Green travelers ~ The another seed ~ 作:VSBR
シベリアから直接北米大陸に向かう予定だったトレランシアは、進路を一旦南に向けた。東アジア軍の幹部が、先の国境地帯における混乱について、緊急即応部隊の責任者との会談を求めてきたのだ。本部ではなく現場の人間と話したいという事は、率直な謝罪であろう。
宇宙艦を着陸させるような場所はなかったので、最寄りの軍演習場にトレランシアを停泊させた。そこから連絡機で長春まで移動する。空港からの移動は車だった。市街地は活気に満ちている。
「スポーツの大会があるんですよ」
車を運転する男性が教えてくれた。陸上の東アジア選手権が長春で行われるそうだ。暑苦しいタレントが、街頭の大型テレビの中で何かを叫んでいる。東アジア軍の幹部は、テロ対策の責任者として現地入りしていたのだ。その合間を縫っての会談であった。
トレランシアの立ち寄りを求めたのには、そういった理由もあるのだ。爆弾テロを考えるような連中に宇宙艦やMSが何の牽制になるかは分からないが、お守りくらいの効き目はあるのだろう。
街の中心に近づくにつれて、渋滞もひどくなっていた。交通規制やら検問やらで、車は止まっている時間の方が長くなる。
スモークガラス越しに歩道を眺める。東アジアを象徴するような雑多な人ごみであった。貧富の格差など前世紀から言われている事であるが、解決の兆しくらいは見えているのだろうか。マーカスは、物乞いらしき男に目を留めた。そしてレセディの袖を引っ張る。
怪訝そうにマーカスを見た彼女は、彼が指差す人物を見る。偶然に顔を上げた男の顔には見覚えがあった。いや見覚えどころか、よく知っている人物だった。
「グスタフ・ユングリング・・・ですよね?」
確認するようなマーカスの声に、レセディは大きく息を吸った。そして短く、違うとだけ言って前を見る。ようやくやってきた白バイの先導を得て、彼女らの乗った車が渋滞を抜け出す。
テロリストに誘拐されたスカンジナビア王国皇太子、グスタフ・ユングリングは未だ行方不明、それ以上でもそれ以下でもない。今さら彼がのこのこ登場したりすれば、せっかく落ち着きかけたスカンジナビア情勢は混乱し、連合との友好関係にもヒビが入る。だからあそこに居たのがグスタフであっても、グスタフではないのだ。
レセディには未練も感慨も無い。何の因果かこの街で物乞いをやっている彼が、いくばくかの現実を知って成長する可能性など、皆無以下であろう。一度だけ振り返ったマーカスは、意味ありげな息をついて、そのまま黙った。
物乞いの男は車に興味を向けず、道行く人々に視線を向けていた。
轟音と共にティルトローター機が上昇していく。その突風に髪を吹き煽られながら、女は焼け野原を見渡す。地面に点在するひしゃげた鉄骨は、マスドライバーを支えていた柱であろう。ある程度予想していたとはいえ、あまり気持ちの良い光景ではなかった。ただでさえ寒々しいシベリアが、さらに寒く見える。
大型のヘリが、着陸と離陸を繰り返していた。もっとも、何か重要な手がかりのようなものが見つかるとも思えない。一番重要なものは、今は宇宙だろう。
「ミス.マイズナー、よろしいですか」
連合の階級章をつけた男がかしこまって彼女を呼んだ。女は面倒くさそうな仕草で男の後をついていく。職員の詰め所になっているユニットタイプの建屋に通されると、その奥の部屋には遺体袋が一つ転がっていた。男は無言でジッパーを開く。
流石のアンジェリカもしばし絶句した。そこに横たわるのは、エフライム・ビーンシュトックその人だったのだ。その衝撃から立ち直ると、自分が連れてこられた理由を思い出す。確認作業を求められているのだ。
「少なくとも、私が会っていたのはこの人物でしょう・・・」
語尾を濁すのは、それがエフライム・ビーンシュトックである根拠などないからだ。顔など整形でいくらでも作り直せる。DNAデータでさえ、どこまで信用できるかは分からない。この死体が影武者の死体である可能性もあるのだ。
