Green travelers ~ The another seed ~ 作:VSBR
宇宙港から小型のシャトルを乗せた大型機が飛び立っていく。パイコヌールは発着施設を持つとはいえ、マスドライバーも無く比較的高緯度に立地しているため、飛び立つシャトルは多くは無い。使用されるのも、プラントが使用している地上離陸型のシャトルではなく、航空機に乗せて上空から宇宙に飛び立つタイプが多い。
それでもここが宇宙港と呼ばれるのは、ユーラシア本土にある宇宙艦の打上げ基地だからだ。民生の宇宙港施設よりも、軍事施設の方が質・量ともに充実している。貨車から降ろされているのは、コラ半島より戻ってきたMSである。先日ムルマンスクが陥落した事により、バイコヌールから引き抜かれた部隊は優先して戻されているのだ。
歩いてハンガーに戻るサードダガーや、トレーラーに引かれて移動するウィンダムⅡを眺めながら、男はコーヒーをすすった。
「情勢悪化なんて誰が望んだ?」
「知らないわ」
目の前のプロンドが不機嫌そうに言う。民間施設と隣接しているとはいえ、純然たるユーラシアの軍事施設に易々と入り込んでいるアンジェリカ・マイズナーという女に、彼は呆れを通り越して怖さを感じる。ターミナルのスパイとて万能ではあるまい。
制服姿の人間が数名いるだけの小さな喫茶ブースで、ヒューは久しぶりにアンジェリカと接触していた。自分の正体が露見しそうだという理由で、しばらく会わないでいたのだが、相手の方が痺れを切らせて接触を求めてきた。
形ばかりの報告書のやり取りではすまない感じの雰囲気だ。アンジェリカの視線を避けるように窓の向こうのトレランシアを見つめる。
「何度もフリーダムと接触しているわね・・・それだけでなく、パイロットとも」
「俺じゃねぇよ」
有能だが、自分と同じで組織への執着が薄く見える彼女にしては、ずいぶんと身を乗り出している。それだけターミナルも切羽詰っているという事だろう。彼女の話では、連合とプラントの当局による大規模な摘発から逃れるため、ターミナル構成企業が次々と組織を離脱しているという。ターミナルそのものが、トカゲの尻尾として切り捨てられそうなのだ。
それは取りも直さず、連合やプラントの思惑通りであり、エフライム・ビーンシュトックのシナリオ通りだという事であろう。今さらアークエンジェルとフリーダムを追ったところでどうなるものでもない。今のターミナルのようなただの営利集団に、面子も何も無いであろう。
「それとも、再就職先か? あんたなら、永久就職先の二つや三つ、余裕で見つかるんじゃないか?」
「家事、嫌いなの」
アンジェリカは、二杯目のコーヒーに口をつけながらいう。自分が生き残ろうとすれば、ビーンシュトック派に鞍替えするのが手っ取り早い。シベリアへの手土産に、緊急即応部隊の情報を入手しようと接触したのだ。
だがヒューの報告書には、これまでの概略しか書かれていなかった。目新しい情報はない。口の端を上げている男に、アンジェリカは苛立ちを隠すようにコーヒーを飲み干す。
前大戦時から、各陣営に潜り込んでは情報収集を行っていたという話だが、今の今まで生き残ってきたのはこういう見定めの出来る人間だからだろう。この男はターミナルを見限っているのだ。
ヒューが伝票を持たずに席を後にする。アンジェリカは三杯目のコーヒーを注文した。
午後にはプラントからMSが届く予定であった。主のいなくなったハンガーが二つ、上半身だけが掛けられたハンガーが一つ、トレランシアのMSデッキは少し寒々しかった。アジズの声だけが朝早くから良く響いている。
「サボりか?」
「休憩中よ」
タルハの声にカシアが答える。MSデッキに面したガラス張りの廊下、ディスペンサーの紙コップを持ったまま、彼女はリベルのいないハンガーを眺めていた。爆破処分された機体に代わってプラントから送られてくるのは、スラスターやバッテリーを新型に換装したものだという。
整備班は新品の機体の到着を心待ちにしているようだが、パイロットはそういう気分では無いようだ。フィジェもイェレも、食事時以外は部屋から出てこない。リリトは、今日の夕方病院から戻ってくる事になっていた。着地の衝撃で、捻挫だの脱臼だの色々と怪我をしていたのだ。
