ネタバレは
やめろ
と思う今日この頃。
はじまりの街では、ついに雪が降り始めた。草原は雪原に変わり、北の村では雪かきをするNPCが現れ、南の湖は一夜にして氷が張り、人々を驚かせた。アインクラッドが現実に準拠しているのは時刻だけで、気候は階層によっては一定ではない。二層の放牧的な階層では、肌寒いとはいえ真冬の寒さとは程遠いのだ。
アイガイオンははじまりの街に戻ると、この世界で初めて目にする雪を踏んだ。街の石畳は雪で覆われているが、人通りの激しい区域では端に寄せられて通りやすくなっている。人通りの少ない裏路地などは雪が積もったままで、足跡を残してもすぐに覆い隠されてしまうようだ。
アイガイオンは拠点の教会を目指しながら、街の様子を見て回った。一層攻略前より主街区の人通りは確実に多くなってきている。はじまりの街に人が戻り始め、拠点として利用するプレイヤーが多くなっているのだ。街は活気付くが、人が増えれば問題も増えてくる。それに対処すべき人員も割かれるが、それだけプレイヤーが活気を取り戻しているということを考えれば、歓迎できることだった。
「寒いな」
アイガイオンはぽつりと呟いた。本来なら第二層の攻略を進めていたはずだが、アイガイオンは週に一回は必ずはじまりの街に戻ることにしていた。
緩やかに降る雪の中を進んでいると、方々から声をかけられ瞬く間に人混みが出来上がった。一層の、特にはじまりの街ではアイガイオンというプレイヤーを知らぬ者はいないだろう。一層のボス攻略に参加したプレイヤーはすべからく英雄扱いで、それは意図した情報流布の結果だった。攻略に励むプレイヤーが少ないうちでは、こういったことは必要である。
方々からの挨拶に断りを入れ教会に辿り着いた。雪の被った建物が日の光を照り返し、今までとは違った趣を醸し出している。中に入ると、外の冷気が嘘のように暖かな空気に切り替わった。こういった風情のない切り替わりなどは、やはりゲームなのだとアイガイオンは意識した。
教会の中では、≪MTD≫に所属する様々なプレイヤーが忙しなく奔走している。誰でも利用できる公共の施設であるにも関わらず、一般のプレイヤーの姿は一切なく≪MTD≫の独占状態である。一般のプレイヤーには悪いとは思いつつも、多少の寄与で借りられる大きな場所はありがたいのだ。それに代わる場所はいくつか検討は付けているが、全て購入を必要とする土地である。自分だけのマイホームを買うことは多くのプレイヤーにとって理想であるからという訳ではないが、ギルドの顔となるホームを設けることが、≪MTD≫の最優先の目標だった。
「皆、集まっているな。会議を始めよう」
会議室と呼んでいる円卓のある部屋に着くと、アイガイオンは面々を見渡して言った。これが週に一回は第一層に戻っている理由である。協力者の中で筆頭となるプレイヤーたちがそれを皮切りに口々に意見を出し合い、席に着くとそれにアイガイオンは耳を傾けた。
「私たちのギルドが教会を独占しているという意見……いえ、苦情が出ています」
「配給の改善を要求する声が多いです。嘆願書まで製作して渡されました。提出します」
「独占ではない。俺たちのギルドのプレイヤーが多く利用して、あいつらが使おうとしていないだけだ」
「目標としている施設にNPCの交渉人が仲介しています。そのNPCに仲介料を払わなければなりませんが、当初の金額よりいくらかは安く済みます」
「それに関しては交渉スキルというものが発見された。取得したプレイヤーに依頼して、どちらが安く済むか試そう」
「配給の事は量を増やすより、何か品物を追加した方がいい。例えば……そうだな、パンとか同じものを増やす手もあるが、目新しい方が影響がある。安く済む食料には目を付けているから、リストにして渡すよ」
「恐ろしく強いプレイヤーがいると前線で噂になっています。どこのギルドも勧誘しているけど、どこにも靡かないんですって」
「フリーのプレイヤーには勧誘を続けろ。それが戦力になるようなら尚更だ」
会議の場は、筆頭者がそれぞれの問題を口に出す。それぞれの意見に勝手に対応しあい、アイガイオンを通さずに決まっていくことも多々ある。自分が要らないのではないかという感覚に陥ることもあるが、それでもアイガイオンはリーダーである事を辞めなかった。リーダーの役目には意味があり、まとめ役であり、皆の重しのようなものだ。この役に自分が居るからこそ、皆が安心していられるのだ。リーダーとなって、明らかにそういう空気になったのをアイガイオンは肌で感じた。それを皆のほとんどは知らないだろう。
