Green travelers ~ The another seed ~ 作:VSBR
軽く手に触れられて目が覚める。薄目のまま横を向くと、妻と目が合う。彼女は何も言わずに窓の外を指差した。雲のない空の向こう側に、太陽の光を眩く反射させる塔のような物が見える。目的地はまだ遠くだというのに、そこにそびえ立つ施設は威容ともいうべき姿を誇っている。
二年前に完全再開を果たしたカオシュンのマスドライバー、シェンロンタイ。経済復興著しい東アジアの更なる発展を牽引すると言われている施設だ。前大戦後の条約によって長らく使用できなかったものであるが、ようやく稼動が再開された。
シンガポールやオーブでもマスドライバーの建造や修復が行われており、来世紀はアジア太平洋地域が地球圏の中心になるであろうという識者もいる。
そのシェンロンタイに深い感慨を覚えながら、彼は妻の手を取った。彼女も同じ気分なのだろう、そっとその手を握り返しながら窓の外を見つめている。キャビンアテンダントの邪魔がなければ、二人はずっとそうしていただろう。カップに注がれたコーヒーが湯気を立てている。
彼は妻の地球での用事に合わせて休暇を取り、一緒にプラントから降りてきていた。ジブラルタルに下りた後、ワルシャワで用事を済ませカオシュンまで足を伸ばしたのだ。単にプラントに上がるだけなら、ジブラルタルからでも不可能ではない。カオシュンに来たのは、友人達に会うためである。
「どれくらいぶりだろうな・・・」
「あの二人の結婚式以来でしょ」
「じゃ、もう五年か」
改めて考えると、ずいぶんと時間が経っている。社会に出て十年以上になるのだ、学生の時のように、いつでも予定が空いているような生活では無い。だからこそ、今回のように全員が集まれる可能性のある時には、万難を排して準備しなければならない。彼もこのタイミングで長期休暇を取得できるよう、ここ半年はかなり仕事を詰め込んでいた。家計の方を、色々と切り詰めたりもした。
機内のアナウンスが流れ、シートベルト着用のランプが点る。飛行機はカオシュン国際空港への着陸態勢に入る。天高く上っていくマスドライバーを右手に見ながら、飛行機は降下していく。
最初にここに来た時は、船だった。その時はまだマスドライバーも稼動しておらず、街も賑やかだが地方都市といった感じであった。
だが今は、地球でも指折りの大都市になっている。地球圏の安定化は、地球・プラント間の物流の活性化を促し、マスドライバーのお膝元であるカオシュンはその恩恵を十二分に受けていた。ビクトリアと違い港に隣接している事から、その使い勝手は非常に良いのだ。
その上、シンガポールやオーブのマスドライバーが稼動を始める前に優位を固めておこうと、様々な政策が執り行われているらしい。空港に迎えに来てくれていた友人がそんな説明をしてくれた。
「リリト達はどれくらいいられるの?」
「私の方は別にいいんだけど、イェレが・・・」
「一週間までなら何とか・・・それ以上だと帰ってから嫌な顔される」
「一昨日さ、カシアから三日ほど遅れるって連絡あってね」
何でも、出発予定の空港に迫撃弾が撃ち込まれて空港が閉鎖され、陸路と国内線を乗り継いで最寄の国際空港に向かう事になったのだという。
「だからダーリンの合流は明後日」
ユンディはそう言って、タクシーにリリトとイェレの荷物を載せるのを手伝う。
ダブリンの午後は雨だった。風向きだろうか、窓ガラスにも雨粒がついている。視線を壁に掛けられた時計に向けた。アポイントの時間ぴったりに、会議室のドアが開く。だが入ってきたのは、面会予定の相手ではなかった。おそらく秘書だろう、年は自分といくらも変らないだろうが、ブロンドの美人だ。彼女は面会相手が十分ほど遅れると伝えると、軽く自己紹介をして椅子に座った。
この場に同席するという事は、目の前の美人はただの秘書というわけでもなさそうだ。軽く息を吐くと、持って来た資料を一部渡す。居住まいを正して、資料に目が通されるのを待った。
「・・・ケープタウンから十五年ですか? レセディ・クッツェー」
その美人の声は、いい声だが癇に障る棘を持っている。アンジェリカ・マイズナーと名乗ったその女性は、ルチアーノ・プレスが仕事の上で好みそうな女性だ。そう思うと、かつて自分もこんな感じだったのだろうかと苦笑したくなる。彼女は連合主導の平和維持活動専門部隊創設の提案を持って来ていた。
ペディオニーテ動乱から十年、地球圏はとりあえず小康状態を保っていた。南米ではようやく経済統合が軌道に乗り、アフリカでは懸案だった国境線が画定し、ビクトリア宇宙港では連合とユーラシアの共同管理が始まっている。三年前のトウキョウスタンピードで混乱するかと思われた東アジアも、順調に経済成長を続けていた。
