Green travelers ~ The another seed ~ 作:VSBR
この手の職業に就いていれば、命に関する覚悟はつけておくものだと嘯いている。家に帰るたびに遺書を書き直している者もいれば、結婚はしないと誓っている者もいる。市民の「知る権利」の最前線で、ジャーナリストは文字通り戦っているのだ。しかし、それを我が身で実感する気分は最悪であった。
軽傷で済んだのはただの偶然であり、通訳兼ガイドの男は隣の席で頭を弾けさせるように死んだ。脳震盪を起こして気を失い、気が付いた時には横転した車の中であった。捻挫した足を引きずって歩き、近くを通りかかった農夫に助けられたのはただの幸運に過ぎない。その農夫が、治療と食べ物とベッドを提供してくれるなど、御伽話に過ぎないのだから。
クルト・クラウは、電話のある最寄りの村まで歩いて行かなくてはならなかった。旧世紀、急激に発達した無線式電話によって、アフリカはインフラ整備の必要な有線式の電話が極端に少ない。Nジャマーの撒布によって、アフリカの通信事情は最低レベルに戻ってしまった。添え木で固定されただけの足が重い。
「災難でしたね、としか言いようが無いので・・・」
青年の申し訳なさそうな声に首を振った。綺麗な水を分けてもらえただけも、一生の恩義である。どこかで会った事があると思うその顔は、ビクトリアで取材を行っていた時に道を聞かれた絵描きの青年だった。
流石に名前までは思い出せなかったが、青年の方はクルトの事を覚えておらず、丁寧に自己紹介してくれた。木陰で休息をとりながら、間を繋ぐように言葉を交わす。
「狙われた?」
クルトを襲ったのは、ただの強盗というわけでは無かった。彼の取材目的と、今まで取材してきた内容を知った上で襲ってきたのだ。現地で事情を聞いた部族関係者の人間が、襲撃グループの中にいたのを見ている。
カメラなどの機材を収めた箱は、盗まれたのではなく破壊されていたのだ。運の悪い事に、銀塩フィルムは全てその箱にしまっていたため、手元に残ったのは僅かなデータカードのみだった。今の時代、電子データの写真など何の証拠にもならない。命あっての物種であるが、真実を逃したジャーナリストなど命あっても無意味である。思わずついた悪態を青年に詫びた。
クルトの嘆息に青年は、何の取材をしていたのかを聞く。
「ジェノサイドです・・・」
それ以上無いような重みを込めて、その忌まわしい言葉を言う。そしてそれを仕掛けている者の存在も、クルトは掴みつつあった。証拠となりうる写真や証言も集まりだしていた矢先の襲撃である。
それを公表し、再び国際社会にアフリカの現状を問いかける機会を、クルトは一気に失ったのだ。悔やんでも悔やみきれないとはこの事だった。彼は深く息をついた。
じっと話を聞いていた青年は、おもむろにスケッチブックを取り出す。そして何も言わずに、それをクルトに見せた。
交代のサイレンが鳴り響き、各機体に取り付いていた整備員がバラバラと入れ替わる。ヘルメットを取って汗を拭ったユンディは、タルハと軽く目配せをする。彼は視線だけで了解の合図を送った。
先の戦闘と難民キャンプの襲撃事件で、トレランシアも上の方は大変な騒ぎだった。だがパイロットの方も、同じくらいに深刻な影響を受けていた。待ち合わせ場所のディスペンサー前で、タルハは紅茶をすする。
「やっと落ち着いたみたい」
疲れた顔のユンディにリクエストを聞き、カップを渡す。リリトはまだ部屋で伏せっているそうだ。医者からは安定剤を処方されているようだが、カシアが付きっ切りになっている。だが、彼女が一体何を見たのか、それを知る者はいない。グラティアに保存されていた映像は全て艦長の権限で封印されている。ただ、付近住民による難民の襲撃があったと教えられただけだ。
リベルとフォルトゥーナの交戦記録も全て押さえられ、トレランシアのクルーにも緘口令が敷かれていた。何か納得のいく説明がなされるという雰囲気ではない。ユンディがカップの中身を飲み干す。
