Green travelers ~ The another seed ~ 作:VSBR
喜望峰を間近に控える街。戦災の跡もようやく無くなり、街は緩やかに復興へと向かっているようにも見える。だがそこには戦後特有の活気、狂乱のような熱気は感じられなかった。閑散としたオフィス街からは、ここが南部アフリカ連邦の首都だという事も分からなくなりそうだ。
タクシーの運転手が久しぶりの客だ、などとぼやいている。向う先は、政党となったアフリカ解放戦線の本部ビル。今回は単なる表敬訪問であった。そして、おそらく二度と訪れる事は無いだろうとも思う。カヲ・ツォピンは、空っぽのビルを眺めていた。
ビクトリアにおける、電撃的な連合との和平合意。これによって、アフリカの大きな問題は、中央部におけるアフリカ共同体と統一機構西アフリカ同盟の小競り合いと、ビクトリア基地を巡るユーラシアと連合の駆け引きとなった。かつてアフリカ問題の主役であったアフリカ解放戦線は、その一線から退いている。
「個人的には、素晴らしい政策であろうと思います」
カヲは、訪問相手の女性にそう言った。きっちりした明るい色のスーツが良く似合う女性だ。だが、物憂げな瞳と疲れたような口元がそれを損ねている。アフリカ解放戦線議長で、南部アフリカ連邦の第一首相であるヘストリー・オサバ。連合との和平をお膳立てしたと言われる人物だ。
彼女はかすかに微笑みながらカップを手にする。そして、あなたのような賢い理解者は少ないと言った。その言葉が皮肉ではないのが、彼女の辛さであろう。南部アフリカ連邦は、外国資本を追放に近い形で締め出していた。
カヲの訪問理由は、その外国資本排斥の中で上海第七銀行を捻じ込めないかという期待をもって行われているのだが、彼個人としてはそれは無いと踏んでいる。彼女の疲れた顔は、その決意の表れだろう。
もともと産業基盤の乏しいアフリカで外国資本を締め出せば、経済は停滞し失業者も増加する。そのため国内の反発は激しく、また排斥された企業やその本国からも非難の嵐である。それでも、彼女は厳格な人道支援とNGOを中心とした草の根レベルの技術支援以外を、受け入れようとはしていない。カヲは聞く。
「・・・あなたの生きている間に、結果が出る目途は?」
「まさか。北側の国がかけた時間と同じ時間を必要とします」
外資導入による経済開発は、外資の利益を生んでも現地の発展を生み出さない。それは旧世紀から続くアフリカの歴史が示す事だ。アフリカから掘り出された鉱物が潤すのは、それを掘り出したアフリカの人々ではなくそれを売る外国企業だ。アフリカに設立された工場がもたらすのは、低賃金が生み出す低価格の商品と、低賃金を生み出す使い捨ての労働者に過ぎない。
国家が現地資本を保護・育成するにしても、その資金を外国から手に入れるのであれば、同じ事が起こるだけである。さらにはそこに、政府による汚職と腐敗がついてくるのだ。これも歴史が示している。
だから彼女は、それを完全に断ち切る。そしてまず自分達が食べる物を自分達で作る事、即ち農業の振興から始めるのだ。外国企業を追放する事によって、自分達では食べる事の出来ない商品作物から、主食への転作を促すのだ。
人が飢える事無く生きていけるだけの生産力。それがあって初めて、余った物を売って現金に代えるという行為が発生する前提が生まれる。経済発展とは、そこから始めるべきものなのだ。北側の国々は、そうやって一歩ずつ発展していった。彼女はアフリカに、同じ道を歩ませようとしているだけなのだ。
「ですから、あなた方の手をお借りするのは、多分百年か二百年か先のお話です」
申し訳なさそうに言うヘストリーを、カヲは好ましく思う。金を使って金を作ろうとする人間はただの商売相手だ。金を使って金以外のものを欲する人物は、興味の対象だ。だが、金の無いところから金を生み出そうと考えている人は、きっと素晴らしい人なのだろう。
銀行屋としては商売にならないが、彼はそこまで会社に義理を感じる人間ではない。
ジブラルタルの街でのショッピングも、プラントから届いた純正の部品も、その情報の前には霞んでしまった。ザフトの基地であるため、お客様のように隅っこに鎮座しているトレランシアの次の作戦が決定した。
