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湿霧立ち込める、寂静とした山の中。
まだ朝日も昇り切らぬ早朝、俺は祖父と共にあてもなく歩いていた。
……ただ、祖父と一緒に山を歩く事自体はそう珍しい事でもない。
更に言えば、思い出になるほど大して面白くもない日常的なイベント事である。
だがその日の事だけは、幾月の月日が経とうと色褪せる事なく、俺の脳裏には鮮明に刻み込まれている。
本来なら俺の戦闘訓練に付き合い、数多のモンスターが現れるような道なき道を進む祖父。
しかしその日は何故か、モンスターの少ない安全な道を選び進んでいて。
普段は俺の前か後ろに立つ祖父が、その日は俺の隣で立っていた。
まるで背中を預けられる百戦錬磨の相棒であるかのように、あの日の俺は彼と同じ道を歩く。
俺にとっての、果てしなく遠い目標が叶ったその日。
片思いに胸を焦がす乙女のように、俺は女々しくも想い続ける。
それが仮初のモノで、明日には霧散霧消するようなモノであるとしても。
「本当にお前は、可愛げの無い奴だよな」
不満そうに―――そして、面白そうに。
純粋無垢なもう一人の孫と俺とを比較しながら告げる祖父。
その時俺は……確かこう、吐き捨てた。
「夢とか希望を抱ける程、“俺には”余裕なんかないから」
両親は知らない。
物心ついた時にはもう亡くなっていた。
今は祖父と弟の三人暮らし。
つまり、俺と弟、幼い二人の命を繋ぐ綱は祖父一人。
しかしどんな人も、いずれは年老いて、やがて死ぬ。
そして死ぬのは当然、俺達よりも祖父の方が早いだろう事は確かで。
―――限りなく闇に近い将来を楽観視できるほど、俺は祖父や弟のように強くはない。
いったい、いつ"その日"は来るのか。
そして"その日"が来た時、俺は弟に何をしてやれるのか。
刻一刻と迫りくる大きな不安から視線を逸らすかのように、俺は頭を垂れた。
そしてそんな俺に突き刺さる、痛い程の祖父の視線。
……そんな視線を振り払うかのように、俺は尚も言葉を続ける。
「それに、いいじゃないか。可愛げのある奴がもう居るんだし」
「ハッ。ベルが夢を見てる分、自分は現実を見るってか?」
そう、俺は兄だ。
両親を失ったベルの、唯一無二の兄である。
ゆえに庇護されるべきはアイツであり、庇護するべきは俺であって。
夢や希望はアイツの為にある言葉で、俺の為にある言葉ではない。
“残酷なまでの現実”こそが、俺のための言葉である。
「ま、せいぜい頑張れよ」
「……うん、頑張るよ」
一方は、楽しげに。
もう一方は、苦しげに。
それきり、俺と祖父の間で交わされる言葉は無く。
痛い程の静寂が俺達を包み込んでいたあの日の思い出を―――今でもはっきりと、覚えている。