悔やんだ。新京新医学学術院時代から蓄積されたデータだけではない、プラントの評議会議員から手に入れたメンデル関連のデータ、各地に潜伏するブルーコスモスの研究データ。二度と再び手に入れる事は、何人たりとも不可能だろう。

 連合や東アジアが確保できるデータも一部に過ぎないはずだ。あの研究所はデータを一元管理せず、研究者個人に持たせていた。施設を襲撃したのが少数の部隊であれば、多くの研究者がそれぞれにデータを持って逃亡する。

 研究を続ける者もいるだろうが、分断されたデータで元の規模の研究は不可能だ。ただ、それが悔やまれた。

「作戦は続行ですか?」

「・・・当然だ」

 ノイズの多い通信画面に映るのは軍服の男。数時間後には彼も職務を解かれ、僻地へと飛ばされるだろう。もっとも、他人の事を心配する余裕など無かった。

 手持ちのデータと使用可能なパオペイレン。高く売ることは可能かもしれないが、研究を続けさせてくれるところとなると話は別だ。この手のリスクを引き受ける国など、あるのだろうか。ため息もつき飽きて、ヤンチャンは指示を出す。とりあえず、目の前の仕事を片付けてからだ。

 上手くいけば、逃亡先を見つけるまでの時間稼ぎくらいは出来るかもしれない。国境付近に集結する東アジア軍の部隊に、作戦予定を送った。

 インとヤン以外のパオペイレンは、既に先行させてある。それを使って、国境に展開している連合軍の治安回復部隊の基地を襲撃するのだ。そこに駐留するのは、大洋州と北アフリカ連合体から派遣されている歩兵中心の部隊で、二十体のパオペイレンを含む特殊部隊であれば、十分な戦果が期待できる。

 付近には、いまだ武装解除に応じていない軍閥があり、また複数の武装強盗団が本拠地にする渓谷もあった。連合部隊の救出を名目に東アジアは国境の軍部隊を進出させ、治安回復までという名目で駐留を既成事実化する。後はそれを使って、国境画定選挙で失った土地の実効支配を確立すればいい。

 陳腐なシナリオだが、ユーラシアも赤道もこの選挙結果に十分納得しているわけではない。こちらの動きを理由にして赤道連合が介入の動きを見せれば、先手を打って支配地域の拡大も可能だろう。さらに、コラ半島でブルーコスモスと戦闘を行っているユーラシアは、軍部隊の派遣自体が難しい状況にある。

 上層部の立てた作戦を伝えると、ヤンチャンは自室に戻る。手持ちのデータの整理と、その使い道を考えておかなくてはならない。最高のコーディネーターに関するデータの大部分は彼が有していた。このデータであれば、研究を続ける環境を得ることも難しくないかもしれない。

 

 東アジア軍と政府の職員が、二時間もせずにロップノル研究所に到着した。トレランシアが介入するタイミングと合わせて来たのだ。東アジア軍が直接、研究所襲撃に加わらなかったのは、東アジア国内情勢との関連であろう。

 だが用が済んだなら帰れと言わんばかりに、後処理を行うその様子は、見ていて気持ちの良いものではなかった。しかし、現場でやるべき事は既に終わったのだ。トレランシアの作戦を今後どのように生かすのかは、上が考えるべき事だ。MSの収容を終え、トレランシアは再び砂漠を飛び越えるコースに入る。

 制服姿のリリトが窓の外を見ている。釈然としない思いを、胸の内で転がしていた。

「世界、世界、世界・・・」

 トレランシアが行ってきた作戦、それは取りも直さずリリト自身が行ってきた事だ。だが、その作戦に付せられる意義と、リリトの感じる事には大きな乖離がある。グラティアを駆ってあの研究所を攻撃する事と、それによって連合本部が加盟各国の軍事介入に対して警告を発する事の間には、途方も無い距離がある。

 だからリリトは、世界のために戦うなどと言える気がしなかった。もしそう言う事が出来れば、少しは楽になるかもしれない。この釈然としない感じくらいは、なくなるかもしれない。