生存が確認されたレジー・マヌカと、彼が再結成したアフリカ解放戦線、そしてそれに協力する大天使、その排除である。トレランシアは再び、アフリカに舞い戻る事になった。
「あの状況で死体の確認なんか出来ないっての」
「どの道、レジー・マヌカという人物がどのような存在かは分からないのだろう」
ぼやくヒューにアレナがあまりフォローになっていない言葉を掛ける。しかし確かに、レジー・マヌカという名前が個人の名前であるとは限らないのだ。
「アフリカの解放を夢見る全ての者がレジー・マヌカなのだ・・・ってやつか」
肩をすくめたタラスがトレーを持って立ち上がる。アフリカ解放戦線の現在の活動地域が大西洋側なのでユーラシアの動きは鈍く、大西洋はヌエバ・コムネーロスの安定化に手一杯という状況だ。かつてトレランシアが設置に尽力した難民キャンプを警護している部隊を増派して牽制するとの事だが、効果は低そうであった。
結局、フリーで動けるのはトレランシアだけである。適切な軍事力行使による紛争の防止。部隊の意義に合致する任務だとも言えるが、うんざりという気分に偽りは無い。緊急即応部隊の拡充という話も、最近は耳にしなくなった。
「成果はあげているはずなんですけどね・・・」
「色々と問題も起こしています」
レセディの言葉に、マーカスがため息をつく。確かに連合各国に警戒心を抱かれる事を、身に覚えが無いとは言えない。良く切れる包丁は便利だが、下手が扱うと怪我をする、そういったところであろうか。
ともかく出発の日時も経路も決定した。サハラ砂漠上空を抜けて、ビクトリアを経由しケープタウンに向う。マーカスは予定コースが示された地図を見ながら、大天使が接触してくるタイミングをあれこれと考える。
何となく無駄だという事は感じるが、それでも奇妙な因縁めいた繋がりはそろそろ切っておきたい。幸いな事に、パイロット達の状態はすこぶる良好のようだ。ブリッジに入ってきたカシアの明るい声を、とても頼もしいものに感じた。
地球の景色というものは、どうも際限というものが無いらしい。見渡すかぎりが水だったり、周りの全てが樹だったり。そして今は、足元に広がる全てが砂であった。混じりっけ無しの青空と、フラクタルな造形を見せる砂丘、MS一機でポツンと飛ぶにはあまりにも広大な景色だ。それでもこの砂漠は、一時期より縮小しているのだという。
旧世紀には赤道以北全域を飲み込むと言われた砂漠も、周辺国の対策や気候の変動などによって、その拡大が止まっていた。さらに前大戦時、北アフリカを制圧したザフトが、耐塩性・耐乾燥性の強い植物を大規模に植えた事によって、緑化も徐々にであるが進んでいた。遺伝子操作された植物であるため、長期間における生態系への影響も懸念されているが、砂に飲み込まれる危機は去っているとの事だった。
脚を何度か滑らせながら、グラティアを着地させる。こうも砂ばかりであれば、警戒する事なども無いであろうが、定期の哨戒飛行は欠かさず行われていた。緊急即応部隊の動きを見せるために、トレランシアはゆっくりと移動しているのだが、これでは見てくれる人もいないであろう。リリトはストローをくわえた。
「見てるだけで喉渇くわ」
食道を落ちていく水の冷たさを感じながら、彼女は一息つく。トレランシアの移動コース上である、ここで待って合流しても差し支えないはずだ。シートに深く身を沈めた。モニターに映るのは、空と砂である。考えなくてはならない事はたくさんあった。
さしあたって、二人の事をきちんと考えておかなくてはならない。だが締め切りの無い課題は、解決への道も遠い。
自分はイェレの事をどう思っているのか、それがはっきりすればフィジェへの答えも決まる。しかしリリトには、愛も恋も遠いものだった。そういった人間同士の関係への構築可能性が自身にも開かれている事を知ったのは、つい最近の話なのだから。
そんな話をユンディにしたら、理屈っぽいと鼻で笑われた。だが今のリリトには、理屈くらいしか考える手段がないのだ。イェレと口付けを交わそうとした時の感覚も、フィジェに好きとささやかれた時の感覚も、等しくリアルなのだ。それに、どんな基準で軽重を付けろというのだろうか。
「理屈を抜いたら・・・きっとカシアを選ぶだろうし」
