Green travelers ~ The another seed ~   作:VSBR

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第五十三話 決死の跳躍

 空港では、輸送機の離発着が繰り返されている。昼夜分かたずMSが警戒活動を行っているが、付近は驚くほどに静かだった。市民生活レベルにおいては、ヌエバ・コムネーロスの軍事政権転覆は、歓迎されているようだ。

 軍は当然、首都以外にも配備されているのだが、現在のところ目立った動きは無い。逃走中の空軍中将一人を除いて、トップが軒並み拘束され北米へと連行された以上、動くに動けないのだろう。何より、経済制裁と軍政の無策によって疲弊した経済では、組織をまともに運用する事はできない。

 哨戒飛行から戻ったグラティアをハンガーに据えると、リリトは軽やかにロッカールームに向う。レティシアの市民生活の平穏さを、上空からであるが確認することが出来た。

「ノックくらいして」

「いいじゃん、女同士だし・・・それよりお客」

 タオルで胸元を隠すリリトは、呼びに来たカシアに誰が訪ねてきたのか聞き返す。暫定政府の人らしいが、彼女も良く分からないようだ。急いで着替えて、艦長室に向かう。客は暫定首相の秘書官だった。アルトゥーロ・ガジェーゴスが、助けてもらった礼を言いたいのだという

 本来なら出向くべきなのだがという秘書官にリリトは恐縮して、こちらから会いに行くと言う。マーカスもその場で許可してくれた。日取りを決めて、秘書官は帰途についた。

「リリトの用事じゃない」

「一人で行けって言うの?」

 夕食の場でみんなに付いて来てもらうよう頼むと、全員に難色を示された。トレランシアはあまり暇ではない。ヌエバ・コムネーロス国内は、とりあえずの安定を見せているが、周辺国には不穏な動きがある。艦の修理やMSの整備など、やらなくてはならない仕事が多いのだ。

 しかし一国の代表に、一パイロットが一人で会いに行くというのも気が引ける。粘り強い交渉を続けるリリトに、ヒューが助け舟を出してくれた。

「その日ならエリクセン少尉が空いてるはずだ」

「俺も空いてますよ」

 同時に言った二人が一瞬だけ視線をぶつける。イェレは夜勤明け、フィジェは夜勤前日だ。その場を引き取るように、カシアが言った。

「仕方ないわね、副長さんに頼んでみるわ」

 そっとウィンクしたヒューに、ユンディとタルハが含み笑いを漏らす。その二人を指差して、カシアが言った。

「あんた達もアジズさんに頼みなさいよ」

 

 雑音のほうが大きい無線機に怒鳴り終えて、ミナミ・ナガオカは物資の数量確認の続きを行う。パナマの支部にどれほど文句を言おうと、要求したものが届くまではやりくりするしかない。

 それでもやりがいのようなものを感じるのは、これらの物資が必要とする人に届く可能性が高いからだ。彼女の所属するNGO団体が開設した臨時の診療所兼食糧配給所、今や兵士による監視や私服警察の潜入は無い。その変化を肌で感じているかのように、人々の表情は明るかった。

 軍政下では自由に物も言えない生活だったのだ。不用意な発言を反政府活動と密告されて逮捕、そのまま帰ってこなかったなどという話は珍しいものではない。食糧の高騰と配給の不公平を訴えるデモが、流血の惨事になった事もあった。比較対象が最悪であったとしても、少なくとも良くなったという状態に変わりは無い。

 しかし、今まで軍政の協力者だった人や末端の兵士達に対する襲撃や暴行の噂も、耳に入るようになってきた。軍政時代に醸成された憎しみが、歪んだ形で噴出しているのだ。トップの人間は大西洋連邦が連合に引渡し、国際司法裁判所で裁判を受けることになっているらしいが、一部ではヌエバ・コムネーロス国内での法廷開催を求める声もあった。

「気持ちの良いものじゃないわね・・・」

 国際司法裁判には死刑がない。暫定政府は基本的に、軍政への恨みを持つ人達で構成されている。心情的にも政治的にも、パフォーマンスが必要とされているのだ。それは真実を明らかにするよりも、はるかに重要な事なのかもしれない。だが、外側の人間としては、複雑な思いを抱えざるを得ない。

