『娘の監視役をやってもらいたいんだ』
それは異端審問官育成機関、通称『対魔導学園』へと再編入を言い渡されたヒカゲの同僚、鳳桜花の監視役だった。
配属先である第35試験小隊へと足を踏み入れるも、一癖も二癖もある隊員たちに振り回されて大騒ぎ。小隊活動もままならないそんな雑魚小隊が受けた任務は魔導遺産回収。しかしその任務は後に予想だにしない事件へと発展していくのだった―――――。
『ープロローグー』
―――――――春。
暖かな日差しと眩しい桜色に彩られた始まりの季節、もしくは新たな日常を始める者たちのスタートライン。しかしこの場に於いて後者はあれど前者は無い。その証拠に空は灰を被ったかのように薄黒い雲が占領し、桜だったであろうその木は枯れて死んでいた。暖かな日差しも降り注がなければ色鮮やかな花もない。代わりに乾いた風がゴミ屑を巻き上げていた。
世紀末、そう呼ぶにはまだ活気はあるがそんな未来が想像できてしまうような風景だ。今にバギーに跨ったモヒカンギャングたちが奇声を上げながら爆走し始めるんじゃないだろうか。
そんな途方もなくくだらないことを考えながら、黒井ヒカゲは気怠そうに廊下を歩いていた。
異端審問会魔導遺産研究局分析管理課――――通称・魔研課。
ここは異端審問会が押収した危険指定魔導遺産について研究・管理している文字通りの場所だ。魔導遺産とは強力な魔法や呪術を宿した人間に害を及ぼす可能性のある存在の名称で、危険度をFからA、それ以上はSランクと分類されている。
人通りのない長い廊下の途中、木製の扉の前でヒカゲは立ち止まった。金属製の簡素な造りの扉とは違い、デザイン性のあるしっかりとしたその扉には『局長室』と彫られた金色のプレートがはめ込まれている。
扉を控えめにノックすると『はいは~い、どうぞ~』というやる気のない声が廊下に届き、ヒカゲはそれに従い扉を開ける。
部屋に足を踏み入れて最初に見えたのは、重圧感のある大きめのデスクとその上に足を投げ出してゲーム機をいじくっている白衣を羽織った青年の姿だった。
「やあやあ黒くん、お久だねえ。何日ぶり?いや、何時間ぶりかな?」
「べつにどっちでもいいです」
不機嫌な声で吐き捨てるように答えたヒカゲは、扉を閉めるなりズンズンと歩いて断りもなく応接用のソファに腰を下ろした。
そんなヒカゲの態度を気にすることもなくいつも通りにピコピコとゲームに勤しむ―――異端審問会魔導遺産研究局局長、
「いやあ、昨今の娯楽というのはどれもありきたりで面白くないね。趣向が偏るという集団心理は僕のような革新的思考の人間には理解し難いものだよ」
メガネのフレームを押し上げながら人を食ったような笑みを浮かべる羅刹は、不服そうに座るヒカゲを視界に入れてその笑みを更に濃くする。
「全く、キミはいつもこの部屋では不機嫌だなあ。そんなにこの空間が嫌いかい?」
「聞くまでもない事だと思いますが」
答えを知っていながら問うてくる羅刹にヒカゲは突き付けるように言い放つ。睨むように視線を叩きつけるが、羅刹は心底楽しそうに肩を震わせる。
「ヒヒヒヒヒヒヒッ…………聞くまでもない事か。それもそうだね、キミの答えは過去から現在に至るまで否定の一点張りしかないんだし。でもその上司を敬わない姿勢は嫌いじゃないよ。集団から孤立して我が道を進む、孤独と変革に塗れた実にいい姿だ」
うっとりとした表情で語る羅刹にヒカゲはより一層の嫌悪感を抱いた。
確かにこの男が言う通りヒカゲとの関係性は上司と部下、権力差も比にならないほど開いている。魔研課の全権所持者と異端審問会の犬にあたる異端審問官では比べることすら馬鹿馬鹿しい。
しかしヒカゲにとって九条羅刹という男はどうも信用に欠ける人物だった。飄々とした態度で人をからかい、何も考えていないような素振りで相手を陥れるような罠を張り巡らせる。なによりコピー・ペーストで張り付けたような不気味な笑みの下には、狂気に染まったどす黒い何かを感じるのだ。