それは偽らざる気持ちである。彼女が男なら、悩む事もなかっただろう。それでも、カシアに感じるこの感覚は、いわゆる恋愛とは異なるものなのであろう。だがリリトの中ではもっとも重い感覚だ。
リリトはどの感覚も大切にしたいと思う。ようやく手にした人の感覚なのだから。もう少し、こんな関係でいる事はいけない事なのだろうか。ただの友達としてじゃれあっていても構わないのでは無いだろうか。セットしておいたタイマーのアラームを切って、リリトはホッと息を吐く。
両手両足に力を込めて、ペダルとレバーを押し込んだ。砂の上に丸い模様を残して、グラティアは一気に上昇する。機体を後ろに向けると、モニターにはトレランシアの白い艦体が映った。
レーザー通信が開かれ、サブモニターに映ったカシアに周囲に異常のないことを伝える。モニターに微笑みかけると、リリトはグラティアを艦に向けた。
見渡す限り人で一杯である。だが、そこには活気などない。いや、生気すら失われているといった感じだ。どの人も一様にうなだれ、力なく地面に座り込んでいる。雨を凌ぐ屋根もなく、日差しを遮る衣服すらまともに持っていない。集まった人達が口に出来る物は、水すらない。
アフリカ共同体政府は、キャンプを早急に設置し避難民の一時受け入れを行うと発表しているが、それがパフォーマンス以下の声明である事は、ここをみれば一目で分かる。そもそもアフリカの各政府にそのような資金も能力も無い。ここにいる人達は襲撃者に殺される事を回避しただけであり、死という結末にはいささかの変化も無いのだ。
うずくまっていた人がゆっくりと崩れ落ち、死んだ事が示される。クルト・クラウはカメラを向ける方向を迷う。
「・・・すぐに忘れられる」
国際社会の注目は南米情勢と、ようやく国境が画定した中東情勢に向っていた。ビクトリアでの会議以後、アフリカに対する国際世論の反応は一気に冷めていたのだ。しかし、アフリカの情勢に変化など無かった。
政府レベルでの大枠には多少の変化もあっただろうが、足元は何も変わっていない。テロリスト、ゲリラ組織、武装強盗、軍閥・・・安定した市民生活など無かった。南米取材の応援を命じられたクルトは、社の上層部に直談判して再度アフリカを訪れていた。読者の関心をアフリカに向けさせ続ける事のできなかった責任に対する、せめてものケジメである。
ビクトリア条約では、アフリカ中央部における国境は交渉の場を設けるとしただけで、何の解決策も示してはいない。キサンガニ攻略に失敗して求心力を失った統一機構西アフリカ同盟、マスドライバー権益の維持のために原則論を譲らないユーラシアの代理人に過ぎないアフリカ共同体、そして極端な経済政策で国内が混乱している南部アフリカ連邦。まともな交渉などありえなかった。
そこにアフリカ解放戦線の復活である。混乱は火を見るより明らかであった。クルトはカメラを回す。ここの人達も、そんな混乱の中で生み出された人達であった。
どの人もひどい怪我を負っている。しかし、そのどれも銃創ではない。殴打の跡や、鈍い刃物で切りつけられたような傷ばかりだ。手首から先を切り落とされた人や、膝から下の無い人も大勢いた。治療も出来ず、ただ汚れた布で縛られただけの人を写しながら、クルトは寒気のような者を感じる。
この人達は、ただ武装集団に襲われたのではない。虐殺、その二文字が頭をよぎった。写真を切り上げると、少しでも話を聞けそうな人を探す。
ビクトリアの防空圏に入り、トレランシアは通常体制に移行した。ブリッジの緊張も緩み、カシアは真っ先に休憩に入る。丁度、リベルが着艦したところだった。クレーンやリフトの音と共に、リベルがMSデッキに搬入される。
ハンガーに据えられた機体に整備員が取り付き、ハッチからフィジェが姿を現した。ヘルメットを頭に載せただけのカシアが、タオルと水筒を差し出してくれる。
「お疲れ」
「あ・・・あぁ」
整備員の冷やかしを避けるようにロッカールームに向う彼の後を、カシアが小走りに付いて行った。外で彼女が待っているのが分かるので、出来るだけゆっくりとシャワーを使う。やはりカシアと二人きりにはなりたくない。