おそらく、男も同じ事を考えていたのだろう。そのままアンジェリカを部屋から出した。
しかし彼女には、それがエフライム・ビーンシュトック本人である確信のようなものを持っている。リスペクトといえば聞こえもいいが、ようはオーブ解放作戦のパロディを演じたという事だ。むしろそう考えた方が色々と説明もつくというものだろう。彼はターミナルの最も先鋭的な人物なのだから。
冷たい風に吹かれながら、アンジェリカは建屋の外に出る。マスドライバー以外の施設は直接自爆したわけではないので、意外と原形を留めていた。何となくそちらに足を向ける。
ターミナルという組織が確立したのがいつかは定かではない。だが前大戦時には、既にその骨格は存在していた。しかしその目的ははなはだ不明確である。アンジェリカ自身、今となっては組織の明確な目的を分からないと感じている。ロゴスと呼ばれた産業資本の地下カルテルと利害を異にする金融資本のカルテル、それはあくまで一つの側面でしかない。
何故ならそういった側面は、常にターミナルの本質的な行為によって押さえつけられていたからだ。その結果、ターミナルはロゴスよりはるかに短命で潰えることとなった。
「・・・反抗か」
ターミナルの本質とはこの一言であろう。ただ反抗のために反抗する、そこに理由など必要ない。地球圏の各地でターミナルが行った事は、全てこれで説明が付く。連合もプラントも関係なく、ただ反抗する。彼らにとって、秩序とは抑圧であり平和とは欺瞞なのだ。
故に反抗する。混乱と戦争を求める。
しかしそれができたのは、決して戦争に負けない暴力装置、すなわち「核動力MS」と「最高のコーディネーター」が存在したからにすぎない。戦争の収支計算が常にプラスなのだから、戦争をやめるインセンティブは皆無である。
ユニウス条約の時には、それを十分に理解できていなかった。そのためターミナルの主要人物をシステムの外に放逐してしまった。反抗だけが存在理由の彼らにとって、システムの外部ほど居心地の良いものはない。彼らは核動力MSを隠匿し、連合の宇宙艦を私的に流用し、プラントの兵器開発セクションを抱き込んで反抗のための力を蓄えた。
その結果がレクイエム戦役における、連合軍とザフトの壊滅である。
しかしこれによってプラントと連合は彼らの本質を知った。彼らをシステム内部に取り込み封じ込め、全ての力を削いだ上で放逐した。ターミナルの力の源泉であった暴力装置は解体され、木星圏へと飛ばされた。
だがもし再び同様の暴力装置を手にすれば、ターミナルは再び反抗を行う。それがエフライム・ビーンシュトックだ。彼らが行っていた事は、かつてターミナルが行っていた事と寸分の違いも無い。そこのあるのは反抗のための反抗だ。
彼らが声明を出さないのは、出せないからに過ぎない。理由のある反抗ではなく、反抗するための反抗だからだ。経済的な合理性、政治的な必然性、そういったものが一切無い以上、彼らに語る言葉はない。
「だから行動が過激化する・・・」
マスドライバーを自爆させ、自決を選ぶなど、過激化する行動の最たるものだ。だが言葉が無い以上、行動が何かを語る事は無い。語る言葉を持つ者だけが、行動でその言葉を示せるのだ。ビーンシュトックは何も語ることが出来ずに、ただ自己陶酔の中で死んだ。
しかしそれはターミナルの人間として、もっとも相応しい死に方なのかもしれない。きっと満足して死んだのだ。
アンジェリカは小さなため息を一つ残して踵を返した。再就職先は失ってしまったが、就職活動は継続中なのだ。自己ピーアールはしっかりしておかなくてはならない。
眼下に見えるのは、穏やかな海原であった。海面に巨大な影を映しながら、トレランシアは太平洋上を東に進む。
「ハワイに寄るんじゃなかったの?」
久しぶりの六人揃っての食事、カシアは残念そうに言った。寄港して自由時間が取られるはずであったのだが、先方の都合で直接大西洋連邦の本土に向かうことになったのだ。海水浴の予定が消えたとボヤいている。
