我らが配達屋こと沙羅良夜の中二病宣言が放たれてから数分後、
「ぐごぎゃぁぁあああああああああああああああああああーッ!?」
――紗羅良夜は盛大に紅魔館の壁に埋没していた。
相手に勘違いさせる能力――『目にもの見せる程度の能力』と蹴り技を駆使して紅美鈴をギリギリのところまで追い込んだ良夜だったのだが、本気を出した美鈴の速度に追いつくことができず、脇腹直撃の回し蹴りでギャグ漫画のように蹴り飛ばされてしまったのだ。ゴギグシャメキボキィ! という効果音が鳴ってしまっていたが、果たして彼の骨は原形を保っているのか。甚だ疑問である。
しゅぅぅぅぅ……と砂埃と煙を上げながら沈黙する良夜。体がぴくぴくと痙攣している点から察するにまだ何とか生きているようだが、骨の一本か二本は確実に持っていかれていることだろう。最弱だと自称するだけあって人外級に打たれ強い良夜だが、それでも無傷とはいかないのだ。
完全に噛ませ犬と化している良夜が昇天直前まで追い込まれている中、良夜を蹴り飛ばしたまま凍りついていた美鈴はハッと気づいたように目をぱちくりさせ、
「あのー、えと……やりすぎちゃいました?」
苦笑しながら今さらなことを言い放った。
☆☆☆
加害者である美鈴によって寝室に運ばれた被害者良夜は現在、体中に包帯を巻きまくって高級そうなダブルベッドの上で絶賛療養中ということになっている。
傷の具合をあえて言うならば、肋骨三本骨折、打撲傷多数、打ち身、内出血、右腕にヒビ、左足骨折……エトセトラエトセトラ。ぶっちゃけ重傷という言葉では片づけられないような有様と化していた。
一応は応急処置の知識を持っている小悪魔に治療してもらったわけだが、流石に完全回復という訳にはいかなかった。美鈴自作の漢方薬も半ば無理矢理飲まされてしまったことで、良夜の顔色は青を通り越して紫色になってしまってもいる。
結論。
今の良夜はいつ死んでもおかしくないんじゃね?
「も、申し訳ありません配達屋さん! 流石にやりすぎましたぁーッ!」
「いや、別に謝る必要はねーって。正々堂々の勝負の下での結果なんだから、単純に俺の実力不足だよ」
なにこの人イケメン……という評価を下されることもありそうな発言をしつつも苦笑を浮かべる良夜さん。仕事である配達の中で体を鍛えていなかったら確実に死んでしまっているであろう現実が怖ろしいのだが、そういうところが彼の悪運の強さの賜物だろう。家主である鴉天狗との日々は無駄ではなかったのだ。
だが、ここで一つ問題が浮上する。
良夜は紅魔館の専属メイドである十六夜咲夜から脅迫……もとい頼まれて一週間紅魔館で働くことになっていたわけなのだが、流石にこの状態では仕事を続行するのは不可能だろう。腕一本程度ならばなんとかなっていたかもしれないが、左足を負傷してしまっているのがなんとも痛い。松葉杖を使ったとしてもせいぜい料理をするぐらいが限界だろう。
あまりにも突然すぎる展開をほぼ直接的に作り出してしまった張本人な美鈴はずぅぅぅぅぅぅんと絶賛絶望中で、良夜の目には確かに彼女の頭上に雨雲が形成されているのが見えている始末。あのまま放っておいたら最終的にキノコとかなめこが生えるんじゃないか? と嫌な予想をしてしまうほどだ。
一応はレミリアの厚意で紅魔館の家事を妖精メイドと小悪魔に任せているので、今の良夜はハッキリ言って暇である。
なので良夜ははぁぁと小さく嘆息してから美鈴に苦笑を向け、
「なんかお互いに責任感じちまってるみてーだからさ、今から二人で人里に気分転換でも行かねーか?」
――鴉天狗とメイド長と聖徳道士がブチギレそうな発言をした。
☆☆☆
紅魔館の主であるレミリアに許可をとり、良夜と美鈴の二人は人里へとやって来た。
通常では歩行すら不可能な良夜は紅魔館に何故か置いてあった車いすに乗り、美鈴に後ろから押してもらっている。良夜の重傷の原因である美鈴は断ることも無く車いすを押しているわけだが、彼女の本心としては、こういうところで鴉天狗とかメイド長とか聖徳道士とかに空けられてしまった差を埋めたいだけなのだ。良夜との絡みが極端に少ない彼女は、健気な自分を売り込むことに全てを賭ける。
少しだけ頬を紅潮させている美鈴に車いすを押してもらいながら、良夜は言う。
「とりあえずどっかで飯でも食わねーか? もーそろそろ夕飯の時間だし、どっかの飯屋にでも入ろーぜ? 大丈夫、紅魔館組は小悪魔が料理作るらしーし、飯代に関しては俺が奢ってやるからさ」
「で、でも、流石に奢ってもらうのは悪いというかなんといいますか……配達屋さんにはいつもお世話になっていますので、こういう時ぐらいお役にたちたいというか……」
「なーに畏まってんだよ、美鈴。お前にゃ武術とか教えてもらったり寝顔を堪能させてもらったりしてんだから、おあいこだっての」
「ッッッ!? ちょっ、居眠りの話は止めてくださいよぉ!」
「あははっ、スマンスマン」
