Green travelers ~ The another seed ~ 作:VSBR
重力は重く、空気はなお重い。地球に来たザフトのパイロットが最初に感じることはそれである。宇宙空間での活動を前提として開発されたMSは、大気圏内での活動が不得手なのだ。それを運用する艦が、大気圏内を得意とするわけがない。
大気圏内航行が可能とはいっても、宇宙艦は空力を配慮した構造になっていない。全長20メートルに及ぶ巨大なロボットを運用するのである、空力など考えても無駄なのだ。そのため、浮遊航行の場合は高度も速度も出せず、それでいて艦内は常に揺れ続けることとなる。
「大丈夫ですか?」
先ほどの大きな揺れで、命綱一本で宙吊りになっている整備員にフィジェが声を掛けた。開け放たれたコクピットハッチに出て、命綱を引っ張り上げる。横ではイェレの機体が装甲の通電テストを行っていた。
灰色だった装甲は明るさと鮮やかさを段々と増して行き、紫から赤へと虹のように変化していく。最新のVPS装甲は電圧と電流の細かな調整が可能で、それに応じて色合いの微妙な変化が起こるのだ。最後に全身が白くなる。ABP(アンチ・ビーム・フェイズ)と呼ばれる装備で、実弾ではなくビームに対する防御を可能とするのだ。
コクピットからイェレが顔を出し、足元にいる整備員に怒鳴っていた。
「ABPの電力消費が半端じゃない。これじゃ、使えねえんじゃね?」
少し高めの優しげな声、それを気にして言葉遣いをぞんざいにしている彼は可愛いというのがアカデミーでの評判だった。
先ほど宙吊りになっていた整備員が下に降り、フィジェの機体も通電テストを行う。リガリスシリーズと呼ばれているこの機体の調整に携われば携わるほど、そのハイスペックさに驚かされる。ABP装甲など、試作段階という噂しか聞いたことのない装備であった。バッテリーの出力と持続時間、スラスターの推力と燃費、どれも既存のMSを上回っていた。
おそらく問題となるのは補充部品だけだろう。リリトの機体は部品待ちであるため、整備が中断していた。隣のハンガーに立てられているのは曲線的な装甲を基調にし、腰部が大きく絞られたデザインのMSだ。どことなく女性的な雰囲気のその機体はグラティアという名前であった。
「よし、リベルを先に動かす! クラフ少尉、頼むぞ!」
サイドモニターから視線を移したフィジェは慎重にペダルを踏み、MSをデッキに進ませた。そしてバランスを取るように両足を開いて立たせると、各部の武装を展開させる。
翼状のスラスターユニットと一体になった六門のビーム砲、肩部に折りたたまれていたレールガン、腰部アーマーから展開するミサイルポッド、腹部に隠れていた複列位相砲。その上実戦では、両手にビームライフルを持つ。
フィジェの乗るリベルは、火器を満載した支援MSである。火器管制のためのプログラムをチェックし、武装展開のスムーズさ確認した。
ハンガーに戻るリベルと入れ違いに、イェレの乗るフォルトゥーナがデッキに立つ。腰に付けられた二挺の短銃身のビームガンを抜いて見得を切った。
滑らかな動作でビームガンをしまうと、肩部のビーム砲の砲身を抜き取ってビームサーベルを発振させ、掌部からビームシールドを発生させる。ビームの幕が消えると、その両手には実体剣が握られていた。背中のテールスタビライザーの中に斬機刀が仕込まれていたのだ。
フォルトゥーナはクロスレンジ戦闘を想定したMSである。OSの性能を無駄遣いするように色んなポーズを決めるフォルトゥーナに、整備員の喝采が浴びせられる。
ストローから口を離して、リリトは丸い窓の外を眺める。眼下には黄土色に乾燥した草原が見える。今は乾季なのか、それとも進行する砂漠化の現状なのか、そんなことを考えながら、再びストローをくわえた。
カオシュンを出て二日、彼女らは東アジア共和国の西部地域を目指していた。カオシュンでテロに巻き込まれ、気がつけばザフトの対外企画局の人員として連合の部隊に参加している。落ち着いて考える暇もなく、ただ示された選択肢を流されるままに選んでしまったような感じだ。
国家間の壮大な陰謀に関わる身分でもないので、妙に居心地が悪い感じがする。大人達のつまらない妥協の産物が生み出した貧乏くじを引かされた、そんな気分だ。部隊の概要を記したハンドブックをポケットから取り出し、パラパラとめくる。
「あれ、MSデッキじゃなかったんだ」
