Green travelers ~ The another seed ~   作:VSBR

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第五十六話 幸

 飛行機にタラップが横付けされ、全員が飛行場に降り立つ。回されて来た車に乗り込むと、その足で指定されたホテルへと向う。カラカスの街はにぎやかであった。ヌエバ・コムネーロスは、連合軍駐留部隊の先遣隊到着の後も予断を許さない情勢であったが、都市部においては軍政の打倒はおおむね好意的に受け止められ、治安等の悪化も報告されていない。

 市場には様々な商品が並び、市民生活にも支障は出ていないようにみえる。ただ通貨価値が不安定であるため、インフレに陥る可能性は高いそうだ。昨晩、食堂でタラスとアレナがそんな事を話していたのを思い出す。カシアは車から見える街並みから視線を戻し、横に座るイェレにささやいた。

「続き・・・した?」

「セクハラじゃね、それって」

 言いよどむ事なく言った彼に、続きはなかったのだろうと推測する。イェレらしいと思うし、リリトらしいと思う。しかし、この二人が上手くいってくれれば、彼女としても万々歳だ。もっとも、人の恋路にお節介を入れる趣味は持ち合わせていなかった。

 ただリリトの男を見る目には、少々驚いていた。窓の外を眺めているイェレを見る。物心つく前からの付き合いである。色々な面を知った上で、総体として「いい奴だよ」とは言えるが、リリトは自分よりずっと短い期間でそれを見通したのだろうか。それとも、自分とは違う何かを見たのだろうか。

 カシアの視線にイェレは怪訝な表情を見せる。彼女はニッと笑った。

「きっと、あんたの事も、全然知らないままなのよね、私」

「何だよ、それ」

 彼女とイェレは、マーカスとともに連合本部から派遣された職員に会いに行くのだ。トレランシアで捕虜となっているファリロスファミリアの処遇について、本部の決定が出たらしい。

 ただ、プラントもその決定に関わっているらしく、ジブラルタルからプラントの外交当局者もやって来ているとの事だった。カシアとイェレは、ナタリア・ファリロスに関する直接の証言を行うために呼ばれたのだ。

 マーカスの見立てでは、テロリストとして裁く事は不可能であろうとの事だった。プラントとの取引内容は分からないが、オーブか大洋州に別の名前と肩書きを用意しているのではないかと説明する。そのためには、どこかで極秘に彼女らをプラント当局に引渡す必要があり、それまではトレランシアに彼女らを留めておかなくてはならないだろうと付け加える。

 マーカスはため息を一つついた。今のところは、基地の一室を間借りして捕虜を収容しているが、トレランシアに収容するとなると、場所がない。本部の人間は、そういった事に気が回る種類の人種ではないのだ。

 何しろ帰りの飛行機を用意せず、車でトレランシアが停泊している基地まで戻れと言う様な連中である。一晩かけて山一つを越えなくてはならない帰り道だった。

 

 ヌエバ・コムネーロスの暫定政権は、連合や大西洋と歩調を合わせて国内の安定化に努めている。だが国内には、反大西洋の勢力や旧軍政の支持者なども少なくない。それらは今のところ繋がりを欠き、連合の迅速な対応の方が勝っている。だからといって、国内どこでも連合が歓迎されているわけではない。トレランシアが身を寄せている基地もそうであった。

 旧世紀の航空機が未だ現役で並んでいるような基地であり、トレランシアに対して直接の危害を加える事は出来ないだろう。だがろくな補給も出来ず、その他諸々の協力ものらりくらりと拒否されている。

 百名弱の捕虜を抱えてしまったトレランシアはその扱いに苦慮していた。ファリロスファミリアが乗ってきた潜水揚陸艦は撤退したが、構成員の多くはナタリア・ファリロスの呼びかけに応じて降伏したのだ。今は、基地の宿舎を借りる形で、捕虜を収容している。

 それもウェルガーでたっぷりと脅し、破格の値段を提示してようやく借り受けたものだ。間借り以上の協力など期待するのが無理であった。そのため、食事一つ取っても大事である。

「お嬢をお待たせする気か!」

「冷めた飯なんて持ってくるんじゃねぇ! お嬢に失礼だろうが!!」

 トレランシアの厨房をフル回転して食事を作り、それを人の手で捕虜のいる宿舎まで運ぶのだ。それに加えて、警備や監視などもトレランシアのクルーが行っている。何とかやりくりできているのは、ナタリア・ファリロスのお陰であった。