タルハの肩に寄りかかると、目をつぶった。こうできる相手がいる事と、とりあえずの仕事が与えられるという事は、とても楽な事だ。
「ダーリンはさ、これからの事とか、考えたりする?」
「それは・・・今の事をちゃんと考えられるようになってからだと思うな」
今のように楽な状態でそれが出来るのだろうか、二人とも自信が持てなかった。艦内アナウンスがフィジェとイェレを呼んでいる。
艦長室では、マーカスとレセディが息詰まる睨み合いを演じていた。蛇に睨まれた蛙は、最後の勇気を振り絞るように視線を逸らさず耐えている。状況は複雑さの極みにあり、小さな対応にも細心の注意が必要だった。現時点で確定している情報をクルーに伝えるべきか、状況の全体像が見えた上で全てを説明すべきか、マーカスとレセディは意見を違えていた。
だがマーカスがパイロット二人を呼んだという事は、クルーへの迅速な情報開示を選択したという事だろう。レセディは反論する。
「全体像なんてものは、いつまでたっても見えませんよ」
マーカスは震えながら言う。半分はレセディの視線に気圧されてだが、もう半分は怒りからである。連合本部に明確な方針があるとは思えなかった。例えあるとしても、それはまったく別の事を考えているだろう。事態の概況はこうであった。
この難民キャンプは、地元政府と反政府勢力による内戦によって生じたものであり、そこにホユ族とコラカ族という部族対立も生じていた。難民キャンプを襲撃したのはコラカ族の住民である。
以前トレランシアがこの難民キャンプ設立に関わった時、ユーラシアが支援する地元政府軍とアフリカ解放戦線が支援する反政府勢力の双方に打撃を与えた。その後地元政府と反政府勢力は、アフリカ解放戦線がビクトリアでの協定を締結するのと歩調を合わせるように停戦交渉を開始し、難民キャンプに展開する連合の治安維持部隊と共に、難民の帰還などの作業を進めている。少なくとも政府レベルでの対立は、弱まっていると考えられていた。
だが住民レベルでは逆に、部族対立が深刻化していたのだ。これまでのような武装盗賊や反政府活動のような組織だった動きではなく、一般住民同士での衝突が頻発していた。難民キャンプは、今回のような襲撃をたびたび受けているらしい。
フォルトゥーナとリベルが撃破したのは、その武装住民を追跡中の部隊であった。その件に関しては、連合本部が「迅速」に対処したらしい。夜間であり、Nジャマー濃度が高かったため、不幸な同士討ちとなったという形で片付けたようだ。部隊を有していた地元政府には、それなりの補償がなされるのであろう。納得のいかない二人の顔を見ながらマーカスは説明を終えた。
「重火器を有さない人間の乗るトラックを追うMS、その時点でこちらの誤解は始まっていました。君達の責任ではありません」
「・・・その、そういうんじゃなくて」
イェレは顔をしかめながら口を開く。一通りの状況は分かったが、その裏にはよく分からない事情が横たわっているのも分かった。その裏側についての説明が無ければ、納得には程遠い。
しかしフィジェには、その裏側については艦長も副長も知らされていないのでは無いかと感じる。難民キャンプとその周辺地域における住民レベルでの部族対立、それを原因とする付近住民による難民への襲撃。事前にその情報があるだけでも、状況は違ったのでは無いだろうか。
イェレの袖を引くようにして、フィジェは部屋を辞した。リリトの様子でも見ておこうかと思う。彼女は汗だくの体をベッドの上に起こしていた。カシアが差し出したタオルを受け取り、その手を握る。
網膜の裏側にあの光景が、鼓膜の奥にあの声が、まだ残っている感覚。探すようにカシアの腕を取り、その体を求めた。胸の柔らかさは、震えを吸い取ってくれる。カシアの手は、リリトの頭を抱いている。
放心状態でコクピットから引き出され、医務室では軽いパニック状態に陥ったリリトは、まだその体を震わせている。彼女が何を見てしまったのか、それは分からないが、それが見るべきものではない事だけはよく分かった。
「・・・っはぁ」