カシアの声に視線を上げる。地球勤務だから切らずに済んだと喜んでいる長い黒髪を流すように、彼女が駆け寄ってきた。着ているのはリリトと同じ連合の士官の制服であるが、ブリッジクルーのカシアはパンツではなく、スカートだ。それも支給されたものではなく、俗にルナ丈と呼ばれるミニスカートにニーソックスの組み合わせだった。
「どう? ほとんど新調に近い改造だけど」
「自分でやったんだ・・・」
アカデミーに裁縫の科目があればトップで赤服になれたと言うだけあって、よく出来ていた。しかし、それがよく許されたものだと思う。リリトは再びハンドブックに視線を落とす。カシアがそれを覗き込んできた。
彼女らが所属するURF(アージェント・リアクション・フォース。地球連合軍緊急即応部隊)は、非常に特殊な組織である。基本的に連合軍はその名の通り各加盟国の軍隊が連合するものであり、その指揮権などはその都度の条約なり決議によって決定される。
だがこの緊急即応部隊は、地球連合本部の常設軍事委員会が直接管轄する部隊であり加盟国からは完全に独立した部隊である。加盟国間の利害調整機関でしかなかった連合という組織が、初めて独自の実力部隊を持ったのだ。
しかもその部隊の任務は、世界各地の紛争地域に展開・介入し連合による紛争仲裁を軍事面から支えるというものだった。MSに描かれていたのはCとAのマークは、コンフリクト・アービターの頭文字である。この部隊が持つ政治的な影響力が大きいということは、政治を知らなくとも分かる話であろう。
「ようは、アレでしょ。地球の平和を守る正義のヒーロー」
少なくとも、このような認識で勤まる仕事ではないはずだ。そんなリリトの視線を受け止めたカシアが笑う。
「難しく考えすぎ。大人だってさ、バカばっかじゃないって。それに、今ここにいるのは私達なんだから」
彼女の言葉に、リリトは感心する。平和について真剣に考えている大人などいない、そう考える方がおかしいのかもしれない。もしそうだとしても、この部隊の理念には可能性があり、彼女らはその可能性の方向性を握れる場所にいるのだ。
丸い窓の外に、緑の一角が見えた。乾燥化を防ぐための植林事業は、前世紀から続けられている。
艦長の顔色は日増しに良くなっている。ようやく船酔いから脱したのだろう。端正だが頼りない顔の彼は、まだ27である。ユーラシア連邦の高官を親に持つ彼は、部隊発足のために欠かせない人物だったのだと、噂されている。それが過去形で語られているということが、彼の評価であろう。
別に出来が悪いというわけではないが、艦長という職を担うには経験がなさ過ぎる。ユーラシアの士官学校を出たのがレクイエム戦役の年で、従軍経験はゼロなのだ。本人もそれを自覚しているのであろう、やる気はあるらしいのだが言動の全てがオドオドしている。
レセディは副長というポジションの大変さを、身にしみて感じていた。連合本部でのキャリアアップ手段として自ら志願したのであるが、これは下手をするととんでもない閑職になりかねない。
代わり映えのしないモニターから視線を外し、作戦指令書を読み返す。部隊の最初の任務は、東アジア西部地域における選挙監視団の支援である。ユーラシア連邦、ムスリム共同体、赤道連合の四ヶ国が国境を接する地域は、旧世紀から紛争を抱えてきた場所であった。
地球上における最後の核が使われた地域にも程近いそこで、地域の帰属を決定するための選挙が行われようとしているのだ。当然、四ヶ国ともに自国領土の縮小を是とはしないであろうが、武力行使が可能なほど余裕があるわけでもない。
それに付け込んで連合が帰属決定の選挙を取り仕切っている。既に三年以上かけて準備していることもあり、大きな混乱はないと考えられていた。発足してすぐのヒヨっこ部隊にはうってつけの任務といえた。
「・・・楽な仕事なんてさせてもらえるのかしら」
レセディは指令書を閉じる。カオシュンのテロも背後関係は結局分からずじまいだ。連合本部の権限強化を歓迎する勢力などいない。その象徴であるこの部隊に大恥をかかせて、連合本部の思惑をくじこうと考える連中は多いはずだ。
上が思っているほど、楽な仕事になるとは考えられなかった。今度は、コーディネーターの学生を部隊に取り込むなどといった、小手先の対処で解決できるレベルではない。
「すみません、交代しまーす」