幸い重症の怪我は無かったのだが、作戦の事はやはり気にしているようだ。新国境地帯における情勢の悪化は、クルーの耳にも入っていた。次の任務は、越境部隊に対する攻撃ではないかというのが、もっぱらの噂である。
確かにそれは、緊急即応部隊の名誉挽回の機会なのかもしれない。だが、張り切って次に備えるという雰囲気ではなかった。
「君達の行動で変わるほど世界は単純じゃない」
作戦失敗を受けて、アレナがフィジェとイェレに言っていた言葉だ。東アジア軍の越境に伴う情勢の悪化は、トレランシアのパイロットの責任などではない。マクロな視点ではその通りだろう。
だがフィジェもイェレも、持つ物はミクロな眼だけである。その眼から見えるものは、間違いなく自分達の責任なのだ。
既に連合の治安維持部隊はドゥシャンベやカブール、タシケントなどの大都市の基地に撤退しており、NGOなどの民間団体にも退去勧告が出されていた。日に数度は爆破テロのニュースが流れ、軍閥の再武装が宣言されている。今朝のトップニュースは誘拐された連合職員が遺体で発見されたというものだった。
ほんの少しの安定を取り戻すために、準備期間も含めて五年以上の歳月が費やされている。だがそれが元の混乱に戻るのには一週間も必要なかった。そしてこれは防ぐ事ができる可能性があったのだ。
「東アジアの部隊を全滅させれば・・・か」
作戦の目的はそれであった。だが、それが出来るか否かは別である。引き金を引く指を意識しながら、それでも引き金を引けるほどに彼らは訓練されていなかった。引き金を引くことを意識しない訓練しかしてこなかった。カシアは紙コップを投げ捨てる。
昼からリリトの迎えに行くのだ。全員で行くことだけは決めていた。二人は、引きずってでも連れて行く。
窓の外の青空が、白い部屋に微かなコントラストを与えている。小さな病室には、ベッドの主を除いて誰もいない。窓の外から聞こえてくる木々のざわめきと、時折聞こえる廊下を歩く足音、それ以外には何も聞こえない。静けさに溶け込むように、リリトが窓の外を見つめている。
昨日まで巻かれていた包帯も、今朝になって全て外された。固定が必要な怪我もあっという間に治り、退院手続きの終わる時間を待つだけとなっている。自分でも不思議なくらいの回復力だ。
グラティアの脚部が押し潰れ、機体内部の構造にも深刻なダメージを与えるほどの衝撃にもかかわらず、しっかりと生き残っている自分自身。気持ちが良いと思えるものではなかった。最高のコーディネーターである事を、突き付けられたような感じだ。
「そういう風に作られた・・・」
自分自身が存在するより先に誰かの意図が存在し、その意図が自分自身を作り出した。それは否定しがたい事実なのだ。だから、自由を欲した。誰の意図からも解放された、何よりも先に存在する自分自身を。自分が感じられる事から始まり、自分が感じる事へと広がる自分自身を。
自分を取り巻いていた白衣の人間達には、何を感じる事も出来なかった。そんな場所に存在した何らかの意図が、自分自身を存在させた。そんな無意味な事実からは、何も始まらないはずだ。
自身で関わろうと欲する者達の中で全てを感じ、そこから全ての自分自身が始まるのだ。
ならば、彼らは何なのだろう。作られた事実から、何故その受容に至ったのだろう。薬物やインプラントによる精神操作、それが理由だろうか。しかしそれは「自由を求める心」の存在を前提とし、それを操作したと考えているだけだ。
『作られた瞬間に俺は俺』
操作された心が、操作されている事を知りながら、なおその操作された欲求に従うのであれば、それはもはや操作されている事にはならない。丁度、あのブルーコスモスのパイロットと同じだ。自分を世界の駒と言い切った男、彼はどのようにその考えへと至ったのか。
彼は、「青き清浄なる世界」という漠然とした言葉が意図した人間である。彼は言葉の意図が作り出した人間なのだ。しかもリリトのように生み出されたのではない、自ら作られる事を選んだのだ。リリトが解放を望んだのとは逆だ。
