ミリと別れて部屋に戻ったクルルは、
「風呂行こうかな」
と横たわっていたベッドから身を起こした。
すでにお湯は張ってあり、いつでも入れると言われていたので、着替えは無いので手ぶらで風呂場へ向かう。
概念があるかは不明だが、ミリの話ではストロは朝風呂派らしい。
実は先ほどの案内の際にも勧められたのだが、気分になれず断ったのだ。僅か十分前である。
「風呂場は一階の右奥……だっけ」
ミリに案内された、朧げな記憶を辿り到着したのは、
「……キッチンじゃん」
見当違いの場所だった。
「えー……………………」
しばらく考えたクルルは、
「戻ってミリさんに訊こう」
諦めて助けを求めた。
一度部屋まで戻り、それからミリの部屋の前に立つ。
「ミリさん、いますか?」
ノックしてみるが、返事は無い。
「いないのか? だとしたら、キッチン__はいなかったから洗濯場か」
教わった言葉を反復しつつ一歩踏み出したクルルは、
「……洗濯場って、どこだっけ」
場所を把握できていない事を思い出す。
風呂はまた改めてかなー、と部屋へ戻ろうとした時、
「__あ、研究室」
インパクトのある部屋の存在を思い出した。
「確かこっちに……」
相変わらず曖昧な記憶を辿り、それでも何とか重厚な扉を発見する。
「ストロさん、いますか?」
ノックして待つ事一分強。
「……どうかしたのかい?」
幸い、ストロは中にいた。若干表情が疲れているようにも見えたが、典型的な勉強嫌いのクルルには、研究に対する労力など理解できない。
「風呂に入ろうと思ったんですけど、場所が分からなくて……」
「風呂に? 浴場なら、正面の階段を下りて左奥だよ」
__逆だったのか……。
自分のうっかりを呪いたくなったクルルは、
「ごゆっくり」
というストロに一礼した。
その際、ちらりと部屋の中を覗いたが、
「……分からん」
薄暗くて何も見えなかった。
ストロの言葉通りに進み、クルルは無事風呂場を発見。
「色々疲れたな……」
ドアを開けるが、脱衣所には当然、誰もいない。
__温泉みたいな効能があるかは分からんが、ゆっくり浸かれば少しは疲れが取れるかな……。
「またこの服を着る事になっちゃうけど、まあしょうがないよな……」
ちょっとした銭湯のような広さの脱衣所で服を脱いだクルルは、幸い用意してあったタオルを掴んで浴場へと入る。
「広っ……」
トリリオン家の浴場は、宿屋として使えそうな広さを誇っていた。カランに似た桶が幾つも重ねられ、反響しない声と立ち込める湯気が広さを物語っている。
「贅沢だなぁ……」
呆然と感想を呟いたクルルは桶をひっくり返すと、立ち並ぶ魔水晶を埋め込んだシャワーの一つの前に座った。
「ラクリマ・オン」
パン、と手を叩き、シャワーをかぶる。
「へぶっ……滝かよ……!」
温められた水を放出するだけの単純な構造のそれは、水量調節はできないようだった。バケツをひっくり返したような勢いで降ってくる。
「この辺の微調整、魔法じゃできないのかな……」
とりあえず冷水が出なかった事に感謝しつつ、置いてあった石鹸を少し悩んでから使い、適当に体を洗う。
立ち込める湯気で周りが見えず、少し探して浴槽に身を沈める。
「「はぁ〜……」」
ため息二つ。ぼんやり虚空を眺める。
__…………うん?
何かに気付いたクルル。ゆっくり横を見る。
「ふぅ〜……」
ミリがいた。一メートルほど離れた位置で、目を閉じてリラックスしている。
__…………何で!?
ノグリスに迷い込んだ時以上の混乱が、クルルを襲う。
__あそうかさっき断ったから入らないと思われたんだなどうしよう。
前半は納得、後半は焦りである。
だがクルルにとって幸いだったのが、衝撃的過ぎて固まってしまった事と、
「ふぅ〜……」
湯気でミリが気付いておらず、またこちらからもシルエットしか確認できない事だった。
__今なら、まだ何とかなるか……?
クルルはゆっくりと身体を持ち上げ、湯槽からの脱出を試みる。
「__あ、クルル君。いたんですね」
「だぶぁっ!?」
足を滑らせた。そして沈む。
「だ、大丈夫ですか!?」
ミリに引っ張り上げられ、クルルは激しく咳き込む。
「げほげほげほっ! 死ぬかと思った……」
「す、すいません……」
「いや、ミリさんが謝る事ないですよ。悪いのはおれですし__」
そこまでフォローしてから、クルルは状況を思い出す。
「こっちこそすいませんでした!」
「?」
素朴な疑問で返された。
「何がですか?」
「いや、何って……」
戸惑ったクルルは一瞬目をやり、すぐに逸らす。この至近距離では、湯気の意味など無い。
「? __…………っ!?」
次の瞬間、ミリの空気が変わった。
怒られる。そう直感したクルルは、再度頭を下げようとする。だがその前に、
「そんなつもりじゃなかったんです!」
ミリの声が大きく反響した。
「……はい?」
何とも言えない中途半端な体勢で止まったクルルは、同じく止まった思考を再開させる。
「えーっと……、何がですか?」
そう訊いたクルルは、ミリのペンダントが無い事に気付いた。ついでに比較的平坦な胸元に目が行きそうになり、慌てて逸らす。
「……え?」
逸らした先、そこに“あり得ないもの”がある事に言葉を失った。
「…………」
うなだれるミリの頭上。そこにあるのは、どう見ても猫耳。さらに視線を下げれば、本来耳がある位置には真っ白い肌が存在するだけ。そして背中に、僅かに見える尻尾らしきもの。
そしてクルルは、ある仮定に行き着いた。
「__もしかしてミリさん、普通の人間じゃない……?」
「……っ!」
ミリはビクリと肩を震わせると、観念したように力を抜いた。
「……はい。__私は……獣人です」
獣人。そう言われたクルルだが、残念ながらピンとはこなかった。
どうにか絞り出した言葉は、
「そうなんですか」
だけだった。その反応に、ミリは逆に、
「わ、私は獣人なんですよ!? 怒ったりとか__」
「……何でおれが怒るんですか? __ていうか、獣人なんているんですね。初めて見ました。流石は異世界……」
遠い目をして呟くクルルに、
「そ、そこからですか……?」
ミリは唖然とする。
「え、はい。ビックリしましたよ。獣人とか、フィクションの世界だけでしたから。__あ、だからってふざけんなとはならないです。ノグリスの事情とか知りませんし」
「…………」
ミリはしばらく無言でいたが、
「よかった……」
全身から力を抜いた。
「私の人生、ここまでかと思いました……」
「いや、そんな大げさな……」
だが、ミリは哀しそうに首を横に振る。
「おそらく、クルル君が考えている以上にノグリスにおいて獣人の扱いは残酷です。本来、こんな場所にいていい存在じゃないんです」
クルルは何も言わない。否、言えない。何も知らない異界人が、簡単に首を突っ込んでいい問題だとは思えなかったのだ。
「事情を知らないとはいえ、気にしないでくれたクルル君には感謝です。ありがとうございます」
「いえ、こちらこそ……」
向き直って頭を下げられ、クルルも一緒に下げる。
「……あの、我儘なお願いですけど、できればこの事は、口外しないでもらえませんか……?」
そんなミリのお願いにクルルは、
「それはもうもちろん! むしろこっちからお願いしたいくらいですよ!」
入浴中、そして全裸という状況を思い出し懇願した。顔がお湯に埋まった。