「お前ら、兵隊さんを困らせんじゃねぇ! さ、お嬢こちらへ」

「良いのですよ、ダル。私も今は皆と同じ立場です」

「何をおっしゃる。例えその身が連合の捕虜だとしても、お嬢はお嬢だ。他の者にも示しがつきません、こちらへ」

 多少ガラは悪いが、彼らのナタリアに対する忠誠は並大抵のものではなく、そのナタリアがトレランシアに対して協力的な態度をとっている事から、混乱もなく済んでいた。今は取調べにもちゃんと受け答えしてくれており、背後関係などについても少しずつ分かってきていた。

 レセディはブリッジで報告書をめくる。捕虜の扱いに関するクルーの愚痴のような報告書を無視して、本題の報告書を探した。ファリロスファミリアは、それほど政治性の強い集団ではなかったようだ。

 活動資金の大半はファリロス家の資産から出ていた。あのMSは、NOS社が採用されなかった試作機を無償で供与したもので、部品等は便宜を図ってもらっていたそうだ。それというのも、ファリロス家はNOS社の大株主であり、機関投資家を除けばトップの保有率だという。

 宇宙用作業機械の需要は前大戦時からずっと旺盛であり、NOS社も安定的な業績を上げていた。その配当や運用などで、地球での武装闘争の資金はかなりの部分が賄えていたようだ。

 それに加えて目を引くのが、南米各地からの寄付である。個人レベルから国家レベルまで、薄く広く寄付を集めていた。大西洋の色分けで考えると独立派だが、彼女らの組織はそれとは異なる基準で活動していたようである。治安が不安定な地域での、ボランティア的な警備活動など、草の根レベルで市民の支持を集めていたようだ。

 それなりに政治的な主張のようなものは口にしているが、実態は少し違うような感じである。軍事政権が乱立し、内戦やテロの横行する南米では、彼女らのような国家の枠組みの外で動く組織の方が、住民のためになる事があるのだ。

 そういう意味では、彼女らを南米から追い出す事は、大きな損失となるかもしれない。確かに武装闘争は褒められたものではないが、各国政府からの制約を受けずに独自の実力行使を行える組織というものは、混乱した地域では必要とされる事もある。

「・・・この艦のようにね」

 なお、ビーンシュトック派とは資金面でいくらかの繋がりがあったようだが、直接的な関係にはなかったようだ。あれば当然、大天使が登場しているだろう。この事から、大天使がアフリカに向った事もほぼ確定された。

 カラカスからの通信を繋ぐ、音声のみの通信がマーカスの声を伝えた。彼らの到着は明日の夕方ごろになるだろうとの事だった。

 

 退屈そうにしていたアレナがゆっくりと椅子から立ち上がる。そして姿勢良く敬礼をしてリリトに場所を譲った。交代の時間である。ナタリア・ファリロスは女性であるため、その監視は女性が行うのだ。コルシカ条約に則ったものであるが、トレランシアの女性クルーは多くなく、アレナやリリトも交代要員に含まれている。

 規則通り武器のチェックをして、リリトは椅子に腰をかける。暗くなった空を、月が煌々と照らしていた。薄暗い廊下が青い月光に満たされている。

 監視といってもすることは無い。反抗をするなら、すでにアクションを起こしているだろう。数少ないクルーをやりくりしての管理は、はっきり言ってザルなのだ。どういう心境の変化かは分からないが、彼女らはおとなしく捕虜になっている。ドアをノックする音に、リリトは振り向く。

「少しお話、いいかしら?」

 ドアの向こうからの声にリリトは身構える。用件を聞くと、プライベートな事に関する雑談だと言う。無視しようにも、イェレの名前を出されたら黙っていられない。いつでも銃を撃てるような体勢で、リリトはドアの鍵を開ける。

 そんなリリトに、ナタリアが微笑みを向けていた。二段ベッドが二つあるだけの狭い部屋であるにもかかわらず、彼女だけは優雅な様子でたたずんでいた。警戒心を露わにしている自分自身が間抜けに思えて、リリトは銃をしまった。