 実際問題として、ヌエバ・コムネーロスの国内が今のような小康状態をいつまで続けられるかは疑問である。アルトゥーロ・ガジェーゴスの政治手腕は未知数であり、本当に国内をまとめられるかどうかは分からないのだ。ある程度のパフォーマンスが必要だという主張にも一理あった。ミナミは書類を置いて、表に出る。

 連合が進める、適切な軍事行動による地球圏の安定化政策。表面上は上手く行っているようにも見えるが、実際に一番苦労する現場の者としてみれば、諸手を挙げて歓迎できるものでもない。

「ご苦労様です」

 彼女はトラックの兵士にそう言うと、職員を荷台の方に回した。僅かではあるが、食糧や医薬品を連合軍に融通してもらっているのだ。

 アフリカからの縁となっている、地球連合軍緊急即応部隊。現場にそれなりの権限が与えられているという事と、責任者がそれを柔軟に運用してくれる事から、このようなことも可能となっていた。それに関しては、素直に感謝の意を示せる。

 現場レベルでこのような気配りが出来るのであれば、その部隊の活動そのものについては、最大限の評価をしてもいいと思う。あとはその上が、現場の働きに見合うだけの活動をできるかどうかであった。

 配給の時間が近づき、付近の人たちが集まってきた。ミナミはハンドマイクを手にして、職員に指示を出していく。

 

 足元に広がるのは、淡い白と青の大理石模様。頭上には無色の黒い空間。降下のための最後の準備として、フリーダムはカタパルトに足を乗せた。大気圏突入時に攻撃を受けては、降下ポイントが大きくずれる。衛星軌道上の交錯戦闘、時間のかかるものではない。

 シベリアから脱出し、放棄寸前のアメノミハシラで最後の補給を行ったアークエンジェルは、再び地上を目指していた。今頃アメノミハシラは連合に接収され、オーブとの間で所有権に関する取り決めでも行われているだろう。だが、アークエンジェルを警戒していた艦隊を撒く事には成功していた。

「反連合の動きは着々と制圧されていますね」

 オーブのサハク派は、トップが逃走中ながらも事実上の解体。ジャンク屋組合は拠点であったギガフロートを奪われ、さらに連合とザフトが軍事関連物資の取引規制を強めた事で、ジャンク屋という職業そのものが成り立たなくなっている。さらに連合は、傭兵に関する規制も計画している。ターミナル系の武装組織は、完全に失われていた。

 そもそもプラントと連合が協調路線を取った事によって、抵抗者たるターミナルの存在意義は失われていたのだ。地球でも、大洋州と連合各国の関係改善は進展しており、中央アジア・中東・アフリカ・南アメリカでも連合が地域安定化に乗り出している。ブルーコスモスが政治の舞台から消えた事もあり、連合の政策は中庸になっていた。中庸に対する抵抗は過激路線しかありえず、それは一般市民からの支持を受けない。

「でもそれが、真実なのかな」

 コクピットからの通信が問いかける。

 軍事力による紛争の予防。連合が進める政策には、その理念においてそもそもの矛盾がある。紛争の原因たる連合が唱える、紛争の予防。それは連合による支配を言い換えたものでしかないのではないか。

 表向きには反コーディネーターを出さなくなった連合も、その政策はコーディネーターに対する間接的な排除を狙っている。アフーマティブ・アクションの強化、遺伝子の基づく累進課税、社会保険への強制加入など枚挙に暇が無い。コーディネーターへの平等な待遇を保障している大洋州やオーブへの移住者は増えているのだ。

 世界は緩やかに、そして巧妙に分裂している。

 中庸な政策、穏健な言葉、その言葉の裏に何が隠されているのか。耳を澄ませて聞かなければ、虐げられる者の悲鳴は聞こえない。

 現に、まだ彼らの助けを求める人達はいる。そんな人達の声が聞こえる以上、彼らにはまだ戦うべき理由が存在するのだ。

「フリーダム、発進どうぞ」

 静かな掛け声と共に、音も無くMSが飛び出していく。連合の低軌道哨戒艦隊から数条のビームが延びてくる。頭上を跳び越すそれを見送った時には、敵艦の一隻が戦線を離脱していくのが見えた。

 重力の井戸のすぐ傍である。早期に撤退の判断を下さなくては、せっかく助かった命を無駄に失う事になる。フリーダムの咆哮は、艦の砲塔だけを削り取っていった。

 