ましてやそのコーディネーターは、学生気分のままブリッジに座るような子供なのだ。勝手に改造したミニスカートをはいた女性がCICに潜り込む。それをあっさりと許可した艦長を殴り飛ばしておけば良かったと、今更ながらに思った。
通信員が輸送機の接近を知らせる。後部ハッチを開かせ、誘導レーザーを照射させた。補充の部品が届いたようだ。
デッキからの連絡を受けて、リリトは自分のMSに向かった。先に整備を終えているはずのイェレとフィジェも、デッキに残っていた。二人からMSの性能についての実感を聞き、コクピットに向かう。
二人に先に上がっておけと言っておく。OSをGタイプにしている以上、パイロットに替えはない。休むのも立派な仕事なのだ。少し未練がましい視線に首をかしげながら、コクピットに潜り込む。
プラントと連合の共同開発という話通り、コクピット内部のレイアウトはザフトのMSと微妙に違う。この違和感は早めに消しておかないと、とっさの場合には命取りとなりかねない。各部を確認するように機器を動かしていく。
「あの子らにも、愛想くらい振りまいておきなよ」
コクピットを覗き込んだユンディが笑いながら言う。その意味が分からず、じっとしていると彼女の笑いは苦笑いに変わった。そしてコクピットのコネクターにケーブルを差し込んで、手元のパソコンを操作する。
補充部品の取り付け作業と機体のチェックを同時に行っていくのだ。パソコンのマイクに怒鳴りながら、作業を進める。
「でもさ、意外に普通だよね。ナチュラルって」
ディスプレイを見たままでユンディが言った。
プラントでは過激主義が身を潜め、表向きはナチュラルとの融和が主張されるようになっていた。だがザフトの仮想敵は連合であり、アカデミーでもそれに沿った内容の教育がプログラムされている。声高に主張する者は少ないが、ナチュラルに対する偏見は未だに根強い。
それは連合でも同じはずなのだが、この艦の整備員に限ってはそれをあまり感じないと言う。旅行中でも嫌な目にあったことはあるし、ここにもあからさまな態度をとる者はいる。それでも、プラントで言われているほど酷いとは思えなかった。
ユーラシアのとある民間企業に勤めていた整備員が何人かおり、その人達はコーディネーターとともにユーラシア各地を転戦したとも言っていた。
「ただ、変な偏見があるよね。髪の色が普通だって驚いてたもん」
そのユーラシアの整備員は、コーディネーターの髪の色は橙色やピンクといった色ばかりだと思っていたらしい。亜麻色のショートカットを揺らすように笑うと、パソコンに向かって怒鳴る。
「ダーリン! 部品の取り付け順、逆!!」
リリトはユンディの話を聞きながら、それはどうだろうかと思う。コーディネーターとナチュラルを見た目で区別することは難しい。だが、いざその能力差が現れれば、人の態度など一気に変わるものだ。
そしてそれは、コーディネーター同士でも起こりうる事だとも思う。リリトはキーボードを叩く手を少し緩めた。
旧世紀に喧伝されていたのは、二酸化炭素排出による地球温暖化であった。現に二十一世紀初頭には、極地や高地における氷や雪の減少が実際に観測されていた。このツンドラ地帯も永久凍土の融解が起こっていたという。
その後、高レベル放射性廃棄物の安定廃棄方法の確立と、熱電転換式原子炉の開発が、化石燃料の使用に歯止めをかけるかに見えた。実際には、中東を中心とする石油資源の枯渇が二酸化炭素の排出を低下させたのであるが、地球の気候はそれ以上に予想外の方向に進んだ。
地球全体が寒冷化にシフトしたのだ。過去二百年の平均気温と比べ、地球全体で1℃も気温が低下した。再構築戦争の直接の原因は、この気候変動に伴う食糧生産量の低下である。エイプリルフール・クライシスにおける凍死者の多くは、その年の五月に北半球を襲った大寒波によるものであった。
ニュートロンジャマーによって原子力発電が使用できない現在、地球のエネルギーを支えるのは再構築戦争後に再開発が進んだ極東シベリアの油田とガス田である。大西洋がいち早く月開発を進めたのは、ユーラシアによるエネルギー支配を嫌い核融合炉の燃料となるヘリウム3を確保するためであった。
「少なくとも私はそう理解しているのですが」
二重になった断熱ガラスも、その外側は完全に凍り付いているのだろう。窓枠に雪が積もって外の様子は良く見えない。見えたとしてもそこに広がるのは、白と灰色だけの風景であろう。
