どうぞ
「…じゃあ、学園にいる誰かが、学園に結界を仕掛けたっていうのか?」
「ええ。しかもほぼ100%の確率で、犯人は聖杯戦争の参加者である
遠坂はそう言うと、俺が淹れた緑茶を飲みながらそう答えた。
「あら、美味しい。でもね衛宮君、私普段は紅茶派なの」
…へえ、そうなのか。たしかに遠坂のイメージはそっちのほうがあっている。
「って、そんな呑気なこといっている場合じゃない。遠坂の話によれば、もしかしたらその結界が学園の皆を危険に巻き込むようなモノかもしれないんだろ?」
だとしたら、すぐにでもその犯人であるマスターを探しだして、結界を破壊させなければいけない。 魔術師たちの争いに、一般人が巻き込まれていいはずがないのだから。何よりも、巻き込もうとしているその魔術師を、許していいはずがない。
「落ち着きなさい衛宮君。結界っていうものはね、下準備無しに発動できるようなものじゃないわ。今すぐどうにかしなきゃっていうわけじゃないの。考え無しに行動したところで、かえって身を滅ぼすだけよ?」
「…でも!!」
すると遠坂は俺のことを鋭く睨み付ける。
「話は最後まで聞きなさい。私と共闘する以上は、自分勝手な行動はさせないわよ?」
「遠坂…」
「ほら、少し落ち着きなさい」
俺が淹れたお茶を俺に差し出しながら、遠坂はそう言った。それを受け取り、一口口に含む。
「…ああ、すまない。少し熱くなりすぎた。悪いけど、話を続けてくれ」
「いいわよ、これくらい。怒っているのは貴方だけじゃないし、あなたのそういう正義感は間違いじゃないわ」
そう言って少し微笑むと、遠坂は再び話を進めた。
「さっきも言ったけど、学園に張られた結界は発動までには時間がかかるわ。ええ、あれほどの規模なんだから当然と言えば当然ね」
「時間って…どれくらいかかるんだ?」
「…うーん、私も正確にはわからないけど、少なくとも今日明日で発動するようなモノではないのはたしかよ。だからね、私達がまずすべきなのは、犯人に結界の発動を遅らせること」
…ん?
「発動を遅らせるって…どうやってさ?」
止めるのではなく、遅らせるのだという表現にひっかかった。犯人が分からないというのに、一体どうやって?
「言ったでしょ?発動には下準備が必要って。実は私今日、今説明した結界の起点っぽい魔法陣を何ヵ所か見つけたのよ。もちろん、ぶっ壊してやったけど。私が言いたいこと、わかるかしら?」
「ん…起点ってことは、それを見付けて壊すことができれば、結界の発動を邪魔することができるってことなのか…?」
「正解。起点を破壊して結界の発動を遅らせてる間に、私達が犯人を見付けてとっちめてやればいいってわけ」
なるほど。しかし、一つ疑問がある。
「でも遠坂。その起点ってのは、そんな簡単に見付かるもんなのか?」
「ええ…それなんだけど、こればかりは地道に探していくしか無いのよね。うまい具合に気配を感知できれば、話は早いんだけど」
「そうか…じゃあ、明日からは学校で探さなきゃな」
聖杯戦争が開始されてからまだ二日目。
ーーー狂戦士と雪の少女。
ーーー朱槍を携えた蒼き槍兵。
ーーー学園に張られた結界。
ーーーそして、かつて聖杯戦争の参加者であったという衛宮切嗣。
昨日までの日常が、瞬く間に非日常へと塗り替えられていく。
ーーーいや、もしかしたら切嗣にこの命を救われた瞬間から、全ては始まっていたのかもしれない。
この世の地獄を見たあの日から、人が焼かれるあの臭いを嗅いだ瞬間から、"衛宮士郎"が生まれたその時から、全ては―――
『諦めてはいけない…貴方は助かる』
「諦めては…いけない…」
「…ちょっと、今の話聞いてた?」
遠坂が呼び掛ける声により、意識が現在へと引き戻される。
「え、あ…何の話だっけ?」
…最近は、今のように昔のことを突然思い出すことが多くなってきた。
俺がそう言うと、遠坂が呆れた顔で溜め息をついた。
「だーかーらっ!結界を仕掛けた犯人はそんな大したやつじゃないから、衛宮君が心配しなくてもすぐに尻尾を出すって言ったの!」
「…へ?なんで?」
何故そんなことが言えるのだろう。
「あのね衛宮君。結界っていうものはね、一番に重要なのはその規模でも強度でも無くて、相手に結界の存在そのものを気付かせないことなの。そりゃもちろん、完全に気付くことができないものを作れる魔術師だなんて超一流の魔術師だけだけど、今回のなんかその真逆よ?規模ばっかりでかいものだから、発動には時間がかかる上、学園の外からでも異様な雰囲気が分かるくらいバレバレ。神秘の秘匿もへったくれもあったもんじゃないって話。おそらく今回の犯人は、魔術に関してはド素人なやつに違いないわ」
遠坂はそう言いきると、俺を指差して
「そう、あなたみたいなね?」
と言った。
「なっ…俺はそんなことはしない!」
「わかってるわよ、そんなことくらい。だからあなたと組んだんだし」
「…え?」
「信用できるって意味よ。衛宮君はそんなことまで説明してもらわないとわからないのかしら?」
呆然としている俺を見ながら、遠坂がニッコリと微笑んだ。
「いや…その…」
そんな遠坂の笑顔を見て、俺はなんだか照れてしまった。しかし、それも当然だ。ついこの間まで憧れていた学園のマドンナが、自分に向けてこんな笑顔を向けてきたものなのだから。しかも、不意討ちで。
「なあ、話は纏まったかよマスター?」
すると突然、今まで黙って話を聞いていたセイバーが口を開いた。
「要するに、マスターと赤女がその結界張ったヤローを見つけ出して、オレがそいつをぶった斬る。それだけだろ?んな簡単なこと話すのに時間かかり過ぎだっつの。眠りそうだったぜ、オレ」
「ごめんなさいねセイバー。あなたのマスター、魔術師として必要最低限の知識ですら色々と欠陥があるものだから。あと、あなただけじゃなくてアーチャーもいるってこと、忘れないでちょうだいね?」
「フン…」
それを聞くとセイバーは顔をしかめて、俺のことを睨み付ける。
「あのなマスター。いくら共闘者とはいえ、ちょっとは自分の主が馬鹿にされているオレの身にもなってみろ?惨めなもんだぜ、まったく」
「セ、セイバー…」
そんなセイバーの言葉に、俺は苦笑いを浮かべる。
言っておくけどなセイバー、俺だって悲しくないわけなんかじゃないぞ?
