霞んだ英雄譚   作:やさま

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第四話 迷子の白兎

 

テクトの言葉を受け入れたミアハは、すぐさま彼を私室へと案内する。

やがて視界に入ってきた光景に、テクトは目を丸くした。

 

「これ、は……」

 

唖然と、テクトは周囲を見渡す。

部屋の壁面には調合に使う他種多様な素材が飾られ、おどろおどろしい様相を呈していた。

しかしそんな彼の様子など気にしないかのように、ミアハは告げる。

 

「さあ、テクト。その寝台に俯せになってくれ」

「あ、はい」

 

言われるがまま、成されるがままにテクトは寝台に俯せになる。

その傍ら、ミアハは調合に用いていたと思われる小振りのナイフを取り出した。

一体その刃物で何をする気なのかと、僅かにテクトの中で緊張が走る。

 

「あぁ、そう怖がる必要は無い。これで斬るのは、君ではないからな」

「は、はぁ……」

 

それでも、テクトから緊張が抜ける事はなく。

―――次から用意するのは針にした方がいいだろうか。

 

「さて、はじめる前に一つだけ私からいいか?」

「はい」

「君が私のファミリアに入りたいと言ってくれた事、私は嬉しく思っている。正直に言おう、私は君を誘いたくて仕方がなかった」

 

臆面もなく、ミアハはそう断言した。

そして、誘いたくても誘えなかった理由……それはテクトも、先ほどのナァーザからの話で何となく理解していた。

 

「君の意思は理解した。だが、まだ君には他のファミリアを探す時間が有り余っていた筈だ。それらを斬り捨て、即断即決した理由を問いたい」

 

まだ探せば他にもファミリアはいくらでもある。

だというのに何故テクトは、ミアハ・ファミリアを選んだのか。

あまりにも素早過ぎるその決断に隠された真意を、ミアハは問いかけた。

 

「……実は、昨日の疲労はモンスターによるものだけではないんです」

「なに?」

 

恐る恐るといった具合に、テクトはゆっくりと話し始めた。

 

「私、言いましたよね。弟を探していた、と」

「うむ」

「私は弟を探す為に、他にもいくつかのファミリアに伺っていたんですよ。5、6程度でしたが……しかしその全てで、共通していた事がありました」

「……それは?」

 

先を促すミアハ。

一呼吸おいて、テクトは続けた。

 

「……侮蔑の視線です」

 

辺境の地からやってきた、新参者。

モンスターに襲われましたといわんばかりの、ボロボロな服装。

その様相はさも“弱者”のようにしか映らなかっただろう。

そして眷属がそうする事を許している神様は、きっと“そういう存在”なんだろう。

 

悪意を持ったその視線に、テクトの神経はじりじりと焼け焦げ、消耗していく。

激しい戦闘の後だったこともあり、やがて諦めかけたテクト。

そんな彼の前に、ミアハは現れた。

 

「全てのファミリアがそうだとは思いません。が、過半数のファミリアはそうなんでしょう。そんな中、ミアハ様に……そしてナァーザさんに助けられ、私は本当に感謝しているんです」

「……」

「恩義に報いるという理由でファミリアに入るべきではない……ナァーザさんにはそう言われましたが、しかし私には選択肢が無いんです。私の神様は、神様(ミアハ様)しか居ない」

 

今この逸材(テクト)を逃したら、次は無い。

自分にはこの神様(ミアハ様)しか居ない。

ミアハもテクトも、多少異なるがしかし同じ事を考えていたのだ。

 

片思いが両想いであった事に気付かされ、ミアハは柄にもなく照れくさそうに笑う。

 

「……君が私の店の前で倒れていた事に、感謝せねばならないな」

「私も、ミアハ様の店の前で倒れていた事に、感謝しないといけません」

 

言葉尻だけ捉えれば、なんて無礼な言葉の応酬だろう。

しかしそれとは裏腹に、二人はただ静かに笑いあった。

 

「それでは、始めよう……神の恩恵の刻印を」

 

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

 

「っ……」

 

テクトへの神の恩恵の儀式を行い、現れた神聖文字(ヒエログリフ)

ミアハは息を呑んで、それらを読み解いた。

 

 

 

テクト・クラネル

Lv.3

力:(H)198

耐久:(H)101

器用:(I)21

敏捷:(H)145

魔力:(I)0

《魔法》

【】

《スキル》

思慕熱烈(ファミリア・ガードナー)

・能力値の倍加補正。

・縁者が存命している限り効果持続。

・縁者の生命力低下に伴い効果向上。

五里霧中(ブラインド・フューチャー)