彼女が感じられるのは友人達との触れ合いであり、彼女が感じる事はそこから広がる以外には無い。触れ合える者のいない世界を、リリトは感じられると思えない。
ではスレイ・カルガと名乗ったフリーダムのパイロットは、ただの「世界」なるものを感じているというのだろうか。彼の語る世界に、一度として明確な誰かが出てきただろうか。「世界」も「人々」も、顔の無い対象だ。
強化兵士として操作された心に従って戦う。ブルーコスモスとして青き清浄なる世界のために戦う。最高のコーディネーターとして世界の人々のために戦う。最高のコーディネーターとしてプラントのために存在せねばならなかったリリトにとって、どれも不可解な感覚である。
だが、現実にはその不可解さの方が多数なのだ。ヘンリーですらそうだった。それは人のあるべき姿なのだろうか。
「ヤッホー。リリト、元気ぃ?」
静かに、そして深刻に物思いに耽っていた自分がとんでもなく滑稽に思えるほどの声。視線を向けるまでも無くカシアだと分かる。着替えの入っていたバックを投げてよこすと、胸が重そうに揺れる。
呆れた微笑を浮かべているユンディとタルハとは対象的に、イェレとフィジェの表情は沈んでいた。その理由を聞こうと思う前に、カシアが男性三人を部屋から追い出す。早く着替えろということだ。
バックから服を取り出しながら改めて聞く。カシアと視線を合わせたユンディが説明を始めた。コクピット内で痛みに耐えて救助を待ち、そのまま医務室、病院と移動したリリトは、作戦の成否や国境地帯における情勢変化を知らなかったのだ。
二人と同じように沈んだ表情になったリリトに、カシアが困ったように微笑む。
「仕方なかったって、イヤな言い方かもしれないけど・・・でも仕方ない事ってあるじゃん」
服の袖を通しながら、リリトも何とか微笑み返す。しかし、笑える気分ではなかった。あの二機を足止めしただけで、何の役にも立っていなかったという事である。作戦を志願したのは自分であるにもかかわらずだ。
痛くも無かった怪我の箇所が、再び痛くなるような感じだった。肘をさすりながらベッドから足を下ろす。気遣うカシアにもう一度微笑んで、病室のドアを開けた。丁度、目の前にいたイェレと眼があう。視線を逸らすような彼の仕草に、肋骨とは違う場所に痛みを感じた。
気まずい雰囲気を湛えながら、六人は廊下を進んだ。バイコヌール基地の病院であるが、ユーラシアの軍人だけでなく国境地帯から引き上げてきた大洋州の兵士や連合職員、さらには民間団体のスタッフも運び込まれているようだった。病棟はどこもバタバタとしていた。
戻る前に艦に連絡を入れなくてはならなかったため、公衆電話の列に付く。軍事基地の周囲は特にNジャマーが濃いため、携帯電話の類は用を成さないのだ。アレナから借りたカードをヒラヒラとさせながら、カシアは進まない列の先を見つめている。
離れた場所で待っている五人は、松葉杖の男性に眼を留めた。その男性も彼女らを見つけ、危なっかしく手を振って近づいてくる。
「君らもいたのか」
左足にギブスを巻き、顔の左半分を包帯で覆った姿であるが、あの選挙監視団の男性だった。プラントへの電話を終えたところだという。
「何、見かけは大げさだがすぐ治る」
心配そうなリリト達を他所に、男性はそう言って笑った。椅子のあるところに移動して座ると、事情を話してくれた。武装解除のための最初の会合を軍閥の代表と行っている最中に、東アジア軍侵入の報が伝えられたそうだ。
そのため武装解除自体が東アジアの策謀と疑われ会合の場は一転、男性達の交渉団は危うく拘束されるところだったという。幸い、護衛についていた部隊がいち早く交渉団を救出して撤退できた。
「無事と言ってもコレだがな。それに追撃してきた軍閥と交戦した隊はかなりの犠牲者を出した」
その部隊は大西洋から派遣されていた部隊で、事態を重くみた大西洋政府は早期収拾の見込みが無い場合は派遣している全部隊の引き上げを示唆している。
タイミングの悪さもあって軍閥の武装解除は、その計画を大きく後退させているという。事実上、一から計画を練り直さなくてはならない状態だった。それだけではなく、農業支援など民生分野における支援計画も、軒並み無期限の延期や計画の見直しを余儀なくされていた。