しかしそんな俺の反応が気に食わなかったのか、今度はセイバーは遠坂へと標的を変えた。
「お前もそうだぞ、赤女。マスターが信用したって、オレがお前を信用したとは限らん!マスターがいくらヘッポコだからって、あんまり好き勝手なこと…」
ーーーおい、お前もさらっと俺のことを馬鹿にしてるじゃないか。
「あら、私はそんなことないわよ?」
へ…?
俺がこれ以上は言わせまいと口を開こうとした瞬間、それよりも先に遠坂が口を開いた。
「…は?」
意表をつかれたのか、セイバーが少し間抜けな声を漏らす。
「あなたは私を信用してなくても、私はあなたを信用してるってことよ。昨日のバーサーカーとのあなたの戦い、見事だったわ。きっと私のアーチゃーだけじゃどうにもならなかった。衛宮君と共闘を結ぶっていうのは、言うなればあなたの実力を買ってるって意味と同じでしょ?」
遠坂はそう言うと、
「頼りにしてるのよ、セイバー?」
とセイバーへと微笑んだ。
「…調子の良いこと言いやがって」
するとセイバーは顔を遠坂から背けながらそう呟いた。
「オレが強いのは当然だ。でも、お前がオレの力に
「ええ、ありがとう」
そう言い放つと、セイバーは俺の隣に座布団を敷き、しょうがないだの何だのボソボソと呟きながらそこに座った。
ーーーすごい、あのセイバーを遠坂は今の短時間で手懐けたというのか。
俺は遠坂の表情を伺う。
そこには、ニッコリと微笑んでいる遠坂が。
ーーーあ、今なんだか遠坂の背後に紅い悪魔が見えたような気がするぞ。
「…でも良かったよ。セイバーが俺らの方針に賛成してくれたみたいで」
「…どういう意味だ?」
「いやさ。もしかしたらセイバーは、結界の犯人なんかよりもバーサーカーを先に倒すことを優先するようにって反対するかと思ったんだ。昨日だって、次は倒すって意気込んでたくらいだしさ」
そう、負けず嫌いな彼女のことだ。きっと、誰よりもバーサーカーとの決着を望んでいる。
「馬鹿言え、マスター」
するとセイバーは言った。
「オレはマスターのサーヴァントで、マスターはオレのマスターだ。サーヴァントってのはマスターの指示に従うもんだ。よっぽどふざけた内容じゃなけりゃ、オレはマスターの方針には基本的には従う。…それに、気に食わん」
「…え?」
……気に食わない?
「結界を張ったというやつらのことだ。そいつらが何を考えているかなど知ったことではないが、無実の民草を巻き込もうって言うなら話は別だ。愚図共がオレの剣が届く範囲で好き勝手やろうってんなら、
「……」
正直なことを言うと、そう話すセイバーのことが意外であった。 何がかというと…それもそれでよく分からない。しかし、セイバーの瞳は鋭いながら真剣であり……例えるならば、俺が彼女に初めて出会った時の、俺を救ってくれたあの時と同じような、本来の彼女の騎士として側面を、俺は今のセイバーの言葉の中に感じていたのだ。
そんなセイバーの話を、俺も遠坂も黙って聞いていた。
「ま、そういうことだ。魔術師という奴らは、どうしてか持って当然の倫理観というものを無くしがちだ。だから…その点では、お前らがオレのマスターで良かったと思う。マスターはオレに一般人を襲わせて魂喰いを要求したりはしないだろ?」
「…魂喰い?」
俺がそう呟くと、遠坂がすかさず口を挟んだ。
「…魔術師ではなくても、人には人が生きる為の魂の力、精力がある。サーヴァントっていうのはね、そういった人の魂を喰らうことで、自身の能力を向上させる"魂喰い"をすることができるの」
「そんなこと…!!」
させるものか、と言おうとしたところを、セイバーが俺の口元に人差し指を突き付けてきて制止させた。
「そう、それでいい。オレはさ、マスターのそんなところが気に入ったんだ」
人差し指を俺の口元から離すと、セイバーはその白い歯を見せて笑った。俺はというと、なんだか照れ臭くなってセイバーから目をそらし、頬をポリポリと掻いていた。
「で、どうすんだ今夜は?例の結界とやらを見にでも行くか?」
セイバーがそう言うと、遠坂が答えた。
「いいえ、今日は衛宮君たちはゆっくり休んでおくべきだわ。明日からは忙しくなるだろうし、昨晩なんていきなりあんな強敵と戦ったばかりなんだから。ここはとりあえず、バッチリと体勢を整えるのが定石だと思うの。今夜街に出て、またあのバーサーカーなんかと遭遇しちゃったりでもしたらたまらないわ」
「なるほど…それもそうだな」
遠坂の言うことには、なんだか妙な説得力があった。
「セイバーはどう思う?」
俺は隣に座っているセイバーへと聞いた。
「つまらない…と言いたいところだが、マスターの方針に従うと言ったばかりだしな。マスターがそれでいいというなら構わない」
セイバーは少し不服そうではあったが、彼女も彼女なりに考えがあるのだろう。最終的には納得してくれたみたいであった。
トイレに行くと言って席を立ち、ことを済ませ手を洗い えると、俺は自身の顔を鏡で見つめた。
「たしかに、少し疲れてるかもな…」
目は僅かに充血し、普段よりもやや表情に疲労の色が見える。しかし、それも当然かもしれない。昨日は色々と有りすぎたし、今日だってセイバーの買い物に付き合った後、彼女に鍛練に付き合ってもらったのだから。
「…っ!」
突然の目眩。やはり疲れているのだろうか、首筋あたりにチクリとした痛みが走る。
「…うん、やっぱり今日は遠坂の言うとおり休んでおこう」
もう既に日は沈み、洗面所の窓からも分かるくらい外は夜の闇に包まれていた。
「遠坂、夕飯食べていくかな…?」
そんなことを思いつつも、何か俺は重要なことを忘れているような気がしていた。はて、一体なんだったろう。いつもだったらこの時間には桜や藤ねえが……
ーーー桜や藤ねえ!?