「フィールドボスについてですが――」
筆頭者の一人がアイガイオンの耳に入った。アイガイオンが巨大ギルドのリーダーだからと言って遠慮するようなプレイヤーはこの円卓の中にはいない。皆が協力し合い、苦難の時をともに乗り越えた仲間たちなのだ。
「予定通り、明日にフィールドボスの攻略に入る。βテスターの情報では、フロアボスよりは手強くないはずだ」
「≪MTD≫、≪聖竜連合≫、≪アインクラッド解放隊≫による攻略会議の概要、編成です」
「助かる。受け取ろう」
「僕は納得出来ません。偵察戦を行うべきです。危なくなれば、何度だって撤退すればいい。偵察戦に当たったプレイヤーの半数をボス攻略に組み込めば、危険はずっと減るはずです」
「悠長すぎる。ボスの討伐報酬は膨大で、攻略者は俺たちだけじゃない。そして今はとにかく金が必要だ。これを逃す手はないし、一層の踏破で勢いづいている。その流れを止めたくない」
アイガイオンが話している間もプレイヤーからプレイヤーへ、飛び交う意見が途切れることはなく、その全てをアイガイオンが聞き逃すまいとしていた。それぞれの筆頭者の能力を当てにする部分もあるが、今の所はそれで上手くいっている。中でも、サブリーダーであるシンカーには、ギルドの運営について大いに世話になっていた。
「二層の展開についてですが――」
「重要な部分だけ押さえ、すでに要員を送り込んである」
「ギルドの金を使って設備を整えましょう。生産系のスキルを取得しているプレイヤーに作らせます」
「≪MTD≫以外のプレイヤーにも声をかけて依頼しろ。装飾品がいい。見える所に飾れば、門戸を広く開けているということを知らせることになる。意識向上にもなるだろう。報酬も奮発してやれ。仕事をさせてくれと頼んでくるプレイヤーが出てくる」
「ギルドホームの購入予定金額ですが、安く済むなら交渉人に頼ります。金が浮けばその分だけ楽になります」
「新スキルの弓についてですが……」
一言で一気に緊張が走った。二層で発見された弓スキルは、すでに全プレイヤーの話題の的になっている。アイガイオンはすでに噂を流布したが、危うげな空気を感じ取っていた。
「通達した通り、規制しようと思う。皆の意見は?」
「反対です。≪MTD≫がいくら巨大ギルドであろうとも、そこまでしていいものではないでしょう」
「俺は賛成します。情報を見た限り、危険が多いと思うからです」
「反対に一票。苦情が殺到」
「だから面倒だといいたいんだな? だとしても、危惧している攻略の遅延は避けたい。それに規制も一時的なものだし、苦情もそれまで我慢すればいいだろう」
「賛成か反対かは置いといて、新スキルを試してもいいというプレイヤーを一通り集めて選んでおいたのですが……」
「新しい武器の発見なんて、その度に話題殺到してきたが、これだけは別と考えた方が――」
議題はしばらく続き、賛否はちょうど半々にわかれたようだ。リーダーのアイガイオンは賛成派で、シンカーは反対派である。理由はそれぞれ頷くことが出来るものだったが、決めがたい時はアイガイオンの一存で決まる。つまりは規制である。
「規制で決定する。これ以上議論はしない。フロアボス攻略と共に新エリアへ進出し、スキル取得のエリアを封鎖する。意見は?」
「敏捷度の高いプレイヤーを選出しておきます。まずは確保からですね」
「新スキルということでしたので、様々なステータスのプレイヤーを選びましょう。監督する者も置いた方がいいかもです」
「もしも、いわゆる『死に』スキルだった場合の対処考えなければ」
こういった場合の皆の切り替えは驚くほど優秀だった。伊達に混乱期のプレイヤーを束ねていたわけではない。決まったことは、すでに決まったこととして意見を挟まない。賛成も反対も、どちらも納得できるのものなのだ。
筆頭者たちの意見が少なくなってくると、頃合いを見計らって、アイガイオンが声をあげる。アイガイオン自身の意見は必ず最後で、会議の終了を意味している。それは自然とそうなったことで、それについては皆が暗黙として了解していた。