 タルハとユンディは話を切り出すタイミングを窺っていた。仕事ならいくらでもある整備班にとって、シフトの変更はなかなかに言い出しづらい。もっとも基本的にいい人達であり、ちゃんと説明すれば快く代わってくれる。問題はちゃんと説明することが出来るかどうかだ。

 二人は、アジズを尋ねてMSデッキをウロウロと歩き回った挙句、結局デッキではなく電算室裏の会議スペースで彼を見つける。普段なら、ハンドマイクと大声で指示を出し、三枚の図面を片手に有線電話にかじりつき、多脚リフトに乗りながらホイストクレーンを操作しているような人が、珍しくコンピューター画面を眺めていた。

 チャンスとばかりに話し掛けようとすると、壁の電話が鳴る。リベルの肩部モーターの支障に関する事で十分以上やり取りをしていた。

「あの・・・」

「おぅ、これ知ってるか? ザフトのMSらしいんだが」

 話を切り出す前に別の話題を振られる。二人は苦笑いしながら画面を覗き込んだ。大西洋軍から提供されたデータだという。MSと言われなければ分からないような機動兵器が、そこには映っていた。

 指の代わりに巨大なレールガンを三門装備している機体や、巨大なタイヤで動く機体。マニュピレーターを廃してスレイヤーウッィプを四基も設置した機体に、頭部すら廃してバッセルを六基も有する機体。坑道掘削が目的のような機体に、鉄球射出銃を持つ機体。ザフト製と判断されたのはモノアイだからであろうが、いくらなんでもそのデザインセンスはありえなかった。

 知らないと言おうとしたユンディは、真剣な顔のタルハを見て口をつぐむ。彼はつぶやくように言った

「NOS社の試作機動兵器群・・・上から、ジュアッグ、ギガン、アッグガイ、ゾゴック、アッグ、ガッシャ」

「やっぱザフトのか・・・」

「採用すらされなかった機体ですよ」

 普通の人なら存在すら知らない機体であるという。彼が知っていたのは、父親がNOS社の開発部門に在籍していたからだ。アジズは額に指を当てて考える。プラントの会社が作って、ザフトでは採用に至らなかった兵器が使用されている、ややこしい話だという事は良く分かった。

 タルハが画面をスクロールしていくと別のMSの画像が出てくる。それまでの機体とは明らかに違う、洗練されたデザイン。ただ、少し趣味に走りすぎているような外観が特徴的だった。

 その機体はユンディも知っていた。対MS格闘戦闘に特化しすぎた性能であったため、ゲルググとのトライアルに負けてザフトの次期主力MSの座を逃したという機体だ。名前をギャンと言った。

 アジズは、ややこしい話が増えたので艦長を呼ぶことにする。

 

 トレランシアの次の作戦が決定した。ただ、ヌエバ・コムネーロスの安定化のために派遣される連合軍が到着するまで、現作戦は継続されることとなった。連合としてのイニシアチブを取りたい本部と、南米への影響力を残したい大西洋の間で、いくつかの折衝が長引いているようだ。

 通常モードのブリッジからは、窓越しに綺麗な青空が見える。しかし街は、どこか赤茶けたような靄に包まれているようだ。レティシアは、切り開かれたジャングルのやせた地面の上に建設された街である。

 暫定政府は遷都計画を立てているのだが、二つの候補地から絞りきることが出来ないでいた。アルトゥーロ・ガジェーゴスには、さっそくの難題であるようだ。

「またここに派遣される、なんて事が無いといいんですけどね・・・」

 マーカスが欠伸を噛み殺しながら言った。彼らのやっている事は火消しだが、出火原因の特定はおろか、残り火の調査すら出来ないのだ。本部も中央アジアの二の舞は避けたいであろうが、現場としてはどうしても歯がゆい。

 レセディは彼の欠伸を不問に付し、キャプテンシートの肘掛に付いている小型モニターを開いた。作戦指令書とともに送られてきた映像だ。

 低軌道における大天使と哨戒艦隊の戦闘。250m級五隻からなる艦隊は僅か数分の戦闘で全滅、一隻は重力に掴まって大気圏で燃え尽きていた。その大天使の降下ポイントが、大西洋上なのだ。トレランシアには、大天使の追撃が指示されている。