 ナタリアが腰をかけているベッドの向かい側、それも彼女が腰をかけているのとは逆の位置に腰掛ける。ナタリアが口を開いた。

「イェレとは、お付き合いしていらっしゃるの?」

 ゴングと同時の先制パンチにリリトはよろめく。もしもカシアがセコンドであれば、迷わずタオルを投げるであろう。瞬時の飽和してしまった頭が、二の句を告げさせない。ナタリアは少し意外そうな顔をした。

「していらっしゃらないの? イェレがしきりにあなたの名前を口にするからてっきり・・・ごめんなさい」

「ど、どうしてそんな事を・・・」

「かつての許婚として、少し興味を持っただけです」

 一ラウンドも終わらないうちにTKOを宣言されるかもしれない。うつむいてしまったリリトに、ナタリアは子供の約束だと言う。そして、カシアも許婚だったと付け加えて笑った。

 彼女としては軽くからかっただけであろうが、ここまで相手が動揺すると逆にからかいがいもないだろう。真っ赤な顔でうつむいたままのリリトに、少し困ったような声で謝る。

 ナタリアにとっても、あれは幼い日の美しい思い出であり、ただノスタルジーの彼方にあるものだ。大切な思い出だとしても、それを現実に直結するつもりなどない。ただ子供の頃、初めて意識した男の子が、今意識している女性はどのような人なのだろうと、純粋に興味を持っただけだ。

 何やら複雑な事情を抱えた女性であるらしいが、見る限りに置いては真面目で純情そうな女性だ。未だに顔を上げないリリトに、ナタリアは話題を変えた。もっとも、リリトの耳にはもう何も入らない状態ではあった。

 時間にして十五分もないだろう。しかしリリトは、疲れた体を引きずるようにナタリアの部屋を出た。椅子に深く腰をかけ、さらに深く息をつく。どうしてこんなに疲れているのだろう。

「お付き合・・・い」

 何故、動揺してしまうのだろう。正直なところ、それがどのようなものか想像できないのに。ユンディとタルハは、いわゆるお付き合いの間柄だ。だが、それを自分に置き換えてもどうにもイメージが遠い。

 そもそも、自分はイェレの事をどう思っているのだろう。リリトは月を見上げた。

 あの時、カシアの邪魔がなければ、彼と口付けを交わしていただろう、それは間違いがない。だが、どうしてそうなったのだろう。気付けばそうなっていたとしか言いようがない。それをもって、恋愛感情とカテゴライズしていいのだろうか。恋愛など、知りもしないというのに・・・

 足音に視線を向けた。薄明かりの中、軽く手を挙げて歩いてくるのはフィジェだった。彼はナッツとキャラメルのチョコレートバーを差し出す。受け取ったチョコレートバーを口に運びながら、リリトはどうしたのかと聞く。彼は答えずに、月明かりに照らされる窓の外を見つめている。

 そのフィジェが不意に口を開いた。視線は外に向けられたままだ。

「俺さ・・・リリトの事、好きだ」

 別の動揺を誘うような言葉、リリトはフィジェの横顔を見たまま静止する。彼はゆっくり首を動かし、リリトの視線を捕まえる。彼の手が、肩に触れた。

 好意を直接伝えられるという事に、無条件の喜びを感じている。だが同時に、戸惑いも覚えていた。その言葉に返すだけの言葉が無い。彼は腰を屈め、彼女をそっと抱き締めた。

 喜びと戸惑いと温かさの中で、リリトの頭は真っ白だった。耳元でもう一度、フィジェの「好きだ」という言葉がささやかれる。そして彼の顔が目の前に来る。彼の肩越しに、明るい月が見えた。まるで、じっとこちらを見ているかのような月。リリトはうつむいた。

 触れている彼の手が、ピクリと動く。彼女は言葉を探した。

「待って、今は待って・・・まだ、分からないの・・・分からないままは、ダメなの」

「リリト・・・」

「分かるかどうかも分からないけど、でも分からないって分からないとダメだと思うの、だから待って・・・」

 このままのキスは、きっと誠実なキスではない。それが禍根を残すだろう事は、経験のないリリトにも何となく分かる事だ。だから、彼女は顔を上げない。フィジェがそっと離れた。

「リリトは、イェレの事が・・・」

「それも、まだ分からない事なの・・・だから待って。ちゃんと答えられるようになるまで、待って」

 分かった、そういい残してフィジェの足音が遠ざかる。リリトはしばらくの間、顔を上げなかった。今になって、急に心臓の鼓動が激しくなっている事に気付く。リリトは胸を押さえる。