だが彼女のぼやきも分からないではない。シベリアでの作戦から、トレランシアは飛び続けなのだ。長春でもミサワでも、艦から出る休息は与えられなかったのだ。スケジュールがかなりタイトであるらしい。
長春を後にしたトレランシアは日本海を横切り、大西洋軍の基地であるミサワに立ち寄っていた。そこで僅かな補給と休息を取ると、次の作戦に向けて太平洋を渡る事となったのだ。目的地は南米、連合による領域内部への干渉を嫌っていた大西洋連邦としても、自前での懸案処理は限界を迎えているのだろう。
緊急即応部隊としても、取り逃がしたアークエンジェルが次に現れる可能性のある場所への派遣は願ったり叶ったりである。南米は前大戦時より、混乱が続いていた。アレナはタラスの質問に答えて言う。
「前世紀の終わり頃から、南米は北米の裏庭ではなくなっていたからな」
再構築戦争で南北アメリカ大陸は一つに統合されたのだが、その名称に「アメリカ」ではなく「大西洋」の名を冠した事からも、この国の性格が見て取れる。北米が主であり南米は従なのだ。大西洋連邦の大西洋とは、北大西洋に他ならない。
そもそも北米と南米では、言語も宗教も民族も異なるのだ。カリブ海には長らく社会主義国が存在し、南米大陸では幾度か左派政権が誕生した。
これらの事を踏まえて、再構築戦争で大西洋は南米の左派勢力を抑えるために、南米各地に軍事政権を樹立させた。しかし左派勢力や先住民族などを糾合した組織が、前大戦時にプラントの支援を受けて南米独立を宣言している。当然、大西洋連邦はこれを認めずに軍事介入をしていた。
「問題はレクイエム戦役の後、大西洋の軍事的プレゼンスが低下した事か」
タラスはそうつぶやいてノートを取る。トレランシアの次の目標は、南米のとある軍事政権である。
南米を支援していたのはプラントでもクライン派に近く、ターミナルも深くそこに関わっていた。これらの影響力が弱まるにつれて、大西洋の影響力は強くなっていくはずなのだが、レクイエム戦役のよる疲弊で大西洋は南米に対して十分な影響力を確保するに至っていなかった。
そのため、もともとは大西洋の支援によって南米の各地に作られた反独立派の政権が、大西洋のコントロールから離れ出したのだ。それらが互いに小競り合いを繰り返し、さらには独立派武装勢力も加わっての騒乱となっていた。さらには麻薬マフィアや民兵も入り乱れ、現在の南米の情勢はアフリカと同じようなものであった。
ただ国家という枠組みはアフリカよりも確立しており、旧世紀の国境線をほぼ踏襲する形で政府が成立している。もっともそれにも一長一短があった。
要するに大西洋は、自国が主導して作った政府をコントロールできなくなり、その後始末を連合に頼もうというのである。それは単に面倒な仕事を押し付けたわけではなく、南米に親連合の政権が誕生することを大西洋が認めたということであった。
「本部は、乗り気でしょうね」
ルチアーノからの命令書を受け取ったマーカスは、ため息を堪えて言った。レセディは何も答えないが、その目は同意を示している。
小さな窓からは広い海も小さくしか見えない。昇りきった朝日は、海と空を違う青に染めている。半ば物置として使われている展望スペースで、リリトはコーヒーのカップを傾けていた。限界高度を巡航速度で飛んでいるので、甲板に出て潮風に当たるというわけにはいかない。
「思えば遠くに来たもの・・・か」
その言葉は、単に距離の事を指している言葉では無いだろう。リリトが今立っている場所は、アカデミーにいた頃の自分とは大きく隔たっている。成長と呼ぶにはまだ頼りない小さな変化だが、それでも遠くであると感じる。しかしそこから見ても、彼女には行き先が見えない。
「世界」なるものが、その行き先に靄のように立ち込めている。
中央アジアで、中東で、アフリカで、ユーラシアで、彼女は様々なことに出会ったはずだ。大きな問題から小さな問題まで、解決が求められる問題で世界は埋め尽くされている。