「彫金師に依頼していたものが届いた。我らのギルドに所属する者にしか着用は許されないものだ。今後はこれの着用を義務とする」
羊皮紙に剣の紋章のギルドバッジだった。金製、銀製、銅製の三つがあり、筆頭者に渡したのは金製の徽章だ。金製のものはここにいる筆頭者のみが付けられる。銀製は筆頭者以外の主要なプレイヤーのみが付けることができ、銅製はそれ以外である。アイガイオンとシンカーのものは特別で、アイガイオンが剣、シンカーが羊皮紙のバッジだった。ギルドバッジを付けた筆頭者たちが興奮のどよめきをだしている。
「支給はシンカーに任せる。ほかに要件がなければ、会議は終了する」
見渡し、意見が出ないのを確認してアイガイオンは席を立ち会議室を後にした。アイガイオンはこれから前線に戻るつもりだった。第二層攻略は一層の頃より格段に早く、三日目となる明日にはフロアボスの討伐に入る。そのための十全な準備をアイガイオンは二日目の今日にするつもりだった。
会議室を出た足でそのまま転移門の方向へ。教会の広場を抜け、思案に明け暮れる。今日のパーティーはキバオウが抜け、ディアベルが加わるはずである。向かおうとした時に後ろから追いかけてくる声がかかった。
「アイガイオンさーん!」
サブリーダーのシンカーである。小太りの体型だが、初期の頃より身が細るほどの苦労をしているのをアイガイオンは知っていた。ゲームでなければ、確実にやつれているはずである。
「時間があれば、会っていただきたいプレイヤーがいます」
会議で言わなかったということは、個人的な要件であるということだろう。アイガイオンは興味を持ち、多少の余裕はあったので了承した。たとえ個人的な要件でも、シンカーが持ってくるものは重要なはずである。
「アイガイオンさんに会いたいというプレイヤーがいまして、一度会わせておきたいのです」
「珍しい事じゃないと思うが」
「珍しい事です。外人勢のプレイヤーがずっとあなたの名前を連呼しています」
外国のプレイヤーは一ヶ所にまとめているが、出自は様々である。それぞれの国の言葉がわかるプレイヤーが付き添ってはいるものの、対応できないプレイヤーもいる。それだけSAOの技術が世界的に注目されていたということではあるが、今回に限っては災難というほかはない。外人プレイヤーには閉じ込められてから一か月の間、日本の言葉を教えて来たので、簡単な言葉ならほとんどの者が扱える。ただ、日本の文字だけは個人差が出ていた。
「なぜ俺の名前を呼んでいるのかは?」
「わかりません。アイガイオンとしか言わないのです。ですので、一度会わせてやりたいと。プレイヤーネームは“ユリシーズ”」
外人勢のプレイヤーも例外なく、アイガイオンという名前は皆が知っているはずである。だが、外人プレイヤーにはそれぞれにギルドのプレイヤーが付き添っていて、普段はそちらに世話になっているはずだ。
「そいつの付き添いのプレイヤーはどうした?」
「逃げました。言葉がわからないのです。と言っても、原因はそれではないですけども……」
シンカーの歯切れが悪くなっている。アイガイオンは頭を掻くシンカーを見た。
「ユリシーズは、女性なんです。それも、かなり美女の」
SAOの男女率は遥かに傾いている。女性プレイヤーというだけで貴重な存在なのに加え、美人だというならば稀少性に拍車がかかる。
「彼女はドイツ人で、……ええと、ドイツ語がわかるプレイヤーはギルド内にはいませんでした。もちろんはじめは女性プレイヤーに世話をさせましたが、ええと、つまり……」
「知らなければならないことははっきりさせてくれ、シンカー。時間はあると言っても、そう多くはない」
「つまりですね、≪MTD≫以外のプレイヤーに任せたんです。ドイツ語がわかるという、男性プレイヤーに」
「それが原因か?」
「それ“も”原因なんです」
「――性的な問題か?」
アイガイオンが言うと、シンカーがばつの悪い顔で頷いた。
「男女間でしたから、そういうことがあっても不思議ではないと思いました。ですが、人手不足にかまけてました。それに、人のよさそうな男でしたので……」
「前置きはいい。それで?」
「女性が不快に思う接触をして、不快に思ったユリシーズが彼を追い出しました。かなり激しいやり方で。代わりのプレイヤーを探したときに、またドイツ語がわかるというプレイヤーも見つけました。それも男性でしたが……」
