「はぁ、はぁッ……! 確か、この辺りのはず」
月の光さえ届かない漆黒に塗りたくられた廃墟。
およそ年齢は高校二、三生程と窺える少年は唯独り、トレーディングカードゲーム『デュエルモンスターズ』を用いてレアカードをハンティングしている犯罪者と、その者に拉致された少女を追って此処に汗だくになりながら到着する。
「う、ぐっ! お、落ち着け俺。まだ、人を、世界を諦めるな。人間に、そこまでどうしようもねぇって程に失意を感じているわけじゃ……が、があぁッ!」
数週間前から絶えず、少年の体には激痛が迸っていた。特に少年が恐れているのは身体の事等ではなく、心そのものが自分の意志だけでなくなる事に対してだ。
心臓の鼓動が間髪いれず脈打っている。血液の沸騰するような感覚に襲われ、正気を保っているだけで精一杯だ。
全てが手遅れになる前に、愚かなる人間の手から純粋無垢な少女を救いださなければならない。
今の自分が自分でいられる、数少ない希望の光。世界に対してだけでなく、自分自身のためにも。
「はぁ、ふう……へ、平和はいつか崩れるとは言うけどよ、それを、よりによって俺の手によって再び滅ぼすわけには――、」
廃墟の大きな扉に手を掛け、少年は勢いよく開ける。
刹那、眼前に広げられていた光景に少年の口からは思わず、
「えっ――」
間の抜けた声が、漏れていた。
廃墟に入ったすぐの広間にて、金髪の男性が地に伏している少女の頭を足蹴にしている。少女の姿は間違いなく、少年が本来救いだそうとしていたものだった。
「けっ。まったく、弱い癖に抵抗してくるんじゃねーっつのクソガキがよ。思わずリキが入って殺しちまったじゃねぇか」
苦笑いを浮かべている男性の手には、少女が使用していたデッキが握られていた。
少女本人は既に事切れているようで、微塵にも動きがない。全身から夥しいまでの血を流していて、とてもではないが生前可愛らしかったその顔は無残なものとなっている事だろう。
「あ、あっ……そんな、ウ、ソだ」
一番に恐れていた事態が起きてしまった事で、少年はたまらず狼狽している。
頭の中が真っ白になり、乱れていた呼吸が興奮によってさらに荒くなっていく。
少年の姿に気付いた男性が、少女の頭から足を離し、嘲笑を浮かべる。
「あんだよ、テメェ。俺様はどんな手を使ってでもレアカードを手に入れてデッキを強くしてやりてェんだよ。見られたからには仕方ねーから、テメェもぶっ潰してやんよ」
少女を殺害しておきながらのこの口ぶりからして、男性はレアカードハンターとして殺戮を行った数も少なくはないのだろう。
本来、人々の娯楽として、はたまたプロとして生計を立てている者すら存在するカードゲームが、よもや当たり前のように殺戮兵器と化してしまっているなどと許されるべき事ではない。
結局、存在する全てのデュエリストの人間性に希望を見出そうとしても、端から無駄な事だったのだ。
もはや、少年の精神は己の中に巣くう巨大な闇に蝕まれる寸前にまで達していた。
「お、まえは――」
「あ?」
いつまで経っても救いようのない世界、進化のない人間に対して少年は絶大な怒りと悲しみを抱く。すると、その黒い瞳が悪魔を彷彿させる紅蓮の色に染まっていく。頬を伝っていく涙の雫もまた、赤色。
「本当に、このままでいいと思っているのか? なぜ、同じ人間同士で……こんな馬鹿げた事をしなくては――、」
「は、馬鹿はテメェだろ?」
フン、と男は鼻で笑う。
「人生たったの一度しかねーだろが。だったら話は簡単だ、いつ死ぬかもわかんねぇ自分だけを大切にしてやりゃいい。やりたいことだけをやりゃいい」
「なん、だと」