しかしそれらの問題に対して、リリトは手を差し伸べる理由を持たない。それらの問題に携わっている人、解決を模索している人達が、何故そのようなことを出来るのかが彼女には分からない。ただ一ついえる事は、その人達は決して「世界」のためなどに動いていないと言う事だ。
それは「人々」のためですらない。彼らが相手にしているのは、そんな抽象的な概念ではなくもっと具体的なものだ。
ではリリトにとって、具体的なものとは何であろうか。
「おはよう」
イェレの声に振り向く。リリトにとって具体的なものは、きっとこの範囲なのだ。彼女は彼の手を取って、しげしげと見つめる。
「・・・え、何?」
突然の彼女の行動に、イェレは心拍数の上昇を感じた。男性と女性では、スキンシップに関する閾値が異なるというのは良く聞く話だが、だからと言っていきなり手を握られてドギマギしないでいられるほど、彼は純朴さを失ってはいない。
窓から差し込む光が、彼女のブロンドに揺れる。その睫毛の長さに思わず見とれてしまう。もしもその美しさを表現する言葉があるとすれば、それはきっと「愛している」なのでは無いだろうか。イェレはそんな思いに酩酊した。
だから、彼女の視線が別の場所に移った事に気付かなかった。不意に手を離され、リリトが笑みを浮かべて彼の横を通り過ぎる。
「おっはよ、カシア」
「あ、ちょっと、何? いきなり」
リリトがカシアにじゃれるように抱きついていた。まだ陶然としているイェレを誘って朝食にする。
彼らのためであれば、リリトは疑問を持たない。それは彼女にとって最も具体的なものなのだから。しかし同時にこう感じていた。自分はこの具体性の範囲をもっと広げたいのでは無いだろうかと。
そして思う。フリーダムのパイロットは世界の全てを、具体的に感じているのだろうかと。
トレランシアが到着したのは大西洋の首都ではなく南米への入り口、パナマであった。前大戦時、ザフトによって使用されたグングニールと呼称される特殊な電磁波兵器によって、大西洋の所有するマスドライバー、ポルタ・パナマは崩壊した。しかしパナマの戦略的価値は全く減じていない。前世紀より大西洋と太平洋をつなぐのはここの運河なのだ。
その領有権をワシントンが完全には掌握できていないという事が、大西洋の退潮を物語っている。現在パナマ運河は、パナマ政府が管理している。パナマ政府自体は大西洋連邦の構成国であるが、広範な自治権を認められた事実上の独立国家であった。
クルーにはようやく陸の上での休息が与えられるが、責任者には次の仕事が待っていた。マーカスが握手をするのは大西洋連邦の高官である。
「うちはまだまだ混乱のさなかでして」
コーヒーに口をつけて一息ついた男性が切り出す。温厚そうな顔の男性だが、肩書きは最高位なのだろう。そんな人物が直接出向くのだ、マーカスは顔を引き締める。
レクイエム戦役に先立つ、俗に「ロゴス狩り」と呼ばれる暴動で大西洋は大企業の幹部クラスを多数失っていた。そのため復興への動きは鈍く、国内は戦争の爪あとを色濃く残している。
二度の戦争では軍の中核だった宇宙軍をほぼ全て失ったため人材の枯渇がひどく、直接自国領が戦場となっていなかったために温存されていた地上戦力も、十分な運用が出来ない状態となっていた。ユーラシア以上に、本音では戦争などしていられない状態なのだ。
それでも何らかのポーズを取って見せなくてはならないのが、国際政治であった。男性はしきりに額の汗を拭う。空調は利いているが、ブラインド越しでも直射日光が強い。
「ギガフロートの接収、失敗したそうで」
レセディが資料に目を落としながら言う。ターミナルへの一斉口座凍結と同時に行われた、ギガフロート接収作戦。名目上は連合軍の行動であったが、実際に動いたのは大西洋であった。