 アカデミーの時からずっと一緒だった友人達。子供のじゃれあいのような関係が、いつの間にか男女の関係に歩みを進めていた。それとも、その自覚がなかったのは自分だけであろうか。もしそうだとすれば、カシアには相談できないという事だ。

 ようやく落ち着いてきた胸に、リリトは思い切り空気を送り込む。きっと、深刻な問題を抱えてしまったのだろう。

 それでもこの悩みが、自分自身を責め苛むような悩みでは無い事は分かる。過去を悔やみ、未来に不安を投げかける悩みでは無いからだ。今を見つめ直し、未来に希望を投げかけるための悩みなのだ。

 リリトは椅子から立ち上がる。何だか大声でも出したい気分だが、今はそれを押しとどめる。夜も更けてきた。

 

 物資を積んだトラックが基地に入ってくる。連合による民間向けの支援物資だった。貨物を積んだ車と護衛の車両に混ざるように、マーカスらを乗せた車も基地に戻ってきていた。

 車はそのままトレランシアに入り、MSデッキの片隅で止まる。車は四人を降ろすと、そのままトレランシアを出て行った。わざわざ出迎えに来てくれたレセディにきちんと敬礼をするが、目の前の彼女はまるで眩暈を起こしたかのように額に手を当てて足元をふらつかせる。

 レセディは思う、このまま気を失ってしまえば少しは楽なのでは無いだろうか。いっそのこと、そのまま眼を覚まさなければいいのでは無いだろうか、と。だがそんな誘惑に負ける事無く彼女は踏みとどまり、最大限の冷静さを振り絞って、何故一人増えているのかを聞く。カラカスに向かったのは三人のはずだ。

 カシアの腕には赤ん坊が抱かれていた。安らかな寝顔は、思わず怒りを忘れてしまいそうである。マーカスがささやくような口調で言った。

「・・・スターム少尉が、急に産気づきまして」

 その言葉に怒りはぶり返し、殴りたいを通り越して殺意すら覚える。それが表情に表れたのだろう、マーカスの顔から血の気が失せた。そして、まずは医務室に連れて行きたいというカシアにはそれを許可した。

 話はじっくりと聞きたい。レセディは有無を言わさずに艦長室での説明を要求した。

 もっとも、たいした説明を必要とする話ではなく、道中の休憩地点の近くでたまたま見つけた捨て子だというのだ。犬や猫ならいざ知らず、人間の子供であれば見捨てる事もできずに連れてきたのだ。マーカスは、白いままの顔で言った。

「トレランシアの出発までに、引き取り先を探します」

 民間の慈善団体など、遺棄児童の養育などを行っている団体を当たってみるつもりだ。レセディは何も言わずに艦長室を出て行った。しばらくして、マーカスはようやく長い長いため息をつ・・・レセディが戻ってきた。

 慌てて背筋を伸ばすマーカスの前で、彼女は電話帳を置くとそのまま部屋を出て行く。彼女なりの精一杯の抗議行動なのだろう。彼は続きのため息を吐き終わると、受話器を手に取る。

 連合とプラントの戦争、各国間の紛争や内戦、大規模災害にテロ、そして貧困。身寄りのない子供が増える理由は、ありすぎるほどにあった。そういった子供達に手を差し伸べてくれるのが、優しい大人であるとは限らない。労働力、戦力、愛玩に実験に医療用、悪徳をもって接する大人の方が多いのが現実だ。慈善団体と言えども、慎重に選ばねばならない。

 それが、最後まで手を差し伸べ続ける事ができない者の最低限の責任だ。カシアはそれを指摘される。

「でも・・・ほっとけないのは確かでしょ」

 大きすぎるベッドに寝かされた赤ん坊は、六人の視線を一身に浴びていた。ユンディはしきりにその頬をつついている。

 着せるものから食べさせるものまで、戦艦に置いているはずのないものばかりである。支援物資の中の乳幼児用の物資を分けてもらえる事にはなっていたが、向こうの仕事が一段落してからという事であった。