 大西洋に着水したところまではトレースできているが、それ以降は見失っている。対潜哨戒機を密に飛ばしているらしいのだが、レセディはその程度で補足できるとは思っていない。

「確かに、それで見つかるなら当の昔に沈めてますね」

 マーカスが軽い舌打ちとともに言った。だがそれでは、大西洋をどちらに向っているのかが分からない。北は無いとして、東西のどちらにも大天使が向う理由はある。小康状態とはいえ問題の山積するアフリカ、連合による介入があったばかりの南アメリカ。正義の味方の出番は全く減っていないのが、世界の現状だ。

 しかし消防士としては、放火犯という濡れ衣を理由に背後から殴られれば腹の一つもたつものだ。大天使との因縁も、そろそろ清算したい。マーカスは受話器を取った。

 アジズからの話の内容をレセディに伝えるとキャプテンシートを降りた。大天使との繋がりを含めて、検討しなくてはならないだろう。どうやら、ヌエバ・コムネーロスはまだ平穏には遠いようだ。

 天気が良いのだけが救いだ、そんな事を言ってマーカスはブリッジを後にする。とりあえず話が終わったら、外の空気を吸いに行こうと決めた。

 

 ヌエバ・コムネーロス暫定政府が回してくれた車に乗って、六人は市街地を抜ける。街には活気らしきものも見えるが、どこか寒々しい雰囲気も漂っている。商店には品物が少なく、明らかに配給品らしきラベルが付いたものが店先に並んでいたりする。その割りに人は多く、多くの人は何をするでもなく街にいた。

 自らハンドルを握る秘書官が、言葉少なに理由を語る。大西洋連邦の経済制裁と軍政による無茶苦茶な政策によって、もともとヌエバ・コムネーロスの経済基盤は脆かった。そこにレティシアへの強引な遷都である。軍政幹部の保身を第一にした無茶な都市計画によって、一時期に大量の労働者がつぎ込まれたのだ。

 軍政幹部がいなくなった事によって、それらの人は一斉に失業することとなった。もはや以前住んでいた土地に戻るためのお金すらなく、海外の援助団体の配給品で食いつないでいるだけなのだ。

 それだけで、この国の前途の多難さが理解できるようだ。リリトはそっと奥歯を噛んで、胸の奥の焦燥感を宥める。

「私達に会う時間なんて、あるんですか?」

 申し訳なさそうに聞くユンディに、秘書官は笑った。アルトゥーロ・ガジェーゴスは無駄な事をしない男だと。

 その言葉の意味を計りかねているうちに、車が一軒の家の前で止まった。アルトゥーロ・ガジェーゴスの軟禁場所だった家で、現在は彼の私邸として使っている所だ。SPにエスコートされて中に入ると、アルトゥーロ・ガジェーゴスその人が出迎えに来てくれた。

 少し腹の目立ちだした体型には似合わないポロシャツとジーンズといういでたちの男性が、大仰な仕草で全員と握手をすると自ら応接室へと案内してくれる。暫定とは言え、一国の代表とは思えないフランクさだ。

「改めてお礼の言葉を申し上げたい。あなた方のお陰で、この国にもささやかな変化が訪れた」

 深々と頭を下げるアルトゥーロに、リリト達は負けじと頭を下げる。その様子にハハハと笑って、アルトゥーロは席を勧めた。恐縮を続ける六人に、彼は肩の力を抜くように言う。

「心配しなくとも下心はあるよ。君達がプラントから来たコーディネーターだという話を聞いたので、会おうと思ったんだ」

 ちゃんと見透かしていたような発言に、全員がハッと顔を見合わせる。今までの色々な事から、自分達の行動がそのまま良い結果に繋がらない事は分かっていた。さっきの街の様子を見れば、自分達のした事の小ささが嫌でも分かる。だから、ただ純粋にお礼を言われたりする事に、何となくの抵抗を感じてしまうのだ。

 だからはっきりと下心と言われた事に、半分はホッとしている。しかしもう半分には、警戒が生まれていた。プラントやコーディネーターに対して、何を思っているのだろうかと。