ちょうどその時、玄関の引き戸が無造作に開かれる音が聞こえてきた。
「たっだいまー士郎!風邪ひいたって桜ちゃんから聞いたから、心配してお見舞いに来ちゃったんだぞー!?ついでに言うと、お姉ちゃんお腹ペコペコーっ!」
…いや、いつも通り飯食いに来ただけじゃねぇか!
しかしまずい、居間には遠坂やセイバーがいる。セイバーなら霊体化すればまだしも、風邪で休んだことになってるのに、遠坂なんて学校の有名人が家なんかにいたら何て言えば…!!
ーーー足早に居間へ戻ったら、何とも奇妙な光景が。
ーーー遠坂は先程と変わらずお茶を飲んでおり、
ーーーセイバーは俺の霊体化してくれるという期待を裏切り、実体化したままの姿で寝転がりながらくつろいでおり、
ーーー藤ねえは俺とは向かいの扉を開いたその瞬間で、衛宮家ではあり得ない光景を目にしたためか、時が止まっていた。
「お…お帰り藤ねえ。桜は一緒じゃないのか…?」
「そーなのよー。なんでもお爺さんの体調が悪いとかで、先に帰っちゃったのよう…って」
そして、藤ねえの止まっていた時間が動き出すーーー!!
「なぁぁぁぁぁあんで遠坂さんと謎の外国人が家でくつろいでるのよぉぉぉぉぉおおおっ!!」
「じゃあなに?その子が遠坂さんの外国から来た従姉妹で、士郎の家を見学するためにうちに来たって言うの?」
「ええ。この子、日本に来るのが初めてで…。前から日本の文化を知りたいと言っていたのですが、そしたら友人から衛宮君がとても立派な和風建築に住んでいると聞いたものですから、是非見せてあげたいと思いまして」
「…」
セイバーはそう話す遠坂の横で、不機嫌そうな表情で座っていた。
話は勝手に遠坂が進めてくれていた。所々無理があるところもあるが、遠坂が話すと本当の話のように思えてくる。
「衛宮君に外観だけでも見学させてくれないかと頼んだのですが、事情を話したら家にあがって中も見ていくといいと言ってくれたものですから、ついお言葉に甘えてしまって…まさか衛宮君が体調不良で学校を休んでいたとは、知りませんでした」
「うーん…たしかに士郎なら言いそうな気もするわねー。昔から困っている人は助けなくちゃ気がすまない子だったから」
たしかに俺が説明するよりも、学園の有名人かつ優等生の遠坂が説明した方が説得力がある。
しかし…
「おい、マスター。オレはいつまでこんな茶番に…」
「セイバー…今は俺のことマスターって…」
痺れを切らしたセイバーが、藤ねえの目の前で俺のことをマスターと呼ぶと、藤ねえの目の色が変わった。
「マ ス タ ー ?」
藤ねえが、わざとらしくゆっくり言いながら俺のほうへと首を傾げる。
まずい、面倒なことになった。
「そうそれ!それよ!なによマスターって!?士郎とセイバーさん?との間に一体何があったっていうのよぉ!?」
流してもいない涙をぬぐう振りをしながら、藤ねえが俺の頬をつねる。
「そんなんじゃないって、藤ねえ…」
「なによ!お姉ちゃんに言えないような関係だっていうの!?私切嗣さんに何て言い訳すればいいのよう…!!」
「あの、藤村先生?」
藤ねえがついに泣く仕草すらやめて、俺の頬を両手でつねり始めたそのとき、遠坂が藤ねえの名をよんだ。
「実は彼女、日本には料理の勉強をするために来たんです」
「「…は?」」
なんでさ。
その言葉を聞いた瞬間、セイバーと俺の声が同時に漏れる。しかし遠坂はそれを鋭くした瞳で制すと、言葉を続けた。
「そんな中、衛宮君の作った手料理を食べたら、この子相当その味に惚れ込んでしまったらしくて…料理の真髄を教わりたいと言って、彼に弟子入りしてしまったんです。それで衛宮君のことを
先程まで唐揚げの入っていた皿を指差しながら、遠坂が言った。
……いや、それはいくらなんでもかなり無理あるだろ!?
しかし至って自然な振る舞いで、あたかも真実かのように話す遠坂。…にしても、もっとまともな理由思い付かなかったのか?
セイバーはというと、遠坂にあからさまな殺意の視線を送っている。
それもそうだ。こんな理由じゃ、いくら藤ねえでも…
「なるほど、そういうことなのね~!」
ーーー信じました。
「わかるわ~その気持ち!だって士郎の料理って美味しいものね~!」
うんうん、と一人納得したように頷く藤ねえ。
つか、本当にそれでいいのか藤ねえ。
「そっか~、士郎の料理がついに世界に認められたのね!きっと切嗣さんも喜ぶわよ、士郎!!」
世界狭っ!しかしここは折角遠坂が藤ねえを丸め込んでくれたんだから、話を合わせなくては。
「あ、ああ。そうだな」
「それで藤村先生。衛宮君の保護者である先生にお願いがあるのですが」
「…なーに、遠坂さん?」
…お願い?なんのことだ?
「セイバーをしばらく、衛宮君の家に住み込みで修行させてあげて欲しいんです」
「!!」
「私の家、今改修中でして…そんな中、この子ったらいきなり今日になって、事前に連絡せずに私のもとに訪ねて来てしまったものですから…私の家は今じゃ、人が住むスペースも私一人でなんとか、というくらいで…。ホテル暮らしも考えたのですが、お金もかかりますし。そうしたら衛宮君が、「弟子になるなら、俺の家に住み込みで修行すると良い!」と言ってくださったんです」
ーーーえええ、なんでさ!?
というか、そういう問題はセイバーが霊体化とかすればなんとか誤魔化せるだろ!?たしかにセイバーは実体化したままのが好きなんだろうけど、いくらなんでもこれは彼女にも譲歩してもらいたい。
それにしても、一体遠坂は何を考えているんだ?
もしかして、セイバーが無条件で実体化できる環境のほうが共闘者である遠坂としては都合が良いとか、何か理由があるのか…?
そう思いつつ、遠坂の表情を伺った。
そこには、愉快そうに満面のスマイルを浮かべる遠坂が。
ーーー面白がっているだけか…!!