顔を上げたリリトが息をつく。震える唇が何かを言おうとしている。反射的にすくまった彼女の肩を見て、カシアは洗面器を手に取る。もう胃液しか上がってこない嘔吐を繰り返すリリトの背をさすり、口をゆすがせる。
無理をして話さなくてもいい、そんな言葉を飲み込む。涙を浮かべるリリトの目は、話す事を訴えていた。苦しくても、いや苦しいから吐き出したいのだ。きっと、彼女が見たものはどんな吐瀉物よりもおぞましいものなのだろう。
『洗面器が必要なのね・・・』
だったらちゃんと受け止めよう、彼女の記憶したおぞましいものを。酸えた臭いの漂う部屋で、カシアはリリトのか細い声を聞き続ける。
以前のように、トレランシアのMSが難民キャンプの警護に就く事になった。頭数が少ないのでパフォーマンスの域を出ないのだが、難民キャンプ内で人の移動が始まった。トレランシアのMSを覚えている人が多く、安全を求めて少しでもMSに近い場所へと移動してきているのだ。
連合の治安維持部隊がいるとはいえ、あらゆる物資が慢性的に不足している難民キャンプの人達は、かつてと同じくやせ細った体にボロをまとい、ボロ布のテントの下にうずくまっているだけであった。違うとすれば、その体にひどい傷を負っている人が多いという事だった。タラスはため息を堪える。
先日の出撃時、彼らの三機は別のMS隊と接触しており、その隊長から住民による難民虐殺の話を聞いていた。以前から住民同士の小競り合いはあったそうだが、相手部族の殺害のみを目的とした行動はここ一、二ヶ月で急に増えだした現象だという。
「・・・誰が糸を引く」
旧世紀にも、アフリカでは住民による住民虐殺が発生している。部族対立を背景にしていたと説明されるが、実際には政治的権益の維持を目的として、それを扇動した者がいるのだ。
昨日まで近所づきあいをしていた人が、一方的に隣人を殺す。そんな事が、実際に「引き起こされた」のだ。それは、ここでも同じであろう。
それ以上に解せないのは、連合の動きである。連合軍として治安維持部隊まで派遣しているのだ、情報は掴んでいて当然であろう。トレランシアのみにそれが伝達されない理由は無い。連合軍の足元で住民虐殺が発生した事で面子が潰れると考え、隠蔽しているのだろうか。
それはそれで問題だが、もっと何かほの暗いものがあるのでは無いか、そんな事を感じてしまう。知識の増加が、悲観的な予想をいくつも想定できるという事ならば、それは悲しい事かもしれない。タラスは堪えていたため息をついた。
スピーカーで周囲の人間に離れるように呼びかける。交代の機体が到着したのだ。グラティアとウェルガーセカンドが、トレランシアの連絡用ヘリを護衛しながらやってきた。
「待ちかねていたよ」
マーカスとレセディは驚いた顔で居住まいを正す。地球連合人道支援局局長トーマス・ピアフがこんなところにいる。彼には以前もトレランシアの作戦の事で会っているが、そのままアフリカに居続けているのだろうか。すっかり日に焼けた顔は、ジュネーブやダブリンに戻っていない事を物語っていた。
連合本部事務局の中でも高級幹部の彼が、アフリカの出先機関に居座り続けるのは、左遷以外に考えられないが、その精悍な顔つきは、つまらない政治的なゴタゴタを感じさせなかった。そんな二人の考えを察したのか、それともそのような反応に慣れているのか、聞く前に説明してくれた。
「この年になっても、人生を変える体験というのは可能なんだよ」
本部で人道支援に関する企画立案を行う部局のトップとして、一通りアフリカの現状を見て回るつもりだったのだが、目の当たりにした現実を前にオフィスに座っている事が出来なくなったのだという。そして決裁権限を持ったままアフリカ各地の現場を飛びまわる日々だという。
長期的視野にたったアフリカの発展政策、それはもはやアフリカの内部で試行錯誤すべき問題なのだ。そこまで連合が面倒を見ようというのは傲慢さの表れか、経済的権益確保のための地ならしでしかない。人道支援局がやるべき事は、今この瞬間に危機に立たされている人達に手を差し伸べる事なのだと、トーマス・ピアフは言った。