「申し訳ないですが、私達は・・・」

「君達がボンボン育ちでないという事も知っているよ」

 有力者とのコネが欲しいのではなく、プラントの普通の人達にこの国の事を知って欲しいのだと言う。

「この国が独り立ちするまでに十年二十年はかかる。その間は国際社会からの支援が必要だ」

 南米とプラントの関係は常に連合を仮想敵とする同盟でしかなく、政治的・軍事的な関係しかそこには無かった。そうではない関係を築くために、まずは関心を持って欲しいのだと言う。

 どういう経緯かは詳しく知らないが、ザフトではなく連合にいるプラントのコーディネーターである彼らであれば、政治的・軍事的のような「俗な」関心以外のものを持っているのだろうと、アルトゥーロは言った。リリトは目を伏せる。確かに関心は持っている、だがそれが何かは未だにはっきりしない。

 会話の間を嫌うように、彼女は問いを発した。アルトゥーロがなぜこの国で民主活動を行っていたのかと。彼は学者だったはずだ。

「社会科学は実践を伴わなくては意味が無いからね」

 社会科学が目指すものは自然科学とは異なる、そうアルトゥーロは言った。社会科学の求める真理は、人間にとっての真理である。

「平たく言えば、人類の幸福だ」

 つまり、社会科学において真理はあらかじめ決まっているのだ。そして現状と真理の乖離を埋める方法を模索するのが、社会科学だと。それは究極的には、書斎で完結できるものではない。現状に身を晒し、現実に関わっていく、それが社会科学の本来のあり方だ、そう言った。

 ヌエバ・コムネーロスにおける民主化要求活動、それは彼の学者としての生き方そのものなのだ。温和な顔のまま、彼は強い視線を六人に向ける。気圧されたような彼らに、アルトゥーロは再び笑った。

「まぁ、学問のイメージにしては生臭い商売だな。民主制の政治家など」

「・・・でも、それを求めていたのでしょう?」

「あくまでも第一歩としてだ。民主主義が究極の政治体制だとは限らないよ」

 ただし未来の天才が民主主義を超える優れた政治体制を構築する望みは無いだろうがと、付け加えた。だから政治家として、民主主義のよりよい運営に尽力するのだと。

「人は分かり合えない生き物だからね。分かり合うように努力しろと要求する民主主義は、人には合っているのかも知れない」

 コーディネーターとナチュラルの事を言っているのだろうかと身構えた六人をいなすように、女房に逃げられた自分が言うのだから間違いないとアルトゥーロは笑った。夫婦ですら、努力なしに分かりあう事は出来ない。そして分かり合うための努力とは、ただ言葉によってのみ可能なのだ。

「ベッドワークだけではダメだぞ、少年」

 いきなり下ネタを振られて、タルハは視線を逸らしユンディはうつむく。そんな二人をフォローしようと、リリトは話の続きを促す。

「分かり合えますか・・・言葉で」

「言っただろ、分かり合えない生き物だと。分からないから、信じるんだ」

 言葉を尽くして分かりあう努力、その終着点で人は、決して分からない相手を「信じる」という決死の跳躍を試みるのだ。自分自身の心を賭けて、相手の心に飛び込める事を信じるのだ。

 普通なら「分かった」という幻を見たところで、跳躍をやめてしまう。「分かった」という実感が幻でない事を確かめようと、さらに言葉を尽くすものだけが、信頼への跳躍に挑むのだ。

 リリトは、少し震える声で聞く。

「その跳躍の先には・・・何があるんですか?」

「やっぱり分からない他人がいるんじゃないかな」

 そして再び人は言葉を尽くして努力して、再度の信頼への跳躍を試みる。

 その関係性の中に、遺伝子の差異などは意味を成さない。言葉を交わす人であれば、それだけでその関係性を構築できる。相手が言葉を拒絶しても、自らが言葉を発する限り、この関係性は成立する。信頼とは、その関係性に自らを賭ける事なのだから。

 応接室が静かになり、リリトは詰めていた息をそっと吐き出す。

 ドアがノックされ、秘書官が時間を告げる。アルトゥーロは、ゆっくりしていってくれたまえと言い残して応接室を出て行った。次の約束があるようだ。別の秘書官が車を回すまで待つように言う。

 リリトは気分を落ち着かせようと、カップの中の冷めたコーヒーに口をつける。分からないからこそ「信頼」する。その言葉が、頭をリフレインしていた。

 

