夢を見た。
「…………誰?」
目の前の少女がいた。金糸の髪をサイドテールにまとめ、紅玉のような赤い瞳の可愛らしい少女。
「…………どこ?」
きょとん、としながら誰、と尋ねる少女に、俺も俺でわけも分からず周囲を見渡し、どこ? と漏らす。
わけが分からない、本当に。
高校の卒業式からの帰り道、確かに俺はそこにいたのに。
気づけば俺はこの場所にいた。
「…………あなた、妖怪? それとも、もしかして、人間?」
「……………………はい?」
少女が不思議そうに尋ねるその内容が、あまりにも意味不明過ぎて、思わず疑問符が漏れる。
「いや、よくわからんが、俺は人間だけど」
告げたその言葉に、少女の瞳が輝いた…………気がした。
「本当に人間? うわあ、人間なんて初めて見た」
「……………………えっと、それ、どういう…………え?」
意味が分からず、ここに至ってようやく少女の姿を見て。
その背に生えた翼を見た。
「……………………なに、その翼」
「…………え? ああ、私のは他と違ってちょっと変わってるよね」
「…………翼、なんで…………生えてる…………なにそれ」
混乱に続く混乱、もう頭が狂いそうだった。
「んー…………? うーん? なんか、違うね」
少女が首を傾げる。
「違うって…………何が…………」
最早混乱の極致に達した思考は考えることすら止まっている。ただ直前に呟かれた言葉を、鸚鵡返しのように問うだけだった。
「あなたと話してても、不快にならない…………なんでだろう? 人間だから?」
「…………なに、いって…………」
「私って人とあんまり長く話せない性質なんだよね、ずっと会話してると、だんだんイライラしてきて、すぐに暴力に走っちゃうんだ…………自分でもよく分からないけど、短期なのかなあ?」
不思議そうに、恐ろしいことを告げる少女に戦慄する。
「けどどうしてだろう、あなた相手だと全然そんなことない…………ううん、むしろいつもより落ち着く気がする。どうしてだろうね?」
「…………そんなの、俺に、言われても」
すっと、一瞬視線を逸らした刹那に、少女が目の前にまで迫る。逸らしたのはほんの一瞬だったのに、数メートルはあった距離が一瞬にして縮まっていた。
「うぇ…………あ…………」
思わずのけ反る自身を、そっと白くて細い綺麗な指が自身の両の頬を掴み、紅い瞳が覗きこんでくる。
ガタガタと震える体、けれどそれが恐怖によるものでないことに、今更になって気づく。
「…………ねえ、あなたはだあれ?」
「…………俺は…………タカヤ。高瀬深谷…………だよ。キミは?」
「…………私は、フラン。フランドール・スカーレット」
ぴたり、と震えが止まる。
おっかなびっくりに、それでも確かに、少女、フランドールの頬に片手を当てる。
「契約しよう」
呟いた言葉に、フランドールがぴくりと、反応した。
「友人になろう、フランドール。そのための契りを交わそう」
それが悪魔にとってどういう意味を持つかも知らずに。
俺にとってそれは極めて自然なことに。
俺たちは交わした。
契約を。
* * *
ふと、目を覚ます。
最早ベッドと見間違わんばかりに大きな、自身一人すっぽりと脚を伸ばして寝ることのできるような大きなソファに寝転がって、ふと思考する。
「…………なんか、変な夢見てたような気がする」
目覚めた途端にはじけ飛んだ夢の泡沫は、その残滓を残して最早消え去ってしまった。
覚えているのは、自身がいたこと、そしてフランがいたこと。
ふと視線をやると、ベッドの上で眠る天使の姿。
のっそりと、起き上がり、その傍へと近づく。
何の邪気も無い健やかなその表情に心が癒されながら、そっとその頬に手を差し伸べる。
「……………………大好きだよ、フラン」
呟いた言葉は、けれどまた眠るはずの少女の届くことは無かった。