そして現場にいる者の皮膚感覚こそが、現場のニーズを唯一的確に捉えられるのだという。彼がここにいるのもそのためだ。
「百人の人がいれば、百通りのニーズがある。ニューヨークにいれば、それを十把一絡げに把握することしかできん」
前置きが長くなったと言って、トーマスは姿勢を正す。用意された資料の内容は、知らされていない事ばかりであった。聞くと、正規の文書ではなくトーマスが自らタイプした資料だという。
『アフリカにおける緊急の対処を要する人道的危機』との表題が付けられた資料には、南部アフリカ連邦内部における住民虐殺の事例が列挙されていた。あれは、この付近の特異な事態ではなかったという事だ。マーカスもレセディも表情を硬くする。
その原因について、南部アフリカ連邦の極端な政策による経済混乱や、旧大戦中に連合やプラントが行った部族対立を利用する占領政策の影響などが挙げられていた。しかし資料の後段では、さらに何らかの背後関係が存在する事を示唆している。
「問題は方法だよ」
旧世紀に起こった虐殺の事例においては、マスメディアを利用した住民の扇動・洗脳が行われている。テレビやラジオといった手段で、巧妙に住民対立を煽る放送を繰り返すのだ。だがNジャマー撒布下の現在では、その方法は使用できない。それにも関わらず、広範囲で同様の事例が同時多発的に起こっていた。
現地では人員も限られており、十分な調査も出来ていないという。マーカスは、人道支援局長の権限で人員の拡充などは可能なのではないかと聞く。
「こちらの権限では無いというのだ」
トーマスの努めて冷静な声が、憤りの深さを伝える。そして連合の事情を教えてくれた。『ジェノサイド』の存在を認めたくないのだという。
現在起こっている事例のいくつかには、ナチュラルとコーディネーターの対立が含まれていた。ホユ族とコラカ族のように、前大戦中コーディネーターを受け入れた部族とそうでない部族の対立があるのだ。
レクイエム戦役後に連合とプラントが結んだ和平条約の中に、「遺伝子的差異に基づく迫害に対する迅速な措置」という条項がある。もともとはブルーコスモスの排除を目的とされた条項であるが、ナチュラルやコーディネーターに対するジェノサイドが確認された場合、連合・プラントの双方が早急に実効性のある対処を行わなくてはならないとされていた。
もし今アフリカで行われている事が明るみになれば、プラントは当然連合に対して何らかの行動を求めるであろうし、ジブラルタルやカーペンタリアの部隊がアフリカに対して軍事行動を起こす大義名分にもなりうる。実際に軍事行動を起こす事は、現在のプラントの状況から見てありえないが、大きな政治的カードを握られる事は確かである。
それを避けるには、『ジェノサイド』の存在そのものを無い事にしなくてはならない。
トーマスは、ルチアーノ・プレスが何か言っていなかったかと聞く。首を横に振った二人を見て、彼は腕組みをした。
「彼はそれほどの博愛主義者では無いと思うのだが・・・」
緊急即応部隊の派遣を求めたのはトーマスであり、その目的はトレランシアの権限で住民虐殺に関する調査を行えないかと考えてであった。ルチアーノであればそのくらいの事は見通すであろうし、都合が悪ければ何らかの制約をトレランシアに課すであろう。それが無い事に引っかかりを覚えるようだ。
思案顔のトーマスを見ながら、マーカスは心を決めた。面倒な仕事を回されたのは事実であろうし、過大な期待をかけられているのも事実だ。だがそんな個人の愚痴はひとまず横に置いておくべき状況が、今のアフリカには横たわっているのだ。
「微力ですが、全力を尽くさせてもらいます」
マーカスはそう言って手を差し出す。握手を交わす二人を見ながら、レセディは別の事を考えていた。
トレランシアを使ってトーマス・ピアフと人道支援局にこっそりと恩を売る、そういった回りくどい事をルチアーノはしないはずだ。恩を売るなら盛大に売ることだろう。ならば、彼はもっと別の事を考えているに違いない。