わずかに一部団体が残って活動を継続しているが、それらの団体も安全は全く保障されていない。民間団体の保護を理由に、赤道連合が部隊の派遣を計画しているという情報もある。
「最低限の人道物資の輸送すら困難になっているからな」
早い事なんとかしなければと言いかけて、男性は口をつぐんだ。電話から戻ってきたカシアを含めて、六人の様子がおかしい事に気付いたのだ。何かに耐えかねるように口を開いたイェレの言葉に、男性は驚く。
「ごめんなさいって・・・君らが何かしたのか?」
「私達・・・その、東アジア軍の侵攻を止めるために出撃して・・・でも止められなかった・・・」
リリトの言葉にもう一度驚いた顔をする。
「君らの作戦地域は、タクラマカンの東端だったんじゃないか? 確かそんな話を護衛の部隊がしていたが」
「その後です」
「・・・専門家ではないので分からないが、あの船はそんなに早く飛べるのか?」
説明にはしばらくの時間を要した。一応理解はしたという顔を見せた男性は、顎の不精髭を撫でた。そして、目の前の六人が沈痛な表情を見せているのは、どうやら自分達のミスが今の状況を生んだと考えているらしい事までは理解する。
彼としては、東アジア軍の暴走を止められなかった連合や、その後の収拾に手間取る東アジア政府、東アジアの動きに刺激されるように部隊の増強を図るユーラシアや赤道には、色々と文句を言いたいことがある。時間をかけて築き上げてきたささやかな成果を、ものの見事に更地にされたのだ。文句を言ってどうにかなるのなら、延々と文句を連ねたいところだ。
だが、そんな暇がない事が分かっている以上、口より先に手を動かさねばならない。ましてや最前線のパイロットに言う文句など何もなかった。
「何、時間をかければ出来た事だ。また時間をかけて築いていけばいい」
「でも・・・」
「責任は未来に対して感じるものだ。過去に対して感じるのは責任ではなく後悔だ。後悔なら・・・そろそろ切り上げた方がいい」
男性は片足で立ち上がり、松葉杖を取った。怪我が治り次第プラントに戻って、今後の計画を立て直すという。プラント政府から嘱託を受けて、この地域における人道援助計画の実施部門に勤める事になっているそうだ。連合の人道援助部門や他のNGO団体などと協力し、事態沈静化後速やかに行動に移るための準備が進められているという。
そして再び、危なっかしく手を振りながら病棟の方へと戻っていった。六人は、表情を変える事無く、その後姿を見つめていた。
スクリーンに映される資料に欠伸を噛み殺した。プラントから届いた三機のMSについての説明には、別段の興味も持てなかったのだ。グラティア、リベル、フォルトゥーナ、ともに外見に差異はないが、スラスターやバッテリーの強化、駆動機関の新調などによって、その能力は大幅に向上していた。
それに伴って、従来のウェルガーの能力では共同作戦に支障をきたすことから、ウェルガーの強化案も提示されていた。追加装甲と一体化したスラスターユニットの装着と外装兵器の増設である。緊急時にはパージできる仕組みらしいが、高価な鎧をそう簡単に捨てられるのだろうかなどと思う。
だがそうやって新型の装備を用意してくれたという事は、次の作戦は厳しいものになるということだろう。マーカスは早く本題に入ることを願う。
「東アジア軍にかかってるのは面子だけではありません」
スクリーンが消され明るくなった会議室で、連絡調整官であるワン・グイシンが静かに言った。そして独力での事態収拾に動いていると付け加える。
ロップノル研究所の襲撃によって、軍内強硬派を押さえて主導権を握るはずだった穏健派は、逆に今回の事態で軍の掌握に失敗したことが露呈してしまったのだ。それは東アジアの複雑な国内情勢にも敏感に関わってくる。
だからこそ、今度は連合の力を借りずに自力で強硬派を抑えたいのだ。連合軍に借りを作りすぎては、連合内での発言力にも影響してくる。
加盟各国が緊急即応部隊の国内での行動を容認するのは、安い外注戦力として利用できる時であり、なおかつそれが自らの権益に影響しない時である。逆に自らの権益が脅かされるのであれば、決して外注戦力などに任せたりはしない。
