東方文伝録【完結】   作:秋月月日

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東方文伝録
第一話 沙羅良夜の幻想入り


「あやー……最近、面白いネタが集まりませんどうしよう」

 

 肩のあたりで切りそろえられた黒髪を持つ少女が卓袱台に体をぐでーと投げ出すのを見て、その台詞は今月に入って十二回目だな、と彼女の向かいで本を読んでいた跳ねが多い銀髪の少年は苦笑いを浮かべる。

 少年の手の中にある本のタイトルは『妖恋記(ようれんき)』。名前からして恋愛小説のようだが、この少年には正直言って似合わない。

 だがしかし、やる気というものが根こそぎ奪われたようなダウナーな目つきの少年は、もくもくと小説を読み進めていく。

 そして最後まで読み終わったところで少年はをぱたんと本を閉じ、その本で少女の黒髪をぽすぽすと上から抑えるようにして軽めに叩く。

 

「らしくねーなー、(あや)。いつものお前なら、どんなつまらない事件も大袈裟に誇張して面白いネタに変えちまうだろうに」

 

 文と呼ばれた少女は頭に降り注ぐ少年の攻撃に抵抗することなく、卓袱台にくっつけていた顔を少年に見えるように横向きに動かし、

 

「私は嘘は吐きませんけど大袈裟な事実は作り出します。――ですが、流石にこうも平和だと誇張することもないんですよねー」

 

「…………キノコの食べ過ぎで腹痛により寝込んだ霧雨のことを、『霧雨魔法店の店主が毒キノコを食べて意識不明の重体』ってまさかの方向で特ダネにしたお前が言っていいセリフじゃねーと思うぜ――俺はな」

 

「いいんですよ。八割方事実ですし」

 

「せめて七割方にしとこうか。毒キノコでも意識不明の重体でもなかったわけだからっ」

 

「いたっ」

 

 未だに卓袱台の上でだらけ状態な文の額を少年は本の角で軽めに叩く。

 文は目尻に涙を浮かべて額を抑えながらむくりと起き上がり、ジト目で少年を睨みつける。少年は少年で読み終えていたはずの本を再び開き、涙目で睨まれても怖くねーなー、と呟きを漏らしてから読書を再開した。

 よく見てみると、少年が持つ本の表紙は決して新しいとは言えないほどに擦り切れている。今まで何度も何度も何度も何度も読み返したらこうなるのだろうか。普通ならばここまで本が古ぼけてしまったら買い替えるだろうに、少年はこの本を捨ててはいない。よっぽど愛着があるのだろう。

 と、そこで何を思ったのかジト目だった文の表情がにやり、といった妖しい笑顔へと変化した。そんな彼女を上目で見ていた少年は――ああ、こりゃなんか面倒事を押し付けられるな――と溜め息を吐く。

 文は少年がこっちを見てくれないので少年の手から本を取り上げ、

 

良夜(りょうや)、私はお腹が空きました!」

 

「あ、そう。いいから本を返してくれ。ちょうど今からヒロインが主人公に告白するシーンなんだ」

 

「お腹が空きました!」

 

「知らん。いいから早く本を返せ」

 

「ですが今日は冷蔵庫の中に食材が一つもありません。何故ならそれは――昨日の夕食が兎鍋だったからです!」

 

「兎の肉が安かったからな。…………オイ、まさか文、お前……」

 

 良夜と呼ばれた少年は何かに気づいたらしく、三秒と掛からずに顔を蒼白に染めていく。彼が着ている白のカッターシャツと黒いTシャツと黒のスラックスに、彼の顎からぽたぽたと大量の汗が降り注ぐ。背中に走る嫌な寒気は、どうやら気のせいではないらしい。

 この後の展開が嫌でも分かる、と露骨に嫌悪感を現した表情を浮かべる良夜に文はニコッと満面の笑みを向け、

 

「――――買い出し、たっのみましたよーっ!」

 

 

 

 

 

  ☆☆☆

 

 

 

 

 

 銀髪の少年こと沙羅良夜(さらりょうや)は幻想郷に来る前のことを何一つ覚えていない。

 いや、何一つというのには語弊があるだろう。正しく言うと、彼は自分の名前以外のことを全く覚えていない。いわゆる、記憶喪失というヤツだ。

 良夜が幻想郷に来たのは、今から一年前の月明かりが綺麗なとある秋の日だ。

 なにかの経緯で幻想郷に自らやって来たわけではなく、気がついたら幻想郷に自分はいた。覚醒した直後に、見知らぬ土地にいた。このとき良夜は、言い表しようもないほど強大な不安に心を支配されそうになっていた。

 見知らぬ土地にいきなりほっぽり出され、挙句の果てにはこの土地に来る以前の記憶がない。そんな状況に追い込まれてしまったら、人間だろうが妖怪だろうが不安になるのは当たり前だろう。それで通常通りでいられるのは、精神力がずば抜けて高いか楽観主義者な変わり者だけだ。

 見知らぬ土地――幻想郷にやって来てしまった良夜は、とりあえず人間を探すことにした。そのとき彼がいたのは木々が生い茂る山の中であり、右も左も文字通り真っ暗で見えないほど暗かった。木の上から聞こえる梟の鳴き声に、何回飛び上がったことだろう。

 良夜はびくびくと脅えながら草木をかき分け、ひたすら前へと足を進めた。早く得体の知れない山から脱出して人間に出会いたいというのもあったし、身体を動かしておかないと不安で心が押しつぶされそうだったというのもあったからだ。