少なくとも今の遠坂の一言は、長年藤ねえと過ごしてきた俺の経験からすれば、藤ねえの消えかけていた炎に再び油を投入するようなものである。
ましてや藤ねえはこんな性格ではあるが仮にも教師だ。多感な時期である俺と、こんな…少なくとも見た目は可憐な女の子であるセイバーとが一つ屋根の下過ごすことなど、認めてくれるわけ……
「うーん、いいんじゃないかしら?」
ーーー認めました。
「い、良いのか藤ねえ?」
「そうねー、教師としてはこんな女の子と士郎が一緒に暮らすだなんて認めるのは、正直アウトな気もするけどー、事情が事情だし。よーく考えたら、士郎がそんな犯罪に手を染めるようなイケナイことするような子じゃないっていうのも分かってるし。なにより…」
思っていたより物分かりが言いというか、そんな簡単に…ん?なにより?
「なにより、なんだ?」
俺がそう聞くと、藤ねえが振る。
「だって、セイバーさん料理の修行するんでしょ?料理するんでしょ?……ということは、いつもよりもたくさんの美味しいご飯が、この衛宮家の食卓に並ぶってことよね!?」
よだれを垂らしながら、藤ねえがそう言った。
ーーー多感な義弟の心配より、飯の心配かよ!?
……とまあ、色々とあったわけである。
あの後、藤ねえは歓迎パーティーだのなんだの言って俺が作っておいた夕飯や、いつの間に持ち込んだのか分からない酒を飲み食いしたり、今日は私も泊まる!など言っておきながら飲んだ酒に呑まれたりで、最終的には藤村組の皆さんが心配して我が家に来て、泥酔状態の藤ねえを引き取って帰ってしまった。
「ご馳走さま。衛宮君、本当に料理上手なのね。今日はとりあえず帰るけど、また明日にでも学校で会いましょう?」
遠坂もそう言うと、見張りをしていたアーチャーを引き連れて帰っていった。
「…ったく、どいつもこいつも何を考えてるのか訳がわからん。あの赤女、人が黙ってりゃ好き勝手言いやがって…」
セイバーはそう言うと、藤ねえが残していった転がっていたままの一升瓶を手に取りそのまま飲み干し、
「なんだこれ、変な味だな」
などと呟きながらもその味を堪能していた。
未成年だとか色々問題あるのだが、サーヴァント相手に、ましてやセイバーを相手に何を言っても無駄だろうとそれに関してはもはや放置していた。
「あの藤村とかいう女、マスターの姉だとか言ってたが…」
ふと、思い出したようにセイバーが言った。
「ああ。姉って言っても血は繋がってないけどな。切嗣がお世話になった雷河爺さんって人の孫でさ、俺が切嗣に拾われてからはずっと弟みたいに可愛がってくれてたんだ。今じゃどっちが弟だか妹だかよくわかんないけど、まぁ俺の家族だよ」
セイバーはそれを聞くと、つまらなさそうにふぅん、と答えた。
「血の繋がってない家族、か。やっぱり意味がわからんな、お前らの考えることはさ」
俺はその言葉の意味をあまりよく理解してはいなかったが、
「そうか?きっとセイバーも藤ねえと仲良くなれると思うけどな」
「なんでそんなことがマスターにわかるんだよ。っていうより、忘れるなよマスター。俺たちは戦争してんだ。そんなに大切な家族なら、なおさらこの家に近付かないように言っておけ。何かあってからじゃ遅いぜ?」
そうは言っても、藤ねえは明日の朝になったらまた来るんだろうなと思う。というより、この何年間もずっとそうだったのだ。今さら来るなというほうが無理な話である。おまけにセイバーもいるというのに。遠坂はセイバーを料理の修行にきた親戚っていう設定にさせたけど、さてどうしたものか。
「…そうは言ってもなあ。セイバーにだってさ、家族はいただろ?血が繋がって無くても、家族に変わりはないんだから、来るなだなんて言えないし言わないぞ?」
ーーーえ?
ピタリ、とセイバーの動きが一瞬止まった。
「生憎、血が繋がってろうが繋がって無かろうが、マスターが言うような家族なんて昔からオレにはいなかったんでな。どちらにせよ知ったことじゃない。ま、こんなことマスターにとっても知ったことじゃねーけどさ」
ーーーーー。
セイバーはそう言うと立ち上がり、手をヒラヒラと振ると居間から去ろうとした。もしかして俺は、すごく無神経なことを聞いてしまったのかもしれない。
「あ…セイバー、どこ行くんだ?」
もしそうならば謝りたい。しかしセイバーは振り返ると、先程の俺の言葉など気にも停めていないかのように、笑顔で答えた。
「どこって、そりゃマスター。風呂だよ、風呂」
「え…あ、そうか。まあ、好きに使ってくれ。着替えは…置いておくか?」
無理をしている…ようには見えなかった。セイバーは本当に、いつも通りのセイバーだった。だから、俺はさっきのセイバーとの会話を掘り返すのはやめておくことにしたのだ。
「おー、よろしくなー」
ーーーしかし、風呂と言ったが…。セイバーは昨晩のことを気にしていないようだが、俺はというとそういうわけにはいかない。今日は余計なことをしないようにしないと。
俺が風呂から上がり今に戻ると、そこには昨晩と同じように浴衣に着替えたセイバーがいた。まずい。あまり意識しないようにと思っていたが、やはりこうしている限りは、セイバーはどこからどう見ても女の子じゃないか。
「ま、休むってのは、赤女の言うこともあながち間違ってはいないからな。オレはまだしも、マスターじゃ連戦は身が持たないだろ?そうだってんなら、今日はさっさと寝ようぜ。明日また一暴れするんだから」
一暴れとはいかに。結界探しじゃなかったか?