 だが、世界のためにと語る者には憧れも羨望も生まれなかった。ヘンリーでさえその言葉を口にしたとたん、自分自身の事を語るのをやめた。それは、プラントのために最高のコーディネーターを研究していた連中が、リリトの事を何一つ語ろうとしなかった事と同じではないのか。

 リリトは、そんなものを望まない。ようやく手にしたリリト・フィランディエーレを、今さら手放す気は無い。

 世界ではなく、自分自身を語りたい。そして・・・

「あなたの事を語りたい」

 その言葉と共に顔を思い出す。甘い気持ちに浸ろうとした彼女を邪魔したのはカシアだった。起きてきた所だろうか、ジャージ姿だ。

「どしたの? 顔、赤いけど」

 不意に覗き込まれた顔を横に向け、頬に手を当てる。いつものように胸の下で手を組んでいるカシアに、リリトは話題を振った。

「世界のために、か・・・」

 カシアも窓の外を見る。『~のために』厄介な言葉だった。

 それは悪い事ではないはずだ。だが、どこか胡散臭さが付きまとうのは何故なのだろう。それは、自分以外の部分に責任の所在を求めるような胡散臭さだ。『自分のために』という言葉は、何か自分自身に対する言い訳のように感じる。

 それでもなお、その言葉を求めてしまう。曖昧な自分の行動を、何かに繋ぎとめておきたいと感じてしまう。

「でも、あなたのためにお弁当作ってきたのよ・・・って、女はたいていフられるんだよね。ドラマとかだと」

「じゃあ、フられないお弁当はどういうのよ?」

「・・・あなたの事を想うと、お弁当を作りたくって作りたくってどうしようもなくて、気付いたらお弁当が出来ていたの・・・その、迷惑じゃなかったら、食べてくれないかな。こんな感じで、どう?」

 話の方向性がズレて来た。元に戻そうとした時、艦内のサイレンが鳴り響く。緊急招集のパターンだった。二人は同時に走り出す。

 

 パイロットと整備班への説明はマーカスに任せて、レセディはブリッジの指示を受け持つ。部隊を最小時間で国境まで移動させるために、もっとも効率的なルートの割り出しを急がせていた。

 新国境画定地域に駐留する連合軍部隊が襲撃を受け、それに呼応するように東アジア軍の一部隊が救援名目で国境を越えようと展開を始めたという。十中八九、東アジア軍による自作自演であろう。軍のこのような行動に対する警告として行った、ロップノル研究所攻撃の直後である。連合の面子も潰れるというものだ。

 だからこそトレランシアには、東アジア軍部隊が国境を越える前にそれを阻止しなくてはならない。ルチアーノ・プレスからは、東アジア軍との交戦も可能性に含めるよう電文が来ていた。

「簡単に言ってくれるわね・・・」

 MS六機で何が出来るというのだろう。襲撃された連合部隊の救援と、東アジア軍部隊の牽制、どちらを優先すべきか。それ以上に間に合うのかどうか。算出されたルートの内、唯一可能性がありそうなのはMSの先行発進だけである。しかもウェルガーでは、戦闘に耐えうるだけのエネルギー残量を確保できない。

 突発的な事態、いや東アジア軍の動きを見逃していた本部のミスである。今回は無理だと作戦を突っぱねる事も可能だろう。レセディとしてはそうしたいところだ。ミーティング中のマーカスに、算出されたルートを伝える。

 軽く唇を噛んだマーカスは、集まっているクルーにその内容を伝える。安堵とも悔しさともつかない、微妙な空気が流れた。

「あの、その地域って・・・武装解除交渉の行われている地域ですよね」

 リリトが聞く。バイコヌールであの男性が話していた地域と同じ名前だったのだ。手元の資料をめくったマーカスは肯定の返事をする。

「東アジア軍の進駐は、地元軍閥の姿勢を硬化させるでしょう。東アジアにしてみれば、地域の不安定化が目的ですから」

「それじゃ・・・元の木阿弥ってやつじゃね?」

 イェレの言葉に、場の空気が変わる。

 トレランシアの仕事は、上層部の計画を実行する事である。だが連合軍緊急即応部隊の実施する計画は本来、有機的な繋がりを持つはずである。個々の作戦の成否は、同時に別の作戦の成否に影響する。