科学者はネジが一・二本飛んでいるくらいの方が良いと言うが、目の前にいるこの男はそんなものでは済まない異常さがある。まるで人を演じる人ならざる者のような気がして仕方がない。それほどまでにこの男は存在自体がキナ臭いのだ。
「そんなことはどうでもいい、用件があるなら早く済ませてください。あなたと違って俺は色々と忙しいんだ」
「その物言いは心外だなあ。それじゃあ僕がこの世界を救済するために活動する
市民をゴミと揶揄した上、学校の休み時間に友達と話すような気軽さで平然とそれを口にする羅刹に、ヒカゲはより一層の苛立ちを覚える。この男にとって人間とは自分の益になる者のことであり、それ以外は実験動物程度としか認識していない。
口には出さず憮然とした表情でヒカゲに睨み付けられた羅刹は、ヤレヤレといった具合に肩を竦めた。
「冗談だよ冗談、時間は有限だ。特に僕たちは一秒たりとも時間を無駄にできないし簡潔に伝えよう。さっき我が異端審問会の会長様より連絡があってね、仕事を頼みたいから理事長室へ顔を出してくれだとさ」
「仕事………?」
「そうそう。あ、中身については聞かないでね?僕は特に何も聞かずにオッケーしちゃったから」
テヘッという効果音が付きそうなくらい腹立たしい顔で舌を出す羅刹を殴り飛ばしたくなったが、どこか踊らされてるような気がするヒカゲは粘着質な視線を振り払うように腰を上げた。
「話はそれだけですね、なら俺はもう行きます」
「ええ~もう行っちゃうのかい?折角なんだしもう少しお話ししようじゃないの」
「俺もあなたも暇じゃない。俺はさっきそう言いましたしあなたもそう言った筈です。それに俺はあなたと馴れ合うつもりは毛頭ないですから」
まだ何か言いたげな羅刹を無視してそれだけを言い残したヒカゲは早々に部屋を出た。同時に肩の力が抜けそうになるがそれを我慢して歩き出すと、不意に後ろから声をかけられた。
「お疲れ様ヒーくん」
「ん、ラグナか。ありがと」
後ろを振り返ることなく返事をすると、ラグナと呼ばれた黒い花柄の浴衣を着た少女がひょこっと隣から姿を現した。腰まで届く艶やかな黒髪は前髪で切り揃えられ、その下から覗く顔はまだあどけなさが残っている。しかし猫のように細められた瞳からは容姿にそぐわない大人びた色が窺えた。
「で、次のお仕事はどんな感じだったの?魔導遺産の回収?それとも残党狩り?」
「いや、今回は別の仕事だと思う。会長直々の指名だって聞いたよ」
「へえー、ってことは極秘任務とかかな。まあどんな任務だろうとウチとヒカゲの最強コンビに成せない任務なんてないもんね」
「ははは、そうだね。ラグナは心強いな」
「えへへへ~」
下駄で器用にスキップするラグナの頭を撫でてやると、ラグナは目を細めながら嬉しそうに笑った。
そんなやり取りをしながら異端審問会の本部にある執務室へと足を運ぶ二人だが、その先に考えもしない修羅場が広がっているなど知る由もなかった。
◇◆◇
「何故私が学園に戻らなければいけないんですか!」
「だからさっきから再三言っているだろう。君は
「幼い……………?何を今さら、実績なら十分に残しているはずです」
「実績、ねえ。確かに君の言う通り実績は優秀だ。でもそれは仕事上の評価であって君自身の評価じゃあない。事あるごとに犯人を負傷させ、挙句の果てに殺害。先日の任務だってそうだ。人質を救うためとはいえ犯人の頭部を撃ち抜くのは些かやり過ぎじゃないかな?もしそれで人質に被害が出たらどうするつもりだったんだい」
「そんなリスクは万が一にも起こり得ません。外さないので」
対魔導学園理事長室の室内では、夕焼け色の髪の少女とデスクで腕を組む長髪の男性の口論でごった返していた。男性が諭すように語り掛け、少女が反発して言い返すという身も蓋もない口論がさっきから続いているのだ。
一方、呼び出しを受けてこの場に居合わせているヒカゲは、少女の一歩後ろで憂鬱な表情のまま現場を見守っている。
「まったく、その無駄にブレない自信には本当に驚かされるよ。そんなことだから君は一匹狼の上に
「自覚なら、とっくの昔からしています。ですがこれが私のやり方です。このやり方が間違っているとは思っていません」