「なに面白いツラしてんだ馬鹿。鍛練のことだよ鍛練。付き合うって言ったろ?」
「ああ、そうか。ありがとう、セイバー」
「…ま、あとは早いとこサーヴァントを見つけ出して叩くことくらいか」
ーーーて、やっぱりそっち系か。しかしなんともまぁ、えらく好戦的な性格で。
とはいえ、俺だって結界の犯人は見つけ出してこらしめてやりたいのは同じだ。心意気は多少違えど、セイバーと俺との間には、少なからず通ずるものはある。
「ってか、セイバーも寝るのか?」
「ん。その必要はないけど、まぁ寝るかな。昨晩マスターが廊下で伸びてる時に使わせてもらったが、この時代の寝床ってのはえらく寝心地がいい。霊体化するのは前もいったけど、文字通り地に足つかずって感じで嫌だ」
「なるほど…まあ、それくらいは好きにして…って、寝床なんてセイバー、お前に布団の場所なんて教えたっけか?」
客人用の布団はたしかにある。しかし普段は誰も使わないので、場所を知らない人には見付けられないような少し複雑な場所に閉まってあるのだ。昨晩のセイバーの風呂上がりの一件以降の記憶は例によって曖昧だが、セイバーに布団の場所なんて教えた記憶はない。
「いや、見つけたんだな、これが」
セイバーは得意気にそう言うと、俺の手を引いてその見つけたという場所へと連れていった。
ーーー遠坂邸にて
「…しかし、いいのか凛。衛宮士郎に街で起こっている異変を伝えぬままで。あの小僧は知っての通り未熟過ぎて戦力にならないが、奴のサーヴァントは少なくとも無いよりはマシだろうに…むしろ、君は私よりもあのセイバーのほうが戦力としては期待しているのではないかね?」
「なにあなた、さっきの話聞いてたの?」
凛は髪留めをほどきながらそう言うと、自室の椅子に腰掛けているアーチャーヘと振り返る。
「さて、どの話のことかな?」
片眼を瞑りながら答えるアーチャー。凛はそんなアーチャーのキザな態度に、呆れたような表情を浮かべる。
「…そう、あなたがそれでいいならいいけどね」
ベッドに腰を下ろし、凛は話を続けた。
「近いうちに、街のことは話すわ。この"市内"で起きている連続通り魔事件が"魂喰い"によるものだ、なんて知ったら…衛宮君たちのことだからきっと今夜も休まずに、無理してでも魂喰いの犯人を捜すでしょう?」
足をブラブラと振りながら凛は言う。
「だろうな、愚か者のアイツのことだ。当てもないくせに、犯人を血眼になって捜すだろう」
「それがダメだってことよ。衛宮君は昨日セイバーを召喚して、その直後にランサーやバーサーカーなんかとの強力なサーヴァントと戦っている。それなのに今日まで何かしようっていうのは、共闘者として容認できないわ。私だってキツいのに、衛宮君みたいな素人魔術師じゃ身が持たないはずよ」
「…そんなやつと共闘を組むだなんて、君も大概だと思うがね」
フン、と息を漏らすアーチャー。
「あなた、随分と衛宮君につっかかるけど何かあったの?」
「…別に、いずれ我々に倒される運命にあるのなら、早いところ始末してしまおうと考えていただけだ」
「…今は衛宮君は共闘者だって言ってるでしょ。私の方針に従えないって言うならただじゃすまさないわよ」
「言われなくてもわかっている。だからこうして、何もできないでいる己に呆れているんじゃないか」
凛はこれ以上は何を言っても無駄だと判断した。きっとこれがアーチャーというサーヴァントの性分なのだろうが、同時に凛にとっての悩みの種でもある。凛は話題を変えるべく、あることを思い出した。
「じゃあ、セイバーのことなんだけど」
「…なんだね?」
少しは興味を持ったのか、アーチャーがこちらに顔を向けた。
「セイバーに結界のことを話した時、セイバーったら生徒とかの一般人のことを"民草"って呼んだのよ。一般人のことを民草だなんて、王族とかみたいな偉い人間の言い方じゃない?もしかしたらセイバーって、どこかの国の王様だったのかも」
「セイバーの真名…か」
そう呟くとアーチャーは、再び顔を凛から背けた。
「それだけではなんとも言えないな」
「…なによ。結構名推理だと思うんだけど」
遠坂は頬を膨らませ、アーチャーのつまらない反応に顔をしかめる。
「じゃあ聴くがね。君は女性の王族で、セイバーのサーヴァントとして呼ばれるほどの剣の腕を持ち、鎧を纏い大剣を携えているような英雄に心当たりがあるかね?」
「それは…」
凛は思った。たしかに、心当たりはない。探せばもしかしたらいるのかもしれないが、少なくとも自前の知識には該当するような英霊は存在しない。とはいえ、セイバーはあの世界に名高き大英雄ヘラクレスと少なからず剣戟を結んだのだ。それなりに強力な英雄ではないとそんなことは可能ではない。
アーチャーは答えられない凛の様子を一瞥すると、立ち上がり彼女の自室から去ろうとする。
「ちょっとあんた、どこ行くのよ?」
「ただの見張りだよ、凛。セイバーの真名を考えることも良いが、サーヴァントである私には君を敵襲から守る義務があるのでね。また新しい意見ができたら呼んでくれ」
そう言うと、アーチャーは霊体化して姿を消した。
「…なによあいつ。衛宮君のこととは違って、随分と素っ気ないのね」
残された凛はそう言うと、ある一つの事実に気がついた。
「…ていうか、私自分のサーヴァントの真名すら知らないんだけど」
セイバーに連れてこられた部屋は俺の部屋であった。しかしそこには、俺は昨日廊下で寝ていたはずなのに、何故か部屋には布団が敷かれており、さらに明らかに俺以外の誰かが使用した形跡があった。
ーーーまさか、セイバーお前…
…セイバーを振り返ると、セイバーは先程同様得意気な顔をして仁王立ちしていた。
「…な?」
セイバーが言った。
「な?…って、セイバー。これ俺の布団じゃないか!」
しかし俺の言葉などには耳を貸さずにセイバーは俺の前を通りすぎると、その敷かれたままの布団へと横になった。