コラ半島のブルーコスモス攻撃の時と同じである。あの時も、ユーラシア軍の面子と権益が脅かされると判断されたとたんに、トレランシアは用済みとなった。
「しかし、面子はこちらも潰されています」
レセディが同じように静かな声で言った。マーカスは黙って、その美しい唇が冷たい言葉を紡ぐのを見ていた。
実力行使による紛争の仲介やその防止を目的として、連合本部が独自で動かせる部隊を作ったのは、加盟各国による軍事行動を容認しないというメッセージである。中東やアフリカでは、曲がりなりにも連合が主導してその紛争終結に動いていた。
しかし今回の一件で、加盟各国は再び独自の軍事行動による紛争解決の道を模索しかねない。それは権限強化を狙う連合本部としても面白くない事態である。
だからこそ、自らの手で解決に動きたいのだ。
東アジアの越境部隊は正規の補給を受けにくい事から、トレランシア単独でも複数回の攻撃で十分な打撃を与えられると踏んでいた。
「そのための新型と追加装備です」
はっきりと言い切るレセディの声にも、ワンの表情は動かない。実際には双方共に上層部のメッセンジャーに過ぎないのだが、現場には現場の面子がある。トレランシアとしては簡単に退けない。
互いの情報を交換しながら、時折鋭い言葉が行きかう。丁寧な言葉遣いに包まれた激しいやり取りに、マーカスは口を挟むのをやめた。
会議室の電話が鳴り、近くにいた係員が受話器を取る。軽い受け答えの後、ワンが電話口に呼ばれた。柔らかい物腰で電話の応対をする彼の声色が変わった。マーカスは伏せていた視線を上げる。
何度も確認するように質問し、取り出したメモに走り書きをしていく。あくまで冷静な様子であるが、その手元は会話の内容の重大さを伝えていた。受話器を置いたワンが席に戻る。
彼が突然切り出した話に、マーカスもレセディの耳を疑う。だがワンはそのまま会議を切り上げ、事態への対応に向かった。
リリト達が艦に戻ると、既に新しい機体や装備の搬入が始まっていた。ユンディとタルハは慌てて更衣室に向かう。またしばらく、二人は忙しくなるのだろう。そのままバラバラと別れ、自室に向かう。制服にだけ着替えると、イェレはリリトの部屋をノックした。
中から返事がある前に、通りかかったアレナが医務室だと教えてくれる。処方箋の提出をしなくてはならないのだ。あの白衣がいなくなって、医務室も普通の場所に戻った。
「少しいいかな」
イェレのその問いを予期していたかのように、医務室を出た彼女は先に立って歩き出した。艦内の数箇所に設置されているドリンクのディスペンサー。甘すぎるアイスコーヒーが出てくるため、もっとも利用者の少ないそこを選んでリリトが立ち止まった。
軽く体重を預けられるようにしているクッション付きのバーに寄りかかり、二人で甘すぎるアイスコーヒーを口にする。何度か言葉を切り出そうとするが、その度に二人の言葉がぶつかり仕切り直しとなる。リリトはイェレに言葉を譲った。彼は唇を湿らすようにカップを傾ける。
そして問いかけた、どうして誰も責めないのだろうと。
艦長も副長も作戦経過報告を受け取るだけで、その結果については何らの言及もせず、逆に無理をさせたと謝られた。アジズには機体を爆破した事を言われたが、それも生還を喜んでの言葉だった。ヒューもアレナも慰めてはくれるが、自分達の犯したミスについては何も言わない。選挙監視団の男性もそうだ。
彼らは、東アジア軍の行動を阻止するために、それを攻撃し撤退に持ち込まなくてはならなかった。一部部隊には越境を許したが、間に合わなかったわけではない。ちゃんと攻撃すれば、反撃準備の整っていない敵は容易に壊滅できたはずだ。
だが結果は数えられる程度のMSを破壊し、その侵攻スピードを数時間遅延させただけであった。そして国境地帯を再度の混乱に陥れた。イェレが唇を噛む。
「・・・それって、取り返しの付かないミスなんじゃないか?」
少し青ざめたような彼の顔に、リリトは視線を向けられなかった。どう、応えればいいのだろう。少なくとも、自分に答えを口にする資格はないように思えた。
