小さな町の、小さなケーキ屋さん。
そんな店を夫と開いてかれこれもう二十数年。息子も私達の手を離れ、大きな街へ働きに出始めた頃のこと。
私の店に、小さな女の子がやって来た。
「おばちゃん!しょーとけーきひとつください!!」
小さな手に握り締めた100円玉を、精一杯背を伸ばし、目一杯爪先立ち、なんとかカウンターに載せようとしていた女の子。
正直、これから生まれてくる予定の孫以上に可愛らしかったと断言できる。なにせ初めて「おばちゃん」と呼ばれたにも関わらず、全然怒る気が湧いてこなかったのだ。
「はいはい、ショートケーキひとつね。」
当時うちのショートケーキは定価200円で売っていたのだが、あんまりにも可愛いらしいので気が付けばそのまま100円で売ってしまっていた。
「わぁ!ありがとおばちゃん!」
「どういたしまして。1人でお買い物できてえらいねぇ。」
女の子はとびっきりの笑顔でお礼を言うと、ショートケーキが1つだけ入った小さな箱を、大事そうに抱えながら外へ駆けて行った。
それからだ。
女の子は事ある毎にやって来るようになった。
「おばちゃん!このまえのケーキね、すっごくおいしかったよ!!」
ルンルン気分を絵に描いたような上機嫌で来ることもあった。
「きょうね、はるか、いっかいもころばなかったの!」
些細な事がとても嬉しそうに来ることもあった。
「はるかね、おうたがすきなの!みんなでおうたうたうときが、いちばんすき!」
好きなものを本当に好きそうに、歌いながら来ることもあった。
「…ぐす……ともだちとけんかしちゃってね…なかなおりしたくて……」
いつも楽しそうな春香ちゃんにしては珍しく、酷く落ち込んだ様子で来ることもあった。
「あ!おばちゃんこれ200円だったの!?もー、ちゃんと言ってよー!」
春香ちゃんが値段の間違いにようやく気が付くくらい、しっかりしてくるようにもなった。
「おばちゃん!ケーキ作ってみたいんです!教えてください!」
お菓子作りに興味が出てきたのか、レシピを聞きに来ることもあった。
「あれ?どうしたんですかお婆ちゃん?」
私がお婆ちゃんになった事を気付かせに来ることもあった。
「私、アイドルやってみることにしたんです!」
自分の決断を報告しに来ることもあった。
「どうですか?美味しく作れたと思うんですけど…」
自分で作ったケーキの味見を頼みに来ることもあった。
「またお仕事で失敗しちゃいましたぁ…」
うまくいかないことがあった時に来ることもあった。
「この前、ステージで歌を歌わせて貰えたんですよ!仮免ライダーのおまけだったんですけど…でも!やっぱりすっごく楽しかったです!」
今日みたいに、やっぱり楽しそうにやって来る日もある。いつか、この子がこんなに楽しそうに語るステージというものを見てみたいものだ。
「そうかい、春香ちゃんは立派にアイドルやっているんだねぇ。」
「そ、そんな!私なんてまだまだですし、その、可愛くもないですから…」
この子は何を言っているんだろうか。最近チェックするようになったテレビを見ていても、春香ちゃん以上に可愛い子なんかいるもんですか。
「そんなこと言うもんじゃないよ、私には春香ちゃんが一番可愛いんだから。」
思ったまま、伝えてあげることにした。歳を取ると恥じらいが無くなっていけない。それに、この子はもっと自信を持ったっていいはずだ。
「そうですか?でも、お婆ちゃんにそう言われるとなんだか照れますね。」
えへへ、と恥ずかしそうにする春香ちゃんは、やっぱり可愛い。
「それで、今日もショートケーキ?」
昔となんにも変わらない味のショートケーキ。変わった事と言えば、増税ブームに乗っかって250円に値上げしたことぐらいだろう。それでも春香ちゃんは、毎週のように買いに来てくれる。最近は少し忙しいのか、メールで連絡してから店に来るようになっていた。
「はい!それもそうなんですけど、今日は渡したいものもあって…」
そう言うと春香ちゃんは小さな鞄を開き、大事そうに何かを取り出した。