桜花と呼ばれた少女は凛とした態度のまま正面のデスクに座る男性―――対魔導学園理事長、
「ハア…………それなら尚の事君を魔女狩りに戻すわけにはいかないな。通告した通り魔女狩りの資格を一時剥奪し、対魔導学園の生徒として今日から通学してもらう」
「ま、待ってください。私にはまだ例の事件の調査が残っているんです………もう少しで事件が進展する証拠が掴めそうなんです!ですから――――」
「だから事件が解決するまで処分を延長してくれ、かい?悪いけどそれは容認できないね」
その返答に桜花は何故ですか!?と噛み付きそうになるが、颯月の射抜くような視線に口を噤んだ。
「いいかい桜花、私は何も嫌がらせでこんなことを言っているわけではないんだ。君の気持ちも分からなくはないさ。今回の事件は多くの罪の無い市民が犠牲になっているし、こんなことを仕出かした犯人は当然許されない。出来ることなら早期解決してほしいと思う」
「…………そ、それならどうして」
「だからといって君のやっていることも看過できないんだよ。数多くの犯罪に手を染め多くの人々を苦しませた犯罪者を殺す。聞こえだけは良いけど、それは正義という言い訳を盾にしているに過ぎないんだ。復讐心のままに銃口を突き動かす今の君に捜査続行は認められない」
「…………でも!」
「これ以上の異論は認めないよ。現時刻を持って異端審問官特務階級魔女狩りの資格を剥奪、対魔導学園への編入を命令する。これは異端審問会会長である私の決定だ」
毅然とした態度で颯月は最後通告を言い渡し、それを聞いた桜花は悔しそうに下唇を噛んでいた。すると颯月は話を終えた途端に椅子を回転させ桜花に背を向けた。
「さて、君との一件はこれで一段落ついた。話すべきことはまだ色々とあるけど時間が押しているからね。部屋の外で待っていてくれたまえ」
「…………わかりました失礼します!」
颯月の突き放すような冷たい声に案の定憤りを覚えた桜花は、怒りの色を浮かべた瞳でその背中を睨みつけながらズンズンと歩いていき勢いよく扉を閉めて退室していった。まるで嵐が去った後のような静けさが広がる中、その沈黙を破ったのは意外にも部屋の隅で憂鬱そうにしていたヒカゲだった。
「相変わらずみたいですね会長」
「あははは…………いやはや、見苦しいところを見せてしまって面目ない」
再び椅子が前に向くとそこには脱力しきった颯月の姿があった。さっきまでの凛とした表情は無く糸の切れかけた木偶人形のような風貌と化していて、少なくとも今の颯月にこの異端審問会を統括する会長としての威厳は微塵も感じられない。
「いえ、別に気にしてませんよ」
「そう言ってもらえると助かる。まったく、年頃の娘というのは扱いが難し過ぎてまいってしまうよ。全世界の父親はこんな苦労を抱えて生きているんだな」
どこか遠くを見るような目でそんなことを呟く颯月。
彼の言う通り颯月は桜花の父にあたる人物だ。その証拠に桜花の苗字は颯月と同様に鳳である。
「やはり一三歳という若さで彼女に魔女狩りの資格と力を与えたのは早計だった。あの子の為になると思ってやったことがまさかこんな形で返ってきてしまうとは、流石に予想は出来なかったよ」
吐き出すように紡がれるその言葉からは後悔の色が窺えた
自身の厚意が娘の道を外れさせかけているという事に今更になって気付いたという事実が、颯月にとってはよほどショックなことだったのだろう。
ヒカゲも颯月に何か励ましの言葉でもかけようかと考えるが、家族でもない部外者が口を出すのは不躾というものだ。それにいくら颯月に『大丈夫、あなたは悪くない』などという言葉をかけたところで何の意味も成さない。無責任な言葉を与えるくらいなら触れない方が良い、そう考えたヒカゲはあえて自分が呼び出された事案についての話を促すことにした。
「まあそれはそれとして、自分が呼び出された理由について窺っても?」
「あ、ああ。そうだ、君を呼び出したのは他でもない私だったね」
娘のことについて深く考えすぎてしまっていた颯月は、オホンと咳払いをして再び正面を向いた。