自分もリリトに対して同じ事をやったのだ、だからカシアの凄さが分かる。気まずさとか、そういうのは絶対にあるはずだ。それでも彼女はアプローチをやめない。それが想いの強さの証明なのだとしたら、正直グラついてしまいそうだ。何より、リリトの想いはもう分かっている。
ただ彼女の口からそれが確定されるまで、猶予期間をもらっているだけのようなものだ。シャワーを止めてため息をついた。
髪を乾かしていると、廊下の話し声が聞こえる。やっぱりカシアは待っていた。
「すぐ寝る?」
そういう気遣いを見せてくれる彼女を邪険に扱う事が出来ない。だが露骨にキスをせがむような仕草は無視した。歩き出したフィジェを追いかけて、カシアが腕を組んでくる。
きっとそれを振りほどいてもいいはずだ。だが実際、腕を組んできた女の子を振りほどける男などいるのだろうか。そんな彼の葛藤を知ってか知らずか、カシアはニタッと笑って言う。
「そろそろ・・・キスの先を奪ってもOKかな」
「・・・!」
流石に何か言おうとした瞬間、彼の目は彼女の胸の谷間を見てしまった。制服の胸元を僅かに開けているだけだが、身長差と密着度合いから丁度見えてしまうのだ。咄嗟に視線を外す事の出来ない彼女の体は、男にとって十二分の凶器だった。ようやく視線を逸らしたフィジェに、カシアが笑う。
「何か言ってよ・・・私はさ、あなたの不幸を待ち望んでいる悪い女なんだし。不幸の底であなたに手を差し伸べようとてぐすね引いて待ってる、ズルい女なんだから」
茶化すようなその言葉は、そんなに軽い意味ではないはずだ。同じ立場にいるから、それがよく分かる。それはとても強くて、強かな言葉だ。彼女を見ると、目を伏せてただ黙っている。
猛烈に心をかき乱されるのを感じた。それはもはや彼女の術中なのかもしれない。それでも構わないとさえ思ってしまう。しかし、そうであるならばなおの事、彼女に対しては誠実でなくてはならないはずだ。
フィジェは立ち止まり、絡んだ彼女の腕をそっと解く。揺れる心に任せて、カシアを抱き締めたい衝動を抑える。「分からないままではダメ」、リリトの言葉の意味が何となく分かった。
基地、宇宙港ともに、見た目に慌ただしさは無かった。ビクトリア湖に出入りする輸送船、インド洋に向けて真っ直ぐ延びる貨物線を行きかう貨車。マスドライバーによる物資の打ち上げと、宇宙から降りてくるシャトル。地球とプラントを結ぶ物流拠点として、当然の活動を見せているだけだ。
同時にここは、アフリカ最大の軍事拠点でもある。しかし、ビクトリア基地を管理するユーラシア軍に目立った動きは無い。それでも、軍の動きが無い事がそのまま平和の証拠になるほど、アフリカの情勢が安定しているわけではなかった。
補給作業の進捗状況の報告書を閉じると、レセディは正面を見つめる。腕を組んでいるマーカスも厳しい表情だった。
「厄介ですね・・・敵の姿が見えない」
戦艦一隻と艦載機六機のみの緊急即応部隊である。広範囲の治安維持活動などはもともと不可能な部隊なのだ。地域の不安定要因となっている武装勢力などが存在すれば、それを排除する事はできる。だが、その不安定要因が明確でない限り、彼らにできることは無い。
レジー・マヌカとアフリカ解放戦線が活動を再開したという情報はあるのだが、彼らは以前のように積極的な攻勢に出ているわけではない。排除すべき対象が見えない以上、トレランシアは動けないのだ。
アフリカ解放戦線が、そのまま政治組織としてアフリカ各国の民主的な政治運営に携わるのであれば、特に問題は無い。しかし、それが絵空事に過ぎない事は誰もが分かっている事だ。
「そもそもアフリカで民主的な政治運営がなされている所の方が少ない」
組んでいた腕を頭の後ろに回して、マーカスが息を吐きながら言った。アフリカ解放戦線の勢力伸張が、アフリカの新たな火種となる事は間違いがない。それを火種の段階で消せるか否か。トレランシアには手に余る問題である。政治・経済・軍事、様々な角度からのアプローチがあって初めて、トレランシアの活動にも意義と意味が生まれる。
しかしビクトリアでの条約調印後、急速に関心が失われているアフリカに、再び関心が寄せられるのは、火種が火事になってからであろう。それが明日なのか一年後なのか十年後なのか。レセディは目を伏せる。