「私、ついにCDデビューが決まったんですよ!まだ発売は少し先なんですけどね…」
「ホントかい!?よかったじゃない、おめでとう!」
「ありがとうございます!それで、お婆ちゃんさえよかったら…聞いてくれますか?」
おずおずと自信なさ気にCDを差し出す春香ちゃんは、なんとも言えないくらい可愛かった。
「ええ、もちろん。そんな…わざわざ持ってきて来れなくても、発売されたら買うに決まってるじゃない。」
こんな可愛い春香ちゃんはずっと見ていたかったが、それもかわいそうなのでひとまずCDを受け取った。本当に発売は少し先なのだろう、表紙には何も描かれていなかった。
「えへへ、ありがとうございます。でも、お婆ちゃんにはどうしても直接渡したかったんです。それで、A面と二曲目のB面があるんですけど、B面の方は作詞までさせてもらっちゃいまして…」
CDに作詞と、いつのまにか春香ちゃんは本当にアイドルらしくなっていた。
「じ、実は、お婆ちゃんをイメージして書いてみたんです…。」
この子はなんて可愛いのだ。
「ええ!?そ、そうなの?」
「は、はい…あの、迷惑、でした?」
「迷惑だなんて!とんでもないわ、本当にありがとう。一生の思い出よ。」
後で必ず聴こう。A面はとりあえず後回しで。
「えへへ、そう言ってくれると頑張った甲斐がありました!」
「ふふ、春香ちゃんはいつも頑張ってるじゃない。…それじゃ今日はショートケーキ、いくつにしとく?」
「あ、はい!今日はえーと…15個…あ、16個貰えますか?」
「あらまあそんなにたくさん。もしかして、全部春香ちゃんが食べてくれるのかい?」
「ち、違いますよ!事務所の皆に持って行ってあげるんです!」
「あら?これまでは春香ちゃんが作ってなかったかい?」
「はい、そうなんですけど…CDデビューのお祝いってことで……そ、その、私がこれまで頑張ってこれた元気の源を、みんなに紹介することになったんです。」
…この子はなんて可愛いんだ。
「…そう、それじゃあ私もお祝いしなきゃいけないね。」
「ほ、ホントですか!?」
「えぇ、そのケーキ、CDのお礼に持って行っちゃって。」
「え!?そ、そんな!悪いです!ちゃんと払いますよ!」
春香ちゃんは慌てたように鞄から財布を出し始めた。お祝いだって言うんだから素直に受け取ればいいのに、まったく。
私は春香ちゃんの財布に伸びる綺麗な手を、最近シワが目立ってきた手でやんわりと止めさせ、代わりに伝票用のマジックペンを握らせた。
「春香ちゃん、サイン書けるかい?」
「…領収書ですか?」
「…そうじゃなくて、アイドル天海春香としてのサインの方だよ。」
「はい、一応プロデューサーさんに言われて練習だけは…まだ誰かにあげたりとか、したことはないんです…けど……あれ?」
私が何を言いたいのか、春香ちゃんはようやく理解してくれたようだ。
「お願い、してもいいかい?」
「…は、はい!もちろんですよ!!」
その後、震えた字が大きく踊る色紙と、春香ちゃんと私が一緒に写る写真を、店の1番目立つ場所に並べて飾ることにした。
春香ちゃんがケーキを両手にぶら下げて駅へと向かったのを確認した私は、まだまだ商品が残っているのに店を閉めてしまった。
春香ちゃんのラジオを聞くために買ったCDプレイヤー付きラジオを居間から引っ張り出し、春香ちゃんに貰ったCDをかける。もちろん、二曲目からだ。
『あなたがいる そんな風景が
あたりまえだと思っていたの
だけど少し変わり始めた日々』
『「いつもありがとう、がんばって」胸が詰まって言えない』
『最初はいそがしいことも嬉しいよねって』
『みんな不安抱えながら進み続けるの
夢を語った日々が今 宝物だね ずっとずっと』
写真の中の私と春香ちゃんは、いつも通りとても楽しそうに笑っていた。そんな写真を見ながらこんな曲を聴いてしまったせいか、今日の売れ残りショートケーキは少し甘さが足りない気がした。
思い返せばあの日から。250円のケーキを100円で売ってしまったあの日から、きっと、私は天海春香のファンなのだろう。