「今度はそいつに任せたのか?」
「その時はそのプレイヤーを監視するプレイヤーを置きましたが、そのドイツ語がわかるという話自体が嘘だったんです。そのプレイヤーを追い出したら、また別のプレイヤーが……。それも嘘で、美人というのが災いしたとしか言いようがありません」
「女目当てに、男が群がったか」
「それから男性不信に陥ったようでして、部屋に
「攻撃?」
「殴りかかってきますね。そのため女性プレイヤーが世話をしてますが、部屋から出ようとしないのです。それからはアイガイオンとばかり呼んでいます」
「つまり、最近の事ではないのか?」
「半月前くらいからでしょう。対応が遅れたのは、私のせいです」
シンカーが目を伏せた。負い目を感じ、それに端から罪悪感を感じるのはシンカーの悪い癖である。アイガイオンはシンカーの背を叩いた。
「シンカー、お前のせいじゃない」
あの時は出来る限りのことに全力を尽くした。すべてが完璧ではないが、これ以上どうしようもないと思うまで働いていた。そこからあの時こうしていればと邪推するなど、とても考えることはできなかった。
「皆がよくやった。たとえあの時に戻ったとしても、あの時以上に上手くやるのは不可能だ。皆が最善を尽くしたし、その中にお前も含まれる。それ以上を考えるのは良いが、最悪な現状に努力したお前以上によくやった者はいない」
「ですが、もっと早く――」
「それ以上は悩むな、シンカー。今はそのユリシーズの事を考えよう」
話している間に、ユリシーズの部屋の前に着いていた。男性不信は、聞いた限りだとかなりひどい状態である。どうしようとは考えず、扉をたたいた。扉をたたいて数秒の内は部屋の中の音が聞こえるはずだが、音沙汰は何もない。
「アイガイオンだ。ユリシーズ、いるか?」
しばらく呼びかけながら扉をたたいた。それでも部屋の中からは何も音は聞こえない。そこまで不信がひどいのか。
「普段は男性が声をかけても、絶対に応じることはないので女性に声をかけてもらっているのですが、今は誰もが忙しくて捕まりませんでした。本人ならと思いましたが、やはり女性を連れてくるしか――」
「ええい、まどろっこしい。入るぞ」
アイガイオンは扉をタップしてオプションを開いた。外人勢のプレイヤーが泊まる部屋は個人ではなくギルド名義で払っている。その場合、個人以外にそのギルドのリーダーにも出入りする権限が与えられる。もちろん、常であればそういった行為は控えるべきだが、時間を取ったのを無駄にしたくはない。
慌てるシンカーを無視し、部屋に押し入った。ベッド、タンス、テーブルに椅子。地味な色の壁にカーテンのない窓がはめられている、必要最低限の物しかない質素な空き部屋だった。そして肝心のユリシーズもいない。
「いないぞ。この部屋ではないのか?」
「ここに間違いないはずです。私だって、ここで殴られたんですから」
「ふむ」
アイガイオンはもう一度部屋を見回し、いないことを確認すると早足で部屋を出た。向かう先はロビーである。教会のロビーは、現在≪MTD≫の受付の窓口として機能している。そこには人を常設しているので、外へ出ていたらわかるはずだ。
「ユリシーズさん? いえ、見てませんね。彼女は目立つから、対応が忙しくても、目に入るはずですし。それに彼女、最近は外へ出てきませんしね」
受付の男性プレイヤーに聞くと、そう返ってきた。ユリシーズを担当するプレイヤーは決まった人物ではないらしく、時間が空いたプレイヤーが彼女の面倒を見ているようだ。それでもそれらしいプレイヤーも見ていないという。
「あ、でも、顔が確認出来ないプレイヤーはいます。アイガイオンさんみたいに全身金属鎧の人もいましたし、顔を隠すマスクを装備する人もいますしね。全身を隠すローブを装備している人もいました」
「なら、外から来たプレイヤー以外で、教会内から外へ出て行った者は?」
「すべて覚えているわけではないですけども、何人かいたことは確かです」
外へ出て行った可能性は少なからずあるということだった。それが街の中だけなら≪安全圏≫を約束されているからまだいい。それが、街壁の外へ出て行ってしまったのなら問題は大きい。