ユーラシア連邦の極東北極圏地域、開発からも取り残された広大な雪と氷の大地に、人の営みらしきものがへばりついている。現在の地図にすら正確に存在しない小さな街、それとも広大な私有地であろうか。
その一角の小さな建物の中で、スーツを着た東洋系の男性がささやかなもてなしを受けていた。そのささやかさを、この土地で得るためにどのような努力が必要か、男はすぐに察することが出来る。この職業について得た能力であり、この職業のために必須の能力であった。 男性は、目を通し終えた書類に関する話題のみに答える。
「決算書も計画書も申し分ない・・・すぐにでも投資は可能です」
「国家はエネルギーを武器として使用する。適切な資源配分は市場でこそ可能だと考えています」
微笑なのか嘆きなのかよく分からない表情をした初老の男は、ごくごく当たり前のことを言う。スーツの男性は、視線を交わさないようテーブルの上のカップを見た。
上海第七銀行としても、バイカル湖の北西部での油田開発に文句を付けるつもりはなかった。そちらの案件は、最重要案件として別の部がすでに手がけている。カップの紅茶に口を付けながら、上海第七銀行第三融資部のカヲ・ツォピンは言葉を探した。彼が扱う案件は普通の案件ではない。
目の前の男が、このような辺境の地で何をしようとしているのか、いや何をしているのかを確かめにきたのだ。それが直接の投融資の価値を持つのか、持たないのであればどのような利用法があるのか、それを考え適切な行動計画を上に上げるのが彼の仕事である。
「あなたは、今のお仕事に誇りをお持ちですか?」
「・・・あいにく、形而上学を語れるほど学がなく」
男の突然の問いに、カヲは正面から逃げを打った。その質問一つで、彼は男の危険性を察知する。正確にはそれは質問ではない。結論を導くための前振りに過ぎないのだ。この男は何かを語りたがっている。
その答えに出鼻をくじかれたように、男は黙った。カヲは慎重に相手の様子をうかがう。そして話題を振った。
「アフリカ共同体も、ユーラシアが支援するビクトリア周辺以外は事実上の崩壊。アフリカ解放戦線は南回帰線以北への本格的な拡大を目指しだしましたね」
乗ってくるかと思った話題にも、男は曖昧な表情を浮かべたままだった。もっと直接的な話題にしておけばよかったであろうか。それでも、判断が可能な部分はある。カヲは口をつぐんだ。
質問を装って自分の主張の展開を狙い、自らも深く関わっているはずの現実問題にさしたる興味も示さない。それも、意図的に行っているそぶりはなかった。
融資相手としては非常に危険であろう。契約という原則や信義といった概念に対して敬意を示さない相手との取引は、基本的にタブーなのだ。目の前の男は、まさにそういう種類の人種である。
自分個人の理想、自分個人の理念、自分個人の信念、自分個人の正義、それを無上の価値としそれ以外の価値を認めないどころか、それ以外の価値が存在することを知らないタイプの人間だ。ビジネスの世界では成功するタイプだが、ビジネスパートナーとしては最悪のタイプである。
上への報告には、エネルギー関連分野への投融資にも注意が必要と付記しておこう、文面とレイアウトを考えながら、カヲは立ち上がる。吹雪く前に飛行機を飛び立たせなくては、帰れなくなってしまう。男は丁寧な物腰で彼を見送った。
シャワーを浴びた後らしいさっぱりした表情でユンディが歩いてくる。黒いTシャツにジャージという姿で、タルハと連れ立っていた。食堂のドアをくぐると、四人が既に待っている。三食のうち最低一回は、みんなで食べようというカシアの提案だ。
意識的にそうしなければ、違う部署にいる者同士顔を会わせる機会も減ってしまう。子供じみた発想に見えるが、それはとても重要なことなのだ。
ついこの間までただの学生だったというのは彼女らの間だけの話であり、周囲からどう見られるかは別だ。互いの連絡を密にしつつ、それをオープンな場で行うとことで、周囲の安心も得られる。
「これは?」
「東アジアの何とかって・・・」
イェレがテーブルの上のメニュー表を見る。プラントと地球の大きな違いの一つは、場所が変われば食事が変わるということである。アプリリウスとディセンベルで別の物を食べているという事はないが、ユーラシアと東アジアであれば、食生活はまったく別のものとなる。
それを楽しみと出来る者もいるが、食べ慣れたもの欲する者もまた多い。この艦のクルーは出身国の構成が偏っていないため、色々な物が日替わりで出るのであるが、流石にプラントの料理は出てこない。