 タルハがユンディをたしなめようとした時、赤ん坊が目を開けた。そしてその小さな口で、大きな欠伸をする。その仕草に一同が思わず頬を緩めた瞬間、赤ん坊は泣き出した。

 うろたえたユンディが慌てて抱き上げるが、全く効果が無い。

「お腹、空いてんじゃね?」

「ミルク? 食堂にあるよね」

「・・・赤ちゃん用のじゃなくていいのか?」

 少子化の深刻なプラントにおいて、弟や妹のいる家庭は少数派であり、子供の世話など求める方が酷である。赤ん坊を抱いたまま、ユンディは涙目になっていた。泣き声はますます大きくなる。

「出ない? カシア」

「出るわけないでしょ!」

「デカいだけの無駄乳ね」

「なっ! 無駄って何よ、無駄って!!」

「だったら出してみなさいよ、ホラホラ」

「ちょっ・・・!? 掴むな! 揉むな!」

 カシアの背後に回りこんだリリトが、そのたわわな胸を触っている。じゃれあっている二人に、ユンディがキレる。赤ん坊の泣き声はますます大きくなった。

「かしてみなさい」

 その声に振り返ると、レセディが立っていた。彼女は赤ん坊を抱き上げて、泣いていた原因を突き止めた。

 赤ん坊をくるんでいたバスタオルを取り、肌着を脱がせる。ジットリと濡れたそれを洗濯に回すように指示し、とりあえず綺麗なタオルを持ってこさせる。ウェットティッシュでお尻とその周りを拭き、タオルを器用に巻き直してくれた。

 あっという間に機嫌を良くした赤ん坊は、しきりに両手を伸ばしてレセディの顔に触れたがる。

 彼女は、食堂で調理用の脱脂粉乳とお湯をもらってくるように言った。男三人が医務室を駆け出す。

「副長・・・慣れてますね」

 意外な面を見つけたという面持ちでカシアが言った。ひょっとしたら、既に子供がいるのだろうかという予想は裏切られたが、兄弟がいるという話も始めて聞く話だった。弟が三人、妹が二人もいれば自然と身に付く、レセディはそう言って笑った。

 その笑顔が、カシアにとっては一番意外だった。

「いつも怒らせてるからでしょ」

「何よ、いい話でまとめたのに」

 食堂から戻ってきた三人を集めて、レセディはミルクの作り方と飲ませ方のレクチャーを始める。

 

 トレランシアの出発日時が決定し、捕虜を収容するためのトレーラーハウスがMSデッキに搬入される。その収容方法を思いついたアジズには、艦長のポケットマネーから金一封が出たという噂だが、実際なかなかのアイデアであった。即席の集合住宅がMSデッキに出現している。

 正確な行き先は、外交機密という事で一般クルーには知らされておらず、とりあえずはジブラルタルで、グラティアら三機の補給部品を受け取る事なっていた。本部からはそれまでに捕虜から出来うる限りの情報を引き出すよう、内々の命令を受けている。

「まぁ、これ以上は話す事もないでしょうがね」

 ヒューはボールペンを指先で回しながら、目の前の男に声を投げかけた。その男は表情を崩す事無く言う。

「貴官の方が話す内容も多いだろう、ジョセフ・ロギライ。今は・・・」

「ヒュー・レペタだ」

 取り調べ用の部屋には、二人の他に誰もいない。ヒューはノートに目を落として発言内容を眺める。ファリロスファミリアのナンバー2である、ダルウィーシュ・ダル。組織の内実については、ナタリア・ファリロスよりも詳しく知っていた。ナタリアがオーナーだとすれば、彼は経営者だろう。

 自分達のやってきた事に一切の後ろめたさは無い、そんな感じの証言であった。確かに南米各国の政府の事を考えれば、彼らの方がよほどまともに地域住民のために活動しているといえた。だが逆にその事で、各方面から様々なしがらみを抱える事にもなっていたようだ。

 ダルは姿勢を崩す事無くヒューに問うた。ここで何をしているのかと。ヒューはため息をつく。

「先代は貴官の事を、クライン元議長の有能な目と言っていたが・・・」

「色々とね、足を洗いたいんですよ・・・勇将ダル」

 ファリロス家の使用人であったダルは前大戦時、ナチュラルでありながらザフトの一員として従軍している。ジンではなく旧式の宇宙戦闘機に搭乗しながら、オクトーベルのナチュラル部隊を率いる指揮官として、グルマルディ戦線では名の通った存在だったのだ。

