劇場版(風)ポケットモンスターXY 暁の鳳雛(ひな)ホウオウ 作:平成たろう
むかしむかし、とある人里にソーニャという娘がありました。花も恥じらうようなべっぴんさんで、将来は領主さまのお嫁さんになるというもっぱらの噂でした。
ソーニャの家にはお母さまと、まだほんの子どものロコンがおりました。はたらき手のお父さまは早くに亡くなられて、お母さまがひとりでこの家を支えていました。その生活は決して豊かだとは申しませんが、まあ人並みの、ふつうの暮らしを送っていました。
しかしある日のこと、このおだやかな暮らしに不幸な鐘が鳴りわたったのです。
ソーニャが暮れ方ちかくに家に帰ってくると、数少ない家具にかこまれて、お母さまがぽつんと座っていたのです。
「どうしたの、お母さん?」
「ごめんね、ソーニャ。ごめんね」
「どうしたの?」
ソーニャが何度質してみても、お母さまは「ごめんなさい、ごめんなさい」と繰りかえしているばかりでした。
すると、そのときでした。
ギャロップのいななく声とともに、ものものしい馬車の音が家のまえに止まったのです。
ソーニャとロコンは大急ぎで、家の外に飛び出しました。そこにはたいそう豪華な馬車があって、中からひとりの肥った男性があらわれました。
「おお、わが妻よ、わたしを迎えてくれたのかい?」
「あなたは誰ですか?」
「おまえの夫だよ」
ソーニャがよく呑み込めないままでいると、うしろからお母さまがやってきって、ソーニャの背をそっと押しました。
「お母さん?」
「はやく行って」
「どうして? なんで行かないといけないの?」
「そんな甘えたことを言わず、さあっ」
「やだよ、そんなの!!」
「はやく行きなさい!!」
ソーニャのお母さまは、ほとんど殴るような剣幕で、ソーニャを急きたてました。
「お母さん……」
「お願いだから、はやく行って」
「…………」
ソーニャは黙ったまま、肥った男性のあとから、馬車のなかに入りました。そうして馬車が走りだします。ソーニャは馬車の窓に顔をつけて、離れてゆくお母さまのほうを見ました。お母さまは顔を覆って、肩をふるわせておいででした。それを見ていると、ソーニャの目にもおのずと涙が湧いてきて、こらえようと口をむすんでも、かなしい気持ちが胸いっぱいにあふれてきます。
「おお、わが妻よ。別れは辛いものだが、別れあってこその出会いだぞ。ひとしき泣いたあとは、わたしにその朗らかな笑みを見せてくれ。わたしの幸福はおまえひとりにかかっているのだから」
それがお母さまとの今生の別れとなったのです。
ギャロップの馬車はかなしみを運びつつ、この男のおおきな館に向かってゆきました。
その最中、馬車は突然のにわか雨に見舞われました。ソーニャのとなりで肥った男がなにかしゃべっていたようでしたが、窓の外のはげしい雨音のおかげで一時の休息を得ることができました。
泣き濡れた顔をぬぐうと、ソーニャは火照った頬を窓に当てて、しばらくのあいだ黙っていました。そうしていると、ただならぬ雲行きのように、たくさんのことが心頭を去来します。お母さまのこと、置いてきたロコンのこと、そしてソーニャ自身の身の上のこと……。
(これから、わたしはどうなるんでしょう)
ソーニャの胸はかなしみでいっぱいでしたが、急にこんなことを考えはじめると、今度は不安なきもちでいっぱいになりました。
ソーニャは暗い考えに気がふさぎましたが、ふと気が付きますと、あの突然の雨はやんでいました。
ただ見るいちめんの原っぱを心細い微細な路がつづいています。ギャロップの馬車は泥水を跳ね上げながら、その道を進んでゆきます。ソーニャはおおぶりに揺られながら、窓の外にひろがる雨上りの野原の美しさに感動しました。雨に洗われた緑の大地が空の雲間から洩れてくる光の箭にきらきらしく輝いていたからです。ソーニャは自然と敬虔なきもちになりました。
と、きれぎれになった空の隙間に、ソーニャはおもわぬものを発見しました。それはほんのわずかの間でしたが、たしかに金いろの粒子を身にまとったポケモンでした。あるいはあのポケモンは……
……ページをめくる指がふっと止まった。セーラはその童話「ホウオウとしあわせの鐘」を机において、開け放った窓のほうに近付いていった。
「…………」
そこは風の都、カエレスダム。
吹きさらしの原野のなかにひょっこり出来上がった異質の都市。かつてこの地にはあらゆる叡智があつまって、巨大な都市国家を作り上げていたということだが、いきすぎた文明は神の咎めを受けて、ひと晩のうちに滅びてしまったという。いちめんの原っぱのなかに、古代文明の破片がときおり見つかるのも、この土地ならではのことである。
セーラはそのカエレスダムの中心部、中世のにおいをいっぱいに残した街中の、赤レンガづくりのホテルの一室に泊まっていた。
セーラは女優であった。映画界でもいまいちおしの女優として、たくさんの雑誌をにぎわしており、女子が認めるキレイな女優ナンバーワンの座を、昨年ようやくゲットしていたのだ。現チャンピオンカルネが独占していた地位をセーラがうばったのである。