「この教会内を全て調べろ、シンカー。尖塔から地下までだ。それに最後にユリシーズの世話をした者を探して話しを聞いておけ」
「すぐに取り掛かります。街の中も出来る限り探します」
「一層にいるギルドのプレイヤーにメッセージを飛ばす。お前は街の内側だな。俺は時間が許すまで、外を探してみる。何かわかったらメッセージを飛ばしてくれ」
別れを告げて、一層にいる≪MTD≫のプレイヤーすべてにメッセージを一斉送信した後、アイガイオンは城門へ走った。いよいよ嫌な予感を感じ始めている。
ユリシーズがどのようなプレイヤーなのかはわからない。もし、フィールドへ出たらどうするのだろうか。街から離れず周辺を散策するのか、それとも、どこか当たりを付けて進むのか。
街の周辺なら≪MTD≫のプレイヤーが多いだろうから、アイガイオンは街から離れることにした。目的地は、二層へと延びる迷宮区の柱である。攻略を進めるプレイヤーなら、間違いなく迷宮区の方面へ行く。
草原を駆け抜け、森林地帯に飛び込む。敏捷があればもっと速く進めるが、あいにくアイガイオンは筋力型である。それでも、出来る限り速く足を動かした。
メッセージの着信音がなり、走りながら確認する。シンカーが集めた情報で、それらしいプレイヤーが外へ向かった可能性が高いとのことだ。予想では、茶色のカーテンをローブ代わりにしているらしい。部屋の窓にカーテンがなかったのはそういう事だったのか。
だとすれば、無茶をするプレイヤーだろう。アイガイオンは道なりに走り続けた。予想が外れてくれればいい。実は街の中にいて、散策を楽しんでいたというならそれでいい。最低でも、街の周辺にいるならば、命の危険はまだ少ない方である。迷宮区に差し掛かろうと言う時に、索敵スキルが新しい音を拾った。かなり大きな音のパターンで、近くにそのような音を発するオブジェクトはないはずである。予想できるのはモンスターだが、一体ならここまで大きな音にはならない。つまりは、大群だろう。そしてそれは的中した。
「ええい、くそ……!」
迷宮区の入り口が見えた。その前には森に生息するモンスターの群れである。一見すると群れが迷宮区に入ろうと殺到しているようだが、アイガイオンは群れの先に背を向けて逃げるパーティーを発見した。
アイガイオンは舌打ちをして、光を纏うと一気に加速した。突進系スキル≪マイティ・チャージャー≫。群れを後ろから蹴散らし、突然の登場でモンスターたちの動きが止まった。スキル硬直が解けると、アイガイオンは群れの中心で大盾を地面に打ち付けた。大盾スキル≪
「とにかく防げ。俺がすべてを片付ける」
返事を聞く前にアイガイオンは吼えた。挑発系のスキルである。モンスターの視線が一身に集まるのを感じ、攻撃が集中した。コボルドのソードスキルを力任せに押し返し、飛び掛かる蜂を突き落とし、牙を立てる狼に盾を打ち付け、蹴り上げた。怯んだ隙にスキルを発動し、突き飛ばしたモンスターがモンスターを巻き込んで、青い破片となって散って行く。圧力が弱くなると、前進して槍を振り回した。
敵を蹴散らすことは、筋力型の本領である。一層の適正レベルを大きく超えた能力値で振るった矛先でモンスターは次々に霧散していった。残ったモンスターも散り散りに逃げて行くのを見送ると、構えを解き、戦闘の終了を告げる。
背後のパーティーがどっと息をついた。尻もちをつき倒れ込むプレイヤーもいる。体力ゲージを半分ほど減らしたプレイヤーが多いものの、
「よくやった。リーダーは誰だ?」
「わたしです。助けてもらって感謝します、アイガイオン」
パーティーリーダーは長身の女性だった。SAOの中でも珍しい銀髪をポニーテールにまとめ、装備は中装の皮鎧に片手の剣と盾、副装に短槍を後ろ腰に吊るしている。オーソドックスな剣士だが、怜悧な容貌が印象的である。
「迷宮区に逃げ込まないのはよかった。入ってしまっていたら、全員は助けられなかったかもしれない。名前は?」
「ユリエールと言います。迷宮区には何回かチャレンジしていましたから、中の脅威は把握しているつもりです。でも、あなたが現れなかったら誰か死んでいたかもしれません」
「群れに襲われていた経緯を聞かせてくれないか」
「女性プレイヤーがいたのです。外国人の方でしたが。一人の様だったので、ついていくことにしました。彼女は嫌がったので無理やりでしたけど、独りになるよりはいいかと――」