がちゃがちゃと車いすを鳴らしながらも楽しそうに会話する二人。どこからどう見てもラブラブなカップルにしか見えないのだが、彼らは単なる友人同士なのだ。鴉天狗を始めとした三人の嫉妬狂が見たら修羅場確定な光景なのだが、二人に悪気があるわけじゃあないので奇襲は不可能だろう。というか、今この場に介入したら完全に悪役になってしまう。
そんなこんなで二人は人里のほぼ中央に佇む居酒屋へと入っていく。
店内は中年のオッチャン達でにぎわっていて、良夜と美鈴の存在はやけに浮いていた。まぁ、若い二人が中年のオッチャン達の中に紛れることなんて不可能だろう。逆に紛れ込めたら込めたで何か大切なモノを失ってしまったような気がするが。
「へいらっしゃい! って、おやおやぁ? 良夜オメェ、今日は違う女と来店かぁ? くぅーっ、隅に置けないねぇ」
「変な風に言うなっつーの! 別に他意はねーし疚しい気持ちもねーよ!」
「がっはっは! まぁまぁ、店主もそこらへんにしといてやれって。ほら配達屋に門番のお嬢さん、こっちに座った座った!」
「あ、はい。ありがとうございます」
既に酒がまわって顔が赤くなっているオッチャン達に促され、良夜と美鈴は店内の中央にあるテーブル席に腰を下ろす。車いすの良夜は美鈴に体を抱えてもらい、ゆっくりとイスの上に座らせてもらっていた。まるで介護だなとか言っちゃいけない。
普通ならばここで良夜の怪我について言及するのだろうが、空気が読めることに定評がある人里のオッチャン達は目くばせをしながら良夜と美鈴に日本酒を渡し、豪快な笑い声をあげる。
「がっはっはっは! この酒は俺たちからの奢りだ! じゃんじゃん飲んでくれ!」
「いやいや、俺は酒飲めねーんだって。店主さん、お冷持ってきてくれませんかー?」
「へいっ、水割り一丁!」
「お冷だって言ってんだろ!」
メチャクチャいい笑顔で渡された水割り(何故か特大ジョッキ)を近くに座っていた八百屋の店主に渡し、良夜は改めてお冷を注文する。というか、お冷ぐらいサービスで渡せないのかこの店は。
「かっ! 十八にもなって酒が飲めねえたぁ、修行が足りねぇなぁ!」
「いやいや、外の世界じゃ未成年だから禁酒が当たり前なんですけどー? 酒が飲めなくて当たり前なんですけどー?」
「配達屋さん、お酒も飲んでみれば美味しいですよ?」
「いやいや、美鈴ぐらい俺の味方してくれよ。そして美鈴が賛同したからってそこのおっさんどもは盛り上がんな! ただでさえ暑いのに更に暑苦しくなるわ!」
『文ちゃんと同棲してるくせに他の女誑かしてるやつは黙ってろ!』
「だから誤解だっつってんだろ!」
『文ちゃんに言いつけるぞクソガキ』
「店主! 今日の支払いは俺が全額もちます!」
「へいっ、毎度ありー!」
「焼酎追加ねー」
「あ、じゃあこっちはたこわさび頼むわ」
「鳥皮二人前追加!」
「何て現金なんだこの人たち!」
急激に増加した追加注文に財布の中身が心細くなりながらも、良夜は周囲のオッチャン達と盛り上がる。結構な頻度で人里に下りてくる良夜は何故かオッチャン達に好かれていて、いつもこんな感じでいじられているのだ。
美鈴もフランドールの護衛として人里には時々来るが、流石にここまで歓迎されたことはない。今がちょうどテンションが上がる時間であるというのもあるのだろうが、美鈴がここまで歓迎されたのは良夜の存在のおかげだろう。
コミュニケーション能力が高いわけじゃなく、人にただ好かれやすいだけ。
そんな人柄が、美鈴に良夜を更に好きにさせるのだ。そんな良夜が、美鈴の心を更に惹きつけてしまうのだ。
良夜に好意を抱き始めたのは、とても些細なことが理由だったかもしれない。文や咲夜や神子に比べれば、話題に挙げるようなことでもないのかもしれない。
だが、それでも、美鈴は良夜のことが大好きだ。普段から受け身な美鈴だが、絶対にこの人を振り向かせてみせる、と確固たる意志を持っていたりもする。
頭を使うことが苦手だから、恋の駆け引きなんてことは苦手だ。――それでも、絶対に諦めるわけにはいかない。
普通の女子より不器用だから、自分を売り込むなんてことは苦手だ。――それでも、絶対に譲るわけにはいかない。
良夜の想いが鴉天狗に向いていようが関係ない。一夫多妻制が認められている幻想郷なんて理由も関係ない。
紅美鈴は己の全力を以って、沙羅良夜を惚れさせる。
どう考えても難易度が高い目標かもしれないが、それでも絶対に実現してやる。私にも女としての意地があります!
――だが、まぁ、まずは。
「ほらほら飲め飲め飲めェェェェェェェェーッ!」
「一気! 一気! 一気!」
「げげごぼがばばばぼぼぼぼぼ!」
――酒に物理的に溺れている愛しい人の救出から始めますかねぇ。
「ちょっ、みなさぁん!? 急性アルコール中毒は流石にヤバイですって!」
紅美鈴。
紅魔館の門番にして、恋する乙女な妖怪。
彼女は今日も、不器用ながらに人一倍努力しながら前に進んでいく。