だが水面下では、各国が地球圏の覇権を巡って蠢いている。プラント、オーブ、ユーラシア、大西洋、東アジア、それらの思惑は、連合事務局が進める地球圏連合構想を停滞させていた。
そして大規模な戦闘を伴う紛争や内戦は少なくなっているとはいえ、なくなっているわけではない。南アジアと東アジアの国境は緊張状態であり、中東にも火種が残っている。前年には北極海で、ユーラシアと大西洋が睨み合うという事態も起こっていた。
アフリカにおける飢餓や難民の問題は未解決であり、南米や東南アジアでの貧困問題は麻薬組織暗躍の原因だとされる。
「それらを各国の政治ゲームによる解決ではなく、統一的見地からの解決を目指すための実力組織です」
レセディは冷ややかな視線を向けるアンジェリカに言う。十五年前、同様の考えを基に創設された連合軍の部隊があった。連合本部の思惑とは異なる行動を取ったために、かつての部隊は解散を余儀なくされ、その部隊に所属していた彼女は部隊解散後、各地の連合軍の司令部を歴任していた。
責任を取ってくれる人が別にいたのだが、それでも彼女が連合本部に戻ってくるまで十年かかった。事情を知る人なら、その期間を短いと言うだろうが、彼女は大きなロスだと思っている。
今回の提案はそのロスを取り戻すための第一歩だった。提案が日の目を見るのはさらに先だろうが、何としてでも日の目を見させる、そう思っていた。それに付け加えて、彼女は一人の人物を連合本部に呼び戻す事も願い出ていた。こちらの方はおそらく通るであろう。
悪びれる様子もなく部屋に入ってきたルチアーノ・プレスに視線を向けると、レセディは立ち上がって敬礼をする。その折り目正しい敬礼に、ルチアーノが一瞬気圧されるのを、アンジェリカは見逃していなかった。
ホテルのラウンジでコーヒーを頼む。リリトはネットワーク接続用のブースに行っていた。早めに送っておかなくてはならない論文があるのだという。僅かばかりの砂糖を入れたコーヒーをかき回しながら、ユンディの近況を聞く。
「それよりイェレ、あんたんとこはどうなのよ。大変じゃないの?」
「やっぱこっちでも報道されてるんだ」
スプーンについたコーヒーの滴が落ちるのを確認して、ソーサーに置く。軽く口をつけると、ホッと息をついた。イェレの職場は大きく揺れている。
連合との緊張緩和を進めるプラントでは、従来のザフトを中心とした国家体制の改革が目指されていた。それはザフトとプラント政財界を二分する論争になっている。
いまや反連合武装闘争の意義は薄れ、逆にザフトの独走は国際関係やプラント内部の問題を複雑化させかねないのだ。ザフトによる準戦時体制の維持がプラント政府の中央集権を支えているのだが、それへの反発がAZOのような反ザフト集団とそれを支持するプラントを生み出してもいる。
より広範な自治と、中央への政治参加を保障することで、それらの不満や反発を政治的な解決へと導くシステムを構築できなければ、プラントは政治体である事を維持できなくなるだろう。問題を放置すれば、連合各国もプラントの切り崩しを画策しかねない。
改革の第一歩は軍制であった。従来の市民軍から、職業軍人による軍隊への移行が目指されている。これは軍そのもののスリム化とそれによる予算削減も目的であり、当然の事ながら強い反発があった。
「うちも二つに分かれるかもしれないんだ・・・まだ先だけどさ」
「クビは繋がるの? NGO論だっけ?」
イェレは現在、アカデミーで講師をやっている。主に、地球の紛争地における非政府組織の役割や、それと国家の関係性、協同と連携のあり方などを生徒に教えていた。彼自身もNGO団体とともに、これまでに数度、地球の紛争地で紛争の仲介や武装解除交渉などに携わっている。成功例を授業で紹介できないとぼやきながら、彼はコーヒーをすすった。
アカデミーは軍の改革に伴って、士官学校機能と高等教育機関機能の分離が提言されている。学内では議論が始まったばかりだが、色々と揉めそうな問題であった。しかも彼の講義は、どちらで行うべきものかがはっきりしない。
カーペンタリアやジブラルタルに代表されるように、プラントではザフトの軍事基地がそのまま大使館機能を有している。もちろん各国にも大使館は設置されているが、最終権限はザフトが持っていた。
そのためザフトの兵士は単に兵士であるだけでなく、現場に立つ外交官である事も要求されるのだ。イェレはそういった面を強調して講義を行っている。