世界人類のために物事を考える頭をしていない彼の事だ、連合と常設軍事委員会事務局と自分自身のために何かを企んでいるのでは無いか。そんな不安を感じた。思った以上にタフな仕事になりそうだ。
もっともそうではない仕事など、トレランシアに来てから一度も無かった。それが幸運か不幸かは、考えないでおく。
トーマスを呼ぶインターホンが鳴り、二人は席を立った。まずはトレランシアをケープタウンに向わせ、南部アフリカ連邦の代表であるヘストリー・オサバと接触する事にする。
難民キャンプの外れに位置するコンテナ型の移動施設を出ると、完全武装の兵士がどこかへ駆けて行くのが見えた。風が巻き上げた砂埃に、思わず顔を背けてしまう。
景色が風に揺らぐ。岩に見えた部分が大きくはためき、その向こう側に、その景色とは全く異なる色合いが顔を覗かせる。全体に光学迷彩用のスクリーンを張り巡らせた戦艦が、周囲の景色に溶け込もうとじっと佇んでいた。
ターミナルによる経済支配に抗する剣として、連合の抑圧から力なき少数者を護る盾として、コーディネーターとナチュラルの融和と共存を求める。それがアークエンジェルとフリーダムという名前に込められた、エフライム・ビーンシュトックの意志である。
そしてそのパイロットは、その意志を機体と共に受け継いだのだ。不幸な生まれと望まぬ力を、幸福な世界に臨むための力として、その機体に座る。
「どうして・・・僕は・・・」
避けられない問い。希望とは逆のベクトルを持つ世界に抗うのは、その問いとの戦いである。愛する人と分かり合うようには、分かり合うことの出来ない世界。世界を想いながら、個人の枠を出る事の無い力。
それでもなお彼が戦いを続けるのは、その問いに答える術を持っているからだ。争い続ける人々、憎しみを紡ぎ続ける人々、そんな人々が延々と蠢くだけの世界。それを知ってなお、彼は思う。護りたい世界がある、と。
そのために自分の力を使う。彼の場合は、その力がたまたま大きかったに過ぎない。人は、その人の持てる力を使って、成すべき事を成せばよい。出来ない事をするのも、出来る事をしないのも、ともに間違っているのだ。彼はただ、人より多くの事が出来るだけである。
スクリーンの合間から外の覗ける場所。雲の切れ間から射した光が、一瞬だけ彼の立つデッキを照らした。後ろに人の気配を感じて振り返る。一瞬の光に桃色の髪が桜色に輝く。
「ここにいたのですね、スレイ」
ただ一言、そう声をかけて女性は彼の傍らに寄り添った。深く、豊かな沈黙。言葉よりも雄弁に、二人は息遣いを交わす。
彼を戦いへと引き込んだ女性。彼女に出来る事は、こうして彼の傍にいることだけである。最高のコーディネーターとしての彼の能力、それをフリーダムとアークエンジェルが欲していた事は確かだ。
それでも彼女は、彼に彼自身の答えを見つけて欲しかった。その答えがどのようなものであっても、それは受け入れるつもりだった。だから、彼がフリーダムに乗る事を決めた時、自らの罪と悲しみとともに彼の意志を受け入れた。だが、彼の傍に寄り添うのは、ただの責任感だけではない。
戦場から離れるほんの一時、数奇な出会いを果たした二人は、ただの男女となる。ただ自分の隣に相手がいる、その事に胸をときめかせる事のできる男女になる。最初の淡い口付けは、二人のためだけのもの。
「・・・行かなきゃ、ヴァニーユ」
「ええ・・・」
二度目の淡い口付けは、世界に対峙するためのもの。
険悪なムードを何とかしようと、イェレは別の質問を考える。だがそういうときに気の利いた言葉が浮かばないのが彼だった。険悪さの中心にいるのはリリト、いつもならそれを止める側にいるカシアも、彼女のすぐ傍にいた。もう一方は当然タラスである。
とりあえず、南部アフリカ連邦領内ということで、パイロットの警戒態勢も低い段階であり、六人は久々の勉強会を開いていた。どうにもアフリカ情勢は、ややこしさから逃れられないようである。そこに顔を出したアレナが、講師にタラスを指名したのだ。本気で嫌がっていたタラスも、結局はアレナに説得されてそれを引き受ける事になった。