 最初の作戦であった、国境画定選挙実施に伴う軍閥の掃討は成功した。だが今、東アジア軍の行動を阻止できなければ、その成功は意味を失う。それはたんに緊急即応部隊が成果を失うというだけではない。あの地域には、他にも数多くの団体が様々な活動を行っているのだ。

 あの男性をはじめ、多くの人達が行ってきた事の多くが意味を失ってしまうのだ。

「確かにそうだ、だけど何が出来る。落ち着いて考えろよ」

 ヒューが釘を刺すように言った。グラティア・リベル・フォルトゥーナの三機を無理やりに先行させたところで、バッテリーも推進剤も心もとない状態で活動しなければならない。下手をすれば敵のただ中でバッテリー切れ、どこかの山の中でガス欠という事もあり得る。

 東アジア軍がどのような部隊を動かしているかは分からない。仮に旧式兵器主体の部隊だとしても、三機のMSでは出来る事は限られる。

「・・・私なら出来ます」

 リリトは目を伏せて言った。その言葉に視線が集まる。無謀だと言う視線と、出来るかもしれないという視線が複雑に絡んでいた。マーカスは黙って腕を組んでいる。一瞬の後、フッと息を吹き出すと、彼は三人に出撃を命じた。

 インターホンを取り、それに応じた準備をブリッジに指示する。

 

 ユンディとタルハが退避する。デッキ全体に広がる振動が、トレランシアの動きを示していた。浮遊システムで出せる最大高度まで上昇、大気圏内での最大戦速のまま、三機をパイロットの耐G限界で射出するのだ。

 既にカタパルトにはゾーリンの予備機に乗ったグラティアとフォルトゥーナが設置されてある。少しでもバッテリーと推進剤を節約するために、サブフライトシステムを使用するのだ。一機のサブフライトシステムに増槽や外付けバッテリーを満載させた二機のMSが載せられているため、かなり窮屈そうな外見である。

 ここまでやっても到着後に活動できる時間は二時間弱、しかもその後トレランシアが到着するまで六時間近くかかるのだ。途中でウェルガーが救援に駆けつける手はずとなっているが、合流地点にたどり着けなければそれまでである。

「無茶は承知です」

「ならば止めるべきでした」

 それを最後の批難として、レセディはカタパルトの最終調整を指示する。距離が距離だけに、僅かなズレが大きな距離の違いとなって現れてしまう。少しでも正確に打ち出さなければ、それだけ危険も増えるのだ。

 険しい山岳地帯なので軍部隊が進行できる場所は少なく、目標ポイントは絞り込みやすい。可能な限りの気象データを集め、射出角度を設定する。グラティアのコクピットにも、その情報は逐一入っていた。

 それを横目で見ながら、リリトは何度もレバーを握ったり離したりする。パイロットスーツの中の手に汗が滲んでいるのを感じた。こんな感覚は始めてだ。緊張、それも戦闘を前にしたものとは異質な緊張だ。MSに乗る重みのようなものを感じる。もしかしたら、自分からグラティアのレバーを握ったのは初めてかもしれない。

 何故、出撃を望んだのか。少なくとも、世界のためなどではない。

 では、あの男性のためだろうか。それも違う、それよりも早くリリトは臨んでいた。自分が関わった作戦が無に帰すのを嫌った。違う、そこまでこの部隊の作戦に思い入れなど無かったはずだ。

 では何故、このような重みを感じるほどに、緊張しているのか。

「リリト、カウント始めるわ」

 カシアの声に、意識をモニターに集中させる。タイミングはブリッジが決定する。かなりの速度での打ち出しなので、身構えておかなければダメージを受けかねない。カシアの心配そうな顔に微笑みを返すと、通信モニターを切ってカウントダウンに耳を澄ませる。