「でも分かれたら・・・士官学校の方には振り分けられないんじゃね」
講師という身分では、学内の議論には口を挟めないのだ。カップを置いて振り返ると、リリトが歩いてくるのが見える。
場所を教えるようにユンディが手を挙げた。席に着いたリリトは、改めてコーヒーを注文する。
谷間は満々と水を湛えた湖であった。山肌がそのまま水に浸かっている様子が、その湖をダム湖だと教える。さして風光明媚ともいえないその景色を見下ろせる場所に、小さな邸宅が建てられていた。
人里離れたそのような場所に居を構えているのは、かつて大銀行の頭取まで勤めた男だった。上海ビジネス街の台風の目、東アジア経済界の奇才、神の見えざる手と握手する男、様々な呼ばれ方をしていた人物だ。コーディネーターでもなく成功を収めた彼の立志伝は、政財界の伝説となっている。
その伝説を確たるものとしたのは、彼が上海第七銀行の役員規定の従って、定年を迎えるとすっぱりとビジネスから身を引いた事だった。そして姿を消すように、ここに移り住んでいた。
花壇に水をやっているカヲ・ツォピンは、待たせている客に構う様子を見せない。ここを探り当てたのだからたいした記者であるが、興味はなかった。
故郷の村を出て以来、根無し草のように市場を漂う人生を送ってきた彼であるが、ビジネスは終の棲家ではなかった。あそこは永遠に、人が根を下ろす事の不可能な仮住まいだ。しかしそんな彼にも、年齢がもたらす郷愁は訪れた。ダム湖の底には、彼の生まれ故郷が沈んでいる。もはやここには何もないが、彼には他になかった。
それを寂しい人生だと評する者にも興味はなかった。自らの事を語れるのは他人だけであるが、他人が何を語ろうと自らの事は自ら背負うしかない。
だから彼は残りの日々を、かつて興味を持った人物についての記録をしたためる事に費やそうと思っていた。他人の事を語れるのは、自分だけなのだから。
「クルト・クラウ・・・ユーラシアからわざわざ?」
記者証を改めてみて、カヲは尋ねる。四十前後、責任を持った上で現場に立てる年齢の男性だった。ユーラシアの地方新聞、それほど大きくない会社にしては、真面目な特集記事を考えている物だと感心する。だが男性は、今回の取材は別のジャーナリストに頼まれたものだと言った。
骨太のルポルタージュを書く事で有名な女性ジャーナリストからの依頼で、男性はその女性の夫であった。取材の内容は、C.E73のオーブ国内情勢についての事である。プラントのアーモリー1におけるMS強奪テロからレクイエム戦役までの間、オーブでは長い政変が続いていた。そこでの事を聞きたいと言う。
「・・・私が、関わっていると?」
男性の無言は肯定だろう。よく調べたものだと思う。当事者ではないが、当時オーブ首長家の資産管理を行っていた事などから、その内実については語るべき事も多い。自分でも記録に残そうと思っていたことだ、彼に話しても問題は無いだろう。
記者が録音装置を取り出すのを確認してから、カヲはゆっくりと語りだした。
「まだ着いてないのかの、あいつら」
タルハの心配そうな言葉に、顔を見合わせる。宿泊先に向うタクシーがワイパーを動かし始めた。カシアとフィジェはまだカオシュンについていない。予定では今朝一番の便で到着するはずだったのだ。宿泊先を連絡場所にしているため、一旦戻る事にする。仕事先からそのまま来たのか、タルハは背広姿だ。
うっとうしそうにネクタイを緩める彼に、リリトがいつからそういう格好で仕事するようになったのかを聞く。てっきり、作業服での仕事だと思っていたのだ。
「中小企業の社員は何でもやらなきゃ回らないんだよ。社長だって背広だ」
タルハとユンディが勤めるのは、月の衛星軌道上に浮かぶ資源衛星・カレーニナに本社工場を置くシュバルベ工業。主に作業用汎用機械の製造販売を行っている。創業者で社長は、アジズ・ハミードだ。
技術者が工場に篭って図面を引いていればよい時代は、旧世紀に終わっている。顧客の要求を製品にダイレクトに反映させるためには、技術者が直接顧客と交渉しなくてはならないのだ。それに加えて、今は規制の問題を抱えているのだという。
国際的な武器輸出規制と、民間軍事企業や傭兵組織の取り締まりによって、シビリアン・アストレイに代表される通常MSを、作業用機械として使用する事も大幅に制限されるようになっていた。裏にはオーブとモルゲンレーテの収益源を削るという目的もあるのだが、とにかく簡単に軍事転用可能なMSが紛争地に拡散する事態は収まりつつある。