 小さな浜辺には不釣合いな巨大な船が、砂浜に乗り上げるような格好で停泊している。さながら打ち上げられたクジラのようだ。船首の扉を口を広げるように開けて、物資の搬入を進めている。ツパマロス政府から貸与されたアソ級強襲揚陸潜水艦は、臨戦態勢を整えていた。

 リオ・デ・ラプラタとグアラニーの連合軍によって陥落したサン・パウロから、さらに北東に250キロ、アンジェラ・ドス・レイズにナタリア・ファリロスが到着した。湾を挟んだ対岸で行われている作業を双眼鏡で眺めながら、その進捗状況の報告を受ける。

「ご苦労でした。では予定通り、明朝六時の出港ですね」

 彼女はファミリアの主だったものを従えて、市長への挨拶に向う。ここはブラジリア代表政府が統括する国家連合に所属する都市であり、色分けに置いては反独立派である。だがファリロスファミリアは、南米各地にシンパを持っているのだ。ここもその一つである。

 彼女の祖父母は、父方母方双方共に南米の出身であり、子供をいち早くコーディネーターに出来るほど、裕福な家柄だった。彼女の南米におけるコネクションは、その遺産のようなものである。

 両親はプラントに上がった後も、頻繁に地球との行き来を繰り返し、独自の交流チャンネルを有していた。シーゲル・クラインのナチュラル回帰の考え方に影響を与えたと言われるほど、彼女の両親は地球に親しんでいた。

「かつて人は、魂が空に向うと信じていた。しかし実際に空に出て始めて、人の魂が大地に焦がれている事を知った・・・」

 小さな頃はよく分からなかったその言葉の意味が、最近は分かるようになってきた。ナタリアは車を降りる。

 大仰な歓迎をあしらい、物資供給の便宜などに簡潔な礼を述べる。時間に余裕があるわけではなく、艦に戻って準備を進めたいところであった。ファリロスファミリアは総力をもって、ヌエバ・コムネーロスの連合軍を排除する考えである。南米はワシントンの支配を脱し、忌まわしきブルーコスモスの残滓と決別するのだ。

 ワシントンは軍政の打倒と民主主義の回復とを盛んに宣伝しているが、それが傀儡政権である事は明白だ。大西洋軍の撤退期限も、それが守られる保証などない。駐留兵力は、そのまま南米への軍事圧力となるのだ。

「目標地点への到達まで、一週間ですか・・・」

「申し訳ありません、艦の性能ギリギリです」

 アソ級は前大戦末期に就航したザフトの艦である。ボズゴロフ級を超える積載能力と揚陸性能を追及したのだが、基本的に船の建造ノウハウの無いプラントの技術では無茶な要求となり、結果中途半端な性能に留まったまま建造が中止された艦である。就航した数隻は、極秘裏に親プラント勢力に引き渡された。彼女らが貸与されたのは、その内の一隻だ。

 だが10機以上ものMSと関連物資を運べる能力は得がたいものである。ファリロスファミリアは、ヌエバ・コムネーロスの主要都市・カラカス近郊に上陸予定であった。

 

 晴れ渡っていた空がにわかに曇る。甲板に上っていた者は慌てて艦内に駆け込んだ。視界を完全に覆うほどの雨が、艦の装甲を叩いているのが分かる。時間にして五分も無い土砂降りは、振り出すのと同様に突然止む。そして再び、熱帯の太陽が空を青く照らし出した。

 ほんの一瞬だけ下がった気温は湿度と共に上昇し、甲板で風に吹かれている気分ではなくなった。自室に戻ろうとするマーカスは、プラントの六人が黒塗りの車で戻ってくるのを見た。

 ユンディとタルハはそのままロッカールームに駆け込んで、整備作業の続きに取り掛かる。フィジェは夜の哨戒飛行のための待機時間であり、夜勤明けのイェレは今にも崩れ落ちそうな目をしていた。マーカスの声の艦内アナウンスがカシアをブリッジに呼び出す。

「じゃ、夕飯一緒にね」

 駆けて行くカシアに軽く手を挙げると、リリトは部屋に足を向けた。何となく良いタイミングで一人になれた気がする。ベッドに腰をかけると、ゆっくりと体を投げ出す。利きの良くないスプリングも、どこか心地良い。