 ザフトの月からの撤退に合わせて、ダルは部下とともに前線を離れた。そこには、コーディネーター至上主義に傾きだしたザラ派の意向などが絡んでいたようだ。やがて彼らはプラントにも居場所を失い地球に降り、ファリロスファミリアとして活動を始めるようになる。

 そしてヒューもグルマルディ戦線にいたのだ。彼はクライン議長の指示で、とある人物の内偵を行っていた。その人物は、世界樹攻防戦のエースパイロットでネビュラ勲章を受けながら、その素性には不透明な部分の多い人物であった。彼がパトリック・ザラに接近しているとの情報を受け、クライン派も警戒していた。

 しかしクライン派による内偵という情報が漏洩し、ヒューにも疑惑がかけられるようになった。そこで彼は、連合の攻撃によって撃墜されるという形で姿をくらませたのだ。メビウス・ゼロを駆るエンデュミオンの鷹によってまんまと撃墜されたヒューは、そのまま本名を隠して、活動を続ける事になった。

「でも・・・クライン議長は死に、クライン派はテロリストに成り下がった。ターミナルはただの営利陰謀集団だ。正直、このまま真面目に連合の兵士として生きようかと思案しているところですよ」

 連合によるターミナル潰しの効果か、ここ数ヶ月彼に接触してくるエージェントは皆無だった。ジョセフ・ロギライという本名も、もはや知る者の方が少ないのでは無いだろうか。

「なるほど・・・器用に生きていくのにも、苦労はあるのだな」

 ダルは感慨を込めて言う。ナタリアをはじめ、自分達はどう考えても不器用に生きてきたのだろう。だが、その事に悔いも迷いもない。それだけは胸を張って言えるような気がした。

 ヒューは真っ白い歯を見せて笑うとノートを閉じた。まだ時間には少し早いが、今日の尋問はこれで切り上げる事にする。昔話など、たいしてしたいとも思わなかった。

 

 ナタリアの腕の中で、赤ん坊が手を伸ばしている。彼女の顔に手を触れさせては笑い、何か遠くの物をつかもうとしては腕をばたつかせる。少し危なっかしいナタリアの抱き方に、周囲の男達は気が気でないといった様子だ。

「お嬢、どうされましたか?」

 男達はサッと道を開けてダルを通す。取調室から戻ってきた彼は、驚いた顔で尋ねた。

「イェレとカシアに頼まれたのですよ」

「・・・ほう。すると、ネスタの坊ちゃんとスタームの嬢ちゃんの子供ですか」

 二人の事も良く知っている彼は、さもありなんといった感じで言う。その答えにナタリアは笑った。

 イェレもカシアも自分の仕事は当然持っており、子供の世話に掛かり切りになるわけにも行かない。そこでナタリアに白羽の矢を立てたのだ。コルシカ条約では、捕虜を軽微な労働につかせる事が許可されており、マーカスもあっさりと認めてくれた。

 キョロキョロと辺りを見回していた赤ん坊が視線を止める。そしてその顔を皺くちゃにしたかと思うと、突然大声で泣き始めた。うろたえるナタリアを制して、ダルが周りの男に指示を出す。

 彼女から赤ん坊を受け取った彼は、用意されたオシメをテキパキと交換し、手渡された哺乳瓶を赤ん坊に口に吸わせる。あっという間に機嫌を直した赤ん坊は、ただ無心に哺乳瓶に吸い付いていた。

「ダルは・・・何でも出来るのですね」

「何をおっしゃる。先代と奥方が亡くなられた時より、お嬢をお育てしてきたのは我々。昔取った何とやらです」

 ダルはそう言って、ナタリアを見る。周りの男達も感慨深い表情で彼女に視線を注いでいた。ここにいる多くのものは、彼女がこの赤ん坊のような頃からファリロス家に仕えているのだ。

 過ぎ去った年月の長さは、彼女の成長となって彼らの前に現れている。立派な女性になったナタリアの姿は、彼らの苦労に報いるものであり、恩義への忠節を示すものであった。ダルは思わず涙ぐみ、周りの男達からはすすり泣く声が聞こえる。

 驚くナタリアに、ダルは涙を隠す事無く言った。

「先代は、ナチュラルである我々に分け隔てる事無く接してくれた。お嬢はそんな我々を家族だと言ってくれた。我々はお嬢に、このファリロスに家に、終生の忠義をもってお仕え申し上げる」