* * *
ぐにゃり、と。
夢の輪郭が歪んだのを、魔女は理解した。
「……………………美鈴、本当に余計なことしたわね」
けれどそれでよかったのかもしれない、と魔女は考える。都度十万回を超えるトライアンドエラー。失敗ばかりもいい加減見飽きてきたところだ。
「レミィもいい加減、どちらか決めればいいのよ」
殺すにしても受け入れるにしても。どちらでも良い。もうこの図書館の本もすっかり読み終わってしまったところだ。
だから、そろそろいいのではないだろうか、と考える。
これを契機としよう。
魔女と少年の間に結ばれた契約。
“可能性を与える”こと。
“可能性を見せ続ける”こと。
それが褒章であり、代価。
あの少年は確かにここに至るまで自身に見せ続けてきた。決して折れない心で、まだ可能性は残っていると。
五周どころか、一周ですら怪しいと思っていたのに。魔女の予想を覆して少年は未だに折れない。
それこそが、あの狂気の妹を変えた要因だと言うのだろうか。
面白い、本当に面白い。
魔女は探究者だ。究極的に言えば、親友よりも自身の探求心を優先する。
だから、もう契約のもう一人の当事者である親友には悪いが…………否、未だに決めかねている親友も悪いのだから。
「そろそろ、傍観者も終わりにしましょうか」
苦笑する、確かにこの退屈な時間を終わらせてしまいたくなってくる。
自分だって門番を笑えないではないか。
ぱん、と読みかけていた本を閉じ、自身の従者を呼ぶ。
「あの二人を連れてきなさい」
そう告げる。
それがこの物語の幕を引くと、信じて。
* * *
赤い髪の少女から図書館に来るように言われた。
フラン曰く“小悪魔”と言う、悪魔の一種族らしい。確かに耳とか背中から羽のようなものが生えていたが、やはり人間じゃなかったのか。
曰く、図書館に住まう魔女の従者。
「でもパチュリー何の用事だろう?」
フラン曰く、図書館の魔女の名はパチュリー・ノーレッジ。フランの姉でこの館の主であるレミリア・スカーレットの親友らしい。フランともそれなりに交友はある。
「昔少しだけ魔法とか習ったんだよ」
基本的には自身の知識欲に傾倒しているので、他人に関わらないようにしているらしいのだが。
その魔女がどうしてか、俺たちを呼ぶ。不思議な話だ。
「座りなさい」
紫の髪に、パジャマのような服を来た少女が図書館に着くなり俺たちにそう言った。
言われるがままに椅子に座った俺たちに、一冊の本が差し出される。
「…………えっと、パチュリー? これって?」
フランがわけが分からないと首を傾げ。
「どうするかは自分たちが決めなさい、私はそれを見るだけだから」
それだけ言うと、また手元の本に視線を落とした。
その後何度か話かけても返事は無く、完全に読書に没頭しているのだと分かる。
「……………………どうしよう?」
「……………………どうするの?」
フランと互いに顔を見合わせて、首を傾げる。どうしようか、なんて分かるはずもない。
とりあえず見てみようか、と言う自身の提案に、フランが頷き。
広げられた本はひたすらに難解だった。
と言うか、どう見たって日本人出ないあの容姿で理解しておくべきだった、そもそも日本語ですらない。
「読めない」
素直な感想を吐露すると。
「じゃあ代わりに読むね」
とフランが言った。
椅子を寄せ合って、と言うのが普通なのかもしれないが。
ふと俺の中で思いついたことが一つ
「フラン」
ぱんぱん、と自身の膝の上を叩きながらフランを呼ぶ。
「ん?」
首を傾げるフランに、笑みを浮かべたまま、
「おいで」
告げ、その意味をフランが理解するまで数舜間を置く。
そして。
「え、えっ、え?!」
顔を真っ赤にしてフランが戸惑う。
「ほら、おいで」
もう一度膝を叩いて示すと、戸惑っていたフランが、おっかなびっくりと言った様子で近づき。