故郷であるこの都に帰ってきたのは、もちろん映画の撮影のためだった。おそらくそうでなければ、ここにはゼッタイに立ち寄らなかっただろう。ここには「あいつ」が住んでいるのだ。――――あいつはその幻影でわたしを苦しめている。
セーラは窓を開け放って、やわらかいそよ風を部屋に招いた。ながい赤毛の髪をそれに晒していると、不意に部屋のドアが数回ノックされた。
「セーラさん、なかに入って大丈夫ですか」
「どうぞ」
「すみません、いきなり」
入って来たのは、彼女のマネージャーだった。
「いいえ、わたしとあなたの仲なんだから、遠慮なんていいのよ」
「いいえ、それも込みですこし謝りたいことがあるんです」
「なに?」
「じつは少々やっかいなことになりまして……」
「もったいぶらないでよ、はやく教えてちょうだい」
「というのも、映画の撮影がすこしばかり延期されるそうです」
「え?」
セーラは見るからに不快そうに、勝気な眉をゆがませた。
「す、すみません」
「その理由はなんなの?」
「じつは……」
マネージャーはかくかくしかじかと話しはじめた。彼女が言うには、この映画のキャスティングに少々問題があって、相手側のプロダクションが急にノーを突きつけてきたということらしい。それが昨晩のことで、子ども時代のソーニャ役がいないので、成長したソーニャを演じるセーラには代役が来るあいだ、すこし待っててもらいたいという。もちろん、この街で撮れるカットは順序をとばして撮るには撮るが、そのシーンがどうにもクライマックス近いので、モチベーション的にお伺いを立てたいということだった。
セーラはもちろんプロなので、監督の意志には従うけれど、はじめからこんな調子で大丈夫なのかと真剣に憂いた。先行きが不安になった。
「それで、大丈夫でしょうか?」
「かまわないけど、折角だからこの街の子を抜擢すればいいじゃない」
「それは……」
「どうして?」
「あなたの演じるソーニャが、垢ぬけないこの街の少女に務まりましょうか? あまりに重すぎるような気がしますが……」
「なにを言ってるのよ、わたしはここの出身よ」
「え?」
「だから猶のこと、この街で育った子どもを……」
セーラはさいごまで言わず、開け放った窓から気持ちのいいベランダに出た。ベランダのてすりにはマメパトたちが羽をやすめている。
「ほら、ぼぉーとしてないでこっちに来なさい」
セーラは手招きして、マネージャを呼び寄せると、てすりからすこし身をのりだし、眼下の敷石道をみまわした。
「あの子なんてどう?」
「どうでしょう……」
「あれ?」
「かわいいですけど、気品にかけます」
「じゃああっちは?」
「愛想はいいですが……」
なかなか納得しないマネージャを見て、セーラはすこし躍起になった。マメパトたちを追い払って、ベランダの端っこに立って、広場のほうへ小手をかざした。
しばらくして……
「ん?」
「見つかりましたか?」
「ええ。あの子なんかいいんじゃない?」
セーラが指をさした方を見ると、街の景色をうそうそと見まわしている少年たちがいた。少年の肩にピカチュウが乗っているので、色彩のとぼしいこの街ではひときわ目立っている。セーラもはじめその色に目をひかれ、かわいらしいピカチュウをながめていたが、ふと気が付くと、その少年のかげにすらりとした少女がいる。少年よりいささか背が高いようだが、すこしおずおずとした微笑をうかべながら、少年のうしろにつき従っている。そのためか、少年よりひとまわりぐらい小さくみえて、なんとなくかわいそうな、なぐさめてあげたいような可愛らしさがあった。
この歳になってもおてんばが抜けないセーラとは、ちょっと違った感じの少女だった。あるいは、リトマス紙の赤と青のようにすぐ染まりやすいが、ふたりのpHは真逆なのかもしれない。
まあともあれ、セーラはあの子に決めたのである。
「どう?」
「悪くはありませんが……。しかし、この街の出身ではないようですが」
「いいのよ、それでも」
「……すこし気が弱そうにも見えますけど」
「でもきれいな子じゃない?」
「たしかにそうですが……」
「それに、わたしに似ているし」
「?」
「ほら、わたしはあの子が気に入ったから、とっとと話をつけてきてちょうだい」
犬でも追い払うように、マネージャーをつかいにやると、セーラはベラダンのイスのうえに腰をおろした。そしてなんだか色鮮やかな魚でもながめるように、何をするでもなくその少女らをながめていると、あいつとのたのしい日々が思い出されてくる。
しかし、セーラにとってその記憶は呪縛だった。映画界のいそがしさがその呪縛を一時ほどいてくれて、彼女の呼吸をたすけるが、こういうふとした折に、受刑者が鎖の音で呪縛されていることを知覚するように、結局自分のこころはあそこに縛られたままだということを知らされるのだ。それは不幸の鐘だった。その鐘の音がひびくと、セーラはいつものセーラではいられなくなる。
彼女は自分の部屋にもどると、乱れままのベットのうえに身をなげだして、羽毛のまくらに顔をうずめた。そうして、夢の世界にある人がついぞ叶えられなかった自分の夢を、自分のいやらしさを痛感しつつ想像するのであった。