砂時計と立方体を撃墜した事は事実だ。だがあれとて、最初から全力で当たれば短時間で終わらせられたのではないだろうか。撤退を待つようにその武器を破壊するのではなく、最初からコクピットだけを狙えば。
「私には・・・」
「ざけた事、言ってんじゃねぇよ。ガキが」
廊下の角から姿を現したタラスが、呆れたような口調で言う。彼は数少ないこのディスペンサーの愛好者なのだ。頭を使うと、どうしても甘いものが欲しくなる。
「お前ら三人で中央アジアの平和を守ってるつもりか。どこまで単純に出来てるんだ、その頭の中の世界観は」
「でも、あれは・・・!」
「そもそも東アジアの特殊部隊が治安部隊の基地を襲撃した時点で、終わってんだよ」
一杯目のアイスコーヒーを飲み干したタラスは、もう一杯をコップに注ぐ。そして、自惚れるなとだけ言うと、廊下の角に姿を消した。
リリトはそっとタラスを窺う。唇を噛み締める彼は、握り締めた拳を震わせていた。だが彼女には、タラスの言葉の意味が分かるような気がした。
この地域に関わる人は、数多くいる。平和と安定を望んでいる人もたくさんいる。今の状況に、後悔を抱えている人もたくさんいるのではないだろうか。しかしその人達は、既に次のステップに移ろうとしている。過去への後悔を切り上げて、未来への責任に目を向けている。
そういう人達から見れば、困難の全てに責任を感じるように打ちひしがれるのは、自惚れ以外の何物でもないだろう。現に、彼女らがこの地域に果たした役割は、それほど大きなものではないのだ。
選挙の準備や実施を行い、地域社会の福祉向上に尽力し、人道支援や経済復興を手がけていた人達は、もっと今の状況に心を痛めているだろう。だがそういう人ほど、次の準備に取り掛かっている。
自分達に本当に必要なのは、きっとそういう事なのだ。終わった事ではなく、これから始まる事のために思い悩むべきなのだ。
フィジェがリリトの部屋をノックしたタイミングを見計らうようにして、カシアがやって来た。そしてリリトが部屋にいない事を告げる。どこにいるかと聞く彼に、リリトとイェレが何か話していた事を伝えた。
表情を隠すように踵を返したフィジェを呼び止める。彼の傍らによって、挑発するように言う。
「リリトでなきゃ、ダメな話? 話なら、聞けるわよ」
「・・・カシアはパイロットじゃない」
「だからこそ、聞ける話もあるんじゃない?」
彼の腕を取る彼女の手は、離さないという意志を伝えるように強く握られている。根負けする前に、フィジェは肩を落としてカシアを自分の部屋に誘った。流石に驚いた顔のカシアに、一矢報いたような気分になる。
備え付けの小さな保冷庫からジュースのパックを取り出してカップに注ぐ。カップが空になっても、話の切り出し方が分からなかった。アルミのカップの鈍い銀色を見ながら、フィジェは搾り出すように言う。
「撃てなかったんだ・・・」
MSを載せたトレーラーや電源補給のための車、それを眼下に見下ろした時、彼は引き金を引くのをためらってしまった。
作戦の内容は理解していた。反撃される前に一気に攻撃し、壊滅的な打撃を加えることによってその侵攻を止める。それが間違いなく可能な状況だった。だがフィジェは撃てなかった。それはきっと、
「フリーダムと同じだ・・・」
憎んでさえいたフリーダム。自分の家族を崩壊に追いやったその機体とパイロット、戦争の中で人殺しから目を背ける卑怯者。人のあり様に目を向けず、単なる生死だけを判断基準にするテロリスト。だがフィジェは、フリーダムと同じ事をしてしまった。そして、アフリカで聞いた言葉を思い出す。
『生きていれば、共に苦しむことが出来る』
その言葉を言った人は、自分にはもうそれが出来ないと言った。
崩壊していても家族のいる自分は、それを失った人よりも幸福なのか。トレーラーの中の運転手に思いを馳せてしまったが故に引き金を引けなかった彼と同じように、フリーダムのパイロットもコクピットの中の人間に思いを馳せしまうが故にそこを狙わないのだろうか。
だが、その小さな欺瞞が生んだ結果は最悪であった。彼が救った敵の命の、一体何倍の人が罪もなく死んでいくのだろうか。フリーダムが救った父の命が、それと引き換えに家族の関係を殺したように。