「いや、ほんと。昨日はこいつのお陰でこのオレもぐっすりってわけよ」
セイバーは起き上がり四つん這いになると、ポンポンと敷き布団の皺を整え、そして再び横になる。
「…おー、柔らかい。オレの時代とは大違いだぜ」
はぁ、と息を漏らすセイバー。
「いや、頼むセイバー。それ俺の布団なんだ。そこからどいてくれ」
俺がそう言うと、セイバーは体を起こした。
「なんだよ、人がせっかくくつろいでるって時に」
「布団がそんなに気に入ったなら別のを出すから、それを使ってくれ。俺の布団で寝られると、なんか恥ずかしい」
「はあ?なんだそれ、意味がわからん」
そう不満は言いつつも、セイバーは布団から渋々出てきてくれた。しかししょうがない、納戸の奥にしまってある出して、それをセイバーには使ってもらおう。
ーーーところが、そうはいかなかった。
「…マスター、なんか違うぞこれ」
客人用の布団を納戸の奥から引っ張り出し、それを敷いたのだが、開口一番セイバーはそんなことを言い出した。
「違うって…なにがだよ」
「…なんかさっきのやつより硬いし、なんか違う。あと変な臭いするぞ」
それは防虫剤の臭いだと思う。
しかし硬い、とはどういうことだろうか。もしかしたらしばらく使っていなかった上、奥の箪笥にぎゅうぎゅうになって閉まってあったから羽毛が潰れてしまっているのだろうか。
そう考えてみると、日頃から俺が使用しており、適度に日光に当てて干している俺の布団のほうが、たしかに柔らかくて寝心地はいいのかもしれない。
「オレやっぱりこっちので寝る。マスターがこっちの臭うほうで寝てくれ」
セイバーはそう言うと、俺の布団を慣れた手つきで再び敷き直し、そして横になった。ていうか、臭うって言い方止めてくれ。たしかに癖のある臭いはするけど。
「…そんな、勘弁してくれ…」
セイバーが布団を使うのは全然構わない。しかし、長年俺が使っていた布団にセイバーが寝るといのは、なんだか言い様のない恥ずかしさがあるのだ。
「…おー、柔らかい。オレの時代とは大違いだぜ」
それさっきも聞いたぞ、セイバー。
「…じゃあわかった。どうせなに言っても聞かないんだから、その布団を使ってもいい」
「おう、やっぱそうこなくちゃな!」
これ以上は疲れるだけだ。しかも俺の神経が一方的に。早いところ折れて、余計なことを意識しなければいいのだ。そうだそれがいい。
「じゃあセイバーが寝る部屋にまで持っていくから、とりあえず一旦布団から出てくれ」
「…?…マスターはここで寝るんじゃないのか?」
「いや、俺はここで寝るけどさ。セイバーはここでは寝ないだろ?」
「…あ?」
「…え?」
何か会話が噛み合っていないようだ。仕方ないから俺はもう一度同じように説明した。
「おう、マスターがここで寝るんだろ?じゃオレもここで寝る」
「…え?」
ここで寝る…?セイバーも?俺がいるのに?
「マスターお前、寝ている時が一番危険だってのにわざわざサーヴァントから離れるだなんて何言ってんだ」
ええええええ!!俺と同じ部屋でセイバーが寝る!?
「いや、ダメだろそれは!!普通に考えて!」
「だからここでオレも寝るって…」
「そうじゃなくて!!」
「はぁ?」
セイバーは本当に俺の言っている意味が分からない、といった表情を浮かべている。
「ここは俺が寝るから、セイバーは別の部屋で寝てくれっ!」
「だから、なんでそうなるんだよ?なんでマスターと同じ部屋で寝ちゃダメで、わざわざ危険を冒す必要があるんだ?」
「だって、俺は男で、セイバーはおっ……」
女の子、と言いかけて自分で自分の口を押さえる。
「なんだよ…」
「い、いや、違うんだ。…第一、セイバーは昨日廊下で俺が寝てたのに、俺の部屋で寝てたんだろ?なんで今日は同じ部屋でじゃなきゃダメなんだ!?」
そうだ、昨日は別々の場所で寝ていたのだから、そこまでセイバーがこだわる必要などないはずである。
「そりゃマスターお前」
セイバーはそう言うと、俺の部屋の引き戸を開き廊下への扉を開いた。なんとそこは、脱衣場の前の廊下であったりもする。
「ここで、マスターが伸びてたんだ。オレは昨日もマスターの安全警備を怠るような真似なんてしてないぜ」
ーーーそういえば、そうだったか。
「でも、こればっかりはセイバーがなんて言ったって譲れない!別々の部屋じゃないと、恥ずかしくて俺が眠れない!」
その通り。セイバーと同じ部屋で寝ようものなら、間違いなく俺は緊張して眠れなくなってしまう。…だって、同じ部屋にこんな…口には言えないが可愛い女の子がいたら、誰だって意識してしまうはずだ。これは俺がおかしいわけではない。俺くらいの年頃の男だったらみんなそうだ。きっと。
「はー、なんだよそれ。何が恥ずかしいんだか。マスターひょっとしてあれか?寝顔を見られるのがダメなタイプか?」
「そういう訳じゃないけど…でも、ダメなものはダメだ!」
「…」
しばらくの沈黙。セイバーはずっと俺のことを睨んでいる。しかし、今回ばかりは認められない。男として、これだけは譲れないのだ。
「わかったよ。正直納得できないが、マスターが眠れないんじゃしょうがない。ここはオレが一万歩譲って、隣の部屋で寝ることにしてやる」
「ああ、頼むからそうしてくれ。セイバー」
セイバーはそれを聞くと元・俺の布団を両手に抱えて、もう一つの部屋へと通じる扉を開き、そこに布団を敷いた。
「言っておくけどなマスター。何か起こってからじゃ聖杯戦争じゃ手遅れだぜ」
「…わかってるよ、セイバー」
そう言うと、セイバーは最後に暗い部屋の中俺に不機嫌そうな表情を浮かべ、布団に横になると俺に背を向けた。
それにしても、セイバーの心配は少し大袈裟ではないだろうか。うちにも簡単なものではあるが結界はあるし、セイバーが言うにはサーヴァント同士は近くにいるとお互いの存在を感知できるそうではないか。なら、隣の部屋でセイバーが寝ている限りは何も問題はないような気がする。