「君を呼び出したのは他でもない、娘の監視役をやってもらいたいんだ」
やっぱりか、とヒカゲは心の中でつい頷いてしまった。というよりさっきの光景を見る限りそれ以外に自分が呼び出される理由などないと嫌でも予想がついてしまう。
「えーと、一応確認させてもらいますけど、その場合は俺も学園に生徒として入学するということですか?」
「桜花と同じく暫定的にね。彼女が魔女狩りに復帰するまでの間、君に桜花のチェックをして貰いたいんだ。私の目の届く範囲は限られているし、四六時中彼女に付きっきりでいられるならそうしたいけど、流石にそういうわけにもいかないだろう?」
颯月の言う通り、異端審問会の会長である以上迂闊な行動は出来ないし、なにより颯月自身かなり多忙な身だ。父親が高校生にもなる娘に四六時中張り付こうとする考えはさておき、現実的に桜花の行動の全容を把握するのは少し無理がある。だからこその監視役ということなのだろう。
「それに君は桜花が言葉を交わす唯一の人間だ。恐らく君ならばそれほど邪険にされることもないだろうしね」
「なるほど、それで俺に」
「私情を大いに挟んだ我儘だとは重々承知している。本来この社会の支柱を担う審問会のトップがするべき行為ではないだろうし、あの子に我慢しろだのと言った手前情けないとも思っている。それでも私は君に頼みたい、力を貸してはくれないだろうか!」
デスクに額を着けて頭を下げる颯月。組織のトップである人間が末端であるヒカゲに頭を下げるなど、本来あってはならないこと。だからこそヒカゲは大きく頷いて見せた。
「その言葉だけで十分引き受けるに値します。だから頭を上げてくださいよ会長」
「…………ヒカゲ君、しかし」
「いいんですって。俺はあなたの駒であなたはプレイヤーだ。ならプレイヤーである会長が駒である俺を使うのは当然のことです。だから気にしないでください」
ヒカゲのそれは言ってしまえば極論だった。トップである人間はその下に控える駒を使って組織を運営していく。形としてはそれが最もな表現ではあるものの、そこまで偏った考え方をしている人間がいるかというとそういうわけではない。
しかしヒカゲは場合によっては自分自身を駒として扱う部分がある。それを人は非情だと罵るが、彼が身を置く場所はそうした割り切りが出来なければ即座に死ぬのだ。
こんな時に出すべき表現ではないだろうが、下手な言葉を並べるよりも直球で言った方が本人の為になる時もある。そしてその意味を颯月はしっかりと受け止めた上で返した。
「ありがとう。なら私はプレイヤーとして君という駒を存分に使わせてもらうよ」
策士が浮かべるような狡猾で不遜で実におぞましいチェシャ猫のような笑みを浮かべて。
その姿を見て安心したヒカゲはその言葉に敬礼で返し、理事長室を静かに退室した。
◇◆◇
「どうだいラピス、そろそろ決心はついたかな?」
一人になった颯月は誰も居ない空間で最初から最後までそこにいた人へと声をかける。すると誰も居なかった筈のデスクの隣に一人の影がいつの間にか立っていた。
瑠璃色の髪と瑠璃色のドレスに身を包んだ少女だ。しかし肌は陶器のように白く人形のような端正な顔立ちにも生気は感じられない。人間の姿でありながら人間とは対極とでも言うべき姿だった。
「…………」
颯月の問いに少女は答えない。置物のように微動だにせずその場に直立したままだった。しかし颯月は答えを受け取ったかのように頷くと悲しげに微笑んだ。
「そうか、やはりそれが君の答えなんだね」
安心したような、けれどもどこか躊躇いの入り混じった声が静かな室内に響き渡る。
それでも少女は答えない。動きもしない。けれども瑠璃色の瞳だけは颯月の双眸をしっかりと捉えていた。まるで己の意志を余すことなく伝えるかのように。
「わかっているさ。君の願いはきちんと聞き入れる。君の望むがままにね」
颯月は少女の願いを叶えなければならない。そうしなければならない理由がある。
例えそれがどんなに残酷で、凄惨で、非道であったとしても。
改変点・鳳颯月。
どうも明智ワクナリです!これからよろしくお願いします!