・能力値の半減補正。

・縁者が存命している限り効果持続。

・縁者の生命力低下に伴い効果低下。

《発展アビリティ》

【耐異常】

 

 

 

――――いったい、これはどういう事だ

 

スキル欄が既に二つ埋まっている上に、レベルが3。

現在の能力値(アビリティ)自体は、それほど高くは無いが―――――

本当にこれで正しいのかと、ミアハは何度も神聖文字を読み直す。

 

「……テクト」

「は、はい」

 

真剣なミアハの言葉に、おのずとテクトも身構える。

 

「もう一度聞くが、君は昔ファミリアに所属していたわけでは無いのだな?」

「それは、間違いありません。物心ついた時から、私には神様なんて無縁の存在でした」

「……」

 

テクトの経験値(エクセリア)は実に膨大な量であった。

それこそ、3、4年で得られるようなものでは無い数の経験値が、既に彼にはあった。

もし仮にファミリアに所属していれば、このような量が蓄積するよりも前にステイタスが更新されているだろう。

それにむしろ、あの量は……

 

「テクト、君は一体いつからモンスターと……」

「確か……7、8歳の頃でしょうか。」

「……今、君は何歳だ?」

「今年で19になります」

 

約10年。

10年分の経験値の結果が―――――

 

「レベル3、か……」

 

この青年は、幼き日から数多くの危険と隣り合わせにモンスターと戦ってきていた。

偉業とも見なされるような強大な危機も幾つかあった。

――――― 一体、何が彼をそこまで駆り立てるのか……

 

そういえば、彼と同じ程度の年齢から迷宮に潜り続けている【剣姫】は今やレベル5である。

そう考えると、ミアハは少し惜しい気もした。

テクトがもし、地上でなくオラリオの地下迷宮で戦闘経験を積んでいれば、今頃彼女と同程度……少なくともレベル4にまでは上がっていたかもしれない。

無論、【剣姫】の場合は生来の才能も要因の一つではあるだろうが。

 

決してレベル3という数値は決して低く無い。

だがそれでも少しばかりの無念さに息を吐き、ミアハは視線を落とす。

その先には、紋様の刻まれた背中を露出し俯せになるテクト。

 

「……テクト。結果を説明しよう」

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

 

やがて、ステイタスを纏めた羊皮紙をミアハはテクトに手渡した。

そこに記されていたレベルと能力値にテクトもまた驚いたが、それよりも……

 

「……このスキル、相殺されてませんか?」

「うむ……」

 

思慕熱烈、効果は能力の倍加。

五里霧中、効果は能力の半減。

二倍の二分の一は、つまり変化なし。

ただ、いずれのスキルも“縁者”の存在がキーになっているようだった。

 

「縁者、つまり血縁者……ここでは君の弟だろう」

「では、思慕熱烈はアイツ―――ベルが弱る程効果が向上し、一方で五里霧中は効果が逆に低下していく……というわけですか」

 

第三者のダメージ状況に左右される、自身の能力増幅スキル。

いずれのスキルも元々の効力が同程度だと仮定するなら、ベルが無傷の状態では両者は相殺され、効果は消え失せる。

つまり、ベルが傷ついて初めて効果を発揮するという事だろう。

 

「しかし、デメリットしかないスキルか……」

 

五里霧中のスキルは、まさに百害あって一利なし。

確かにスキルは必ずしも良い効果ばかりではなく、中にはデメリットがあるスキルもあるだろう。

しかし何のメリットもなく、ただ己の能力を半減させるというのは―――――

 

「……ミアハ、様?」

 

沈黙し、思考の海に落ちたミアハを気遣うテクトの視線。

己の名を呼ぶその声に、ミアハはいつもの優しげな笑みで返した。

 

「あぁ、すまん。これで終わりだ、あとはギルドに行って登録を済ませてきてくれ」

「ギルド……?」

「この街を管理する存在だ。ダンジョンに入るにしても、そのギルドに自身を登録しておいた方がいい。場所は……ナァーザに聞くといい」

「はぁ……」

 

 

一方、その頃のナァーザとはいうと。

カウンターに肘をつきながら、腑抜けた目で開かぬ店の扉を眺めていた。

 

「今日は、ゼロかなぁ……」

 

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

 

「あのぉ……すみません」

 

昼下がり、薄暗い裏路地に一つの人影。

人影は恐る恐るといった風に、とある一軒家の戸口へと声を掛けていた。

 

「――――んだてめぇ」

 

少々遅れ、中から苛立たしそうな声が聞こえてくる。

その威圧感に、一瞬人影は肩を跳ねさせるも、しかし弱々しく話を続けた。

 