「ほ、本当にやるの?」
「ダメ…………かな?」
「う、うう…………ずるいよ、そんな顔」
顔を真っ赤にしながら、のっそりと自身の膝の上にフランが座る。
まるであつらえたかのようにぴったりと膝の上でジャストフィットしたフランの体を後ろから抱きしめると、なんだか甘い香りがした。
「た、たかやぁ…………恥ずかしいよこれぇ」
「ふふ…………大好きだよ、フラン」
耳元で囁くと、きゅっと首を引いて震えるフランが愛おしくて堪らない。
「…………もう…………いじわる」
「だって…………フランが可愛すぎるのがいけないんだよ」
「…………………………ばーか」
拗ねたようなフランの声と共に、その体を包んでいた腕にそっとフランの小さな手が重なった。
* * *
悪魔との契約について。それが魔女から渡された本の内容だった。
悪魔と言うのはつまり吸血鬼であるフランのこと。そしてそれと契約した自身。
そして契約に伴いできること、できないことなどが書いてある。
「へー…………契約ってこうなってたんだ」
その仕組みなどについても載っていて、膝の上に座ってフランが読み上げる内容を頭の中でかみ砕いて理解するたびに嘆息する。
「それで…………ってあれ?」
本を読みあげているフランが唐突に素っ頓狂な声を挙げる。
「どうしたの?」
「ここ、なんか線が引かれてる?」
「あ、ホントだ」
契約の項、契約者と被契約者との繋がり。と言うのがこのページに書かれている内容。
曰く、契約を交わした契約者(人間)と被契約者(悪魔)の間には、必ず
曰く、縁は契約を遂行した際などに、被契約者(悪魔)が契約者(人間)から代償を徴収するためのものであり、または契約者(人間)が危機に際した時、被契約者(悪魔)が新たな契約を持ちかけたり、力を貸したりするためにも使われる。
曰く、契約者(人間)と被契約者(悪魔)との間に繋がれた縁は、契約が遂行されるか、契約そのものを無効化しない限り永久的に繋がれたままとなる。
「…………つまり、どういうこと?」
首を傾げる俺に、フランがくすりと笑って。
「つまりね」
こちらを振り向き、まるでキスでもするかのように顔を寄せ、耳元でそっと呟く。
「ずっと一緒、ってことだよ」
そう告げ、はにかむ少女を、思わず抱きしめた。
* * *
「いいんですか? パチュリー様」
「……………………何が?」
自身が従者の問いに、魔女が素っ気なく問う。
「あれ貸しちゃって…………お嬢様に何か言われるんじゃ?」
視線の先には一つの椅子に座る少年とその膝の上に座る少女。
初々しいですねえ、とぞっとするような笑みを浮かべる目の前の従者は間違いなく悪魔の一端だ。
まあ魔女たる自身が言うことでも無いが。
「レミィがどう言おうと知らないわ、と言うか、ここまで引き伸ばされたんだから、少しくらい干渉したって文句は言わせないわよ」
それに、門番ではないが、自身だって興味はあるのだ。
人間と悪魔、その契約の行き先。
研究テーマとしては中々に面白い。魔女は何にだって興味を持つし、興味を持ったなら追及してみたくなる。
探求心こそ魔女の根源である。世界の理を解き明かし、自らの元にひれ伏せさせることこそ魔女の真実である。だからこそ、世界で起こる全てを見てみたいし、探求してみたい。
特にこの珍しいテーマは、この瞬間を逃せば次はいつになるか分からない。
魔女の真意などその程度である。
だから、親友に交友のよしみで手を貸しながら、あの少年にも力を貸した。
と言っても、今回のは例外がすぎるとは思うが。
「どうせ美鈴が一度かき乱してしまったのだから…………ついでならとことんまでやってみればいいのよ」
そのほうが面白いし、興味深い。
そうしてパチュリー・ノーレッジは観察するのだ。
悪魔に恋した少年と、人間に恋した悪魔の姿を。