 そして行けども行けども変わることのない並木に意気消沈しそうになった瞬間のことだった。

 

「あやや? 妖怪の山に、なんで人間がいるんですかねー?」

 

 鳥の羽音が聞こえたので空を見上げると、黒い翼を背中から生やした黒髪の少女が――良夜に向かってに降下してきていた。木々の間から漏れる月の光に照らされて、彼女の姿が良夜の目にはっきりと映った。

 肩越しで切りそろえられた黒髪の上に赤くて小さい帽子(世間一般では頭襟と呼ばれている)がちょこんと載っている。右が白で左が黄色の紅葉があしらわれている変わったデザインのシャツで、白いフリルがついた黒のミニスカートを着用している少女。しかもかなりの美少女だ。

 気づけば、良夜は少女に見惚れていた。――否、目を奪われていた。ココだけは譲れない。

 とにかく、空から降りてくる少女はそれぐらいに綺麗で可愛くて魅力的だった。

 

「ここはどこ? 俺は……多分、沙羅……良夜?」

 

「随分と自信なさげな自己紹介ですねー。その様子から察するに、あなたは外の人間ですか。あやや、本当に運がない人です。この決して広いとは言えない幻想郷の中で、最も危険度が高い妖怪の山に幻想入りしてしまうとは……結構、興味深いですね」

 

 少女は降り立つと同時に近くの木の幹に体重を預け、スカートのポケットから手帳を取り出す。

 そして、胸ポケットに入れていたペンを手にとってペン先を良夜の鼻先に突き付け、

 

「ここは天狗が仕切る妖怪の山です。悪いことは言いません、即刻立ち去りなさい。私はまだ穏便な鴉天狗ですが、他の天狗に見つかってしまったら――――殺されますよ?」

 

 これは脅しじゃないですよ、と付け加えて少女はペンを指で上へと弾く。宙へと待ったペンは綺麗な放物線を描き、彼女の胸ポケットへと吸い込まれるように入り込んだ。

 器用だな、と良夜は場にそぐわない感想を頭の中で呟く。

 話から察するに、この少女は鴉天狗なのか。良夜は少女をまじまじと見つめるが、少女は両手で肩を抱いて一歩後ろに下がり、

 

「な……なんですか。じろじろ見ないでください! 私の体に何かついてますか!?」

 

「しいて言うなら翼が生えてる。鴉天狗って言う割には、鼻が長くないんだな」

 

「それはあなたたち人間の勝手な思い込みです。というか、私の話聞いてました? この山から早く立ち去りなさい。実力行使で追い出してあげてもいいんですよ?」

 

「いや、それはそれで困るんだよな。俺どうやら記憶喪失みたいでさ、自分の名前以外のこと、なーんも覚えてねーんだわ」

 

「な――――」

 

 予想もしなかった良夜の言葉に、少女は絶句してしまう。持っていた手帳がするりと手から抜け落ち、やわらかい土の上にパサッと音を立てて着地した。

 目を見開いて自分を見つめてきている文に気づいているのかいないのか、良夜は顔の前でパァン! と勢いよく両手を合わせ、

 

「ンでお願いなんだが、お前の家に住まわせてくれねーか? この世界がお前の言うとおり妖怪が住む世界だってんなら、右も左もわからねーし記憶もねー俺が生きていけるとは到底思えねー。だけど、俺は死にたくないんだ。だから頼む! 俺を――アンタのところで住まわせてくれ!」

 

「え、あ、ちょっ……」

 

 良夜の怒涛のお願いラッシュに狼狽えてしまう少女。さっきまでの威勢はどこへやら、完全にペースを奪われてしまっている。

 普通に考えれば、正体のわからない良夜を少女が家に招き入れなければならない道理などどこにもない。ココで見捨ててしまっても誰にも責任問題を突きつけられることは無いだろうし、少女的にもそれが一番楽なのだ。

 だが、記憶を無くした外来人というイレギュラーな存在が、彼女の正常な判断力を奪ってしまっていた。ハッキリ言えば――可哀相だなと思ってしまった。

 いやでも、やっぱり断ろう。ハッキリと凛とした姿勢で、断ろう。少女はコホンと咳払いをし、形の整った胸を張っ――

 

「料理洗濯掃除に買い物、なんでもするからさ! いやホント、雑用だってなんでもやる! だから――どうかおねがいします!」

 

「………………………………………………………………………わかり、ました」

 

 ここまで憐れな少年を見捨てられるほど少女はできた心を持ち合わせてはいなかったので、頬をヒクつかせながら渋々と言った具合に首を縦に振った。

 もうここまできたら仕方がない。この少年の言うとおり、好きなようにこき使わせてもらおうじゃないか。少女は額に手を当てて、深い溜め息を吐く。

 そして良夜のほうを改めて向きなおし、

 

「私は鴉天狗の射命丸文(しゃめいまるあや)。巷では『伝統の幻想ブン屋』との愛称で親しまれている新聞記者です。これからあなたの体が壊れるまで全力でこき使ってあげますので、覚悟しておいてください」

 

「お、お手柔らかに……。さっきも名前は言ったと思うけど、俺は沙羅良夜。記憶喪失な人間だ。これから――よろしくおねがいします」

 

 少女――文はニヤリと妖しく笑い、良夜は冷や汗を流して苦笑する。

 

 これが、沙羅良夜の幻想入りだった。

 

 


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