「ああいうのを、尻に敷かれるって言うのかしら」
そのヒソヒソ話から、険悪さは始まっていたのだと思う。だが現在の話の中心は、どうしてトレランシアが難民キャンプから離れたかという事であった。付近住民による難民襲撃の危険性がある以上、トレランシアは抑止力として留まるべきではないかというのが、リリトの主張である。
MSによる対人制圧は困難であり、保護対象をも危険に晒す可能性があるために、トレランシアの効果は限定的である、それがタラスの主張だった。そして緊急即応部隊の能力は住民襲撃が頻発する原因を断つ事で発揮されるべきであると、彼は言った。
「今そこにある危機に対処しないといけないはずです」
「危機はアフリカ中にある。枝葉末節ではなく根っこを叩く」
「枝葉末節!? あれが枝葉末節ですか!? あれこそが根っこです!」
リリトは退けない、退く事ができない。いや、退いてはならないのだ。あの惨劇を目の当たりにして、それを枝葉末節と切り捨てる考えに同調する事など出来るはずが無い。目の前であんなふうに人が殺されていたのだ、それが繰り返される危険性があるのだ、今度こそ絶対に防がなくてはならない。
なおも言葉を連ねるリリトの目尻に涙が浮かぶ。そんな彼女を宥めるようにカシアが肩に手を置く。そして言葉を継いだ。
「正義の味方とおっしゃいますけど、それは悪い事なんですか!? あそこにいる人達は、トレランシアのMSを信頼してくれているんですよ!」
「お前らのやろうとしている事は、大天使と同じだ」
「なっ・・・! ふざけないで下さい! 私達のどこがテロ活動なんですか!?」
タラスが言うのは、そういった狭い意味の言葉ではない。世界を動かしている仕組みそのものに目を向けず、動いている現象にだけアプローチしようという姿勢が、同じだと言っているのだ。
難民に対する襲撃や、住民同士の抗争など、確かにそれ自体が止めなくてはならないものではある。だが仕組みを放置したままでは、永遠に止まらないのだ。底に穴が開いて浸水するボートから、いくら水を掻き出したとしても、底の穴を閉じなければボートは沈む。
もちろん、トレランシアに出来る事は些細な事かもしれない。だがこの手の事件には、必ず明確な意図が存在するのだ。その意図をたどり、意図する者を叩く事、それはトレランシアであっても不可能な事では無い。
ようやくイェレが質問を思いつき、おずおずとそれを口にした。流石に潮時と思ったのか、アレナがタラスのあとを引き受ける。
トラックや荷馬車を乗り継いで、ようやくたどり着いたのはケープタウンであった。電話はもっと手前の町で借りられたのだが、そこでは本社に自分の無事を報せる事が出来ただけであった。無くしたパスポートやら記者証やら現金などは、ケープタウンでなければ受け取れないのだ。クルト・クラウは額の汗を拭った。
舗装された道やコンクリートの建物など、久しぶりに見る気がする。同行している絵描きの青年をレストランで待たせ、彼はユーラシア連邦の領事館に向った。最近設立されたというその領事館は、市街地のビルの一室にオフィスを構えているだけのものである。本社からの連絡があったのだろう、たいした手続きも無くパスポートや記者証を受け取る事ができた。
そのまま領事館をでようとしたクルトに、領事が直接事件の詳細を聞きたいと申し出た。ユーラシアとしてもアフリカの細かな情報を持っているわけではないのだ。彼は迷う。
住民虐殺についてどこまで話せるだろうか。記者として、それをメディアに載せるのではなく行政機関に伝えるのは、どこまで正しいだろうか。事態は一刻を争う事であり、ユーラシアがアフリカへの積極的な関与を考えているのであれば、情報提供もやぶさかでは無い。
だが襲撃という形で圧力を受けた者としては、警戒心を緩める事ができなかった。領事への証言は、細心を期す事となった。少し長くなりそうである。
「ありがとうございます」