 最高のコーディネーターとして、その力を何か役に立つ事に使いたい。スレイ・カルガと名乗った男は、そんな事を言っていた。もしかしたら、これはそういう事なのだろうか。

 やはり違うと思った。最高のコーディネーターだから動くのではない、リリトの心はそれより先に動いていたのだから。

「・・・5、4、3、2、1、発進!!」

「クゥっ!!」

 接触回線からイェレのうめき声が聞こえる。彼の耐G能力ギリギリでの射出だ、かなりきついであろう。後部モニターには続けて発進したリベルの姿と、すっかり小さくなってしまったトレランシアの姿が見える。

 一息に砂漠を飛び越えようと、三機のMSは雲の無い青空を駆け上る。

 

 最大望遠のカメラが捉えたのは、戦艦から発進したMSの姿。流石にこれは予想外の展開であった。その機体は、東アジア軍が向かっている峠を真っ直ぐに目指していた。新国境地帯にMSを投入するには、大型トレーラーが通行可能な道を使うしかない。必然的に、軍の動きは予測されてしまうという事だ。

 しかし、わずかな数のMSをこんな形で投入してくるとは思わなかった。確かに峠に陣取られ、有利な位置から狙い撃ちされれば部隊を拘束することも不可能ではない。だがそれはせいぜい一時間程度である。その程度の時間稼ぎで、連合が有効な次の手段を打てるとも思わなかった。

「・・・となると」

 解析された映像から、チン・ヤンチャンは敵の意図を推察する。足止めや時間稼ぎを狙っているのではない。この軍事介入そのものの阻止を狙っているのだろう。連合軍緊急即応部隊が投入してきたのは、フリーダムを撃墜したMSである。

 現在動いている部隊は旧式兵器が主体で、MSの数も質も劣るものであった。もちろん普通の相手であれば、歴然とした数の差で圧倒できる。だがこの相手は、あのフリーダムと同等の性能を持つと考えられる、普通ではない相手なのだ。尻尾を巻いて逃げたいところであるが、その逃げる場所が無い。

 ヤンチャンは顎に手を当てた。そして、いくつかの諦めをしてから指示を出した。

「シャーレンの投下準備。間に合わせろ、敵は早いぞ」

 今のインとヤンの強化状態では、味方に配慮するような上品な戦い方は難しいだろう。ユーラシアや赤道がまとまった数の部隊を投入してきた場合に、それを制圧するように用意していたのだ。

 緊急即応部隊が動いたのであれば、各国の部隊はすぐに動かないという事であり、指し当たってシャーレンの投入機会はない。ならば代わりに、あの機体の足止めとして使う。どこまで使えるかは、この際考えない事にした。

 どの道、研究所とバックアップ先の軍内派閥が消えたのである。インとヤンを使う機会もないだろう。

「生データを失うのは惜しいがな・・・」

 最後の未練を口にして、ヤンチャンはモニターに目を向ける。赤と青、二機のシャーレンが輸送機から今まさに切り離されようとしていた。コクピットから聞こえてくるのは、いつもの弛緩しきった二人の会話である。

「スレイと同じって、ホントか」

「最高のコーディネーターの大安売りじゃない」

 そんな言葉に耳を貸すことなく、ただ発進の合図だけを出す。笑い声と共に、砂時計と立方体が地上に向けて加速を始めた。計算通りであれば、敵が峠に到着するより早く接触が出来るはずだ。

 これで軍への義理は完全に果たした。あの二人も二機の機体も、もともとは軍からの要請と予算で作られた物だ。最期くらい軍への奉公をしてもバチは当たらないだろう。輸送機の機長に引き際のタイミングだけを伝えて、ヤンチャンは機内の自室に戻った。

 勝てるとも思っていなかったし、奮戦すら期待しなかった。幾度と無く繰り返したシミュレーションの、いずれかのパターンが現実に起こるだけであろう。最高のコーディネーターとパオペイレンの間には、高く堅い壁と広く深い溝がある。

 それはきっと、ジョージ・グレンを生み出した科学者と自分自身の差に等しいのだ。チン・ヤンチャンはそう自嘲した。

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