そういった動きを見据えて、アジズはそれに代わる汎用作業機械の会社を立ち上げたのだ。シュバルベ工業が手がけるのは、NOS社のようにプラント建造に関わるような大型機械ではなく、より小型で重機に近いタイプの作業機械である。地球、宇宙ともに復興需要は旺盛で、会社は安定的に成長していた。
ところが近年、そういった小型汎用作業機械が紛争地で使用される実態が確認されだしたのだ。通常MSが入手困難になったためと考えられている。防弾性能などなく、耐久性もMSとは比べるべくもないが、対MS用兵器を積載して使用する例があるのだという。
そのため、各国とも小型汎用作業機械の戦闘使用について、有効な対策を模索しだしていた。何らかの手立てを講じる事ができなければ、最悪の場合MSと同様の規制もありうるかもしれない。
「そうなりゃ、うちの会社なんて潰れるしかなくなるぜ・・・」
「夫婦揃って失業の危機よ」
二人は苦笑いを浮かべて言った。だからといって、不正に使用する側が悪いといってもどうしようもない問題である。現に二人は、自社の機械がそのように使われている所を目撃したことがあるのだ。いい気分はしないわよと、ユンディがつぶやいた。
雨に煙りだした街並みから視線を外して、タルハは暗い話になってすまんと言う。
「でもさ、社会人になって、基本的に明るい話って少なくね?」
「あー、確かにな」
その部分にだけは、タクシーの運転手も納得したように頷く。
執務室にそのまま通される。簡単な応接セットに軽く腰を下ろして彼女は相手を待った。出された水に口を付け、部屋を見回す。とりたてて装飾のない質素な部屋、クルディスタン共和国の政庁、政権幹部の執務室であるが、そうと知らなければ分からないであろう。
かつてムスリム共同体と呼ばれていた地域連合は、C.E80年代半ばにようやく全ての国境が画定し三分割された。幸いだったのは、その三ヶ国の全てに独裁者が登場しなかったことである。もし独裁者がいれば、この部屋ももっとけばけばしかったであろう。
しかし独立したてのクルディスタンに強力な政治指導者が登場しなかったという事は、その後の経済発展に陰を落とした。幸い内戦やクーデターなどは無かったものの、不安定な政情は経済を停滞させる。
「開発独裁は是か非か・・・」
部屋の一面の壁は全てが書棚であり、そこにはびっしりと本が詰められている。どの本も飾り物ではなく、普段から使われている物のようだった。だが、少し古いものが多い。彼女がその本を手に取ったのは懐かしいものを見つけたからだ。
手に取った本をめくりながら、しばし感慨にふける。思えばずいぶんと時間が経ったものだ。
「お待たせして申し訳ない、アレナ・ベルネル中佐」
相手の到着に、アレナは本を書棚に戻して席に着いた。クルディスタン共和国の軍と警察へ、装備の提供や訓練を行うためにユーラシアから派遣されてきたのだ。中東を中心とした地域の安定は、ユーラシアの中央アジア地域の安定にも密接に関わる。軍や警察の能力向上は、そのために欠くべからざる条件だ。
だが、こういう形であっても再びこの地に関わりを持つのは、何かの運命かもしれない。アレナは居住まいを正した。
地球連合軍緊急即応部隊が解散した後、彼女は原隊であるユーラシア軍に戻り、海外派遣部隊を中心に任務をこなしていた。今では流石にMSの操縦はしないが、連合軍や各国の軍隊と様々な交渉を続けてきた経験は重宝されている。今回も、ガルナハンでのクルディスタン政府との実務折衝は彼女の担当であった。
実務に関するいくつかの打ち合わせを行った後、軽い雑談になる。会談相手の自分より少し若いくらいの女性が、控えめに切り出した。書棚の本に見覚えがあるかと。
「・・・ええ。これを送ったのは、私ですから」
その書棚の本の半数ほどは、タラスがクルディスタンに寄贈したものであった。その使い古されたページにも、色々と書き込まれたメモ書きにも、覚えがあった。彼女は、そんな彼を最も近くで見ていたのだ。
結婚もし、子供もいるが、彼の事はただの美しい思い出ではなかった。苦く甘い、複雑な過去だ。
ふっと言葉を切ったアレナに、女性は立ち上がって執務机に向った。引き出しを開けると何かを取り出して戻ってくる。女性が差し出したのは写真だった。本の中に挟まれていたものらしく色あせてしまっているが、紛れもなくあの頃のタラスと自分だった。
こういう事を嫌う彼に甘え、無理を言って撮った写真。不機嫌そうな横顔がいかにも彼らしい。
「お返しします」
女性がそう言って微笑んだ。写真の女性の連絡先が分からず、ずっとどうしていいか分からなかったのだと言う。こうしてアレナがガルナハンにやってきたのは、何かの運命かもしれない。