…しかし、ここでまた何かを言えばセイバーの機嫌をさらに悪化させかねない。
俺は黙って自室の明かりを消した。
「おやすみ、セイバー」
そう言うと、セイバーは手をヒラヒラと俺に背を向けたまま振った。
それを確認すると俺は静かに扉を閉め、隣の部屋に女の子が寝ていることなど意識しないようにと自分に言い聞かせ、そして静かに瞼を閉じた。
冬木は夜の闇に包まれ、連続通り魔事件のこともあってか人々は深夜になるとほとんど外を出歩くことはなく、街はすっかりと静まり返っていた。
ーーーしかしそんな闇の中にも、
「しかしまあ、急というかなんというか。我がマスターも随分と性急なものだ。たしかに俺はもう一人仲間が欲しいとは言ったが…」
黒いマントに身を包んだその男は、街の民家の屋根の上を飛び越えては駆け抜け、目的地へと向かっていた。
民家の屋根を飛び越えたり駆けたりしている時点で、この男が一般人の身体能力を超越した存在であることは明らかだ。
…そう、何を隠そうこの男こそが、キャスターによって本来のマスターである魔術師を媒介に召喚されたサーヴァントーーー
「む…」
視界に目的地を捉え、アサシンは駆ける足を僅かに速め、そしてとある屋敷の前へと着地した。
「時間は…少し早いかもしれんな」
アサシンは一人そう呟くと、屋敷の入り口である門へと足を踏み入れようとする。しかしその寸前で、アサシンは思い出したようその一歩を止めた。
「おっと…そういえばこの屋敷、結界があったんだったな」
敵意あるものが近付くと発動する結界。それがこの屋敷のかつての主が仕掛けた結界である。
ーーーしかし
「ま、構わない構わない」
ーーーその結界は、発動しなかった。
アサシンは止めていたその一歩をあっさりと踏み出すと、遠慮なく屋敷の敷地内へと入っていく。
「あのお嬢さんは、結界は認知されないことが重要だと言っていたが…なるほど、俺も一流かもしれないな。俺は結界ではないが」
一人呟き、そして笑うアサシン。
やがて彼は、自身に歩み寄る一人の少年の姿をその黒い瞳の中に納めた。
「お、来た来た。予定より早いと思っていたが丁度いい…しかし」
その少年は、まるでなにかに操られているかのようにフラりフラりとゆっくりアサシンへと近付くと、その足を止める。
月明かりに照らされその人影の相貌が明らかになり、アサシンは納得したかのように頷きつつも首を傾げた。
「名前は…そう、エミヤシロウ君だったかな?」
その少年ーーー衛宮士郎は、虚ろな瞳を浮かべ、アサシンの質問には答えずに無言で立ち尽くしていた。
「シェロ、シ、シロ…呼びづらい。なぁ少年」
アサシンは士郎の目元で手を振り、その意識が微睡みの中にあることを確認する。
「いや、流石だなマスター。ばっちり効いてるじゃないか。…だか少年、どういうことだ?なんでセイバーは君の窮地にも関わらず姿を現さない?」
アサシンは頬を掻きながら言った。
「屋敷の中にはいるようだが…少年の夢遊病にはおかまいなしとはな」
アサシンは顔をしかめる。
「自分のマスターが今まさに連れ去られようって時になんだってまたそんなことに?もしや少年、聖杯戦争参加二日目にも関わらず、サーヴァントと上手くいっていないとかそういう感じか?」
しかし、士郎は相変わらず催眠術によってアサシンの呼び掛けには無反応であり、ただその虚ろな瞳で虚空を眺めるばかりであった。
「セイバーの相手をするために俺が来たというのに、そのセイバーが出てこないっていうならしょうがない。月は美しいが、夜道は危険だ。俺が直接君をマスターのところまでエスコートしよう」
そう言うとアサシンは士郎の肩を抱える。
「悪いなセイバー。本命は君だが、先に少年を借りていくぞ?」
『凛、すぐに仕度をしろ。君の共闘者が連れ去られたぞ』
「はぁ!?ちょっとアーチャー、それどういう意味よ!?」
『そのままの意味だ。…
「ちょっと、セイバーはどうしたってのよ!?」
しかしアーチャーは最後にそう言い放つと、一方的に念話切断してしまった。
「…もう!!」
凛は叫ぶと、着ていたパジャマを脱ぎ捨てた。
『助けて…お願い助けて…!!』
ーーー体が半分潰れているのに、そう叫ぶ女の子がいた。
『死にたくない…俺は…まだ…』
ーーー全身が焼け焦げているのに、諦められない男の人がいた。
『どうか…この子のことだけでも…!』
ーーー既に息絶えた子供を抱えながら、そう泣き叫ぶ女の人がいた。
ーーーまた、この記憶か。
この世に地獄があるならば、それはきっとここのことを言うのだろう。人が焼ける異臭、燃え盛る炎、そして空に浮かぶーーー黒い月。
何度も助けを求められた。
ーーー助けられなかった。
何度も足を止めた。
ーーー止められなかった。
何度も自分は死ぬのだろう、と思った。
ーーー自分だけが生き残った。
何度も、何度も、何度も何度も何度も………
「……!!」
目が覚めると…ここは、柳桐寺か?
「お、どうやら目が覚めたようだぞマスター」
振り返ると、そこには現代人とは異なる姿をした男が立っていた。
「…なんだ、お前は…!!」
体を動かそうとしたが、首より下がまるで何かに締め付けられたかのように動かない。
俺はその男を睨み付ける。
「そう怖い顔しないでくれ。にしても面白い怖い顔だな、少年」
はっはっは、と声を上げて笑うその男に俺は困惑する。
「お前…サーヴァントか?」
「ご明察だよ少年。素人だとは聞いていたが、流石は聖杯に選ばれたマスター殿!…ま、あっさり連れ去られてしまったわけだが」
「連れ去られた…?」
「その通り。少年は俺に誘拐されたんだよ。マスターによる催眠術で眠ってもらってる間にね」
「催眠術って…いつの間に!?」
俺がそう言うと、男は得意気な顔をしながら答えた。
「そう。少年が家で一人になったタイミングを見計らって、マスターが作った術式を俺がパパッと少年にかけたってわけ」
一人になった時…もしかして、藤ねえが来る前にトイレに行った、あの時か…?