「あの、ファミリアを探してて……モンスターとまともに戦った事も無いんですが、よろしければ」

「アァ?知らねぇよ、他を当たってくれ。雑魚を構ってる余裕は無いんだ」

「あ、あの!話だけでも……」

「しつけぇんだよ!じゃあな!」

 

それきり、戸口からの反応は全くなく。

徹底的な拒絶、門前払い。

人影―――綺麗な白い髪の少年は、とぼとぼと来た道を引き返して行った。

 

 

 

 

 

「……あれ、もしかして」

 

それを影から見守っていた犬人……ナァーザ。

何かを確信したように、彼女は背後に控える人影……灰色の髪の青年、テクトを見た。

 

「あぁ、間違いない……あれはベルだ!」

 

ギルドへ向かう為、ナァーザの案内のもと大通りへと繰り出したのが、朝の出来事。

その時、視界の隅で動いた白い人影にテクトが気づき、それを追いかける為に裏路地へと入り。

そして今、テクトはその人影の正体を確認した。

 

「よかった……無事だったんだな」

 

歓喜に震え、テクトは白い髪の少年……ベルの後ろ姿を見遣る。

苦労したのだろう、馬車にいたときよりやや服が汚れているように見えた。

 

「あの様子だと、ファミリアを見つけるのは難しそう」

「……だろうな」

 

昨日の時点で分かってはいた。

多くのファミリアは、戦闘経験もない弱者など相手にもしない。

それにくわえ、ベルのような見るからにひ弱な少年では……非常に厳しいだろう。

 

「最悪、ミアハ様に相談するか」

「でも……いいの?」

「……仕方ないだろ。このままファミリアに入れなければ、ベルはこの街じゃ生きていけない。けど、まだ様子は見る……ミアハ様は、最後の手段だ」

 

とぼとぼと。

意気消沈した様子で、二人は裏路地をひた歩く。

その視線は、やや前を行く少年の背に向けられていた。

彼が二人に気づく様子は、まだない。

 

「いっそ、ロキ・ファミリアとかどう?大手だし、悪い噂もあまり聞かないけど」

「でも強いところは、色々と目立たないか?どこぞのファミリアとの争いもいずれ抱えそうだし」

「……まぁ、目立っている事は確かだろうね」

「それなら、小規模で目立たないファミリアの方が良い。ひっそりと、空気のように今を確実に生きられるファミリアで十分だ。主役でなくていい、それこそ舞台に立つ木の役とかでいいんだよ」

「なんか今、間接的にミアハ様を侮辱されたような……」

「褒め言葉だ。空気で何が悪い?木で何が悪い?今を生きて、健康に過ごせればそれでいいだろ」

 

だから俺はミアハ様を選んだのだ―――と。

話し合いつつ、彼らはまだ歩く。

手前の十字路で、少し前に少年は曲がってしまっていた事にも気づかずに。

想い思いの言葉を交換し、前も見ずに互いを見合い。

そして二人が次の一歩を踏み出した――――その時。

 

「むぎゅ」

「「……むぎゅ?」」

 

足から感じる妙な感触。

そして、蛙がつぶれたような声。

二人は恐る恐る、足元をみやった。

 

「……あっ」

 

そこには、大の字で横たわる黒髪ツインテールの少女。

二人の足は丁度腰と臀部を踏みつけ、少女の恨めしい視線が二人を見上げていた。

 

 

 

 

 

 

「まったく!神であるボクを足蹴にするとか、君達は一体何を考えているんだ!」

 

腕を組み、ぷんぷんと激昂する少女。

その前には、犬人とヒューマンが二人正座して鎮座していた。

 

「聞いているのかい!?」

「聞いていますよ。この度は神様を踏みつけるような真似をし、申し訳ございませんでした」

「――――んぐっ!?」

 

深々と、テクトは地面に手をつき頭を下げる。

……ついでに左手でナァーザの頭を地面に押し付けつつ。

 

「……そこまで言うなら、許してやらなくもないけど」

「ありがたき幸せ。このご恩、一生忘れません」

「お、おう……」

 

頭を上げることなく、ひたすら謝罪と感謝の弁を繰り返す青年。

その左手には、頭の手を離させようとあらん限り暴れる犬人。

少女は久々に子ども扱いされず神として敬われた事に悪い気分はしなかったが、しかし目の前に広がる異様な光景に一歩後ずさる。

 

「も、もう良いよ。良いから、頭を離してあげたら?」

「神様がそう仰られるのなら」

 

やがて解放され、頭を上げた犬人の怒ったような鋭い目がテクトに突き刺さる。

だがテクトの眼は、今なお仁王立ちで腕を組む少女へと向けられていた。

 