しかしそこを拠点とするジャンク屋組合の頑強な抵抗と、衛星軌道から降下してきたサハク派のMSによって、大西洋軍は目標であったマスドライバーの確保に失敗した。マスドライバーに関する主要施設を破壊され、単なる巨大な人工浮体構造物となったギガフロートは、ただ虚しくハワイ沖に係留されている。おそらくシベリアのマスドライバーは、自爆しなければユーラシアの手に渡らせまいと大西洋軍が破壊しただろう。レセディはそう思うが口にはしなかった。
ただジャンク屋組合の拠点を失わせ、サハク派には数少ないMSを消耗させた事から、連合としては大成功の作戦である。両者とももはや、MSの運用はおろか人員への給与支払いすら出来なくなる。サハク派が逃亡した以上、アメノミハシラも早晩、連合とプラントが接収してシャトルの中継基地にでもなるだろう。
アフリカ解放戦線が連合と共同歩調を取っている事もあり、アフリカからはターミナルやビーンシュトック派の影響力が失われている。地球圏においてターミナル系の勢力が最後まで残ったのが、南アメリカであった。
コーヒーを飲み終えた男性は、本題に入る。次のトレランシアの作戦は、アマゾン上流域の都市・レティシアへの侵攻及び政府関係者の拘束である。当然、トレランシア単独では不可能であり、大西洋軍の特殊作戦団が参加する。
「我々はお墨付きと言う事ですか・・・」
大西洋単独の軍事行動では、国内・国際世論の反発を受ける事は避けられない。地球連合軍の作戦に参加するという形で、軍を動かそうというのだろう。
「それなら良いのですが・・・」
男性は嬉しくなさそうに言う。地球連合の名が無ければ、大西洋連邦内部における十分な発言力すら持てなくなっているのが、ワシントンの現状であった。
現在南米では、アマゾンより南の地域は独立派が五つの政府を抑えており、ここには大西洋の力がほとんど及んでいない。それより北は一応大西洋連邦構成国であるが、太平洋岸の一ヶ国を除いて全て独裁政権であった。どの国も反独立を口実に強権的な支配体制を敷いており、独立運動だけでなく先住民族や民主化要求なども弾圧の対象となっていた。
南米独立阻止のためにそれらを黙認していたのは大西洋自身であるが、それが結果として大西洋連邦そのものの不安定要因になってしまった。政治的・経済的な対話と圧力によって、これらの国を民主化し安定的な発展に導く事は、ほぼ不可能であるというのが前世紀の経験から得たワシントンの結論であった。
「しかし大西洋単独での軍事行動はナショナリズムとテロを誘発する」
「そこで我々の出番ですか・・・」
マーカスは資料に目を落とす。レティシアは南米大陸北部、旧世紀の国名で言えばコロンビアとベネズエラにまたがるヌエバ・コムネーロスの首都であった。大西洋内部でも、特に閉鎖的な国家である。
そこが軍事介入の目標とされたのは大きな要因の一つは、政権転覆後すみやかに民生に移管するための条件が揃っているからであった。その条件も、前世紀からワシントンが学んだ事である。
作戦は首都の政府中枢に対する限定的な攻撃と、特殊部隊での急襲。ヌエバ・コムネーロス全域での戦闘は考えておらず、戦後の政策については既に連合本部とともに策定していると言う。
レセディは了解の意志を示しておいた。この作戦の裏にうごめく様々な意図の全てを聞いていては、翌朝になってしまうだろう。まずはトレランシアがやるべき事と出来る事に集中する。
雨季に入ったばかりであるが、午後の土砂降りは始めて体験する規模であった。建物の軒先までの僅かな距離の間で、全身ずぶ濡れになってしまった。そこの食堂に入ると、店の人がタオルを貸してくれる。
とりあえず体を拭き、お礼と共に注文をした。流石にコーヒー一杯というのは気が引けたので、色々と注文しておいた。
「適当に頼んだんじゃないでしょうね?」
「私、第二外国語はドイツ語だったから」
リリトの問いにカシアはしれっと答えた。パナマの公用語はスペイン語である。昼食の時間を過ぎているため、注文したものが出てくるのは早かった。テーブルの上には、次々と食事が並ぶ。