トレランシアがビクトリアに入ったという事は、本部としては遅からずアフリカ解放戦線が大規模な行動に動くと見ているのかもしれない。大天使もそれに合わせてアフリカに潜伏しているのであろう。マーカスが視線を外に向けながら言う。
「筋書きを誰かが用意しているなんて事は、ないでしょうね・・・」
嫌な想像だが、彼らの任務は往々としてそのようなものだ。遠く離れた場所でシナリオを練っている人間は、舞台に立つのが本物の人間だということを理解しないものなのだろう。だから、現場の人間が本物の人間を目撃する時の感情も理解できないのだ。
避けられない犠牲者などという言葉は、現場が発する言葉ではない。しかしマーカスやレセディに出来る事は、せめてトレランシアのクルーから犠牲者を出さない事くらいである。
トレランシアは、明後日にビクトリアを出発する。南部アフリカ連邦の難民キャンプに展開する連合軍の治安維持部隊の支援が、その名目であった。
綺麗に磨かれた機体がハンガーに並べられ、予備の部品を詰めたコンテナが整然と積まれている。MSデッキには人も少なく、整備班の人達も出発前に羽を伸ばしに街へと繰り出したようだ。
代わりに、トレランシアの制服とは異なる格好をした人達が、運び込まれたコンテナの数を数えている。難民キャンプへの追加物資を、トレランシアの貨物庫を利用して運ぶことになっていた。食料や医薬品に加え、井戸を掘るための機械や小型の発電機も積み込まれている。
その物資を管理するプラントと大洋州のNGO団体は、難民への支援だけでなく周辺地域への技術支援も行う予定となっていた。
「カシア?」
遅れていたグラティアのプログラム修正をようやく終えたリリトが、コクピットから顔を出す。支援物資のチェックを行っている人達の間に、見慣れた長い黒髪を見つけた。何かを手伝っているのかと思いきや、彼女はじっと一つのコンテナを見つめているだけである。
デッキに下りて声を掛けた。カシアは、その小さなコンテナの中に入っているものの事を教えてくれる。プラントで開発された乾燥に強い陸稲の一種だそうだ。現地への農業支援の一環として、試験的に導入されるのだという。プラントとしては珍しく通常の品種改良によって作られたもので、また収穫の一部を種として保存すれば翌年も栽培できる品種であった。
実際に栽培が順調に行くか、それが現地の主食になり得るかなど、課題は多いらしいが、地元政府からも期待を寄せられている支援だという話だった。カシアは続ける。
「穀物企業系の支援だと、種の収穫できない一代雑種を肥料や農薬と抱き合わせて支援するんだって。そうすると現地の人は、ずっとその企業から種と肥料と農薬を買い続けなくっちゃならなくて・・・」
リリトはそんなカシアを不思議そうに見つめる。この手の話題に、こんなに食いつくキャラだっただろうか。そんなリリトの疑問を察したのか、カシアはコンテナに書かれた文字を指差す。
ユニウス116号・オリザスターム、それがその作物の品種名であった。カシアは言った。
「パパとママが作ったやつなの」
彼女の両親はプラントの農業技術者である。その活動の一環として作られた品種が、今こうして目の前にあるのだ。両親がどのような仕事をしているのか、それを初めて実感できた。それがどのような意味を持つ仕事なのか、地球各地、それも紛争地帯を転々としてきたカシアにはよく分かる。
だから彼女は、こうして両親の偉大さを噛み締めているのだ。アフリカの乾いた大地に、作物を実らせること。それはアフリカに紛争ではなく生活を根付かせることに繋がるはずだ。それはきっと、トレランシアが行おうとしている事の、さらに向こう側にある事だ。
カシアは視線を動かすことなく、ただ自らの苗字が冠されたその品種名を見つめ続けていた。
カラハリ砂漠では、一部の年間降水量が砂漠の定義から外れることがある。また銅やニッケルなども埋蔵されており、ダイヤモンドの大規模な鉱山も存在する。再構築戦争後それらの開発は止まっており、まだまだ魅力的な資源が十分な埋蔵量とともに眠っていると考えられていた。
アフリカ解放戦線は、砂漠の一角の丘陵地帯に半地下式の基地を建造していた。南部アフリカ連邦を名乗った、以前のアフリカ解放戦線穏健派には知られていない基地の一つである。