 男達は姿勢を正し、深く深くお辞儀をした。ナタリアは思う。

 自分がしようとしてきた事はこれなのだと。ただ、この者達と安寧に過ごせる場所を探してきただけなのだと。

 そのためには、様々な努力が必要だった。その中にはMSに乗る事も含まれていた。それでも、それは単なる手段であったはずだ。

 しかし、活動を続けていくうちに増えてしまった有象無象のしがらみの中で、いつの間にか手段の方が大きくなってしまったのでは無いだろうか。いつの間にか、人の決めた色分けの中で、南米の政治という目的のための手段に成り下がっていたのでは無いだろうか。

 ナタリアは、ダルの腕の中でまどろみだした赤ん坊を受け取る。南米の独立も、大西洋への抵抗も、全てはこの子のような者を生み出さないようにするための手段に過ぎない。ならば、もっとその目的に忠実に活動しても良いはずだ。捨てられた子供に思わず手を差し伸べてしまうように。

 コーディネーターとナチュラルの融和、プラントと連合の共存。そんな曖昧な言葉のためではなく、幼い頃から自分を守り育ててくれた人達とともに幸福に生きていける場所、ただそれを追い求めても良いのでは無いだろうか。

 きっと、そこから全てが始まる。曖昧な言葉は、確固たる現実に足をつけて、初めて意味を成すのだ。

 ナタリアもまた涙を浮かべ、深く深くお辞儀をした。

 

 海ばかりが広がっていた大西洋に、ようやく小さな島々が見えてくる。ヌエバ・コムネーロスを出てジブラルタルに向っていたトレランシアは、その巨体を一つの島に向けた。カナリア諸島にある名もない小島。それがファリロスファミリアの引渡し場所であった。

 書類上、エンジン不調から島に緊急着陸したトレランシアから、捕虜が脱走したという事になるらしい。原因は、大量の捕虜を施設の整わない軍艦で移送させたという事にあり、現場への処分は口頭での注意に留め、本部ではテロリスト捕虜の処遇に関する法整備を整えるという形で責任を取ったことにするそうだ。

「この小芝居に意味があるんでしょうかね?」

「あると考えるのが官僚です」

 マーカスとレセディはブリッジで言葉を交わす。小芝居がある以上、艦の責任者が引き渡しに立ち会うわけにも行かず、ヒューやアレナにそれを任せていた。ジブラルタルから回されてきたらしい船が沖に停泊しており、ボートが狭い浜辺にずらりと並べられている。

 プラントの係官がヒューを大型のボートに連れて行く。取り交わす書類があるのだろう。ファリロスファミリアの人達も、順次ボートに移り沖の船に向う。ナタリアはダルとともに、イェレとカシアに別れの挨拶をしていた。

 彼女らはカーペンタリアから大洋州に渡り、そこで暮らす事になっている。戸籍などはプラントが用意してくれるとの事だった。ファリロス家の資産はそのまま引き継ぐため、とりあえずは生活にも困らないだろうという。

「でも、何もしないわけにはいかないから・・・今までとは違った形で、何かをするわ」

 その何かは、もう決めているようなはっきりとした口調だった。そんなナタリアの言葉に、軽い羨望のようなものを覚える。

「イェレは・・・色々とがんばってね」

「色々って、意味深ね」

「カシアも、人の事ばっか言っていられないでしょ」

 バツの悪そうに視線を伏せた二人を、ナタリアはフフフと笑って見つめた。出発の時間が近づいているのだろう、ダルがナタリアを促す。彼女は最後に、イェレに頼んでいた事を聞く。

 腕に抱いている赤ん坊の名前を決めるように頼んでいたのだ。結局、信頼できそうな団体を見つけられなかったマーカスに、ナタリアが赤ん坊を引き取る事を申し出たのだ。イェレはポケットからメモを取り出す。

「サチ?」

「オーブの公用語で『幸福』とか『恵み』って意味」

 シンプルで普遍的な人々の願い。気に入ったのか入らないのか、ニコニコとしている赤ん坊に、ナタリアはそっとその名前で呼びかけた。

 沖の船が汽笛を鳴らす。もう子供ではない彼女らは、笑顔で別れを惜しむ事が出来た。

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