 照明が直接眼に入らないように手をかざし、そのまま遠くを見つめるように視線を飛ばす。まだ、あの言葉に興奮しているようだ。

 自分自身の心を他人に賭ける、信頼を目掛けた決死の跳躍。それはひどく抽象的で、形而上学めいた言葉だ。だがその言葉に、リリトは何かが見える気がした。この言葉を手がかりにすれば、何かが見えるのではないか、そんな気がした。

 カオシュンでテロに巻き込まれてから、どれくらいの時間が経ったのだろう。リリトはこの艦で、色んなものを見てきたと思う。それは、目に見える外側の世界だけではない。自分の内側の世界も、友人達との世界も、たくさんたくさん見てきたと思う。しかし、一体何を見てきたのかとの問いに、答えられる言葉を彼女は持っているのだろうか。リリトは一人首を振った。

 確かに、見てきた。たくさんの事を知った。だがそれは、胸の奥底の焦燥感として蓄積されるだけだった。

「足りなかったのは・・・」

 困窮する人々の中で医療活動に従事している人、戦火のただ中で報道に携わる人、混乱する地域でその安定のために尽力する人、投獄と迫害の中でも政治活動を続けていた人。そんな人達と自分自身の間にある、決定的な違いがあと少しで見えそうな気がするのだ。

 多くの事を見て、焦燥感までをも抱えたまま、それでもなおこちら側で足をすくめている自分。どうして彼らのように、向こう側へと飛び込めないのだろうか。その理由が、見えそうな気がするのだ。

 足りないのは、勇気や想いなどではない。決死の跳躍を試みる者は、勇敢な者なのではない。言葉を尽くして語り合う終着点としての理解不能、それが飛び込み台なのだ。だから足りないものは唯一つ、

「・・・言葉」

 自分と世界を語りつくせると思えるほどの言葉。理解不能だと理解できるまで語り続ける言葉。それはどんな言葉なのだろう、リリトは目を閉じて、まどろみに身を任せた。

 

 トレランシアのスラスターが静かに振動を始める。艦底部から砂埃が舞い上がり、ランディングギアが収容される。地上から数メートルだけ浮上した艦は、ゆっくりとその向きを変えていた。

 ユーラシアと東アジアの部隊を主力とする、連合のヌエバ・コムネーロス駐留軍。その第一陣の到着と同時に、トレランシアの作戦は開始された。大天使を追跡するために大西洋上で警戒を続けていた対潜哨戒機が、謎の艦影を発見したのだ。

 データ解析の結果からそれがアークエンジェルでない事は判明しているが、独立派の一つツパマロス政府が所有する大型の潜水輸送艦の可能性が高いという。MSの輸送を目的とした艦である以上、その動きを看過する事はできない。

「システム、オールグリーン。各部からの報告、全て良好です」

 カシアの声がブリッジを通る。マーカスは軽く頷くと、トレランシアの発進を指示した。浮遊システムがフル稼働し、トレランシアの巨体がゆっくりと持ち上がっていく。これよりヌエバ・コムネーロス領内を横切る形で、一路大西洋へと向う。敵艦の目標地点は不明であるが、それがヌエバ・コムネーロスを目指している事は間違いないであろう。

 敵が上陸するより早く海に出れたら楽だとつぶやくマーカスに、レセディは期待はしないと応える。だが下手に上陸されれば、ヌエバ・コロネーロス国内の不満分子を刺激しかねない。決着が早くつくに越したことは無い。狙いの不明確な敵であればなおさらである。

 ツパマロスがヌエバ・コムネーロスに介入する理由は極めて薄く、例えワシントンによる傀儡政府だと訴えたところで、選挙準備中の国への軍事介入など露骨な内政干渉でしかない。南米におけるワシントンの影響力を排し、自国内部における民主化運動の活発化を抑えるという目的があるにしても、やり方がスマートではなかった。

「案外、大天使の一派かもしれませんね」

「あんなんが、他にもいるのかよ」

 タラスの言葉にヒューがうんざりだというジェスチャーを交えて言う。話では大西洋のMS部隊に大きな打撃を与えた、プラント系の独立派武装勢力の可能性もあるという。それがビーンシュトック派と関係があるのかどうか現時点に置いては不明であるらしいが、大西洋に着水後行方が分からなくなっているアークエンジェルとともに不気味な情報である。

 外の様子を映し出しているモニターに雨雲が映った。トレランシアは激しい雨の中を突き進んでいく。

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