岩肌に儀装したハッチが開かれ、大型のトレーラーが次々と基地の中に吸い込まれていく。作業員がトレーラーに取り付くと、物資の搬入が始まった。
「予想以上の集まりです」
「余計な期待をかけられているという事だな」
レジー・マヌカはそう言って苦笑いを見せる。届けられた物資は、大西洋連邦と東アジア共和国からの武器・弾薬の類であった。旧式が主体だが、MSも運び込まれている。プラントの義勇兵も二部隊ほどが合流しており、それに対するカーペンタリアからの支援もあった。アフリカ解放戦線の戦力は、順調に整備されている。
これほど大規模な動きが取れるのは、レジー・マヌカ本人の影響力もさることながら、南部アフリカ連邦の求心力の弱さの表れでもあった。外国資本の排斥に伴う国内経済基盤の衰退から、国内における南部アフリカ連邦の支持は弱まっている。砂漠とはいえ政府当局に察知される事なく、大規模な輸送作業が行えるのは、現地住民の協力があるからこそである。
そして排斥された外国企業は、南部アフリカ連邦の代わりにアフリカ解放戦線への投資を行うのだ。アフリカ開発の権利を見返りとして、食糧、武器・弾薬、兵器、そういったものを支援が行われる。
もちろんこれはアフリカ解放戦線の勝利という前提がつくのだが、レジー・マヌカの存在はその前提に強い説得力を与えるものであった。トレーラーから立ち上がったMSは、東アジアが独自開発したMSである。
「キサンガニ戦の前に、これだけの援助があればな・・・」
レジー・マヌカはもう一度苦笑いをする。大西洋も東アジアも、当初支援していた統一機構西アフリカ同盟が弱体化したことから、アフリカ解放戦線へと鞍替えをしているのだ。今はその変わり身の速さをなじるよりも、潤沢な物資が供給される事を優先しなくてはならない。
先進国の援助が無ければ立ち行かないのは、アフリカ解放戦線だけではない。アフリカそのものが、外国からの援助なしには立ち行かないのだ。ならばそれを受け入れた上で、どうするかを考えなくてはならない。アフリカの解放、その夢を実現するための手段として、これらの援助を使いこなせばよいだけである。
大西洋カラーのウィンダムの塗り替え作業が始まっていた。レジー・マヌカはMSデッキを後にして司令室へと向う。準備は万端であり、あとはタイミングを見計らうだけでいいのだ。
「連合の部隊が動いているようですが」
「我らが大天使もそれを知っているよ・・・」
アークエンジェルに過度の期待はしていない。だが、正当な評価に基づく期待はきちんとしているつもりであった。
コクピット内での待機を命じられて、十五分が経とうとしている。ブリッジから伝えられる情報は断片的なものばかりであり、状況は良く分からないままであった。Nジャマー濃度が高く、先行発進した三機のウェルガーからの通信も全く入っていないようだ。イェレは下げていたバイザーをあげる。MSデッキの照明が、モニター越しにコクピットを照らしている。
夜間、複数のMSによる戦闘行動らしきものを発見し、トレランシアは警戒レベルを最大に上げていた。場所は目的地である難民キャンプの近くであり、連合が派遣した治安維持部隊に加え、南部アフリカ連邦の軍や、ユーラシアが支援する地元政府の基地がある場所でもある。動くにしても慎重な対応が求められた。ウェルガー三機を先行させたのは、それが理由である。
高度と速度を落とし、トレランシアは各種センサーをフル稼働させて状況を探っていた。コクピットの中で、行き場の無い緊張感を持て余している三人に声をかけながら、カシアもモニターを見つめている。
「通信が取れないのが痛いですね・・・」
マーカスは、モニターの一つに映し出された熱紋を見つめて言った。遠いので確定ではないが、おそらくストライクダガー。数は四つで、今も動いている。連合の部隊はMSを有していないため、南部アフリカ連邦軍か地元政府軍である。
自律飛行の無人偵察機が戻ってくるまでのジリジリとした五分間は、それが持って来た映像によって一気に緊迫した時間へと変わる。四機のMSが、現地の住民らしき人達を襲っていたのだ。脚部や頭部の機関砲が発射されている画像もあり、犠牲者が出ている事は間違いが無い。