「……私はテクト・クラネルと申します。そしてこちらはナァーザ・エリスイス。失礼でなければ、貴方様の御名前を伺ってもよろしいでしょうか」

「ボク?ボクはヘスティアさ」

 

そう、ドヤ顔で名を名乗る少女に。

純粋無垢に、明るい笑顔で子供達を見下ろす神様に。

彼女に二つ目の”光”を見たテクトの顔には、知らず知らずの内に笑みが零れていた。

 

「……テクト君、どうしたんだい?」

「あぁいえ。あの、もしよろしければ、ヘスティア様のファミリアについて教えて頂けたりなんかは……」

「ファミリア!?君はファミリアを探しているの!?」

 

ずい、と。

身を乗り出し、テクトの両肩を掴んだ彼女は喜びを表すかのように大きく揺らす。

その度に揺れる大きな双丘には目を逸らし、テクトは言葉をつづけた。

 

「仮に、ですよ。モンスターを倒した事のない初心者が、ファミリアに入りたいと言ってきたら……ヘスティア様は、どうされますか」

「勿論、許可するよ」

 

即答だった。

満面の笑みで、ヘスティアは断言した。

 

「その子の人柄次第だけどね。でもその子が良い子なら、ボクはその子がどんなに弱くても受け入れるさ」

 

―――――見つけた。

 

「でしたら、是非ヘスティア様に紹介したい人が居ます」

 

神様(ヘスティア様)なら、預けられる。

ベルと同じ笑みを浮かべる、この少女のような神様なら。

きっと、ベルの夢を応援してくれるだろう。

 

「本当かい!?」

 

キラキラと、目を輝かせる可愛い神様。

―――――ミアハ様より魅力的かもしれない

 

「ちょっとテクト……?」

「冗談だ、冗談。ミアハ様の事はとても尊敬している」

 

あれほど出来た神様は、他にはいないだろう。

それは嘘ではない……本心からの、テクトの想い。

 

「それでは、ヘスティア様。“その子”のもとへご案内しても、よろしいでしょうか?」

「勿論だ!」

 

元気よく答えた神様に、テクトは笑い、恭しく手を差し伸べた。

 

 

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

 

「いい加減、しつけぇんだよ!!」

「っぁ……!」

 

吹き飛ぶ小柄な体。

盛大な音を立ててゴミの山に突っ込んだ少年の無様な姿に、大柄な男は唾を吐き捨て家中に消える。

山から臭う生ごみの腐乱臭に顔をゆがめ、少年……ベルはゆらりと幽鬼のように立ち上がった。

 

「……」

 

オラリオに着いてから、一日。

何度浴びせられたか分からない罵詈雑言に、心は限界寸前だった。

 

「……兄さん、お祖父ちゃん」

 

夢に見ていた英雄は、思っていたよりも遠かった。

こんな薄汚れた自分を見てくれる女の子(ヒト)など、いるはずがない。

 

けれど―――諦められるはずもない。

 

肩にこびり付いていた生ごみの欠片を払い、ベルは再び前を見る。

多くの夢を与え、見せてくれた祖父の為に。

過去、諦めそうになった英雄の夢を拾ってくれた兄の為に。

何より―――――自分の為に。

 

「そうすれば、きっと……」

 

馬車を……僕を群れから守ってくれた兄。

兄が受けただろうモンスター達からの攻撃に比べれば、これくらいどうって事は無い。

薄汚れた今の僕を見たら、心の中に生きる兄はきっとこう言うだろう。

 

「これまた盛大に汚したな……怪我はないか?」

「そう、こんな風に―――――」

 

―――――え?

 

「……意外。てっきり、弟君を突き飛ばしたあの男に報復するのかと思ったのに」

「争いは出来る限り避けるべき。そう言ったのはお前だろ」

「それはそうだけど……」

「テクト君!それで、この子が……!?」

「はい、神様。彼がベルです」

 

頭から犬耳の生えた女性と友人のように語らい、黒髪ツインテールの少女に期待に満ちた眼差しを向けられる、灰色の髪の人。

記憶の中の服とは違って黒い上等そうなローブを羽織ってはいるが、腰に差された銀の両刃剣(ブロードソード)には見覚えがある。

 

「兄、さん……?」

「あぁ。ベルは元気……では無かったようだが、まぁ生きててよかった」

 

もう二度と、会えないと思っていた。

すっかり死んでしまったものだと思っていた。

けれど……夕日のような綺麗な朱い瞳が、そこにあった。

いつもと変わらぬ色で、僕を見ていた。

 

「よく頑張ったな」

「―――――ッ」

 

その一言は、どんな傷でも治す特効薬よりも……疲れ切った体に沁みわたった。

 

 

 


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