グアチョという雑炊に、サンコーチョというスープ。キャッサバやバナナの揚げ物が添えられたステーキに、米を炊いた物やピラフ。さらには白いチーズのような物も出てきた。彼女らは、昼食を済ませた後に街に出て来ている。
「これだけ頼んでたったの15アースダラーよ」
「頼んだのあんたでしょ」
しかしそこは若者である。なんだかんだと綺麗に平らげてしまった。ベルトを緩めたタルハが大きく息をついた。おっさんみたいとユンディがからかう。
雨はすっかりやんで、また強い日差しが照り始めていた。パナマの街はにぎやかだった。運河がもたらす収益は、この国を大西洋連邦でも有数の豊かな国にしている。ウィンドーショッピングを楽しめるだけの余裕がある街だった。しかしここから一歩南米側へと足を踏み入れると、その様相は一変するという。
だから今のうちに楽しんで来いとヒューには言われたのだが、それはもう少し余裕のある時に言って欲しかったとカシアが言う。そうは言いながらも、フィジェとイェレの足元には彼女が買ったものが積まれていた。いつ着るのかと問われようとも、今見つけた可愛い洋服を逃がす事はしない。その上、リリトを連れていれば、服を選ぶ楽しみが倍に増えるのだ。
「さ、次はリリトの服ね」
うんざりとした表情を見せる男性陣を尻目に、女性三人はさっさと支払いを済ませて意気揚々と店を出る。フィジェ達も仕方無しに立ち上がった。レジに並んで財布を取り出すと、店に入ってきた客がいる。その顔に、フィジェは思わず声を上げた。
「・・・ナガオカ先生?」
アフリカの難民キャンプで出会ったミナミ・ナガオカの所属する、民間の国際医療ボランティア団体の中南米支部は、ここパナマに置かれていた。六人はショッピングを切り上げると、彼女の事務所に付いていった。彼女の方からアフリカでの礼をしたいという申し出があったことと、彼ら六人の希望でもあった。
NGOの中でもそれなりに名の通った団体であるが、事務所は思いのほか小さい。しかも、電話の数に比べて事務員が圧倒的に少ない。呼び出し音が途切れる事の無い書類に埋もれた部屋を避けて、ミナミは六人を応接室に通した。
「ごめんなさいね、紙コップのインスタントコーヒーで」
彼女はそう言ってカップを配る。腰を落ち着けた彼女は、改めて礼を言った。アフリカの難民キャンプの状況は、良くもならないが悪くもなっていないという事だった。ただ難民の帰還については、地元政府間の対話すら始まっていないという。
彼女自身はこれから、アマゾン上流域における保健指導に向うらしい。そのための準備を進めているそうだ。そしてフィジェ達に水を向けるが、彼らはまだ南米での作戦があるという事しか知らない。
ミナミは頭の中を探すように視線を宙に彷徨わせる。そして軽く頷いた。思い当たる事が何かあったのだろう。そして南米の情勢を説明してくれる。
彼女が向うアマゾンはほぼ全域が、領有権の確定しない状況になっているという。ブラジリア政府を始め、境界を接する全ての国が領土争いをしている。こうした南米各国の争いに加え、右派民兵と呼ばれる白人系富裕層の傭兵や、南米では伝統的に強い極左ゲリラ、さらに先住民族系武装組織に、カルテルと呼ばれる麻薬組織が、国境をまたいで活動している。
これらがさらに、独立派・反独立派に分かれ、独立派は自主独立派とプラント提携派に、反独立派は親大西洋と反大西洋に分かれて争っている。それらの利害が、究極的には個人レベルで異なっているので、その離合集散は分析不可能だった。
「住民の福祉とかいうレベルじゃないわ」
政情が安定しているのは、アンデス山脈の北側にある親大西洋国家のキト共和国と、自主独立・武装中立を掲げる太平洋岸のアジェンデ共和国くらいである。アルト・ペルーでは極左ゲリラが国土の三分の一を実効支配し、ケチュア王国では右派民兵と麻薬カルテルが結託して国軍と衝突を繰り返している。
また国境を巡って、リオ・デ・ラ・プラタ連邦とグアラニー共和国の連合軍が、ブラジリア政府軍と睨み合っていた。大西洋連邦、ワシントンの中央政府はなす術がないというのが現状だ。