アレナはそれを受け取る。裏には小さな文字が書かれていた。上手くは無いが几帳面な字で、ただ一言「愛している」と。
写真の彼に微笑み、それを胸のポケットに大切にしまった。
フロントからの電話で全員が空港にとんぼ返りした。カシア達の乗っている飛行機が到着したのだ。電話の向こうからカシアの声が聞こえ、すぐに迎えに来いと言う。空港ロビーで二人を探すと、大きな声が聞こえた。
飛び跳ねて手を振るのは、男性のように髪を短くしたカシアと、大きな荷物を抱えているフィジェだった。久しぶりに見る二人は、相変わらずいい色に日焼けしている。
「飛び跳ねるのやめなさい、胸が凄い事になってるわよ」
「久しぶりに会った第一声がそれ?」
だが実際に会ってみれば、久しぶりなどという時間はどこかに行ってしまう。つい昨日まで会っていたかのように、普通の会話が始まるのだ。タルハがいい加減に立ち話はやめようと言って、ホテルに戻る事になる。
日も暮れていたため、そのまま市街地に食事に出た。下調べをしておいた店は、立派な店構えだ。奮発した台湾料理のコースがテーブルに並んでいく。久しぶりにいい酒といい食事にありつけたと、カシアは満足げに手を合わせ箸を取った。先に乾杯と注意して、リリトが音頭をとる。
「あの時は、ヌードルだっけ?」
料理を小皿に取り分けながらユンディが言う。卒業旅行でカオシュンに来た日、彼らはテロに巻き込まれたのだ。その日の夕食は、町の小さな店で麺類を食べたはずだった。
今となってはあれは何だったのかしらね、そう言いながらカシアがグラスを傾ける。だがあれが何だったのかは、彼女ら全員が分かっている事だ。そうでなければ、カシアがこんな仕事をしているわけがない。
「今度はどこに行ってたの?」
「アフリカの南西部、調査のみだけどね・・・次はインド亜大陸」
カシアは現在、地球各地で農業支援活動を行っている。プラントで開発された品種の導入を進めていた。耐乾燥性、高収量、栽培の持続可能性、現地の人の生活を安定させ貧困脱出の手がかりとなりうるような農業を定着させるために、活動を行っていた。
もともとは両親のやっていた農業技術者の道を目指していたのだが、プラントでの栽培実験では飽き足らず、自ら地球に降りて技術指導まで行うようになっていた。フィジェはそんな彼女を控えめに支えている。
しかしその活動が軌道に乗ったのは、ここ数年の話だという。そもそも農業技術の蓄積という点に置いて、プラントは圧倒的に劣っているのだ。現地の人々や、地球の団体との連携を模索しながらの活動は、それなりに困難だったようだ。カシアがしゃべると、どうもその辺りが上手に伝わらないのだが。
「あ、そうだ。アジズさんにお礼言っといてね」
「ん? あぁ、オペレーター育成事業か? うちだけじゃないだろ、あれやってるの」
政府機関が行う途上国支援の中には、機材等の贈与もある。だがそれらの機材が十二分に活用できるかどうかは、それを動かすだけでなく、簡単な修理くらいは出来なくてはならない。
さらに言えば、現地でも容易に運用できるような簡便な機械の方が、支援として有効な場合もあるのだ。そういった事を包括的に支援するための枠組みに、シュバルベ工業も参加していた。
大規模な機械を使った農業は、現地の人々には不可能である。だが、機械の導入によって作業の負担が軽減できれば、その分を別の事、例えば子供達を学校に通わせるなどが可能になる。
現地の人々の経済的な負担を抑えて農作業の負担を軽くする。それを外部からの援助に頼る事無く、継続的に可能とするための仕組み、それが目下の課題であった。グラスの進むカシアを優しく注意しながらフィジェが尋ねた。
「リリトはどうなんだ?」
「ってか、どんな事してるわけ、具体的に?」
「具体的って・・・論文書いたり、論文書いたり」
砕氷船から次々と機材が降ろされていく。そりを引いたスノーモービルのモーターが回り、そろそろと走り出す。連合が派遣した秘密調査団であった。目標の構造物は目の前にあり、そのほとんどの部分を氷の下に隠している。
既に先発隊は内部への進入口を見つけ出しており、今日から本格的な調査が始まるのだ。その構造物は大気圏内での運用も可能な大型の宇宙艦であった。
かつて南部アフリカ連邦で勃発した反政府勢力による武力蜂起を支援するために活動していたこの艦は連合軍の攻撃によって排除され、その後南氷洋で消息を絶っていた。その艦が中心となって行っていたテロ活動がなくなったため、連合も十分な捜索を行う事はなかった。