「だから俺は、撃たなきゃ・・・殺さなきゃ、いけなかったんだ」
それがMSのコクピットに座るということであり、リベルのパイロットとしてトレランシアにいるということである。
その言葉に、カシアは胸を締め付けられる。その言葉が、正しいと思えなかった。理由より先に、間違っていると思った。だから、それをそのまま口に出す。フィジェの視線がぶつかった。
「・・・オペレーターの感覚だよ、それは」
「それは関係ないわ」
「だったら、正しいのかよ! こんな事になったのは俺の・・・」
「違う! 結果じゃないわ、その言葉が間違ってるのよ!」
フィジェの泣きそうな視線に、同じ視線を返す。自分達が今いる場所は、学校ではなく戦場だ。だが、それが理由になるのだろうか。人を殺さなくてはならない、そんな言葉が正当化される理由に。
「紛争を解決して住んでいる人を助けるための部隊じゃない、私達。それなのに、殺さなきゃいけないなんて・・・言っちゃいけないはずだわ」
「そんなの・・・矛盾だ」
「だったらその矛盾をやっていくべきだわ。どっちかが嘘だからって、捨てる必要なんて無い。嘘だって、ちゃんと持って歩くべきだわ」
フィジェは黙った。それはきっと辛い生き方だ。その嘘の向こう側に広がる現実を、常に意識していかなくてはならない生き方だ。それでもなお嘘を捨てないなど、出来るのだろうか。
だが、浮かんだ涙を拭ったカシアの目は、迷っている瞳ではなかった。そして不意に、その瞳は美しいものだと気付いた。
バイコヌールの空港は、輸送機がひっきりなしに行きかっている。事態の急変に伴って、その慌しさが増したようだ。連合のマークを付けたMSやユーラシアのマークを付けた戦闘機が、右往左往しているのが見えた。空港の少なからぬペースを占有しているトレランシアは、多少肩身が狭くみえる。
だがそのトレランシアも既に出発の準備を整えていた。つい先ほど、正式に次の作戦が発令され、明日早朝にはバイコヌールを経つ事になっていた。新調された機体はワックスまで綺麗に塗られ、MSデッキの照明を反射してキラキラと輝いている。
だが整備員は少なからず不安げな顔をしていた。以前の機体のデータは移植しているとはいえ、十分な慣らしもないまま戦闘になりかねない。しかも次の目標は大天使だ。
「哨戒飛行でも何でも小まめにやらせた方がいいな」
ユンディの持って来た書類にサインをしながら、アジズが指示を付け加えた。目的地はシベリア奥地、距離にして5000km近くある。一週間くらいは余裕があるはずだ。今回の作戦は、色々と予想外のものであった。
東アジア軍の越境部隊が駐屯していた基地が、大天使の襲撃を受けて壊滅。全ての大型兵器を使用不能にされ、東アジア軍越境部隊は撤退した。そのまま部隊は解散させられ、東アジア政府はこの件を反乱軍による違法行動として選挙によって確定した国境を遵守するという声明を発表した。
東アジア・ユーラシア・赤道の三ヶ国の間で高まっていた緊張は緩和し、連合本部は事態の急転をそのまま利用する形で、本国へ撤退しかけていた治安維持部隊の再派遣を決定、中央アジア地域の安全を宣言し民間団体の入域を許可した。崩壊しかけた中央アジア地域の安定化策は、土壇場で救われた形となったのだ。
だがそれは連合の面子に関わる問題でもあった。有効な手を打てなかった東アジア越境部隊をテロリストが排除してくれたことによって、事態が打開できたなどと認めることは出来ない。そこでトレランシアによる大天使追撃作戦が急遽発令されたのだ。しかも、その根拠地に対する攻撃である。
「ずっと前から、知ってたんだな・・・連合は」
「そういうものでしょ」
アンジェリカ・マイズナーがつまらなさそうに言う。ターミナル関連の各種口座が全世界で一斉に封鎖される。それに合わせるように、現在ターミナル直系で唯一の実力部隊を有するビーンシュトック派に対して軍事行動が行われる。
再就職先まで失ってしまうとは思わないが、展開は自分が思っていたよりずっと早い。腕時計を見て立ち上がるヒューに、アンジェリカはコーヒー代を請求した。