「でも私がアマゾンに・・・」
「ナガオカ先生、お客様です」
彼女は腕時計を見ると少し席を外す。フィジェは冷めたコーヒーを口にした。組織だっているだけアフリカより性質が悪いのかもしれない、そんな事を思う。次の自分達の作戦はどのようなものになるのだろう。
カシアが、艦に戻ってから配られるであろう作戦行動地概要書の厚さが予想できると嘆いていた。応接室のドアが開いて、ミナミが戻ってきた。後ろにいるのは来訪した客であろうか。
ユンディとタルハは立ち上がって暇を請う。それに倣おうとした四人を座らせて、客を応接室に招く。正式な客ではなく、個人的な挨拶だといった。地味な緑色の作業着上下に、頑丈さだけが取り得のようなブーツを履いた女性だった。ショッキングピンクのヘアバンドだけが妙に浮いている。
「ルポライターのエルフリーデ・シーハンさんよ」
まだ見習いですと断りを入れた女性と順に握手をしていく。雑誌の取材で南米入りし、一旦ユーラシアに帰国する前に寄ったのだという。ミナミとはちょっとした知り合いだそうだ。お互い、同じような場所で仕事をしていると笑った。
「ヌエバ・コムネーロスには入れたの?」
「観光ビザすら発給してくれません」
女性は首を振ってそう言った。取材目的の国に入る手段が密入国のみとなったために、帰国せざるを得なくなったのだ。その国では先日、全国で大規模な民主化要求デモが発生し、それを政府軍が鎮圧したという話だった。
ただ外国メディアの入国を禁止し、前世紀には整備されていたネットワーク用ケーブルの全てを国家が管理しているこの国の情報は外部に漏れず、どのようなことが起こったか、正確には分からないのだ。一説には数千人規模の死者と逮捕者を出したとも言われている。
彼女はその事件を報道するためにヌエバ・コムネーロスへの入国を試みていたのだ。ミナミが心配そうに聞く。
「博士の動静は?」
「デモ鎮圧の直後に進歩同盟を通して声明が出されていました」
めったな事は無いはずだと付け加えるが、その眉は曇ったままだった。ミナミはフィジェたちにも分かる話題に振ってくれる。何でも、このルポライターの女性はビクトリアにも取材に来ていたそうだ。クルト・クラウとも知り合いと聞いた。世界が狭いのではなく、こういった活動をしている人達は生きている世界が濃密なのだという事を感じる。
「南米も、何ていうか・・・酷いんですね」
「独立戦争以後、何か良くなったってイメージだったんですけど、違うんですね」
イェレとカシアが言う。ミナミは結果論だと前置きした上で、南アメリカ独立戦争は間違いだったと断言する。
それにもかかわらず世界の関心が向かなかったのは、大西洋による情報の統制でメディアによる報道が制限されたことと、オーブのマスコミが独立戦争をニュースショーとプロパガンダに利用したことだと、ルポライターの女性は指摘した。彼女はイェレに南米独立戦争を何で知ったのかを聞く。
イェレはオーブのフォトジャーナリストの名と本のタイトルを挙げた。独立戦争の従事したパイロットの活躍と彼のラブロマンスを収めたその著作は、ちょっとしたベストセラーだったのだ。しかしその女性はそれを「デパート屋上のヒーローショー」と切り捨てる。
「MSなんかに乗っていると、足元の人間を写せなくなるんですよ・・・その時点でジャーナリストとして死んでいます」
優しげな顔にしては辛辣な言葉だった。好きだった本を叩かれてカシアはヘコんでいるが、反論など不可能である事は明白だった。きっとトレランシアが作戦に移れば、彼女の言葉は一層真実味を増すのだろう。そのくらいの経験は、彼らとて積んでいる。リリトは聞いた。
この仕事を志したきっかけは何だったのかと。その女性はこう答えた。無知の不幸を知ったからだと。
抽象的な言葉は、その正確な意味を示さない。しかしその言葉に込められた重さだけは、正確に伝えていた。