それがいきなり発見されたのは単なる偶然であった。マゼラン海峡に流れ出す流氷の調査を行っていた大洋州の調査船が、巨大な海氷の中に埋もれた艦を発見したのだ。当初はカーペンタリアが調査に動いていたのだが、どういう経緯か途中から連合も調査に加わる事となったのだ。
「どの道、遺物でしかないがな・・・」
ノーマルスーツの中で黒い肌の男がつぶやいた。だが遺物であれ、彼には因縁の深い艦である。この艦はかつて、アークエンジェルと呼ばれていたのだ。先日見つかったハッチから中に入る。真っ暗な内部を懐中電灯が照らすが、予想外に綺麗だった。
ほぼ水平の状態で氷に埋もれているため、明かりがない事を除けば歩きやすい。自分の足音だけが響くのは不気味だが、床にも壁にも損傷らしい物は見当たらなかった。
「レペタ中尉、単独行動は慎んで下さい」
振り向いた先に懐中電灯を当てると、青年が眩しさに顔を背ける。生真面目そうな顔の青年は自動小銃を抱え、いつでも身構えられるような格好であった。ザフトから派遣された士官で、キリル・ローレンツという名だったはずだ。ヒューは、ゾンビの類は出てこないぞと言って先に進む。
何か文句を言っている後の青年を無視して階段を上がった。艦の構造などどれもにたりよったりであり、ブリッジに向っているはずだ。目の前の扉にバールを捻じ込んでこじ開ける。流石のヒューも息を飲んだ。
「ソンビじゃなくてミイラかよ・・・」
ブリッジの各席には、ミイラ化した死体が座っていた。服も髪もそのままであり、腐敗の跡は一切なく、ただ乾燥しただけの死体である。ヒューは気味悪そうに、桃色の髪に触れた。
「アントレランスの直撃の影響でしょう・・・」
いつの間にか後ろにいた男がポツリと言う。この調査隊の責任者、マーカス・フッシャーだ。彼は、アークエンジェルを撃退した艦で艦長を務めていた。
アークエンジェルを攻撃する際、彼の乗る艦は構造物破壊は不可能で内部人員のみ死亡させるレベルの出力で中性子砲を発射していた。そのため、放たれた高速中性子はアークエンジェル艦内の全ての生物、空気中の微生物から体内の細菌に至るまで全てを死滅させたのだ。
気密性の高い宇宙艦では外部から腐敗菌が入り込むこともなく、長い時間をかけてゆっくりと死体は乾燥していったのだろう。
「何というか・・・因縁も末路は見るもんじゃありませんね」
マーカスはそう言って、二人に引き上げるように言う。後は専門家の仕事になるだろう。ヒューが彼に話しかけた。
「艦長は、栄転話が出てるんだって?」
「別に今が左遷だとも思ってないですけど」
マーカスは緊急即応部隊解散後、連合本部からの命令を無視した責任を問われた。罪に問われなかったのは、そういった権限を持つという解釈も可能な立場だったからだ。だからといって、大手を振って連合軍内部にいられるわけもなく、辺境の閑職を転々とする日々だったのだ。
ヒューは如才なく大西洋連邦の軍に滑り込んだのだが、今回はアークエンジェルの調査ということで特別に参加していた。ターミナルとの縁は切れたが、そういった仕事からは足を洗えないでいる。
そんな自分に嫌気が差す事もあるが、それをここで言っても始まらないだろう。マーカスが誰ともなしにいう。
「私としては、副長がまだ独身だという事の方が驚きだったんですけど・・・」
これはチャンスだろうかというマーカスに、ヒューは肩をすくめるだけだった。後ろを歩くキリルに視線を向けるが、彼は生真面目な表情を崩さないままだった。
オーギョーにタウホエ、コースに付いてきたデザートとは別に定番のスイーツを追加で注文する。女性陣の食欲に半ば呆れながら、男達は杯を進める。リリトが自分の仕事をどう説明しようかとしていた。
小鉢のオーギョーを掬いながら頭をめぐらせるが、アルコールの入った頭では論文を書く以外に思いつかない。カシアが聞く。
「食っていけるレベルなの? 哲学って」
「一応、大学の教授よ・・・そりゃ、産学協同で羽振りのいい先生方とは違うけど」
リリトは、プラントの大学で哲学の研究者となっていた。博士号と教員の職を手にするのは早かったが、肝心の研究についてはまだ始まったばかりである。ようやく二十世紀に突入したところよと言って笑うが、その笑いは微妙に共有されない。
実際、若い教員は大学の運営に関する役などをやらされる傾向があり、一般教養課程の講義や専門の講義、それにゼミナールを受け持てば自分の研究を行う時間など限られてしまう。若い美人教授のゼミは男子学生に人気であり、ゼミの人数はいつも定員ギリギリである。卒論指導だけでとんでもない労力が必要とされるのだ。