香辛料に漬け込まれた発酵食品をフィジェに押し付けるカシアがたしなめられる。日々の出来事はおおむね順調であり、六人の緊張も和らいでいた。
「でも私、副長に目つけられてんだよね」
「スカート改造するからでしょ」
リリトの指摘にカシアが口を尖らせる。食後のお茶を傾けながら、他愛のない話に花を咲かせた。しばらくすると不意に食堂が揺れる。艦が乱気流にぶつかったとアナウンスが入った。
食堂にいたクルーがそれに反応するより早く、ガクンと大きな揺れが来た。テーブルの上の調味料やトレイが宙を舞う。それらが床に落ちるけたたましい音とともに揺れも収まった。食堂にいたほとんど全員が、床に倒れこんでいる。
「・・・流石、コーディネーターだな」
静かになった食堂で、そのつぶやきははっきりと聞こえた。倒れることなく立っているリリトの手の中に、塩や胡椒などの調味料の瓶が七本収まっていた。突然の揺れの中、とっさにそれらを落ちないように受け止めたのだ。
それを言ったものは、単純な感想として言ったのかもしれない。だが言われた方としては複雑な気分になる。リリトは黙ってそれらをテーブルの上に置いて、食堂を出て行こうとする。
「オイオイ、余裕かよ。カッコいいね」
その言葉にははっきりとした棘がある。イェレとフィジェが視線を巡らせた。全体の気まずい視線の中心にいたのは、若い男だった。着ている制服はパイロットのものだ。足を止めたリリトも横目で男を捉えていた。
彼女らの乗る三機以外にこの艦に搭載されているMS、ウェルガーのパイロットだ。もともとは彼らがリガリスシリーズのパイロットとなる予定であったのだが、あの事件によって急遽ウェルガーの追加配備が決定したのだ。
そういう意味で、妙な因縁を持っている相手だった。ユンディとタルハは互いに目配せをする。
こういう場合、真っ先に動くのはカシアなのだが、とりあえず彼女はリリトのフォローに回るだろう。一方フィジェとイェレは、リリトの事になると熱くなりがちだ。二人で分担を決めて、この場を収めようとした。
「女性に対して口の聞き方がなっていないぞ。申し訳ない、マドモアゼル」
その二人より早く動いた人間がいる。黒い肌に白い歯と目が浮き上がっているように見える男性。硬い表情のリリトに近づくと片膝を突いて彼女の手を取る。接吻の仕草にリリトが慌てて手を引っ込めると、男は大笑いして立ち上がった。
「すまないな、フィランディエーレ少尉。タラス、ちゃんと謝れ」
そっぽを向いて出て行こうとする男性は、近づいてきた女性に腕を掴まれて連れてこられる。
「私達の教育不足です。不躾な振る舞い、お許し願いたい」
硬い挨拶とともに男の頭を押えつける女性も黒い肌の男性も、同じパイロットのようだ。がっしりした体つきの二人に挟まれると、タラスと呼ばれた若い男が急に小さく見える。よく見るとまだ子供のような顔をしていた。
急な展開に固まっているリリトに代わって、カシアが挨拶を受ける。食堂の空気が緩んだ。
「おら、みんな片付けだ片付け」
整備クルーの責任者をやっている男性がそう声をかけ、全員で飛び散ったトレイや調味料の後片付けが始まる。その男性は、黒い肌の男性に声をかけた。
「悪りぃな、ヒュー」
「アジズさん、良いとこ取りはないっすよ」
後片付けで騒がしい食堂を避けるようにリリトは自室に向かう。追ってきたのはフィジェだった。歩調を緩めない彼女の隣で、彼は切り出しにくそうに言葉を発する。
「気にするなよ・・・その、俺だって良い気分はしないけどさ」
「別に、気になんかしてないわ」
態度と正反対の言葉を口にするリリトに、フィジェは口をつぐむ。連合の部隊に入った時から、この手の軋轢は覚悟していたつもりだが、覚悟だけではどうなるものでもない。むしろ、大人としての対応を取ってくれる人が多いだけ、こちらが助けられているのだろう。
ならばこちらとしても子供じみた対応は取れない。こちらになんらの非がなかったとしても、リリトの態度ではいらぬ衝突を招きかねないのだ。彼女の硬い横顔を盗み見るようにして、フィジェはなおも言葉を探した。
結局何も言えないまま、彼女の部屋まで来てしまう。リリトは表情を変えずに、彼をドアの外に置き去りにした。パイロット待遇として個室を与えられている事は、こういうときに役に立つ。リリトはベッドに横になった。
「ダメだな、私・・・」