相手がMSである以上、難民キャンプの治安維持を受け持つ連合部隊に任せる事もできない。先行したウェルガーは行き違いになってしまったのだろう。グラティア、フォルトゥーナ、リベルにスクランブルがかかった。
水筒の水を軽く口に含んで、イェレはバイザーを下げる。サブフライトシステムごと打ち出されたリベルを追いかけるように、フォルトゥーナが飛び出した。安定翼を広げてスラスターを吹かす。追いかけてくるグラティアが指でサインを出すと、高度を落とした。
映像では、襲われている人々は車などに分乗して難民キャンプを目指しているようであり、敵MSの排除の他にその人達の護衛も必要だと判断されたのだ。夜の闇に姿を消すグラティアを見送ると、イェレはペダルを踏み込んだ。リベルが攻撃態勢に入っている。
最大望遠のモニターに映るのは、リベルのビームが着弾する様子。その光に照らされて、健在な敵の姿が見えた。夜間の有視界戦闘では、長距離砲撃は期待できない。しかも周囲にはまだ人がいるかもしれないのだ。照準はいつも以上に甘くなる。だからリベルの砲撃は囮だった。
リベル目掛けて反撃のビームが撃ち出されるのを確認して、フォルトゥーナは一気に高度を下げた。接近戦でケリをつける。
「一つ!」
地響きとともに着地したフォルトーナは、勢いを殺す事無く斬機刀を振るった。間合いは甘かったが、気迫で敵のシールドを切り落とす。左手に持たせたビームガンでその頭部を撃ち抜き、銃把から発生させたビームサーベルで胴体を貫く。
爆発せずに崩れ落ちた機体を踏みつけるようにして、フォルトゥーナは飛んだ。リベルからの支援砲撃が、あたりを一瞬だけ明るくする。
煙を上げて燃えているストライクダガー。その傍で手を振っているフォルトゥーナと、上空を旋回するリベル。ヒューは冷や汗が流れるのを感じる。とにかくトレランシアへの報告に向おうとするのだが、機体が一機足りないのに気付いた。
「フィランディエーレ少尉は?」
「難民キャンプに向かっていた人達の護衛につきましたが」
フィジェの返答とその時間を聞き、もはや手遅れであろう事を悟ると、ヒューは天を仰いだ。そして、彼女の不幸と運の悪さを哀れむ。リリトはコクピットの中で、叫び声すらあげられないでいた。
五台のトラックにはそれぞれ十人前後の男が乗っており、その男達は難民キャンプに到着するや否や、手にした鉈や棍棒で難民キャンプの人達を襲いだしたのだ。眠っている所を襲撃され、人々は成す術なく殺されていく。
逃げる間もなく頭を割られる人、脚を切り落とされて這いずる子供、棍棒で袋叩きにされる女性、命乞いをする顔に石を叩きつけられる老人、髪に火を付けられて転げ回る少女、幼児が抱きかかえられ地面へと叩きつけられた。逃げ惑う人達はトラックに追い立てられ撥ね飛ばされ、そしてその一人一人を確認するように殺されていく。車のヘッドライトと松明だけで照らされる闇の中で、凄惨という言葉が生易しい光景が繰り広げられる。
マイクが拾うのは叫び声ではない。何か、人の世のものでは無いような声。恐怖への悲鳴と、狂気の雄叫びがない交ぜになった、始めて聞くそして二度と聞きたくない悪魔の哄笑のような声。
レバーを握る手が震えている。リリトの停止した思考は、それでもグラティアを動かそうとしていた。銃声が聞こえ、拡声器を通した声も聞こえてくる。
「MSは動かすな! 周りへの被害が増える!!」
白く塗られた装甲車が何台も猛スピードで接近し、軽機関銃の音が襲撃者達を追い散らす。難民キャンプに派遣された治安維持部隊が急行してきたのだ。そろいの青いヘルメットを被った兵士達が散らばり、襲撃者を取り囲むように追い詰めていく。
不意にトラックの荷台で立ち上がった男がいる。兵士の持つ自動小銃が火を吹くより一瞬早く、男が手にした携帯型ロケットランチャーが発射された。直撃を受けた装甲車が爆発し、火達磨になった運転手が投げ出される。
たじろいだ兵士達の囲みを突破して、トラックが襲撃者を乗せて逃走を始めた。装甲車の攻撃を受けて爆発したトラックがあったものの、結局四台のトラックを取り逃がす事になってしまった。
グラティアの中で放心状態となっていたリリトがコクピットから引き出されたのは、難民キャンプにトレランシアが到着した明け方過ぎの事であった。