「リリトのお陰でプラントでは珍しく文系が人気なんだよな、ジョージ・グレン大学」
「冗談・・・エドノミクス提唱時から文系の大学よ」
彼女が研究を行っているジョージ・グレン大学は、環境を含めた閉鎖定常経済圏の可能性を論じる経済学派の牙城で、それが提唱された十年ほど前からいわゆる文系分野にも力を入れている。プラントはその維持のために技術者・科学者を大量に必要とし、政府の予算もその育成に向けられていた。しかしジョージ・グレン大学は幸いに私立であるため、国家の要請からはある程度自由なのだ。
論理学や数論といった即効性のない理系分野、遺伝子関連を除く医学や生理学、プラントでは研究に制限が出る動物学・植物学、ジョージ・グレン大学はそういった不人気学問に力を入れている大学であった。そうでなければ、プラントで哲学研究など出来ないとリリトはぼやいた。
だからといって潤沢な予算があるわけではなく、ゼミ生用のパイプ椅子を新しく購入するか否かで、教授会がもめるほどに火の車である。彼女が地球に降りたのは、ワルシャワで行われた学会への参加のためであるが、その旅費の半分は自費であった。
「イェレに食わせてもらってるわよ」
「あるの? 甲斐性?」
「何だよそれ!?」
茶化すカシアにイェレが反応する。収入は二人とも同じくらいだが、リリトの給料はほとんどが研究資料の購入に当てられ、家計はイェレが支えていた。
専門分野の研究書などは、ネットワークを通じて安価に手に入れることもできる。だが哲学者の著作などは、一字一句おろそかに出来るものではなく、改竄可能性をゼロに出来ないネット上の資料には頼れないのだ。
結局、原書を書籍という形で購入する事になるのだが、もともと哲学などへの関心が薄かったプラントで出版されているわけもなく、わざわざ地球から取り寄せねばならないのだ。輸送費だけで給料の一月分が消し飛んでしまう。最近では、大学の図書館で本を書き写す日々であった。貴重な本ほどコピー制限や持ち出し制限がかかっているのだ。
帰路には、念願の全集を手荷物として持ち帰る予定であった。その数は、一同が唖然とする量である。
「もう少しで、今までの人達が考えてきた事に追いつけるの・・・自分の考えを進めるのはこれからよ」
リリトはウェイターを呼んでタピオカミルクを追加した。
スケッチブックを抱えて色鉛筆を滑らせる。春に霞む青空は、遠くの山々を描くには丁度良かった。申し訳程度に水が流れているだけの河川敷には人もいない。近くの大きな石に腰を据えて、ロディ・ギャリはスケッチブックに視線を落とす。
しかし彼は、そのまま色鉛筆をしまって後ろを振り返った。OKの手振りをした男性が、手にしていたカメラをチェックする。もう一人の男性が、頭を下げながら近づいてきた。
「土手を上がったところでインタビューとします」
カメラマンとディレクターの二人、最小限のテレビクルーがロディの取材に来ていた。彼は言われるままに土手に向って歩き出す。
かつて、ユーラシアの小さな新聞社の企画の一環として展覧会を開いてから、彼の名前はほんの少しだけ有名になった。絵を買ってくれる人も現れ、ずっと続けているスケッチ旅行も実家への気兼ねが少し減った。それ自体は喜ばしい事である。
だが、違和感も覚えていた。彼は、自分自身の絵にメッセージを込めているつもりは無い。戦争への怒り、平和の希求、弱者への視線、そういったものを描くために絵を描いているわけではない。しかし、最初の展覧会のイメージなのだろうか、彼の絵はそういったメッセージを持つものとして捉えられている。
「端的に言えば、分からなくなったからです」
かつての大戦時、専用カラーまで許されたエースパイロットだった彼は、友人の数奇な運命を目の当たりにした。コーディネーターとナチュラル、プラントと連合、自身の中のそういった枠組みが揺らいだ時、彼はザフトを辞めた。絵は、たまたま趣味としていたに過ぎない。
だが絵を描いているうちに、自分が描く対象は揺らいでいない事に気付いた。人の営みの遥か遥か遠くに、自然はただ存在していた。そんな自然に魅せられたのは、彼の中では必然だった。
そして揺らがない自然を前にして、揺らぎ続ける人の営みがただ存在した。あの大戦の時の自分ように、戦争は疑問なく遂行され、人々は当たり前のように悲しんでいた。悲しむ人を見て苦しむ人がいて、苦しむ人が悩み傷付き倒れていった。そんな人の営みに魅せられたのも、彼の中では必然だった。
「僕は自分の考えを絵にしているわけじゃない・・・ただ、目にしたものを描いているだけです」
