湯船に浸かりながらぼんやりしていたクルルは、先に上がったミリが着替えるのを待って出た。
あまり気分のいいものではないが脱いだ服をもう一度着ると、脱衣所を出る。
「__疲れは取れましたか?」
「わざわざ待ってくれてたんですか?」
「はい。せっかくなので、お見せしようかと」
何を、と訊きたくなったクルルの前で、ミリはペンダントを首にかける。
すると、ミリの頭上の猫耳。それが一瞬で消失した。見えるのは、白銀に波打つ髪の毛だけである。
「はー……。それも魔法__魔水晶ですか?」
「はい」
ようやく見慣れてきたとはいえ、未だに言葉を失う。
「これは特別な魔水晶で、ストロさんに貰ったんです」
「へぇ……」
__特別な魔水晶を、わざわざ使用人にプレゼントか……。まあ一人しかいないし、それもアリなのかな。
結論付けたクルルは、
__獣人である事を隠さないと働けない、か……。
一瞬、深い闇を感じた。
「それでは、おやすみなさいです」
「おやすみなさい」
ミリの部屋の前で別れたクルルは、
「やあクルル君」
ストロに出会った。__否、
「率直に訊きたい。__ミリをどう思った?」
捕まった、という表現が正しい。
「それは、獣人だって事を知って、ですか?」
「ああ」
「えっと……」
ストロの真剣な表情を見て、答えを逡巡したクルルは、
「驚きました」
正直に答えた。
「獣人自体初めて見たんで、それはもう……多分人生で一番」
「魔法よりも?」
「はい」
「そうか……。__その驚きは、マイナスに働くかい?」
「は?」
質問が突飛過ぎて、素で返してしまった。
「どういう事ですか?」
「……いや、何でもない。このノグリスで過ごしていれば、分かる日がくるさ」
妙に言葉を濁したストロ。そこに込められた気持ちを感じ、クルルは聞き返す気になれなかった。
部屋に戻ったクルルは、ベッドに寝転がりながらストロの言葉を思い返していた。
ストロ曰く、古代に猿が人へと進化を遂げ始めた同時期、他の動物も同じように行動範囲の広い人型へ進化をしたらしい。途中でお互いの血を交え、今では彼らの遺伝子はごく一部に残るのみである、と。どうやら、地球に存在する動物とは微妙に種類が異なるようだが。
「おれだって、耳を見るまでは全然気付かなかったもんなぁ……。いくら存在を知らなかったとはいえ、人間と遜色ない見た目……」
人間と変わらない容姿をしているにも関わらず、それを隠し、さらに焦る。
「分っかんねぇなぁ……」
微睡み始めた思考の隅で、クルルは呟く。その真実を知るのは、もう少し後である。
翌日、窓から差し込む朝日で目を覚ましたクルルは、立ち上がって大きく伸びをする。
割とスッキリした朝を迎え、
__ノグリスの一日って、二十四時間なのかな……。まさか、あの太陽も魔法製ですとかは言わないよな……。
という至極どうでもいい思考で一日が始まった。
時計が無いので時間は分からないが、体感で六時頃だと予想する。
「まだ起きてないかな?」
屋敷の住人が寝ている事を考慮して、クルルは静かに部屋を出る。
「せっかくだし、探検しておくか……」
未だに把握しきれていないクルルは、ミリの案内を二度目の反芻する。
「確かに複雑じゃあないんだけど……部屋が多いんだよなぁ……」
例えるなら、学校の教室を把握していくそれである。
「この奥は……キッチンだっけか」
風呂場と間違えた記憶は新しい。
「〜〜〜〜〜〜〜♪」
__うん? 鼻歌……ミリさんか?
クルルがキッチンを覗き込むと、案の定、ミリが楽しそうに食事の準備をしていた。微笑ましい光景に、少し目を奪われてから、
「おはよーございます」
「は、はい!? おはようございます!」
クルルの挨拶に、ミリは直立不動。それから振り返り、
「あ……クルル君」
気まずそうな笑みを浮かべた。
「普段聞かない声だったので、一瞬誰だか分かりませんでした。ごめんなさい……」
「まあ、しょうがないっすよね。昨日知り合ったばっかなんだし」
すると、ミリは少し驚いた表情を見せる。
「そういえばそうですね……。何だか、三日くらい経った気分です」
__まあお互い、科学やら魔法やらで密度濃かったもんなぁ……。
そこでふと、クルルはミリの頭に目をやった。
そこに猫耳は無い。
その視線に気付いたのか、ミリは苦笑いを浮かべる。
「もう隠す必要は無いんですけど……つい」
「まあ、心掛けは大事ですもんね」
__心掛け、か……。
「__それはそうと、調理中ですよね?」
「あ、はい。もう少し、待っていて下さい」
「あーいや、せっかくなんで、手伝いますよ。こう見えて、料理はそこそこできるんで」
その申し出に、ミリは半日前同様固まる。
「クルル君はお客様ですよ! 食事の手伝いだなんて……」
「その事なんですけど、昨日ちょっと考えたんです。ほぼ居候のおれを、お客様扱いする必要は無いんじゃないですかね? その方が、おれも気が楽ですし」
「で、でも……」
「ぶっちゃけヒマなんですよ。何もする事無いんで」
「…………」
ミリはさらにしばらく悩んでいたが、
「じゃあ……、お願いします」
「了解です」
クルルは包丁を手に取ると、カットし途中の野菜を切っていく。
綺麗に等分されていく野菜とクルルを見ながら、ミリは手が止まる。次いで指示された千切りも終えたクルルは、
「ミリさん、他にやる事は__ってミリさん?」
振り返って固まったミリに気付いた。
「クルル君は、ニホンで料理の経験が……?」
「まあ、一人暮らしだったんで、それなりに」
「凄いです……!」
何やら感動しているミリに、クルルは首を傾げる。
__そんな感激する事かなぁ……? ミリさんだって、料理得意そうだけど……。
そんな疑問を抱きながら、クルルはコンロの前に立つ。食材を入れたフライパンを置いて、魔水晶を発動すべく手を合わせる。
「__あ、クルル君、気を付け……」
「ラクリマ・オン」
火柱が上がった。
「うおっ……!?」
さながらフランベのような火柱に、クルルは慌てて身を退く。フライパンを放り投げなかったのは僥倖と言えるだろう。
「んっ……!」
直後、魔水晶は発火をやめて何事も無かったように鎮座していた。
「「…………」」
残る熱気と沈黙が支配するキッチンで、
「……何か、すいません」
耐えきれなくなったクルルは頭を下げた。
「いえ、私がもっと早く言うべきでした……。魔水晶は調整ができないので、自分の魔力と相殺させるんですけど……」
__確かにそれは先に言って欲しかった……。
「よく考えたら、クルル君は魔法が使えないんですよね……。ごめんなさい」
「いや……ミリさんが謝る事じゃないですよ。ちょっと調子に乗りました」
ミリはそんな事ないですよ、と安定のフォローをすると、クルルに代わってコンロの前に立つ。
「私が調理をするので、クルル君はそっちの野菜を切って、焼けたものを盛り付けてくれますか?」
「……分かりました」
申し訳なく思う一方、さりげなく手伝いを頼まれた事に、クルルは喜びと安堵を覚える。それとほぼ同時に、
「……あれ? さっき、“オフ”って言ったか……?」