アイガイオンはユリエールから視線を外し、パーティーに目を配った。茶色のカーテンローブを被るプレイヤーはすぐに見つかり、近づくと一気に引き剥がした。カーテンは正式な装備ではないので簡単に引き剥がせる。現れたのは、情報通りのプレイヤーだった。鮮やかな金糸の髪を左右に垂らし、吸い込まれそうな碧眼。それでも気の強そうな
「ユリシーズだな?」
「アイガイオン?」
確認を取ると、ユリシーズは首を傾げた。外人らしい、聞き取りにくい話し方だが、アイガイオンが兜を外し顔を見せると、ユリシーズの顔が一気に綻んでいった。軽い衝撃と共に抱きつかれ、アイガイオンは受け止め、頭を撫でた。
「不安だっただろう。もう大丈夫だ」
ユリエールのパーティーが唖然としている。アイガイオンは思わず苦笑した。
「メールはまだ見ていないのか。ともかく、移動しよう。ポーションがあるなら回復しておけ」
「彼女は、男が苦手だと思うんですが……」
「俺もそう思っていたよ。一番近い村を目指すぞ、先導してくれ。俺は、こいつの相手をしなければならんからな」
ユリシーズは、パーティーの男性メンバーには強い忌避感を示していたようだった。そのため、ユリエールが付いていこうとしたが、ユリシーズがパーティーから逃げたらしい。追いかけていたため、
木造の宿は酒場も経営しており、一階は酒場、二階が宿部屋となっている。酒場の方はかなり広く、迷宮区に乗り込もうというプレイヤーが英気を養っていたり、ここを拠点としているプレイヤーが冒険話に花を咲かせていたり、外から入ってきたプレイヤーが暖を取ろうと暖炉の前で蜂蜜酒を呷っていたりとかなりの
「命を救ったな、ユリエール。不謹慎かもしれないが、お前がアインクラッドにいてくれてよかったと思う」
アイガイオンが言うと、ユリエールは顔をこわばらせて頭を軽く下げた。銅製のバッジを襟につけた彼女を、アイガイオンは覚えておこうと思った。今はまだ一層にいるものの、レベルが上がって追いついて来れば優秀なプレイヤーになるかもしれないのだ。
「さて、ユリシーズ」
アイガイオンが呼びかけると、隣で退屈そうにしていたユリシーズの目が輝いた。ユリシーズは、何かと側に居たがっている。何故そこまで懐いているのか、聞こうとしても言葉がわからないので意味はない。それでも簡単な単語なら扱えるようだ。
「なぜ。わかるか? なぜ、だ。なぜ、このアイガイオンに、会いたかった?」
アイガイオンは出来る限り区切って話した。ユリシーズを指差し、自分を指差しながら話す。外人と接するときは、なるべくジェスチャーを交えて話すようにしている。大抵の場合、それでなんとかなっていた。ユリシーズは首をかしげ、言葉を探しているようだ。
「ほしい」
彼女の口から出た言葉はそれだった。ユリエールが、怜悧な容貌を崩して感極まったような声をあげる。アイガイオンはそれを無視して髭を撫でた。ユリシーズが探した中で、一番近い言葉がそれで、理由はやはりわからないのだ。
「説明しきれないのは仕方のない事だが、もどかしいな」
「ユリシーズ、アイガイオン、ほしい」
「アイガイオンは彼女についてなにか覚えていないのですか?」
ユリエールが口を挟み、アイガイオンはそれについて考えてみた。デスゲームが始まってから忙しくない時はなく、一人のプレイヤーを覚えていることなど、よほどの事でもない限りはなかった。改めてユリシーズを見るものの、見覚えはほとんどないはずだ。
「やはり、ないな」
アイガイオンは、真意を問うことを諦めた。攻略があるので、いつまでも訳の分からない事に囚われているわけにもいかない。
「ユリエール。彼女を街まで連れ戻してくれ」
「それは構いませんが、アイガイオンはどうされるのです?」
「前線に戻らなければいけない。もうかなり仲間を待たせている。街へ着いたら、シンカーを頼ってくれ。手筈は整えてあるはずだ」
「手筈、ですか?」
「男がいけないようだから、最近できた女性ギルドの方で保護する。後は任せた」
酒場に降りると、休んでいたユリエールのパーティーが慌てたように立ち上がった。酒場を後にすると、ユリシーズが付いてこようとして慌て始めた。それをユリエールたちが引き止めようとしてちょっとした騒ぎになっているが、アイガイオンはすでに攻略の事で頭が一杯になっていた。