「__服を?」
「うん。クルル君はしばらくこっちに滞在する事になるだろうし、それ一枚で生活するのは厳しいだろう? この後、街に行って買ってくるといい」
ミリと作った朝食を食べながら、ストロからそんな話を持ち出された。
「まあ確かに、昨日からそれは思ってましたけど……」
クルルの服装は、迷い込んだ時のまんまである。ちなみに、ストロもミリも着替えている。
言葉を切ったクルルに、
「何か不安や不満があるのかい? こっちの服装は合わないかな?」
ストロは、クルルの服を一瞥する。地球、というより日本ではごく平凡で安価なTシャツだが、ノグリスにはそもそも化学繊維が存在しない。貴族であるストロも、使用人のミリも、その服の素材は麻である。安価ではあるが、その布の粗さは比べ物にならない。
「いや、不満とかそーゆーんじゃなくて……」
「じゃあ何だい?」
歯切れの悪いクルルに、ミリも首を傾げる。
「……おれ、無一文なんです」
苦渋の表情で白状したクルルに、ストロはしばらくキョトンとすると、
「ぷ……あっはっはっ!」
笑い出した。ミリも、その隣で笑いを隠し切れずにいる。
「いやいや、笑い事じゃないですって!」
「あっはっはー……はー、そんな心配をしていたのか、クルル君は」
「…………」
クルルからしたら、数多くある大問題の一つである。まさか、貨幣制度が存在しないとは言うまい。
「大丈夫。お金は僕が出す」
トン、と胸を叩いて笑ってみせるストロ。
「え……いや流石に申し訳ないですよ!」
日本の勿体無い精神が発動したクルルだが、
「そうか、じゃあクルル君はこの先着たきり雀という事になるね」
ストロの切り返しと、
「服は、綺麗にした方がいいですよ?」
ミリの笑顔に、
「……お願いします」
即行で折れた。
朝食を終えたクルルは、ミリと一緒に街へ繰り出す事になった。
「いってらっしゃい」
玄関でストロに手を振られ、
「ストロさんは来ないんですか?」
「僕は屋敷に残るよ。誰も来ないとは思うけど、あまり留守にはしたくないからね」
色々引っかかる部分はあるが、
「はあ」
それを追求するだけの材料を、クルルは持たない。
ミリと街へ向かうために、クルルは森を進む。
「トリリオン家は森に囲まれているので、どこへ向かうにも森を抜ける必要があるんです。クルル君を見つけたのも、ここの一部なんです」
「へー。でも何でですか?」
「屋敷を造ったのはストロさんの三代前ですが、なんでも“競争率が低かったから”らしいです」
「……貴族なのに、競争率に負けたんですか?」
「トリリオン家より大きな貴族は、たくさんいますよ」
「え……貴族って、そんなにいるんですか?」
「街に着けば、分かりますよ」
ミリは振り向いて、微笑む。
貴族がいるなら、平民がいる。そして、得てして人口比率はピラミッドである。
__もしかして、ノグリスって地球とは規模が違うんじゃ……。
ふと疑問に思い、クルルは訊いてみる。
「あの、ノグリスの一周って何キロくらいあるんですか?」
「キロ……? それは、何ですか?」
「あーえっと、地球……じゃないか。日本の距離の単位です」
「距離を細かく数値化するなんて……」
__あー、そこに感動されると話が進まないんですけど……。
「ノグリスでは、距離は歩数か日数で数えます。クルル君と私の距離なら、半歩。ここから街までは、四十半日」
「四十半日? って……何ですか?」
「ああえっと……半日より四十回少ない、という事です」
「んーと……。つまり、半日の四分の一って意味か……?」
半日が十二時間だとすれば、七二〇分となる。つまり四十半日は、十七分。
「微妙な時間だなぁ……。__じゃあ一周は?」
「一周、というのはよく分かりませんが……」
__んー? ノグリスには惑星の概念が無いのか?
よもや、平坦だとは言うまい。
「真っ直ぐ歩いて、」
__歩きかい。
「二万日だと、本で読んだ事があります」
「二万……⁉︎」
ぶっ飛んだ数字が出てきた。
「えーっと……」
地球の一周は、約四万キロ。人間の徒歩速度を時速四キロとするなら、一万日かかる計算になる。単純計算で、二倍。
「マジか……」
ちなみに二万日とは、五十五年弱である。
「あ、もちろん、魔水晶や馬車を使ったりと手段は様々ですよ」
「ですよねー」
面倒な計算を終えたクルルに、
「あの、クルル君、その……」
ミリが控えめに話しかけた。
「もしクルル君さえよければ、時間や距離の概念を教えてもらえませんか?」
「別にいいですよ」
「本当ですか? 楽しみです……」
顔をほころばせたミリに、クルルは一瞬思考が止まる。
「__あーえっと……。まず、時間には単位があって__」
森を歩く事約二十分。唐突に森が途切れた。
「おお、ホントに街が……」
雑草生い茂る地面は唐突に、形が歪だが石畳に変わった。
外れだからか、立ち並ぶ民家や人影は少なめ。畑が目立つ。
「ここがチリス区です。まだ端っこですけどね」
先行するミリが、振り返って微笑む。
「……何となく、寂しい感じしますね」
並んで歩きながら、クルルは辺りを見渡す。
大理石を使用したトリリオン家と違い、木造の一軒家で、さらに継ぎ板が目立つ。
「チリス区は貧富の差が激しいですからね……。それに、ここは最端ですから」
「…………」
渋い顔を見せるクルルに、今度は困ったように微笑むミリ。
「色々と思う所はあるのかもしれませんけど……こういう事情は、一朝一夕で出来上がったものでもないですから……」
「分かってますよ。おれ一人がどうにかできる問題じゃないくらい。__それより……」
「?」
「何か……見られてません?」
道を歩いていると、民家の窓から、玄関から、人の顔が増えていく。それが気になるのか、クルルは若干挙動不審である。
「クルル君の身なりは、間違いなく貴族ですから。街の外れを歩いていたら、それは目立ちますよ」
「貴族違うんだけどなぁ……」
「見る人には、事情は関係ありませんから」
「事情は関係ない、か……」
ミリの言葉を口の中で反芻しながら、クルルは少しだけ空を見上げた。