おそらく、他の五人にも出来ないことであろう。反射的に体が動いてしまったのだ。自分の能力を出来るだけ見せずに生活しようと心がけているのだが、とっさの場合には反射神経が勝ってしまう。不便な体だ。
インターホンが鳴った。カシアとユンディの声が聞こえる。寝たふりでやり過ごそうかとも思うが、体を起こしてドアのロックを操作した。心配を口にする二人に、素直に感謝した。良い友人を持ったと思う。
だからこそ、きちんと距離を保っておきたかった。良い友人でいられる距離を。
「ちょっと、聞いてるの?」
考え事をしているのが顔に出ていたのだろうか、カシアの不満顔が真正面に来た。慌てて聞いていると言ったのだが、完全に信じていない顔だ。
「もう一回言うわよ。あのタラスって奴には、親切にすること。分かった?」
「え?」
カシアのことだ、何か仕返しの方法でも考えているのかと思ったら、予想外に大人の反応だ。むやみにコーディネーターとナチュラルの摩擦を増やす必要はない。
「意地悪する奴には親切にしろ、ママの教えよ。普通の人間なら、良心の呵責で一発で落ちるって言ってた」
やっぱり仕返しの方法だった。リリトは思わず笑ってしまう。真面目なアイデアだったのか、カシアは笑われて憮然としていた。表では男三人が待っているのだろう、顔を出して礼を言っておかなくてはならない。
高高度撮影を組み合わせた付近の地形図、接近して撮影された各種の映像、その他目的地に関する様々なデータが机の上に並べられていた。それらの資料を提示しながら、選挙監視団のスタッフが説明を開始する。
「われわれはあくまでも選挙の公正な実施を監督する立場であって、治安その他は各国に任せている状況です・・・ですから、連合が直接動かしているこのトレランシアの戦力に期待せざるをえない」
基地の建物の窓からは、トレランシアと名づけられた艦の一部しか見ることが出来ない。白く輝いていた装甲は、乾燥地帯特有の砂交じりの風で埃っぽい色になっている。補給品のリストには、防塵フィルターとクリーニングオイルが大量に記載されていた。
東アジア共和国の西部地域の街、カシュガル。艦船の補給が可能な基地があるのはここまでだ。レセディは視線を上げ、資料の内容を確認するように言った。
「我々がここに派遣された本当の理由、と言うわけですね」
選挙監視団の支援に、軍艦とMSを派遣する理由。単に実績を上げやすい仕事を割り当てたというわけではなかったということだ。もっとも、その方が理解も納得もしやすい。
領有権について複数の国が争っている土地において、そこに住む人の直接選挙によって決着をつける。これは旧世紀から行われてきた問題解決の方法である。それが画期的な成功を収めた例は存在しないが、それ以外の解決方法が考案されたという例もない。最終的に、選挙結果と言う「国際的な正当性」をもとに問題解決を図っていくしかないのである。
だからこそ、そのような選挙は常に流血の事態を伴うというのが、これまでの常であった。選挙結果を率直に受け止めそれに基づいた新たな枠組みにしたがって行動したくないと考える者、すなわち自分の望む選挙結果以外は全て不公正であると考える者は多い。
「背後関係は? これだけの規模、ただの武装集団ではないでしょう?」
「それが・・・」
資料に載せられている写真に写っているのはMSであった。どれも前大戦時の旧式機ばかりであるが、数は十機以上確認できる。運用を考えれば、それなりの組織がバックアップしなければ不可能であろう。
ユーラシア連邦、東アジア共和国、ムスリム共同体、赤道連合の四ヶ国の利害が錯綜する土地である。背後関係について、確定的な情報を得るのは難しいかもしれない。だが選挙監視団の歯切れの悪さは、それ以上の何かがあると言っていた。
いずれにせよ、艦とMSを使わねばならない作戦であることは確かだ。山岳地帯であるため、飛行可能な艦艇でなければMSの運用は難しいであろう。トレランシアが期待されるのも無理はない。
「分かりました。今後の連絡は密にお願いします。この選挙、必ず成功させましょう。妨害などは決してさせません」
少し上ずった声でマーカスが言った。艦長としての初任務、成功させれば多少の自信はつくだろう。レセディとしても、失敗する気は毛頭ない。
トラレンシアは、明朝にはカシュガルを出発する。南西に三百キロ、パーシヤー渓谷が作戦場所として設定されていた。