こういう受け答えが、テレビ映えしない事は十分承知している。だからといって、視聴者とやらの期待に沿う必要性は無い。あからさまにそれを口にし、台本まがいのものを差し出すディレクターも多いが、目の前の青年は何も言わなかった。
ただカメラクルーに「ボツかもしれない」といって、映像の量を増やすように指示していた。ロディはその青年に声をかける。
「ルーイ・キリロフさん、描かせてもらっていいですか? あなたを」
彼は怪訝な顔をしたが、拒否はしなかった。彼が苦悩を抱えているのか、苦悩を抱えていたのかは分からないが、その顔に差す微かな陰を、ロディは描きたいと思ったのだ。
「乾杯」
カクテルグラスが微かに音を立てる。照明の落とされたバーからは、カオシュンの夜景が見下ろせた。エネルギー供給の逼迫する現在でも、マスドライバーの明かりが消える事は無い。グラスに、点滅する航空灯が映る。
他にも客はいるはずだが、バーはそれを気にさせないような作りになっている。リリトの喉が微かに動いた。
「リリトは変わらないよね・・・」
「カシアが変わりすぎなのよ」
相変わらずに存在感を誇示する胸と、それには不釣合いなほど短い髪。グラスを傾けたカシアが笑った。
食事の後ホテルに戻ったのだが、ユンディとタルハはいつの間にかいなくなり、旦那二人は飲みすぎたのか部屋でいびきをかいている。残された二人で静かに飲み直そうということになったのだ。
取り留めのない話が胸に染み渡る。他愛のない言葉が心に積み重なっていく。リリトは思う。いつか二人は、互いの事を語りつくしてしまうのだろうかと。こうして言葉を紡いでいけば、いつか語るべき事を語ってしまうのだろうかと。彼女が哲学を選んだのはそんな疑問だった。
世界という言葉で世界を語りつくしてしまった者がたどった道、彼女はそれを目撃した。言葉で語りつくす事のできる世界はどこまでも狭小で、他者の存在を許さなかった。そんな世界しか持たない者は、その貧しさを自己の正義、自己の欲望で豊かにしようとした。自己の狭い世界への絶望を、世界への失望へとすり替え、愚かなテロリズムとして世界に現れた。
もし仮に、彼女がカシアの事を語りつくしてしまえばどうなるだろう。今の時間は無意味になり、このカクテルは空虚になるだろう。その先にあるのは、きっと絶望だ。
それを拒否するにはどうすればいいのか。彼女は、言葉では語りつくせないという証明を目指す。この世界が、二人の関係が、言葉では決して汲み尽くすことのできないものである事を証明する。
「語るべき事を生み出す世界の源泉を見つけるの・・・」
その時、一つの壁が立ち塞がる。言葉で語りつくせぬ世界とどう対峙するのか。言葉以外に他者と渡り合う事ができるのか。
「そして世界の源泉に飛び込むの・・・あなたとの信頼を命綱にして」
それは決して言葉ではない。だがそれを作り出すのは言葉だ。無限に積み重なる言葉だけが、信頼という命綱を繋げる。
言葉が繋がらないのが戦争であり、繋がったかに思ったものが簡単に切れてしまうのが戦争である。コクピットを揺らし続けたのは、永遠に一方通行のまま消えてしまう言葉。リリトはグラスを煽った。
そんな言葉を打破する。語りつくせぬ世界を語り、その世界に飛び込むための信頼を繋ぐ言葉を探す。
「やっと、リリトの選んだ仕事が分かったわ・・・」
カシアの目はアルコールに潤んでいる。遅いわよと言ってリリトは笑った。二人の目が合い、カシアが言う。
「お互いに別々の方向を見ているときだけ、見つめ合う事が出来るのね」
同じ場所で、同じものを見てきた六人は、今それぞれがそれぞれの方向に向っている。そして彼女らは、互いに何を目指しているかを理解し合っている訳ではない。
それでも彼女らは、互いが目指す方向を信じあっている。目標が異なっているとしても、それを目指す理由は同じだと信じている。
彼女らは、自分とは違う場所で、自分とは違う方法で、自分と同じ理由で活動している人がいる事を知っている。だから、無力な自分に絶望する事無く、この世界を信じられるのだ。
彼女らの旅路はまだ半ばですらない。自らの選んだ道は、自分一人で歩くべきものである。だがそれは、孤独を意味するものでは決してない。彼女らの紡いできた言葉は、互いを信頼の命綱で繋ぎとめているのだから。
「旦那だったら、このままキスね」
「私は・・・カシアでもありだけど」
自分で言って吹き出すリリトに、カシアの笑いが重なった。そんな二人の声は、軽やかにハーモニーを奏でている。
Green travelers ~ The another seed ~
この物語は幕を下ろすが、未熟な旅人達はいまだその旅の途上にある。