「人生楽しめば、それで勝ち組なんだよ。くっだらねぇ常識なんかに囚われて、しけたツラ下げて社会に媚売ってたってつまんねェだけだろうが。そんなクソみてェな人生送るくらいなら、何もかもぶっ壊して、全て欲しい物を手中に収めてやる。悪者は悪い事してナンボだろうが、それの何がいけねぇ?」
男性は、狂っていた。初めから悪者の立場や心境でいれば、世間の目はどうあれ別に悪い事をしてもいい、という考え方をしているのだから。人間の欲望は留まる事を知らないらしい。未来永劫に、それは付き物なのだろう。
「さァ、お喋りは終いにしてさっさとやり合おうぜ。俺様、最近調子良いからよぉ、今晩は何人からレアカードを盗れるのか楽しみで仕方ねェや」
男性がデュエルディスクの電源を入れ、少年の元へと歩み寄っていく。彼の目的は少女を殺害した時と変わらず、少年が敗者となれば即座にレアカードを奪取するだろう。
男性の更正の余地なしと判断すると、少年もまた覚悟を決めていた。素直に、今の自分の心境を曝け出していく。
「ごめん、かつての友たち……。俺は、もう、駄、目、みたい、だ。――全てのデュエリストを、闇ニ沈マセてヤる」
瞬間、地が軋みを上げる。
めきり、ひび割れる音。
ぎちり、軋み上がる音。
青白い烈火が地面を駆け巡り、結界を張るが如く円陣を敷いていく。人間には理解の及ばない異型のサークルが完成した直後、閃光が視界を埋め尽くす。
「な、なんだ!?」
ビシビシと、容赦なく男性にプレッシャーが襲いかかる。首を圧迫する悪寒に思わず後ずさりをしていると――、
堕チロ。
助ケテ。
沈メ。
死ネ。
滅セヨ。
呪詛のような無数の声が、男性の脳内に木霊する。さながらそれは、生ける者に対して亡き者が怨念という怨念だけで奏でる鎮魂歌のよう。
視界を覆っていた光が消失し、視力の回復した男性の目前には――、
「人間。貴様のソの魂、オレの手にヨッて屠ってクれヨウ」
髪の色が黒から白へ、肌の色もまた幽霊然とした白色へと変貌を遂げた少年の姿があった。その背後には、かつて滅んだ大邪神ゾーク・ネクロファデスの霊が佇んでいる。
あまりにも非現実的な光景を目の当たりにした男性は、完全に腰を抜かしてただただ呆然としている。十秒ほどが経ち、息を呑んだ男性が問う。
「テメェ、何者だ?」
スッ、と少年は左腕を上げる。その腕から生々しくデュエルディスクの形を模した物体が文字通り生えていく。
「生キトし生ケるデュエリストを破滅へ誘う災厄の根源――大邪神ゾーク・ネクロファデスの転生者ダ」
新たなる力を持ったネオ・ゾークとして覚醒を果たした今度は、失敗してたまるか。
人間として輪廻転生を果たしていた事で、人の強み、弱み、感情、その全てがよくわかるようになったのだから。
十数分後。廃墟の屋根上で、ゾークの化身こと少年――ネオは月を眺めていた。デュエルは終わりを迎えているのか、デュエルディスクの生えていた腕は元に戻っていた。
「綺麗ナ月……ソウイエば、今晩は十六夜、カ。切っテも切れナイ縁といウのは、本当二有ルようダ。モットモ、今更人間ダッタ頃の名前ナど名乗レる資格もないが」
その脳裏に、人間だった頃の記憶が思い起こされているのだろうか。
物思いに耽っていたが、やがて立ちあがり、その背から漆黒の翼が生える。
自身で破壊した屋根の一部から、広間を覘く。そこには、仰向けになって倒れている金髪の男性と、ネオが守れなかった少女の二人の遺体があった。
視線を少女に移し、
「――許セ」
まだ多少は人間としての心が残っていたのだろうか。それだけを小さく呟くと、闇夜の空へと一人羽ばたいていくのであった――。