レストランのウェイターから伝言を受け取り、ロディ・ギャリはコーヒーカップを傾ける。どの道、急ぐ旅ではないのだ。窓の外をぼんやりと眺める。
プラントで開いた個展は、それなりに好評だったそうだ。それが旅費の足しになるようであれば、多少は実家への後ろめたさも薄らぐだろう。しかし、当てのない旅をいつまで続けるつもりなのだろうか。
戦場を、戦争を知る者として、自分が描いたものが見る人に何か影響を与えただろうか。一体、何を感じて欲しくて絵を描いているのだろうか。彼は手元のスケッチブックに触れた。
窓の外に、六人の男女が歩いている。ぼんやりとした視線が彼女らを捉えたのは見覚えがあるからだ。確か、ビクトリアで似顔絵を描いた子供達だ。日差しをカットするための黒いフィルムの張ってある窓なので、外からはこちらが見えないはずだ。近づいてくるのは、純粋に食事をするためだろう。
カラコロと鈴が鳴って、扉が開いた。店内を見回す女の子が、こちらに気付く。記憶をたどるような表情を見せ、周囲の友人に確認を求めるように耳打ちをした。その子がおずおずと近づいてくる。
「あの・・・画家のロディ・ギャリさんです、よね?」
深く頷くと安堵の表情を見せる。隣の席に座った彼女らの中に、絵を描いた時にはいなかったブロンドの女の子がいた。
ビクトリアで出会った時に、彼女らがどういう状態だったのかは分からない。だが、今の状態がすこぶる良好なのだろうという事は、よく分かった。彼は再び窓の外に視線を戻す。
ケープタウンに入港したトレランシアは、簡単な整備と補給を行っている。クルーには順次休息を与え、マーカスとレセディは南部アフリカ連邦の代表者との接触を図った。人道支援局局長の文書を携えているというのが表向きの理由であるが、その目的は各地で頻発している住民同士の虐殺事件の情報収集であった。
「あまり歓迎はされていなかったですね」
会談場所となったホテルのラウンジで、マーカスはため息混じりに言う。南部アフリカ連邦代表のヘストリー・オサバその人には会えたものの、形式的な挨拶だけで彼女は退席してしまった。
残された実務者との会談も、さして実りのあるものではなかった。報告書への文面に困るほどに、内容の無いものだったのだ。
「警戒されていた、が正しいでしょう」
きっちりとした制服姿のレセディが、紅茶に口をつけながら言う。見つめてくるようなマーカスの視線に怪訝な視線を返し、彼女は続けた。南部アフリカ連邦は連合の事を十分に信頼していないと。
アフリカの歴史や、アフリカ解放戦線時代の事を考えれば、その警戒心はもっともであり、何らかの理由をつけて連合が内政へと干渉してくる事を忌諱するのは当然である。住民の虐殺など、人道的配慮という介入のもっともらしい口実になるだけであり、そうそう簡単に情報を明かしてくれるとは思えなかった。
自力で解決できる事ならそれを目指すだろう。だがそれまでにどれほどの時間がかかり、どれほどの人命が失われるか、それを思うとなかなかに納得しにくいものがある。それ以上に、これからトレランシアがどう動くべきかが問題であった。
「申し訳ありません。もしや先日入港した連合艦の関係者でしょうか」
マーカスとレセディの視線が、同時に動いた。丁寧にお辞儀をするのは地味なスーツを着た男性だ。東洋系らしいという以外は、これといって特徴のない人物。彼は、東アジアの一部地域の商習慣である名刺を差し出した。
上海第七銀行常務取締役兼第三融資部部長という長い肩書きの人物。少し耳に入れたい話があるという彼を、二人は不審の眼差しで見る。銀行マンが一体何の用だというのだろう。
彼はそんな視線を気に留める風でもなく、言葉を続ける。アフリカ解放戦線掃討のために、連合軍が編成されるという話は本当なのかと。一瞬動揺したマーカスは、相手に引き取ってもらおうと思う。銀行マンの噂話に付き合うほど暇ではないのだ。
「何か・・・ご存知なのですか?」
マーカスが断りを入れるより早く、レセディが言葉を発した。そして詳しく話を聞きたいと申し出る。驚いたマーカスに、黙って聞いていろという表情だけを見せた。