たしかにあの時妙な目眩はしたが、もしや……。
「お前…セイバーはどうした」
「君のサーヴァントか。それはむしろ、俺が聞きたいくらいさ。なんだって君のサーヴァントは、マスターの緊急事態に側にいないのだ?」
「なに…?」
男がニヤリと笑う。
「ま、こちらにとっては都合がいい。ちなみに言うと、君のサーヴァントはもう助けに来ないぞ」
「なんだって…?」
まだ今の自分の状況が整理できていないというのに、この男が言うことはさっきから俺の頭の中を混乱させるばかりだ。
「
「お前…さっきから何を言っているんだ…?」
「お?詳しく聞きたいか、少年?」
するとその瞬間、俺と男との間に影が出現した。
「…それ以上余計なことを教える必要はありません、アサシン?」
影はやがて一つの形を成し、そしてそれはローブを纏った女性へと形を変えた。
「これはすまない、マスター。中々来ないものだったから、つい意地悪をしたくなってしまったのさ」
「マスター…?…お前…サーヴァントじゃないのか?なんだよマスターって!?」
しかし俺の言葉にその女は答えずに、アサシンと呼ばれたその男との会話を続ける。
「あなたの冗談は結構です。それよりアサシン、サーヴァントの気配が一つ、我々の元へと向かってきています。迎撃をお願いできますか?」
「…なんと、それは本当か?」
アサシンは本当に驚いたという表情を浮かべ、参ったな、と一言漏らした。
「…きっとセイバーだ」
俺は思わずそう呟いた。そうだ、きっと俺がいないことに気付いたセイバーが来てくれたに違いない。
「…もしそうだったら困るんだがな。俺はこれでも仕事は完璧にこなしたはずなんだが…」
一人でぶつぶつとアサシンが呟く。そうするとアサシンは、柳桐寺の山門の方へと姿を消していった。
残されたマスターと呼ばれたその女に、俺は再び質問を投げ掛ける。
「お前たち…俺をどうするつもりだ」
俺は自身に焦りを隠しながら、そう言った。すると女は、クスクスと笑みを浮かべる。その表情は頭部まで覆われたローブによって窺えないが、女の笑う口元の歪みだけが妙に不気味に思えた。
「別に…?我々は坊やに用があるわけじゃないわ?」
「なんだって…?」
女はそう言うと俺へと一歩近付き、俺の動かない左腕を手に取った。そして手のひらの甲にある俺の令呪を、その細い指でゆっくりとなぞる。
「ーーー私はね、あなたのセイバーが欲しいのよ」
「なんだ色男がいると思えば、君は…アーチャーじゃないか」
アサシンは山門の階段の麓に立つその男ーーーアーチャーを見つけると、やれやれ、と息をついた。
「てっきりセイバーが来たものかと思ったが、そうじゃないみたいで良かったよ、ホント」
アサシンがそう言った次の瞬間、彼の元へと三連の矢が襲いかかってきた。
「…っと」
アサシンはそれを、いつの間にかその手に逆手に握られていた小剣で切り落とす。
「…おいおい、出会い頭にそれはないだろ」
しかしさらにアーチャーはその手に双振りの中華剣を出現させると、何段もの石で作られた階段を飛び越えアサシンへと斬りかかった。それをアサシンは器用に小剣で受け流すと、アーチャーから距離をとりつつ石段を二、三段分のぼる。
「…貴様、アサシンか」
「如何にも。どうせライダーやキャスターには見えまい?」
アサシンはどうかな?と肩をすくめて言った。
「暗殺者風情の戯れ言など聞く耳持たん。そこをどけ、アサシン。私は貴様に用はない」
「そう、君が用があるのはあの少年。共闘者であるとはいえ、彼のサーヴァントよりも速く助けに来るだなんて随分と御執心じゃないか」
アサシンは目の前に剣を構えるアーチャーがいるにも関わらず、その場に腰を下ろした。
「それにしてもどうして少年の場所がここだとわかった?これでもアサシンなもんでね、"気配を殺す"ことに関してはそれなりに自負があるんのだが…」
アサシンは頬杖を付きながら首を傾げると、自分のなかで考えられる、一つの結論を導き出す。
「もしや…ずっとあの少年のことを監視していたとか…?」
「…」
アサシンはそのアーチャーのその反応を見て、それが真実であると確信する。すると彼は何かが面白かったのか、大きな声で笑いだした。
「はっはっはっ!!そうか、図星か!!監視をしていたのか!!それはどうしようもないな!!
手を叩いて愉快気に笑うと、アサシンは言葉を続ける。
「敵もろとも木っ端微塵にしようと思えば、今度はずっと監視をしていただって?なんだそれは、随分と複雑な恋心を抱い…」
アサシンが言いきる前に、アーチャーは再びその手に握られた中華剣で、話を続けるアサシンへと斬りかかっていた。しかしまたもやそれをアサシンは、同じように小剣で受け流す。
「アサシン、そこを退けと言ったはずだ。いつまでもべらべらと喋り続けると言うのなら、ここで貴様を切り捨てるぞ」
そう言うアーチャーの瞳には、アサシンへの明確な殺意があった。
「そう言っておきながら殺る気満々じゃないか、君」
アサシンは立ち上がると、頬を掻きながらそう言った。
「悪いが退くわけにはいかない。これでもマスターの
互いに各々の武器を構える。
「前もって言っておくが、アーチャー。俺がアサシンだからって甘く見ているんなら、痛い目にあうぞ? 」
しかしそれでも、アーチャーは構えられた双振りの剣の切っ先をアサシンへと向けたまま、無言で応える。
「そうかい。それでも俺を倒して先に行くって言うんなら…」
アサシンはニヤリと、不気味なほどに頬を歪めて笑った。
「ーーーやれるもんならやってみろ、若僧が」
お久しぶりです、枝豆畑です。
キリがない、キリがないと思いながら書いていたら、いつの間にか二話分くらいの文字数になっていました。これが投稿遅くなった原因でもあるのですが。
その分粗が目立つのも事実です。気になるところがあればビシバシと指摘してください。
自分はもう感覚が鈍っています。()
本当はもう一段階分くらい話が進んだところまで書いてから投稿、と思っていたのですが、遅くなってしまうのもあれですので今回更新させていただきました。
いよいよ聖杯戦争します。やっとです。まだかよ、と思っていらっしゃる皆様、次の更新までどうかご辛抱を…!!
とまあ、今回はこんな感じです。アサシンの性能に関する情報はそこかしこに書いてあるので、暇潰しにでも見つけてみてくださいな。
それでは、これからも本作をよろしくお願いいたします。
以下、本編とはほぼ無関係。↓
GO,そろそろオケアノス始まらないかなーと思いながらひいた単発ガチャ。
「!?…に、虹色演出!?」
ついに自分のもとにもジャンヌがーーー!!
ーーー孔明でした。よろしく、ロンドンスター。